三話 恐怖を前にして
三話 恐怖を前にして
ミステリー研究部の夏合宿は二泊三日、福島で行われる。スキー場として有名なその地域にあるペンションにミス研は昔からお世話になっており、そのため、格安で泊めてもらうことができるのだ。もちろん、夏場であることがその理由の一つではあるものの、古くからの付き合いがあるという理由以外に、もう一つわけがある。
それは過去に近くの公園で殺人事件があったのだ。
バラバラにされた男性の遺体が発見され、それ以降、その公園では頻繁に血だらけの男が目撃されるようになった。特に、事件が起こった時期である八月に目撃例は集中し、そのせいでこのシーズンはこの辺りの宿泊施設からは客足が遠のくようになった。
そんな中、わざわざ心霊体験をしたいという目的を持ってやって来たのが、何代も前の先輩たちでそのときから僕たちのサークルは格安で泊めてもらうという伝統が生まれたのだ。
……なんて話を、僕たちも去年聞かされたわけだが、どうってことはない。その事件が起きたのはもう二十年以上も前の話で、僕たちが生まれるより前の話だ。毎年、肝試しにやって来るのだけれど、歴代の先輩たちの中でも本当に霊を見たものはいない。殺人事件自体は本当に起きた出来事のようだが、心霊現象はとうの昔に収まっている。事件後すぐに、供養されたのだそうだ。
今晩、僕たちはそこに肝試しに行く。公園の周囲に円を描くように敷かれた遊歩道。そこをスタート地点からグルっと一周して戻って来るのだ。
しかし、ただグルっと一周してくるだけじゃない。肝試しを始める前に、こっそりと三年生が罠を仕掛けているのだ。もちろん、一年生はそのことを知らない。知らされるのは、そこで過去にあった陰惨な殺人事件と、恐ろしい心霊現象の話のみ。
去年、一年生だった僕たちは死ぬほど怖い目にあった。僕なんかはペアであるサンゴクに恐怖のあまり飛びついたくらいだ。女性に対していつでも紳士であろうとするこの僕が、である。
言わば、この肝試しは上級生からの一年生に対する洗礼なのだ。
あのダイキとハルでさえ、悲鳴を挙げながら顔面蒼白で帰って来た。ゆうは泣いていたし、サンゴクは……まあ、僕のビビり具合を見て、逆に冷静になってたらしいけど……。
そんな中、顔は引きつってはいるものの、目は輝かせていたのは言うまでもなくしらべだ。僕たちは肝の底から冷やされたというのに、しらべはむしろ熱くなっているようだった。
全ては仕掛けだったと聞かされて、みんなほっとする中、一人だけ肩を落としていたのもしらべだった。
とはいえ、合宿の第一の目的は部員同士の親睦を深めることである。到着したその日は、各自自由行動をし、夜はみんなで集まって飲み会をする。それが昨日の出来事で、今日は昼食を食べた後に川遊びに出かける。ハルはちゃっかり水着を持って来ていて、僕とダイキは濡れてもいい格好に着替えてペンションの前に集合した。
ピーチさんは去年もそうだったが、傍観を決め込むようで、絶対に川には入らないという意思の下、ヒールでこそないにしろどう見ても濡らす気のないスニーカーに、日傘まで持って登場する。
一年生女子四人と、サンゴクとゆうは濡れても大丈夫なように黒いTシャツに短パンをはいていて、足元はもちろんサンダル。一人だけ例外的に白いシャツを着ているのはしらべで、やっぱりアホだと思う。
津島さんとピーチさんが先導する形で川へと向かい、辰巳さんとダイキは僕たちの後方で何かごそごそ怪しげな動きをしている。
まあ、間違いなく先ほど準備していたアレを女子に投げつける作戦を練っているのだろう。いや、もう作戦すらいらない単純明快な攻撃。
水風船。
「うらーッ」
辰巳さんは掛け声と共にダイキと二人で女子に向けて水風船を投じた。
「キャーっ!」
何の予備情報もなかった一年生女子とサンゴクの顔面に水風船が炸裂する。
「ちょ、顔はやめて! まつ毛が!」
見ると、サンゴクは黒い涙を流していた。ある種のホラーであるが、ちょっとかわいそう。
「おいおい、これ、川で使うんじゃなかったのかよ」
ハルが苦笑いを浮かべている。実は、僕たちもTシャツの裾を広げて、カンガルーのように水風船を腹に抱えていた。
女子が悲鳴をあげ、パニックになっているのを見て、さらに気をよくしたのか、腹に抱えていた水風船を使い切る勢いで女子に対する水風船攻撃が始まった。
「だから、顔はやめてって言ってるでしょ!!」
ダイキがサンゴクを集中攻撃していた。なんてエグい奴……。
「ちょっとーッ、ストップ、ストップ! あすちゃん、大丈夫?」
サンゴクをかくまうようにゆうが盾になる。ダイキの水風船を背中で受ける。
けれどもそんなこともお構いなしで、むしろゆうを超えてサンゴクに当たるように、山なりを描いた投擲(とうてき)を試していた。
そんな女子が一方的に虐(しいた)げられている状況を見過ごせないと、一人の女の子がさらにゆうの前に飛び出した。
しらべである。
「まかせて!」
何を任せるのか、よくわからないが自身に満ち溢れた表情だ。何か有効な手段でも思いついたのだろうか。
しらべが出て来たところで、ダイキの攻撃はやまない。しらべの方めがけて水風船を放った。
自信満々で飛んでくる水風船に対して、しらべは立ちはだかる。
しらべは飛んで来た水風船をキャッチしようとして――割れた。
当たり前だ。パンパンに膨らんだ水風船はちょっとの衝撃でも破裂する。勢いよく投げられた水風船をキャッチできるはずがない。
「つめた」と顔や腕にはねた水を払いながら、再び構える。「今度こそ!」
まだ取る気だ。今度は足腰を使って勢いを殺してキャッチする気のようだが、でもたぶん無理だろう。どんなに工夫しようとも、パンパンに膨れ上がった水風船をキャッチすることは不可能だ。
ただ、怪我をするわけでもないし、ここはしらべの好きなようにやらせておくべきか。
「しらべッ!」そんな身を呈して二人を守ろうとしているしらべを、ゆうが怒鳴りつけた。ゆうがここまで声を荒げるだなんて、いったいどういうことだ?「透けてる!」
透けてる?
そういえば、しらべは白いTシャツで、正面から水しぶきを受けたのだ。当然、Tシャツも水浸しになっていて――
「大丈夫!」
本人は大丈夫と言うが、全然大丈夫じゃなかった。少なくとも客観的な視点においては。
ゆうにシャツの裾をひっつかまれたしらべは素早く女子たちの後方へと追いやられるが、僕の目には先ほどの光景がしっかり目に焼き付いていて頭から離れない。身体に張り付いたシャツのライン。そして浮かび上がる白いブラジャー……。
うらあああああああああああああ。
気づけば、本能に任せて水風船を投げていた。ダイキの後頭部に向けて。
バシャア。
そして、液体とはいえ、あまりの勢いに前のめりになるダイキ。
「ぎゃああああああ。なんだ!?」
てめえ、しらべの素肌を人前で晒させやがってッ!
本来なら水風船ではなく、道路のわきにある石を拾って投げつけたいくらいだ。
「か、カナタ、おまえッ! いきなり何すんだ!」
「ごめん、手が滑った」
「手が滑ったって勢いじゃなかったけどッ!?」
「本当は女子の方に投げるつもりだったんだけど、ほら、僕、運動音痴だし」
「嘘つけ! 絶対、俺のこと狙ってだろ! 女子を守るためか? このフェミニストが!」
「言いがかりはやめろよ。あまり僕を動揺させると、次に投げる時も手元が狂うぜ?」
「おい、確信犯。俺と勝負しようって言うのか?」
水風船の連続攻撃がやみ、余裕を取り戻した女子たちの方から「いいぞー、カナター!」という声が聞こえて来る。女子たちの声援。心地いい……。
しらべの声は聞こえて来ないが、あの中で僕を応援してくれていると思うと、俄然、やる気が溢れて来た。
「やるなら来いよ。言っとくけど、水風船の数ならおまえより僕の方が多いんだぜ。それでもやり合うって言うんなら、容赦はしない」
ダイキとの一騎打ち。
見守るはミス研の女子たち。
「正義のヒーローぶったその面(つら)を、水風船と涙でびしょびしょにしてやるぜ!」
啖呵(たんか)を切って振りかぶるダイキ。
集中力が高まる僕の肩を、しかし何者かが叩いた。
「やめろ、カナタ」ハルの声だった。けど、そこにはいつもの陽気さは微塵もなく、有無を言わさぬ感じすらする。「……ダイキもやめろ」
「何だよ、ハルまで。おまえも俺とバトろうってのか。おまえまでフェミニストだったとはな!」
「違う。俺らの後ろにはなずながいるだろうが。なずなに少しでも被害が行ってみろ……? びしょ濡れになるだけで済むとは思うなよ」
静かなる怒り。そういうことか。
桃谷なずな。
なずなというのは、ピーチさんのことだ。
ミス研の現部長であり――ハルの彼女である。
普段、ハルは僕たちの前では自分の彼女のことをピーチさんと呼ぶ。それは、二人の事情をサークル内に持ち込むことを避けた、ハルなりの配慮だった。しかし、それすらも忘れてピーチさんのことをなずなと呼ぶときがある。それは惚気(のろけ)ているときと――機嫌の悪いときだ。
「な、何だよ。へっ、容赦しねえってどうするつもりだよ? 俺のこと、ぶん殴るか?」
「いや、沈める」
「え、川に? 死んじゃうよ? 俺……」
そんなやりとりをしているダイキの背後に忍び寄る影。
水風船を掲げたまま固まるダイキは、完全に隙だらけだった。
サンダルを履いた足が、高々と持ち上げられる。
「死ねッ!」という掛け声と共にサンゴクはダイキの背中を蹴り飛ばした。不意打ちを食らい、膝が折れたダイキはそのまま地面に倒れ、爆発した。水風船と共に。
水没したダイキの身体。
女子たちに甚大な被害を与えたダイキには、相応(ふさわ)しい最期だった。
◆
それから、みんなで水風船のゴミを片づけて川へ向かい、二時間ほど川遊びを楽しんだ。用意した水鉄砲で、結局ピーチさん以外はみんなびしょびしょになり、サンゴクはつけまつ毛をピーチさんに預けることになる。
八月とはいえ日が雲に隠れ、風が出て来ると濡れた身体からは体温が奪われていく。シャツやズボンの水気の切れる部分は水分を落とし、髪や顔は各自持ってきていたタオルで拭いた。
しらべも水風船の一件が可愛らしく思えるくらいに完全にびしょ濡れになっていて、当然白いTシャツは透けていたが、それを気に止める者はもういなかった。
河原から上がり、来た道を戻る。ペンションの人には予め川に行くことは知らせてあったので、戻るとすでに湯が沸かしてあった。
「うおっしゃ! カナタ、一緒に風呂行こうぜ!」
帰り道の途中、風は寒かったが、おかげで自然乾燥をさせることができた。だから、タオルで足だけ拭いて部屋に向かう。それでもまだ服は湿っているので、あまり室内を濡らさないように着替えをバッグから取り出すと、ダイキとハルと共に浴場に向かう。
一階の、食道の向かい側。青い暖簾(のれん)がかかっている方に入る。
「俺はこっちに行くわ」
ダイキが赤い暖簾の前にニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「昨日も同じこと言ってたな」
僕はそれだけ言うと、男湯に入って行った。
毎度毎度のお約束のギャグだった。
去年も確か同じことをやっていた。
もういい加減、突っ込むのもめんどくさい。
僕がTシャツを脱いだところで、何事もなかったかのようにダイキも入って来る。
どうやら下らないことを言ったことを反省しているようだった。下らないとわかっているなら、最初から言わなければいいのに。
浴室に入り、身体を流すと僕たちは湯船に浸かる。
「今年も肝試し、やるんだろ?」
ハルを挟んで僕が左、ダイキが右。それぞれ浴槽の端に寄りかかって足を伸ばしている。
「当然だろ。そのために来たようなもんだし」
ダイキがさもと言った感じで答えた。
「おまえの場合、肝試しが目的ってよりは一年女子と戯れるために来たって感じだけどな」
ハルが呆れたように言う。昨日の飲み会のときのことを言っているのだろう。僕たち二年生が集まる中、ダイキだけは一年女子の部屋にいた。
「楽しかったよ。辰巳さんと二人でさ。俺たちのこと、かっこいい、かっこいいって言ってくれるから嬉しくて」
「おまえ、キャバクラとか言ったらドはまりしそうだな」
「そんなとこ行く金ねーから、ミス研で我慢してるんだろうが」
「おまえはミス研を何だと思ってるんだ!」ハルが苦笑いを浮かべる。「あんまひどいようだと、一年男子の恨みを買うぜ?」
「あいつら? サゴとカラスだろ? どうだろうね。嫉妬とかしてんのかね。そういうの、あんま興味なさそうだけど」
一年男子のサゴとカラス。二人とも黒ぶちメガネのさらさらヘアー。顔は全然違うのだが、雰囲気が似ているせいで、入部したてのときはどっちがどっちだか区別できなかった。
「人間なんだから、当然すんだろ。同じ学年の女に、先輩が手を出して来るっていうのは、なかなか気分のいいもんじゃない」
「そこんとこ、どうなのよ、恋愛奥手のカナタくん」ぼーっとしていたら、突然話を振られて慌てて二人の顔を見た。「おまえもミス研の女には興味がないみたいな面してるけど、やっぱ、同学年の奴が先輩に手ぇ出されたら嫌なもんかね?」
「どうだろうな」僕は言葉を濁す。「でも、後輩に手を出すような人って、なんとなくわかるじゃん。辰巳さんとか。そういう雰囲気出してる人が実際に後輩の女の子にちょっかいをかけてても、案の定って感じだし。第一、辰巳さんならカッコイイから女の子たちも悪い気はしないでしょ」
「それは微妙だけどな」いつも辰巳さんと一緒にダイキはしかし、僕の褒め言葉に顔をしかめる。「ああいうタイプの人が苦手な女の子だって結構いるさ。エセイケメンって言うの? 大してカッコよくもないくせして、やたら自分に自信のある奴。ファッションには金かけてるんだろうけどさ。まあ、自信がなくてうじうじしてる奴よりかは、よっぽどマシなんだろうけど」
僕はその物言いに驚く。
その言葉にはあまり好意というものが感じられなかった。
「おまえ、辰巳さんと好きで一緒にいるんじゃないの?」
「好きで? いや? ただ一緒にいるだけだよ。あの人、コネだけは結構持ってるからね。くっついてると、いろんな女の子と会えるんだよ。それだけさ」
てっきり、似た者同士、そして同じ人種で先輩である辰巳さんのことを敬愛して一緒にいるんだとずっと思ってた。
言われてみれば、同じ女好きでも辰巳さんはジャラジャラ装飾品を身につけているが、ダイキはわりとさっぱりとした格好をしていることが多い。なんとなくダイキと辰巳さんは同じ部類の人間だと思っていたが、考えてみれば違うところの方が多いような気がする。
「だから俺は、別に一年女子を狙ってるわけじゃなくてかっこいいって俺をちやほやしてくれるから、遊びに行ってるだけなんだって。けど、あの人は、結構ガチで狙いに行ってるからね。男に免疫のなさそうな子に優しくして……ってのがあの人のやり口かなァ」
「結構がっついてるよね。大きな声では言えないけど」
ハルも苦笑した。
そんなにわかるもんかなぁ。僕は単純に女子に優しいチャラ男ってイメージだったけど。
「俺、辰巳さんの合コンにくっついて行くことがあるんだけど、最初っからヤれるかヤれないかしか考えてないぜ? 前に言われたもん、飲み屋で。あの子は行けそうだから俺のもんな、って。お持ち帰りの技術はめっちゃ身につけてるよ、あの人。終電過ぎるまで飲んでるなんて当たり前だもん」
僕の知らない世界の話だ。
合コンだの、ヤる、ヤらないだの話は。
もちろん、僕も男の端くれである以上、そういう世界への憧れが少なからずある。
しかし、自分には自分の見合った世界があり、僕がいるべき世界は今送っている日常そのものだ。学校に行き、サークルに顔を出し、長期の休みがあるときはこうして部員たちと旅行に来る。それが全てで、それだけで十分だ。
僕が身を置くべき最も幸福な世界。
わざわざ汚れた世界に身を投じる必要もない。
「で、そういうおまえはどうなんだよ」
ハルの質問に、ダイキは疑問の表情を浮かべる。
「どうなんだって、何が?」
「辰巳さんが夜の相手を探しに合コンに行っているのはわかったけど、おまえは何しに合コンしに行っているのさ? まさか、ただ単に酒を飲みに行ってるわけじゃないだろ?」
「残念だけど、半分は普通に酒を飲みに行ってるだけだよ」肩をすくめて言う。「辰巳さん、あの人、金は持ってるからあの人と飲みに行くと、結構飲み代が浮くんだよ。先輩面したい人だから、そういうところはきっちりしてる」
「何だよ、なんだかんだ言っても辰巳さんに世話になってんじゃん、おまえ。で、半分は酒を飲みに行ってて、もう半分は何だよ」
今度はキメ顔をこちらに向けた。
「さっきも言っただろ。俺が飲み会に行くのはかっこいいって言われたいからだよ。もちろん、すげー俺のタイプの子とかいたら、アプローチかけるけど。だいたいはずれが多いんだよ。そういうときはちやほやされて、気持ちよく帰って来る」
自慢げに語るダイキに対して、ハルはげんなりとしている。
「俺はおまえの話を聞いてて気分が悪くなって来るけどな」
「家に帰って、メアド交換した子から『今日はありがとう。また食事でも』ってメールが送られて来て、やべー、めっちゃ狙われてるじゃんって、優越感に浸ってから寝るのが幸せなんだ。つっても、その後はもう連絡はとらないんだけどな。興味ないから」
「辰巳さんもなかなかだけど、おまえも大概なカス野郎だな」
辰巳さんを批判するぐらいだから、ダイキは女性関係をきちんとしているかと思ったが、とんだクズだった。
「向こうから連絡がある子は、キープみたいになるのは嫌だからすぐ切るようにしてんだよ。メールして、思わせぶりな態度取ってる方が残酷だろ。けど、普通の女友達は増えるよ、他大に。そこからコネもできるしね。で、その友達に知り合いを集めてもらって、また合コン開いてもいいし」
他大に友達か。バイト先で他大の知り合いはできたけれども、普段、連絡を取り合うことはないし、プライベートで会うことはまずない。それが、女の子となると、そもそもメアドを交換するかどうかも怪しい。
「でもよ、おまえは俺に後輩に手を出すなって言うけどさ、先輩に手を出すってのもどうかと思うぜ? ピーチさんのこと、狙ってた俺が言うのもなんだけど」
その台詞に、ハルは触れられたくないとでも言うように顔をしかめた。
「手を出すって言い方はやめろよ。俺はきちんと手順を踏んで付き合ってんだから」
「手順踏んでたって、納得できない奴はできねーよ」
憎々しげに言うダイキ。
「……ひょっとして、おまえ、その納得できてない奴っておまえのこと?」
僕は横から尋ねる。
「さあなッ!」と露骨な怒りを露(あら)わにし、そっぽを向く。「……ってのは冗談で、俺はハルのいいとこ知ってっから、敵わないとは言わないまでも、おまえのことは認めてんだよ。だから、おまえとピーチさんが付き合うって聞いた時も、驚きこそはすれ、納得はしてたさ」
表情を緩め、照れくさそうに言う。
「じゃあ、納得ができない人って……」
僕の疑問に対して、答えたのはしかし、ハルだった。
「辰巳さんだよ」
ダイキが笑う。
「何だよ、ちゃんとわかってんじゃねーか」
「辰巳さんに嫌われてるっていうのは、自覚があるからな。ピーチさんと付き合い出したときくらいから、あの人、俺には話しかけて来なくなったし。ピーチさんからも多少の情報は入って来るしな」
「まだアプローチかけてるらしいな。でも、辰巳さん、結構いい感じのリアクション返って来るって言ってたけど」
「マジか? ピーチさん、歯牙(しが)にもかけてないって言ってたけど」
二人は顔を見合わせて、笑った。
つまりは辰巳さんの自意識過剰と自己陶酔による誤った認識のせいで事実の婉曲が起きているのだ。
僕も苦笑いを浮かべる。
「辰巳さんには気をつけろよ。ハルも、カナタも」
「気をつけろって言っても、俺はあの人に相手にされてないからな。そもそも関わり合いを持たないよ」
ハルは笑う。
そして、僕も実のところ、あまり辰巳さんには好かれていないようだ。
女遊びを繰り返す、イケイケな人に嫌われる傾向にある。それが僕の特徴の一つだ。
辰巳さんはきっと、僕みたいな恋愛経験の乏しい奴は好きじゃない。
ダイキの忠告には、僕は曖昧に笑って返すだけだった。
「さて」ダイキが立ち上がる。「そろそろ出るわ」
「ああ、じゃあ、俺らも上がるか」
僕ももう、だいぶのぼせて来たところだった。明るいうちに風呂に入る習慣がないため、身体が慣れていないのだ。
「ん? 無理して俺に合わせる必要はないぜ。俺は、これから用があるから先に上がるだけだし」
「用?」
「ああ、これから肝試しの仕掛けをしに行くんだ」
その言葉にハルは訝しむ。
「仕掛け? 肝試しの準備は三年生の仕事だろ」
「辰巳さんや津島さんにくっついて行くんだよ。ピーチさんはそういう雑用みたいなことやりたがらないみたいだし、ピーチさんの代理だな」
一年生を驚かす仕掛け。そして、イベントの詳細を知っている二年生をどこまで怖がらせることが出来るか。その全ては三年生の知恵と工夫にかかっている。
けれど、確かに今年の三年生は三人で、その上、ピーチさんが来ないのであれば、たった二人で全ての準備をすることになる。それは骨が折れるだろう。だから、二年生男子であるダイキに声がかかった。
「でも、仕掛けの側に回っちゃったら、どこで何が起こるのかわかっちゃうから、肝試しがつまらなくない?」
僕としては仕掛ける側に回って、どこに何をしかけたか把握しておくことで、心臓への負担は減らしておきたいところだが。
…………あ。
そういうことか。
「ちっちっち。そのためにセッティング側に回るんだよ。今日の肝試し、俺は一年女子と組む予定だからさ。予め、どこに何が仕掛けてあるか知っていれば、女の子の前でみっともない姿を晒さずに済むだろ」
肝試しの慣例の一つ。それは、男子と女子がペアになって肝試しをするということ。僕は去年、サンゴクと組まされ、そして醜態を晒した……。ハルとダイキも、僕ほどではないにせよ、だいぶ怖がっていたようで、そんな姿を見られたことを、ダイキは未だに後悔しているのだ。
「あ、じゃあ、僕も仕掛ける側に……」
「ダメダメ。三人いれば十分だよ。それに、ネタを知ってる奴が多いんじゃ、脅かす側としても張り合いが持てないしな。二年生は大人しく泣き叫んでればいいんだよ」
「おまえ、自分を棚に上げて……!」
「じゃ、今晩の肝試し、楽しみにしてろよ!」
言うが早いが、タオルで全身を瞬時に拭くと、とっとと出て行ってしまう。追いかけて、無理やり三年生にくっついて行くこともできるだろうが、そこまでするのもどうかと思う。
「はは、仕方ねーよ。大人しく、肝試しを楽しもうぜ」
ハルが僕に笑いかける。
今日の肝試し、僕はペアにしらべを誘おうと思っている。
そして、しらべの前で情けない姿を晒すわけにはいかない。
去年のような失態は、絶対に犯すことはできないのだ。
「あん? どうした? そんな怖い顔して。今から肝試しにビビってんのか?」ハルは僕の顔を見て笑いかける。「大丈夫だって。去年は本物の霊が出るみたいに言われたから、あんなに怖かったんだよ。今日起きる心霊現象は全部仕掛けだってわかってるんだから、何か起きたって笑ってやり過ごせばいい。すげー仕掛け作ったな、って」
「そうだな」
言って、笑い返そうとするがうまく笑えない。
「はは、ま、おまえはお化けとか苦手だもんな。二年はみんなそのこと知ってるから、二年の誰かと組めばいいんじゃない? そうすりゃ、悲鳴あげたって笑い話で済むさ」
二年生女子――すなわち、しらべとペアを組むからこそ、みっともない姿を見せられないんじゃないか。
そうだな、とだけ返し、僕たちも風呂を出る。
目の奥がじんじんする。
ちょっとだけ、のぼせてしまったのかもしれない。
◆
部屋に戻った僕たちは、夕食の時間まで部屋で時間を潰すことにした。肝試しは夕食の後に行われる。夕食までの間は自由行動で、三年生はその間に公園の遊歩道に肝試しの仕掛けをしに行くのだ。
部屋のテレビを点けると、ベッドに腰かけた。ちょうどニュース番組がやっている時間で、芸能人が有名店を食べ歩きをするという特集をやっていた。BGMとして垂れ流すにはちょうどいい。
「辰巳さんのことは風呂でさっき話したけど」Tシャツにハーフパンツ。ラフな格好に着替えてベッドに座るハルに話しかける。「津島さんのことはどう思ってる?」
津島さん。僕の敬愛する先輩。
何でもできて、イケメンでクールで大人。
話をすれば面白くて、そして誰よりも聞き上手。
よく気がつくし、学業の面でも色々相談に乗ってもらった。
あれ以上できた男を、僕は知らない。
「聞くまでもないでしょ」ハルは、言葉に反した苦笑いを浮かべた。「すごい人だよ。めちゃくちゃ世話になってるし、あんなにいい先輩は他にいない。どっかの誰かさんと違って、女に執着しないしね」
その苦笑は恐らく“あの人には勝てないよ”。そういう意味合いを含んでいるんだと思う。
「ぶっちゃけ、ピーチさんを追いかけてたときも、ずっと津島さんのことが気になってた。もちろん、俺は“ソッチの人”じゃないから、そういう意味じゃないぜ。はっきり言えば、ずっと敵対視してた。ピーチさんと実はできてるんじゃないかってね」
「おまえにこんなこと言っていいのかわからないけど――あの二人、お似合いだもんな」
「全くその通りだ。俺もそう思ってたよ。だから、俺の告白が成功したときは飛び跳ねて喜んだね。もちろん、心の中で、だけど」
どのようにピーチさんを落としたか、その詳しい経緯(いきさつ)は僕も知らない。僕たちの気付かないところでハルは手を打っていて、一年の秋頃には付き合い始めていた。
「あの人、彼女とかいんのかね?」
「何? おまえ、津島さんの彼女に立候補すんの?」
「馬鹿じゃねえの。僕もそっちの人じゃないよ」
下らないやり取り。家から、学校から遠くに来ていると言う環境が、気分をハイにさせる。
「彼女ねェ。いないと思うよ。少なくとも、定期試験に入る前まではいなかったはず。テスト期間中に彼女ができるはずがないし、テスト終わってから今日まで、そんなに時間があったわけでもないから、たぶん今もいないよ」
「モテるだろうに。彼女、作る気がないのかね?」
「知らねえよ。俺に聞くなよ」
全くその通りだ。
僕が女だったら――なんて例え話は、自分でしていても気分が悪くなるけれど、仮にそうだとしたら、間違いなく恋に落ちているだろう。
モテないはずがないのに、もったいない。
でも、そういう風に彼女を作ることに固執しないからこそ、津島さんはかっこいいのだ。
彼女ができたらいいのになァ、なんて日々悶々としている僕なんかより、一段も二段もヒトとしてのランクは上なのだ。
テレビでは有名店の特集が続いている。
激安、激旨ステーキ。
珍ネタ回転ずし。
デカ盛り特大丼ぶり。
次々と美味しそうな一品が紹介され、気付けばお腹が鳴っていた。
今日の夕食はなんだろう。
去年もそうだったが、ここの料理はなかなか美味しい。
◆
夕食を食べ終え、再び外に出て、ペンションの前に集合する。一年生はまだ肝試しをするとしか聞かされておらず、詳細は知らされていない。けれども、僕たちが発する不穏な空気は察しているはずだ。ただの肝試しではない。そんな雰囲気が全体に漂っている。
「これから肝試しに行くけど、みんなに注意がある。よく聞いて」
雑談が止み、津島さんに注目が集まる。静かだけど、響き渡る声。普段、悪ふざけをすることのない津島さんだからこそ、その言葉には重みがある。
「特に一年生。君らはここに来るのは初めてだと思うから、予め言っておく。これから肝試しに行くところは本当に危ないところだから、絶対にふざけないようにしてほしい。もしかしたら、ここの来る前に調べていて、知っている人もいるかもしれないけど――」
そこから去年聞いた、あのバラバラ殺人事件の話が聞かされる。この時期になると、毎年何らかの奇妙なものを目撃する人が現れるという話。
それが実際にはもう供養され、すでに過去のこととなっている話だとわかっていても、僕は怖い。
きっと、津島さんの話し方がうまいのもあるだろうし、辰巳さんやダイキすらも真剣な表情をして津島さんを見ているのが原因だろう。本当に危険が孕んでいるような、そんな張りつめた空気。
「ついて来て」
先導を切ったのは部長、ピーチさんだ。例の公園までは少し歩く。
川遊びに行った時と同じ道を歩いているにも関わらず、昼と夜では大違いだった。きっと、街灯が都内に比べて圧倒的に少ないためだろう。ところどころに視界の効かない場所がある。その闇の中に、人は無意識のうちに得体の知れない何かを見出すのだ。心の支えになっているのは、各自で用意した懐中電灯だけ。
川へと向かう道を途中で折れ、歩き続けていくと次第に周りから建物の影が減って行った。同時に街灯もまばらになる。宿泊施設が密集する通りから一歩外れれば、そこは畑が広がっているだけで、その先には黒く大きな影となって、山が僕たちを見降ろしている。
蒸し返る空気。草の匂い。虫の声。用水路を流れる水の音。近くの道路も車が通る気配はなく、揺れているのは僕らの足元を照らす電灯の光だけだ。
この肝試しは冗談だとわかっている僕ですら、これだけ怖いのだ。一年生が平然としていられるわけがない。舗装されてすらいない地面を踏みしめながら歩を進めていくと、平地の中に木々の密集した空間が見えて来て、さらに行くと、劣化したフェンスが目についた。
ここが肝試しの会場である。
「広い……」
一年生の誰かが声を漏らした。
そう、広い。
昼まであれば、近隣に住む子供たちが駆け回り、鬼ごっこをし、野球をしたり、サッカーをしたり、そんな自由に跳ねまわれる空間が広がっている。
けれども今は夜で、その広さがかえって闇を抱え込んでいる。公園の中も、街灯はポツリポツリとしかなく、生い茂った木々により、月や星の光ですら届かない場所もある。
肝試しのルートは遊歩道をグルっと一周するというものだった。
子供たちが球技を楽しめるように作られたグラウンドのような空間。それを囲むようにタイルで覆われた細道が敷かれている。散歩が楽しめるように工夫されたのだろう、道はくねくねと曲がっており、暗闇の下では入口から木々の陰になって先が見えない。
こんな時間に、こんなところに来る人間はまずいない。
幽霊が出る云々以前に、誰が進んでこんな暗がりに来ようものか。
「では、ミステリー研究部恒例、肝試しを始めたいと思います」
津島さんが静かに宣告した。
「今からペアを作る。いざという時、一人だと危ないからな」
ピーチさんの言葉が、さらに一年生に追い打ちをかける。
「女子だけだと危ないから、二人、ないし三人のうちの一人は男子になるようにしろよ。ま、男だからって幽霊に太刀打ちできるかって言ったら、微妙だけどな」
いやらしく笑う辰巳さん。
そして僕は息を飲んだ。
ここが、勝負どころだった。
しらべに声をかけなくては。
一緒に、肝試しをするのだ。
そして、僕の悪いイメージを払拭(ふっしょく)する。
僕の去年の失態を挽回するには、ここで雄姿を見せるしかない。
僕はさりげなくしらべに近づく。
ハルの後ろを抜け、サンゴクの横を通り過ぎる。
「し、しらべ」
すぐ横で、しらべに声を……!
声を、かけた!
これで、しらべと肝試しが
「津島さん!」
しかし、しらべはこちらを見もせず、そのまま津島さんの方へと駆けて行った。
「…………。…………。…………っ!」
僕は動けない。
足が震えて、動かない。
顔面が固まる。口が開いて塞がらない。
その間にもペアはどんどん決められて行き、ハルはピーチさんの元へ、ダイキと辰巳さんは一年生女子の所へと移動していて、すでに一年生男子と女子のペアが二つ、ダイキと辰巳さんはそれぞれ二人の一年女子とトリオを組んでいた。
「カナタ、一緒に行こう」
声をかけてくれたのはゆうで、その優しさに涙が出そうだったが、今は引きつった笑みしか出てきそうもなかったので、曖昧に頷いてその場を凌(しの)ぐ。
「なんで誰も誘ってくれないのー! あーあ、じゃあ、あたしもそのグループに入れて」不満を並べながら、サンゴクがこちらに近づいて来る。僕たちの返答も待たず、横に並んだ。「今年もあたしはカナタと一緒かァ。ま、いいや。今年はもう、抱きついて来ないでよ」
余ってたサンゴクも僕らのグループに入ることになった。
いつもであれば、適当に憎まれ口を返してやるのだが、今はそれもできない。
……しらべに無視された。
僕の勇気は、実ることなく木端微塵に砕け散った。
泣きそうになっていた。
現実が重くのしかかる。
頭の中で練っていたシミュレーションが、根本から甘かったことを知った。
お化けにビビらないようにしよう、だって?
しらべにいいとこを見せよう、だって???
そもそも相手にされてないじゃないか。
笑いそうになって、けど、ここで笑ったら涙も一緒に出て来ることに気付き、辛うじて感情を殺す。
こんなところでいきなり涙を流しながら笑い出したら、それこそ狂気だ。何かに憑かれたと思われる。それはそれで、演出として面白いかもしれないが、そのあとのことを考えると、やはりよすべきだろう。
「カーナータッ! 何、さっきから下向いてぴくぴくしてんのよ。ひょっとして怖いの? 怖いんだーッ! ウケルーッ」
サンゴクに肩を叩かれ、危うくその手を払いのけて怒鳴りつけそうになったが、それも寸でのところで抑える。
「…………」息と表情を整えてから「こ、怖くなんかないよ。でも、危ないだろ。本当に人が死んでるんだぞ。もし、マジでお化けが出たらどうすんだよ! ……僕、やっぱ、行くの辞めようかなぁ……」
笑顔を作ろうとして引き笑いになったが、発した言葉的には問題ない顔のはずだ。
土壇場になってチキる僕。みんなが持ってる僕のイメージなら、おかしくはない。
「みっともなッ! ダッサイこと言ってないで、準備するよ」
準備と言ったところで、あとはもう、自分のグループの番が回って来たときに出発するだけなのだが……。
僕は全員の様子を窺った。二、三年生は僕とサンゴクのやり取りを見て、笑っていた。どうやら、演出ということがちゃんと伝わっていたようだ。僕の言葉を受けて、一年生たちも『僕も辞めておこうかな』『私も行きたくない』、そんなオーラを身に纏(まと)い出した。
気持ちが萎(しぼ)めば萎むほどほど、恐怖は大きくなる。
しらべを横目で見る。
今の、僕とサンゴクとやり取りにも興味を示さなかったようで、しらべは公園を覆う闇をじっと見つめていた。
真剣な表情で、いったい何を見ているのか。
その中に、何が見える?
本当に変な奴だ。
思って、また心臓が痛くなる。
笑えない。
笑ったら、また涙が出て来る。
「それじゃあ、一年生から行こうか。ルートはさっき説明した通り、遊歩道を道に沿って一周してくるだけだ。途中で分かれ道もないし、道もはっきりしてる。足元だけは気をつけろよ。あまり慌てて転ばないように。大丈夫。ペンションの前ではあれだけ脅かしたけど、少なくとも俺たちの中で幽霊を見た者はまだいない。今回もきっと大丈夫だ。ちょっと散歩くらいの気持ちで行ってくるといい」
最後に気休めの言葉を言う津島さん。それがかえって、一年生たちを不安にさせる。『大丈夫だから』。その言葉の裏には、有無を言わさず行って来いというメッセージが込められている。
「とは言っても、いきなり一年生だけというのも不安だろう。辰巳、おまえのグループが一番目な。女子二人は、辰巳にくっついて行けばいい」
その言葉に、辰巳さんとグループを組んだ一年生女子二人が一歩、後ずさった。
「大丈夫。去年、一昨年とここで肝試しやってるけど、お化けなんか出たことないから。それにいざという時も、俺なら今年で三回目だからルートはもうわかってる。ちゃんと助けるから」
何がちゃんと助ける、だ。さっきは幽霊が出てきたら男でも太刀打ちできないって言ってたのは誰だよ。お化けなんか出ないだって? 仕掛けを施した当人がよく言うよ。
「もう、行っていいんだよな?」
辰巳さんが津島さんに尋ねる。
「気をつけてな。辰巳も女子二人も」
三人は懐中電灯で辺りを照らしながら進んで行った。少し行くだけで、姿は闇に呑まれ、懐中電灯の光で辛うじて位置がわかる程度となる。そして、その光すらもやがては見えなくなった。
次のグループは前のグループが帰って来てから行くことになっている。だから、辰巳さんのグループが帰って来るまでの間は僕たちはそれぞれで固まって待機することになる。
せっかくのイベントなのに、グループ分けがきっちりとされているため、しらべに近づくことができない。しらべは楽しそうに津島さんと話をしていた。ハルもピーチさんに何か話しかけているし、他のグループも各々で、この生殺しの時間を潰しているようだった。
「イャアアアアアアア」
みんなが一斉に声の方向を向く。目を向けても、視界に広がるのは生い茂った黒い葉のみで、人の姿は見えない。
始まったか……。
三年生とダイキが仕掛けた何らかのトラップが発動したのだ。
叫び声が上がったということは、すぐに帰って来るだろう。
これだけの声をあげると言うことはつまり、恐怖のメーターが限界を振り切ったということで、落ちついて歩いて進めるわけなんかない。残りの道のりは全力疾走、あるいは遅くても小走りとなる。
公園一周が、一〇〇〇メートルと少しくらいだから、恐らく、もうそろそろ――スタート地点とは反対側に目を向けると、三人の姿が見えて来た。
三人とも小走りになっていて、辰巳さんは女子二人の後ろから終始「大丈夫、もう大丈夫だから」と後方を確認する演技をしながら、戻って来る。
「う、うう」
ゴールに辿り着いた女子二人は、一人は涙ぐみ、一人はその場で泣き崩れ、立てなくなる。辰巳さんはその子を抱きかかえると、入口近くの花壇の縁に座らせた。そして、その子の隣に座り、顔を覗き込み「大丈夫か?」と言いながら、頭をなでていた。
「邪魔だ」そんな下心が見え見えの辰巳さんを、ピーチさんが容赦なく蹴り飛ばした。辰巳さんの思惑を容易く蹴散らした。「何があった?」
ピーチさんも人が悪い。何があったも何も、全て知っているじゃないか。……いや、知らないのか。ダイキの話だと、ピーチさんは仕掛けには参加していなかったという。なら、その質問も、あながち間違ってはいない。
「あの……暗くて、よく見えなかったけど……誰か、人がいて……。木……木の間に、立っていて……!」
「辰巳」ピーチさんは追い払ったばかりの辰巳さんに声をかける。「何があった?」
「わからない。ヨモギとモエコが悲鳴をあげて……。だから、とにかくヤバイと思って、走って来た」
「おまえは何も見てないのか?」
「……ああ、少なくとも俺は、気付かなかった」
ピーチさんは唇に手を当てて少し考えた後「次は私が行こう」と言った。「陽馬」
ペアのハルが呼ばれる。
「マジすか。俺、お化けは人並みに苦手っすよ。ここはもう、切り上げた方が……」
「もういい。なら私一人で行く」
ハルの返答も待たず、ピーチさんは漆黒の中へと歩き出す。苦笑を浮かべる我が親友。
「わかりました。俺も行きますよ。待って下さい」
駆け足で追いかけていく。二人の明かりもすぐに闇に吸いこまれた。
全員、すっかり黙り込んでしまって、先ほどまでの待機時間とはまるで違う空気になっている。ヨモギの鼻をすする音だけが蒸し暑い空間に響いた。
……今のは、演技だ。
上級生による、後輩を恐怖に貶(おとし)めるための迫真の演技。
一年生二人には見えて、辰巳さんには見えなかった。それは、あたかも二人が見てはいけないものが見えてしまったかのような印象を与える。が、きっと辰巳さんにも見えていたはずだ。自分たちが仕掛けた『何か』が。ただ、ここで何も見えていないということにより、不気味さが増す。
今年は去年より、性質(たち)が悪い。ついつい苦笑いが出て来てしまう。
静かに待ち続けること五分。二人は辺りを見回しながら、ゆっくりとした歩調で帰って来た。
「…………」
みんながピーチさんを見る。どうでした? そんな思いが、言葉にせずとも全員に共有されていた。
「……何も、いなかったが」
聞いた先ほどの一年生二人が、さらに青ざめる。
じゃあ、あたしたちが見たのは……ッ。
小さく声を漏らして、固まった。
「わからない。もしかしたら本当に霊がいたのかもしれないし……二人の見間違いってことも――」
「私はちゃんと見ました!」
ヨモギが声を張り上げる。ピーチさんの目を見て、訴えかけるように。
「どうする? ピーチ」
肝試しを続行するかどうか。
津島さんは厳しい表情だ。
「……続けよう。私たちのそもそもの目的は何だ? こんな時間に、ただ公園を散歩しに来たわけではないだろう。もともと、この公園で心霊現象が起きると言うから、ここに来たんだ。それを、本当に心霊現象が起きたから辞めると言うのは、おかしな話じゃないか?」
一年生が震えあがる。
当然だ。このサークルの趣旨はみんな知っていようと、本当にお化けが見たくて入って来た部員など極少数だ。
できれば今すぐ帰りたい。それが無理でも、肝試しへの参加など無理。それが今の一年生の心情だ。
「じゃあこうしよう。一年生二人は危険だ。ペアをくっつけて、四人グループで行かせる」
津島さんがいかにもな妥協案を提案する。単純に、数が多ければそれだけ恐怖は薄れる。これで一年生の恐怖はわずかだが取り除かれることになる。そして、ここが肝だが、人数が集まると、一人だけ参加を拒否するというのもしにくくなる。つまり、一見すると一年生全員に気を回しているようでいて、同時に一年生全員から拒否権を奪っているのだ。
今日の津島さんは、その頭脳を悪い方向に使っている。
まあ、この手を汚す仕事も毎年三年生の役どころなのだから、仕方ない。辰巳さんは単純に自分の欲求のために動いているように見えるが、津島さんとピーチさんは伝統に従っているだけなのだ。……とは言っても、二人も怖がる一年生を見て、楽しんでもいるようにも見えるが……。
「絶対に離れ離れになるなよ。そうだな、しっかり手を繋いで行け。大丈夫、きっと何も出やしないさ」
そう言って、津島さんは一年生四人を送り出す。
絶対に何か出るに決まっているのに。
…………。
……今日の津島さんは本当に人が悪いなッ!
一年生の姿見えなくなった後、目があった僕に対して、津島さんはこっそりとニカっと笑った。
悪魔的な笑顔だった。
津島さん、あなたっていう人は……。
一年生を見送った津島さんはこちらに近づいて来て、僕に言う。
「“危険だから四人で行って来い”。一見、筋が通っているように思えるけど、危険な場所なら、そもそも行かせるべきじゃないんだよな。そんな矛盾に気づかないなんて、あの四人、相当テンパってたな」
「津島さんって、そんなに性格悪かったでしたっけ?」
本日、常々思っていた疑問をぶつける。
「三年生の役目だから、仕方なくやってるのさ。本当に心が痛いよ」
「とか言いながら、結構楽しんでるじゃないですか」
「まあね」
二つ返事で頷く津島さん。
「今回の仕掛けには力が入ってるからさ。楽しみにしとけよ、カナタ。強力な助っ人も力を貸してくれたしね」
「強力な助っ人?」三年生の準備を手伝った奴と言えば「ダイキのことですか?」
「さあてね」
含み笑いを返す津島さん。何か、隠してることがあるのだろう。この雰囲気だと、その助っ人とやらはダイキのことではないらしい。現四年生の誰かが手伝いに来てるとか?
「うぉああアアぁあァア」
「ぃやァあアあああぁあ」
一年生四名の悲鳴が木霊する。
これだけ騒いでも、この辺りは畑で囲まれていて宿泊施設や民家はないため、誰の迷惑にもならない。
それも、ここが毎年ミス研の肝試しスポットに選ばれている理由の一つでもあった。
「すごい悲鳴ですね……。どんな罠を仕掛けたんですか?」
「それを言ったら面白くないだろ。体験して来るといい。去年の先輩たちよりは上手くやった自信があるよ」
それは恐ろしい。
「ははは……」
笑うしかない。
「せいぜい楽しんでくれ。そのために頑張ったんだ。たぶん、俺自身、下手したらビビるかもしれないくらいのレベルだからさ」
仕掛けた本人がビビるって、どんだけクオリティ上げてんだよ。
そして、息を切らして駆け込んで来る一年生四人の姿が目に付いた。
津島さんがスイッチを切り替える。
「どうした……。おまえら……。さっきの悲鳴はいったい……!」
知ってる立場の人間からすると、もはやわざとらし過ぎて笑いを堪えるのが大変だ。サゴとカラスのメガネコンビも普段では考えられないくらい動揺している。髪の毛がバサバサになっている様は、必死に走って来たことを物語っている。
そんな四人に事情を聞く“態(てい)”で津島さんは近付いて行った。
やはり、津島さんは楽しそうだ。そう言えば、いつもは大人でクールだけど、二人で話をしてたりすると、わりと子供っぽい一面を見せたりもする。今日は、それが全開になっているのだ。
さあ、次はダイキのグループだ――と周りを見渡したら、隣に誰かが立っていて、よく見るまでもなく、それはしらべだった。
「うおッ」
唐突過ぎて、思わず声が出てしまう。
「え、なに」
僕の声にしらべも驚いたようだ。
え、なに、はこっちの台詞だった。
心の準備ができていないので、何も言葉が出て来ない。
「あー、いきなり横に誰かいたからびっくりした」とにかく言葉を絞り出す。「幽霊と見間違えたわ」
って、女の子を幽霊呼ばわりはひどいんじゃないか?
言ってから選択を誤ったことに気付いた。
「それ怖い」僕を指さし笑う。え、怖い? 怖いって何がだ。僕が怖いのか? 僕って怖い? どんな意味で。「いきなり隣に幽霊が立ってたら、かなり怖いよね」
ああ、そういう意味か。でも、そういう風に話を持って来るか?
けど、これはチャンスだ。
どうしてしらべが急に隣に立っていたのか。
きっと、しらべは津島さんにくっついてここまで来たのだけれど、津島さんが一年生たちのところにさっと行ってしまったので、ここに置いてけぼりを食ってしまったのだ。
「怖いね」と返して、必死に脳みそを回転させる。これだけでは会話が終わってしまう。「あの、あれだよね、あれ。あの、あれ、そうそう、お化け! 見れるかな、今日。しらべ、お化け好きだよね」
何回“あれ”“あの”言うんだよッ! どもり過ぎて、自分で笑いそうになる。
「っていうか、今日、出るみたいだね。『何か』いるみたいじゃん。早く、うちらの番にならないかな」
待ち遠しそうにほほ笑むしらべ。
……マジか。
しらべは一年生たちが本当にお化けを見たものだと思っている。去年の肝試しを覚えていないのか? 全部仕込みだったじゃないか。
でも、それを今伝えたら、きっとしらべは萎えて、その不愉快な気持ちは全部僕のせいになる。
ここら辺は適当に濁すしかない。
「あれ? しらべって、本物のお化け、見たことあるんだっけ」
何度か聞いたことのある質問のような気もするけど、もう会話のネタがない。
「見たことないから見たいんじゃん!」
見たことがないなら、一生見ないままで終わっていいだろ!
だが、ここは価値観の相違を正している場面じゃない。
「しらべのときも『何か』出て来るといいね。でも大丈夫? 襲われて、命が危険に晒されるかもしれない」
「大丈夫! あたし強いし」と言って、半そでを腕まくりをして力こぶを見せてくれる。全然ないけど。細い腕は、折り曲げても細いままで、幽霊はおろか小学生だって倒せるかわからない。
そもそも、腕っ節に自身があったところで、幽霊には物理攻撃は効かないだろう。
けど、それも口にはしない。
口にしたところで意味はないし、しらべの言葉を否定するメリットもない。
「あっ、しらべ~っ!」
僕が誰かと会話しているのを見て、サンゴクもそこにしらべがいることに気付く。
「おー、あすか~」
僕としらべの会話を邪魔しやがって――と言いたいところだけど、正直救われた。もう、話題が尽きかけてたところだ。
安堵で全身の力が抜け、自然とため息が漏れた。
肝試しの前に、僕は何やってんだ……。
会話も満足にできないんじゃ、やっぱりしらべと肝試しのペアにならなくて正解だったかも。
思わず自嘲する。
「カナタ」
そんな僕を呼んだのはハルだった。目を向けると、後ろにはダイキもいる。二人の表情を――特にダイキの顔を見て、何か不穏な気配を察して、気を引き締める。
――こんなに張り詰めたダイキの顔、見たことがない。
「どうした?」
普段のダイキなら、一年生女子二人に挟まれて、るんるんしている場面じゃないか。それが、ハルと二人で僕のところに来るなんて。
「いやな、ダイキがちょっと変なこと言うもんだから」
「変なこと?」
ただならぬ空気に、女子三人もハルの方に顔を向けた。
「毎年、この肝試しは上級生から一年生への歓迎の意味合い込めて行われる……ってのは、俺らも去年聞いたと思うけど、肝試しの仕掛けは、三年生が行うことになっているんだ」
「ああ、それは知ってる」
ゆう、サンゴクが頷く。しらべだけは眉をひそめた。
「今年は津島さんと辰巳さん、ピーチさんが担当なわけだけど、ピーチさんは知っての通り、ああいう人だから、今年はピーチさんの代わりにダイキがその役割を引き受けたんだ」
ダイキが頷き、一歩前に出る。
「最初は、どこに何を仕掛けたか知っておけば、一年生の前でいい格好ができると思ったんだ。それで二人について行った。で、みんなで手分けしてトラップを仕掛けて、帰って来た。その後、夕食を一緒に食べて、今に至るわけなんだけど……おかしいんだよ」
ダイキはちょっと涙目になっていた。
「おかしいって、何が!」
その様子に、僕もつい声を荒げる。
「……そんな仕掛けないんだよ。女の人が立ってるなんて、仕掛けは……ッ」
「ど、どういうことだよ。それに、女の人って……!」
「ヨモギがさっき言ってたんだ。あれは女の人だった、って。白い装束の女が立ってたって……。一番最初に行ったグループの女子二人が女の幽霊を見たって言うんだよ! 俺は知らない。そんな仕掛け、知らないッ!」
「は、はは……。じゃあ、おまえ、ダイキ、おまえの知らないところで津島さんと辰巳さんがセッティングしてたんだよ。してやられたな、おまえ」
「俺も最初はそう思ったんだよ。確かに、別々に行動してたし、俺が手伝ったのは一部分だけだしな。でも……」
「俺も見てないんだよ」ハルが言う。「ピーチさんも見てない。そして、何より、さっきの一年四人も女の人は見ていない。つまり、やっぱりそんな仕掛けはないんだよ。それとも、一番最初だけ仕掛けがあって、俺らが行った時にはその仕掛けがキレイさっぱりなくなってたとでも言うのか? そんなの、どちらにせよ怪奇現象じゃねえか!」
「嘘つけ、さっき、あんなに叫んでたじゃないか。それに、本当に『何か』いるなら、肝試しを続行するわけがない」
津島さん本人が言っていたのだ。この肝試しに危険はないと。
なら、その“女の人”だって津島さんたちが仕掛けた罠に決まっている。
しかし、ダイキは血の気のない顔を横に振った。
「『何か』はいるんだよ。俺が準備した仕掛けだからな。木に洋服をつるして、人がいるように見せかけるトラップがあるんだ」
「ほ、ほら見ろ! それのこと言ってんじゃないか。な、何がおかしいんだよ」
でも、ダイキの言い方が引っ掛かる。
そして、僕の言葉にハルは静かに告げた。
「その“木に吊るされた洋服”なら俺も見た。そして、さっきの一年四人が悲鳴を挙げたのも、そのトラップを見て、だ。でもな、そのトラップ。白装束じゃないんだよ。白いTシャツにジーパンが吊るされてるんだ。ここで殺されたのは男だからな。そもそも女が立ってるなんて矛盾した仕掛けは作るわけがない」
「だから、それの何がおかしいんだって! 白いTシャツだったんだろ? なら、ヨモギたちはその白いTシャツを見て、白装束って言ってるんだよ。女っていうのも、目の錯覚だよ。この公園、街灯がなくて暗いだろ? だから見間違えたのさ」
僕は気付けば必死になっていた。自分の中に巣くう恐怖を振り払おうとしている。
けれど、ハルは容赦してくれなかった。
「ヨモギたちは、二度見てるんだよ、その『何か』を」
膝が笑い、腰が砕けそうになる。
二度……だって?
「俺もピーチさんも、一年四人もTシャツのトラップは見た。でも、それは一度きりだ。二回も同じトラップは出て来てない。でも、一番最初に行ったヨモギやモエコだけ、二回幽霊を見たって言ってる。まず何かの影を見て悲鳴を上げ、怖くなって走ってたら、まだ女の姿を見たって。……一つは、木に吊るされたTシャツだったとして――もう一つは……?」
ダイキの顔が青ざめている理由がわかった。
この公園には本当に『何か』が……いる。
「ピーチさんたちはなんて言ってるんだよ。何か、ヤバそうなら辞めた方がいいんじゃないのか? 部の伝統とか言ってる場合じゃないだろ」
「まだわかんねー。でも、津島さんと辰巳さんが今、確認しに行ってる。もしかしたら本当に人間の女の人がうろついてるのかもしれないし、見間違う“何か”があるのかもしれない。どうするかは、あの二人が帰って来てからだ」
続行することになったら、次はダイキのグループだ。
「……どうすんだ、ダイキ、次、おまえんとこだろ。辞めといた方がいいんじゃないか? ……顔が真っ青だぞ」
真っ青とまではいかないものの、血の気はない。そして、思いつめたような顔をしている。この公園にたどりつくまでの浮かれようが嘘のようだった。
「俺の心配をしてくれるのか? 優しいな、カナタは」俺の肩を抱き、置いた手をポンポンと弾ませる。「でも心配はいらねーよ。俺は怖いもの知らずのダイキ様だからな。それに、この状況、逆に一年女子にいいところ見せるチャンスだろ。いつでも頼もしいダイキさんってな」
「心配はいらないって、おまえ、得体の知れないモノが紛れ込んでるんだぞッ!」
僕に触れた手は冷たかった。Tシャツの上からでもわかるほどだ。こんなに蒸し暑いっていうのに、それは異常だ。
「心配性だな、カナタは。それに、得体の知れないモノって言ったって、要はお化けだろ。ピーチさんも言ってたけど、俺たちミス研はなんのために心霊スポット回ってるんだ? 心霊現象を見に来るためだろ。いざ、本物出てきたら辞めましょうって、それじゃ本末転倒もいいとこさ」
顔は、いつものダイキに戻っていた。血の気も、戻って来ている。
戻って来ているけど……っ!
「強がりはやめろ。やめたいなら、やめたいでいいじゃないか」
たったの一年半だけど、それでもダイキの中身を知るのには十分な期間だ。自分の中で、何かを言い聞かせてる。そして、無理して乗り込もうとしている。
……本当は怖いのに、その感情を殺そうとしている。
「おいおい、カナタ。自分が怖いからって、俺を利用して肝試しを中断させようとするんじゃねーよ」
「……ッ」
そういう風に言われると、もう何も返せない。
「本人が大丈夫だって言ってるから、大丈夫なんだよ」
「……ああ、そうかよ。何があっても、知らねえからな」
ダイキは自分の気持ちより、空気の流れを優先させるところがある。肝試しが、自分の番で止まってしまうのはどうにも収まりが悪く感じるのだろう。誰もそんなこと気にしないと言うのに。
「面白くなって来たじゃねーの。これで俺が戻って来たら、次はおまえらだからな」
僕、それから女子三人を指さし、不敵に笑う。
「じゃあ、戻って来なくていいよ、もう」
僕は吐き捨てるように言った。
「戻って来るさ。例え霊が出たって、きちんとな」
「戻って来るのは結構だけど、変なモン憑けて来るなよ。除霊とか、面倒な話は嫌だからな」
「さあて、それは俺も約束できないよ。取り憑かれたら憑かれたで仕方ないよ。それはそれで、面白いし」
取り憑かれたら憑かれたで面白い。
それを、ダイキが本気で思っているとは思えなかった。
やっぱり、無理やり自分を納得させようとしている。
……その努力を、僕はもう止めることはできなかった。
ダイキが戻って来たら次は僕たちの番。
サンゴクはわりと神経が図太いので置いておくとして、ゆうは完全に怯え切っている。当たり前だ。男の僕だって怖い。こんな状況、普通の女の子が耐えられるわけがない。
「ゆう、大丈夫?」
しらべも心配そうにゆうの顔を覗き込む。
自分自身はお化けや幽霊は怖くなくとも、親友がそれらを苦手としているのはよく知っている。
ゆうは笑って見せたが、その唇は細かく震えていた。
「やめた方がいいな」ハルがきっぱりと言った。「ピーチさんには俺が直接言っておくよ。ダイキんとこの一年女子二人もやめさせる。こういうことは無理強いしない方がいい。それで何かあったら、絶対後悔することになるから。……二人はどうする?」
残りの女子二人――しらべとサンゴクに尋ねる。
「あたしは……ゆうがやめとくなら、やめとくかな。ちょっと行ってみたい気がするけど、もうそういう軽い感じじゃなくなってるよね」
さすがのサンゴクも事態は飲み込んでいるようで、これはもうおふざけの肝試しではないことを理解していた。本物の心霊現象が起きている。
こんな流れの中で行こうとする奴は――馬鹿だけだ。
「うちは行くよー」
――そして、そういう馬鹿がうちの部には一人だけいる。
「……しらべ、いくら幽霊が見たいからってやめといた方がいい。これはお化け屋敷でもどっきりでもなくて、マジなんだ。単に幽霊を見るだけならいい。でも、取り憑かれでもしたら、命を縮めることにもなりかねない」
「大丈夫だよ。死にはしないだろうし、いざとなればお祓いとかすればいいし!」
「そういう問題じゃないんだけど……」顔をしかめて、ガックリ肩を落とすハル。「……おまえらはどうする? やめるなら、一緒にピーチさんに伝えるけど」
ハルはこちらに顔を向けた。
僕とダイキに向けて。
この場面、ダイキは行くと言うに決まっている。
僕は……どうするべきか。
しらべやダイキが行くと言うのに、ここで退くのはかっこ悪いだろうか?
でも、本物がいるんだぞ?
恐怖以前に……ハルが言うように取り憑かれる危険だってあるのだ。それは、単に怖かっただけでは済まない。
しかし……。
危険と言ったって、必ずしもその何かが目撃されているわけではない。むしろ、何もなかったグループの方が多いのも事実。
なら、大丈夫なのか……?
わからない。
わからないから――。
「……僕はどっちでも大丈夫だよ」
言葉を濁すことにした。
「よし、なら一緒に行こうぜ、カナタッ!」
ダイキが肩を組んで来る。
……いや、ウソッ!
全然、大丈夫じゃない!
この大丈夫は、そういう大丈夫じゃないだって!
やっぱり、ダメだッ!
怖い怖い怖い怖い怖い。
絶対に前に進めない。
それだけは自信がある。
僕は絶対に前に進めない。
しらべの手前、こんな風にビビってる姿を見せるのは気が引けた。
けど、行くと言いながら足が踏み出せないよりはずっとマシだ。
「ダイキ、やっぱり、僕――」
そのときだった。
僕とダイキの携帯が同時に鳴る。
「うわアッ!」
「うおぅ」
突然のアラーム音に僕とダイキは同時に悲鳴を上げた。
こんなタイミングで、いったい誰からの着信だろう。
携帯を取り出し、ディスプレイを見ると……津島さんからだった。
周辺を見渡す。津島さんの姿はない。
「誰から?」
ダイキに聞く。
「辰巳さん。そっちは?」
「津島さん」
このタイミングで、同時に二人からの着信。
何か、背筋がスーッと冷たくなるのを感じた。
そう言えば、二人が見えなくなってから、結構時間が経つ。
それなのに、帰って来る気配がない。
嫌な感覚は、ダイキも持っているようで、僕たちは目を合わせて息を飲む。
……絶対に、この電話はヤバい。
どう考えたって、このタイミングで二人から同時にかかって来るなんて、普通じゃない。
何かに巻き込まれた。
二人は何か、ヤバいものに出会ってしまった。
そんな予感がひしひしと伝わって来た。
それでもこのまま無視をしていても仕方ない。
勇気を振り絞って。
通話ボタンを押す。
『グァあァぁアギアアああぁァァビァぁァァアアぁぁぁァデァァアァアアぁぁアアア』
ツーツーツー。
僕とダイキの携帯から同じ音声が響いた。
叫び声からその人物を特定するなんて技術は僕にはなかったが、それでも今の声が津島さんと辰巳さんによるものだということはわかった。
気付けば、僕は恐怖で携帯を放り投げていて、携帯は地面に開かれた状態のまま転がっていた。
「た……」
みんなが固まったのは数秒ほどだったと思う。しかし、それが時間が止まってしまったのではないかと思うほど、長く感じた。
そして、ハルが小さく息を吸った後、叫ぶ。
「助けに行くぞッッ!!!」
尋常じゃないことが起きている。そして、津島さんと辰巳さんはそれに巻き込まれた。
助けに行かなくては。
ダイキはカッと目を見開くと、携帯を放り投げ、代わりに懐中電灯を持って闇に向かって走り出す。
「カナタ、ダイキ、先に行ってくれ。俺は今のことを、ピーチさんに伝えるッ!」
返事はしない。ダイキの身体はもう、半分暗闇に包まれていた。
速い。
迷いもせず、闇の中へと身を投じて行った。
僕も懐中電灯を手に取ると、ダイキの背を追った。
津島さんと辰巳さんのピンチだ。
津島さんには世話になったし、迷惑もたくさんかけた。
津島さんは消えるべきではない人だ。
だから、僕は助けに行かなければならない。
怖いが、怖くても走って行かなければならない。
行かなければならないのだけれども。
僕の足はは闇を目の前にして止まってしまう。
止まってしまうどころか、一歩、また一歩と後ずさる。
一歩踏み出した足が、棒のように固い。
緊張と恐怖で、関節が曲がらない。
すでにダイキの姿はない。
津島さんと辰巳さんを助けに行かなくては。
ダイキと共に、行かなくてはッ!
気持ちは前に出るのだが、しかし身体が言うことを聞かない。
左脚は前に出ようと蹴り込んでいるのに、右足が棒になって踏ん張っている。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれッ!
みんなが僕を見ている。一年生も、二年生も。
行かなければならない場面なのに。
怖い。
目の前が真っ黒で、重くて、僕の侵入を拒んでいる。
頭は真っ白になって、気持ちだけは赤に塗り染められていた。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
動け、足、動け動け動け動け動けッ。
動け!!!
必死に言い聞かせる僕の横を、ふと、小さい何かが通り過ぎて行った。
その光はあっという間に闇に溶け、すぐに見えなくなる。
しらべだった。
怖くて動けない僕の代わりに、走って行ったのはしらべだった。
ああ……、ああ…………、ああ……ッ!
僕の中で、何かが込み上げて来て、身体が震え出す。
左の掌が痛いと思ったら、爪が食い込むくらい拳を握っていて、右手の中の懐中電灯もみしみしみしと音を立てた。
僕はまた、みっともない姿を晒してしまった。
きっと、しらべは僕に愛想を尽かして飛び出したのだ。
涙が流れる。
けど、その代わりに右足のつっぱりはなくなっていた。
これで進める。
これで進める!
気付けば、小さくうめきながら、闇の中に突っ込んでいた。
ペース配分とか足にかかる負担とか、そんなもの考えずに全力で走る。何も見えないが、辛うじて足元は見える。足元が見えれば、レンガブロックの地面をひたすら走ればいい。少なくとも、それで道を外れることはないから。
はあ、はあ、はあ、はあ。
目は見開いているけど、何も見えない。
見えてはいるけれど、認識しない。
考えてはダメだ。
考えたら、恐怖に駆られてまた足が止まってしまう。
レンガを見て、走るだけ。
それだけで、またみんなのいる場所に戻ることができる。
何も考えずに、ただ走ることだけに集中していた僕ぼ耳はしかし、進行方向から聞こえて来る声を捉えた。
「あぁぁぁぁあああぁあぁぁぁぁぁぁぁああぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁ」
悲鳴。
僕はどぎりとする。
せっかく追い出した恐怖が、またひょっこり顔を出そうとして、僕は慌てて頭を振って追いだした。
この声は何でもない、何でもない、何でもない。
しかし、この悲鳴は……。
この悲鳴の主は……。
悲鳴の主が、前から走って来る。
「ああぁぁぁぁあぁああぁぁぁああぁあぁあああああああああああああああああああああああ」
ダイキは僕になど、一目もくれず、元来た道を全力で戻って行く。
何があったのか。
それよりも気になったのは、
「しらべはッ!?」
一度、立ち止ってその背中に叫ぶがダイキの耳には声は届かない。距離の問題ではなく、精神状態の問題だろう、そのまま再び姿が見えなくなる。
立ち止まっている場合ではない。
これは、しらべも危ないのではないか?
今は、恐怖よりも警戒心の方が強かった。何が、ダイキをあんな風にさせたのか。
レンガでできた地面を蹴り、前に進む。しらべに追いつかなくてはならない。津島さんや辰巳さんのことよりも、まずそれが頭にあった。
不意に、視界の端に何かを捉えた。
白い服。
ドギリとして、目を見開く。
心臓が跳ね上がり、思わず足を止める。
息を止めて、気配の正体にライトを照らすと……。
それは、白いTシャツと、そこから垂れ下がるジーパンだった。
……あいつ、さてはこのシャツを幽霊と勘違いしたな。
この視界の悪さで、このオーラだ。仕方ないとは思うが、心の中でダイキよりも優位に立ったという気持ちが生まれる。それが、僕に心のゆとりをもたらす。
それでもしらべの姿は見えないので、走った。この段階ではもう小走り程度になっていたが。
もしかしたら、すでにしらべはゴールしてしまっているのかもしれない。やっぱりお化けは出ず、取り越し苦労の笑い話になるのかもしれない。
一人、そんなことを考えながら進む。
……しかし、それだと、さっきの二人の電話はどうなる?
そして、二人の行方は……?
まさか、このまま失踪してしまったりして。
思った矢先に、視界の先に光を捉えた。
――誰だろう。
影が二つある。
近付いてみると、一人はしらべで、もう一人はわりと身長が高い。
……津島さんか?
「…………っ」
背中がざわついた。
恐怖とは、また少し違う感情。
僕は恐怖を振り切ってここまで来た。
それなのに、目に飛び込んで来たのは仲よさそうに並ぶ二人の姿。
しらべはきっと、津島さんを助けるために走った。
もちろん、幽霊が怖くない、むしろ見たいとすら思っていると言うしらべの性格もあるが、それでも暗闇の中に一人でしらべは突っ込んで行ったのだ。
津島さんを助けるために。
黒い気持ちが湧き上がる。
僕のことは無視する癖に、津島さんのためならそこまでするのか。
ゆっくり二人に近付いて行く。
空気が読めなくて申し訳ないが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
むしろ、仲睦まじい二人の姿を見ているだけの方が許せなかった。
憎まれ口の一つでも叩いてやろう。
二人に光を当てる。
一人はしらべで……。
けれど、予想に反して。
もう一人は津島さんじゃなかった。
白い死に装束をまとった、ミイラのようにやせ細った女――。
「うわあああアァあああアああああああァァァああァァアァァぁァアッァァアアぁぁァアァ!!!!」
後ずさりしたつもりが、レンガとレンガの隙間に足を取られ、尻もちをついてしまう。衝撃で懐中電灯から電池が飛び出し、辺りが真っ暗になる。
「あああああああ、うおおお、ああああああ、ああ、あああああ」
パニックになって、懐中電灯にすがるが電池が入っていないので何の力にもならない。それどころか、心のよりどころがなくなったことがわかる形になって、より不安に拍車をかけた。
電池を入れ直している余裕なんてない。
いち早くこの場から逃げ出したかった。が、しかし、立つに立てない。あまりの恐怖に立ち方を忘れてしまったようだ。
まるでバッタのようにその場で跳ねまわっていると、ライトを当てられる。
「大丈夫? カナタ」
恐る恐る見ると、なんでもない顔をしたしらべが僕の顔を照らしていた。
「し、しら、しらべ、あ、アレッ!」
依然、女の影は道の真ん中で立ち尽くしていた。
光がないのでその顔まで見えないが、先ほどの濁った瞳が思い出される。
ひっ、ひィ。
「あー、あれ? ダンボールのこと?」
「ダ、ダッ――ッ! ――へェ?」自分の声とは思えない変な声が出た。「だ、ダンボール?」
「え? うん。ダンボール」
懐中電灯でもう一度照らそうとして、点かないことに気付く。
電池は手が届く範囲に転がっていたので、慌てて入れ直し、改めて幽霊――いや、幽霊と思われる何かに光を当ててみた。
「…………」
よく見れば……よく見るまでもなく、それは作りもので、小学生でも作れそうなくらい、シンプルな作りをしていた。
ダンボールとガムテープで土台を作り、そこに幽霊の写真を張り付けているだけ。
きっちり人が立っているように見えるが、全然立体的じゃない。
知ってしまえば、よくこんな雑な仕掛けであれだけ驚いたものである。
恥ずかしさを通り過ごして、笑いが込み上げて来る。
「ヨモギたちが言ってたのって、これだったんだね……」懐中電灯で作られた女を照らす。しらべの顔はとても残念そうだった。「でも、なら何で他の人たちは見なかったんだろ? こんなにしっかりと道に置いてあるのに」
見えたり見えなかったり。だからこそ、僕たちは本物の幽霊だと思い込んだ。毎回目撃されていれば、それが津島さんたちの仕掛けであることはすぐに気付いただろう。
がさがさがさと植え込みが揺れる。音と、視界に入って来た人影にまたドギリとするが、影は二つ、電燈を向けると、その正体は今度こそまぎれもなく津島さんと辰巳さんだった。
「はははははッ! ダイキの奴、ガチでビビってたな、笑えるわ」
「あはは、ちょっとやり過ぎだったかな。怪我はないか? カナタ」
手を差し出してくれたのは津島さんだった。
僕はその手を掴むと、支えにして立ちあがった。
「……どういうことですか?」
聞くまでもなかったが、事実の確認は必要だ。
「全部、俺たちの計画だよ。一年生だけではなく、二年生もビビらせるって言うね。予想以上にうまく行って、今では逆に申し訳なく思ってるくらいだけど……とにかく、戻ろう。一年生にネタバレをしなければならないし、ダイキだって今頃一年生と一緒に震えてるはずだ」
津島さんは幽霊の張りぼてを抱えて歩きだす。
その後ろにしらべと辰巳さんが並ぶ形になった。
僕は一歩遅れて三人を追った。
◆
「ったくよォ! ホントに性質が悪いぜ。もう肝試し恐怖症になりそうだわ。これから先、肝試しが怖くなったら、どうするつもりだよ」
「逆に肝試しが怖くなくなったら、そもそも肝試しじゃなくなるだろ……」
ダイキが横で意味不明な愚痴をこぼしていた。
僕たちが戻ると、辰巳さんの予想通りダイキはハルにくっついて震えていて、津島さんが抱えた女の張りぼてを見て、再度悲鳴を上げた。
本来なら、そのダイキの様を見て笑ってやるのが優しさなのかもしれないが、重い空気に心をやられた一、二年生は誰ひとりとして笑う余裕なんて持ち合わせていなかった。
一年生たちもその白装束の女を見て目を剥いたが、すぐに作りものだと気づいて、今までの出来事が全てドッキリだったことを察する。
全員が津島さんと辰巳さんに注目する中、津島さんはダンボールを横に置き――ダンボールだとわかっていても禍々(まがまが)しいのだが――まずは、肝試しの本当の趣旨について説明した。
これは一年生を歓迎するための、ミス研の伝統であること。
今日起きた心霊現象は全て人為的なものであること。
それらを伝えられた一年生たちは、一様に大きくため息をつき、その場で脱力した。
……ここまでは、去年と全く同じである。
僕たち二年生がわからないのは、その津島さんの横に佇む女の正体。ダンボールであるということはわかったが、それが現れたり消えたりした仕組みがわからない。
津島さんは今度はこちらを見て説明を始める。
どうやらその“白装束の女”はそもそも一年生を驚かすためではなく、僕たち二年生を怖がらせるためのトラップだったという。
そのトリックはこうだ。
まず最初に辰巳さん率いる一年生のグループが“女”を目撃する。
次に一年生のあまりの怖がりようにピーチさんとハルが様子を見て来ると言い、張りぼてを木の陰に移動させる。
帰って来た二人は、何も異常はなかったともう二グループを行かせ、ダイキのグループと僕たち二年生の番となる。
そこで一番最初のグループの目撃した“いるはずのない何か”の話をし、トラップとは関係のない“何か”が紛れ込んでいるように見せかける。
そこで再び三年生二人が『様子を見に行く』という大義の元に、あの張りぼてを今度は通路の見えやすい位置に設置する。
そして、あとは僕とダイキの携帯に電話をかけ、呼び出せば肝試しの趣旨を知っている僕らをも驚かすことができる。
……そういうプランだったらしい。
ダイキを連れていったのは『白装束の女なんて仕掛けはない』という事実を強調するためで、ダイキは今回の計画の中で知らないうちに利用されていたのだ。
しかし、予め計画を知らされていて、協力する立場にいる奴もいて……それがハルだった。
二番目に肝試しに行ったグループ。ハルとピーチさん。ピーチさんと一緒に――いや、むしろピーチさんの代わりに張りぼてを動かす役をやったという。それに何より、あの悪趣味でグロテスクな写真を探し出して来て、印刷して来たのもハルだという。
津島さんは僕に言った。
“協力な助っ人を用意したから”
それがハルのことだったのである。
きっちり、伏線は張ってやがったのだ、あの人。それがかえって腹立たしい。
本日、一番の醜態を晒したのは僕とダイキだろう。まさか、二年生になって今年もやられる側に回るとは思ってなかった。
ダイキは叫びながらルートを逆走して逃げ帰り、僕は暗闇を前にして怖気づき、幽霊を前にした動けなくなった。
今、僕たちは集団の一番後方から、二人で互いの傷を舐め合うように寄り添いながら歩いていた。
ダイキは軽口を飛ばせるまで回復したようだが、僕はまだそこまで言っていない。
僕が足踏みをしている横をしらべが追い越して行くというあのシーンが網膜に焼き付いて離れない。
恐怖から解放されても、あの場面を思い出すだけで泣きそうになる。
なぜ、あのとき、僕は立ち止まってしまったんだろう。
恐怖よりも後悔が強い。
時間を戻してほしい。そうすれば、僕はもっとちゃんと、かっこよく駆け出して行くことができるのに。
心の準備ができていなかった。
暗闇が怖いだなんて……男として情けない。
前方は三グループに分かれている。
先頭を行く、ハルとピーチさんのグループ。
辰巳さんとサンゴク、それから一年生のグループ。みんな、さっきまでの不安が嘘のように陽気な声を飛ばしあってる。
そして、少し離れたところにいる津島さんとゆう、そしてしらべのグループ。三人は先ほどまでの肝試しが嘘のように、笑顔で話をしている。
僕は歯噛みする。
近づけない。
しらべに話しかけることすら許されない。
こんなざまじゃあ。
恥ずかしくて顔も合わせられない。
僕をこんな状況に陥れたの津島さんで、その津島さんはゆうやしらべと楽しそうに会話してやがる。
もちろん、八つ当たりだってわかっている。
津島さんはよかれと思ってやったんだし、そもそもこの計画は三年生全員のものであり、そこにはさらにハルも関わっている。だから、津島さんだけを恨むのは筋違いだ。
だけど。それでも。
僕は恨まずにはいられない。
ただでさえ、僕と津島さんの間には越えられない壁があって、僕はちょっとでも津島さんに近づこうともがいている。
それを突き放すようなマネはしないでほしい。
津島さんのようにならなくては。
かっこよくて、クールで大人でセンスがよくて。
優しくて、よく気がついて、みんなから好かれる、そんな男に。
「睨むなよ」
その言葉に心臓が跳ねる。
声はすぐ隣からした。
「……睨む? 誰が。僕は元からこういう目だ」
ダイキが口元を片方だけ上げて、鼻で笑う。
「目つきが悪いのは元からだろうけど、明らかに睨んでたぜ、津島さんのこと」
慌てて顔の力を抜く。目だけではなく、顎にも力が入っていて、思い切り歯を食いしばっていた。
ダイキは馬鹿っぽくて、うるさい奴だけど、空気を読むことには長けている。
空気を読むと言うことはすなわち……人を観察する能力が高いということだ。
「気持ちはわからなくもねーけど、男の嫉妬は醜いだけだぜ」
「あぁ?」
思わず喧嘩腰になってしまう。
感情を殺す。
ここでダイキと揉めても仕方がない。
が、僕のこの反応はダイキにとって予想とは違う反応だったようだ。少しうろたえて「あ、わりぃ」とすぐに謝った。
「……別にいいよ。ちょっといらいらしてただけだから。ダイキが悪いわけじゃない」
今の一連の出来事を、全て機嫌が悪かったせいにしようとしたが、しかし、ダイキはこの程度の誤魔化しじゃ騙されてくれない。
むしろ、より一層真剣な顔になった。
「……残念だったな。せっかく同じグループになったのに」
ダイキはまっすぐこちらを見て言った。
……は?
同じグループ?
「――なんのこと?」
「誤魔化すなよ。前から、そうじゃないかなとは思ってたんだからさ。たった今気付いたってわけじゃない。……一年のときから、ちらちら見てたもんな」
誤魔化してなんかいない。
何を言ってるんだ? こいつ……。
会話が噛み合っていない。
双方で勘違いが生まれている。
「だから、何の事だか……」
「ゆうのことが好きなんだろ?」
「…………」
はぁ……?
僕が、いつそんな素振りを見せたって言うんだ。
どこを、どう見たら、そんな勘違いが生まれる?
僕がゆうのことをずっと見てただって?
…………あぁ、そういうことか。
ゆうとしらべは仲がいい。そして、僕がしらべに話しかけに行く時、そこにはゆうもいる。
普段、僕は自分から女子に話しかけに行ったりしない人間で、そういう行動はみんなの目にもついていると思っていたけど。
まさか、こういう勘違いを生む形になるなんて。
「確かにゆうは可愛いもんな。普通にモテるよ。もっとちゃんと化粧して、服とかもちゃんとすれば、すげーモテんじゃねーの?」
ゆうが可愛いというのは、否定しない。一般的な女子大生の平均より上にいることは確かだ。もっとも、服装も化粧も、下手に派手になるくらいなら、僕は今のままの方がいいと思うけど。
でも、それは一般的に見たら、の意見で好きかどうかとは関係がない。僕の中の“好き”はもっと違う次元にある。
「……おまえ、勘違いしてるよ」
「はいはい、じゃあゆうは全然興味がないわけね」全く聞く耳を持たない。「それじゃ、逆に聞くけど、おまえの好きな人って誰? いないとは言わせないよ」
「なんでおまえが僕の好きな人のことを知ってる前提なんだよ。名前を言ったってわからないかもしれないだろ」
「おまえの友好関係なんて、ミス研くらいなもんだろ。他に、女子との接点があんのかよ」
その問いにはぐうの音も出ない。
「……おまえは僕のバイト先の交友関係とか全然知らないだろ。勝手に学内に限ってんじゃねえよ」
「別にどうでもいいけどさ。いくら御託を並べたところで、いつもゆうのことを見てたっていう事実の言い訳にはならないぜ?」
その通りだった。
僕がしらべの方を見ていたことを、こいつは見ている。
それを否定するためには、二人を見ていたことに対する合理的な理由をつける必要がある……が、ゆうのことが好きだという勘違いを正したところで、そうなると次に勘ぐられるのはしらべのことだ。それは得策ではない。
――ダイキは、口が軽いのだ。もし喋ってしまえば、あっという間に広がることになる。
「……もういいよ、そういうことで。そんなに勘違いしてたいなら、勘違いしてなよ。言っとくけど、僕は『違う』ってちゃんと否定したからな。あとで僕が嘘をついたみたいな言いがかりをつけるのはやめろよ」
「あー、はいはい。そこまでして隠したいならもう聞きませんよっと。ただ、いつまでも隠してたってしょうがねーだろ。そんなんじゃ実るものも実らないぞ。まァ、遠くから眺めてるだけでいいってんなら、話は別だけど。ただちょっとストーカーチックだよな」
眺めていればいい。
確かにその思いも……少しはある。
話しかけて無視されるくらいなら、もういっそのこと片思いと決め込んで、見ているだけだって構わない。そんな諦めも心の中にある。
「それに、ほっといたらたぶん、ゆうにもすぐに彼氏ができるぜ。俺の友達でも、何人かゆうのこと可愛いって言ってる奴がいるからな。今はゆうも一人だから、見てるだけでもいいかもしれないけど、彼氏と一緒にいるところ見るのは辛いぜ? エグいこと言うけど、彼氏ができたら、そいつとキスしたり、ヤったりすんだぞ。おまえ、それでもいいのか?」
しらべの周りに男の気配はない。けど、それは現段階の話だ。
今、しらべは津島さんにアピールを繰り返していて、それ以外の男には見向きもしていないから、今の状況で拮抗しているだけなのだ。しらべも十分に可愛い。持っている魅力はゆうとは違うが、普通の女の子にはない、何か特別な人を惹き付ける力がしらべにはある。
もし仮にしらべ他の男にも目を向け出したら?
津島さんなら……まだいい。あの人は、信じられる。僕は何も敵わないし、絶対にしらべを傷つけることはしないと確信が持てる。
でも、例えばうちのクラスの女をとっかえひっかえしている連中と付き合うことになったとしたら……?
想像もしたくない。
そして、しらべは馬鹿だからそういう馬鹿どもに引っかかる可能性は十分に考えられるのだ。
動かなくては。
いつまでも現状が続くと思うな。
今日、後悔したばかりだろ?
いつか仲良くなれると思って、ずっとここまで来た。
もう二年生じゃないか? 今は夏休み。二年生も、もうすでに前期は終わってしまった。
一年半、同じサークルで活動して来て、しらべとは未だにまともに会話をすることができない。僕に残された猶予は一年弱。すでに、残りは半分を切っている。
引退したら僕の性格的に、もうしらべと会うことはなくなるだろう。同じサークルであることを口実にして、僕はしらべにやっと話しかけることができるくらいなのだから。
「でも、アプローチかけようったって、おまえ、一人じゃ何もできないだろ? 純粋とか真面目とか自分で言ってるけど、要はただの童貞コミュ障野郎だ。女子と話すだけで緊張しちゃうくらいのな。だから、この俺がサポートしてやる。幸い、ゆうならなんとかなるよ。俺が、うまいことデートの機会とか作ってやる」
ダイキの言うとおりだ。
僕は結局、一人じゃ何もできない。何一つ、自分で決められない。
恋愛に関しては経験が不足し過ぎてて、正解がわからない。
女の子の気持ちが理解できない。
ちゃんとしようと思ったって、その“ちゃんと”がどのようなものか、僕は知らない。
誰かに相談しよう。一人で出来ないなら助けを求めよう。
「ありがとう」
僕はダイキに感謝を告げた。
自分の中のモヤっとした部分がすっきりと晴れて、問題の形がはっきりと見えるようになった。
「そうかっ! じゃあ、さっそく今からゆうのところに!」
「感謝はするけど、おまえの助けはいらねえー。というか、僕の好きな人はゆうじゃない。だから、変に仲を取り持とうされると、かえって迷惑だ」
「なんでここまで来て素直になれないんだよッ!」
「素直も何も、おまえの勘違いだからさ。……さっきから、何度も言ってんじゃん、僕」
「あっそ。なら、自分でどうにかしろよ。あとで俺に泣いてすがったってもう助けてやらないからな!」
言って、僕から離れていく。
もうペンションはすぐそこに見えていた。
帰ったらきっと昨日の残りの酒で、再び飲み会が開かれることだろう。
そこでしらべに近づいて見ようとも考えたが、やめた。
酔いに任せて近付くのはフェアじゃないし、それに今日はまだあの醜態が印象に強く残っているはずだ。
今日は得策じゃない。
それに……。
決意をしたのはいいが、やっぱりさっきの自分の失態を思い出すとやりきれない思いになって来る。
酒は嫌いだが、こういうときは酒を飲みたくなる。
そして、酔いと吐き気に任せて泣き喚きたい。
でも、それはダメだ。
今日はもう、寝よう。
あるいは、泣き喚くならベッドの中で。
今もまた、ちょっと泣きそうになるが、もう少しの辛抱だ。
ペンションに着くまでは涙腺を閉めておかないと。
とにもかくにも。
今日のような後悔は絶対にしたくないと胸に誓った。
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