二話 ファーストコンタクト


 二話  ファーストコンタクト


 うちの大学のミステリー研究部は一般的なミス研とはベクトルが違って『心霊現象』に特化している。普通、ミス研の活動内容というと、ミステリー小説について討論したり、自分の好きなミステリー小説を勧め合ったり、自分でミステリー小説を書いてみたりすることをイメージすると思うが、うちのサークルでは全くそのようなことはしない。

 いや、全くしないわけではない。僕と同じようにサークルの活動内容を誤って入って来た人たちや、単純にミステリーが好きな人もおり、そう言った人とは個人的に情報の交換をしたりする。ただ、サークルの公式な活動として、読書やそれに関連したことは行われず、肝試しや怪談の披露などが活動のメインとなっていた。

 だから、小説を全く読まない人間もミス研の中にはいて、それの最たるものが鹿児島調(かしじましらべ)だった。

 しらべとのファーストコンタクトは例の研究棟二号館の屋上で、新歓(しんかん)と称した焼き肉パーティが催されたときだった。そこで、初めて部員全員と顔合わせをし、親睦を深めようということで、二台のコンロで焼かれた焼き肉をつまみながら、缶チューハイで乾杯をした。そんな中、一年生の中で一人だけコンクリートの地面に座り、フェンスに寄りかかって胡坐をかいて焼き肉を貪っていたのがしらべだったのである。

 おいおい、すごい子がいるな、と思った。

 はいているのはジーンズなので、汚れちゃまずいものでもないが、男の僕ですら地面に座るのはスボンが汚れるのを気にして少し躊躇われるのに、その子は何も気にしていないように、堂々と座り込んでいた。

 変な子がいる……。しかし、不思議と興味がそそられた。

 一心に焼き肉を粗食しているその子に近づくと僕は、

「ねえ、どんな本読むの?」

 と声をかけた。

 その日、僕が人に話しかけるとき、第一声に何度も用いて来た言葉である。僕はその子の隣に腰を下ろした。

 このときの僕は、少しでも友達を増やそうと周りの人に自分から話しかけに行っていた。

しかし、その問いに対してしらべは、

「え、本って小説? だったら、全然読まないけど」

 と箸で肉を掴んだまま答えた。

 怪訝そうな表情を浮かべて。

 まだこのとき、このサークルの概要を把握していなかった僕は『???』となり、僕はただしらべが肉を頬張る様子をただ見ているしかできなくなった。

 ミス研なのに、本を読まない?

 ミステリーを研究するサークルじゃないの??

 あれ、これ、ミス研の集まりだよな……?

 頭の中が真っ白になり、その後脳内は疑問で埋め尽くされ、しかし同時に、知らない女の子と黙ったままの時間を過ごすことに耐えられなくなった僕は、何とか口を開いて言葉を紡ぎ出す。

「……あ、じゃあ、このサークルに入って何かやりたいことある?」

 漠然とした質問。

 焦りに焦って、ようやく出て来たのがこの言葉だった。

 普通に考えれば、会話を繋ぐためだけの失笑物の問いかけであるが、しらべは予想に反して目を輝かせながら答えた。

「肝試し」

僕は三年生の一人から受けていた説明を思い出す。このサークルの活動は、心霊スポットを回ったり、怖い話をすることだよ。確かに、先輩はそう言っていた。

そのときはどのサークルでもあるような、部員同士の中を深めるためのイベントの一つ程度だと考えていたが……。

「へえ、お化けとか怖くないの?」

 偏見かもしれないが、女の子の多くはそういう霊的なものは苦手なんだと思っていた。なのに、この子は進んで肝試しに行きたいと言う。

「怖くないことはないけど……。でも、見てみたい。あたし、ずっと女子校だったから、一緒にそういうことしてくれる友達がいなかったんだ。怖い話とか、ホラー映画とかはめっちゃ見るけど、一度は実際に心霊スポットとか行ってみたくて」

 第一印象は『頭の弱い子なんだな』だった。

 お化けなんているわけがない……とまでは言わないが、僕らの日常に必要のないものには違いない。積極的に関わりあいになって、いいことなんかないし、わざわざ会いに行こうだなんて馬鹿げてる。

「お化け、見れるといいね」

 それだけ言い残し、僕はしらべから離れた。何も喋ることがなくなったから。ただ横に座っているだけでは会話が生まれず、再びあの沈黙がやって来るのが、僕は怖かった。

 ハルの元へと戻ると、ハルはキレイな女の人と話していた。それが後の部長であるピーチさんだったわけだが、僕はなんとなく二人の邪魔をしてはいけないと思い、一人、フェンスに寄りかかり、みんなの様子を見ていた。

「よう、酒飲まないの?」

 僕の紙コップの中身を見て、声をかけて来た男。髪は黒いが、肌の色も黒い。見るからに軽薄そうな奴で、確か、名前は磯貝(いそがい)大輝(だいき)。

「僕、酒は弱いから」

 僕はこういう『チャラい』奴が苦手だ。話も合わなさそうだし、こういう奴らの方も僕みたいな人種を嫌う傾向がある。だから、わざわざ仲良くしようとは思わなかったが、こうして僕に話しかけて来るということは、少しは僕に興味があるのだろうか。

「へえ、まあ、無理して飲むことはないんじゃね? ところでさ、おまえ、小説は読む?」

 ん?

 僕はその問いにもう一度、男の顔を確認する。

「何だよ。何か俺、変なこと言ったか?」

 どう見ても、小説を読むような類の人種には見えない。漫画しか読んでなさそうだ。小説を読んだとして、ケータイ小説くらいじゃないか?

「いや。読むよ、小説。ミステリー小説が好きなんだ。とは言っても、最近の若者向けの奴しか読まないけど」

「ああ、じゃあ俺と一緒だ。よかった、仲間がいて。あそこのメガネは小説はあんま読まないって言っててさ。一年女子三人はケータイ小説に純文学に本を読まない奴。どれも話が合いそうもなくて、辟易(へきえき)してたんだ」

 男は言うと、持っていた缶ビールをグビっと呷(あお)った。

 あそこのメガネというのは顔を向けた方向からして、ハルのことだろう。本を読まない奴はしらべのことで……あとの二つは、たぶん厚木夕(あつぎゆう)が純文学で、三国(みくに)飛鳥(あすか)がケータイ小説だろう。なんとなく、イメージ的に。

「えーと、俺は磯貝大輝。ダイキって呼んでくれ。で、おまえは……仲嶋?」

「仲嶋夏向。カナタって呼ばれてる」

 よろしくなカナタ、とダイキは手を差し出した。僕はそれを握り返す。見た目は苦手だけど、フレンドリーで意外といい奴かもしれない。

 僕らは自分の好きな小説を語り合い、気に入っている本を勧め合った。僕の知らない作家の名前もいくらか出て来て、頭の片隅に記録しておく。

 同じ趣味を持つ仲間に巡り合えて、僕は初めてこのサークルに入ってよかったと思った。

「で、おまえは誰がいい?」

「オススメの作家? さっきも言ったけど――」

「いやいや、違ぇーよ。そういうことじゃねー。このサークルの部員の中でって話」

「あ?」僕は首を傾げる。「だから、何の話だよ」

「ミス研の部員の中で、どの子を狙うかって話をしてるんだよ」視線を僕から外し、焼き肉を囲む集団に目を向ける。「俺はピーチさんなんかいいと思うな。キレイだし、ちゃんと男のことをわかってそうで」

 何をいきなり言いだしてるんだ、こいつは。

「おまえは?」

 ダイキは再び顔をこちらに向けた。

 おまえはと聞かれたところで、初対面の相手にそんなことを話す筋合いはないし、僕はそんな目で人を見ていない。

 一言で言うと、僕はシャイなのだ。

「わかんないよ。まだ、ちゃんと女子と話してないし」

「何だよ。俺だけ言って、おまえだけ言わないとかせこいだろ。これも交流を深める手段だと思ってさ。話してなくても、今、こっから見渡して誰が一番いいかくらい、決められるだろ」

 人差し指を伸ばし、屋上全体ぐるっと指さす。

 屋上で視界を隔てるものはなく、部員全員を見渡すことができた。だから、僕は仕方なく屋上全体を見渡して、女子を吟味するふりをする。

「さ、誰だよ。誰にも言わないから安心しろ」

「…………」

「もったいぶるなよ」

「……うーん」悩む素振りをしたあと「わからん」と答えた。

「おい!」ダイキは容赦なく僕の肩をひじで突く。「逃げんじゃねーよ!」

「って言っても、ぱっと見まわした限り、ピンとくる人は……」

「何だよそれ。じゃあ、あれだ! ピーチさんとかどうだよ。キレイだろ。付き合えるなら、付き合いたいだろ?」

 僕はハルと話をしているピーチさんに目を向ける。

「いや、キレイってのはわかるんだけど、付き合いたいかって聞かれると……」

 キレイでオシャレで、大人の女性って感じで、確かにいろんな男の人からモテそうだ。でも、だからと言って僕はそういう女性とは付き合いたいとは思わない。

「じゃあ、サンゴクは?」

「サンゴク?」

「三国(みくに)だよ」

「ああ……」酒を持って辰巳さんと喋っている女の子を見る。「……ああ? あれは……ちょっと」

 単純に好みのタイプではない。おしゃべりで、悪い子ではないと思うんだけど、それだけだ。

「じゃあゆうは? 厚木夕(あつぎゆう)」

 屋上を見渡すと、ゆうはいつの間にかしらべの横に移動していて、一緒に缶チューハイを飲んでいる。

「うーん、可愛いとは思うけど」

 気配りはできるし、一歩引いたところに立つ感じは好感が持てる。人のことを考えて行動をする性格なんだろう。前には出てこないのに、なぜか頼りがいがある。

「おおー! 来たな。可愛いと思うけど、なんだよ」

「いや、可愛いと思うだけだよ」

 こういう話は苦手でも、一般論で言って、ゆうは可愛かった。変に強がる必要もないし、一般論は一般論として言っておく。

「なんだその、煮え切らない返答は」

「煮え切らないっつったってしょうがないだろ。本当にそう思うだけなんだから」

「じゃあ、おまえの狙いはゆうなんだな」

 ダイキは言って、ニヤリと笑う。

「狙う……?」言葉の意味をよく吟味して。「……いや、そういうのじゃないな」

 可もなく不可もなく。

 特に付き合おうという能動的な気持ちも起こらない。

「じゃあしらべは?」

 その問いには、すでに僕の中で答えは出ている。

「だいぶ珍しい種類の女の子だよね」

 今まで、見たことのない類の女の子だった。

「だーッ!」ダイキはついに我慢の限界が来たようで、叫び声をあげた。「つまり、あれなわけだ。おまえは二次元にしか興味がない奴なわけだ」

「おい!」僕も慌てて否定する。「とんでもなく失礼な言いがかりはやめろ! どこをどう判断したら、そういう結論にたどりつくんだ!」

「全然女に興味を示してねーじゃねえかよ! 二次元が好きってわけじゃないなら、じゃあそもそも女に興味がないのか!?」

「飛躍し過ぎだっつーの、馬鹿!」

 お互い、肩で息をしながら睨み合う。

 なんだ、この状況……。

 初対面の奴と、なんでこんなおかしなことで言い争わなければならない。

 この下らない戦争に終止符を打ったのは、しかし、先に仕掛けて来たダイキの方だった。

 僕から目を反らすと、フェンスに寄りかかって一つため息をついてから、ビールに口を付ける。

「なるほど。じゃあ、単純にシャイな奴ってことか。悪かったよ。あんましつこく聞いて」

 僕も視線をダイキから外し、フェンスに寄りかかる。

「いいよ。別に。気分は害してないから」

「そうか、ならよかった。もう誰を狙ってるかなんて聞かねーよ」ゴクゴクとビールを飲む。「でもこれだけは聞かせてくれ」なんだよ、と聞き返しながら僕もつられてコーラを飲んだ。「ミス研の中で気になる子はいるか?」

「ガハッ!」コーラが気管に流れ込んだ。「げはッ! オヘぇ! なん、何だよ、おまえ! 謝った矢先に同じ過(あやま)ちを繰り返してんじゃねえ!」

「そんなに隠すことか?」

 ダイキは逆に驚いたみたいに目を見開いた。

「誰狙ってくかとほとんど同じ質問じゃねえかよッ! 内緒だよ内緒! つーか、まだわかんないって! 話が合うとか相手の内面とか見てからじゃないと、そんなんわからないだろ」

「超マジメだな、おまえ……」

 今度は呆れたような目で僕を見た。

「フツーだろ。見た目で人を判断するなんて、僕にはできないよ」

 人には相性ってものがある。

 いくらキレイでもいけすかない人はたくさんいるし、逆に器量の悪い人でも気を惹かれることはある。

だから、人を見た目でどうこう言うつもりはない。

 まあ、ダイキのことは第一印象で否定的に捉えていたわけだけど。

「でも見た目は大事だろ。ブスと美人ならどっちがいい――なんて極論を出すまでもなく、単純に容姿の好き嫌いはあるだろ?」

「そりゃあ……」

 いくら美人でもピーチさんには特別な魅力を感じないように。僕は僕なりに好みの女性像というものがある。

「何だよ、どんなんがタイプだよ」

 うーん。

「黒髪で色白で華奢で白いワンピースの似合う女の子とか……」

 僕の回答に、ダイキは三歩僕から遠ざかった。

「何だおまえ……。アニメ好きでも同性愛者でもなく、ただのロリコンだったのかよ……」

「まあ、冗談だけど」

 僕は笑った。

「急に口が軽くなったと思ったら、ボケかよ。つーか、冗談とかも言えるんだな」

「おまえは僕をどんな人間だと思ってたんだ」

「暗そうな顔してるよな」

「…………」

 せっかく打ち解けようとユーモアを言ったのに、外見の悪口が返って来るとは思わなかった……。

「でも、いい奴そうだ。純粋って言うか、馬鹿っぽいっていうか」

「褒めてんのか貶(けな)してんだかわかんねーよ」

「俺は、おまえみたいな奴、意外と好きだぜ」

 僕は携帯を取り出し『メモ張』を開く。

「はいはい、おまえの好きなタイプは僕みたいな奴……と」

「間違った捉え方はやめろ!」

 だんだんこいつとの絡みも慣れて来て、軽口を叩けるようになった。ダイキはちゃんと、僕に対して隙を作ってくれる。だから喋りやすいし、喋っていて苦にならない。

「さてと」ダイキは持っていた缶の中身を全部飲み干すと、くしゃりと握りつぶした。「次に行くかな」

 次に行くかな、というのはすなわちおまえとの会話は終了だ、というアナウンスだ。最初、できればすぐに会話を切り上げたかったのに、今では少し名残惜しくもある。

「次は誰のとこに行くんだ?」聞いてみたものの、聞くまでもない。「……たぶん、ピーチさんの所だと思うけど」

 たった今、ピーチさんとハルの会話は終わり、ハルはゆうやしらべの所にいた。このピーチさんがフリーな状態を、ダイキがチャンスと取らないわけがない。

「この短時間で、よく俺の性格がわかったじゃねえか」

「まあね」

 ちょうどいい。僕もハルたちの様子を窺いに行くことにしよう。

 僕もフェンスから背を離すと、反対側のフェンスの前で話す三人の元へと向かう。

「あ、カナタ」

 別れ際、ダイキに声をかけられた。

「まだ何かあんのかよ」

余計なことじゃなければいいが。

「おまえの言ってたオススメの作家、今度会う時までに読んどくわ」

 それだけ言うと、そそくさとピーチさんの元へ駆けていく。

 チャラいけど、律儀な奴。

 それが僕が新たに持った、ダイキへの印象だった。

 

 そして、三人に合流した僕は会話に混ぜてもらった。

 と、言っても、ほとんどハルが喋っているだけで僕たちは相槌を打つだけ。どうやらハルは図書館にあるあらゆる本を読むタイプの人間らしく、それらの情報を頭に蓄積させてるらしい。その中から僕たちが興味を持ちそうな話題をピックアップしてアウトプットして行く。

 脅威の頭脳。

 恐るべき探究心。

 ハルの話は面白く、こちらの知的欲求もくすぐられるように喋るので、ついつい聞き入ってしまう。

 みんな、うんうんと頷いている中、一人だけそのままコクンコクンと首を降り、やがて地面に沈み込むようにうつ伏せに倒れる者がいた。

「し、しらべ!」

 酔い潰れたのだ。

 ゆうが慌てて抱きかかえるが、すでにしらべはまどろみの中。

 どれだけ呼びかけても、どれだけ頭を揺すぶっても目を覚まさない。

 どこか、落ちついて寝かせられるところに運ばなければならない。

 いいところを見せようと、少しだけ手を貸そうかとも思ったが、この時もまた、僕はよく知らない女の子を抱きかかえることを躊躇し、結局は津島さんがしらべの肩を支えて部室のソファへと運んだのだった。


 みんな、一年前と全然変わっていない。

 まあ、それは僕も一緒だけど。

 

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