フライトチキン
幽霊
一話 飛び降り自殺
一話 飛び降り自殺
一番怖いものとは何だろう?
僕はこのサークルに入ってから、いつもそれを考えさせられる。
怖いものを挙げてみろと言われれば、僕は臆病だからきっと両手の指では数え切れないほどの答えを出すだろう。殺人鬼にお化けに地震などの天災、交通事故。身近なところで言えば部屋に現れるゴキブリや目つきの悪い不良少年だって怖い。そして、これらのものを挙げた時に、それを聞いた人たちが僕をどのように評価するだろう? 僕はそれすらも怖い。
じゃあ、この中から最も怖いものを選べと言われたところで、僕はきっと選べない。
お化けに遭遇するくらいなら殺人鬼に会った方がマシかと言えば、全然そんなことはないし、逆もまた然り。現実的に遭遇する可能性のあるものと言えば地震や火事、交通事故だが、これらのものもまた、どれが一番怖いかなんて決めることはできない。
怖いものは怖い。
恐怖は危険から身を守るための機能で、あらゆる危険を遠ざけたいというのは当然の心理だ。
生命の危機に対して優劣なんかない。
全て、回避すべき事象だ。
だから、僕が身を守るためにこうして部屋に戻って来たのは仕方のないことで。
僕は読んでいた小説を閉じると立ち上がった。
そろそろ飲み会もお開きになる頃かな?
ポーカーで負けた人が一気飲みをする流れになったので、僕は気分が悪いをふりをしていち早く自分の部屋に戻って来たのだった。これも身を守るためだ。アルコールが弱い僕にとって、アルコールもまた脅威の一つだ。
二年男子が誰もこの部屋に戻って来ないことを考えると、まだ飲み会が続いていることも考えられたが、参加者のほとんどが潰れてしまって、そのまま会場となっている大部屋で寝てしまっているという可能性も決して少なくない。
このまま読書を続けていてもよかったが、せっかく合宿に来ているのだ。一人で夜を過ごすのはもったいない。きっと、僕と同じように途中で罰ゲームが怖くなって抜け出している者がいるはずだ。
ずっとベッドに横になっていたので軽く首と肩を回してから廊下に出ると、僕は宴会場へと向かった。
僕たち“二年男子”の部屋は二階の廊下の一番奥にある。会場は階段を上ってすぐの部屋。すなわち、僕たちの部屋と正反対に位置している。
廊下を数歩進んだだけで楽しげな声は聞こえて来た。どうやらまだ宴会は続いているようだった。しかし、馬鹿騒ぎするという類のものではなく、楽しそうに語らい合う声。
扉が開けっ放しになっていたので、気付かれないようにそっと廊下から覗いてみると、一年生男子と三年生が二人いるだけだった。
あれ、他の二年生がいない。
みんな自分のグループの部屋に戻ったのかなとも思ったが、それならばハルやダイキだって僕のいた部屋に戻って来るはずだ。もしかしたら、みんなでコンビニに買い物に行ったのかな? アルコールやつまみは歩いて五分のところにあるコンビニで補充することができる。予め用意しておいた分が終わり、酔い冷ましも兼ねてみんなで買いに行ったのだろうか。
僕は靴を確認しようと、下駄箱に向かう。無理やり酒を飲まされるのは勘弁だが、放置をされたらされたで、それは寂しい。
コンビニで合流しようか……。
どうしようか検討しながら階段を下りると、大部屋から聞こえて来るのとは別の会話が耳に入って来た。玄関の方からだ。
階段の影から恐る恐る声の方に視線を向けると、ちょうどこちらに顔を向けていた人物と目が合う。
「あれ? カナター」
僕に気付いたその子が手を振った。その眼にはいつも付いている長い睫毛の代わりに、赤いメガネがかけられている。
「何やってたの?」
それはこっちの台詞だった。
探していた二年生たちがそこにいた。
女子が三人に男子が一人。四人ともミス研の二年生で僕の同級生である。玄関の前のわずかなスペース。ホテルで言えばロビーに当たる場所。設置されたソファの前で、四人はソファには腰掛けずにフローリングの床にそれぞれ向き合うように座っていた。
各々の周りには空いたチューハイの缶や、紙コップ、スナック菓子の袋が散らばっており、何をしていたのかは一目でわかった。
「今ねー、怖い話をしてたんだよ! ほら、カナタも座って!」
サンゴクがフローリングをペシペシと叩く。先ほど、手を振って僕にアピールをしてきた女の子だ。いつものことながら、化粧も大げさなら、身振り手振りも大げさだ。
しかし、女の子に呼ばれるのは決して悪い気分じゃないので、例えそれがサンゴクであっても僕はいい気分で腰を下ろした。
元々誰かと会話をしたくて部屋から出て来たのだ。
怖い話は好きじゃないが、拒絶するほど嫌いでもない。
僕が座ったのを見て、飲み物が支給される。
「はい、カナタ! これ飲んで!」
サンゴクが差し出して来たのはストロングと銘打たれたアルコール度数が一〇パーセントもあるチューハイだ。僕はそれを無視して近くにあったコカコーラのペットボトルを手に取る。
「使う?」
ゆうが紙コップを差し出す。
「うん、ありがとう」僕はコーラを注いでから、改めて尋ねた。「でも、どうしてこんなところで? 酒を飲みたいなら、上の大部屋で飲めばいいじゃん。つまみも酒もたくさんあるでしょ。わざわざなんでこんなところで?」
僕がコーラに口を付けると、ハルがため息をつき、やれやれとでも言いたげに喋り出す。
「辰巳さんがポーカー始めただろ? みんな最初はそれに付き合ってたんだけど、おまえが部屋に戻った後に我も我もと一年女子が避難を始めて。そうなると今度は俺らがダーゲットになってね。だからタイミングを見てここまで逃げて来たんだよ。ゆっくり飲むために」
一年女子がいなくなったので、今度は二年女子を狙いに来たわけか。辰巳さんの考えそうなことだ。
「でも、さっきちょっと大部屋を覗いたけど辰巳さん、いなかったぜ? それに、ダイキはどこ行ったの?」
「あれ? あいつも上にいなかった?」
「いなかったよ。あの部屋にいたのは一年の男二人と、ピーチさん、それから津島さんの四人だけ」
「ああ……、じゃあ一女の部屋に行ったのかな……」ハルは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。「あの二人の女好きも困ったもんだな」
二年がこうして集まっているのに、ダイキの姿が見えないので不審に思ったのだが、やはりそういうことか。まあ、あいつは二年生女子には全く興味を持ってないからな。ここでこうして話しているより、辰巳さんと一緒に一年女子の部屋に行ってはしゃいでいる方が楽しいのだろう。
悪い奴ではないのだけれど、自分の本能のままに動くところがある。それがあいつのいいところでもあり、悪いところでもある。
僕の右側に座っているサンゴクも呆れたような顔をしている。
それに対して、僕の左側に座っている女の子はつまらなそうに紙コップに口を付けていた。
――ああ、そうか。
「で、怖い話って?」
僕が現れたことで移ってしまった話題を戻す。
「そうそう、それなんだけどね!」
とサンゴクが堰(せき)を切ったように喋り出した。みんなの視線が再びサンゴクに集まる。
その中で、僕だけは僕の左側にいる女の子に目を向けた。
鹿児島(かしじま)調(しらべ)。
むすっとして、つまらなそうに酒を飲んでいた女の子。
僕の登場も興味がなさそうに一瞥しただけだった。
相変わらずの反応に、自嘲的な笑いが出て来る。
胡坐をかいて座っている前には透明なビンが置かれていて、それがジーマなら可愛いものなのだが、そのラベルには筆で厳(いか)めしい字が書かれおり、その正体は日本酒だった。
当然、紙コップを満たしている透明な液体はこれを注いだものだ。
この女の子の好きなものは日本酒と怖い話。惰眠を貪(むさぼ)ることも好きで、めんどくさがり。だから、授業中はいつも寝ているという。
今の姿だって下はスウェットで上はTシャツ。いくら気が知れた仲間たちとの合宿とはいえ、他の女子二人は可愛らしいパジャマを着ているというのに。
大学生になって、ここまで異性の目を気にしない子も珍しい。
第一印象は、ちょっと他とは違った子。
だから、余計に目を惹く。
見ているだけで面白くて、会話をしなくてもその一挙一動を見ているだけで可笑しくて、ついついその姿を目で追ってしまう。
本当にどうしようもない。
華奢で背が低くて、ともすれば見落としてしまうんじゃないかと思う小さい背中を、僕は毎日探している。
そんな小さな身体なのに、酒を飲む量は膨大で、七〇〇ミリリットルのビンの中身はすでに半分以下になっている。まだまだしらべは日本酒に口を付ける。しらべは顔には出ないが、アルコールが回って来ると目がうつろになって、身体が左右に揺れ出す。
そして、その兆候はすでに少し見られていた。
「あ、そうそう! 思い出した。ねぇ、聞いて聞いて!」
一区切り着いたかな、と思っていたがサンゴクはまだ喋り足りない様で、誰かが次の話を始める前に声を大きくして再びみんなの注目を集める。
「うちの大学にも幽霊が出るって話、知ってる?」
「有名な話だよね」ハルが答える。「結構、噂になってる」
「そうそう。で、その幽霊の被害に合ったって人がちょいちょいいるみたいなんだよね。本当に心霊現象が起きたって。しかも、その目撃例が圧倒的に多いのが研究棟二号館なんだ」
「え」
僕も含めた四人が同時に声を漏らした。
「それ、うちらも危ないじゃん!」
しらべが楽しそうに言う。
僕がやって来てから、初めて見せる笑顔だった。
やはり怪談が大好きらしい。
僕ら四人が驚いた理由。それは、研究棟二号館には僕たちの部室があるからだ。研究棟二号館の五階。研究室が並び、実験に使う機械や資料が所せましと置かれた廊下の先、そこに僕たちミステリー研究部の部室はある。
どうして部室棟ではなく、そんなとこに部室があるのかは津島さんから聞いたことがあったが、研究棟二号館のそんないわくは聞いたことがない。それは誰もが同じようだった。
「でも、わたしたちの中で心霊体験した人いる? もし本当にそんなに頻繁に心霊現象が起こるなら、誰かしらが目撃しててもいいと思うんだけど」
ゆうが尋ねる。視線が交錯する。頷く者は誰もいない。
「……うーん、ま、実はね、あたしも友達とか先輩とかからいろいろな話を聞かされて、ちょっと情報源を辿ってみたんだけど、みんな友達から聞いたって言うだけで、どこにも本当に心霊体験をしたって子はいないんだよね~」
怪談なんて、そんなものだと思う。友達が幽霊を見たと言っても、じゃあその友達って言うのが誰のことか調べてみると辿り着けない、なんてことはざらにある。つまりは最初っから幽霊を見たなんて人は存在せず、なんとなくどこかから自然と生まれて来た話を盲目的に信じてしまっているだけなのだ。
ええー、としらべは心底残念そうな表情を浮かべていて、同時に不服そうに口を尖らせた。幽霊話がでたらめだという結論を不満に思っているのだろう。
その怖いもの見たさの精神は、いずれ身を滅ぼすことになるぞ、とちょっと思うが、口には出さない。そんな忠告をするほど僕としらべは仲良くないし、言ったところで「そ」と聞き流されて終わりだ。そっけない態度を取られることがわかっていて、わざわざ踏み込んでいくほど、僕のメンタルは強くない。
「つまらないー」しらべは組んでいた足を崩すと、前に投げ出した。「学校にお化けが出るとか、ちょっとは学校に来るのが楽しくなると思ったのに」
「しらべは何のために学校に来てるのよ」とゆうがしらべの額を小突く。「いたっ」としらべはおでこを押さえて笑った。しらべとゆうは仲がいい。
「でもさ」と不意に今まで黙って聞いていたハルが口を開いた。「俺、ちょっと調べてみたことがあるんだけどさ。前に、うちの大学で自殺した人がいるらしいよ」
それは初耳だった。
新しい情報に、みんなの意識が自然とハルに向く。
「いや、俺も詳しく調べたわけじゃないから、本当かどうかわからないけど、でもたぶん本当のことっぽい。ネットで調べたら、結構その当時問題になったっぽいから」
自分の大学で自殺者が出た。それはなかなか穏やかな話ではない。
「え、なんでなんで?」
今度はサンゴクが食いつく。怪談もその一つだが、サンゴクはこういうゴシップが大好きだ。
目を輝かせて尋ねるサンゴクに対して、しかしハルは窘(たしな)めようというわけでもないようだが、厳しい表情を作った。
「自殺者の話の前に、もう一つみんなに聞いてもらいたい話があるんだ。あまりこういうことは、べちゃくちゃ喋っていいようなことじゃないと思うけど、調べればわかることだし、こんなところで話を切っても、逆に気持ち悪いだろうからはっきり言うけど、十何年前くらいにこの大学で新聞にも載るくらいのある事件が起きてる」
「事件?」
僕が復唱する。
「ああ」ハルは頷いた後、しかし、自分から話し始めたくせに少し躊躇を見せた。「――うちの大学の女子生徒が、男子生徒に無理やり襲われるという事件が――あったんだ」
聞いて、なぜハルが言い淀んだか理解する。
女子がいるから、言葉を濁したのだろう。
一言で言うと、こういうことだ。
強姦。
レイプ。
四人は察して、同時に居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
でも、どうしてそんな話を急にし出したのだろう。
自殺者の話と強姦事件。
――そんなの、考えるまでもない。
「……じゃあ、おまえの言いたいことって」
「ああ。たぶんな。時期的にも同じみたいだから――恐らく、暴行を受けた被害者の女性が、自殺したんだ」
僕たちの大学で起きた性犯罪。
「……胸糞悪い話だな。当然、犯人はもう捕まってるんだろ?」
「俺だってちょっと知ってるってくらいだから、詳しいことはわからないよ。けど、加害者の奴らは当然そうだろう。学内で起きた事件らしいからな。逃れることなんてできないはずだ。ただ、やっぱり詳しい話はわからない。何年も前の話で情報が古過ぎるって言うのもあるし、それほど大きく取り上げられたわけでもないから、そもそもの情報量が少ない」
「奴ら……って」
サンゴクが顔をしかめる。
「ああ……男子側は複数人いたみたいだな。確か、三人ほど逮捕されてたと思う」
空気が重い。
飲み会の席だからと言って、いやだからこそ、聞きたくもない話だ。欲におぼれて人を傷つけ、そして自分の人生を棒に振った奴らの話。気が重くなる。
「ひどいね……。うちの大学でそんなことが起きてたなんて」
被害者の気持ちを考えているのだろう。ゆうも苦しそうに顔を歪めた。
誰もが口を閉ざす中、しかし僕はハルに尋ねる。
「……で、その被害者の人は、どうやって死んだんだよ」
唐突に始めた自殺者の話。
なぜ、ハルが急にこんな話をし出したのか。
ハルは意味もなく話題をずらしたりはしない。
そこには間違いなく、意図がある。
「だから、研究棟二号館で死んだんだよ。屋上から飛び降りたんだ」
ここで、サンゴクの話と繋がった。
研究棟二号館に出没すると言う幽霊。
研究棟二号館で自殺した人。
ただの偶然の符合ではないだろう。
「でも……。強姦された被害者が、学校で自殺なんかしたら、さすがに大きく取り上げられないか? ワイドショーなんて、喜びそうなネタだろ」
話が繋がったところで、さらなる疑問をハルにぶつけた。
「さあな。詳しく調べればもっと出て来たのかもしれないけど。……でも、被害者のその後――特にこういった事件の被害者は特に、公(おおやけ)の場には事件後の姿なんて晒されないだろ。ま、本人や家族の許可があれば別だろうけど。でも、普通はテレビに出たりはしない。だから、新聞や当時の掲示板の書き込みとかを漁るしかなかったわけだけど、やっぱりどうしても情報が少ない」
身体を汚されて。
心を殺されて。
命を絶った後も、その魂は今も研究棟二号館に縛り付けられたまま、関係のない生徒を襲っている。
なんとも悲劇的で、なんて悲惨な話なんだろう。
「でも、そんな事件があったのに、まだ研究棟二号館の屋上、普通に使えるよね」
尋ねたのはしらべで、僕たちミス研は校内で飲み会を開く時、あの屋上を会場として使うことがあった。ミス研の奴らの中には、あそこを第二の部室と思っている人間も少なくない。かく言う僕も、よく津島さんにくっついて屋上に行く。
「喫煙所があるのさ」
ハルが答えた。
校内にいくつか設けられている喫煙所の一つ。それが研究棟二号館の屋上にある。研究をしていて、一服したくなった生徒や教授がわざわざ建物の外に出なくても済むように設けられている場所だ。
「そういえば、そんなのもあったっけ……」
飲み会の時に見た、屋上の片隅に設置されたパイプテントと灰皿を思い出したのだろう。しらべも少し考えた後に頷いた。
僕は煙草を吸わないので喫煙所自体は利用したことがないし、友人たちもわざわざ煙草を吸うためだけに研究棟の屋上までは来ることはないのだが、それでも僕がよく屋上に出る理由、それは愛煙家の津島さんとゆっくりと話をするためだ。
「俺らの部室からは最も近い喫煙所だからね。津島さんとピーチさんがよく煙草を吸いに行ってるよ。俺らも風にあたりたいときは行くしね」
部室で話をしているときに、津島さんとピーチさんの二人は一服して来ると抜け出すことがよくある。最初は、毎日喫煙所に通わなければいけない様子を見て、喫煙者の人は苦労してるなぁと思ったものだが、津島さんと屋上で話をするようになってからは、部室から出て空の下に来てみるのもいいと思えるようになった。
「僕も屋上は暇なときによく行くけど、学校側が事件のことを忘れ去られるためか、それとも喫煙者の要望に答えてかはわからないけど、普通に開放されていて、飛び降り自殺の面影なんかありゃしないよ。むしろ、天気がいい日は風も気持ち良くて、爽やかなくらいさ」
本を読んでいて目が疲れた時や、頭が重くなったときにはちょうどいいリフレッシュになる。
「どっちにしろ、飛び降りなら屋上で命を落としたわけじゃない。今はちゃんと飛び降り対策でフェンスが付けられてるし、いつまでも事件を引きずる理由もないしね」
ハルも言う。
屋上を取り囲むように付けられたフェンス。あの高い網にそんな意味があったのかと思うと、少し不気味になっては来るけど。『煙草の吸殻を外には捨てないで下さい』という張り紙が貼られていて、僕はてっきりポイ捨て対策でフェンスが取り付けられているのかと思っていた。
と、そこに唐突にうめき声が入る。
「ううー、もうダメだー」
言いながら、しらべがゆうに倒れかかる。
そして、そのまましらべはゆうの膝の上で目を閉じた。
見ると、日本酒の瓶がいつの間にかすっからかんになっていた。
「もう、飲み過ぎじゃん!」
同じく日本酒の瓶を確認したゆうが目を剥いた。
いつものことだが、限度を知らないしらべは倒れるまで酒を飲む。本当にだらしなくて、人目を気にしない。
「部屋に戻るよ。歩ける?」
ゆうに抱き起こされるが、どう見たって足元はおぼつかない。ゆう自身、酒を飲んでいて少し足がふらついているというのに、小柄とはいえ、しらべの身体を支えることができるだろうか。
僕が代わろうか?
その言葉がのどのすぐそこまで出かかるが、飲み込む。こういうことは女子に任せるべきだ。親切のつもりでも度が越せば迷惑となる。
しらべを支えてやりたいという気持ちはある。むしろ、進んで手伝いたいとさえ思う。ゆうのためでもあるし、しらべに好感を持ってもらうチャンスでもある。
でも一歩踏み込んで考えたみたとしたら?
しらべは僕に身体を支えて欲しいと思うだろうか?
恩の押し売りはただの重荷にしかならない。
しかも、酔い潰れていることをいいことに接近しようだなんて、そんな汚らわしい行為を、しらべはどう思う? 僕のそういう邪(よこしま)な気持ちは恐らくしらべにも伝わるし、周りにいる奴らも感じ取るのではないか?
ここは、ただ心配そうにしているのが最善の手だ。
「手伝うよ」
ハルは言うとすぐにゆうとは反対側の腕を取り、しらべの身体を支えた。
「ありがとう」
「ごめん」
ゆうとしらべに感謝されたハルは「いいよ」と返し、なんてことないようにしらべを抱きかかえながら階段を上って行く。
え。
こういう時は下手に手を出さず、ただ見守るってのが最善の手じゃないのか?
「ゆ、ゆう!」僕も慌てて声をかける。ゆうとハルの二人が振り返る。「代わろうか……?」
「えっ。大丈夫。階段の途中で危ないし、階段上ったらもうすぐそこだし」
苦笑いを返されてしまった……。
こうなると、もう後ろから見守るしかない。
はあ、と僕はため息を吐く。全身の脱力感に反して、顔の筋肉だけは引きつっていた。
部屋の前に着くと、中が僕たちに見えないようにゆうとサンゴクでしらべを運び込んだ。
それほど待つことはなく、二人は再び出て来る。
「じゃ、あたしたちももうそろそろ寝ようかな」
ゆうが提案し、僕たちもそれを受け入れる。時計の針はすでに二時を指していた。明日、別に早く起きなければいけない用事もないが、飲み会を切り上げるタイミングとしてはちょうどよかった。
「僕たちも部屋に戻るか」
女子の部屋を出て廊下でハルに言う。
「そうだな、あ、ちょっと待って」
廊下を駆けていき、大部屋に姿を消すとまたすぐに出て来る。手には緑茶の五〇〇ミリリットルペットボトルが抱えられていた。
女子の部屋にもう一度ノックしてから入ると、何か言いながらペットボトルをゆうに渡して戻って来た。
「あの様子だと、しらべの奴、夜中に吐き気と頭痛で目を覚ますだろうから、それ用のお茶」
気遣いが出来る男、新田(にった)陽(はる)馬(ま)、十九歳。
ハルの気配りは女子だけではなく、よく行動を共にする僕にも向けられ、しょっちゅう助けられている。とてもいい友人であると共に、尊敬のできる男だ。
勉強ができないという点だけは、僕の方が優位に立ち、ハルのサポートをすることのできる唯一の事柄であるが、逆に言えば僕がハルに勝っている点はそれだけで、あとの全ては劣っている。
ハルに対しては常に感謝の気持ちがいっぱいなのだが、同時に僅かな妬みも根底にあるのが、実際のところだ。
僕も自然に気遣いのできる男になりたい。
僕はこの合宿を通じて、もっとしらべに近付かなければならない。
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