切腹

@kuratensuke

第1話


切腹

                              十津川 会津

                              


時は江戸時代、平川の流れは井の頭に源を発し、東へ流れ、両国橋辺りで隅田川と交わり合流する。江戸表を流れているにも拘らず全区極めて珍しい開梁である。日本橋辺りから分流し、南に流れ、日比谷入り江に注ぎ込み、平川が豊島郡と荏原郡の境となる。東に流れる新河道は、後に、神田川と呼ばれるようになった。また、神田台の掘割の西には水道橋が掛かっている、水道橋から四、五丁行くと神田に当たる、神田神保町にその家はあった。

或る早春の日のことであった、御様御用(おためしごよう)役、公儀介錯人山田朝右衛門は、自宅縁側に座り肥後胴田貫の手入れをしながら、庭に咲く真っ赤な椿の花を見ていた。そこはかとなく、首から花を落とす様子を見ていると、いつも自らが手にかけてきた幾人にも及ぶ、介錯された首の情景を想い起こすのであった。

或る者の首は、憂いを残し、涙を溜めていた。また或る者の首は、カッと目を見開いたまま、体から離れず、恨みを込めて宙を睨み付けていた。公儀の仕事とはいえ、朝右衛門にとってそれらの首は、命の儚さ、人の情念や死の恐ろしさを感ずるに余りあるものであった。公儀介錯人は、皆、山田朝右衛門の役名がつく、歴代からの習わしであった。山田朝右衛門の本名は、林陽之進と言う。今では、幾度となく介錯の勤めをこなし、首の皮一枚で切り落とす技も身につけた。首の皮一枚で残すと、検視役に首が飛ばないというわけだ。


「父上! 此方におられましたか?」

 突然、若い太い声が後ろから聞こえ、朝右衛門は物思いから我にかえった。倅の太一郎であった。今年、齢十八、同じく公儀介錯人の御用を授かっている。しかし、まだ見習いの身分で人を切ったことはない、まだまだ修行が足らないと父朝右衛門は思っている。

「何、大声を出しておるのだ、みっともないぞ、太!」

朝右衛門はたしなめた。

「申し訳ございません! 何か物思いに慕っているご様子でしたが、おもわず、声を掛けてしまいました!」

「で、何を慌てておるのだ?」

と朝右衛門は返した。

「今日、道場で筆頭兄弟子の深井殿より、一本取れました!」

 若者らしい、嬉しさに満ちた笑顔を見せた。

「それはでかしたの、太! 筆頭弟子である、深井殿より一本取ったか、で、どのように立ち会ったのじゃ?」

 二人はやおら立ち上がり、座敷から、木刀二振りを持ち出し、その試合の再現を省りみ

る。台所にいた朝右衛門の妻、雅も賑やかしさに驚き、大根の汁を作る手を止めた。

「これ、これ、家内で剣術の練習は、お止めくださいませ!」

 構わず二人は、木刀を振り上げあっている。右からの、左からのと、騒がしい。雅は

朝右衛門の後妻になるが、年が十ほども違う。朝右衛門が今年四十五で、雅は、三十五

になる。

最初の妻は、子がなく、若くして労咳で亡くした。

後妻を貰うには躊躇いがあったが、生前の父、母の強い勧めもあり、観念した朝右衛門

であった。ほどなく、太一郎が出来て、幸せな生活を送る。

朝右衛門の公儀介錯人の仕事も、長男が継ぐべく、日夜、剣術に精進する太一郎であっ

た。

朝右衛門は、今の幸せを噛み締めるべく、公儀の勤めにも精を出す毎日であったが、唯一

つ、庭の椿を見るたび思い出す、誰にも言えない若かりし日の甘い思い出があった。

 

それは二十年も前になるのであるが、公儀介錯人山田朝右衛門になる前のことだ。その

頃、諸国剣術行脚の旅の途中であった。

食うものにも事欠き、毎日を放浪の旅空に身を任せてはいたが、とうとう、上方のある村

で精も恨も尽き果て、野垂れ死にかける思いをしたことがあった。それは、八尾の近くま

で来た時であったが、諸国行脚の武者修行の身であるからと野草を食い、川の水をすすり、

春の暖かさに身を任せて夜半過ぎから、ウトウトと田んぼの畦で寝てしまった。

夜が明けて目を覚してみると、どうやら誰かに助けられ、民家の一部屋で眠っていた。

飯の炊く匂いがして、腹が鳴った。所どころ継ぎあてされてはいたが、綿入りの布団に寝かされ、手足も洗われて奇麗になっていた。土間では、内儀らしき美しい女が、料理をしている。

「御内儀、大層ご迷惑をかけたようじゃ、かたじけない。拙者、林陽之進と申すもの諸国剣術行脚の身、どうやら、田の畦から、助けてくれたようじゃ? 誠にかたじけない」

慌てて立ち上がろうとするが、腹が減り、力が入らないのか陽之進は、二三歩よろめいた。

「あれあれ、直に朝餉の支度もできますゆえ、ごゆるりとなされまし」

「いやいや、御無礼の数々、きわまりなく存ずる。直ぐにも立ちますゆえ、お気使い無く!」そういいながら、更にふらつく陽之進であった。

「あれあれ、ほんとに、ごゆるりとしなされ、畦で見つけた時には、土色に変わり果てた顔、死人と見間違ごうてしまいました。どうぞ、朝餉を召し上がり、元気をつけてくださいましな!」

内儀は、陽之進に朝餉の膳を運んで来てくれた。陽之進は、堪らず、何日ぶりかの白飯

にありついたのであった。

そうこうしながら、がつっついて朝餉を食ろうていると、主人らしき大男が帰ってきた。

「其処元、お元気になられたか? 拙者、滝錬三郎と申す。」

日焼けした顔に白い歯が眩しい、偉丈夫な男であった。

「誠、かたじけのうござる。拙者、林陽之進という旅の者、剣術行脚に出たのはよいが、ついぞや、ご迷惑をかけてしまい、ごらんの始末、その上に御内儀に朝餉まで頂戴し、重ねて何と申し上げようもなく・・・・・・」

「いやいや、困った時は、お互いさまじゃ、御口に合いましたかな。家内はもとより、紀州の生まれ、味が薄うござろう?」

「いやいや、腹が減っては、味も何も判らず、有り難く頂戴つかまつった!」

 ふと無神経さに気付き、陽之進曰く、

「重ねがさね御無礼を。大変おいしゅうござった。御内儀の朝餉の味は、最高でした!」

慌てて取り繕う陽之進、一同、顔を見合わせ大声で笑った。

 滝錬三郎の身の上話は、それから始まった。

なんでも徳川御三家のひとつである、紀州徳川に仕えて何代か奉公したのち、つまらぬ喧嘩がもとで御家払い、隠遁の身となり、この八尾にほど近い姻戚を訪ねて身を寄せ今は、近所の子供たち相手に読み書きを教え、剣術も教えているとのことだった。妻のみつは、練三郎の幼馴染で、紀州の下級武士ではあるが武家の出、練三郎を慕い、半ば勘当同然で家を出て来たらしい。 

それから、陽之進は、体の養生も兼ねて三月程、この気の合う友となった滝家に逗留した。

すっかり、気心が通じ合い、剣術の腕もどちらとも甲乙つけ難い腕並みのふたりであった。練三郎も、屈託のない、明るい陽之進の性分が好きであった。

年もさほど変わらない二人は、魚をとったり、猪を追ったりして食い扶持をとり、楽しい日々を過ごした。さらに、陽之進の長逗留には訳があった、みつを愛してしまったのである。

逗留一月目あたり、陽之進は、人妻の妖艶な美しさに耐え切れずみつの体を奪った。手籠め同然に奪ってしまったが、その内に度を重ね、お互いに求めあう仲となった、みつも後ろめたさよりも女としての喜びを感じずにはおれなかったのである。錬三郎に申し訳ない気持ちで一杯なのだが、みつの肌は、陽之進を捉えて離さなかった。錬三郎の出かけている隙にふたりは、良心の呵責とは裏腹に情念のおもむくまま、肌を合わせた。呵責が大きければ大きいほど求めあう二人であった。三月の月日が流れ、漸く、けじめをつけようと陽之進は旅立ちの決断をした。


「いや練さん、長居をし、大変申し訳ない、やがてこのことは私の生涯の良き思い出になり申そう、お元気で、お過ごしくだされ。御内儀におかれましてもよくぞ、拙者のいびきに耐えていただき、すまん事でした。今宵からは、錬さんの腕を枕としてゆっくりとお休み下されい」

少し、しらじらしい、言葉をみつにかけ、その場をやり過ごす陽之進であった。涙を拭きながら、みつは頷く、

「陽さんもはやく、御内儀殿を見つけまし、お元気で!」

「陽さん、辻別れまでお送りする」

 と言って練三郎は、送って来てくれた。道すがら二人は、今後の身の振り方を話し合っていた。

陽之進は、江戸に帰り仕官の道を探す。錬三郎は、このまま田舎侍でいるとの事だった。やがて、ふたりは、辻別れまで来て肩をい抱き合い、今後の健闘を祈り、お互いの道に別れて行った。

それから、二十年の歳月が流れた。

 

陽之進宅に植えられた、椿も二十年近くが過ぎ、立派な花を咲かせてくれる様になった。この椿は、練三郎の家に咲いていたものだ、あまりに見事だったので別れ際頂戴し、挿し木を施し、今に至るまでになった。

陽之進は、現在の公職に就き、二度目の妻を娶り、太一郎という倅もできた。まさに人生順風満帆の日々を送っていたのであった。

そんな或る日、陽之進は殿中に呼ばれ、公儀介錯の命を授かった。

執行当日、陽之進こと朝右衛門は、儀式の執行されるべき寺院の本堂に入り、一人座していた。

程無く、倅、太一郎も姿を現した、此の命より太一郎も介錯人の一人として執行に参ずることになったのである。今日は、参見の日である。太一郎は、緊張の面持ちで父の隣に座し、一言も掛けずに時を待つ。

堂内は、水を打ったように静まり返り、唯、吊り下げられた金色の燈篭、装飾品が風に波打ち輝くのみであった。屋根は高く伸びて、黒く太い柱が数本整然と構えている。

金色に高く積み上げられて鎮座する仏像の前には、高さ三、四寸の座敷が在り、新しい畳が敷かれ、赤の毛氈が広がっていた。

背の高い燭台が、数本、新畳の横に間隔を開けて立ち、妖しく堂内を照らし出している。

やがて検視役が、二人参上し、座敷の両どなりに、座り込む。さらに水を打った静寂から数分の後、白麻裃の礼服姿の男が、陣羽織姿の三人の役人を引き連れ、静かに本堂に現れた。

朝右衛門、太一郎は、目をつむったまま、正座を崩さなかった。

死装束の男は、双方の検視役に御辞儀をし、検視役もそれに答礼した。

更にゆっくりと裃を返すがえす、高座に上り、仏壇に平伏すること二度、体を翻して、毛氈に端坐した。大太鼓が一つ鳴り、いよいよ、朝右衛門が、咎人の左脇に行こうと立ちあがった。

それと同時に目を開け、その咎人の姿を見た、朝右衛門は、驚きで倒れそうになる。

その目の前に懐かしき友、滝錬三郎の姿があった。錬三郎もこちらの様子を見て初めて気が付いた。

なんと、悲しい再会であろう、錬三郎は、驚きの様子から、険しい目付きが変わり、むしろ友との再会を喜んでいる目付きに変わった。朝右衛門も出来ることなら微笑み返したい、心の中が熱くなり、込上げる嗚咽がこぼれる。

しかし、介錯務めを果たすべく、気持ちを立て直そうとするのだが、友として酒を酌み交わした、談笑する、日焼けした笑顔とその白い歯、思い出すには余りある。

七転八倒、苦悶する心の中で御役目の遂行と、逃げ出したい気持ちとが闘いながら、どうしたらよいか解からずにいた。

ふと、潤んだ眼差しで錬三郎の顔を見ると、目が笑っている、今、まさに死の淵にありながら、友との再会の喜びに気持ちが勝っているようだ。更に、錬三郎は、目で許しを与えてくれている、朝右衛門の心中を察し、了解して頷く素振りであった。朝右衛門は、刀を投げ出しひれ伏して、錬三郎に詫びたい気持ちで一杯になった。が、時は、二人の心中を無視して流れ、そして、二人は、総てを察した。

役人が三宝を持って立ち上がる。錬三郎は、三宝を役人から受け取り、両手で頭の上に高くかざした。そして、自分の目の前に置き、語った。

「拙者、無分別にも、妻女みつを手籠めされ、大名であられる御子息に刃を向け、多大なる損傷を与え、再起不能に致した罪、負いて切腹致す。各々方には検視のお役目御苦労様に存ずる。」

一礼をして錬三郎は、裃の上着を帯まで脱ぎ去り、腰を露にして三宝を仰向けに倒れぬ様に尻の下に斜めに組み入れた。前伏して死ぬ武士の意地、錬三郎の武士としての最期の決意であった。

しかと脇差を掴んだ手で嬉しげに、さも愛着する素振りで眺め、やがて左の腹にあて深く差し、右側に引き廻して、また元に反し、少し切り上げた、嗚咽が漏れたが、顔には、変化が殆ど見受けられない、脇差を引き抜き、前に屈んで首を差し出した。

朝右衛門、目に涙を溜めて立ち上がり、仕損じては友の為にならぬと腹を決め、一閃の光、轟音とともに友錬三郎の首体を別った。

錬三郎の体が、どっつと倒れ、血飛沫のすさまじい音だけがあたりに響く、やがて死の静寂が辺りを覆い、堂内は慄然とした。

朝右衛門は、平伏して礼をし、白紙で刀を拭い、高座を離れて倅、太一郎の隣に座した。

涙があふれ出た、次から次へと涙があふれ出た。公儀介錯人という手前であったが、抑えても涙が止まらなかった。

太一郎は、父の変容に気付き、只ならぬ気配を感じたが、どうすることも出来ず、座して動け無い。

血ぬりの脇差は、証拠として役人が静かに持ち帰った。儀式は終わり、二人は、寺を後にした。

後日、朝右衛門の碁仲間の与力より聞いた話によると、みつが生活の足しにと旅籠で女中奉公をしていた時、江戸より、上方に用事を言いつけられて来ていた、大名の子息関本進太郎なる者に手籠めにされたらしい。その数日の後、みつは、川に身を投げ自害したそうである。

怒った錬三郎は、その子息を江戸まで追いかけて、一刀のもとに片腕を切り落とした。

命を助けたのだけが、せめてもの温情と錬三郎は、主張したが相手が悪かった。いくら出来が悪いとは言え大名の子息、聞く耳もなく公儀より切腹の命が出たそうだ。

更に数カ月が経ち、残された錬三郎の子三人は父切腹の後、大名の子息、進太郎に仇討を図った。進太郎は錬三郎が既にこの世を去り、その子等が仇討に来るとは想像だにしていなかった、大事が済み、油断し友達と酒を飲み、自宅の大名屋敷に戻る途中襲われる。

「父が無念、母が無念、己ひとり生き延びるとは卑怯千判、御命頂戴する」

余程の無念の思いが、兄弟に浸透していた、どっとと三人で襲いかかり、進太郎の首を撥ねた。三人は、引っ立てられ、父錬三郎同様切腹を命じられた。

時節は夏を迎えて参道にも蝉が鳴きはじめた、少し参道の木立を行くと蝉の声も消え、大きな庭に出る。其処には木が無く、陽の光が燦々と照りつけていた。熱く焼けた土ばかりの庭に石道があり、それを渡ると正面に大きな寺が待っていた。太一郎は、今日初めて一人で仕置きを執り行う、今は父に代わり、肥後胴田貫を差し、公儀介錯人山田朝右衛門として意気揚々参上した。これから起る因果の成り行き等知る由も無かったのである。

堂内は静まりかえって、蒸し暑く、風の音すら無い。ほんの数カ月前父錬三郎が切腹した場所で、皮肉にもその子等が切腹する儀式が執り行われようとしていた。

長男陽太郎十八歳、二男次郎太十五歳、三男三麻呂九歳、三人は、神妙な面持ちで粛然と年の順に鎮座している。太一郎は、兄弟の左手に端坐した。

長男陽太郎が末の弟、三麻呂に言った。

「三麻呂、まずは、お前が腹を切れ、仕損じなきよう見届けよう!」幼い弟は、答えて、

「ついぞ見た事がないので如何にすれば良いのかわかりません、兄さんのやる事を真似して後から行きます。」と言った、兄たちは、涙ながらに幼い弟の健気さに心服し、微笑んだ。

「よくぞ言った! 汝、父の子に恥じず!」そう言って、兄たちは、二人の間に三麻呂を座らせた。陽太郎は左の腹に脇差を突き立てて三麻呂に、

「弟よ、解るか、こうやって、あまり深く掻くな、仰向けに倒れるぞ、うつ伏せになって膝を崩すなよ。」二男次郎太も同様に腹を切った、切りながら、幼い弟に言った。

「目をかっと開けよ、さもなければ、女と見間違うぞ、刃先が淀んでも、力が抜けても心鼓舞して最後まで掻き回せよ!」と言って兄たちは、先に息を絶えた。

三麻呂、眉一つ動かさず腹を露にして、兄たちの言うとおり、腹掻っ捌き幼き命を絶った。

堂内にすすり泣く音が聞こえた。見事に父母の仇を討ち果たし、散りゆく心美しき兄弟、勇猛果敢に死に媚びずに逝った。南無観世音菩薩、心でそう言いながら太一郎は、兄弟の首を撥ね、初めての仕置きの辛さに身悶えを覚えた。そして、寺を出るころには、意気消沈し、来た時とは正反対の心持ちであった。滝一族のすべてを悟り、因果な道を選んだ自分を恨んだのである。

家に帰り、父母に今日の出来事を話す。父母は、あまりの無念さを想い、涙し、何処までも続く滝錬三郎の家族の不運を嘆いた。あまりに性急な死を願い、潔さ桜椿の如し、滝錬三郎は、武士であり、子達も立派な武士であった。惜しむに余りある人生を、あっさりと捨て、武士としての生きざまを誇示する、武士とは死ぬことであった。

 それから、朝右衛門は、滝錬三郎との縁を語った。二人とも滝一族の非業の人生に同情の涙を禁じえなかった。今は、滝錬三郎一家の霊を慰める日々である。庭に咲く椿は、今年も美しく咲き、散っていった、滝家の武士達を、そして、みつを思い出さずにおれない陽之進であった。

                         ―武士道よりー

                                    完

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