第一報告【自称「婚活女子高生」】

2:婚活意識高い系女子高生

 科学が発達した現代では、曖昧で不確かなものを、誰もが「本気で信用してはならない」という。


 だから皆、魔法で物質を発火させることは不可能だと思っているし、宇宙人が地球を侵略してくる危険性もないと考えている。身に覚えがない借金の督促状は架空請求詐欺だろうし、密林に潜む未知の生物を探すテレビ番組も、大抵子供騙しにしか過ぎない。

 この世の中では、ごく当たり前の常識だ。


 しかし目に見えるものを盲信することが、いつも必ず正しいとは限らない、とも思う。


 コペルニクスの地動説以前、ヨーロッパの人々は本気で地球が宇宙の中心だと考えていた。

 ニュートリノの質量も、かつては計測できないからって、存在しないと言われていたことがあったんだ。

 つまり、たとえ証明し切れなくても、それが即座に事物の実在を否定できるわけじゃない。


 それどころか、「そんなものはない」と決めてかかるのは、断定による誤解かもしれないし、可能性の放棄かもしれない。

 現実的たらんとするがゆえ、かえって真実を掴み損ねてしまうことも、ひょっとすると往々にしてあり得るのではないか――……



 たとえ言葉に出せば、みんなが馬鹿にして嘲笑あざわらうようなものだって。

 それが無価値な幻想まぼろしだと、誰が安易に言い切れるだろう? 




     ○  ○  ○




 ……目覚まし時計がやかましく騒ぎ立て、新たな朝の訪れを告げていた。


 アラームを止め、枕の上で首だけ捻って日時をたしかめる。

 今日は「文化の日」の翌日、十一月四日水曜日。

 いつも通りの起床時刻だ。

 気だるい身体を引き摺るように、無理やりベッドから這い出した。


 洗面所で身繕いし、学校指定の制服に着替える。

 通学鞄を脇に抱えて、リビングへ顔を出した。


 すでに家族は、俺を除く全員が一日の活動を開始している様子だった。

 母親がキッチンで忙しなく動き回り、ダイニングテーブルには妹の雪子ゆきこが着席している。父親の姿は見えないが、いつも仕事の始業が早いので、とっくに出勤してしまったのだろう。


「おはよう、雪子」


「……おはよう、お兄ちゃん」


 挨拶すると、雪子は素っ気無く返事した。

 妹の視線は、液晶テレビへ向けられたままで、こちらをいちいち振り向かない。

 番組内の芸能コーナーでは、人気歌手の結婚報道で、ファンから寄せられた絶望の声を紹介しているようだ。それを冷ややかに眺めている。

 薄いリアクションだが、別に兄妹仲が悪いわけではない。

 雪子は、元々少し冷めた性格で、口数も多いタイプではないのだ。どこか眠そうな瞳も、日頃からぼんやりしていて、今朝に限った面差しじゃない。


 雪子の向かい側の席に座ると、カウンター越しに母親からトーストやベーコンエッグの皿を手渡された。淹れ立てのコーヒーは、容器からカップへ静かに注ぐ。

 それから、手元にあった新聞へ目を通しつつ、普段と変わらない朝食をはじめた。


 そう、普段と変わらないはずだった。

 トーストを半分ほど食べ終え、テレビ番組が地元のローカルニュースに移った直後までは。



 ――ピンポーンー……♪ 


 そのとき突如、予期せぬ電子音がリビングに鳴り響いた。

 聞き紛うはずもない、来客を告げるチャイムの音色である。

 しかし朝方の、こんな慌しい時間に訪ねてくる客とは誰だ? 

 俺は、嫌な胸騒ぎを覚えた。


「はいはーい」と、母親が小走りに壁の端末まで駆け寄る。

 我が家のインターフォンは、呼び出しボタンの傍に、小型カメラが備え付けられているタイプだ。

 通話スイッチを押すと、端末の画面にカメラの捉えた映像が映し出され、屋内に居ながら訪問者の音声が聞こえるようになる。



「朝早くから失礼します。私、藤凛学園高等学校一年一組で、逢葉純市さんと同じクラスに在籍させて頂いている、希月絢奈と申しますが――」



 スピーカーから流れ出た声を聞いて、コーヒーが気管に入った。


「……お兄ちゃん、汚いよ……」


 ゴホゴホとむせる俺を眼差して、雪子が眉をひそめる。

 口内に含んでいた黒い液体を、咳き込んだ拍子に少しテーブルに吐き出してしまったからだ。

 カウンターにあった布巾を手に取り、急いで汚れを拭き取る。


 そうするあいだにも、うちの母親と思い掛けない訪問客(希月)は、

「純市さんには、日頃から学校で大変お世話になっていて」

「まあ、これはこれはご丁寧に……」

 などと、端末越しの挨拶を交わしている。


 俺は、猛スピードで朝食を掻き込むと、残りのコーヒーで胃袋へ流し込んだ。

 鞄を持って立ち上がり、通話画面の前から母親を引き離す。


「希月。今出るから、もう少しそこで待ってろ」


 端末越しに一声掛けて、俺は玄関で靴を履く。

 希月を放置しておくわけにもいかないし、今日のところは普段より少し早めに登校せざるを得まい。

 ちなみに背後では、母親が「純市、頑張りなさいよ」などと、謎の言葉を発していた。

 無視して聞こえなかったことにする。



「おはよう逢葉くん。ひょっとして、急かしちゃったかな」


 外へ出ると、門の前で希月がにこやかな笑顔で挨拶してきた。制服姿の整った身形で、通学鞄を手に提げて立っている。

 言葉では突然の来訪を恐縮してみせたものの、態度に悪びれたところは微塵もない。


「こんな朝からやって来て、いったい何のつもりだ」


「それはもちろん、逢葉くんと今日から一緒に登校しようと思って」


「今日からって、いつまでだ」


「できれば、死が二人をわかつまで」


「一方的に将来を誓い合った夫婦みたいな関係性を築こうとするな」


 ていうか、死ぬまで学生し続ける気なのかおまえは。


「あと、どうして俺が、おまえと一緒に登校せねばならんのだ」


「えっ、まさか逢葉くんは知らないの?」


「何を」


「同じ高校で学園生活を送る男女が結婚を前提に交際する場合、毎朝二人で登校するのは、もはや鉄則と言ってもいいレベルの定番ラブイベントだよ」


「それは、どこの世界のおきてなんだ……」


 相変わらず高校生の交際に関する前提がおかしい。


「そもそも一昨日おととい、俺はおまえの告白を断ったつもりだったんだが」


「でも、私はあきらめないからって言ったよ?」


 ……根本的に、聞く耳は持たないってことか。


「まあ何にしろ、ここからはお互い同じ通学路をたどらないと学校へ着かないわけだし、そろそろ一緒に登校しようよ」


 希月は、そんなふうに提案すると、俺をうながすように歩きはじめた。

 どうにもめられたみたいで、気に食わない。


 でも、こんなことで遅刻する気にもなれなかった。

 ましてや今朝は、折角早めに自宅を出たのだから尚更だ。

 不本意ながら、希月の思惑に従わざるを得ない。


俺の家うちの場所は、どうやって知ったんだ。ここに来るまで迷わなかったのか」


「住所や電話番号ぐらいなら、学級連絡網さえあれば確認できるよ。お互い同じ一年一組のクラスメイトなんだもの」


 隣に並んでたずねると、希月は歩きながら答えた。


「具体的な位置はね、ネットの地図で検索すればわかるし。念のため、ご町内レベルまで画像拡大して、ここまでの道順や交通機関の路線も調べて来たから」


「……おまえの自宅は、この辺りから遠いのか」


「私の家は、南区だよ。明かりの園一条五丁目」


 その住所からすると、明南中学のあるところか。

 同じ星澄市内で隣の区だが、登校前に俺の家へ寄るのは、かなりの回り道だ。本来なら乗らなくてもいい地下鉄で、三駅分揺られる必要がある。もちろん、通学定期の利かない範囲だろうから、切符代も掛かったはずだ。たしか片道二百円。


 事情を推察してみると、希月を邪険に扱うのもちょっと気が引けた。

 朝からそこまでして訪ねて来たのだと思えば、一緒に登校してやるぐらいはいいか……

 なんて気持ちに傾きかけてしまう。

 いや、いかん。騙されるな俺。


「家電の番号がわかってるなら、せめて事前にこっちへ来ることを連絡しておけなかったのかよ。朝っぱらに唐突すぎるだろ」


「連絡しておけば、私が来るのを歓迎してくれたの?」


 そんなわきゃない。


「そうすれば、電話口で絶対来るなと断っておけたのに、って話だ」


「だったら連絡しても無意味だよ。私、何をどう言われたって、今朝は逢葉くんを迎えに行くつもりだったもん」


「あのな。国家同士の武力衝突でさえ、普通は宣戦布告があるもんなんだぞ。たとえ回避できない悲劇でも、奇襲攻撃は国際法違反だ」


「どんな綺麗事並べたって、戦争なんて勝てば官軍じゃない。正義は弱者の戯言だよ」


 物騒な侵略者も居たもんである。こいつにだけは権力を握らせちゃならない。


「……何を考えているのかよくわからんが、おまえもわざわざ俺と学校へ行くためなんかに、ご苦労なこったな」


「私が考えているのは、どうしたら逢葉くんと結婚を前提にした相手――つまり、婚約者としてお付き合いできるようになるのかってことだよ。そして、そのために必要な努力をしているだけ。これは、私なりに今できるの一環なんだから」


「必要な努力、ね」


 俺が鸚鵡返しにつぶやくと、自称「婚活女子高生」は得意げにうなずいた。


「そう、何事も努力だよ。恋人を作るための努力、交際を維持するための努力、結婚するための努力……。世の中、勉強やスポーツで結果を残すためのものだけが努力じゃないんだから」



 そんな会話を続けているうち、バスの停留所までやってきた。

 雛番中央通り三丁目。ここから東区方面の路線に乗車すれば、藤凛学園前の六花橋りっかばしに着く。

 俺と希月は、同じバスを待つ列の最後尾に、揃って並んだ。

 通勤通学の時間帯だから、当然他にも人が多い。


「俺と登校することを、おまえは婚活の一環だって言うが――」


 車道の交通を眺めながら、俺は質問を続けた。


「他には、どんな婚活してるんだ?」


「うーん、そうだなあ。例えば、逢葉くん以外にも『私の希望条件に合致する配偶者候補がいないかなー』って、適当そうな人材の発掘に勤しんだりしているけど」


「人材発掘って……具体的には、どうやって?」


「それは、合コンに参加してみたりとかだね」


 合コンかよ。

 藤凛学園内でも、しばしば参加者を募って開催している連中が居るらしい、って話ぐらいなら、俺もそれとなく聞いたことはあったが。


「さすがに高校生だと、まだ企業主催の婚活パーティなんかに出席するのは、ハードルが高いから。でもとりあえず、定期的に合コンを覗いてみるようにはしているよ」


「まあ、たしかにガチの婚活パーティだと、回りは大人ばっかだろうからな……」


 無論、大きく年の差が離れていたって、結局は相性なんて人間性次第だろうとは思う。

 とはいえ、希月は未成年だ。たぶん参加自体が認められていないのではないか。主催者側も、公序良俗に反するわけにはいくまい。


「うん、そうなんだよ。それで差し当たりは、合コンしかないの。――もっとも、ああいう場所に来る男子は、これまで見てきた感じだと、私の希望条件には大抵馴染まない人ばかりなんだけどね」


「そりゃあ高校生のうちから、結婚相手を探しに合コンに来る男子はいないだろ」


 ちなみに、女子でも普通はいない。


「『結婚を前提として交際してくれる』っていう部分を、条件から除外したとしてもだよ。……逢葉くんみたいな男の子は、なかなかいないんだから」


 希月は、不意にドキッとさせるようなことをつぶやく。


「これまで、けっこう合コン参加してきたのに――理想の相手が一番身近なクラスメイトだったなんて、まるっきり灯台下暗しだよ」


 褒められたと、短絡的に勘違いしてはいけないと思った。

 俺より遥かにイケメンで、学校の成績も良く、運動が得意な男子生徒は、軽く同じ高校の中を見回しただけでも沢山居る。

 そして、そういう人間と、希月が合コンで一人も出くわしていないとは考え難い。

 とすれば、希月の「配偶者選び」には、何か彼女独自の基準があると見た方が自然だ。


「なぜ、希月は俺に目を付けたんだ」


「うふっ。気になる?」


 希月は、もったいぶった口振りで言った。

 横目でちらっと見てみると、にやけ顔でこちらを覗き込んでいる。

 正直ウザい。


「やっぱどうでもいい」


「ええーっ」


 すぐさま突き放すと、希月は不満げな声を上げた。

 ほんと面倒臭メンドクセェな、こいつ。


「あっ。ちなみに誤解されないよう、念のため断っておくけど――私、頻繁に合コンに参加してるからって、男の子とお付き合いしたこととかまだないから」


「そうかよ」


 そりゃー結婚が前提だって言われたら、躊躇しないやつなんて居ないだろ。


「それどころか告白した相手も逢葉くんが初めてだし、ファーストキスもまだだし、なので当然生粋の処女だからっ」


「ああ、わかったわかった」


 ていうか、過去の合コン全敗ってことじゃねーのそれ。


「むしろ、まだ男の子と手をつないだ経験すらないから!」


「いやそれはどうなんだ」


 そんなふうに希月のカミングアウトを聞いていると、にわかに周囲からの視線を感じた。

 辺りを見回してみれば、バス待ちの列に並ぶ人々がこちらを迷惑そうに眼差している。

 ……一緒に居る俺まで恥ずかしい。


 と、居心地悪さを味わったところに、丁度バスがやってきた。

 列が動き出して、乗車口から内部へ乗客が吸い込まれていく。

 それに倣って、俺たち二人もあとに続いた。

 車内では座席が先に埋まってしまったので、手摺りを掴んで立つ。



「――ねぇ、逢葉くん。どうせだから今、手をつないで一緒に登校してみない?」


 希月は、俺の隣で身を寄せてくると、おもむろに妙な提案を持ち出してきた。

 第三者の目は知ってか知らずか、あくまでマイペースを崩さないなこいつ。


「逢葉くんとなら……私の初めて、あげてもいいよ。結婚してくれるなら」


「いらねーよ。手をつなぐだけでヘンな言い方すんな、ていうか交換条件が重過ぎるわ」


 にべなく却下すると、希月はつまらなそうに口元を尖らせた。


「ちぇーっ。折角、勇気を出して誘ったのに……。これまでは、幼稚園のお遊戯会で同じ班だった男の子とさえ、手をつながずに生きてきたんだよ」


 ……いやいや極端すぎるだろ、それ……。

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