彼女の愛は惑星(ほし)より重い -希月絢奈の婚活報告-
坂神京平
【プロローグ】
1:突然の告白(※ただし重い)
鮮やかなオレンジ色の夕空が、頭上を覆うように広がっている。
暮れなずむ西校舎の屋上に立って――
俺こと
その子のことを、一応多少は見知っている。
彼女の名前は、
俺と同じ、
身体に纏う制服は、襟裾のデザインが特徴的な濃紺のブレザー。ジャケットの下には、清潔そうなブラウスが覗き、胸元で黄色いリボンを結んでいる。白いプリーツスカートから伸びた華奢な足と、それを包む黒いオーバーニーソックスは、少女らしい可憐さの中に不思議な艶かしさが同居しているみたいに見えた。
腰まで届くロングヘアは、ちょっぴり鳶色がかっている。それはたぶん先天的な髪質のせいで、今黄昏の陽を浴びているからってだけじゃない。
「――あのね、逢葉くん」
希月は、両手を自分の胸の上へ重ねて、俺の名前を呼んだ。
宝石みたいに大きな瞳が、こちらを瞬きもせずに見詰めている。
「突然こんなところへ来てもらっちゃって、ごめんなさい」
「いや。それは、別にかまわないけどさ……」
俺は内心、相手の射抜くような視線に怯みながら、少し掠れた声で返事した。
いくら心の準備をしてきたつもりでも、緊張は容易に払い除けられない。
希月の呼び出しは、いかにも古典的かつシンプルな方法だった。
教室の机の中に、一通の封筒が忍ばせてあったのだ。
間違いなく俺の座席、紛れもなく俺に宛てられた手紙。
開封すると、薄いピンク色の便箋が折り畳んで入っていて、放課後に屋上まで来て欲しいと綴られていた。
「私ね、どうしても逢葉くんに聞いてもらいたいお話があったの」
屋上に吹く風に乗って、透き通るような声が俺の耳に届く。
十一月初旬の外気は、すでに冷たい。
けれど、なぜか身体は内側から熱を帯びて、今にも発汗しそうな心地だった。
「それは、とても大事なお話で――少し恥ずかしいけど、思い切って言うね……」
来た。想像通りだ。
俺は、「ああ……」と短くつぶやき、先をうながした。
――希月は、おそらく俺に告白しようとしている。
そう、告白だ。
恋か愛かはわからないけど、この目の前の状況からして、もう疑う余地はなかろう。
この子は、俺に対して好意を抱いてくれているに違いない。
……でも、俺が希月から好かれるようなきっかけって、これまでどこかであったっけ?
一瞬、そんな疑念が脳裏を掠めた。
しかしまあ、いったん措いておくことにする。
クラスメイトの女の子が、まさに告白しようと頑張っているところだ。
まだ余計な口を挟むべきタイミングじゃない。
こういうことには、とても大きな決意やパワーが必要なはずだった。
俺にも、中学校の頃に一度だけ、好きな女の子に告白した経験があったからわかる。
「逢葉くん。――わ、私、逢葉くんのことが――……」
じっと見守っていると、ついに希月の唇が開かれた。
俺は思わず、ごくりと息を呑んで、身構える。
すると、次の瞬間――
「――ちょっと前から好きでした」
……。
んんっ?
何だろう、この微妙な違和感……。
「ちょっと前から」? 「ずっと前から」ではなくて?
けれど、俺が咄嗟の疑問に答えを得るより早く、希月は尚も驚愕の言葉を連ねてきた。
「どうか私と、結婚を前提にお付き合いしてください!!」
…………。
……西校舎の屋上を、再び十一月の寒風が吹き通った。
途端に、全身の熱が奪われていく。ふわふわとした浮遊感が急速に失われ、軽く背筋に震えが走った。
それは、冷たい空気が肌を
「――ええっと。その……」
俺は、どう答えるべきか、大いに迷って口篭もった。
今一度、クラスメイトの顔を覗き込んでみる。
率直に言って、希月絢奈は美少女だと思う。
それもどちらかと言うと、造作の綺麗さの中にも年相応のあどけなさを宿しているような、男子好みされる容姿と言えよう。
そのアイドルめいた風貌には、少しもふざけている様子は窺えない。
つまり、真剣そのものということだ。
いや待て。
希月から告げられた言葉の意味を、もういっぺん整理して考えてみよう。
①:(ちょっと前から好きでした)
②:(どうか私と、結婚を前提にお付き合いしてください!!)
まずは①番。
そのまま受け取るなら、希月が俺に好意を持ったのは、わりと最近だということになる。
と、同時に、それから告白に踏み切るまでも、あまり時間を要さなかったらしい。
次に②番。これが問題だ。
いきなり重い。重すぎる。
少なくとも、高校のクラスメイトに対して、唐突に申し入れるべき告白の言葉ではないと思う。
しかも、この「①番と②番のセリフがワンセットになっている」という事実自体が、俺の理解力や価値観をいささか超越していた。
常識的に考えて、ちょっと前に好きになったばかりの異性に対し、結婚を前提とした交際を持ち掛けることは、性急にすぎる判断ではなかろうか。お見合いの席じゃないだろコレ。
ていうか、俺ら高校一年生だからね?
男子は満十八歳まで、父母の同意があっても結婚できませんからね(民法第七百三十一条)?
などと、脳細胞をフル回転させて、俺が告白してきた相手の意図を分析していると。
「……どうかな? 私が将来配偶者になるのは、何か不満がある?」
小首を傾げながら、希月が問い掛けてきた。
「これでも私、人並み程度には可愛い自信があるんだけど。――あと、学校の成績は中の下ぐらいかもしれないけど、お料理やお掃除は好きだから」
「いや、不満というか……」
それよりもまず不安である。
意味不明という点から言えば、不可解でもある。
しかも、なぜかおもむろに希月の長所を売り込まれてるし。
どうやら、いよいよ悪ふざけじゃないらしい。
これはあれこれ迂遠なことを話していても、おそらく時間の無駄だ。直接訊いてみるしかない。
「な、なんで交際が結婚前提なんだ? もう少し、高校生の男女らしい付き合い方があると思うんだが」
「……ふむ。やっぱり、そこから説明しておかないと駄目なのかな」
希月は、ちょっとだけ恰好を崩すと、浅く何度かうなずいてみせる。それから、こちらを改めて生真面目そうに眼差してきた。
「実は私、『婚活』しているの」
またもや、耳を疑うような単語が飛び出してきた。
「――こ、こんかつ? 婚活って、あの結婚相手を探すっていう……?」
「そう、その婚活。逢葉くんも、わかるよね?」
そりゃあ、そういう言葉があることぐらいは知ってるさ。
でも、高校生で婚活してるっていう女の子を、初めて見たような気がする。
これはあくまで個人的な、漠然とした先入観だけど――
婚活というのは、大抵「二十代の半ばを過ぎた頃ぐらいから、結婚を意識しはじめたけれど身近に相手がいない場合」にするものだと、俺は勝手に思い込んでいた。
もっとも、よくよく考えてみれば、「婚活は××歳からはじめなければならない」なんて
とすれば、俺たちぐらいの年齢でもアリなのか。
婚活する女子高生。マジかよ。
「で、逢葉くんに今告白したのも婚活の一環だから、それに伴う交際が結婚を前提とするのは当然だよ」
うーむ、なるほど。
そうかー婚活の一環かー、だったら仕方ないなー。
……なんて、即座に納得できるわけがない。
「いや、悪いけど、まだ俺は希月のことをよく知らないし」
俺と希月は、かれこれ半年ぐらいクラスメイトではある。
だが、裏を返せば、それ以上でも以下でもない。
何となく、名前と顔を知っている程度の関係性。それだけだ。
強いて、俺が知っていることと言えば、たった今この子から自己申告でもたらされた情報ぐらい。
むしろ、今日屋上へ呼び出されるまで、高校在学中に自分と接点が生ずる可能性はない女子の一人だとすら思っていた。
いくら希月が婚活だなどと言い張っても、どんな性格なのかもよくわからない女の子と、短絡的に結婚を前提とした交際をはじめたりしていいものだろうか。
だいたい、この子にしたって、これまで俺と特段親しくしてきたわけじゃない。
とすれば、条件は同じはずだ。
まだ、あまりにも、お互いに対する情報が不足しているはず――
そんなふうに思ったのだが、希月は奇妙なことを言い出した。
「でも私の方は、それなりに知っているつもりだけど。逢葉くんのこと」
「――はあ?」
にわかに虚を衝かれて、つい変な声が出てしまう。
希月は、そのあいだに制服のポケットから、ちいさな手帳を取り出した。赤く可愛らしい装丁の革表紙を開くと、ページを捲って何やら読み上げはじめる。
「……『【逢葉純市】、××年九月七日生まれ・乙女座(十六歳)・血液型O(Rh+)、身長百七十三センチ・体重五十九キロ。藤凛学園高等学校一年一組在籍(出席番号一番)、出身中学は
……へっ? ちょ、それ――……
「『交友関係についても、割り合い平均的な人付き合いの範囲を持つ。一年一組の男子生徒では、特に
「って、おい希月待て待て!」
「『高校卒業後の希望進路は、文系大学の法学部。将来は、地方公務員になることを志望。基本的には真面目で誠実な性格だが、時折融通が利かず、頼まれ事を断り切れないお人好しな面もある』と。――まあ、私が把握しているのは、そんなところ」
希月は、一気に読み上げ、ぱたんと手帳を閉じると顔を上げた。
「どうかな?」
「ど、どうかなって……」
「今、じかに逢葉くんと会って、多少話してみた印象としては、それほど的外れな内容じゃなかったように思うんだけど」
俺は、呆気に取られて、目を剥いた。
意味がわからない……。
答えから言えば、希月が開陳してみせた情報は正しい。
それどころか、かなり高い精度で、事実を網羅しているとさえ言っていいだろう。
だが、取り分け重要なのは、この際そこじゃない。
「どうやって俺のことを、そんなに詳しく調べたんだ?」
個人情報の取り扱いが、しばしば社会問題として取り沙汰される昨今ではある。
しかし、まさか我が身にそうした物事が、かくも生々しいかたちで降り掛かって来るとは思ってもみなかった。純粋に怖い。
「まあ、婚活しているんだから、これぐらい相手のプロフィールをチェックしているのは、当たり前だよ」
一方、目の前の自称「婚活女子高生」は、満足そうな笑みを浮かべる。こちらの反応を見て、自分が掴んでいる情報の正確性を確信したのかもしれなかった。
もっとも、それは俺が望んだ質問の答えにはならない。
だから食い下がろうとしたのだが、希月は先を制して、自分の話を進めようとした。
「ねぇ。そういうわけだから、私とお付き合いしようよ逢葉くん。そんなに悪い話じゃないと思うんだけどっ」
「そういうわけって、どういうわけだよ」
「それはやっぱり、婚活学生として、いずれはお互いに将来を誓い合う関係を目指さないといけないわけじゃない?」
「婚活学生って、就活学生みたいに言うなよ。ていうか、その言い方だと、いつの間にか俺まで婚活はじめてるように聞こえるだろうが」
「じゃあ折角だから、逢葉くんもこの機会に初めてみない? 差し当たり、私とお付き合いしてみるところからどうかな。もちろん結婚を前提に」
「人知れずクラスメイトの個人情報を入手して喜んでいるような女子を、どうすれば交際相手として信頼できるんだ!?」
その後もしばらく、俺と希月はちぐはぐな会話を続けた。
けれど、どうにも噛み合わず、要領を得ないまま時間だけが過ぎていく。
ふと気付くと、すっかり辺りは薄暗くなっていた。
それまで校庭から繰り返し響いてきた運動部の掛け声も、すでにほとんど聞こえない。
時計を見ると、そろそろ運動部員でも下校する生徒が多くなる時刻だ。
屋上も一段と冷え込んできた。
このまま、ここに留まり続けるのは少々厳しい。
なので、尚もやり取りしながら、俺と希月は結論の出ないまま校舎へ入った。
「希月には悪いけど、おまえと付き合う気にはとてもなれそうにない」
「逢葉くんも、思いのほか贅沢だね。私のどこが気に食わないの?」
「まずこの会話の内容とかだな。絶対わかってて訊いてるだろ」
そうして、他に誰も居なくなった教室まで一緒に戻ると、各々通学鞄を手に取る。
昇降口で靴を履き替え、並んで校門を潜った。
……なんだこれ。
かの婚活女子高生(自称)は、そのあとも俺が停留所でバスに乗り込むまで付いて来た。
「ねぇ、逢葉くん。君のこと、簡単にあきらめたりしないからね私」
乗車時の別れ際、希月はそんなことを言った。
ほどなくバスが動き出し、彼女の制服姿が遠ざかる。
窓側の座席へ腰を下ろすと、つい溜め息が漏れた。
今更なのだが、教室で呼び出しの手紙を入手して以降、告白を受ける直後まで――
俺は、今日一日を随分と浮付いた気持ちで過ごした。
何も知らなかったとはいえ、希月は相当な美少女だし、そういう状況で泰然と構えられるほどの人生経験は、まだ足りていない。
ただ、渋々振り返るなら、過去の自分を一発殴って、警告してやりたかった。
「可愛い容姿に騙されて、希月絢奈に油断するんじゃないぞ」と。
……そして、この二日後、俺は彼女の恐るべき執着心を思い知る。
希月の「婚活」は、決して生半可じゃなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます