【エピローグ】
30:婚活の終わり(前)
イヴの夜が明けた翌日、つまり十二月二十五日金曜日。
クリスマス当日にも藤凛学園では、当たり前のように冬期講習が実施されている。
俺は、午前に
希月は、昼まで花屋の手伝いに駆り出されたあと、午後から出席して、同じ講習を受けるという。
俺は、休憩時間になると、希月が登校してくる前に恋愛相談所を訪ねてみた。
一応、天峰には、昨夜の一件を踏まえた上で、希月のことを話しておこうと思ったのだ。
ところが、占星術研究会の部室まで来てみると、何やら普段と様子が違う。
出入り口のドアを叩いてみても、室内から誰も返事を寄越さなかった。
思い切ってノブを回してみたけれど、鍵が掛かっている。
困惑せざるを得なかった。
なぜなら、天峰には事前にメッセージを送っていて、
「休憩時間に占星術研究会の部室へ行く」
と、連絡を付けておいたはずだったからだ。
それで仕方なく、スマホで改めて電話してみる。
すると、コール音が二回鳴ったところで、突然目の前のドアが開いた。
そこから姿を現したのは、他ならぬ天峰だ。面差しは険しく、両目が警戒心露わに周辺の様子を窺っている。
どうやら、ちゃんと室内で待っていたようだ。
電話の呼び出しで、来訪者が俺であることを確認してから出てきたらしい。
「――他に誰も居ないみたいだね。さっ、こっちに入って逢葉くん」
天峰は、早口で急き立てた。
何事かとたしかめる間もなく、俺は腕を掴まれ、部室の中へ引っ張り込まれる。
「実は現在、我が恋愛相談所は存続の危機に瀕してるの」
「……はあ?」
「生活指導教員に目を付けられるようになっちゃってね。まったく冗談じゃない」
天峰は、苛々した口振りで説明しはじめた。
「生徒会副会長の不二崎先輩のことは、随分以前に話したことがあるね。――あの人が、私たちを裏切ったんだ」
十月の生徒会役員選挙で副会長に当選した不二崎先輩は、その後慣例に倣って、最恋愛相談所の斡旋で風紀委員の一年生女子と交際するに至っていた。
しかし、恋人同士になってほどなく、二人のあいだに様々な問題が生じはじめたそうだ。
三人兄弟の三男だった不二崎先輩は、「年下の女の子」に対し、かなり偏った思い込みや妙な妄想を抱いていたらしい。
しばしば「血のつながらない妹が欲しい」などと周囲に漏らし、実際に交際相手には「お兄ちゃんと呼んでくれないか」と真顔で持ち掛けていたとか。マジかよ。
「そういったような調子だったせいで、先月ぐらいから不二崎先輩と交際相手の子の関係は、色々とギクシャクしてきてたのだね」
「で、その二人は結局どうなったんだ」
「つい先日、見事に破局したわ。まあ、むべなるかな、って感じだけどね。……だけど、問題はそれでこの話が終わりじゃないことなんだ」
天峰は、嘆息混じりにかぶりを振ってみせた。
「何しろ、フラれた時期が悪かった。クリスマス直前だったわけじゃない? 不二崎先輩は、一人であれこれ期待して、下心満点でイヴの夜が来るのを待ち構えていたみたいなの。――でも、それがあと一歩ってタイミングで御破算になって、滅茶苦茶に荒れた」
天峰の話によると、逆上した不二崎先輩は、
「自分が後輩の子から嫌われたのは、恋愛相談所のせいだ!」
などと言い出したのだという。
交際相手を斡旋してもらっておいて、まったく酷い責任転嫁だ。
しかも半ば自棄になったのか、生活指導室へ駆け込み、担当教員に占星術研究会が恋愛相談所として副次的活動を行っていることを暴露したらしい(!)。
無論、それによって、天峰たちが様々な生徒の個人情報を収集したり、合コンを頻繁に企画していることなどが明るみに出てしまった。
恋愛相談所にとっては、予期せぬ痛打である。
やっぱり世の中、「絶対に間違いが起きない管理体制」なんて、ありゃしないな。一見堅牢そうに思えるシステムでも、些細な不測の事態から崩壊するもんだ。
にしても、ここのところ天峰が忙しそうに立ち回っていた原因は、これだったのか……。
「とにかく、それで最近部室には、ちょくちょく生活指導の先生が部内活動の査察を要求しに来るんで、居留守を使ってやり過ごすことにしてるわけ」
天峰は、いつもの高音域の声を潜めて、弱々しく言った。
まるっきり、借金の取立てから逃げ回ってるような状態じゃねーか。
しかもこれ、今は冬期休暇中の講習期間だから誤魔化せてるものの、三学期がはじまって天峰のクラスまで押し掛けられたら、万事休すなんじゃないのか。
まあ、ぶっちゃけ身から出た錆以外のなにものでもないので、同情の余地はないが。
しかし、こいつがそんなヤバい橋を渡ってるとなると、俺もここに長居して、相談所との関係を勘繰られるのは得策じゃないな。
希月の件を話すのは、また今度にするか。
「そういえば天峰、来たばかりなのに悪いんだが、急な用事を思い出した。午後の講習がはじまる前に、そっちの件を片付けなきゃいけなかったんだ――じゃあな」
「ちょ、ま、待ちなさいって! 絶対それ、今思い付いた用事でしょ!?」
その場を立ち去ろうとすると、天峰はみっともなく泣き付いてくる。いつもの小策士的な余裕の欠片もない。
「お願い助けて逢葉くん! このままじゃ占星術研究会も廃部になっちゃうかもしれないし、私も笠野先輩も、部員がみんな先生に怒られちゃう!」
「知らねーよ自業自得だ! それにおまえ、彼氏居るんだろっ!? そいつに頼めよ!」
「無茶言わないで! 悪いけどあたしの彼氏って、アイドルグループ『竜巻』の小野くん似で子犬系カワイイ男子だから、こういうときには全然頼り甲斐ないんだからねー!」
「ざけんな! なんでそんな男と付き合うことにしたんだよ!」
「好きだからに決まってるじゃん! 主に顔とか!」
「やっぱり顔かよ!? 別れてしまえそんな男ー!」
○ ○ ○
天峰は、しばし執拗に引き止めようとしてきたが、俺は何とか占星術研究会の部室から逃げ出した。
学食で軽く昼飯を済ませ、午後の講習に出席する。
指定の教室に入って、内部を見回した。
――居た。希月だ。
ちゃんと登校して、窓際の座席で先に着席していた。
幸い、まだ隣の席が空いている。
歩み寄って、「よう」と声を掛け、横に腰掛けた。
希月は、「こ、こんにちは……」と、目線を逸らしながら返事を寄越す。やや頬が赤い。
何やら、ほんの少し身構えているようだ。以前までの態度を思い返してみると、別人の如き反応で、新鮮さすらある。
興味を引かれて横顔を眺めていると、おもむろに希月から切り出してきた。
「……朱乃宮さんは、来てないのかな」
「遥歌なら、篠森と一緒に別の教室だ。あの二人は理系志望だから、数学の講習を受けてる」
教えてやると、希月は「そうなんだ」と、小声でつぶやく。
「遥歌のことが気になるのか。――あいつがまた、例の嗜好のせいで、俺たちの様子をどこからか覗き見でもしてるんじゃないかと」
「そんなことはない、けど……」
「安心しろ、たぶん昨夜はたまたまだよ。クリスマスイヴだってんで、大方あいつも無駄に妄想が先走って、辛抱堪らなくなったんだろ。あれでも普段は、素の本性がバレたり、周囲に迷惑が掛からないように、自分を厳しく律して生活しているみたいだからな」
親しい相手にも、いつも「ですます」調で話したりするのだって、謂わばあの子が己に課した戒めみたいなものの表れなのだ。
ちなみに当の遥歌だが、今日の午前中に会ったときには、すでにいつも通りの穏やかな物腰だった。展望台で目も覆いたくなるような痴態を曝していた女の子と、同一人物だとは信じ難い。
まさしく二つの顔を持つ女だ。切り替えが完璧すぎて、逆に怖い。
ちなみに余談であるが、我が級友・棚橋は本日の講習をすべて欠席している。
イヴの聖戦(※棚橋談)で撃沈し、心の傷が癒えていないそうだ。
まあしかし、どうせ年内にはあっさり回復して、次の出会いを探しに出掛けるのだろう。それが恋愛まで発展する日が来るのかどうかは、わからないが。
やがて開講時刻が来ると、古典教師が現れて、教壇に立った。
参加の生徒が皆、一斉に静まり、俺と希月もそれに倣う。
以後かっきり九十分間、土佐日記の解説がなされ、黒板の例題に取り組んだ。
講習終了後、俺はすぐさま希月にこのあとの予定を訊いた。
二人でゆっくり、身の回りのことを話したかったからだ。
誘いを持ち掛けると、希月はしおらしくうなずいた。
藤凛学園の敷地を出ると、俺と希月は喫茶店「鍵-シュリュッセル-」へ向かうことにした。
立ち寄るのは約一ヶ月振りだが、近場で落ち着くには丁度いい。
注文を頼んでから、俺はまず恋愛相談所の件について話した。
このままだと、占星術研究会ごと取り潰され、合コンの開催を取り計らったりする組織が、今後学園内からなくなるかもしれない――と。
対する希月の反応は、若干複雑なものがあった。正直言うと、その心理を隅々まで洞察することは、おそらく難しい。
この子にとって、あの相談所はかつて高校生活に大きな比重を占めていた。色々あったにしろ、いまだ天峰未花も友人として嫌ってはいないという。
そういった点からすれば、占星術研究会の廃部は、希月にとって青春の一部分の喪失だ。
とはいえ「近江同盟」のせいで、すでに信頼を寄せられる組織じゃなくなっていることも事実だ。
……そして、恋愛相談所が解体されれば、管理下にあるネット上のSNSも閉鎖される。
無論、それで学園内から偏向的な価値観の集団がなくなるわけじゃない。
近江だって、周囲に迷惑を掛けずに恋愛ができるほどには、まだ自由な身にならないだろう。
だが少なくとも、「近江同盟」は今より勢力を弱め、あるいは俺たちの目に触れる場所へ出て来ることがなくなると思う。
「この件を聞けば、一番がっかりするのは棚橋くんかもしれないね」
希月は、ダージリンティーを口へ運びながら言った。
「……おまえは、どうなんだ?」
問い掛けながら、俺もブレンドコーヒーを口に含んだ。
「希月は、今後『婚活』を再開したくなったとき、恋愛相談所がなくなってしまったら、困るんじゃないのかよ」
その疑問は、ごく素朴で率直なものだった。
――俺にとっては、そのつもりだった。
ところが希月は、にわかに意外な表情を浮かべた。眉根を寄せて、まなじりを釣り上げ、への字に口元を歪めつつ、こちらを睨み付けてきたのだ。
「逆に訊くけど――逢葉くんは、私にまた『婚活』を再開して欲しいのかな?」
俺は、カップを皿の上へ戻して、正面に向き直る。
二人の視線が、互いに宙でぶつかった。
「……いいや」
宝石みたいに大きな瞳を、俺はじっと見詰める。
そこには紛れもなく、昨夜見た愛らしさが、煌めきと化して湛えられていた。
目を合わせているだけで、吸い込まれそうな心地になる。
「希月には、俺のことだけを見ていて欲しい」
何の躊躇もなく、そんな言葉が自然と口をついて出た。
途端に、希月の顔が首の下から、みるみる真っ赤に染まっていく。
「……うん。あ、逢葉くんが、そう言うなら……」
耳の先まで赤くすると、希月は僅かに上擦った声で答え、生真面目にうなずいた。
それから、自分の頬を両手で挟み、居心地悪そうにうつむく。次いで今度は、「……う、ううう~っ……」と、痛みを訴えるように唸りはじめた。
「わ、わたっ――私、どうしちゃったんだろう……。ヘンだよ、こんなの。何だかわけがわかんない。……ずっと、昨日の夜から、不思議な感じがして……」
ああ……
俺は、希月が苦悶する原因を、ただちに正しく理解した。
それはこの子の言動が、これまでと大幅に急変したこととも、無関係ではない。
きっと希月は、星澄タワー展望台での一件を、ずっとあれから意識しているのだ。
そして、打算塗れの「婚活」を続けてきたことに思いを致せば、ひょっとするとこんな経験は初めてなんじゃないかと思う。
……ただし俺の知る答えを、ここで仮に伝えたとして、この子が素直に受け入れるかというと、それもすぐには難しいかもしれない。
なぜなら、それこそこの答えに属すものは、目に見えない何か――
希月が嫌っているはずの、曖昧で不確かなものの一種だからである。
だから、俺は差し当たり、少し遠回りすることにした。
「あのさ、希月。――おまえは以前、自分の『市場価値』に照らして、手堅い将来設計が期待できそうな相手と、失敗のない恋愛をしたい、っていうようなことを言っていたよな。そうして、ゆくゆくは必ず責任を取らせて、その相手と結婚するんだとも」
そんなふうに話し掛けると、希月は我に返った様子で顔を上げた。
「だけどさ……そういう打算で、恋愛や結婚が成功したとしても、失敗や
「ど、どういうこと?」
「つまりだな。例えば、ある日突然、配偶者が重い大病を患って――働くことはおろか、健常者みたいに歩いたりすることさえ困難な身体になってしまったとしよう。そんなとき、おまえはいったいどうするつもりなんだ?」
投げ掛けられた質問に、希月は息を呑んで口を閉ざした。
かすかながら狼狽が窺える。明らかに回答に詰まって、困惑している様子だった。
そうだ、よく考えてもみればいい――
結婚したら、もう家族なのだ。
それは、利害関係とか損得勘定だけで結び付いて、いつまでも継続し得るような間柄じゃない。一緒に居るのが割りに合わなくなったからって、とっとと見捨てて別れたりできるようなものとは違うんだ。
これまで希月は、「未来」の不安を恐れてきた。
それゆえ、目に見えるものしか信じないと言い、曖昧で不確かなものを、ことごとく拒絶しようとしてきたのだ。
けれど、たぶん未来の不安が何もかも取り除かれることは、誰の身にも絶対にない。
残念ながら、それこそがむしろ本当の現実だと思う。
ならば、打算のみで支えられる関係性が、そんな未来を乗り越えられるはずがない。
実際的な基盤は重要だが、生きるための支えとしては、それだけじゃ足りないのだ。
そろそろ希月も、大切なことを察しはじめているだろう。
……目に見えないものの中にも、否定されざるべきものがあることに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます