27:恋の惑星探査法

「こちらに来ないということなら、希月さんはやはり自宅に居るんでしょうか」


 遥歌は、ちょっと思案するように首を傾げた。


「自宅か……」


 バイトがすでに終わって、外出したわけでもないとすれば、当然そうなる。

 だが、俺のスマホに登録されている電話番号は、あいつの家の固定電話のものではない。


 ……いや、待てよ。


「どうやら、打つ手がありそうだ」


 俺は、スマホの画面をタップして、耳に当てた。

 コール音が鳴るあいだ、相手が出るのを待つ。

 六、七回目の呼び出しで、電話がつながった。


《……はい、逢葉です》


 いつもの淡々とした声が応じる。

 妹の雪子だった。

 そう、俺は自分の家に電話したのだ。


「俺、純市だけど」


《……ん。ナンバーディスプレイで、わかってる……》


「少し頼み事があるんだ。藤凛学園一年一組の連絡網で、希月の自宅の電話番号を調べてくれないか」


 かつて、希月が雛番の自宅を初めて訪ねてきたとき、同じ手段を取ったと聞いている。

 スマホの電源は容易に切ることができても、家族と同居している限り、固定電話はそうもいくまい。

 少なくとも、あいつが家に居るかどうかは確認できるはずだ。


 雪子は、すぐに《うん、わかった……》と、短く承知してくれる。

 電話相手が母親じゃなくて助かった。

 我が実妹は、「急にどうしたの」だとか、余計なことを詮索しない。


 少し待つと、雪子が電話口に戻ってきて、電話番号はメールでそっちに送っておいたよ、と告げた。

 礼を言って通話を切り、たしかめてみるとメールの着信がある。

 改めて、そこに記載されていた電話番号に掛け直した。


 身動ぎもせず、コール音を聴く。

 何だか、今更のように緊張してきた。

 家族共用の固定電話――それも、クラスの女子の家に直接掛けるだなんて、あまりあることじゃない。



《はい、希月です》


 電話口に出たのは、女性だった。

 相手の声は、聞き慣れたものによく似ている。

 けれど、どことなく雰囲気が違っていた。


「あの、夜分にすみません。藤凛学園で絢奈さんのクラスメイトの、逢葉と申しますが」


《――まあ、君が逢葉くん?》


 先方は、俺のことを知っているようだ。

 しかしこの反応からして、やはり電話に出た女性は、希月本人じゃないらしい……

 なんて考えを巡らせていたら、こちらが次の言葉を切り出すより先に、通話相手が自ら素性を明かしてくれた。


《いつも妹がお世話になっています。姉の香奈です》


 あっ、と危うく声が漏れそうになるのを、俺は慌てて堪えた。

 この人が、希月のお姉さんか。

「これはどうも、こちらこそ……」などと、つい芸のない返事をしてしまう。

 こっちから電話しておいて、逆に意表を衝かれたような恰好だ。我ながら情けない。

 けれど幸いにして、香奈さんはこちらの様子を気にしていないみたいだった。


アヤ絢奈ちゃんに御用だったのかしら? ――でも、たしかあの子、今日はみんなで集まって遊ぶからって、さっき家を出て行ったはずなのだけれど……》


 その言葉で、希月が自宅に居ないことが判明した。

 ついでに、どうやらあの子が、香奈さんにも遥歌に対するのと、同じような嘘を吐いていたらしきこともわかる。

 ここはいったん、適当に経緯を誤魔化しておくべきか。


「ええ……それなんですが、どうも少し連絡に行き違いがあったみたいで。約束の時刻を過ぎても、絢奈さんと合流できていないんです」


 俺が調子を合わせて言うと、再び電話口から《まあ……》と、驚きの声が聞こえた。

 どうやら、希月や俺の作り話を、すっかり信じ込んでいるみたいだ。わりとお人好しな女性らしい。

 やや罪悪感が湧いたけど、思い切って続けた。


「これはもしかすると、お互い待ち合わせの場所か時間を勘違いしたのかもしれないな、と。すぐさま絢奈さんに連絡を取ろうとしたんですけど、なぜか彼女のスマートフォンには電話がつながらなくて。――それで、すでに集まった仲間内では、ひょっとしたらまだ自宅に絢奈さんが居るんじゃないかって話になって、一応確認させてもらおうとしたわけだったんですが」


《それは、本当にごめんなさい。……今言った通り、アヤちゃんはバイトから帰ってきたあと、そのまま外出してしまったから……》


 香奈さんは、少し心配そうに言った。それも致し方あるまい。

「俺と希月が合流できていない」ということは、あの子が単独行動している可能性が高い、ということでもある。

 今日はクリスマスとはいえ、年頃の女の子が夜の街をうろついているだなんて、当然好ましい状況じゃなかろう。アトラクションの都合があったとはいえ、以前にデートしたときであれば、今は帰宅しようとしていた時刻に近いのだ。まして近年は星澄市内でも、夜間は治安のいい場所ばかりじゃない。

 さすがに、行方が気になる。


「絢奈さんは、行き先について、何か言っていませんでしたか? つまり、一緒に遊ぶ友達との待ち合わせ場所のことですが」


《……ええと……たしか、星澄駅に行くんだって、そういった話をしていたようだけど……》


 JR星澄駅。

 そりゃ中央区じゃねーか。

 成り行きとはいえ、面倒なことになってきた。

 けれど、そうと聞かされたら、今更無関係を決め込むわけにもいくまい。


「わかりました。それじゃあ、絢奈さんと合流できないか、こちらで少し探してみます」


《ええ……はい、すみませんけど、よろしくお願いします》


 香奈さんは、すっかり恐縮した様子で言った。なんだか電話の向こう側で、頭を下げている仕草が目に浮かぶみたいだ。


 さて、差し当たり用件は済ませた。

 なので、もう電話を切ろうとしたのだが、そうすると思い掛けなく制止するように話し掛けられた。


《あの、ところで逢葉くん》


「……はい?」


《――できればいずれ、君とは直接会ってみたいな。アヤちゃんが好きになった男の子と、一度ちゃんとお話したいから》


 思わず一瞬、口篭もってしまう。

 そのあと、二、三、言葉を交わした気がするのだが、最後に調子を狂わされて、自分でも何をしゃべったのかよくわからない。

 スマホを耳から話し、液晶画面で通話の終了をたしかめたときには、自然と溜め息が漏れた。

 突然、どきっとさせることを言い放つあたりは、やはり希月の姉らしい。



「どうでしたか?」


 電話のやり取りについて、遥歌がまだ少し難しそうな顔で訊いてきた。

 希月は自宅に居なかったこと、中央区方面へ行くと言って家を出たらしきことなどを、掻い摘んで伝える。

 ――それから行き掛かり上、希月を探さねばならなくなったことについても。


「まあ、ひょっとしたら、あいつはあいつで今頃、遥歌に俺を押し付けておいて、自分は別の友達と遊んでるかもしれないんだが」


「……いえ。さすがにそれはないと思いますよ」


 俺は、楽観的な可能性も提示してみせたのだが、遥歌は緩やかにかぶりを振った。


「さっきの話を聞いた限り――そもそも今夜、純市くんが希月さんを誘った経緯自体、彼女を何とか励まそうとしたからでしたよね? 裏を返すと、それほど落ち込んでいるように見えた女の子が、クリスマスになったからって、突然みんなと陽気に遊ぼうと考えるでしょうか」


 遥歌の意見は、たしかに尤もだった。

 とすれば、やっぱり希月は、今も夜の街に独りきりで居ることになる。

 あいつめ、本当にいちいち手が掛かるな……心配させおって。



 何はともあれ、中央区まで行かねばならない。

 ただし、手短に話し合った結果、星澄駅へ向かうのは俺だけになった。

 遥歌には、折角来てくれたのに申し訳ないけど、取って返して帰宅してもらう。

 夜の寒さが増しつつある中、付き合わせるのはますます悪いし、年頃の女の子を一人にしておけないのは、希月と同じだ。


「こんな寒い中を来てもらったのに、悪かったな。気を付けて帰れよ」


「はい。純市くんは、頑張って――」


 遥歌は、穏やかに微笑してみせた。


「希月さんのことを、ちゃんと見付け出してあげてください」



     ○  ○  ○



 新冬原駅へ取って返すと、俺は東西線を中央区へ向かう地下鉄に飛び乗った。

 四区間ほど揺られれば、星澄市の中心部に到着する。

 ホームを抜けて、階段を駆け上がり、改札を電子マネーカードで潜った。

 星澄駅の構内は、JRと地下鉄のフロアが地下街を挟んで、上下に連結している。

 なので、そこから真っ直ぐ二階ぶん上がれば、地上のJR北側出入り口はすぐだった。


 人波の隙間を縫って進み、駅の構外へ出る。

 その先にあるのは、もちろん夜の駅前広場だ。


 と、にわかに寒風が吹き付け、冷たいものが頬に触れた。

 はっとして、夜闇に目を凝らす。


 雪だった。

 無数の白い結晶が、宙で街の光を反射して、きらきら儚く煌めいている。

 予想通りの空模様になってきた。


 もっとも、今はホワイトクリスマスを歓迎できる気分じゃない。

 広場の大時計を眼差すと、針は午後七時四十五分を回ったところだった。急ごう。


 俺は、イヴの街中を走り出した。

 実はこのとき、希月の足取りを追うにあたって、まるっきり闇雲だったわけじゃない。

 仮に香奈さんから、「星澄駅」という言葉を聞いていなかったとしても、俺はやはりこの中央区を目指していただろう。

 なぜなら、あるひとつの心積もりがあったからだ。


(……曖昧で不確かなもののせいで、お姉ちゃんは恋愛に失敗した)


 半月ほど前、希月はそんなことに言っていた。

 そして、いつの間にか自分も、同じように曖昧なものに踊らされていたのだ、とも。

 ――それでは、あの子が自らと照らし合わせていた実姉・香奈さんは、調? 

 俺は、希月に聞いた話で、それを知っている。


 広場を離れて横断歩道を渡ると、駅前の交差点を背にして立ち止まった。

 人ごみの只中で、目の前の巨大建造物を仰ぎ見る。

 あたかも、雪降る夜空を貫いて、遠く彼方の惑星ほしまで届けと言いたげに――

 その大天使の塔は、純白に輝きながら、そびえ立っていた。


 そう、星澄セラフタワーだ。


 出入り口の自動ドアを潜り、玄関ホールを突っ切る。

 一階店舗フロアを直進すると、他の客に紛れて中央エレベーターへ駆け寄った。

 エレベーターガールのお姉さんに移動先のフロアを告げて、内部へ乗り込む。

 エレベーターの壁面にもたれ掛かって、頭上のフロア表示を眼差した。

 二階、三階……、十階……、二十階……

 途中で何度か、入れ替わりに乗客が乗り降りしつつも、エレベーターは上昇を続けた。


 やがて目的のフロアに到着し、ドアが左右に分かれて開く。

 我先にと飛び出して、俺は周囲の様子を窺った。

 エレベーター前から、真っ直ぐ正面に通路が伸びている。

 そこをまた早足で進み、このフロアのメインスペースへ出た。


 展望台である。

 ここは地上三十階、タワー最上層だった。

 このフロアこそ先月十五日、香奈さんが婚活パーティの後にやって来た場所のはずだ。


 近代的なデザインで、広々とした展望台には、しかし大勢の人が溢れていた。

 食事や買い物を済ませたあと、イヴの記念に訪れたという人も少なくないのだろう。


 フロアの外壁は、ほぼ九割が足元から天井まで達するガラス張りだ。

 そこから、見事な夜の街並みが見晴らせた。

 無論、外は雪で、上空は半ばが雲に暗く覆われている。

 けれど、眼下で光る人工の灯りが、広大な闇の空間をある種の規則的な配置で照らし、幻想めいた趣きで演出していた。

 誰もが言葉少なになって、ガラス越しの光景に目を奪われている。


 そんな展望台の中を、あちこち見回しながら歩いた。

 俺は、すれ違う人や佇んでいる人の姿を、一人ひとり注意深くたしかめていく。


 ……そして――……

 見付けた。

 やっぱり、思ったとおりだった。

 鳶色がかった長い髪は、後ろ姿でも見紛うはずがない。


 希月絢奈が、すぐそこに居た。

 白いニットのトップスと膝上のスカートを着用し、ベージュのジャケットを羽織っている。フロア外縁部の手摺りへ寄り掛かるようにして、暗がりに浮かぶ街を見詰めていた。宝石みたいに大きな瞳には、複雑な色が映り込んでいるかに見える。


 俺は、いっぺん深呼吸して息を整え、希月の傍へ歩み寄った。

 数メートルの距離まで近付き、声を掛ける。


「おい、希月っ」


 名前を呼ぶと、華奢な身体がびくっと震える。

 希月は、半身で振り返って、肩越しにこちらを眼差した。その顔は、驚きと困惑、それとなぜか畏怖にも似た感情が混ざり合って、複雑な表情を形作っている。

 互いの視線が、相手を捉えた。


「――い、いやっ!」


 希月は、短い悲鳴を上げて、後ずさるように手摺りから離れる。それから、不意にきびすを返し、展望台の出入り口とは反対方向へ駆け出した。


「何だよ希月!? どうして逃げるんだ!?」


 わけがわからず、咄嗟に叫んで追い掛ける。

 人と人の合間をすり抜け、タワー最上階の外縁部を、奥へ奥へと駆け足で進んだ。

 直線的に走れないので、追い縋るのも一苦労だった。

 途中で第三者にぶつかったりして、事故にならないようにも気を付けなければならない。


 だがそのうち、フロア内がやや薄暗くなり、周囲に人気がなくなった。

 どうやら、展望台になっている区画の中でも、タワーの裏側にあたる場所らしい。

 こちら側からは、市内中心部の夜景が見渡せないせいで、興味を示して近付く人は少ないのだろう。

 けれど、希月を追い掛けるに際して、それは好都合だ。


「だから待てって希月、おいっ!」


 ――ようやく、追い付いた。


 俺の右手が、ついに希月の手首を掴まえる。

 そのまま立ち止まって、こちらを強引に振り向かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る