26:クリスマス・サプライズ

 多少悩んだものの、俺は仕方なく棚橋の助言に従うことにした。


 この一ヶ月半、希月には散々迷惑を掛けられてきたけど、たしかに実質的な恩恵を受けた部分も皆無じゃない。

 あいつが落ち込んでいるというなら、いくらか気晴らしに協力するぐらい、やぶさかではなかった。

 友人として、その程度の義理はあってもよかろう。


 もっともデートの日付けを、無闇にクリスマスイヴで確定したりはしなかった。

 今月はまだ十七日で、外出するのに適当そうな日は他にもある。

 藤凛学園は、明日二学期の終業式があり、土日を挟んで冬季講習期間になりこそするが、もう冬休みなのだ。

 それに希月を慰めてやるにあたって、何か特殊な意味合いを持たせたくなかった。


 とにかく、俺は差し当たり希月を遊びに誘ってみることにした。

 ただし、本日は一緒に登校する日ではなく、それゆえこれまでみたいに弁当を手渡されることもない。

 なので事前にスマホで、

「昼休みに二階の渡り廊下(東西の校舎を結ぶ通路だ)まで来てくれないか」

 と、連絡を入れておく。


 希月は、呼び出しに応じてやって来ると、当然どんな用件かと訊いてきた。

 そこで率直にデートの話を持ち掛けてみる。

 すると、かの「婚活女子高生(現在活動休止中)」は、俺の顔を胡乱そうな目つきで覗き込んできた。


「逢葉くんから私をデートに誘うだなんて、いったい何を企んでいるのかな?」


 いきなり疑心暗鬼すぎる。


「別に何も企んでなんかいねーよ。……単になんつーか、おまえが近頃気落ちしてるみたいだから――これまで何度も弁当作ってきてくれたりした礼も兼ねて、ぱーっと気分転換でもしたらいいんじゃないかと、だな……」


 事情を説明しようとしたのだが、いまいち上手く言葉にならない。

 希月は、じーっとこちらへ半眼を向けている。

 それに妙な居心地悪さを感じて、思わず口を噤んでしまった。


 いったい何をやっているのだ、俺は……。

 ほんの少しだけ、気まずい沈黙が流れた。


「……ふーん。まあ、いいけど」


 いくらか間を挟んだあと、希月は正面から視線を逸らして、返事を寄越す。


「それにしても、何だか釈然としない感じ。婚活中の頃は、私から持ち掛けても、なかなか誘いに乗ってくれなかったのに……婚活をお休みしてみたら、逆に逢葉くんから声を掛けて来るだなんて」


「打算の絡まない、としてだからこそ、歩み寄れることもある」


「それって、私には恋愛に対する責任逃れみたいに聞こえるよ」


「そいつはおまえが、何でもかんでも恋愛に結び付けようとするからだ」


 ちなみに異性間であっても、俺は同性間のような友情の存在を肯定可能だと思っている。


 けれど、希月にはまた別の主張がありそうだった。鳶色がかった髪の毛先を、右手の指でいじいじと弄びながら、不機嫌そうに口元を曲げている。

 だが、すぐにいったん声を呑み込んだようだ。

 宝石みたいに大きな瞳は、二、三秒、中空を落ち着きなく眼差す。

 何事か思考を巡らせていたらしい。


 ほどなく、希月はかなり思い掛けないことを口走った。



「どうせなら、逢葉くんも私なんかより、朱乃宮さんを誘えばいいのに」


「……はあ? なんで突然、遥歌がここで出て来るんだ」


「だって……」


 俺が訊き返すと、希月は少し苛々したような、複雑な表情を浮かべる。



「きっと、朱乃宮さんは逢葉くんのことが好きだよ」



 面食らって、目を剥いてしまう。


「馬鹿言うなよ。――俺は中学時代、とっくにあいつからフラれてるって、教えただろ」


「それは……たぶん何か、特別な理由があったんだよ」


 言いながら、希月は再びちょっと口篭もった。

 自分でも、苦しい説明なのは承知しているのだろう。

 しかし、見立ては曲げようとしない。


「前々から朱乃宮さんを見ていて、そんな気配をずっと感じていたの。『ああ、このひとは、逢葉くんが本当は好きなんだろうな』って。君には、いつか話そうと思ってたんだけど」


「そんなの、おまえの単なる思い込みだろ。何の根拠もない」


 遥歌本人に直接訊いたわけでもなかろう。

 仮にそうだとすれば、お互い顔を合わせるのだって気まずいはずだ。


「どうかしてるぞ、希月。――そういう勘繰りは、それこそおまえが一番嫌っている『曖昧で不確かなもの』じゃないのか」


 付け加えるように指摘すると、希月は一瞬心外そうに身構えた。が、ぐっと何かを堪えるような素振りのあと、大きく呼気を吐き出す。

 自分でも、痛いところを突かれたと思ったのだろう。

 やっと少し落ち着いた様子で、肩のちからを抜いたみたいだった。


「……わかったよ、もう……」


 希月は、憮然たる面持ちでつぶやく。


「それで、いつ遊びに出掛けるの。――どうせなら、クリスマスイヴにする?」


 ようやく、話が本題に戻ってきた。

 俺は気を取り直して、改めて簡単なデート計画プランを伝える。

 希月からの要望も取り入れ、大まかに当日の行程をまとめた。

 さらにそれを踏まえ、今週末から一週間のスケジュールを確認していく。



 ……だが、俺はまだ気付いていなかった。

 婚活を休止し、「曖昧で不確かなもの」を憎悪する希月は――

 このとき、俺とやり取りしながら、たぶんすでに妙な考えに取り憑かれ、密かに悪知恵を働かせていたのだと思う。

 こちらの思惑を裏切るような、酷く呆れ果てた企てのために。




     ○  ○  ○



 デートの日取りは、結局十二月二十四日に決まった。

 言うまでもなく、クリスマスイヴである。


 行き先は、「星澄フェアリーパーク」。

 市内のイベントホールを兼ねた大型商業施設だ。

 東区の地下鉄・新冬原しんふゆはら駅から、徒歩十分の場所に位置している。

 星澄セラフタワーの開業以来、若干影が薄くなった印象はあるものの、こちらも地元の人気デートスポットだった。

 そこで今月に入ってから、体験型の脱出アトラクションが催されているという。年内限定で、土日平日を問わず参加可能らしい。


 さて、進学校たる藤凛学園では、十二月二十一日から冬期講習がはじまっている。

 聴講は各自の任意だが、文系志望者は英語、理系志望者は数学を中心にして、午前と午後に九十分の講習が一コマずつ割り当てられていた。

 向学心の強い生徒であれば、この冬期講習と予備校の授業を組み合わせて、より効果的な学習計画を立てられるシステムだ。


 二十四日(木)は、午後の英語講習にだけ顔を出した。

 希月はバイトで、登校してきていなかったようだ。

 花屋もクリスマスイヴとなると、四時過ぎまで忙しいらしい。


 今日のアトラクション開始時刻は、午後七時半から。所要時間は一時間ちょっとで、午後九時前には終了する予定だとか。

 一応、先に夕食も済ませておきたいので、午後六時半に落ち合うことにした。


 待ち合わせ場所は、地下鉄一番出口を上がった先にあるケーキ屋前。

 店の駐車場の隅に、マスコットキャラクターの人形が置かれている。

 それが目印だった。


 下校後、自宅で身形を整えて、雛番から地下鉄に乗る。

 家を出る際、妹の雪子がスマホでゲームする片手間に、「いってらっしゃい……」と、冷めた口調で見送ってくれた。ちなみに母親は、片目を瞑って謎の合図を出していたけど、そっちは全力で無視である。的外れな想像を働かせていたに違いない。


 新冬原駅一番出口を上がると、寒風が吹き付けてきた。

 空は曇り気味で、すでに薄暗い。

 師走に入ってこっち側、悪天候の日が続いている。

 天気予報通りだ。

 このぶんだと、今夜はそのうち雪でも降るのかもしれない。


 ケーキ屋に着いたのは、約束した時刻の二十分前だった。

 まだ希月の姿は見当たらない。

 さすがにちょっと早かったみたいだ。

 でも、今日は俺から誘った手前、遅刻するわけにはいかないからな。

 少し寒いけど、我慢して待とう。


 目印のキャラクター人形の傍に立つ。

 ウシを模したマスコットで、「ベコちゃん」という名前だったろうか。一見しただけじゃわからないが、たしか雌牛のはずだ。


 十分経ったが、まだ希月はやって来ない。


 正面の街路を見ると、盛んに歩行者が行き来している。

 多くは寒さを凌ぎながら、足早に家路へ着こうとしている人々のようだ。

 ちらほらと、ケーキ屋に駆け込むサラリーマン風の男性も見て取れる。

 手を繋いだカップルは、しかし案外多くない。


 ……さらに十分待って、時計の針は午後六時半を回った。

 ところが、希月はいまだに姿を現さない。


 おかしい。

 待ち合わせ時刻は、もう過ぎたはずだ。

 何かあったのだろうか? 

 例えば、花屋のバイトが長引いてしまったとか。あり得る話だ。

 とはいえ、それならスマホにメッセージで、一言「遅れる」と着信があってもいい。

 事故があったりしたなどとは、あまり考えたくないが……


 ――と、そのとき。



「――純市くん、こんばんは」


 不意に聞き慣れた声が、俺の名前を呼んだ。

 だが、希月じゃない。

 びっくりして、弾かれたように振り返る。


 そこに居たのは、幼馴染の遥歌だった。

 私服の上から、ゆったりした白いロングコートを纏っている。黒髪のポニーテールを夜風に揺らし、街路を歩いて近付いてきた。


「は、遥歌……いったい、どうしてここに?」


 驚きのあまり、少し上擦った声でたずねる。

 遥歌は、戸惑ったように瞳を瞬かせ、不安げな表情を覗かせた。


「あら……。希月さんから、今夜はクラスのお友達を何人か集めて、皆さんで遊びに行くと聞いて来たのですが――」


 手を自分の頬に当てて、遥歌は左右の瞳を動かす。

 うろたえつつも、周囲に知人を捜しているようだった。


「他の皆さんは、来てらっしゃらないのでしょうか」


 呆気に取られて、咄嗟に言葉が見付からない。

 寒気と動揺で、身体にかすかな震えが走った。

 頭の中が真っ白になりかけている。

 それでも、何とか事態を整理し、目の前の状況を把握しようと努めようとした。


 すると、おもむろに俺のスマホが鳴った。

 メッセージの着信だ。

 ポケットから取り出して、液晶に目を落とす。

 あっ、と思わず声が出た。

 それは、希月から送られてきたものだったのだ。



 ――【お幸せにね】



 たったそれだけの、短い一文だった。

 着信日時は、本日午後六時三十七分。

 まるで見計らったようなタイミングだ。

 俺は、今更のようにすべてを悟った。

 思わず漆黒の空を仰ぐ。


 やられた。

 また嵌められた。

 希月のやつめ、毎度毎度小細工ばかり弄しやがって。


(――きっと、朱乃宮さんは逢葉くんのことが好きだよ)


 今日の約束を取り付けた日、あいつはたしかにそう言っていた。

 そして、自分よりも遥歌をデートに誘うべきだと。

 あのときの希月には、どこか捨て鉢になったような雰囲気があった。

 それまでの打算が、目に見えないものに揺るがされ、深い失望を味わわされたゆえか、行き場の失った感情を持て余しているかに見えた。


 きっと、そんな自棄の感情が逆噴射し、希月は突如、俺と遥歌を「クリスマスデートで接近させよう」なんて思い立ったのではあるまいか? 

 自分の恋愛は、もう失敗だと決め付けて、だったらいっそ本当にお互い好きなもの同士(と、あいつは俺と遥歌の関係を誤解している)でくっ付けてしまえ――

 などと、乱暴なことを考えたのではないのか。

 状況からして、そうとしか考えられない。


 あまりに極端で短絡的だが、希月ならあり得る。



「どうしたんですか、純市くん」


 遥歌は、すっかり困惑した様子で、こちらを眼差していた。

 この子にしたところで、こうなってはいい迷惑だろう。


「実はな、遥歌。希月がおまえに伝えた件は、全部真っ赤な嘘なんだ」


 ちょっと迷ったけど、もはや誤魔化したってどうにもならない。

 遥歌には、正直に事情を話すしかなかった。


 もっとも、これは元々、俺と希月のあいだに起こった問題だ。

 ここに至った経緯を説明するのは、はっきり言って気恥ずかしかった。

 希月を励まそうと思ったのが発端だった点はともかく、「なぜ遥歌が呼び出される羽目になったか」について、俺なりの憶測を話すのは辛い。

 あいつの妙な勘違いのせいで、自分が意図せず二股男にさせられた気分だ。


「ごめんな、遥歌。突然、こんなわけのわかんないことに巻き込んで」


 居心地悪さ極まって、つい頭を下げてしまう。

 遥歌は、それを見るや、くすりとちいさく笑みを漏らした。


「希月さんのことなのに、代わりに純市くんが謝ってくれるんですね」


「……まあ、実際まったく不本意な話なんだが」


「いえ、いえ。――御二人共、すっかり仲良くなった証拠ですよ」


 鷹揚に言いながら、遥歌はじっと俺の目を覗き込んでくる。

 遥歌の深海めいた瞳には、穏やかな優しさに混じって、ちらちらと何かを期待するような彩りがあった。

 俺は、反射的にそれを避けて、視線を逸らしてしまう。


 実を言えば、遥歌の瞳に時折閃く、この光彩が苦手だった。

 ――そう、かつて告白を断られた中学時代のあの日以来。

 希月に誤解を抱かせたのも、たぶんこれが原因に違いない。


 けれど我が幼馴染は、こちらの考えていることなど知らない様子で、話を続けた。


「ところで、そういった事情であれば……希月さん本人は、今どうしているのでしょう?」


「さて、そいつはわからないな。夕方まではバイトがあると言っていたが……」


 現在時刻は、午後六時五十分を回っている。

 さすがにもう仕事は終わっているだろう。

 とすれば、自宅に居るか、それ以外の場所か。


「ちょっと連絡が取れないか、試してみるか」


 いずれにしろ、ひとまず口頭だけでも、希月から遥歌に対して謝罪させたかった。

 スマホを取り出し、電話を掛けてみる。

 コール音が鳴りはじめた。

 一回……、二回……。


 しかし希月は出ない。

 つながったと思ったら、機械の自動音声だった。

「電波の届かない地域に居るか、端末に電源が入っていない状態にある」っていうアレだ。きっと、後者なんじゃないかと思う。

 いましがたのメッセージを送ったあと、すぐにスマホの電源を落としたのだろう。

 掛け直してみても、無駄だった。


「……つながりませんか?」


 遥歌は、自分の両手を口元に寄せて、白い息を吹き掛けている。

 かぶりを振って、苦笑してみせるしかない。


「ああ。電源が切られてるみたいだ」


 どうにか連絡を取る手段はないものか。

 とはいえ、希月のスマホの電源が切られてしまった今、メッセージやメールを送り付けたところで、あいつが文面を読む機会があるのかも怪しい。


 このままじゃ、本当に遥歌とイヴの夜を過ごすことになっちまうぞ。

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