19:富裕層のお菓子
勤労感謝の日が過ぎて、今月も第四週半ばを迎えた。
あの雨の放課後、喫茶店で打ち明け話をしてからも、希月の様子は相変わらずだった。
早朝には俺の自宅を訪れ、昼休みには弁当を並んで食べる。
放課後には、恋愛相談所を経過報告に訪れるか、俺の身辺を付き纏うか、あるいはバイトに励む。
都合が合う日は、例によって合コンにも顔を出しているみたいだ(やっぱり望ましい成果は出ていない模様だけれど)。
何も知らない人から見れば、きっと希月の毎日は「充実した青春」以外のなにものでもないだろう。
だが、俺はあの子が婚活をはじめた端緒について、もう知っている。
それを考えると、希月の行動に対しても、かつてほど明確な嫌悪感を抱き難くなってしまった。
……まあ、だからって、当然あいつの一方的で強引なやり方を、肯定したりする気にもなれないのだが。
相手の気持ちを察してやることと、そのために俺が不本意な現状を受け入れることとは別問題である。
さて、かくいう晴れない気分を、連日ぼんやり味わっていると。
十一月二十六日(木)の放課後、いささか珍しい展開が待っていた。
希月が俺のところへ来て、今日は一緒に帰れない、と告げたのである。
ついさっき他のクラスの女子生徒から、スマホに急な連絡が入ったらしい。
相手は同じ恋愛相談所を利用している知人なのだが、何やら特殊な用件で、希月しか頼るアテがないのだとか。
これから待ち合わせして、その子の話を聞いてやるそうだ。
「詳しいことは私もわからないんだけどね。なんだか困っているみたいだから、ちょっと手助けしてあげなきゃいけないんだよ」
希月は、申し訳なさそうに言う。
が、こちらとすれば、謝罪されるような根拠はない。
元々、一緒に下校するときは、希月が勝手に付いて来てるだけだしな。
「ああ、気にするな。せいぜいその子のちからになってやれ」
「……むー。何だかつれないなあ。もう少し寂しがってくれてもいいのに……」
希月は、自分から頭を下げに来たはずなのに、なぜか不満そうに口を尖らせる。
ほんと面倒臭いな、こいつ。
何はともあれ、そんなやり取りのあと、希月は足早に教室を出て行った。
それを見送ってから、通学鞄に机の中身を詰め込む。
帰り支度を済ませ、俺も自分の席を立った。
今日は一人で気楽に帰ろう。
そう思って廊下へ出ようとすると、予期せず背後から呼び止められた。
「純市くん、今日はもうお帰りですか?」
振り向けば、そこには黒髪ポニーテールと栗色ロングヘアの女子二人。
遥歌と篠森だ。
どちらも手に通学鞄を提げ、連れ立って歩み寄ってきた。
「ああ、そのつもりだったんだが」
「あ、あの――き、希月さんは……?」
篠森が控え目に問い掛けてくる。
いつも希月が俺に纏わり付いているのを知っていて、今日はどうしたのかと気にしているみたいだった。
「あいつは予定があるらしくて、先に出て行ったよ」
答えてから、逆に訊き返す。
「それで、二人は俺に何か用か」
すると、遥歌が「ええ」と、微笑で応じ、思い掛けない話を切り出した。
「実は私たち、最近お菓子作りに少々凝ってまして」
「お菓子作り?」
「えっと……私、いつも本を読んでいるときに、どうしても口寂しくなっちゃうの。それで、よく読書中には、お菓子を食べる習慣があって……」
少しはにかんで、篠森が付け足すように説明する。
「でも、本を読むのは毎日のことだから、だっ、だんだん、このままじゃよくないと……」
その後の説明を要約すると、概ね次のようになる――
篠森は、これまで日頃市販のチョコレートなどをよく食していたのだが、近頃は本だけじゃなく、間食に費やす金額も馬鹿にならなくなってきた。
限られた小遣いをやり繰りするためにも、今後はもっと工夫が必要だろう、とあるとき考えはじめたという。
そこで、お菓子の手作りを思い付いた。
最初は道具や材料を揃えるのに、いくらかまとまった出費が必要になるが、自分で作ることができるようになれば、長期的にみて節約になる……
と、そういうわけらしい。
「……間食を止めようとは思わなかったんだな」
「そっ、それは、思わなくも――なかった、けど……」
素朴な所感を口にしてみると、篠森は瞳を伏せてうつむいてしまった。
ちょっと意地が悪いことを訊いてしまったか。
「とにかく、そういった経緯でして。私も紗世ちゃんに誘われて、二人で一緒にクッキーを作ったりするようになったのですけど――」
取り成すように、遥歌は穏やかな物腰で先を続けた。
「なかなか上手に作るのは、難しいものなのですね。お菓子作りの本やインターネットで、自分たちなりに調べながら試しているのですが」
「ぶ、分量を間違えたりして、失敗することも多くて……そのせいで、いつも沢山作りすぎちゃうの。――あの、だから……」
おどおどしつつも、篠森があとを引き取る。
ははあ、ようやく話が読めた。
「ひょっとして今も、その手作り菓子を持ってきているのか」
「はい、たっぷりと」
遥歌の笑顔は、幼児を褒める保育士みたいに見えた。
「よろしければ、これから純市くんも一緒に食べて頂けませんか」
余ったぶんの処理に協力しろ、ってことか。
おそらく本来であれば、二人は希月にも試食させたかったのだと思う。
あいつは料理上手だし、有益な助言を期待できるかもしれないからな。
まあ、このあとは特に予定もないし、折角のご指名だから引き受けておくか……
○ ○ ○
藤凛学園の学食は、放課後も下校時刻まで盛況だ。
運動部に所属する利用者が多いし、友達同士の雑談で集まる際にも使われている。
手作り菓子を食すにあたって、俺たちは教室から場を移すことにした。
「それじゃ、学食に行く……?」と、提案したのは篠森だ。
学食なら、みんなで座れる席があるし、自販機で飲み物も買える。
特に異論を唱えるべき要素はなかった。
もっとも、俺の疑問は他にある。
「――で、どうして棚橋がここに居るんだ?」
気が付いたら、隣の椅子に棚橋が腰を下ろしていた。
「そりゃ、朱乃宮さんや篠森さんが手作りしたお菓子のご相伴に預かるためだろ」
棚橋は、ばりぼりとクッキーを頬張りつつ、こちらを鋭く睨み付けてきた。
目の前のテーブルには、ラッピング用の透明フィルムが広げられ、その上にクッキーが山を作っている。
それを手に取っては、次々と口の中へ放り込んでいた。
「いいか逢葉。オレはな、『人生が豊かにならないのは努力が足りないからだ』なーんて、自己責任論は大嫌いなんだ」
唐突に、妙な話題を切り出された。
「……はあ?」と、つい俺は首を傾げてしまう。
テーブルの向かい側に座る遥歌と篠森も、互いに顔を見合わせていた。
だが、棚橋はかまわず続ける。
「社会構造の負の側面から目を逸らして、強者が自分と無関係な厄介事を、弱者へ一括りに押し付けてるだけだろーが、あんな思想は。近代以降の市民社会は、個人の自由と権利を保障し、公正を希求することによって発展してきたんだよ。――わかるか?」
「ちっともわからん」
「つまりだ! オレは世間の恋愛にも、格差是正を要求するッ!」
棚橋は、決然と言い放つや、こちらをズビシッと指差してきた。
「この恋愛富裕層め! 希月さんから毎日毎日お昼に弁当を食わせてもらってるくせして、なぜ放課後になると今度は朱乃宮さんや篠森さんから手作りクッキーをご馳走になってるんだおまえは!? オレは確信したね――逢葉みたいな一握りの強者が、ありとあらゆる豊かさを一人で独占しているから、世界に哀しみと
殊更に意味不明なことを言う。
何を考えているのやら。
棚橋のことは放置しておいて、俺もクッキーへ手を伸ばした。
星型の焼き菓子を摘み、一口、二口と噛り付く。
甘い。
でも、市販のものと比べると、何となく品の良い味付けだと思った。
食べやすくて、個人的には好みだ。
けれど、少し食感が独特だった。
しっとりしている、というか……
「――あの。ど、どうしても、サクッと焼き上がらなくて……」
こちらの反応を、篠森が居心地悪そうに窺っていた。
自分でも、問題点には気付いているのだろう。
「そうだな……。俺は、悪くないと思うけど、希月なら何かアドバイスできるのかもな」
口の中のクッキーを飲み込んでから、もう一枚取って、また食べてみる。
レシピ通りの分量で作っているのなら、焼き方で失敗しているのだろうか。
それとも、何か別の要因があるのか?
……門外漢なので、それぐらいしかわからないな。
何か有益な感想を伝えられないか、ちょっと考え込む。
と、にわかに棚橋が隣の席で立ち上がって、威勢良くクッキーを称賛した。
「おいおい、何言ってんだよ逢葉ァ! これ超うめぇーだろ! 同級生の女の子が手作りしてくれたってだけで、もう最高じゃねーか!」
こいつ、ほんと安くてわかりやすいリアクションだなあ……。
尚もクッキーを貪りつつ、棚橋は不穏当な発言を続ける。
「あーマジでたまんねぇーよ……。朱乃宮さんや篠森さんみたいな可愛い子が手作り――もちろん生地を手で
何を間接的に味わってるつもりなんだよ。
棚橋の有様を見て、篠森の顔は若干
こりゃ棚橋のやつ、合コンに行ってもロクに相手にされないはずだわ……。希月が連戦連敗なのとは、たぶん別の種類の残念さがある。
とはいえ、こんなドン引きものの光景を見せられても、寛容な態度を崩さなかった女の子も居る。
「まあ……。そんなに喜んでもらえるなんて、思いも寄りませんでした」
遥歌は、心の底で何を思っていたかはどうあれ、表面上変わらず穏やかな物腰だった。
「棚橋くんにも同席して頂いて、正解でしたね」
その微笑は、合コンで連敗続きの男にとって、女神そのものに見えていたかもしれない。
遥歌の顔を眩しそうに見てから、棚橋は急にこちらへ身を寄せ、耳打ちしてきた。
「おい、逢葉。朱乃宮さんって、本当にいい子だよな……。美人で、お嬢様で、成績優秀で、しかも俺みたいなのにまで優しいなんて。天使の生まれ変わりか何かか?」
「勘違いすんなよ棚橋。遥歌は特殊なんだ」
中学生の頃に勘違いして、当の遥歌に告白までした俺が言えたこっちゃないがな。
……いやまあ、失敗したからこそ可能な忠告もあるってことだ。
しかし棚橋は、俺が親切心から発した言葉を、どうも気に入らなかったらしい。
「ちぇっ。あんだよ、おまえは……この恋愛ブルジョワジーめ」
「誰が恋愛ブルジョワジーだ」
「おまえだよ、おまえ。黙ってるだけで、不労所得を手に入れるが如く希月さんと親しくなり、朱乃宮さんと幼馴染だっていう……。どう見ても、生まれながらの恋愛富裕層だろ」
酷い言い掛かりである。
ていうか、棚橋はがっつきすぎなのだ。
クッキーにしろ、恋愛にしろ。
もう少し自然体で居ればいいと思うのだが。
昔は、恋愛を「追うほどに遠ざかるもの」と言った人も居たぐらいだそうだ。
個人的には、わりと的を射ている指摘だと思う。
……もっとも、生涯未婚率が上昇の一途をたどる現代社会では、それも古い考え方なのだろうか。
この学園内にも、恋愛相談所のような組織があるぐらいだ。
希月や棚橋みたいに、恋人探しに懸命な人間は少なくないのだろう。
需要があるからこそ、あの相談所も存続している。
これは余談になるが――
かつて俺は、天峰ら占星術研究会及び恋愛相談所を、どうにか解体に追い込めないか、思案したことがあった。
たとえ顧問不在の部活でも、生活指導教員に直接訴えるなどすることで、不正な活動を取り締まれはしないものかと。
けれど、現在はそれを断念している。
需要の高さは、イコール支持する人間の数を示すからだ。
たとえ目的を達しても、仮に恋愛相談所を告発した結果、それだけ多くの恨みを買うとすれば、割りに合わない。
自分の個人情報を好きに扱われて、とても納得なんてできるはずがないけど、あの連中を敵に回すのは危険すぎる。
世の中、何にしろままならないことばかりだ。
俺は、諦観に似た気分と共に、噛み砕いたクッキーを飲み込んだ。
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