20:接着した断片

 翌朝、希月は何となく気が重そうだった。

 いつもに比べて意気が欠け、信号待ちの最中に溜め息を吐いている。

 こんな姿は珍しい、というか初めて見た。


「なんだか今日は元気がないな。どうかしたのか」


 バス停までの道すがら、どうも気になって訊いてみた。

 希月は、一瞬、正直に話すべきか逡巡したみたいだ。

 けれど、すぐに隠すようなことでもないと思ったのか、うんざりした表情で答えた。


「昨日の放課後に私、知り合いの女の子から呼び出されたって言ったよね」


「ああ、たしかそうだったな」


「あれね、実は嘘の呼び出しだったの」


「……はあ?」


「教室を出たあと、約束通りの待ち合わせ場所に行ってみたんだけど、その子は来なかった。――で、そこには代わりに、全然別の人が居たんだよね」


 咄嗟に、妙な胸騒ぎを覚えた。

 何しろ俺自身、ここ最近「放課後の呼び出し」というものに、あまりいい記憶がない。

 希月は、真っ直ぐ通学路を歩きながら、こちらへ横目で視線を寄越してきた。


「私を待っていたのは、あの陸上部の近江くんだったんだよ」


 果たして、予感は的中した。

 つまり近江は、他の女子に頼んで、希月を代わりに呼び出してもらったのだろう。

 SNS経由で連絡を取ろうとしても、一向に返事がもらえなかったせいに違いない。


 以前、近江は「直接話をして、希月を説得したい」というようなことを話していた。

 だが受け流され続け、このままだと思うような機会が作れないとみて、裏を掻こうとしたのかもしれない。


「そうか。――で、どうだったんだ?」


「どうだったもこうだったも、予想通りだよ」


 希月は、むすっとして口を曲げる。


「近江くんから、付き合ってくれって言われた。もちろん、すぐにお断りしたけど」


 一考の余地もなしかよ。


「あんなイケメンからコクられて、もったいないとは思わなかったのか」


「だって、『ちゃんと結婚を前提に交際してくれますか』って訊いたら、近江くんは『まだ高校生なのに、そういうことを軽々しく決めてしまうのは、お互いにとって良くない』とか何とか――そんなことを言ってきたんだよ? ただでさえ、私が設定しているから外れてる男子なのに、それじゃあ話にならないっていうか……」


 近江が試みた説得は、失敗に終わってしまったようだ。

 この場合、はっきり言って相手が悪かったと思う。


 それにしても希月のやつ、設定条件から外れてる異性には、本当に興味がないんだな。

 あくまで自分の結婚観が大切で、相手に流されたりする気はないらしい。

 頑固というか何というか……

 なんて、どうしたものかと首を捻っていたら。


「言っておくけど、逢葉くんだって私の同類だからね」


 希月は、呆れ顔を浮かべて批難してきた。


「……俺が、希月の同類だって?」


「それはそうだよ。――私みたいに可愛い女の子から、散々好き好きアプローチされてるくせして、ちっともなびいてくれないんだもん」


 だから、自分で自分を堂々と可愛いとか言うなっつーの。


 ……とはいえ、わりと痛いところを突いて来るな、こいつ。

 互いに譲れない価値観を持つ部分は、ある種の共通項と言えそうだ。

 最大の問題は、それが相容れない関係にあるところだが。


「それとも、ひょっとして――逢葉くんが私を受け入れられないのも、二人が似た者同士のせいなのかな。私が近江くんを遠ざけているのと、実は同じ理由があるとか」


「何だよそりゃ」


「……私が何度振られても逢葉くんを追い掛け続けているように、逢葉くんも朱乃宮さんをいまだに想い続けているんじゃないか、ってこと」


 こやつ、また無茶苦茶なことを言いはじめおった。

 何だって、唐突に遥歌の名前を持ち出してくるんだよ。


「おまえ、本気でそんなこと考えてるのか」


「だって……少なくとも、中学生の頃は好きだったんでしょ? 朱乃宮さんのこと」


「もう昔のことだぞ」


「でも、逢葉くんから告白して、朱乃宮さんが振ったんだよね。そうして、交際拒否されたのに、仲が疎遠になるわけでもなく、今も普通に友達付き合いしてる。……で、ここまでを踏まえて、やっぱり私と逢葉くんが同類だとすると――」


「俺は、いまだ遥歌に未練があって、あきらめていないんじゃないかって?」


 先回りするように訊くと、希月は真顔でうなずいた。

 とんだ勘違いをされているみたいだ。


「アホか。もう俺には、誓ってそんなもんはねーよ」


 俺は、がりがりと自分の頭髪を掻き回した。

 話題が思わぬ方向へ逸れて、流れ弾が肩をかすめたような気分だ。


「何を言っても、伝わらないかもしれないけどな。実際的なことを付け加えれば、フッてもフラれてもなんだよ。それだけだ」


 打ち切るように言うと、さすがに希月も少し口篭もる。

 一拍置いてから、「でも、朱乃宮さんの方は……」などと、尚も小声でつぶやいてはいたけれど、もはや独り言めいていて、よく聞き取れなかった。

 聞く必要もあるまい。


 俺と遥歌の間柄は、希月が想像している類のものじゃない、と思う。

 きっと俺だけじゃなく、遥歌だって同じように答えるはずだ。



 ……もっとも、あとになってから振り返ると、初めて気付くこともある。

 相手の立場や心情を十全に把握することは、神様か読心術者でもなければ難しい。


 この頃、いくつかの誤解や行き違いを、たぶん意図せず積み重ねてしまっていた。

 俺も、希月も共に。




     ○  ○  ○




 次の土日を跨いで訪れた、十一月三十日。

 天峰未花から、スマホにメッセージが飛んできた。

「放課後、占星術研究会の部室まで来てもらいたい」

 という主旨の内容である。

 返信で用件を訊いてみると、「来ればわかる」としか答えない。


 希月にも声が掛かったのか確認してみたのだが、どうやらメッセージが届いたのは俺だけらしい。

 今日はバイトの予定があるし、天峰はそれを知っているそうだ。

 本能的に、厄介事の気配を感じる。


 けれど、結局好奇心(というか怖い物見たさ)に負けた。

 占星術研究会へ足を運び、ドアを潜って部室に入る。


 そこで俺を待っていたのは、天峰と笠野先輩……

 そして、あの近江だった。陸上部の練習用ジャージを着ている。


「このあと、部活の練習にも出なきゃならないんだ」


 こちらの視線を感じたのか、近江は俺が訊くより先にそう言った。

 何かと律儀なやつだ。


 紫紺のカーテンで仕切られた一隅へ招かれ、勧められるまま椅子に腰掛けた。

 右隣に近江が着席し、テーブルを挟んで天峰と笠野先輩が座る。

 元々狭い空間だから一度に四人も同席すると、窮屈というか、やや息苦しい。



「――突然ここへ俺を呼び付けて、いったい何の用だ」


 全員が顔を揃えたところで、まずは天峰に向かって経緯を問い質した。

 まあ、この場に近江が居合わせている時点で、希月がらみの話(※ただし、本人には直接聞かせ難いもの)だということは、何となく想像が付くのだが。


「近江くんが絢奈ちゃんの件で、改めて逢葉くんも交えて話がしたいんだってさー。それで特別に今回は、あたしたち恋愛相談所が部室をそのための席として提供したわけ」


「そのことなら、以前に他で済ませている。あのとき話した以上のことで、俺から付け足すような説明は別にない」


「君からは何もないかもしれないけど、申し出があったのは近江くんからだから……」


 横から口を挟んできたのは、笠野先輩だ。


「それに今日は、私と未花ちゃんも一緒に居る。――未花ちゃんは、これを対話の席だって言ったけど、厳密には少し違う。近江くんの恋愛コンサルティングに、逢葉くんも関係者として任意で招致された、というふうに考えて欲しい……」


 静かな口調だが、先輩にはどこか有無を言わせぬ雰囲気があった。

 何となく大人しそうな人だと思っていたけれど、案外芯が強くて、怒らせると怖いタイプなのかもしれない。


 まあ、いずれにしろ、「ここへ来たのは任意だったはずだ」と言われれば、反論の余地はない。

 あのメッセージは、無視することも可能だったのだから。


 いったん思わず口を噤むと、笠野先輩はそれを了承と見做したようだ。近江を見て、無言で合図を送る。

 陸上部のイケメン相談者は、それを目で受け取ると、おもむろに話を切り出してきた。



「先週の木曜日、希月さんに告白したが断られたんだ。彼女は逢葉が好きだから、おれからの好意は受け取れない、って。逢葉は希月さんからの告白を断ったと聞いている、それでもあいつをあきらめないつもりなのかと、重ねてたずねてもみた。だけど、希月さんの返事は変わらなかった――『その通りだよ』って、彼女は言っていた」


 概ね知っている。

 希月からも聞かされた通りだな。


「この顛末を聞いて、逢葉はどう思う?」


「どうと訊かれてもな。需要と供給が見事に噛み合っていない、としか」


 近江の問い掛けに、ちょっとおどけて答えてみせる。

 対するイケメン陸上部員は、深刻そのものといった面持ちで同意を示した。


「そう、噛み合っていない。このままじゃ誰も報われないんだ」


「だとしても、仕方ないだろう。無理して報われなきゃならない必要もない」


「でも、希月さんは報われたがっているんじゃないのか」


「どうして、そんなふうに思うんだ」


「だって、逢葉と一緒に過ごしていない日には、相変わらず合コンに参加しているんだろう。――例のの一環として」


 それは事実なので、肯定せざるを得ない。

 とはいえ、希月の好意に応じないことで、近江から悪者扱いされるのは心外だった。

 あんなに重すぎる愛情は、どう考えたって現状で受け止め切れるものじゃない。

 だいたい近江だって、希月の将来を請け合う覚悟までは示せていないのだ。


「おまえは、俺に希月と付き合えって言うのか」


「いっそそうなれば、おれも希月さんをあきらめられるのかもしれない」


「おまえに踏ん切りを付けさせるために、そんな義務を負うつもりはない」


「だったら、おれは何度でも希月さんに告白するぞ。――そうしたら、彼女はますますになって、逢葉に交際を要求するんじゃないかという気がするが」


 頭を抱えて、呻かずにはいられなかった。

 こんな話をするために、近江は俺をここへ呼んだのか。


 こいつは、本当に希月が好きなんだろう。

 ちょっと癪だが、思ったより根はみたいだ(たまに他人に接近しようとする際の手口は怪しいが)。

 それで、まだ完全に自分の恋愛をあきらめたわけじゃないけど、せめて成就しそうもないなら、あの子の意思をできる範囲で尊重してやる立場でありたい――

 と、まあ、そういった考えに違いなかった。


「……まったく、この相談所はなんで俺のことを、希月のやつに紹介しやがったんだよ……」


 今更ながら、そこに立ち戻ってしまう。

 あらゆる混迷の原因を、呪わずには居られない。

 天峰は、かぶりを振りつつ、肩を聳やかしてみせた。


「まあ、それは女子利用者の要望を優先するっていう、サービスの方針上致し方ないねー」


「だけど、こうやって近江みたいな、少なくとも俺より積極的に希月へ好意を伝えようって男だって居るんだぞ。そこにあえて俺を放り込んで、男女関係を掻き回す必要までなかったんじゃないのか」


「そうは言うけど、あたしたちが情報提供したって、必ずしも絢奈ちゃんが推薦した男の子に告白するとは限らないからね。ややこしくなったのは、結果論的な部分もあるでしょ」


 追及すると、天峰は高音域の声で抗弁する。

 その意見には、笠野先輩も首肯してみせた。



「そうだね……。絢奈ちゃんの場合に限って言えば、未花ちゃんが逢葉くんのことを教えてから、半月足らずのあいだに告白するとは私も思わなかった」


 それはおそらく、ごく何気ない一言だったと思う。

 けれど、俺はふっと妙な違和感を覚えた。


「……半月足らずのあいだに?」


 鸚鵡返しに確認する。

「うん」と、先輩が応じた。

「でしたねー」と、天峰も追従する。


「先月は、学園全体が慌しかった。上旬には学園祭があって、中旬になると生徒会役員選挙が実施されたでしょう……しかも下旬は、二学期中間考査。逢葉くんのことは、その最中さなかに伝え聞いたわけだから」


「いくら希望条件に合致する相手だと思っても、ある程度一緒に過ごしてみると、何となくが合わないこともありますからねー。だから告白するって言ったって、あたしも一ヶ月ぐらいは様子を見てみるもんだと思ってたんですけど」


 笠野先輩と天峰は、そんなやり取りを交わしてうなずき合う。

 つまり、「あんなに忙しい時期だったのだから、もう少し告白まで時間を掛けるはずだと思っていた」と、こういうわけだ。


 だが個人的には、むしろその点に不可解さはない。

 希月は、具体的な根拠さえあれば、恋愛を判断できる子だ。

波長フィーリング」だなんて曖昧な要素で、告白を躊躇することはないだろう。

 俺が引っ掛かったのは、純粋な期間の問題である。



(――ちょっと前から好きでした!)



 夕暮れの屋上、奇妙な告白を思い出す。

 忘れもしない十一月二日、月曜日。


 あの日から遡って約半月前に、希月は俺のことを天峰から紹介された。

 それは十月中旬で、たぶん生徒会役員選挙の頃。

 本当に、だったわけだ。

 俺の個人情報が恋愛相談所へもたらされたのも、あるいは同じ時期だろうか。


 そして、その前後に渡って起きた出来事。

 二学期はじめにあったという合コン。

 近江の恋愛相談所登録。

 俺の自宅まで押し掛けるようになった希月。

 連日の手作り弁当。

 赤根屋書店での遭遇。

 星澄タワーの結婚体験セミナー。

 近江から希月への告白と、失敗。


 ……もし、あるひとつの意思によって、それらすべてが貫かれているとしたら? 



「そうか――」


 このとき、稲妻のような輝きが、突如脳裏に閃いたかと錯覚した。

 顔を上げると、天峰や笠野先輩、それに近江も、怪訝そうな顔をしている。

 俺がいったい何事に思い至ったのか、まだ察していないのだろう。


「ようやく俺にはわかったぞ、天峰」


「……わかったって何が」


「決まってる。、だよ」


 やや故意に誇張して断じてみせると、天峰は珍しく狼狽したようだ。


 そうとも。

 あれもこれもが想像通りならば、いまや答えにたどり着いた――

 この面倒臭い人間関係を、何者が裏から捏ね上げたのかに。


「俺だけの問題じゃないぞ、こいつは。希月や近江にも無視できない事実だ」


「何だって。おれにも、なのか?」


 自分で自分を指差して、近江は大きく目を剥く。

 おそらく、この場の会話は当初の予定と、もはやまったく異なる方向へ展開しはじめていた。


「……もし、逢葉くんの憶測が正しかったとしても」


 一、二秒置いて、笠野先輩がぽつりと言った。


「恋愛相談所は、情報ソースの開示請求には応じられない」


「ええ、わかっています」


 もちろん、承知の上だ。



「でも、これから名前を挙げる人物が、この相談所に利用者登録しているかどうかぐらいなら、回答してもらえますよね?」

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