11:星と大天使の塔

 今朝の天気予報によれば、今日は夜まで快晴で、「絶好のお出掛け日和」だそうである。

 もっとも、来週以降はやや荒れ模様になって、十二月に入ると降雪の日もあるらしかった。


 本日は、十一月十五日。今月の第三日曜日だ。

 俺は、五分ほど前から、駅前広場の一角でベンチに腰掛けている。

 藤凛学園恋愛相談所プロデュース(担当相談員・天峰未花)による、希月絢奈との休日デートに同伴を余儀なくされたからだ。

 結局、たかだか三日のうちに、あれよあれよと計画がまとめられてしまった。

 辞退を申し出ても認められず、気付けば強制的に休日を潰される羽目に陥った。


 何しろ希月のやつと来たら、土曜日の晩に家の固定電話へ連絡を寄越して、わざわざ俺の母親に今日の予定を伝えやがったのである。

 最近、弁当制作の手間を代行させていることもあって、母親の希月に対する肩入れっぷりは半端ない。

 俺が意地でもデートを断ろうとしたら、壮絶な剣幕で怒鳴られた。

 曰く、「私は自分の子供を、料理上手な女の子からのお誘いに、邪険な返事をするような人間に育てた覚えはありません!」――だそうだ。


 もう外堀は埋まってるどころか、ご丁寧に舗装されてるレベルだろこれ。

 このままではいけない。

 何とかせねば……



 現在、広場に建つ大時計の針は、午前十時二十五分を指している。

 待ち合わせ時刻の五分前。

 俺は、何気なく星澄駅の北側出入り口を眺める。行き交う人の流れを目で追う。

 すると、その中に丁度待ち合わせ相手の女の子を見付けた。


 あの鳶色がかった長い髪は、紛れもなく希月絢奈だ。

 レースがあしらわれたダークグレーのブラウスの上から、厚手の赤いジャケットを羽織り、チェック柄のスカートと組み合わせている。すらりと伸びた両足は黒タイツに包まれ、皮製のブーツを履いていた。胸元にはシルバーのアクセが揺れ、左肩からはピンクのフェニミンなハンドバッグを掛けている。


 考えてみれば、希月の私服姿を見るのは、これが初めてだったか。

 時折、道行く男性が目を奪われたように振り返る。それも致し方なかろう。

 今こちらへ接近しつつある希月は、掛け値なしに可愛らしい。

 弱小アイドルグループなら、センターポジションだって狙えそうに見えた。

 気に食わないが事実だ。


「時間通りだよね、待たせちゃったかな?」


 ベンチの前で立ち止まると、希月は小首を傾げながら声を掛けてきた。


「別に。偶然、俺が多少早く着いただけだ」


 つい素っ気無い返事になった。

 デートに駆り出されたこと自体嵌められたようなものだが、ますます騙されている感覚が強くなっている。

 けれど、希月はこちらの反応など、まるで意に介した様子はなかった。


「うふっ、だったら良かったよ。――さっ、それじゃ早速出発しよっか!」


 邪気のない笑みを浮かべ、かの自称「婚活女子高生」は率先して歩き出す。

 何だか若干調子を狂わされたけど、俺も気を取り直してそれに続いた。




 星澄セラフタワー(通称・星澄タワー)は、星澄市中央区に昨春オープンした高層ビルだ。

 JR星澄駅の程近くに立地し、最上層に設置された大展望台からは、市内全域を眺望可能な地元新名所――

 などと、自治体や関連企業が官民一体のPRを行っている。

 天峰から提示されたデートプランで、そこが行き先に指定されたスポットだった。


 事前にメールで伝えられたスケジュールによると、

「午前十一時から:イベント参加」

 とだけ書かれている。


 どんな催しに参加するのかは、まだ具体的に知らない。

 天峰と希月が勝手に計画して、俺はただ付き従わされているだけだ。

 何があるかは、当日のサプライズ、とのことである。

 ただし天峰は、バチコーン☆と、自信満々でウインクを飛ばしていた。


「きっと、永遠に忘れられない体験になるから!」


 ……それはひょっとして、トラウマというやつじゃなかろうか。



 正面出入り口の自動ドアを潜って、星澄タワーの内部へ踏み込む。

 楕円形の玄関ホールを抜けると、一階には洒落たコスメブランドやジュエリーショップの店舗が並んでいた。

 男子高校生には、早速アウェー感抜群の雰囲気である。厳しい。

 だが、希月は怯まず、フロアの通路をとっとこ先へ進んでいった。

 慌てて追い掛ける。


 ほどなく中央エレベーターの前に来た。

 ちょっと待って乗り込むと、希月はエレベーターガールのお姉さんに希望の行き先を告げる。

 星澄タワーは、全地上三十階の建造物だ。

 俺たちが降りた場所は、十二階。

 汎用イベントホールだった。


 辺りには、来場者と思しき人々が疎らに見て取れる。皆、全体的に若い。

 一番年嵩な人物でも、せいぜい二十代前半といった様子だ。

 それに、少し妙な印象を抱いたのは――その全員(自分らを含む)がどうやら、全員男女連れのカップルらしいという点だった。

 何か嫌な予感がする。


「ねぇ、逢葉くん」


 希月が隣で、そっと囁いた。


「向こうにある受付で、君には今日のイベント参加の手続きを済ませて欲しいの」


 うながされた場所を眼差すと、たしかにそれらしいテーブルが置かれている。

 その前に男性が何人かで列を作って、順番待ちしているみたいだった。


「予約申込だけは、二日前にネットで登録して来たんだよ。参加費一人八百円みたいだから、私のぶんは先に渡しておくね」


「別にいいけど、なぜ俺じゃなきゃ駄目なんだ」


「だってオンライン登録時に、逢葉くんの名前で申請しちゃったから。……私の名前で申し込むのは、何だか恥ずかしかったんだもん」


「はあ? 何だそりゃ……」


 首を捻りつつも、俺はとりあえず受付の正面に並ぶ。

 テーブルの横に看板が立ててあるのを、そのとき今更のように見て取った。

 白地に表記された文字を何気なく読んで、次の瞬間、思わず全身を硬化させる。



【若者の新しい明日を考える『結婚体験セミナー』~市内高校生及び大学生対象~】



 中央に書かれた大文字の脇には、小文字で「共催:(株)ハッピーチャペル・星澄市役所少子化対策室」とも記載されていた。

 じんわりと額が汗で湿る。


」――

 こっ、これが今日参加するイベント、だ、と……!? 


 俺は、希月を探して背後を振り返った。

 少し離れたところから、かの「婚活女子高生」はこちらへ手を振っている。かすかに頬を桜色に染め、だが満更でもなさそうに微笑んでいた。


 やばい。

 完全に騙された。


 俺は、この日のデートが決まった時点で、もう希月の「婚活」に巻き込まれていたのだ。

 来場者にカップルしか居ない理由もわかった。

 あいつがネット予約で、あえて自分の名前を使わなかったのは、このセミナーに男性側が申し込んだことにしたかったからだろう。

 真剣交際をしている女性の立場だとしたら、その心理は理解できなくもない。

 とはいえ俺と希月に関しては、実態は恋人ですらないのだから詐欺みたいなもんだ。


「はい、お待たせしました。次の方どうぞ」


 受付のお姉さんが俺を呼んでいる。

 もはや、こうなっては引くに引けない。

 参加登録は予約済みなのだ。

 この場で希月と喧嘩して、突然イベントをキャンセルしようものなら、どう考えても人目に付くし体裁が悪すぎる。


 俺は、仕方なくテーブルの前へ進んだ。

 名前を告げると、お姉さんは予約者名簿を確認する。

 改めて参加登録書なる用紙に記名を求められ、二人ぶんの参加費を支払った。

 代わりに大小三種類のパンフレットを二部ずつと、パスケースに入ったラミネートカードを手渡される。

 カードは通行証で、会場内の移動時は身に着けておかなきゃいけないらしい。


「うふーっ。参加手続きご苦労様♪ ――逢葉くん、今日は一日よろしくねっ」


 手続きを終えて戻ると、希月は俺を喜色満面で迎えた。


「おまえ、思いっきり俺のことを嵌めただろ……」


「さあさあ、最初はあっちのホールに集合みたいだよっ。早く行かなきゃ!」


 希月は、受付の奥にある通路を指し示し、また率先して歩き出す。

 こっちの話はあからさまに無視スルーと来たもんだ。

 駄目だなこりゃ。

 大人しく付いて行くしかないらしい。


 少しフロアを歩いただけで、所定の場所にはすぐ着いた。

 両開きのドアが開放されており、係員が来場者を内部へ誘導している。


 うながされるままに入ると、そこは広い会議場のような一室だった。

 椅子と長机が何列にも連なって、整然と並べられている。

 出入り口から見て反対側には、一段高い演壇があって、壁面に白い映写用スクリーンが下ろされていた。


 壇上の片側にも、受付で見たのと同じような立て看板が置いてある。

 そこに書かれた文字は、「ライフデザイン講習会~恋人との将来に備えて~」。


 希月は、迷いなく室内を進み、演壇付近の席に座った。やる気出しすぎだろ。

 だが一人で放っておくわけにもいかないので、気後れしつつも隣へ腰掛ける。


 俺たちを含め、ホール内の座席は九割方埋まったようだ。

 来場者は、おそらく合計四十人以上……五十人まではいないだろう。

 無論、全員男女連れ。

 カップルとして数えれば、二十数組といったところか。



 しばし待つと、スーツ姿の中年男性が現れて、演壇に登った。

 司会進行役で、共催企業の課長らしい。

 マイクのスイッチを入れ、セミナーの主旨を紹介しはじめる。


「――本日はご来場頂きまして、誠にありがとうございます。このセミナーは、弊社営業部と星澄市役所様の密な連携の下に、高校生や大学生といった皆様――つまり、これからの世の中で、やがては社会貢献に寄与してくださるであろう若い方々ですね、そういった世代の皆さんを対象として、より良い将来を大切な人たちと、どのようにして築き上げていけばいいのだろうか、そういうことを一緒に考えてみませんかと。こういった目的に基づいて、このたび催されたものです」


 壇上の男性は、笑顔を振り撒きながら、物慣れた口振りで続けた。


「それで弊社、株式会社ハッピーチャペルと申しますが、現在三十六都道府県にて系列企業を通じ、ご利用の皆様に結婚披露宴や新婚旅行に関わるご提案、あるいは結婚情報支援などの事業を推進させて頂いておりまして――今回のイベントでは、これまで私どもが蓄積してきたブライダル関連業務のノウハウをですね、地域社会の発展に役立て、還元したく、実施の内容を企画させて頂きました。……もちろん、実現にあたりましては、星澄市役所の皆様から多大なご尽力とご協力、ご支援を頂いたことは言うまでもありません。この場をお借りして、お礼申し上げます」


 企業名が出たところで、配布されていたパンフレットを捲ってみた。

 司会の話を聞き流しつつ、記載の文面に軽く目を通す。


 どうやらこのセミナー、若年人口の減少に伴う成婚率の低下で苦しむブライダル業界と、地元行政の少子化対策担当部署とが、利害関係の一致から開催に至ったものみたいだ。

 若年世代の結婚に対する志向性を高め、将来的には関連事業の顧客獲得なり、地域人口の増加なりに繋げるための試みらしい。

 特に今回、高校生と大学生に参加者を限定したのは、若者により早期の意識付けをうながすためだという。


「さて、参加してくださった皆様には、どなたも現在交際中のお相手がいらっしゃることと存じます。……いらっしゃいますよね?」


 にわかに司会者が、壇上から冗談めかして問い掛けてきた。

 来場者のあいだで、僅かに笑いが起こる。

 つい俺も、ハハハ、と声に出して笑ってしまった。カラッカラに乾燥したやつだけどな。


「まだ皆様はお若いですから、将来設計と一口に申しましても、いささか具体的なイメージを抱き難いかもしれません。なので今日は、これから少しの時間、専門家の先生にご登壇頂きまして、お付き合いしてらっしゃる大切な人と、どうすればずっと一緒に居られるか、やがては結婚して、お子様を授かり、幸せを手に入れることができるか――そういうことを現実的な問題として、先生のお話の中で取り上げて頂きまして、今後皆様が準備していくお手伝いができればと。私どもとしては、そういう意思でおります――……」


 やべぇな。

 想像以上にやべぇ。

 凄いところに来ちまったみたいだぞおい。


 などと、俺が内心戦慄していると。

 司会者と入れ替わりで、やや派手な服装のオバサマ(推定五十歳)が姿を現した。マイクを受け取って演壇の中央に立つと、こちらへ頭を下げてみせる。

 そのオバサマが、課長の説明にも登場した「専門家の先生」――

 ライフコンサルタントの女性らしい。


 その「コンサルタント」という肩書きで、俺は天峰のことを連想し、思わず渋面になった。

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