6:打算と恋愛市場価値

 思い掛けない反応で、俺はちょっとたじろいだ。


 天峰は、ふーっ、と呼気を吐き出し、椅子に深く座り直す。芝居じみた仕草だった。


「生徒会役員選挙があったのは、つい先月だったね。約三週間前だったっけ」


 突然、妙な話を持ち出してくる。

 たしかに十月中旬、受験が迫った現三年生に代わって、生徒会に新三役が就任していた。


「新任の副会長は、二年七組の不二崎ふじさき先輩。――で、その新副会長には、なんと一週間前から正式に交際をはじめたばかりの恋人が居る。お相手は、風紀委員で一年生の女の子」


「……おい。そいつはまさか」


 にわかに不吉なものを感じて、俺は身を強張らせる。


「血の巡りは悪くないみたいだね、逢葉くん」


 天峰は、悪戯っぽく、人差し指を左右に揺らしてみせた。


「そう、副会長とお相手の仲を取り持ったのは、あたしたちの恋愛相談所。不二崎先輩が選挙に立候補することを知った二ヶ月前から、水面下で根回ししてきた成果ってところ」


 尚、過去には他にも、生徒会長や風紀委員長の交際相手を斡旋してきたがあるらしい……


 虚偽じゃないなら、驚愕すべき真実だった。

 つまり占星術研究会は、恋愛コンサルティング活動を通じ、学園内の生徒自治機構そのものを抱き込んでいるというわけだ。


「ちなみに占星術研究会には、顧問の先生が居ないんだ。かつては若い女性教師が務めていたらしいんだけど、結婚退職して以来空席なんだって。そういうわけで本来なら、代役を決めて生徒会に申請しなきゃいけない。でも実際はもう数年、有耶無耶になってるの。――これ、どういうことかわかる?」


「……この部活には、規約上の監査権を持つ教員が不在だってことか」


 とんだ課外活動制度の抜け穴だ。

 しかも闇が深い。



「これまで、この相談所に不満を持った人間は、俺以外には居なかったのか? 特に女子生徒なんて、自分の個人情報が勝手に他人の手で扱われていたら、腹を立てるどころじゃ済まないと思うんだが」


「その点なら、少なくとも過去にトラブルになったことはないなー。女子の個人情報は、基本的に男子と違って、明確な本人の同意を得てから登録してもらっているから」


「はあ? どういうことだ、そりゃ」


 虚を衝かれて、反射的に問い返してしまう。

 ……つまり、天峰たちが本人に無断で収集している個人情報は、男子生徒のものだけ、ってことか? 


「あのね、逢葉くん。元々『恋人探し』って、女の子側の圧倒的なんだよ――少なくとも、年齢的に二十代半ばぐらいまでは」


 横から、希月がたしなめるように口を挟んできた。


「婚活で利用されているような世間一般の結婚相談所なんて、若くて人並みの容姿の女性なら、ちょっと登録しただけで男性からデートの申し込みが殺到するんだから」


「まあ、うちの『学園恋愛相談所』も、似たような側面があるのはたしかだね」


 天峰は、苦笑混じりに肩を竦めた。


「女子生徒と男子生徒の登録数は、比率にして一対四ってところかな。とにかく、合コンがしたい、恋人が欲しい、って人は男子の方がずっと多いんだ。なので、実は男子の個人情報って、あたしたちが開催を手伝った合コンの参加者とかから、放っておいてもガンガン入ってくるのだねー。でもって、大抵の男子は、相談所の活動にも文句を言わない。自分のことを女の子が知りたがってるとわかって、気を悪くするような人は少数派だからね」


「……じゃあ、なんで俺みたいな人間の身辺を、無断で調査する必要があるんだ」


 思わぬ事情を伝えられ、またしても困惑してしまう。

 それだけり取り見取りなら、俺の代わりになる男子なんて、いくらでも他に居るはずだ。

 と、そう思ったのだが。


「だから、それは男女比にも表れているパワーゲームの結果なんだって」


「パワーゲーム?」


「そう。女子は売り手側なんで、恋人選びで異性に要求する条件も、幅が多少狭くたって許容されるのですなー。特に、自ら相談所に登録してくれるような子には、あたしたちとしても、できるだけ要望に応じたいわけなのだね。――わかる?」


 どちらかというと、あまりわかりたくない。

 だが、そうも言ってられないので、ひとまず目で合図してうながす。

 天峰は、それを見て先を続けた。


「それで場合によっては、かえって合コンにあまり参加してくれないような男子の中に、利用者の女子が希望する条件と合致する人が居ることもある。というわけで、別途の情報収集やコンサルティングを行うサービスもしてるの」


 尚、「パワーゲーム」で劣位にある側は、逆に間口を広く構えなければ、恋人探し自体が極端に難しくなるとか。世知辛い。


「幅の狭い条件が許容されると、なぜ希月は俺を交際相手に選ぼうとするんだ」


「それは今朝も言ったけど、なかなか逢葉くんみたいな男の子はいないからだよ」


 希月が再び、覗き込んでくるような姿勢で答えた。顔が近い。


 結局、この疑問を解消しないと、話が先に進まないのか……。

 こいつの思惑に乗せられてばかりいるような気がしてならないけど、この際は訊いておかざるを得ない。



「おい、天峰。希月が希望する恋人選びの条件ってやつは、どういう内容なんだ」


 俺は、あえて天峰にたずねた。

 恋愛相談に乗っていたのなら、こいつだって同じ質問に答えられるはずだ。

 希月に直接訊くのは、何だかしゃくに触るし、気恥ずかしい。


「あれ、逢葉くんって、まだ絢奈ちゃんの希望条件を知らないんだ?」


 天峰は、どことなく揶揄するように言って、書類ホルダーから別の用紙を取り出す。

「条件設定要望書」と、表面の上部に印字されているのが見えた。


「ええっと……『交際相手に望む条件――年齢・同学年、体型・身長百七十センチ強、体重六十キロ前後。学業成績・クラス十位前後、得意科目・文系教科一科目。運動能力・人並み程度、所属の部活動・帰宅部が望ましい。趣味・浅く広く、好物・主に洋食系』――」


 用紙の項目を、高音域の声で読み上げていく天峰。

 それを聞きながら、うんうん、と希月は何度もうなずいている。


「『志望進路・文系大学を経て地方公務員であること。性格・真面目で誠実、どちらかと言えばお人好しで、ちょっと融通が利かないぐらいの方がいい』……と、概ねこうなってるねー」


 …………。


 ……性格面は別として、他は誤差レベルで当て嵌まってんじゃねーか俺……。



「いやー、ここまで絢奈ちゃんの理想にぴったりだとはねー。どう、逢葉くんも納得した?」


「納得というか……。条件設定は把握したけど、なぜ希月が俺みたいに中途半端な男を好むのかは、正直まだ合点がいかん」


 俺は、天峰に率直な所感を述べた。

 何たって、希月絢奈は美少女なのだ(性格的に問題は多いと思うが)。

 とすれば、交際相手には、もっとイケメンだったり、学業成績が優秀だったり、スポーツが得意だったりする人物を望んでも、ちっとも不思議じゃない。

 むしろ自然だとさえ言える。


 加えて言えば、希月の条件設定は、やたらと仔細で具体的だ。

 具体的な要求を持っているということは、それだけだとも考えられる……


 ちらりと横目で隣を眼差すと、希月はそれに気付いたらしい。

 生温い笑みを口元に漂わせ、おもむろに自らの動機を話しはじめた。


「私はね、の男の子とお付き合いしたいんだよ」


「ほどほどって?」


「目立ち過ぎず、優秀過ぎず。突出した何かがあるわけじゃないけど、取り立てて他人より劣っている部分もない――それでいて、手堅く無難な将来設計を期待できそうな、安定志向の交際相手。……だって私は、自分とお付き合いしてくれる男の子に、ゆくゆくはちゃんと責任を取って結婚してもらうつもりなんだから」


 希月は、拳を握り締めてみせ、力強く言った。


「ちいさくても、慎ましやかな幸せほど、たしかで壊れ難いものだよ。妙な色気を出したり、高望みしたりして、あとあと失敗したくないもん」


 たっぷり数秒間、俺は目を剥いて黙り込んでしまった。


 そういうことでしたか……。

 完全に得心がいったわけじゃないけど、こいつの主張は理解できる気がした。



 きっと希月は、すでに何年も先を見ている。

 高校生同士の甘酸っぱい時間とか、青春のきらめきとか、そんな手近な光景は、視界に捉えようとしていないんだと思う。


 だって、希月は「婚活」をしているのだ。

 この子に必要なものは、たぶん単純な高校生らしい恋愛とは違う。


 恋人を作って、楽しいことがあって、哀しいこともあって、笑ったり、喧嘩したり、すれ違いが重なったりするような、幸せになれるかもしれないけど、結局は離別が待っているのかもしれない――

 そういう曖昧で不確かなものを、根本的に求めてはいないのだろう。


 この子が欲しがっているのは、まず何より確実なゴール地点の約束なんだ。


 そして、希月は俺に対して、暗に「私で満足してよ」と勧めている。

 自分自身の「市場価値」を示して、これで手を打たないかと、俺にある種の交渉を持ち掛けてきているのだ。



「……希月は、それがおまえの人生にとって、だと思ってるのか」


「うふっ。まあ、そんなところだよ」


 絞り出すようにたずねると、希月はあっさり肯定した。


「情緒的でドラマティックな恋愛に、憧れがないわけじゃないけど。でも、どんなに運命的な絆があったとしても、圧倒的な現実の前には無力だもん」


 何という割り切りの良さ。

 男でもこうは簡単に受け入れられまい。

 いや、それとも女だからこそなのだろうか。


 いずれにしろ、俺はその価値観に抵抗を覚えた。

 おそらく俺以外にだって、多少の違和感を抱く人間は必ず居るだろう。



「で、どうなのだね? そのへんを踏まえた上で、逢葉くんとしては」


 天峰は、ちょっとテーブルに身を乗り出して、問い質してきた。


「あくまで絢奈ちゃんのアプローチを拒否するわけ?」


「そうだな。正直言って、お断りだ」


 きっぱりと言い切ってやった。

 希月の考えを聞かされ、いまや漠然とした感覚に基づく判断じゃない。


 俺は、現実的な根拠だけに従って、交際相手を選ぶ気にはなれなかった。

 夢想的な思弁のみが恋愛の本質だなんて言うつもりもないけれど、打算的な取り引きじみた関係で、あらゆる人の結び付きが担保されているとも思わない。

「結婚を前提にした交際だから、付き合うには重い」とか何とかいう、それ以前の問題だ。


「ほほぉー。そうなのかぁ~……」


 天峰は、テーブルの上で両手を組み合わせ、こちらをじっと眼差してくる。物珍しい動物を見るような、興味深そうな面持ちだった。


「絢奈ちゃんぐらい可愛い子からコクられるなんて、そうそう人生で何度もないかもしれないぞ?」


「希月が目先の恋愛だけを考えていないように、俺だって即物的な理由だけで付き合う相手を選ぶつもりはない」


「真面目だね。――まあ、考えようによっては、提供された情報通りの性格ってことか……」


 天峰は、ぶつぶつ一人でつぶやきながら、手元の書類を眺めていた。

 それから、何やら勝手に納得したらしく、希月を見て問い掛ける。


「絢奈ちゃんはどう? 逢葉くんは、こう言ってるけど――」


「もちろん、これくらいであきらめるわけないよ」


 希月もまた、勝ち気に即答した。

 うーむ、案外打たれ強いやつなのかもしれん。

 ますます面倒臭い。


 天峰は、俺と希月の顔を、腕組みしながら交互に見比べる。

 そうして、ほんの少しまぶたを伏せ、考え深げにかぶりを振った。


「まあ、仕方ないか……。それじゃあ、やっぱり今日も絢奈ちゃんとは、いくつか今後の方策を打ち合わせしておいた方が良さそうだね」

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