第五章 お茶会への道
そこは道というよりも空間だった。
ほんのりと淡く光る緑の道と、それを取り巻く白い空間。所々街灯のような物が建っているが、灯りはついていない。
そこには天と地はあったが、前と後ろはない。ただ進むだけ。本当に進んでいるのか、分からなくなる。
「一つ聞いても良いですか?」
先導していた男が唐突に口を開く。前を向いたまま、振り返り燃せずに、淡々とエーファに尋ねた。
「ああ」
「あなたって、なんなんです?」
「分かってるんじゃないのか?」
エーファの返答はにべもなかった。
「まあ、確かにちょっとは知ってましたけど、でも少しばかり違うみたいですから。ほら、私ってこんな事してますけど、本職は研究者でしょう? 小さな事でも気になると解明せずにはいられないんですよ」
勿論男――メルディン社特別顧問、ミハエル・フォグナーは全て知っていた。エーファという存在の在り方全てを。しかし、それは三十年前の、エーファがこの街にやって来た時のお話。それから後の事は分からない。というか、ミハエルにしてみればこうして生きている事が信じられない。当時はとても不安定で、今にも壊れそうなものだったのに――というか、壊れる事があれの目的だった。
「先に私の質問に答えたら、教えても良い」
母親に似て、傲慢な物言いだ。ただこの子は母親と違い、それが高慢だとは知らないだろう。母親は分かった上でやるが、この子は違う。だから似ていると感じても、受ける印象が全く違う。
「いいですよ、私に分かる範囲でしたら何でもお答えします」
「なんでこんな事になったんだ?」
「……」
あまりにも根本的な問いに、ミハエルはどこから話したものかと一瞬悩む。
「……それは、そうですね。まあ順序よく言えば元々この森は狙われてたんです。ずっと前から。金銭等で買い取れれば話は簡単だったんですけど、それはきっぱりと断られてましたからね。それで次の手段として、国の上層部に色々なお話をして、強引に乗っ取ろうと、そういう話です。勿論合法でね」
「合法、ねぇ……」
含みのあるイルマの呟きを無視して、ミハエルは肩を竦めて見せた。
「しかし、それも前国王様のお陰で水の泡になりそうですけど。厄介ですよねぇ、王国というのは」
ミハエルはこの国の出身ではない。もっと大きな国、東の共和国の出身だ。メルディン社の本社もその共和国にある。
ミハエルの常識によれば、法とは絶対だ。色々と抜け道はあるものの、それは小さな網の目を抜けるようなもので、ぶち破る事は不可能だ。だというのに、この国では紙切れ一枚でころころと法は変わる。故郷では考えられない事だ。
「はい、私はちゃんと答えましたよ。次はあなたの番です」
「私は私だ」
エーファの返答はにべもない。
「……まあ、それはそうですけどね」
もっと他に言い方はあるだろうに。
呆れて振り返ると、あの子は退屈そうに地べたに座り込んでいた。猫も隣で大人しくしている。歩いていたのは、ミハエル一人だけだった。
「……いつ気がついたんです? ここに道が無い事に」
「入ればすぐに分かる」
やはりエーファの返答は素っ気ない。だが彼女らしい答え方だ。
「そうですか……上手くできてたと思うのですけど」
この空間は、全て見せかけだ。ここには何もない。なにも。歩いているように感じても、それは全てまやかし。
空間すら統べる魔術士にとって、道とは点だ。繋いだ点と点を移動する。踏み入れればそこは目的地であり、歩くという物理行動は無意味だ。
「魔女様だからな、分かる」
何でもありとはずるい。それはちょっと、ずるくないか?
「……で、結局私の質問には答えてくれないんですか?」
「答えたぞ」
「私は私、ですか?」
「他に言いようがない」
「見たままの事よねー」
猫とその飼い主は呑気なものだ。こちらの事情や想いなど、気にも留めていない。それがらしいと言えば、らしいのか。
「手厳しいですね」
「無駄話は終わりだ。早く案内しろ」
ついさっきまで、森で会った時はこちらの言葉に簡単に動揺していたのに。この違いはなんだ?
「はいはい、分りましたよ。今日の所は諦めましょう」
そう、機会はいくらでもある。これから先この子が魔女として生きるとしても、ロゼッタの玩具になるとしても、どちらにしても調べる機会はある。できれば動いている方が色々実験できるから望ましいが、欠片一つでも構わない。本来ならばこれはもうとっくに、壊れているはずの検体なのだから。
そうミハエルは自分を納得させて、己の務めを果たす。これを、ロゼッタの元へ連れて行くことを。
「それではこちらへ。お母様が、お待ちですよ」
「……」
あえて挑発的に言ってみせても、エーファは特に表情を変える事はなく、また何も言わなかった。
少しだけつまらないと残念に思いながら、ミハエルは道を繋いだ。
皆が揃う、あの場へ。
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