第五章 お茶会にご招待

 闇だ。


 深い闇。全て沈んでいる。


「……で、アンタこれからどうするつもり? 森へ行っても今のアンタは余所者よ? 見たら分かるでしょう?」


 イルマに言われるまでもなく、エーファは一目で分かった。


 ごく一部であるが、森は変質していた。もはや別の空間ですらある。しかし、変化しているのはごく一部。ほんの一部。これくらいなら変わったとは言えない。と、エーファは思う。


「猫さんは半分正解、半分不正解って所ですね」


 唐突な男の声に、エーファとイルマは全く動じなかった。


「驚いていませんね。残念。驚かそうと思ったのに」


 薄っぺらい笑顔を貼り付けたまま、大して残念がっていない様子で、男は森から現れた。


 右手に灯りのついたカンテラを持ち、闇を小さく照らしてる。


「お前はそこ居るのだから、喋ったっておかしくないだろう。何を驚くんだ?」

「誰も居ないと思ってた所にいきなり声かけられたら、普通はびっくりするんじゃない?」

「確かに、声だけしたらちょっとびっくりするな」

「でしょう? 誰だか知らないけど、そんな事ぐらいじゃ驚かないわよ、アタシ達は」

「まあ、別に私はあなた方を脅かしに来た訳ではないですから、いいんです。そろよりも――」

「負け惜しみか」


 珍しい事にエーファが噛みついた。


「負け惜しみね」


 乗っかってやれば、


「……はは、これは手厳しい」


 男の薄い笑みが少しだけ張り付く。いい気味だと、イルマは少し楽しくなってきた。


 先程から散々な目に合っている。すこしばかり意地悪をしたって許されるはずだ。どうせこの男も、あの眼鏡女の仲間なのだろうし。そもそも、魔女や魔法使いでもないのにイルマの言葉を理解できる者も珍しい。イルマにとっては貴重な存在だ。これでもっと色男ならば文句はつけようがないのだが、


「まあ、ともかく。本題に入りましょう。我が主人が――」

「断る」


 また男の言葉を遮って、短くエーファは言い放ち、無遠慮に一歩、大きく前進した。


「……力ずくですか。綺麗な顔して、乱暴な人ですね。残念です」

「違うわ、単に怒っているの。これは」


 珍しい事だと、小さく驚きながらイルマは己の前に立つエーファを眺めた。





 そう、エーファは怒っていた。


 仲間をあっさり見捨てていく、あの眼鏡の女のやり方を。そして見捨てられた女達の姿が重なって見えて、非常に不愉快だった。


 昔の自分に。


 いや、現在進行形での自分に重なって見えて、不愉快だった。早く帰りたかった。誰も居ないけれど、暖かい我が家へ。ゲルトにも会いたくなかった。なにかあるとすぐに会いたくなる人だけれど、今は会いたくない。


 八つ当たりを、してしまいそうだから。


「八つ当たりされたくなかったら大人しく道を開けなさい。ここはアタシ達の家だもの。案内は結構よ」


 流石は使い魔。ちゃんと主人の状態を分かっているじゃないか。なんて、偉そうな事を考えつつ、エーファはもう一歩踏み出した。


 男は無言で森へ数歩、退いた。


 警戒している。少し緊張してきているようだ。男の纏う空気と匂いが若干変わった。


「……弱りましたね。私は戦闘とか苦手なんですが。ほら、私は研究者ですから、本当は」


 口ではそんな弱腰な事を言いながらも、引く気はないようだ。力が、男の元に集まりつつあるのがよく見えた。


「どうでもいい。邪魔をするのなら相手をするだけ」


「やめておきましょう。言ってるじゃないですか、私の専門は研究だって。勘弁して下さいよ、ただでさえ慣れない事務仕事でストレス溜まってるんですから。駄々をこねるのは止めて下さい。全く、親子揃ってろくでもないですね」


「関係無い」

「そうですか? 見たところ大部分はあの子みたいじゃなですか? あの人も喜ぶでしょうね」

「黙れ」


 男の言葉に反応するものがあった。ざわざわと、身体の奥底がざわめく。一人喚けば、それはあっという間に全体に広がった。嘆き悲しみ喜び怒り、諦め。絶望。様々な声が波のようにエーファを襲う。


 ――まま、まぁま


 ――おぉおおおおおん……


 ――☆>○◎☆□!!???*****


 ――GA!A!A!AAAAAYAAAA!!!!


 煩い。


 うるさくて堪らない。


「黙れ!」


 久しぶり過ぎるそれらの存在に少し懐かしさも覚えるが、やっぱりうるさい。煩わしい存在だ。


「私はなにも言ってないですよ?」


 男は面白がっている。エーファがなにでできているか理解した上で、揺さぶっている。どこを揺さぶれば一番大きく揺れるか、全部理解した上で。


「ど、どうしたのよアンタ? しっかりして頂戴!」


 逆にイルマは狼狽えていた。珍しいくらいに狼狽えてた。いつもの太々しさはどこに行った? ここにはイルマを弄ぶ奴はいないというのに、なにをそんなに動揺している?


 後ろから飛び出して、まるで男からエーファを庇うように二人の間に割り込み、イルマはエーファに叫んだ。


「しっかりしなさいよアンタ! ここが家に帰れるかの瀬戸際でしょう!? もうたくさんよ、早く帰りましょう。家はすぐそこよ。分かってるでしょう? 何度も帰った家だもの。分からない筈ないわ」


 その通り。森に一歩足を踏み入れば、望むだけで家との距離は消える。森は目の前。つまり家はすぐそこ。目の前。分かってはいても、何故か声にならない。


 イルマはなおも吠えた。反応のないエーファを揺さぶるように。


「それにアンタは満腹かもしれないけど、アタシのお腹はペコペコなのよ。アタシが満足するご飯用意するって、アンタ誓ったでしょう!? 魔女の誓いよ、忘れたの? 破ったらどうなるのか、アンタ分かってんの!?」


 いや、分からないな。


 即答しかけたが、口に出すのはやめた。部外者がいるから対面が悪い。


「……そういえば、そうだな。約束したな」

「そうよ。そうでしょう? アンタ何一人だけでゴハン食べてるのよ!」


 イルマは憤慨している。ここまで感情を表すイルマも珍しい……それは、自分も同じか。


 唐突にエーファは興が冷めた。頭が冷えたといっていい。変わらずに己の内側で声達は煩いが、もうそんなに不快ではなくなっていた。

 イルマのお陰だ。

 イルマは魔女の使い魔で、魔女とはエーファで。

 エーファという存在を強く認識できた。


「悪い。失礼な真似をしたな。謝るから水に流して欲しい」


 男に向かって小さく頭を下げる。

 八つ当たりなんて、最低だ。どんな相手でも、いかなる理由があろうとも。


「構いませんよ」


 男はエーファの謝罪を快く受け入れた。


「では、参りましょうか。ご案内しますよ」


 男はカンテラを森の方へと照らした。すると細い道が現れる。イルマが不安気にエーファを見上げたので、エーファは小さく肯いてみせた。


「大丈夫。私に敵うものなんていないから」

「別に、怯えてなんかいないわ」

「そう。それはよかった」

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