第五章 悪い魔女と良い魔女

 あいつらに聞きたい事はたくさんあった。あの時は眠たかったし飛びたかったから、良く聞きもせずに飛び出してしまったが、そのおかげ今ちょっと困っている。


 イルマに事情を説明しようにも、ろくに話を聞かずに飛び出して来たのだから、エーファ自身も何故森を出ていく羽目になったのか今ひとつ理解できていない。いや、全く分かってなかった。


「……はぁ」


 二階へと続く階段を昇りながら、エーファはため息を吐いた。


 面倒。


 腹はふくれて準備万端の筈だが、一向に気持ちがのらない。やる気が出ない。


 やる気とはアレだ、絞り出すものか。それとも沸いて出てくるのか降ってくるものなのか。


 とりあえず何でも良いから出て来て欲しいのだが、やっぱり出てこない。別にさっき食べたシチューに問題があるんじゃない。アリアさんのよりもずっと美味しかったが、ちょっと濃すぎた。あれはもっと煮詰めるかしてクリームソースみたいに、ドリアにしたりパスタにかけたりしたら美味しいんじゃないかと、全く関係無い事を考え、気を紛らわしてみるが、無駄だった。


 ただ時間は過ぎ、歩いた分だけ距離は縮まった。覚悟が決まる前に、向き合う事になる。


「ここは取り込み中です。それ以上進むのはやめ、引き返しなさい」


 階段を上がりきった所で、エーファは二人の女に行く手を阻まれる。


 赤茶色の制服の女だ。


 あの、森に突然現れた女達。エーファが聞きたい事があったのはこちらだ。


「引き返しなさい。面倒に巻き込まれたくなかったら、大人しく従いなさい。我々としても荒事は好む所ではないの」


 親切とも取れる女の言葉に、エーファは鷹揚に肯いた。


「そうか」


 歩みを止めぬまま、女達を押しのけて。


「ちょ、止まりなさい!」


「それ以上進むなら――きゃあ!」


 この女達では話にならない。あの時何か喋っていた眼鏡の女じゃないと。ここに来ている筈だ、同じ匂いがするから。


「騒しいですね、一体何が、」

「また、会ったな」


 居た。

 部屋の中からあの眼鏡の女が現れる。


「……ここで会えるなんて、私はなんて幸運なんでしょう。これであのお方のご機嫌もすぐに治ります」

「あんたに聞きたい事がある」


 歩みを止め、エーファは尋ねる。


「ええ、なんでしょう?」


 応えながら眼鏡の女は目でエーファの後ろに立つ女二人に、仕草でまだ部屋に残っていた女達に合図を出す。女達はエーファを囲むよう、陣形を築いた。


 そんな眼鏡の女を警戒する事もなく、エーファは尋ねた。こういう状況になった、その理由を。


「なあ、何故私は森を出たんだ?」

「…………そうですね、昨日もご説明した通り、あの森が我が社の所有になったからだと思います」

「そうだったのか……ふうん」


 これで合点がいった。あの男が取り返すと言っていたのも、これで理解できた。


「よろしいですか?」

「どうしてこうなったのか、その理由は分かった……と、思う」

「そうですか、それではこちらの用件を――」


 眼鏡の女が言いかけるのは遮り、エーファは告げる。


「私は森に帰る」

「帰る、とは? あの森は我が社の――」

「取り戻す。そう言ってくれた奴もいる」

「……」


 眼鏡の女は無言で右手を上げた。それを合図に女達が飛びかかる。頭に腕に腰に足に、女達は押さえ込もうと飛びかかった。


 エーファはそれらを物理的な力で排除した。それだけの力が、エーファにはあった。


「きゃあ」「うっ」「くぅあ」「がっ」「あうっ」


 鬱陶しげにエーファが振り払うだけで、女達はほこりのように簡単に振り払われる。


「帰って伝えるがいい。私は、魔女は、」


 魔女。そう、私は魔女になる。見習いは今日でお終い。リサにも言った継承の儀式というヤツ、実はよく分からないが、分からないって事は多分重要じゃないはずだ。名乗ってしまえばこちらのものだろう、先代魔女はもう居ないのだから。うん。


 もう詐欺としか言えない、理屈ですらない理屈をこねて、エーファは自分で納得する。


「魔女様は森に居ると伝えるがいい」


 はっきり言い切ると、なんとも言えない充実感が胸を満たす。ほかほかと暖かい。わくわくどきどきと胸も高鳴る。力が沸いてくる。これだ、やる気が出た瞬間。


「魔女様は逃げも隠れもしない!」

「……最初に逃げたのはそちらでしょう?」


 きっぱりと宣言すれば、眼鏡の女は呆れた調子で突っ込む。


「あなたがちゃんと人の話を聞かずに突然飛び出したからこうなってるんですよ? 何を偉そうに逃げも隠れもしないって……馬鹿じゃないですか?」


 水を差されるとはこういう事か。眼鏡の女の正論に、やる気はしぼんだ。


 そうですねー、確かにろくすっぽ話聞かずに飛び出したのは私ですよー魔女様の方ですよー。へんだ、でもいいもんねー、今から帰ればいいんでしょー。


「……まあ、ともかく」


 気を取り直しながら、エーファは改めて宣言する。


「魔女様は今から森に帰る。私に用があるなら森に来るんだな。お茶ぐらいなら出してやるぞ」

「遠慮しておきます」


 眼鏡の女は黒い何かを放り投げた。


 瞬間的にそれを危険物だと判断したエーファは、それを包み込んだ。



 どがんっ!!



 完全には包み込まない。少し隙間を開けておく。その方が衝撃は少ないから。隙間の肉は多少裂けるが、切り傷みたいなもので、打撲よりはマシ。痛いけど。


「……本当、羽を生やした時も化け物だと思ったけれど、その腕。あなたはなんなの?」

「魔女様は魔女様だ」


 エーファの右手は伸びていた。手の部分は浅黒く変色し、鱗のようなものまで生えている。かつて黒岩竜と呼ばれた魔物の腕だ。ぽたぽたと落ちる血は赤い。


「それよりもお前、それはやめた方がいい。こいつらも怪我するぞ」


 狭い通路で、他に逃げ場ない。逃げるつもりもない女達。それに何人かはエーファが無理に振り払ったせいで骨が折れているだろう。


「構いません。危険手当もちゃんとついてますから」


 眼鏡の女はむしろ微笑みすら浮かべて言った。

 危険手当はなんなのか。分からないエーファはなんと言えばいいか分からない。しかしそれは違うだろうとは感じた。


「そういう問題じゃねぇだろ」

「いえいえご主人、とても大切な事ですよ」

「バッカじゃないの」


 代わりに答える声が三つ。


「嬢ちゃん達よ、俺の家で荒事は勘弁してくれ。さっきすげぇ音がしたが、何も壊してねぇだろうな?」


 建物を心配するマスターと、


「初めまして。あなた方があのメルディン社の方ですか?」


 にこやかに挨拶する男と、


「アンタその腕みっともないからやめなさいよ。戻れなくなったらどうするの? 嫌でしょそんな腕は」


 イルマだ。


 イルマ。魔女の使い魔の。


「……なあ、私はなんだと思う?」


 突然の問いに、誰もが怪訝な目をエーファに向ける。だがイルマだけは面倒臭げにだが、はっきりと答えた。


「魔女なんでしょ?」

「そう、私は魔女」


 見習いでは、もうない。


 魔女になる。


 そう心に浮かんだ瞬間。その瞬間から。


 やる気以上に心に満ちあふれるもの。強い力を感じる。世界がまるで光っているように見えた。輝きに満ちている。


「魔女になる」


 宣言すれば、それは事実となる。認めればいい。認められれば、それは事実になる。儀式など関係無い。


「魔女に、なった」


 簡単な話だ。少なくともエーファにとっては。魔女になるってどういう事なのか分からないけれど。けれど、魔女がどんなものなのかは知っている。先代魔女の事は分かっている。彼女みたいになればいいんだ。


「それではあの森はあなたの物ですね、魔女殿」


 男の言葉に、眼鏡の女は反発する。


「何を馬鹿な、あの森は我々メルディン社の――」

「それはつい先程までのお話です。ここにあの森の所有者を明記した書類がありまして、それによると森は魔女の物だという事ですよ?」

「どういう、事です?」

「特例が認められたのです。前国王ジークフリード様より。見習いの小娘には無理だろうが、一人前の魔女ならばあの森を上手く治められると。ですから、あの森は魔女の物です。魔女がこの街に存在する限りね」

「馬鹿な……」

「他国の人には理解できないでしょうが、この国では法よりも王族が上なんです。順位をつければね。ですから、あなた方が今言った事は無効になります。森は魔女の物だと、ジークフリード様が認められましたから」

「……辺境が!」


 眼鏡の女はそう言い捨てると、くるりと背を向けた。


「とりあえずここは帰らせて頂きます。仕事が増えてしまいましたから」

「そうか」


 エーファが鷹揚に肯けば、眼鏡の女は忌々しげに、


「はい。それでは、失礼」


 眼鏡の女が片手を上げる。すると彼女の足下に魔法陣が現れ、白く光り輝くと、次の瞬間には女は消えていた。苦痛に呻く、部下達を残して。


「おいおい……なんて事だ」


 マスターの呆れた声。何故呆れているのか、エーファには分からなかったし興味もなかった。エーファが興味引かれるのは結局、自分のことでしかない。関係のない他人は目にも入らない。


「帰るぞ、イルマ」


 早く帰らなければ。その想いだけがエーファの頭を占める。


「その前に、魔女ならば務めを果たしなさいな」


 使い魔はとても静かにエーファの前に立ち、囁くように告げた。


「務め?」

「そんな事も分からないの? 分からないなら魔女を名乗る資格は――いいえ、はっきりと口にするのは止めておきましょう。軽々しく口に乗せていい言葉ではないものね」

「……」


 エーファは黙って、倒れ伏す女達を眺めた。また先程までイルマと大男が戯れていた部屋からは女が一人、こちらを見ていた。どれも恐怖と混乱に震えている。


 何故自分が恐れられているのか、エーファにはさっぱり見当がつかなかった。とりあえずこの人なざらる腕のせいかと考え、腕を元に戻した。破れた服は元には戻らなかったが、腕は元通り、人の腕にもどった。戻す時の力で傷も癒した腕は細く白く、華奢ですらある。


 元に戻った腕の柔らかな感触を楽しむように、エーファは腕を撫でた。


 撫でながら、イルマの言った言葉の意味を考えた。


 マスターや男に目を向けても、彼らはただ肩を竦めるだけだった。マスターは途方に暮れているようで、逆に男は成り行きを愉快げに見守っているようだ。助言を得る事はできそうにない。


「おいおい、怪我してるじゃないか。早く手当してやれよ。それか、病院に連れて行かないと」


 助言は別の所から与えられた。大男だ。戸惑う女達に構うことなく、大男は周りの者に助けを求めた。


「なに突っ立ってるんだお前ら。早くしねぇと、」

「あ、ああ、そうだな。おれも手伝うとしよう」


 マスターがぎこちなく動き出した。マスターは動揺しているらしい。


「そうか、じゃあ私も手伝おう」


 エーファは何の悪気もなく言った。しかし女達は恐怖に震え、まるで呪縛が解けたかのように一斉に同じ呪文を口にし、男達が手を貸す前に魔術で転移した。


「……な、なんだあいつら。いきなりやって来たと思ったらまた突然いなくなるし! 全くなんだってんだ!?」

「私の家にも来ていた」

「そ、そうなのか? じゃああんたの客って訳か?」


 大男の問いには答えず、エーファは歩き出した。森に帰る為。家に帰ろうと、決意した。


 今更ながら、ゲルトの家に行ったのは失敗だったかもしれないとエーファは考え始めていた。巻き込むべきではなかったかもしれない。現にアリアは少し苛立っていた。


 まあ、今更な話だ。時はもう戻せない。次回にこの後悔を生かそうと、エーファは心に決めた。


「そのまま帰るような人間だったら、私はあなたを危険人物として報告しなければならなかったでしょう。魔女は魔女でも、邪悪な魔女として」


 大男を通り過ぎ、マスターの横をすり抜け男の傍を通り過ぎる時、彼は薄い笑顔のまま囁いた。


「……都合が悪いか良いかの違いじゃないのか?」


 誰にとって、とはわざわざ指摘しない。一瞬足を止め、そう言い返すとエーファは相手の反応を待たずに歩きだした。男がどう思おうと、エーファにはどうでも良かった。


 ただエーファについて男を通り過ぎる時、黒猫が興味深げに男の顔を見上げれば、彼はやはり薄い笑みを貼り付けたままだった。その笑顔の下で何を考えているか、イルマには見当もつかなかった。

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