第四章 魔女と使い魔の関係

 それじゃ行ってきます。


 胸の内で呟いて、エーファは家を出た。


 イルマを探す。


 目的はめでたく決まったが、その方法はどうだろう。さっぱり見当がつかない。


「……さて」


 どうしようかという意味を込めて呟いた所で、答える者などいない。とりあえず歩くしかない。せめてイルマを連れて行った男の住処を知っていればそこに向かうが、全く知らなかった。おまけに名前も忘れた。顔は辛うじて覚えているが、細目でつり目、髪の色は黒いくらいしか思い出せない。


 金や茶が多いこの国で、黒い髪の人間は少しばかり珍しい。珍しいのだが、エーファはそんな事は知らない。それなりの場所で黒髪・つり目・何でも屋という条件で探せば、おそらく簡単にクルト・ボルツという人物に行き当たっただろうが、エーファはそんな事は知らない。


 行き当たりばったりに歩くしかなかった。


 広い街で一匹の猫を探す。


 気が遠くなる作業だ。主と使い魔といっても特別な絆などない。引かれ合う何かもない。イルマの言葉がエーファには分かる、それだけだ。


 一人で街を、街でなくとも一人きりで行動するのはエーファにとって久しぶりの事だった。


 常にイルマが傍にいた。あるいはゲルト、今は亡き魔女が傍にいて、エーファは守られていた。それが今はない。エーファは一人きりで広い街を彷徨い歩かねばならなかった。


 少しばかりの不安を覚えながらも歩き続ける内に、エーファは遠い記憶の中にこれとそっくりな状況を思い出していた。


 あの時も腹が減っていた。そして見知らぬ場所で、己一人。よく似た状況だ。不安が少し消え、余裕が生まれる。


 そう、これはあの時に似ている。少し違うのはあの時はただ待っていれば良かった。待っていれば、それで事は終わった。しかし今は違う。ただ待っていても事態は解決しない。多分。自ら行動を起こさねば。これが成長したってヤツだろう。多分。そうだ、そうに違いない。


 妙な自信をつけて、エーファは夜の街へと繰り出した。






 夜の街を駆け抜ける、黒い影が一つ。しなやかに伸びる四肢は闇夜。


 彼女は敵に追われていた。


 彼女に比べ、あまりにも巨大な敵に。


 必死に彼女は逃げていた。捕まれば地獄が待っている。もうあの場所には戻りたくない。


「イルマ。イルマ~」


 彼女の名を呼ぶ男の声。


 彼女の毛がざわざわと逆立つ。


 怖いとは思わない。ただ気味が悪い。ぞわぞわと毛が逆立つ。こんな怖さをイルマは初めて知った。


 嗚呼、こんな事になるなら家で大人しくしていれば良かった……なんて、後悔するのも癪だから、イルマはひたすらに街を駆け抜ける。


 己が今どこに居るのか、どこに向かっているのかすら分からずに、イルマは駆けた。


 街の変化は目まぐるしい。


 しばらく来ない内に街はその姿や表情を変えていた。新しい店、家、アパートやなんだか良く分からないビル。記憶の中では道だったはずの空間にはビルが、その逆もまた然り。


 やがて、その駆け抜けた先には。


「ああ、ここにいたのか」


 路地裏の一角。なんとも言えない悪臭が鼻を刺激する、薄汚い小さな空き地。


 やっぱり華やかな流行の服とは異なった、古くさい服を纏った主人が何故か居た。辺りはもう暗く、服の色までは分からないが、型自体が古い。誰の持ち物なのか、初めて見る服ではあるが……て、そんな事はどうでもいい。


「ナニよ偉そうに!」


 イルマは吠えた。


 しかし主人は全くイルマに関心を示さず、イルマを見下ろしたまま、一方的に告げる。


「お前が居ない間に困った事になった。どうにかしてくれ」

「知らないわよ!!!」


 頭がおかしくなりそうだった。


「いるまぁ……」


 亡霊のように響く、あの男の声。


 逃げ出したいのに身体が動かない。


 全くもって腹立たしい。ナニが腹立つかって、この主人だ。幼い子供がおずおずとこちらの様子をうかがいながらお願いする時もあれば、こういう風に偉そうに命令する時もある。一番腹立たしいのは、こういう時のエーファには逆らいがたいナニかがある事。こんな小娘に、己が!


 イルマは特別な存在だった。


 食うものと食われるものならば食うものの方。支配するものとされるものならば支配する方。そのはずだった。幼い頃から姉妹達を蹴散らし、母はイルマの為だけに餌を探した。そうしてあの時、巣から独り立ちを果たすあの時にコレと出会った事。それがイルマの最大の不幸だ。


「アタシはアンタの、召使いじゃない!!」

「使い魔だろう、お前は」

「っ!」


 素気なく言い返され、それに怯んだ己に腹が立つ。


 そして現れる、あいつ。


「なんだここに居たのか……良かったイルマ。もう勝手にどっか行っちゃあ駄目だぞ」


 ロルフ。


 あのクルトに全く似ていない弟。少しでも似ていればまだ耐えられたものを。


 茶髪に茶色の瞳。そして無駄にデカイ図体。


 髪の色も瞳の色も、体格さえもまるであの兄弟は似ていない。血縁関係はないのかもしれない。


 イルマは不本意だったがエーファの元へ走り寄る。


 他に頼れるものがない。一人で逃げても、またロルフに追いつかれるは目に見えていた。この追いかけっこもイルマは必死だが、ロルフには余裕が感じられた。動き続けたせいで息は上がっているものの、その表情はひどく明るい。


「おいそこのあんた、悪いがその猫をこっちに――」

「渡したら許さないわよ!?」


 イルマの必死の叫びに、エーファは眉一つ動かす事無く、素気なく答えた。


「これは私のものだ」


 冷えたその声は頼もしくイルマの耳を揺らした。









 これは私のもの。


 イルマを追って裏路地を行けば、そこにはイルマと一人の女性が立っていた。


 奇麗な女性だ。


 月の光が流れるような白銀の髪。目にした者を底冷えさせる、蒼と紫の瞳。造形は整っているが、感情がなく精緻に造られた人形のようである。


「……あ?」


 ロルフは聞き返す意味で短く声を上げた。しかしそれは恫喝に近い。並の人間なら短く悲鳴を上げ、逃げ出すに違いない程に圧力があった。


 しかし女性は顔色一つ変えることなく、言葉を返す。


「誰だお前」



 にゃあ



 猫が女性の足元で鳴く。まるで説明するみたいに。


 そんなまさか。とは思うものの、一概に否定はできない。この猫は人の言葉を理解している、それは分かるからだ。毛並みを誉めれば自慢げに毛を舐め、名前を呼べばばこちらを振り向く。だからこそこの猫に魅かれる。元々動物は好きだが、この猫は特別だ。


「……ふん、あの男の弟か。似てないな」

「うるせぇ!」


 やはり猫は人の言葉を理解しているらしい。女性の問いに対し、事情を説明したようだ。羨ましいことに女性にはその言葉、ロルフには鳴き声にしか聞こえないが、内容が分かるらしい。とても羨ましい。


「兄貴を知ってるなら返せ! その猫は兄貴から預かってんだ!」

「私のものだと言ってるだろう。分からない奴だな」



 にゃあにゃあ



 猫は女性に同調するように鳴いた。面白くない。全くもって面白くない。


 確かに兄は拾ってきたとは言わなかったが、預かりものだとも言わなかった。女性には優しい兄だからちょっと頼まれた可能性もなくはないが、だからといって今すぐに返す必要はないだろう。兄に確認してからでも遅くはない。特別に大切な預かりものかもしれないし、無責任な事はできない。そうだ、ちゃんと自分が責任を持たねば。


 猫と離れたくない一心で無茶な理屈をこね、己の正当性を自分で立証して、ロルフはじりじりと猫と女性との距離を詰めた。


 猫はびくりと身体を震わせ、女性の足下に隠れる。女性は顔色一つ変える事なく、冷めた瞳でロルフを眺めていた。


「その猫を返してくれ。大事な預かりものなんだ」


 一歩踏み出す。


 猫はふうふうと毛を逆立て、唸った。


「預かりもの、か。そういえばあの男はどうした? 一緒じゃないのか」


 毛を逆立てる猫をひょいと掴み上げ、腕に抱きかかえながら女性は言った。


「営業中だ。もうそろそろ帰って来る時間だとは思うが」

「そうか、なら案内してくれ。あいつに聞きたい事がある。それまではお前が預かってくれ。大事な預かりものなんだろう?」

「ああ!」


 喜んで!


 猫が女性の腕の中で暴れたが、女性は構うことなく首を押さえてロルフに突き出す。ロルフは引っかかれるのも躊躇わずに受け取った。



 にゃにゃにゃにゃああああ!!!



 猫は大暴れしている。

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