第四章 魔女の親は魔女なのか
ぼんやりと意識が戻ると、甘い香りがクルトの鼻を刺激した。
仰向けに寝かされているのが分かる。背中には柔らかい布が敷かれている。
「へぇ、二人はお知り合いだったんですね」
華やかな少女の声。クルトの知らない声だ。
それに応えるのは、
「ええ、この子が街に来たばかりの頃からの知り合いで、今はこんなのだけれど、昔は可愛らしかったんですのよ。寝顔は今も可愛らしいですけど」
ロゼッタだ。
クルトはがばっと起き上った。
「あら、もう気が付きましたのね。残念だわ、寝顔はとっても可愛らしいんですもの」
いつも通りの笑顔のロゼッタだ。だが言葉に刺を感じる。
何か気に障ることをやらかしただろうか?
クルトは自問する。
ないはずだ。ロゼッタがロルフに買いに行かせた紅茶を未だエーファに渡し忘れた事ぐらいしか、身に覚えはない。
「ど、どうもロゼッタさん。こんな所で会うなんて奇遇ですね」
さっと立ち上がり、どもりながら後ずさる。
背中に敷かれていた布を拾い上げ、すぐに返せるように畳込む。
さっと辺りを見回すと、ここはエーファの家の前の広場だった。
家の前にはテーブルとイスが運び込まれている。そのテーブルの上にはお茶のセットが用意され、ロゼッタと少女は向い合わせで座っていた。少女の後ろにはあのいけすかない男が立っている。
一体いつの間に移動したんだ?
あいつも結局来てんじゃねぇか。
つーかさっきのアレは?
何でこんなところでロゼッタさんはお茶している?
様々な疑問がクルトの頭の中を駆け巡る。
「そうですわね、本当に奇遇ですわ。、まさかあの子の所にこんなに人が集まるなんて、考えもしませんでしたわ」
「あの子?」
随分と親しげな言い方だ。
クルトが聞き返すと、ロゼッタはにこりと微笑んで言った。
「娘がお世話になっております。わたくし、あの子の母親ですわ」
その頃娘のエーファは、ゲルトの家でぐーすか眠っていた。
朝仕事に出かけるゲルトを見送った後、特にやる事もないエーファは自分に割り当てられた部屋に戻り、眠りについた。
一度昼食時にアリサが起こしに来たが、エーファは起きなかった。アリサも無理に起こさずにそのまま部屋を後にした。
昨日突然ひどい怪我をしてエーファが夫に共に家に来たのには驚いたが、昨日の晩も今朝もエーファは元気だった。よく食べ、よく眠っている。だからアリサは心配はしてなかった。ただ夫が何か面倒な事に巻き込まれやしないか、それだけが心配だ。
エーファは夢を見ていた。
ゲルトに出会う前の事、出会った後の事。
ゲルトに出会う前の記憶は曖昧だ。たくさん覚えてはいるが、どれもあやふやで上手く思い出せない。はっきりしない。
しかし出会った時なら鮮明に思い出せる。
森に一人、うずくまっていた自分達。
当時の自分にとってじっとしている事は退屈な事ではなかった。今の自分にとっては死ぬほど退屈だが、当時の自分にとってはそうでもない。どう楽しかったかはもう忘れてしまったけれど。
そして魔女。
魔女。
まじょ。
もういない。
あの人は一人、時が来たと言って森の奥へ行ってしまった。
エーファを残し、一人で森の奥へ行ってしまった。
会いたい。
会いたいな。
ゲルトに会えたら次は魔女に会いたくなった。
会いに行こうか?
魔女が行った、森の先を想像してみる。
あの先には何があるんだろう? 今まで一度も行った事がない。未知の領域だ。
わくわくする……ような気がする。
ざわざわと背中がうずく。
自分たちも喜んでいる。
エーファは満足し、夢の中で更に眠った。
「ええ、エーちゃんのお母さんっ!!??」
最初に声を上げたのは少女だった。活発そうな少女だ。
少女の言葉には全くもってクルトも同感であるが、その驚きは少し失礼だ。後ろで男が小さくたしなめている。
「ふふ、そんなに驚く事かしら? あの子だって人の子よ。ちゃんとわたくしがお腹を痛めて生んだ子供です」
「ええと、そうなんですけど……すいません、あたし驚き過ぎですね。ちょっとなんて言うかびっくりしちゃって。だってロゼッタさんに子供がいるってのも驚きだし、それがエーちゃんだなんて……その、」
歯切れ悪く少女は弁解した。
クルトもその気持ちはよく分かる。ロゼッタは確かに妙齢の女性ではあるが、まるで少女のような無邪気で幼い雰囲気を持つ、子供みたいな女性だ。子供が居るとは思えない。クルトも初めてロゼッタに子供が居ると知った時は驚いた。たしかまだ中等部だったか。男の子だったはず。クルトの記憶が正しければ。
「母親として、あの子と仲良くして頂いて嬉しく思いますわ。あんな子ですもの。少し心配でしたのよ」
説得力がまるでない言葉だ。それにこの場の空気はなんだ? 白々過ぎて逆に居心地が悪い。まるで下手なおままごとだ。
「ええと……」
少女は言葉を濁し、困ったように斜め後ろを見やる。
少女の頼りの男は、厳しい顔でロゼッタを睨んでいた。
大した度胸だと感心する。クルトにはロゼッタを睨むなどとても無理。知らないから出来るかもしれないが、それにしてもあんな微笑み美人を睨めるとは普通の人間じゃない。男じゃない。
「ふふ……そちらの方はさっきから怖いお顔ばかり。わたくし、なにか気に障るような事をしたかしら?」
「いや」
男は素っ気なく答えた。しかし全くその通りでないのは明白だ。男はにこりとも愛想笑いすらしなかった。いや、と否定しながらもまだ厳しい顔をしている。
「……えーと、そうだ!」
少女がわざとらしく声を上げる。
「ところで、その、エーちゃんはどこ行ったんですか? 居ないみたいですけど……」
とてもわざとらしい話題の振り方だ。可愛らしいその顔には乾いた笑みが張り付いている。
クルトも同調する。
「そうですね、ロゼッタさんはご存じで? 彼女の行き先を」
「……そうですわね」
なんとか話題をそらしたかったクルトだが、直ぐさまやぶ蛇だったと気づく。
もし分かっているならロゼッタがこの少女とともに優雅にお茶を飲んでいる筈がない。ロゼッタはそういう女性だ。目的があるならその目的に一直線。無駄なお喋りはしない。
「本当、あの子ったらどこに行ったのかしらね。困ったものですわ。折角迎えに来てみればこれですもの。嫌になりますわ……今頃、どこで何をしているのやら」
ロゼッタは苛立ちを隠そうともしていない。しかし苛立ちながらもどこか楽しんでいる風だった。口元に浮かぶ微笑みは消える事は無い。
「それであなた達は、あの子が行きそうな所をどこかご存じないかしら?」
「ん~……さあ、見当もつかないですね」
「……」
男は何も答えず、クルトも肩を竦めてみせるだけ。少女だけがまともに答えたが、全く当てにはならない。
「ん~……行き詰まりですわね。どうしましょ?」
どうしましょ? と言われても……クルトは苦笑いを浮かべるしかない。
「ふふ……できれば早く済ませてしまいたかったけれど……仕方ないですわね」
仕方ない。
そうロゼッタが言った瞬間。
ロゼッタの纏う空気が変わる。
ちりちりと肌に刺さるこの感触。
殺気だ。
「えーと、ロゼッタさん? 何をなさるおつもりで?」
「あらいやだわ、わたくしったら、つい……」
クルトが声を絞り出して問うと、ロゼッタは恥ずかしそうに顔に手を当て、背けた。
その恥じらう様子は純真無垢な少女そのものなのに。
ちりちり突き刺す殺気は変わる事は無い。
ついってあなた……。
次の言葉が思い浮かばずにクルトは焦る。
少女がびびって泣きそうになっちゃってるとか、その後ろで男が護身用に何か持っていたんだろう、腰の何かに手をのばして身構えているとか、言いたい事はあった。
なのに口が上手く動かない。
からからに乾いて、機能しない。
なんという圧力か。
恥ずかしげに俯いていても、そのプレッシャーは変わる事がない。
「クルトさんはともかく――」
顔を上げ、ロゼッタは艶やかな笑みを浮かべながら小さく囁く。
「他のお二人はあの子にとって大事な存在なのかしら? わざわざここに訪ねて来る程ですものねぇ、かなり親しいのかしら?」
それは俺に聞いているのか。ならばむしろ言いたい、俺だってそこそこだって、多分!……なんて口が裂けても言えずにクルトは顔を背けた。
見ていられない。
成る程、彼女の血縁者であることは間違いなさそうだ。その蒼い瞳は彼女によく似ている――ような気がする。
まともに思考する事が苦痛となる。
肌に突き刺す強烈な殺意。
まるで反比例するように美しく蠱惑的なロゼッタの微笑み。
綺麗な人だ、ロゼッタは。
クルトは改めて再確認する。痛感させられる。
少女のように無垢な笑顔が絶えない女性。
色の薄い金の髪はふんわりとカールし、深い蒼の瞳はいつも楽しそうな色をたたえている。
それがロゼッタだ。まるで少女のような人。
今も楽しげな笑みを浮かべ、瞳もきらきらと輝いているのは変わらない。それなのにこの違いはなんだ、この受けるプレッシャーは。
「……」
こくんと、クルトの喉は自然となった。
ロゼッタこそ魔女だ。
妖しき美貌で人を惑わす、魅惑の魔女。
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