第三章 猫とテレパシー

 みゃあ




 クルトの背中で猫はこびるように甘い鳴き声を上げた。


「あんた知ってて……!」

「魔に才ある者なら見れば分かります。誰でもね。その猫は特別ですから」

「フォグナー様」


 秘書が遮るように声をかける。


 その声が若干先程よりも冷えていると感じたのは、クルトが神経を尖らせていたからかもしれない。


「はいはい、お喋りが過ぎると怖い人に怒られちゃいますからね。失礼しますよ。もしお暇があればまたお茶でも飲みに来て下さい。貴方なら歓迎しますよ」

「……ご冗談」

「それは、残念」


 ふふ、と、とびきり胡散臭い笑顔を残し、秘書と共に男は扉の向こうに消えた。


 残された、一人と一匹。


 ――猫ちゃんに聞いてみたらよろしいのでは?


 男の胡散臭い言葉を苦々しく思い浮かべながら、クルトは部屋を無遠慮に眺めた。


 なにもない部屋だ。ここは本当に奴の仕事部屋なのだろうかと、疑うくらいに。


 秘書の机と来客用のソファ一式、男の机以外には何もない。本とか書類をまとめたたくさんのファイルを整理する棚だとか、そういう物が一切ない。だからこそ二人はクルトを残しても平気なのかもしれない。というか、なにも秘書まで一緒に行かなくても良くないか? 客を残して部屋を空けるって、それはお茶を下げる下げないなど問題にならないくらい失礼な話じゃないか?


 なんて、細々考えながらもクルトは更に細かく観察する。


 秘書の机にはいくつかのファイルと何かのケースが綺麗に、秩序正しく整理されある。のだが、男の机の上には嫌みな羽ペンとインクケース、使い捨てのメモ帳とさっきクルトが渡したエーファのサイン以外には何も無い。机の中でも開けて見れば別かもしれないが、そこまでする気にはなれなかった。


 さぁて、どうするか。


 改めて己に問えば、クルトは重大な問題に行き当たった。


(やっちまった! 仕事の話がうやむやのままじゃぇか!)


 依頼完了はしたのか、彼女は何者なのか。そういえば呪術とやらもかけられたままだ。


 そのどれもが結局曖昧なまま終わってしまった。どうする? ここで奴を待ち、改めて問いただすか? 会議と言っていたから何時間かしたら戻ってくるだろう。まだ陽も高い。会議が終わればそのまま帰る、という状況にはならないだろう、多分。


「どうっすかね……」


 つい言葉に出てしまう。


 クルトは正直、少しだけ参った


 考えていても仕方ない、行動あるのみ! という、当たって砕けろが信条のクルトであるが、そんなクルトでも思い悩む時はある。弟程ではないが。


 クルトの虚しい独り事に答える者はいない。ただ虚しく主が消えた空虚な空間に消えゆくのみ。


 の、筈だった。


〈うじうじ悩んじゃってバカみたい。あのいけ好かない男が言ってたように聞きなさいよ、気になるならね。アタシはどうだっていいんだけど〉


 人が喉を震わせ、空気の振動を利用して耳から入ってきた声と違い、その声はクルトの頭に直接響いた。


「!」


 びくりと身体が震えた。


 同時に背中の猫が目の前の机の上に華麗に着地した。


 しゃらりと。


 そんな涼やかな音がよく似合う、見事な着地の様だった。


 実際には物音一つしなかったが。


〈改めて自己紹介してあげるわね、アタシはイルマ。エーファの使い魔をやっているわ。今アンタに話しかけているのは直接頭の中、テレパシーってヤツね。便利でしょ?〉


 あ、ああ。


 呆然と、クルトは胸の中で肯いた。


 猫は苛立たしげに身体を逆立てた。


〈ナニかおっしゃい! アンタの為に折角アタシから話しかけてやってるのに無視するとはイイ度胸ね! 魂丸ごと覗いてやりましょうか!?〉


 声はハスキーな女の声で、いかにも姉御といった貫禄を持っている。子供のような彼女にはぴったりの使い魔かもしれない。


 そんな事を考えながら、クルトは慌てて口を開いた。


「ちょ、ちょっと待てって。すまない、唐突で驚いたんだ。まさか猫が喋るとは、ね」


 猫は嘲るように眼を細め、しっぽを揺らした。


〈アタシは喋ってないわ。テレパシーだって言ってるでしょう〉


 その違いが、クルトには全く分らなかった。


 ぽかんとしたクルトの顔を見て、賢明な猫は察したらしい。少し苛立たしげではあるが、解説してくれた。


〈だから、テレパシーよテレパシー。アタシは今、口を開いていないでしょ? 流石のアタシでも人の言葉を話すのは骨が折れるの。そんな喉の構造もしてないんだから。だから、直接アンタの頭の中に言葉を送っているの。お分かり?〉


 こくこくと、クルトは肯いた。


 口を開いていないのだから喋っているのではない、という論理は理解できる。全くもってその通りだ。そして、このテレパシーとやらは一方的なものらしい。クルトの思考そのものを感知するものではないようだ。先程イルマがクルトの胸中の動きを察せられない事で確認できる。プライバシーは守られるようで、少し安心。


〈理解できたのなら実行なさい。アタシに聞きたい事あるんでしょ?〉


 猫は挑発的だ。


 意気地がないならやめときな、とでもいうように。


 クルトは深く息を吸って、吐いた。


「野郎が言っていたのは、どういう意味だ?」


〈どれのこと?〉


 逆に聞き返され、クルトの頭の中に瞬間的にいくつも広がった。


 一番は彼女、エーファのこと。自分よりも彼女を知っている口ぶりは腹が立った。


 二番はサインのこと。男は魔女が既に亡くなっているという確認で十分だと言った。それはどういう意味なのか。


 三番は――


「あんたは何者だ? ただの猫じゃないんだろう」


〈なぁに? それが一番最初に聞きたい事? まあ、アタシとしては興味をもって貰えていい気分だけど〉


 軽口を叩きながらも誇らしげに姿勢を正し、猫、イルマは告げた。


〈アタシは魔女見習いのエーファの使い魔、イルマ。使い魔だからって舐めないでね。アンタを叩きのめすくらい造作もないんだから〉


 それはどういう脅しのつもりか。


 クルトは眉根を寄せて、一瞬考えこんだ。


 たかが猫にやられるとは、一体自分はどれほど優男なのか。使い魔とはいえ、たかが猫一匹。どうなるというんだ? 使い魔と言われても全く意味が分らないし、目の前に居るのは猫。猫以外なにものでもない。


〈……あんまりナメた事考えてると、痛い目見せるわよ〉


「じょ、冗談だって」


 ふん、とでも言いたげにイルマは乱暴にしっぽを振った。当たりはしなかったが、当たったら痛そうな、素早い一撃だ。


「それじゃ次! と、言いたい所だが、場所変えようか。いつまでもここに居てもなんだしな」


〈ええ、それもそうね。で、次はどこに招待して下さるのかしら?〉


 イルマのまるで貴婦人のような物言いにある人物を思い浮かべながら、クルトはなるだけ仰々しく頭を垂れ、言った。


「そうでございますね、まずはゆるりと落ち着かれる場所を――」


〈その言い方キモイわ。ムカつくし、即刻やめなさい〉


「……」


 女ってヤツは。


 つい昨日、彼女の家であった男と同じ事をそうは知らず、クルトも内心でうめいた。


「はいはい、それじゃ行きますよ」


 結局出されたお茶には口をつけずに、クルトは席を立った。


 イルマも机から飛び降り、しゅたったと、クルトの背中に駆け上った。


 引っかけられた爪が少し痛かったが、耐えきれない程でない。それよりも気になるのはスーツの方だ。


 一張羅という程ではないが、決して安くもない。


「やれやれ……」


 溜息一つ、クルトは男の部屋を後にした。 

 ずしりと、イルマの確かな重みを感じながら。

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