第三章 魔女の猫

「ご苦労様です」


 にこやかな笑みを貼り付け、メルディン社の男はクルトを歓迎した。


 ここは前に通された応接間とは違い、男の仕事部屋らしい。窓を背に大きな仕事机が一つ、真ん中にソファと机のセットが一つ。入り口近くには秘書らしき女性が座る質素な事務机があり、給水施設もその横にある。


 秘書の女性はなかなか美人だ。いわゆる知的美人というヤツで、銀縁眼鏡がクールで素敵。今はクルトを案内し、上司とクルトの為にお茶を入れるべく給水場に立っている。


「どうも、これがご所望の物です。ご確認を」


 社交辞令に付き合う暇はない。

 短く返し、案内された席にも着かずにエーファのサインが入った封筒を男に差し出す。


「はいはい、せっかちな人ですねぇ」


 男は座ったまま軽く笑いながら、受け取る。そして、クルトの背中のあるものに目を止めた。


「可愛い猫ちゃんですね。あなたの猫ですか?」


 笑顔のままだが、一瞬鋭いものを感じた。


「そんなもんだよ。懐かれちまってね」


 はなからこんな奴に事情を説明する気はない。だが嘘をつく程ではなく、適当に言葉短く答えた。


 クルトは嘘はなるだけつかないようにしている。それはクルトが誠実な好青年である、という話ではなく、単純に面倒くさがりなのと弱みを作りたくないからだ。


 小さな嘘一つつくだけでもそれは矛盾となり、後々大きな弱みとなる可能性を持っている。


「それより早く確認してくれ。それで仕事は完了だな?」

「本当、せっかちな人ですね。貴方には折角だから我が社と、もしくは私と親しくしたいという考えはないのですか? なかなか美味しい取引先だと思いますよ、私は」


 男は上機嫌らしい。


 鼻歌でも歌い出しそうな勢いでそんな戯言を口ずさみながら、封筒からエーファのサインを取り出した。


「……エーファ、ね」


 ある程度は予想はしていたが、サインを見た男の顔から笑顔が消える。


 男が何か言う前に、先手を打つ。


「言っておくが彼女以外にはあの家には誰も居なかった。だからあんたの仕事の条件は満たしている筈だ。あんたが欲しいのは森の人間のサインだろう? あの森には彼女以外の人間はいない。確認した」


 クルトだってただ待ちぼうけをしていた訳ではない。


 エーファ達が帰ってくるまで、あらゆる方法を使って他に住んでいる人間はいないかと調べた。その方法は企業秘密だが。


「まあ、予想していた事ですけどね」


 エーファのサインを机に無造作に置きながら、男はあっさりと認めた。


「魔女が亡くなっている、というのは予想していたケースです。その確認が取れただけでもよしとしましょう」


 逆にクルトが拍子抜けした。


「……どういう意味だ?」

「聞きたいですか?」


 男は楽しげに笑った。

 むかつく笑顔だ。張り倒して殴りたい。


「フォグナー様、お茶の用意が整いました」


 ちょうど、タイミングを計っていたかのように秘書が声をかける。


「ありがとう」


 それに答えて、男は立ち上がった。


「どうです、詳しいお話が聞きたいのならお茶でも飲みながら、いくらでもお話しますよ」

「……」

「ふふ、そんなに警戒しないで下さい。貴方はあの方のお気に入りだし、私も貴方みたいな人嫌いじゃないんですよ。貴方の仕事に対する姿勢、とても素敵です」

「……そりゃどーも」


 あの方、というのはロゼッタの事か。共通の知り合いはそれしか思いつかない――って、ロゼッタとお茶。


 クルトは思い出す。


 昨日ロゼッタから渡された茶葉の存在を。


 やべぇ。すっかり忘れていた。折角ロゼッタがロルフに買いに行かせたのに。もし忘れていたとロゼッタに知られたらどうなるだろうか? 少しばかり恐ろしい……。 


「さあこちらへどうぞ。全部お話しますよ。私が存じている事は、ですが」


 棒立ちしているクルトの横を通り過ぎ、男はソファに腰掛けた。


 しかし、今はロゼッタの事はどうしようもない。また明日あの茶葉を持って訪ねる事にしよう。それしかない。


 諦めてクルトは男の向かい側に腰を落ち着けた。


「どうぞ」


 秘書がお茶を置いた。


 美人だ。つい目で追ってしまう。悲しい男の性ってヤツだ。


 ちらりと秘書もクルトを見た。


 目が合う。


 にこりと、小さく唇の端が上がった。


 大人の女の笑い方だ。いい女だと、改めてクルトは秘書を評価した。


 しかし彼女ほどではない。彼女だけが持っている、アレ。


 目が引きつけられる、目が離せなくなる、あの強烈な輝きにも似た、なにか。上手く言葉に表せない。


「あの森の重要性を、貴方はご存じですか?」


 唐突な話だ。クルトは素直に首を振った。


「いや」


 元々クルトは街の人間ではない。街が発展するにつれ何となく流れ込んだ、街のチンピラみたいなものだった。だから森なんて気にした事もない。クルトにとってグレイソンは『森の街』ではなく、メルディン社によって開発されつつある発展途上の街だった。


「でしょうね。街の人間も珍しい草が生えている、ぐらいの認識ですから」

「それで?」

「パワースポットというのはご存じですか? 力が集まる不思議な場所という意味ですが、ご存じありません?」

「悪いがその手の才能は皆無でね、興味もない」

「簡単に言えば世界の力が満ちる場所、といった所でしょうか。我々が確認しただけでも世界に七箇所あるとされています。あの森もその一つですよ」

「へぇ」

「我々としてはあの森が欲しいのです。他の場所はどれも手がつけられない物ばかりですが、唯一あの森はどうにかできる算段がついているんですよ。すごいでしょう?」

「悪いが何が凄いのか、全然分からない」

「そうですか、素直に分からないと言える事は素晴らしいですね。ああいう場所があるという事を理解している人間はごく一部です。知らない事を恥じる必要はありませんよ」

「別に恥じてねぇけど」


 ため息一つ。


 クルトは聞き役に徹するのはやめた。


 初めから分かっていたが、この男は意地が悪い。素直に聞き役に徹していたらいつまで経っても欲しい情報にはありつけない。時間をかけるのは嫌いじゃないが、男相手には勘弁だ。


「ご託は結構。俺が知りたいのは森に住む彼女の事だ。あの森がどうとかはどうでもいい」

「彼女の事が知りたいなら森をよく知ることです。彼女は森そのものですよ」


 どういう意味だ?


 あまりに抽象すぎて意味が分からない。


 確かにある人間の生活様式を知ればその人間をおおよそ理解できると、クルトは長年の仕事の経験上知っていたが、男が言っている意味とはズレを感じた。


 クルトが詳しく聞き出そうとした時、


「フォグナー様、お時間です」


 秘書が、またまたタイミングを計ったかのように割り込んできた。


 秘書は男の前に用意したお茶を下げた。クルトの分は下げない。流石に失礼だと思ったのだろうか。クルトにしてみればはなから口にする気はなかったので、一緒に下げて貰っても一向に構わなかったのだが。


「おや、もうそんな時間ですか」


 いけしゃしゃと男は呑気に言う。


「それでは私はこれで。これから会議ですので、申し訳ないですね」


 全く誠意の欠片も感じさせない謝罪を口にして、男は立ち上がった。


「待て、あんた結局俺の質問には答えてないだろ」

「彼女の事について知りたいのならその猫ちゃんに聞いてみればよろしいのでは? 彼女の最も身近な存在ですしね」


 男は猫を知っていた。

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