第二章 女の敵の作り方

 ギルド『ヴォルグ』の事務所から歩いて十数分。旧市街の繁華街クラナド地区に二人は来ていた。


 森に近い、昔からの街が旧市街。メルディン社が中心となって整備し、急速な発展を遂げたのが新市街。現在では主要な施設は全て新市街に新設され、旧市街は寂れた感が否めない。しかしそれでも、昔程の活気はなくても、このクラナド地区は旧市街一の繁華街である。多くの商店が並び、ほどほどな人通りだった。 


「もう、そろそろ限界かしら?」


 道の真ん中、きらきらと緑の瞳を輝かせ、リサは試すように言った。


 その輝きを失わせたくなくて、もっとずっと見ていて欲しくて、エーファは踏ん張る。


 もう既に両腕には食料品がたくさん詰まった袋がいくつかぶら下げられ、更に肩には布袋がエーファの頭上高く積み上げられていた。荷物はどれもエーファが一歩一歩歩みを進める度にゆらゆら揺れているが、エーファの足取りそのものはしっかりとしていた。


 エーファ自身は気にした事もなかったが、エーファの身体能力は極めて高い。腕力だけでもそこら辺の男を軽く圧倒する。


「まだ頭の上が空いている」

「すごいエーちゃん! 頭の上にも乗せれるのね! 流石ね!」

「ふふん」


 誇らしげにエーファは鼻をならしたが、その荷物の多さに目を奪われ、誰もその得意げな顔は誰も見ていなかった。


 今エーファは、はた迷惑な人間の一人だった。その荷物の、余りにもな多さに、誰もが避けて通る。


 子供を連れた母親がじろりとエーファを睨んでいく。


 小さな子供にとってエーファが支える荷物の一つでも当たれば大事だ。当たり所が悪ければ大怪我につながりかねない。危険だ。

 

「大丈夫かい、お嬢ちゃん?」


 店のおばちゃんははらはらと声をかけた。


 隣の店に来た時も十分な荷物の量だったが、更に量が増えている。買い物してくれるのはありがたいが、惨劇に手を貸すのも気が引けた。これ以上荷物が増えるのは良くない。危ない。たとえ本人が大丈夫だと言っても、傍目に見るだけで十分怖い。はらはらする。


「平気だ」

「重くないのかい?」

「平気」


 更に声をかけても、返答はぶれる事はなかった。しっかりと落ち着いた声だ。


 見かけはどこかのお嬢様みたいなのに、大した力だ。


「大したもんだねぇ、アンタ! そんなほっそい身体のどこにそんな力があるんだい? ウチの息子よりもずっと大したもんだよ!!」


 甲高い、気がいいおばちゃんの声がその場につんざく。


「……悪かったな」


 少し遅れて、どこか呆れの入った若い男の声がした。


「あらあらオルゲンさんとこの奥さん、お久しぶりね」


 店のおばちゃんはほっとした。


 良識ある大人が登場したからだ。面白がっている奥さんの方はともかく、息子の方は警官で、警官と言えば良識の鏡だ。


 きっとこの女の子達の悪ふざけにも似た、危ない荷物の持ち方を正してくれるだろう。


 オルゲンの奥さんが興味津々といった様子で、荷物を持つお嬢ちゃんをのぞき込んだ。


「あらま随分と可愛らしいお嬢ちゃんだこと。こんなお嬢ちゃんがこんなに力持ちだなんてねぇ、世の中分からないもんだね」 

「ふふん、エーちゃんはただのお嬢ちゃんじゃないのよ。その正体はっ!」

「誰かと思えばお前、エルヴィンとこの妹じゃねぇか。他の通行人の皆様にご迷惑だ。その荷物の持ち方はやめろ。危ないだろうが」


 連れの女の子の言葉を遮って息子さんが注意してくれたの聞き、店のおばちゃんはほっと胸をなで下ろした。


 やっぱり警官さんだ。頼りになる。ちょっと前までは、そこら辺走り回って叱られてたのに。















 聞き覚えがあるような声に、エーファは己の記憶を探った。


 そして今、自分をまじまじと横からのぞき込んでいる中年の女性の顔にも見覚えがあるような気がして、エーファは深々と自分の記憶を辿る。


 金髪碧眼の、綺麗な女性だ。晴天の空のような蒼い瞳は輝きに満ち、溢れんばかり。


「いいかそこのお前。いくら力があるからといって調子に乗るな。乗せられるな。少しは他人の迷惑も考えろ。危ないだろう」

「なによー、そんな言い方ないじゃない。エーちゃんはただ、」

「ただもくそもない」

「ぶーぶー。そんなんだからモテないのよ!」

「それは関係ないだろうが!」

「いいえ、絶対あるわ! ヴィリーさんて人気はあるのに彼女が出来ないのは、絶対にその面白くない性格の所為よ! あと休みの日にお母様と一緒にお出かけ、って辺りがちょっとね……」

「これはだな、」

「どうも、初めまして。ヴィリーさんにはいつも兄がお世話になっております。私リサといいます。こっちはエーちゃん」

「はいはい、これはまあご丁寧に」


 女性の視線がリサに動いた。


 リサと親子は知り合いらしかった。


 堅苦しい挨拶が続く。


「ヴィルバルトの母でございます。愚息がいつも、ご迷惑をおかけしております」

「いえいえそんな、とんでもないです」

「まあまあしかっりしたお嬢さんだこと。最近の子は、なんてよく聞くけど、実際に話してみればそうでもないのね。ねぇ、そうは思わない?」

「本当ねぇ、うちの娘にも見習わせたいわ」

「娘さんていくつだっけ?」

「今年でもう三十になるのよ。三十だって言うのにいつも家でだらだらして、本当、あの子の将来が心配だわ。ヴィリバルト君がお嫁に貰ってくれれば安心なんだけど」

「……はは」


 若い男の乾いた笑い声と共に、高く積み上げられた荷物の一部が消える。


 若い男が強引に、エーファが乗せていた荷物を持った結果だ。


「全く……ん?」


 荷物がなくなって空いた空間をふと見上げれば、男と目が合った。


 金髪、というにはやや鮮やかさが足りない、色の薄い栗色の髪。男の母親が輝かしい晴天の蒼にだったのに対し、彼は深い海のような蒼い瞳。顔立ちは母親似で、綺麗な顔をしている。身長は男が頭一つ分ぐらい高い。


 やっぱりどこかで見た顔だ。


 エーファはまじまじと男を凝視した。


「……久しぶり、だな?」


 やはり知り合いらしい。男は躊躇いがちに続ける。


「お前でもそんな格好できるんだな。その、よく似合っているぞ……」


 はて誰だったか? 


 イルマに聞こうとして、イルマの姿を探す――見つからない。


 それはそうだ。イルマは『ヴォルグ』の事務所に置いてきたのだから。


「……」


 エーファの沈黙をどう受け取ったのか。リサがエーファを庇うように立ちはだかった。


「ちょっとヴィリーさん、エーちゃん怖がってるじゃないの。似合わない事しないで頂戴!」


 たしなめる口調だが、声は楽しそうな響きだ。エーファからリサの表情は見えなかったが、多分笑っているだろう。そんな気がする。


「怖がる、ってお前な……こいつがそんなタマかよ」


 男は呆れ顔だ。エーファの事をよく知っているらしい。


 確かに怖くはない。ただ返す言葉が思いつかないだけだ。男の顔には見覚えがあったが、詳しく思い出せない。それが気になって仕方ない。


 が、周りの反応は違った。


「まあまあヴィリバルト。女の子にそんな言葉使っちゃダメよ。全く、そこのお嬢さんが言う通りだわ。アンタはそんなんだから彼女できないのよ」


「そうねぇ、ちょっと感心できないわねぇ」

「そうですよ、ねぇ」


 女とは恐ろしいものだ。


 共感する力が強く、あっという間に敵味方を区別する。


「……あなた達は、こいつの事を知らないからそんな事が――」

「エーちゃんと知り合いなの?」

「まあ、な。昔ちょっと……」

「エーちゃんは知らないみたいよ?」

「ぐっ」


 リサの容赦ない言葉に男は呻いた。


 その情けない姿に、エーファは思い出した。

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