第二章 喜んでついて行きます

 氏名・エーファ

 住所・森




「……なんかあっさりしたサインね。苗字とかははないの?」


 署名の内容を見たリサが戸惑いがちに尋ねた。


「ない、と思う。ねえ、なかったよね?」


 リサの疑問に答えようと、いつもの調子でついエーファはイルマに尋ねた。


「そんなものないわよ。ついで言えばアンタ、戸籍もないから」


 面倒くさげにだが、イルマは答えた。


「戸籍?」


「聞いてみなさい、教えてくれるわよ」


 聞き返せば、それ以上は教えてくれなかった。


「戸籍がどうかしたの?」


 エルヴィンが二人の会話を拾い、聞いてくれた。


 こちらから聞く手間が省けたと、エーファは深く考えもせずにありのままを伝える。


「私、戸籍がないんだって」


「……へぇ」


 エルヴィンの穏やかな緑の瞳が、一瞬鋭く光る。


 まずい事だっただろうか。エルヴィンのその様子にエーファは危惧したが、リサは全く気にしない様子で言った。


「え、って事はなに? エーちゃんてば不法滞在? 素敵! アウトサイダーね!!」

「こらリサ。そんな物騒な単語は気軽に使っちゃダメだよ? 他にお客さんいないからまだいいけど、敏感な人は敏感なんだからさ」

「えー、別にいいじゃない。戸籍がないって珍しい事じゃないでしょ? 流浪の民とかはみんなそうなんでしょ?」

「だから、それがさ、」

「それがなによ?」


 リサは兄を睨む。エルヴィンは肩を竦めて、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「……ともかく、これでエーちゃんも我がギルドの一員よ! これからよろしくね!」


 曖昧な笑みを浮かべたまま黙り込んだ兄を放っておいて、リサはエーファに向き直った。


「よろしく」


 なににがよろしくなのか今ひとつ分からないまま、エーファは肯いた。


 勢いに飲まれる。


 一歩立ち止まって考える時間もなかったし、それよりもむしろ考える必要性もエーファは思いつかなかった。


 それだけ、魅せられていた。


「それじゃ今からエーちゃんの入団式を執り行います! まずは買い出しよ! エーちゃんも一緒に行きましょ!!」


 エーファの返事を聞くまでもなく。


 リサは強引にエーファの手を掴んで、エーファを連れ出す。


「こらこらエーちゃんはお客様でしょ? 買い出しに連れ出しちゃダメでしょうが」

「もうエーちゃんは身内も同然よ!」


 身内。


 これまた素敵な響きだ。エーファはその響きにうっとりする。


「……ナニやってんだか」


 イルマの呆れた呟きも、耳には入ったが気にならない。


 久しぶりの人との会話。それもかなり友好的な。イルマと二人きりだった日々が嘘のような、この楽しさ。


「……」


 エーファは浮かれていた。はしゃいでいた。


 傍目には突然のリサの行動に戸惑い驚き、どうしたら良いのか分からずに呆然としているように見えただろうが、それは大いなる勘違いだ。誤解である。


 エーファは心の底からこの状況を楽しんでいた。


 正確には今己の手を引く少女そのものを。


 次は何を魅せてくれるだろう?


 大きな期待を胸に踊らせ、エーファは少女が手を引く方へと行く。


 自ら望んで、その手に引かれていった。

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