第二章 ギルド『ヴォルグ』へようこそ! の巻
「お久しぶりね」
柔らかな笑顔とともに出迎えてくれたのは見知った顔ではあったが、会いたい人ではなかった。
「……お久しぶりです」
ぺこりと頭を下げて、手土産を渡す。
小さいが暖かみのある家だ。小さな庭には花や野菜がちょこちょこと植えられ、可愛らしく咲き乱れている。
「これどうぞ……お土産です。口に合うといいですが」
少し気まずい。知人ではあるが、友達ではない。この人の旦那さんと娘さん達とは仲良くさせてもらっているが、彼女とは距離があった。エーファが勝手に思い込んでいるだけかもしれないが、しかしこの女性は一度も魔女の家に遊びに来た事はなかった。
夏になれば川遊びに、秋はキノコや山菜取り、冬には雪遊び。
森は遊びの宝庫だ。恵みも多い。昔に比べれば少なくなったそうだが、遊ぶだけなら十分な豊かさが森にはあった。
「まあままご丁寧に。今日はどうしたの? ごめんなさいねぇ、主人も子供たちも今居ないのよぉ。主人は仕事で、子供たちは学校。……あなたは、今何してるの?」
エーファの手土産を受け取りながら、女性はやや躊躇いがちに尋ねた。
「……修行中です」
エーファも俯いて答えた。
なんとなくだが、この人は魔女の事が好きじゃないんだろうと、そう直感していた。
はっきり言われた事はなかったが。
「魔術の? 魔術は良いわよね、あたしもうちの子達に習わしてるのよ。今の時代、簡単な魔術なら学校でも教えてくれるのよね、あたし達の時代とは――」
「魔女のです」
大違いよ。
時代は変わったわね。
そんな言葉は聞きたくなくて、エーファは強引に遮った。
「魔法の練習をしています。魔術なんかじゃない」
「魔法って、あなた……まだそんなこと言ってるの?」
ちらりと女の人の反応をうかがうと、彼女は驚いたように目を丸くしている。
「……」
何も言う気になれず、エーファは小さく息を吐いた。
街の人間が苦手なのはこういう所かもしれない。
昔、先代魔女のお使いで街に降りる時、エーファは好んで魔女の準正装の格好で降りていった時期があった。あの黒三角帽子、黒のローブ、箒の三点セットである。本当なら正装で行きたいぐらいの気合いが入っていたが、当時も含め現在でも正装は持っていない。まだ一人前の魔女ではないから。
その三点セットで街に行くと必ず誰かに声をかけられ、あれやこれやと聞かれたものだった。よく絡まれもした。それでどうにかされる程エーファは弱くなかったし、街の人間の中には助けに入ってくる奇特な人間もいたから大した問題ではなかったが、いつの頃からかそれが非常にうざったく感じ、嫌になった。
「魔法だなんて、あなた、これからは魔術なのよ? 魔法なんてもう――」
「忘れ去れていくかもしれない」
再び女性の言葉を遮り、エーファは彼女の言いかけた言葉を引き継いだ。
そしてうつむきがちだった顔を上げ、しっかりと女性の目をみて、告げる。
「でも私は忘れない。魔女様は、絶対に忘れない」
失わせやしない!
胸の中で強く、叫んだ。
「気を落とすことないって! エーちゃんは悪くない! ちょっと感じ悪いわね、あのおばさん。あの態度はないわ!」
訪問を終え、今度はリサのギルドとやらに向かう途中の道で。
遠慮し、少し離れた場所でエーファを待っていたリサだったが、二人のやりとりはばっちし聞き耳を立てていた。だからあの女性のやや横柄な態度も見ていた。
「……アリサさんを悪く言うな」
反射的にリサを責めて、エーファはしまったと後悔する。八つ当たりみたいだ。いや、みたいな、じゃなくて立派な八つ当たりだろう、これは。だって自分は今落ち込んでいて、苛立っている。行き場のない感情を無様に吐き出した。
「ごめん」
しまったと思ったらすぐに謝る。取り返しがつかなくなる前に。エーファの経験上、後に成る程謝りづらく、取り返しのつきようもなくなる。
あんな経験は何度も要らない。
「ううん、あたしこそ無神経な事言っちゃってごめんね?」
「いや、今のは私が悪い。悪かった」
「……えへへ」
てれたようなリサの笑顔を見ると、エーファはむずがゆい、自分じゃ良く分からない感情なのかどうかも分からない衝動におそわれた。
「……あはは」
どうにか全身かきむりたくなるような、みっともない衝動を抑え込んで愛想笑い。
アリサ・マルフォイ。
先程の女性の名前だ。
エーファの名付け親の男性の妻で、どうも魔女の事をうさんくさく思っている女性だ。
そんな彼女だから、エーファは正直あまり快くは思っていないが、しかし彼女は大好きな彼が選んだ女性でもある。嫌いになんかなれる筈がなかった。
「……」
リサはそれ以上何も言わなかった。ただ興味深そうにその緑の瞳は好奇心できらきらと、輝いている。
「……あの人は、」
説明する義理なんかないのだけれど。
でも別に話して都合の悪くなる事情でもないし。
いや、少しだけ恥ずかしいけれども。
でも、我慢して言おう。
あの子が知りたがっているからだけじゃない。
自分だって話したい。知って欲しい。
だから。
「私の名付け親の、奥さんなんだ。名前はアリサさん。マルタとロッテっていう女の子が二人いる。その子達には魔術の才能があって、アリサさんの自慢なんだ」
「魔術、ねぇ。さっきも言ってたね、あの人も。そんなにすごいものなの?」
女の子は思いついた事をそのまま口に乗せる。
あっという間に話題はさっきの女性から魔術の事に切り替わった。
「あー……、私は、魔術をちゃんと勉強した事がないから、よく分からないけど……あれは、そうだな……」
言い淀むエーファ。
複雑な思いが胸を去来する。
話題が変わった事は良かったが、次の話題もエーファにとっては話しづらいものだった。
魔術。
それは新しき力。忘れ去られていく、魔女という存在と魔法とは大違いだ。
「まさに傲慢チキな人間共に相応しいものだわ」
言い淀むエーファに対し、先を歩いていたイルマはきっぱりと答えたが、リサには通じていないようだった。何の反応も示さない。
「……そもそも、魔法って分かる?」
それが分からないと話にならない。
イルマに「お前が傲慢チキとか言うな」と内心ツッコミを入れつつ、エーファはリサに尋ねた。
「とにかくすごい力! って、感じ?」
瞳を輝かせてリサは答えた。
まあ、間違っちゃいない。
「うん。実際はそんなに万能なものじゃないけど、象徴としてはそんな感じ……かな」
本から得た知識や、先代魔女との雑談のような授業のような対話の中から学んだ知恵を思い出しながら、エーファは答えた。
「ねぇねぇ、それなら実際はどんな感じなの?」
リサは更にくいつく。
こういう話題は嫌いではないようだ。エーファは自分でも話せる話題が盛り上がっているのを感じ、ほっとした。
エーファにとって魔法や魔術の話は今日の天気について話すみたいなもので、好きとか嫌いとかそんな感情は入る余地はない。考えた事もなかった。
魔女にとっての魔法とは、そういうものだ。常に共にあり、時にはその存在を忘れてしまっても、ふと気づけば傍にいる。
そんな、存在。
「……」
なんと言ったらいいか。
エーファは弱った。
本で読んだ知識を披露するのは簡単だが、その知識は今ひとつ実感できていない、まるで言葉遊びだ。そんなあやふやなものを自分の知識として伝える事に、エーファは反発した。
「……ごめん、あたしばっかり喋って。言いにくい事だったらいいわよ。そういうのってぺらぺら喋ったら、やっぱりまずいの?」
「……いや、そういう訳じゃなくて、その、なんて言ったらいいかな……」
リサの気遣わしげな視線が痛い。
言いづらいのはただ単に自分の力量不足。勉強不足な上、表現能力不足。今まで一体自分は何を勉強していたんだろうか……エーファは勝手に落ち込んだ。
「そう? なら良かった。あたしそういう話が大好きなんだけど、他の人はそうじゃないみたいだから、なかなか聞く機会がないのよね。駄目じゃないなら、良かったわ。これからいっぱい聞けるわね!」
「うん……そう、だね。努力してみる」
魔術はあまり詳しくはないが、この機会に勉強してみよう。
「よろしくお願いね」
リサの笑顔が眩しい。
本当に好きみたいだ。
エーファはこんな話題がここまで盛り上がるとは思ってもみなかった。今度会う時はもっと勉強して来よう。そう決意もあらたに、エーファは小さく拳を握る。
「ちょうど着いたわ。紹介するわね、ここがあたし達ギルド『ヴォルグ』よ!」
少し前に飛び出し、リサは古い建物の前に立ち、誇らしげに手でその建物を示した。
古い建物だ。
がっしりとした黒い色の建物で、時代を感じさせる。入り口は大きく、その横には狼を模った看板がぶら下がっている。
「……」
どうコメントしたものか。
握りしめた拳が力なく垂れる。
古い。古めかしい。
そんな感想しか思い浮かばない。せめてもうちょっと、ましな感想は無いものか。
助けを求めて足下を歩いていたイルマに目を向けると、
「ぼろっちい建物ね。アンタの格好とおんなじ。苔臭いわ」
なおさらひどい感想を言った。
全くあてにならないイルマを無視し、エーファはリサが自慢げに指し示す建物を注意深く眺めた。
頑丈そうな、がっしりとした建物だ。横幅も他の建物と比べると長く、どっしり構えているようでもある。
「猫ちゃんは気に入ってくれた?」
「アタシの言葉通じてないみたいね、この子。魔法が好きな癖に才能ないのね、可哀想に」
リサをせせわらうイルマ。
かっと頭にきた。
「イルマ!」
「? どうしたの?」
イルマの言葉が分からないリサは、突然声を荒げたエーファを怪訝に見る。
「な、なんでもない……ごめん、大きい声出して」
イルマの暴言をわざわざ伝える事もない。
イルマを軽く睨みながら、エーファはリサに答える。
「そう? そうは見えないけど……まあいいわ。立ち話もなんだから、さあ入って入って。見た目はぼろいけど、中は綺麗なんだから」
やっぱりぼろいんだ。
「それ謙遜だから肯いちゃダメよ。自分で言うのは良くても、他人に言われるとムカツク事は多いんだから」
リサの言葉にエーファが頷きかけた時、イルマがそう、何故かすかさず忠告してくれた。
「……お邪魔します」
だから、必要最低限の挨拶の言葉を口にして、エーファは先に行くリサの後に続く。
忠告をくれるなんて、どういうつもりだろう?
そう訝しげにイルマに目をやりながら。
「はいどうぞ」
リサはそんな一人と一匹のやりとりに全く気づかず、一人と一匹を歓迎した。
「ようこそ、ギルド『ヴォルグ』へ」
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