第二章 魔女と馴染みの店と可愛い女の子 の巻

 久しぶりに訪れる街はどこもかしこも変わっていた。


 まず見慣れない建物が増えた。行き交う人の姿も、ここは異国かと思うほどに見慣れない格好の人間が多い。まるで全く知らない街だ。


「……はぁ」


 エーファは小さくため息をつく。


 この街を自分の街だと感じた事はなかったが、なんだか寂しい。独り取り残されたような、そんな寂しさがエーファを襲った。


 折角街に出て来たのだから昔よく行った店を一通り回ろうかと考えていたが、あの店はちゃんとあるだろうか。少し不安になる。これでもし跡形もなくなっていたら立ち直れない程ショックだ。だったらまず先にあいつらの所へ行ってから打ちひしがれるのが良いかな、とも思うが、駄目だ。


 今のエーファは手ぶらで、手土産を持ってない。手ぶらで行っても、顔を見せるだけで向こうは喜んでくれるだろうが、それではエーファの気が済まない。だって向こうはいつも何かしらの手土産を持ってきてくれる。滅多に街に降りないエーファに代わるように、洗剤等のちょっとした生活必需品から果ては洋服まで。今着ている洋服も全部あいつらからのお土産だ。


 だから、絶対に何か贈り物をしたい。


 こちらから訪ねる時は、尚更。


「さぁて、まずはどこから行くの? ここからだと一番近いのはあの子達の所だけど、どうする?」


 イルマの問いに、エーファは改めて決意を固めながら答えた。


「まずはお土産買いに行く。どこか良い店知らない?」

「ナニにするかにもよるわね……まあアンタのセンスで物選ぶなら食べ物にしといた方が無難だと思うけど」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味よ。アンタの趣味は独創的。悪いってレベルじゃないのよ。貰う方が可哀想だわ」

「う、そんな事ないと――」


 言いかけてエーファはやめた。


 以前、だいぶ昔だったが、普段のお返しだと思って自分が可愛いと思った小物をプレゼントした事があった。その時の反応と言えば……。


「まあ、うん。今日は食べ物の気分かな」


「いつもその気分で居る事ね、困らせたくなかったら」


 イルマの辛辣な言葉をあえて気にしないようにして、エーファは己を鼓舞した。


「それじゃ行こう! おー」

「はいはい」


 一人と一匹は周りの注目など全く気にも留めず、目的地に向かって出発した。


 その場を見た者で若い者は、猫に一方的に話しかける可哀想な女性がいると単純に考えた。


 一方で、昔からこの街に居る者は顔をひどく歪めた。


「魔女が……今更何の用だ」

「何も起きなければいいけどねぇ」

「今更奴らに何ができるっていうんだ?」

「気にする必要なんかないさ。この町で魔女を知る者ももう少ない……奴らは忘れ去れていく存在なんだ」







 イルマの案内でエーファが訪ねたのは、昔から何度行ったことのあるお菓子屋さんだった。


 先代魔女もここのお菓子が好きで、たまに使いに走らされた記憶がある。


「……」


 じー、と、ひどく緊張した面持ちでエーファは入り口近くに立っていた。イルマはのんびりと店の横で、邪魔にならないような場所で寝そべっている。


「……早く行きなさいよ」

「うー……」


 イルマにせっつかれ、エーファは唸る。


 あと一歩で、あとほんの一歩で入り口への扉の取っ手に手は届き、引くか押してかして店の中へはいれるだろう。


 店に入ってしまえばこっちのものだ。店のお姉さんがなにもかも面倒を見てくれる。幸いにして店の中には他の客はいない。一歩進んで扉を開き、店の中に入ってしまえば、もう大丈夫。他の客の用事が済むのをうろうろしながら待つ必要もないし、順番を気にする必要もない。


 だから、チャンスだって、言ってるだろ。


「……」


 そんな誰かの声が聞こえてきそうで、エーファは正気を保つ為に頭をぶんぶんと振った。


 うだうだ考え続けるだけでは駄目だ。行動しないと、何も進みはしない。とりあえず、動かないと。前進でも後退でもいい。それはまあ、前進の方が響き的にも良い感じだが、多くは望むまい。


 まず動く。


 それからだ。


 前進も後退も結果にしか過ぎない。結果が大事なのではない。過程こそが重要。それが魔女の教え。


「……ふぅ」


 大きく深く深呼吸。


 気を静める。


 久しぶりの街のせいか、ひどく緊張しているらしい。思うように身体が動かない。本当ならばもう店の中に入って、それとあれとか、ああこれもやっぱりいいな、なんて品定めしている最中なのに。現実では店の中にすら入れていない。


(ただ緊張してるだけなんだ、そう緊張してる! 何故かというと街に降りてきたのは久しぶりだし、ばば様もあいつも居ないなんて初めてだし、イルマは頼りになんないし!! そう、緊張してるのは街に降りてきた所為)


 緊張の原因は街に降りてきた事にして、エーファは己を鼓舞する。


 していたところ。


「ねえ、なにやってるの?」


「!!!」


 後ろからかけられた声によって、エーファの奮い立たせていた根性はあっけなく霧散した。


「そんな所でなにやってるの? このお店に用事じゃないの?」


「……」


 エーファは無言のままイルマに目をやった。


 イルマはそしらぬ顔で気持ちよさそうに寝そべったままだ。


 今日は天気もいい。ぽかぽか陽気で、昼寝にはもってこいだろう。


 うらやましい限りだ。


「ねぇってば。あなたここじゃ見ない顔ね? 新しく引っ越してきた人? でもそれにしては随分と古臭い格好ね。あ、ごめん馬鹿にしてる訳じゃないの。ただ珍しくて。すごく似合ってるけど、でも随分と古びた感じのファッションだから」


 イルマは欠伸した。


 エーファの熱心の視線をものともせずに。


「……」


 さて、どうしようかとエーファは一生懸命頭を働かせる。


 まずは状況確認だとちらりと後ろを窺うと、そこには可愛い女の子が立っていた。


 年はエーファより少し年下、十八、七ぐらいだろうか。栗色の髪は肩辺りまでのばされ、ふんわりカール。白のリボンがワンポイントの真っ赤なカチューシャをさしている。つぶらな瞳は緑色できらきらと好奇心で輝いている。色鮮やかなチェックのワンピースに、白い半そでのベスト。足元は茶色の革のサンダルが涼しげだ。


「ねぇってば。なにか言ってよ。これじゃあたしが一人で喋って馬鹿みたいじゃないの」

「ですってエーファ。なんか喋ってあげたら? いい加減にしなさいよね」


 イルマがようやく助言したが、全く当てにならなかった。


 んなことができたらとっくにやっている!!


 エーファは内心地団太を踏んだ。


「可愛い猫ね。あなたの猫?」


 女の子は突然喋りだした猫に驚く様子もなく、イルマの傍に行き撫でようと手を伸ばす。


「アタシをそこら辺の猫と一緒にしないで頂戴。っていうか触んないでよ」

「イルマ」


 しゃあと牙をむきかけたイルマをエーファはたしなめる。


 女の子は呑気に笑った。


「イルマって名前なの? かっこいい名前ね」


 なでなでなで。


 女の子は無遠慮にイルマを撫で回す。イルマはすごく嫌そうな顔をしているが、逆らわなかった。


「あたしはリサ。で、あなたの名前は?」


「……エーファ」


 イルマを撫でながら自己紹介をし、たずねてきた女の子に、ようやくエーファはまともに答えを返した。


 一度喋ったら、ぺらぺら喋れるようになるから不思議だ。


 エーファは先程まで何も言えなかったのが嘘のように、ぺらぺらと一気に喋る。


「その猫はさっきも言ったけどイルマ。魔女様の相棒で、そんじょそこらの猫とは違う、口は悪いけど頼りになる相棒。で、私が魔女――」


「魔女? 誰が? もしかしてあなたが?」


 女の子――リサは驚いたようにエーファの言葉を遮り、振り返って聞き返した。


「本当に? あなたがあの魔女?」


「……まあ、正確にはちょっと違うけど」


 何度も聞かれると自信をなくす。


 忘れかけていた事実が頭の奥底から蘇る。


「そうなの?」


「うん。ええと、継承の儀式っていうものがあるんだけど、それをちゃんとやる前にばば様が逝っちゃったから、まあ正確には一人前の魔女じゃないってことになる」


 リサの質問攻めによって思い出される。


 自分はまだ魔女ではないのだと。


 魔女に連なる者ではあるが、まだ一人前の魔女ではない。正式な魔女では、なかった。


「継承の儀式! いいわね、素敵な響きだわ!」


 リサは立ち上がり、エーファに詰め寄った。


「ねぇ、あたしギルドやってるんだけど、どう? あたしのギルドに入らない?」


「へ?」


「ギルド『ヴォルグ』っていうの、知らない? この街唯一のギルドなのよ! どう、すごいでしょ? あたしはそこのマスターなの。いまちょっと団員が少なくてね、絶賛団員募集中なのよ。どう? あ、誤解しないでね、あやしいもんじゃないわ、別に入会金とか登録料とかそんなの取らないし、超良心的なギルドなのよ! 他の街じゃ考えられないんだから!!!」


 リサは腰に手をあて胸を張ったが、エーファには全くそのすごさが分からなかった。


 たくさん力説してくれたが、そのどれもが今ひとつ分からない。


 ギルドって何? 団員? 入会金とか登録料って何? 


 エーファの頭の中にぐるぐると聞き慣れない単語が回る。


 助けを求めてイルマを見たが、イルマは素っ気ない。身体を丸めて寝ている。


 どうすればいいのか、エーファは困った。


 何か言わなければ。また黙りは嫌だ。もっとちゃんと話したい。でも冷静にかえりみれば、エーファは今まで見知らぬ人間と、それも同年代の女の子とこれだけ長く話したのは初めてだった。


 相手の話が全く理解できなかった場合の上手い切り返しを、エーファは全く思いつかなかった。素直に「意味が分からないんですけど」言えたらそれが一番かもしれないが、目の前の少女が落胆する様は見たくなかった。


 だからそれはナシの方向で。


 もうちょっと頑張ってみよう。さあ、がんばれ自分。


 頭を悩ますエーファに助け船が出たのは、頼りになるイルマでもなんでもなくて、全く別の所からだった。


「お客様」


 声は涼しげだったが、微かな苛立ちがその声には含まれていた。


「どうぞ、店の前での立ち話もなんですし、どうぞ店内へお入り下さい」


 店員のお姉さんが店の扉を開き、エーファとリサの二人を案内した。


「ああ、すいませんどうも。あたしったらつい夢中になっちゃって。そういやエーファちゃんは何買いに来たの?」


「手土産を、ちょっと」


 エーファちゃんなんて初めて呼ばれた。


 エーファは胸が何故か高鳴るのを感じ、どぎまぎしつつ答えた。


「昔から好きな店なんだ」


「あたしも! 今日はね、おやつを買いに来たの。ここのお菓子ってどれも美味しいのよね~」


「ありがとうございます」


 店員の形式的な返礼を笑顔でやり過ごしながら、リサは店の奥へと入っていった。その後を軽く頭を下げ、エーファが追う。


 今のエーファの頭の中には何故街に降りる事になったのか、その原因を作った人物の事がすっぽりと抜け落ちていた。今エーファの頭の中にあるのはあいつらへのお土産と、先に店に入って手招きしている少女だ。昼過ぎにイルマを追いかけて扉を開けた先に突っ立っていた男の事など、エーファはすっかり忘れ去っていた。


「ねぇねぇ、どれにする? あたしのオススメはこれかな?」


 わぁ、美味しそう。


 なんて胸の内では思ってもやっぱり声には出せずに、エーファは無言のままでリサの指さすケースをのぞいた。


 そこには赤、黄色、緑、青等、色鮮やかなゼリーのお菓子が並んでいた。暑いこの季節にはぴったりかも。


「ごゆっくりご覧下さい」


 店員の声を背に、二人はあれやこれやと店の中を見て回る。


 店の外では黒猫が一匹、まどろんでいる。


 おだやかな、午後のひとときだった。

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