第一章 珈琲も旨いが飯も旨いよカッツ! の巻
カフェバー『カッツ』。
カフェバーと言われれば小洒落た、いかにも女性が好みそうな小綺麗な外装を思い浮かべるが、この『カッツ』は見事にその予想を外させる。
そもそもクルト達の事務所も含め、建物全体が古びてぼろっちい。レトロとか味があると言えない事もないが、やっぱり古くさくてぼろい。かび臭さを感じる。
それで店の装飾が素っ気なくカフェバーという文字と店の名前が入った看板と、やはり素っ気なく最小限のメニューだけ書かれたメニュー表のみ。メニュー表は店の椅子でもある木製の椅子の上に開いて置かれているだけだ。
名前詐欺もいいところだ。よくカフェバーという単語を看板に掲げ、真っ当に営業を続ける他の店から苦情が来ないものだと思う。いっそカフェという単語を取ったらどうだろうか。バーというだけならその雰囲気はある。
外見だけなら。
からん。
古びたドアを開けると木製のベルが乾いた音を立てた。
「いらっしゃい」
カウンター席で新聞を広げていたマスターがちらりと顔を上げ、来客を歓迎した。
「なんだ、お前らか……」
マスターは明らかに期待ハズレといった、失望感をあらわにした。
老年の男だ。
白髪で真っ白な頭を短く刈り上げ、もみあげから口元まで全て真っ白なひげが覆っている、なかなか厳つい強面のじいさんだ。体格もがっしりしている。カフェバーの店主というよりは盗賊の頭がお似合いだ。
「折角のお客にそんな顔するんじぇねぇよ。ただでさえ不味い飯が更にまずくなるだろう」
「腹減った……」
ぶーたれるクルトと、力なく呻くロルフ。
「ふん。ここは飯屋じゃねぇぞ」
マスターは席も立たたず、憎々しげに言った。
狭い店だ。
カウンター席が五席と二人がけのテーブル席が二つ、六人掛けの席が一つの小さな店。
素っ気ない外観に比べ、内装は幾分愛嬌があった。
テーブルには全て真っ白なテーブルクロスがかけられ、造りががっしりとした骨太の椅子の背もたれと腰の部分にはクロスと薄いクッションが敷かれている。椅子のクロスとクッションはどれ一つとして同じ物はなく、花柄だったりレースがあしらわれた綺麗な物から、飾り気無いストライプ模様だったりと様々だ。
「いいから何でも食わせてくれよ。コーヒーも飲んでやるからさ」
「頼むって。俺腹減って死にそう」
「ここは珈琲屋だ。そんで夜は酒も出す。だからカフェバーだ」
懇願する二人に対して、マスターはしかめっ面で答えた。
マスターなりに拘りがあるらしい。素晴らしいことだ。それだけの拘りならば味の方もさぞかしだろう。しかしクルトに言わせてもらえれば、確かに珈琲の良い香りは店に常に満ちている。が、だがしかし、肝心の客の姿を見た事がなかった。
それは当然、クルト達だって営業時間中常にこの『カッツ』に居る訳ではない。だから見逃しているかもしれない。が、ほぼ毎日、多い時には一日に三、四回もクルト達はここカッツに出入りしている。それでも他の客を見たことがあるのは数えるほどだ。
だから、自分たちは大変貴重な客の筈である。そんな貴重な客をそんなに無下に扱ってよろしいものかと、是非伺いたい。
「珈琲飲みに来たのなら歓迎してやる」
マスターは仏頂面で妥協した。
「ああもうそれでいいよ。コーヒーと何か食いモン頼む」
「頼む」
クルトとロルフはカウンター席に座った。
マスターは億劫そうに立ち上がり、読みかけの新聞を机の上に置いて、キッチンへと入る。
なんだかんだで面倒見の良い男だ。請われれば何でも作ってくれる。コーヒーしか出さないと言いながら、きっちり材料の買い置きはある。だからご飯ものも用意できる。
「ちょっと待ってろ」
とんとんと、野菜を切る軽快な音が響く。
やがてじゅーじゅーと油のはねる、騒がしい音が聞こえ出す。
手早い。
ぼんやりとしている間に、料理はもう出来ていた。
「ほらよ」
愛想もなく差し出されるというよりは、突き出す。
しかし文句も言わずに、クルトとロルフはありがたく受け取り、むさぼり食う。
素っ気ない白の深皿にのっているのは、野菜の微塵切りがたっぷり入ったソースがかけられたショートパスタ。フォークで突き刺し、そのこしの強い独特の食感を楽しむ。
「これから仕事か?」
「ああ。ちょっと出かけてくる」
「ほぉ、どこへ?」
他愛ない話だ。深く考えずにクルトは答えた。
「森だよ。そこの人間に用がある」
「……魔女にか?」
少しだけ驚いたようなマスターの声。
ちらりと視線を上げ、マスターを見ると、マスターはひどく驚いている。
「魔女?」
聞き慣れない単語だ。
クルトが聞き返すと、ますますマスターは驚いたようだ。
「なんだ、知らずに引き受けたのか? 呆れた奴だな」
「うっせ。それよりも魔女ってどういう意味だ?」
「魔女ってあれか、変な薬作ったり箒で空飛んだりの、要するに変なばぁさんだろ?」
他にも黒猫を飼っていたり巨大な鍋でなにかを煮込んだり等々。ロルフは不気味で恐ろしい魔女のイメージを挙げた。
「絵本の読み過ぎだ。森の魔女はそんな事はしない。……薬は作るがな。昔は皆よく世話になったものだ」
感慨深げにマスターは言った。どこか昔を懐かしむようでもある。
「薬ねぇ……」
メルディン社が出来てから風邪薬や解熱剤、胃腸薬などちょっとした薬はメルディン社が販売する市販薬でこと足りている。クルトも病院など行かずに、そういった薬に頼ることが多い。
魔女が作った薬など、クルトには怪しい物としか思えなかった。
「まああの会社ができてからはとんと魔女の話は聞かなくなったがな。あのばばぁはまだ生きてやがったのか」
あの会社とはメルディン社の事か。この仕事の依頼主である。
「そうらしいぜ? っつーか魔女とは知り合いなのか?」
ロゼッタも知り合いらしいし、魔女とは意外にオープンな人間なのか? 魔女と言われればひっそりと人に隠れて暮らしていそうなのに。
「昔からこの町に居る人間なら誰でも知ってるさ。魔女はなんでも知ってるからな」
「?」
奇妙な言い回しだ。
少し薄気味悪い。
「なんか気味悪いばあさんだな」
「そうだな、なんでも見透かしたような、少し近寄りがたい人だった」
マスターは魔女を懐かしんでいる。
ロルフの暴言にも笑っており、魔女を敬っているのか恐れているのか、よく分からない。
「まあともかく、森へ行くなら気をつけることだ。魔女を怒らせるなよ。あのばあさん何やらすか分からんからな」
「怖い事言うなよ……」
クルトは顔をしかめた。
もしかしてロゼッタが手土産として茶葉を用意させたのも、その魔女のばあさんの気性の難しさを知っていたからか?
いや――。
もしそうなら、逆にロゼッタは魔女の嗜好と全く違った、むしろ真逆の茶葉を用意させたのかもしれない。ロゼッタとはそういう人だ。全部が全部その調子ではなく、むしろ普段は優しく、よくしてくれるありがたいお方なのだが、たまに奈落の底に突き落とすようなむごい仕打ちをする事があった。
今回もそうなのか。
いや、いつも通りの親切心か?
クルトには分からなかった。
だが――。
「ま、いっか」
結局いつもの結論に行き着く。
考えた所でなるものはなるようにしかならない、と。
「何がいいんだ?」
「別に。大したことじゃねぇよ。こっちの事。それよりもごっとうさん。相変わらず早くて旨いなここの飯は」
「ふん。おだてても何も出んぞ」
そう言いながらも、満更でもない顔で食後のコーヒーを用意し始めたマスター。
コーヒーの香ばしい香りが更に強く、店に充満していく。
まったりとした、至福の時間だ。
「ほらよ。ゆっくりしていけ」
ご飯の皿は下げられ、代わりにコーヒーカップが差し出される。
「あー、やっぱりインスタントとは大違いだな、兄貴」
「だな」
ロルフの言葉に肯く。
コーヒーは好きでも嫌いでもないが、やはり普段飲んでいるようなインスタントと全く違う、豆を挽いていれられたコーヒーのコクの深さと香りの良さには落ち着かされる。
しばらく香りを堪能して、クルトはゆっくりとコーヒーに口をつけた。
ロルフはたっぷり砂糖とミルクを入れるが、クルトはブラック派だった。
ブラックなのにはちょっとした理由がある。コーヒーの味を楽しみたいから、ではなく、砂糖とミルクを入れるのが面倒だからだ。それに大体、コーヒーとは苦い物だ。だったら苦い苦いと感じながら飲むのがコーヒーに対する礼儀ではなかろうか。甘ったるいのが好きなのならジュースでも飲んでろ! とクルトは思うが、口に出した事は無い。口に出すほどの強い主張ではないからだ。
ただ、
「……おいロルフ、入れすぎじゃね、それ?」
溢れんばかりに砂糖やミルクを入れる奴には、少しだけいらっとした。
「そうか?」
言いながらも更にロルフは砂糖を、もう既に溢れんばかりに、ぎりぎりになっているカップへと投入した。絶対に溢れると危惧したクルトに対し、カップは意外にも包容力の高さを見せつけた。
少しだけ表面が揺れた後、何事も無かったかのようにカップは平穏を取り戻した。そのカップを器用に持ち上げ、ロルフは口つけた。
よくこぼさないものだと、感心してしまう。
「まあ、それぞれ好みだからな。旨い飲み方を分かってる奴がえらいのさ」
マスターはどこか諦めた口調で諭した。
「いや、別にどうでも良いけどよ……」
なにか釈然としない思いを抱きながらも、クルトはこれ以上この話題については言及しない事にした。
今はこの瞬間を楽しもう。
まったりとした時間を、クルトは楽しむ事にした。
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