第一章 胸のもやもやを溜息と共に吐きだせたら良いな、の巻

「つまり、こう、いう事、なんだ」


 ロゼッタが帰ってしばらく。


 ようやくロルフが帰ってきた。


 ロルフはぜぇぜぇと、息を切らせながら報告する。


「ろ、ロゼッタさんに頼まれて、葉っぱを買いに、行ったんだよ」


 葉っぱとは茶葉の事だろう。もっと他に知性を感じさせる言い方はできないのか……。


「この店か?」


 ソファに背を預けたまま、少し情けなく思いながらクルトは先程そのロゼッタから頂いたパンフレットを差し出して見せる。


「それ、それ」


「……幾らしたんだ?」


 自然と低くなってしまうクルトの声。


 昔に比べれば格段に生活水準は向上し、明日のメシに困るような事態はおさらばしているが、それでも厳しい時は厳しい。ちょっとくらいならいいが、大きな無駄遣いはいたい。


「二百Eエッジ」


 何故かロルフは誇らしげだ。こんな高い物を俺は買えるんだぞ、という心のやらしさの表れか。


「……」


 その答えに、はぁ、と、大きくクルトは息を吐いた。


 二百Eもあれば一週間分の食料が買える。十分に大きな無駄遣いの額だ。


 一体誰が紅茶など飲むか。ろくに入れ方も知らないのに。


「だってロゼッタさんが言うから。ロゼッタさんが言うには今度の仕事の相手先の好きな奴だからって。絶対に用意しておけって言うもんだからさ、」


「ったくあの人は……ん?」


 ロルフの言い訳がましい言葉の中に、一つ聞き捨てならない単語が聞こえた。


「相手先の好物?」


 身を起こし、ゆっくりと向かいに座り喉を潤しているロルフに尋ねた。


「あの人がそう言ったのか?」


「ああ」


 ごくりと。


 豪快に喉を鳴らしながらロルフは肯いた。


「なんでも昔からの知り合いらいいぜ。その、今回の仕事の相手先と」


「……」


 あの狸め。


 クルトは頭を抱えた。


 初めから、全て分かっていたのか。


 分かっていながらしつこく尋ね、クルトをからかったのか。


 意味が分からない。


 あの人のことだ。意味などなく、あの人自身が言っていたようにたまたま寄っただけなのか? いや、それにしてはタイミングが良すぎる。やはり何かしらの意図はあったはずだ。


「…………まあいい」


 しばらくの黙考の後。


 組んでいた手をほどき、クルトは決断した。


「ともかく仕事だ。飯食ったら行くぞ」


「分かった」


 ロゼッタの事は、考えるだけ無駄だ。


 彼女との付き合いは長いと言えるが、それでも知らない事の方が多かった。


 住所と家族構成はなんとなく知っているが、実際に訪ねた事は無いし、家族とは会った事もなかった。


 依頼人という関係から考えればおかしな話ではない、かもしれないが、一人の依頼人というには付き合いが長すぎるだろう。


 まあ最終的に食えればそれでいいのだから、ロゼッタの意図はどうでも良かった。


 金になるのは確かだし、ロゼッタの持ち込む仕事は悪いものばかりではない。


 それにここが重要なのだが、クルトにロルフ、二人ともロゼッタの事は嫌いではなかった。たまにいらっとなったり、不信感を覚える時もあるが、それがどうでも良くなってしまうような、言葉にはし辛い魅力が彼女にはある。


 飼いならされているのかもしれない。

 

 しかし、それも悪くない。それで飯が食えるのだから。 


「なんか食うモンあったっけっか?」


 ソファから立ち上がり、三階へと移動すべくクルトは足を向けた。


「えー、下行こうぜ。もう店開いてたし」


 下とは一階の店の事だ。すっかり常連で、他の店で食べるよりは安くて済むので利用する事が多い。


 不満げな声を上げるロルフをクルトは睨んだ。


「駄目だ! お前今さっきもロゼッタさんに言われて無駄遣いしたばっかじゃねぇか。うちにはそんな贅沢品を買うお金はそうそうありません!」


 ありません、の前に「そうそう」と付けたところが、クルトの微妙なプライドだった。


 きょとんとした様子でロルフは答えた。


「え? いや、あの葉っぱのお金はロゼッタさんが出したぜ」


「……なんだと?」


「馬鹿だな兄貴。俺が葉っぱ如きに二百Eも出せるかって! 馬鹿言うなよなぁ」


「そりゃそうだ」


「だろう?」


 だとしたら、ますます分からない。


 ロゼッタは一体何をしに来たんだ? 

 土産を買いに行かせたと、何故言わずに帰った?

 

「じゃ、下に行くか!」


 弟の言葉で我に返る。


「ああ」


 つい下の店で昼食を取る事を了承してしまった。


 思考が泥沼にはまる。


 だからこれ以上ロゼッタについて頭を巡らせるのは止めようと己に言い聞かせたのに。


 なのに、いつの間にかロゼッタの泥にはまっている。


 恐ろしい人だ。


 そして、これから向かう先の相手はその恐るべきロゼッタの知り合いらしい。それもロルフを使い走りにさせてまで、しかも自費でその相手の好きな茶葉を用意させる程の、だ。


 ただの知り合いではないだろう。


 勘弁して欲しい。


「……はぁ」


 クルトは深く、息を吐いた。


 深く深く。


 もしあるとしたら、ロゼッタの泥を頭から胃から、全て吐き出すように。


 ふかくふかく。

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