第一章 ぷんぷんが似合う女性は妖精なのか妖婆なのか、どちらにせよ深くは知ってはいけないの巻

「それで、お仕事はどうでした?」


 お茶を差し出しながら、さも当然のような顔でロゼッタは尋ねた。


 差し出されたお茶が乗るカップもお皿もティーポットもティースプーンすら、クルトは見た事がないものだった。


 弟のロルフは料理さえまともにしない奴で、ロルフが揃えた物ではないだろう。むしろクロトとロルフ二人ともこういう嗜好品の類には縁がない質で、水さえあれば十分な人間だった。事務所をここに構えてからは客に出す程度にインスタントコーヒーは揃えていたが、それも素っ気ないマグカップで出す程度で、こんな上品なカップを用意した覚えはない。


「ええと……」


 もしかしてこれは彼女の持ち込みだろうか? それかロルフに買いに行かせたか。どちらもあり得る事だったが、後者の可能性は考えたくなかった。だってこの茶器の一式はとても高そうに見えた。


 透明感のある白い陶器に、そっと描かれた紅い華と緑の葉っぱがいくつか。


 個性的でもなんでもない、どこにでもありそうな絵面だが、だからこそ芯のある上品な美しさがそこにあった。


 芸術を愛でる心なんて生まれて数年で忘れ去ってしまったクルトですら、ちょっとした感嘆を覚えてしまう。単純に綺麗だと思った。


 美しいとはこういう物だと、素直に感嘆できた。


 一体買えば幾らするのか、そんな事は恐ろしくて考えたくない。しかしロゼッタに「これくらい必要ですわよ」と言われればきっと買ってしまうんだろう。それに認めるのは少し癪だが、クルトはこの茶器が気に入ってしまった。もしロゼッタが持ち帰ろうとすれば、表面上ではせいせいした振りをしても心の奥底では残念がるだろう。


 ロゼッタの質問とは全く関係無い、自分でもよく分からないそんな事を考えながらカップを持ち上げ、クルトは紅茶を口に含んだ。


「紅茶、とても美味しいです」

「当たり前です、わたくしが自らお入れしたのですもの。そんな決まり切った事をわたくしは聞いておりませんの。もうイジワルね、クルトさんは。ロルフさんと大違いですわ」


 ぷんぷん。


 わざとなのか素なのか、どちらにせよ可愛いことには変わりなかったが、どうなのか。

 

 そこそこの年齢に達した大人に似合う形容詞として、『ぷんぷん』って。

 

 クルトは物理的に頭をぶんぶん左右にふってその形容詞を頭から振り払おうとしたが、無駄だった。


 どう見ても向かいに座り、自分で入れたお茶を飲もうとして、クルトの言葉に気分を害した様子のロゼッタを表す形容詞は、『ぷんぷん』しかなかった。


 薔薇色のふくよかなほっぺを膨らませ、不満げにうるっとした瞳で見つめられてみろ。


 ロゼッタはそういう子供じみた仕草が恐ろしい程に似合う女性だ。もういい加減耐性はつき始めたから悩殺されることは少なくなったが、居心地が悪くなるのは変わらない。


 耐えきれずにクルトは許しを請うた。


「勘弁して下さいよロゼッタさん。確かに貴方から紹介は頂きましたが、知ってるでしょ、守秘義務ってヤツ。依頼人との秘密は守ります。守らせて下さいよ」


 守秘義務とは、職務上で知る事のできた秘密を守らなければならない義務。


 クルト達の『ボルク事務所』は依頼があればなんでもやる何でも屋として活動している。持ち込まれる依頼も様々だ。浮気調査から迷い犬の捜索、取り立ての代行まで幅広く。

 そういった仕事の中で依頼人や周辺の人間の事情に深く関わりすぎ、要らない事まで知ってしまう事がままにある。


 ここだけの話、質の悪いそういう何でも屋の手合いの中には仕事で知り得た情報をネタに依頼人を脅す、依頼人に限らずにネタを手に入れた人物を脅す輩は多い。中にはそういうネタ探しを目的にしている輩もいる始末で、非常に危うい仕事なのだ、この何でも屋というのは。


 クルトが守秘義務を徹底的に課すのはひとえにこれら厄介事を避ける為。依頼人との信頼関係も大事だが、そんなものは二の次だ。


 全ては己のため。


 自分たちの場所を、守る為。


 だから絶対に守秘義務は守る。


「まあ」


 ロゼッタは大げさに拗ねてみせた。


「わたくしとクルトさんの仲じゃありませんか? ね、いいでしょ少しくらい」

「だから、少しも何もないでしょうが」

「んもう、クルトさんのい・け・ず」

「マジで勘弁して下さい」

「本当に……だめ、ですの?」

「無理です」


 つけ込まれないよう、しっかりとロゼッタの深い蒼の目を見ながら、クルトは言い切った。


「仕事を回してくれたのは感謝してますけどね、無理なモンは無理です。俺はまだこの仕事辞める気はないんで」

「……そう。分かりましたわ。今日は大人しく帰ります」


 ふうと一息、深く息を吐き出して、ロゼッタは項垂れた。


 クルトは危うく一緒に溢しそうになったため息を飲み込んだ。


「そうしてくれると助かります」

「んもう、本当にいけずね、クルトさんは」

「そりゃどーも」

「もう、可愛くないっ!」


 ぷんぷん。


 憤慨した様子でロゼッタは立ち上がった。


「その茶器は差し上げますわ。ここに来るといつもコーヒーばかりですもの」

「はあ、ありがとうございます」

「茶葉はご自分で揃えてくださいね。そうそう、茶葉はこのお店がお勧めですわ」


 そう言って渡された小さなパンフレットは、いかにもシンプルで上品、つまり高そうだ。


「はぁ、どうも」


 受け取りながら、多分この店を使う事は無いだろうなとクルトは考えた。


「それではご機嫌あそばせ」


 優雅に一礼して、ロゼッタ婦人は事務所を後にした。


 ロゼッタが帰った後、残った紅茶を飲み干しクルトはする事がなくなって呻いた。


「……ロルフはどこまで使いに行ったんだ?」


 答える者は、いなかった。

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