第3話 情報屋モリオン Oracle

◆ホテル サンクチュアリ


「ねぇ……やっぱり、ヤメとかない?」


 ピートは心底嫌そうに言った。

「なぜそんな嫌そうな顔をするんだ?

 彼女は美人だぜ?」

 ジョンがニヤリと笑ってピートを見た。


「まずは情報を集める」というジョンの主張で、二人は知り合いの情報屋に会いに行く事になった。

 クイーンズランドシティの港の近くに、一泊しただけでジョンの一仕事分のギャラが軽く消えてなくなりそうなホテル“サンクチュアリ”が威容を誇っていた。情報屋モリオンは今、ここに滞在している。


 流れるような黒髪と滑らかな褐色の肌、大きな黒い瞳に紅い大きな口。豊満な張りのあるバストとヒップに細くくびれたウエスト。モリオンは確かにジョンの言うように妖しい魅力をもったとびっきりの美女だった。

 それならばなぜ、無類の女好きであるはずのピートがこれ程までに嫌がっているのか?

 それには、理由があった。

  

「UhhhhhoooooRiiiiiiiiaaaaa!!

 キターー! キタYooo!」

 最上階のロイヤルスイート。インターフォンに名を告げて、豪華な室内に入った二人を迎えたのは、甲高い女の奇声だった。


『……』

 無言で顔を見合わせる二人。


「今日もかなりキマってるみたいだね……」

「まぁな……」

「この様子じゃ、きっと話はできそうにないから、やっぱり帰ろ……あっ、ジョン!」


 今にも引き返しそうなピートを無視し、ジョンは意を決したように部屋の奥へと歩いていった。

「待ってよ! 行くよ、行きますよ――」

 ピートが諦めたようにそれに続く。


 室内に配された調度品はどれもが間違いなく本物の品ばかりだった。派手さはないが、それがかえって本物のみが持つオーラのようなものを際だたせている。ジョンにとっては、なじみの深い猥雑な繁華街に比べれば、まるで空気さえも違うような気がする。あぶく銭を手にしたにわか成金程度であれば、逆に部屋の雰囲気に気後れして落ち着かない気分になったかもしれない。本物は宿泊客とはいえ、一時の主となる者にも格を求める。


 だが、モリオンという女にとっては、最高級のホテルも横になるスペースがかろうじてあるだけの棺“コフィン”も同じだった。ただ、彼女自身が気に入れば、どこであろうとそこが彼女の城となるのだ。彼女が部屋の主となれば、ものの数秒でそこはどこでもない情報屋モリオンの住処へと変貌をとげる。


 そして、上品な調度品が配されたこのスイートルームのリビングもご多分に漏れず、モリオンの城――否、モリオンの森へと激変していた。

 

「このアシッドレッドのアカ――! ピリピリと舌を刺激する味が――サイコー!!」

 モリオンは部屋に入ってきた二人に目もくれず、超絶好調のご様子。


 まず目につくのは部屋のいたるところに散らばるジャンクフードの包み紙とジュースの空容器。赤やら黄やら、緑、青とやたら毒々しい原色が目につく。それこそ調度品どころか床さえ覆い隠さんばかりの量だ。品の良い調度品の数々も今や原色のゴミに浸食されている。落ち、重なり合った葉々、毒々しい花々が咲き誇る未踏の密林のようだ。原色のゴミの間から覗いている木々の根のようなコード類がさらにそのイメージを加速させる。コードの先、部屋の中央には巨大なスチールの机、そのスペースの大部分は中身が露出した無骨な機械、コンピューターが占有していた。


 コンピューターの巨大なモニターの前に座っているのは、密林の女王ならぬ、情報屋のモリオンだ。

 上は虹色のタンクトップ、下は黒のショーツのみというあられもない格好をしている彼女は、健康な男なら一瞬で理性を失いそうな程セクシーだ。


 薄手の生地を突き破らんばかりの豊かなバストをユサユサと揺らし、奇声を発しながらも目はモニターを睨み、右手でスクリーンにタッチしている。空いた左手は、机の上に置いたジャンクフードの袋からものすごい勢いで中身を取り出しては口に運ぶ。そして、美しい顔に恍惚の表情を浮かべながらモムモムと租借し、味わう度に、彼女の口からは奇声が迸っていた。


 トロンとした表情と異常なまでのハイテンションの繰り返し、明らかに彼女は、極めつけに“ぶっ飛んでいた”しかし、ドラッグの類で飛んでいるわけではない。

 そう――情報屋モリオンはジャンクフードでトリップしているのだった。


 モリオンはとある未開地に住むシャーマンの末裔だ。彼女の血族は、儀式の際に幻覚作用をひきおこす毒草を何種類も調合した薬を飲む。薬の効果によってトリップし、神託を告げるのだ。


 常人なら確実に廃人になる(実際儀式の際に死亡するものも稀に出るが)この薬で命を落とさないために、一族のものは、幼い頃から毒草を少量ずつ飲み続ける。その結果、ほとんどの毒物に対する驚異的な耐性を得ていた。


 その特異な生い立ちによるためか、それとも彼女自身の体質なのかは定かではないが、モリオンはジャンクフードでトリップする。正確にはその中に含まれる合成着色料のせいであるらしい。


 モリオン曰く「こんなに気持ちよく飛べるクスリは初めて」なのだそうだ。

 

「うわっ!」

 床を這っている大量のコードに足をとられ、ピートがジャンクフードの食べカスや包装紙が散らばる床に派手な音をたててダイブした。


「Yaaaaaaa……ん? ……アレ?」

 その音でやっとモリオンが正気……かどうかは怪しいが二人に気が付いた。


「ン~? ……お! ――――おお!

 誰カと思えば、ピートとジョンじゃないカ! いつの間にキタ?」

 嬉しそうに手を広げ、モリオンが二人に近づいて来た。怪しげな口調とは裏腹に、意外と足取りはしっかりしている。


「たった今さ……元気そうで、なによりだ」

「ジョンも相変わらずイイオトコよ――」

 再会の抱擁を求める彼女をジョンが両手で肩を掴んで押しとどめる。甘い香りがジョンの鼻孔をくすぐった。

 突然軽い目眩を覚え、ジョンがあわててモリオンから距離をとった。あくまで不自然にならないように、彼女を傷つけないように。


「アー、すまない。ジョン、ダイジョブカ?」

 そんなジョンの気遣いを察してか、モリオンは自ら体を離した。特に傷ついた様子はない。むしろ、慣れているという風だ。


 モリオンは、自身が強力な毒でもある。

 毒を取り込み、己が血肉に変える。一族でも稀にそういう体質のものが生まれるという。彼女の体液、吐息さえもが通常のドラッグなど比較にならない程の強力な薬物なのだ。


 仮に、そんな事情を知らずに彼女と寝たヤツがいたとしたら、その相手は文字通り天国行きに違いない。

 女好きのピートが彼女を敬遠する理由もここにある。モリオンが魅力的であればあるほど、ピートはご馳走を前におあずけをくった犬のようにやりきれない思いにとらわれるのだった。


 だからといって、モリオンが一生独り身であるのか、というとそうでもないらしい。彼女の話によると同じ体質の旦那がいるのだという。

 

 長身のモリオンは小柄なピートより背が高い。目の前で揺れるたわわに実った果実のようなバストを恨めしげに見ながらピートがため息をついた。

「ナオミといい、モリオンといい、どうして僕のまわりにいる女性たちは、こんな苦行を強いるんだろう」

「さあな? 前世で何か悪い事でもしたんじゃないのか?」

 ジョンが他人事のように答えた。


 そんな二人の会話など気にも留めず、モリオンは手に持ったジャンクフードを薦めた。

「よかったラ、二人もお一つドウカ?

 これは、どんな病気も治したという伝説のジャンクフードの復刻版だソウヨ?」

 彼女が差し出した袋には赤地に白と黒で「セーローGUN」という文字が書かれている。どうやら新作らしいが、どうみてもどんな病気も治すというよりは、たちどころに何か得体の知れない病気になりそうな雰囲気だ。


「いや……残念だが、遠慮しておくよ。

 それよりも今日はキミの力を借りたいんだが……」

「そうか……ザンネン」

 苦笑いを浮かべて後ずさるジョンを見ながら、モリオンは袋から異様な臭いのする黒く丸い物体を取り出して口に入れた。

「美味しいのニ……NNNNNNNooooooooh――――!!」


「“魔剣使い”トハ、ジョンもおもしろいモノに興味をモツネ」

 正気に戻るまで更に3分と24秒を無駄にした後、モリオンはそう言った。

 ジョンが情報屋モリオンに依頼したのは、「“魔剣使い”腕斬り」についての調査だった。


 “魔剣使い”とは、ある種の伝説だ。

 刹那の瞬間に生と死が舞い散るストリートの暗部で、硝煙と血の臭いが充満する幾多の戦場で、強者達が畏怖と憧憬と猜疑の色を交えて口にする超人の噂だ。


 それは、文字通り“魔剣”の使い手の事ではなく、たった一人で武装した千人の兵士に対抗しうる戦闘能力を持った、一騎当千を体現した超人たちの事を指す。

 一説には一番最初に現れた者が実際に魔剣の使い手であった事からそう呼ばれるようになったとも言われるが、真偽の程は定かではない。


 そう、それは宇宙のいたるところでまことしやかに囁かれる噂話にすぎない。

 “曰く、魔剣使いの一人、白龍はあらゆる武術に精通しており、素手で一軍を壊滅させた”

 “曰く、魔剣使いの一人、伯爵は不老不死の化け物で、決して年老いる事はなく、またどんな手段を用いても死ぬ事はない”

 “曰く、魔剣使いの一人、魔神剣は本物の魔剣の使い手で、巨大なビルを一太刀で両断する”


 等々……そして、その魔剣使いの中の一人が“腕斬り”だ。

 “腕斬り”は、相手が銃口を向けた瞬間、その腕と首を切り落とす手口からついたあだ名だ。


 銃を構えた瞬間に初太刀で銃を持った腕を落とし、返す刀で首を斬る。言葉にすれば簡単だが、複数の手練れ相手にそれをやってのける技術は尋常ではない。それこそ、彼(彼女?)が魔剣使いの一人に数えられる由縁でもある。


 暗殺者である“腕斬り”は大企業の要人が不可解な死をとげると、関係者の口から「次は自分の番ではないか?」という恐れと共にその名が漏れる。

 しかし、その姿を見た者はいない、見たと言う者はもちろん星の数程いるが、本当にその姿を見て生き残った者はいない言われていた。


「ン~…と、アッタアッタ」

 モリオンの指がスクリーンにタッチすると次々と小さなウインドウが生まれていく。

 その内の一つが静止し、大きく表示された。


「今からだいたい50年くらい前ダネ、これがおそらく最初に“腕斬り”が関わったと言われる事件ネ」


 “アリオン”と社名のロゴが踊るニュースページに、おそらく殺人現場らしい写真としかめ面の中年男性の写真が載っていた。


 現場の写真といっても、遠巻きに眺める大勢の野次馬とそれを押しとどめる警官、そしてお定まりの“KEEP OUT”のテープが移っているのみだ。


「被害者はアントニオ・ビシャーチャ50歳。S&Mのオルカノ支部局長か…

 しかし、ひどいしかめ面だねぇ、何がそんなにおもしろくないんだか……」

 横からモニターをのぞき込みながらピートが言った。


「たしかにな……こいつが年がら年中こんな顔をしているとしたら、腕斬りに殺されなくてもその内、胃にバケツみたいな穴が空いてくたばっていたかもしれないな」

「ソウカモ知れないネー」

 ジョンの言葉にモリオンが笑う。


「でも……“事故死”って書いてあるね」

 ピートが怪訝そうにニュースページの文字を指さした。

「アハ。見かけによらず、ピートは初心うぶネ。

 ニュースページに“誰かに殺されました”ナーンテ、載せるわきゃないデショ」


「だって殺人事件だよ?」

 ピートがムキになって言い返す。

「これが“まっとうな殺人事件”なら、ニュースにもなるだろうさ」

 モニターを睨みながら、ジョンがむっつりと答えた。


「―――?」

「さすがジョン。鋭いね」

 モリオンは、ニタリと笑った。

「……やっぱりそうか」

 ジョンは、しかめ面で頭を掻いた。


「だいたい魔剣使い自体、都市伝説みたいなものダカラ。

 特定するのは、難しいんダケド。

 この約50年の間に腕斬りに殺されたと思われる企業人は、8人ヨ」

「8人か……多いんだか少ないんだか、微妙な数字だねぇ」

 ピートが複雑な表情で首をひねる。


「とは言え、巻き添えをくった人数はもっといるだろうがな」

 ジョセフ・ランスキーの殺害現場の惨状を思いだし、ジョンが苦々しげに呟く。

「この8人は、全て事故死と発表されているのヨ」


「このバケツオヤジといっしょってわけか――……ん?」

 ピートの口から疑問の声がもれた。

「待って待って――それっておかしくない?

 全員事故死なのに、どうして腕斬りの噂が広まるのさ。

 それも、只の噂じゃなく、魔剣使いに数えられる程の……」


「腕斬りの仕業と思われる事件が起きると、必ず噂が流れるヨ。

 ネットだったり、ストリートだったり……出所はイロイロだけど。

 企業は、腕斬りの存在を否定するけど、それがかえって腕斬りの存在を際だたせるノヨ。間違いなく企業は、腕斬りの存在を隠そうとしていル。でも、同時にその存在を必要としてイル」


 モリオンは、どんどん饒舌になっていった。熱に浮かされたように喋り続ける。

 ピートが気圧されたように、呟いた。

「ジョン……モリオンの様子が…」

「ああ……入ったな。

 もうすぐ来るぞ――――“オラクル”だ」

 ジョンが頷く。


「悪い事をするとヴィーダーノウ(お化け)が来るよと子供を脅すように、企業がその存在を利用しているのダとシタラ――」

 モリオンの指が閃き、めまぐるしい速度でウインドウが切り替わっていく。

 途中、パスワードの入力画面が現れるが、一瞬で解除された。


「そもそも魔剣使い自体、何者かの意図を感じずにはイラレナい、あれほどの、それが実在するとすれバだが――――ソレゾレに役割がアルりのだがそれが抑止力ナノノかホレガ……」


 モリオンの目が虚ろになり、呂律が回らなくなる。

 しかし、それと相反して指はすさまじいスピードでキーを叩き、マシンを操作している。いくつかの画像が画面を埋め尽くし、そして――――


 唐突にモリオンが倒れた。

 イスから落ちた彼女を、とっさにジョンが抱き留める。

 甘い香りがジョンの鼻孔を指すように刺激する。天井がグルグルと回っていた。

 倒れそうになる体を何とか支えながら、ジョンはモリオンを床に寝かせた。

 あわてて離れ、床に座り込んだ。大きく深呼吸を繰り返す。


 どれくらいそうしていただろうか、やっと体の感覚が戻ってきた。

「大丈夫かい? ジョン」

 ピートが心配そうに覗きこむ。

「ああ……大丈夫だ」


 まだ幾分青ざめた顔でピートに笑って見せると、立ち上がり、マシンのモニターを見た。

「相変わらず、モリオンのオラクルはすさまじいねぇ。

 ――――どれどれ、女神様はなんて言ってるのかな?」


 神託〈オラクル〉――――

 シャーマンの末裔である情報屋モリオンは、トランス状態に入ると驚異的なインスピレーションを得て(今のところそうとしか説明のしようがない)ネット上から依頼人が知りたい事や事件の手がかりを拾い上げる。


 あらゆるセキュリティを突破し、物理的に侵入が可能な場所ならとんでもないところから情報を集めてくる。ただ、それが何を意味するのかは、モリオン本人にも解らないところが難点でもある。

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