第2話 ルシィ The memory
「ここは、地獄だ」
ジョン・スタッカーの口からそんな言葉が漏れた。
“リボルバー”ジョセフ・ランスキーがホテルから逃走した後、ジョンは昏倒したビル・ランスキーを拘束すると警察に連絡を入れた。すぐにピートと合流し、ジョセフの後を追う。
ジョセフが“ガス室通り”をまっすぐに東へと向かったため、車での追跡が可能だった事と、逃げ込んだ路地が袋小路であった事が幸いし、なんとか居所を突き止める事ができた。
ピートを路地の入り口に止めた車に待機させ――もっとも、ピートは荒事が待つ現場に自分から行こうとはしなかったが――ジョセフの反撃、待ち伏せを十分考慮し、後を追った。
しかし――――
そこには、ジョンの予想を上回る光景が広がっていたのだ。
路地のあちらこちらにちらばる、もはや死体などという生やさしいシロモノではない、ただの肉塊と化した死体。
アスファルトは流れ出た夥しい量の血で埋め尽くされ、空気はネットリと不快な湿気を帯び、充満する血の匂いによって変質しているようだ。
そこは異界――――
奇しくもジョンの口から漏れた“地獄”という言葉以外では表現できぬ、異質な空間であった。
「え? ……なに? どういう事?」
無線機から事情のつかめないピートの声が聞こえる。
「……」
ジョンはピートの声を無視し、現場に足を踏み入れた。
濃密な血の匂いに顔をしかめながら、辺りを見回す。
微かな逡巡の後、ジョンはコートの内側に手を入れた。硬いプラスチックの感触を探り当て、スイッチを押す。
グローブに仕込まれた隠しカメラが作動した。
そのまま、片手を掲げるようなポーズで辺りを撮影する。
傍目には奇妙な行動に見えるだろうが、見ているものは、虚ろな眼をした死体だけだ。
死体の数はおよそ4~5人。全員男性で、一様に黒いスーツを着た同じ企業、組織に所属する者たちのようだ。
ただし、彼らはまっとうな労働によって組織に貢献する“カンパニーマン”ではないだろう。なぜなら、彼らの内、誰一人として身分を証明するような物、企業に所属する者なら身につけているべきものを持っていないからだった。
それは、彼らが非合法活動に従事する“イリーガル”である事を指していた。
この男たちもまた、ジョセフ・ランスキーを追って来たのか?
それとも、この地獄を作り出した何者かと関係があるのか?
それを推理するには、情報が少なすぎた。
とにかく、今は急いだ方が良い。もしかしたら、この男たちの仲間がこの現場に向かっているかもしれない。
余計なトラブルは避けるにこしたことはないのだ。
ジョンは幾つかの推察を頭の隅に追いやると、撮影を続けた。
注意深く辺りに気を配りながら、更に路地の奥へと歩を進める。
この惨状を目の当たりにした時から、ジョンにはある予感があった。
そして――――
出来れば、見つかってほしくはないと願っていたそれは、あっさりと見つかった。
“リボルバー”ジョセフ・ランスキーの死体。
つい十数分前にジョンの前から逃走した男の死体には、首と右手、左足が無かった。
左足は路地の隅に、銃を握りしめたままの右手と薄い笑みを浮かべた首は、死体のそばで見つかった。
ドクン――
心臓が、一際高く鼓動を打った。
辺りから急に現実感が失われていくのをジョンは確かに感じた。
それ程に――いかなる状況においても、ましてやこのような異常な現場においてはなおさら冷静であるはずの彼を動揺させる程に、それは衝撃的なものであったのだ。
追っていた賞金首の死に衝撃を受けたわけではない。それは、もちろんトラブルではあったが、この路地の惨状を目の当たりにした時から覚悟していた事だ。
ジョンが見つめている、視線の先にあるモノ。彼を動揺させたモノは——銃を握りしめたまま切断されたジョセフの右手だった。
夜目にもそれと解るほどに青ざめた顔で、ジョンはその右手を凝視していた。
ジョンの脳裏に、ある記憶が蘇る。
――チリエリ星の美しい花火
――幸せそうに微笑むルシィ
――崩れ落ちる倉庫
――首狩りとの死闘
――黒衣の死神
――そして
――腕の中で息絶える最愛の女性。
◆◆◆
俺には、妻がいた。
名は、ルシィ。
天真爛漫で、無垢な少女のような伸びやかな心と、成熟した女の持つ暖かな包容力を併せ持った、美しい女だった。
ルシィと出会って、俺は性別や年齢差を越えて、誰からも愛される人間がいる事を初めて知った。
彼女の笑顔の前では、おそらく何年も愛想笑いすらした事が無いだろうスラムの酔っぱらいでさえ、笑顔を見せた。
殺人以外はどんな事でもして生き延びて来たスリの少年が、ルシィに抱きしめられて涙を流した事もあった。
そして、俺も自然と彼女に惹かれて行った。
以前の俺は、自分が誰か一人の女を愛し続ける事など夢にも思わなかった。
娼婦や行きづりの女とベッドを共にする時は、もちろん相手に好意を持っていたし、その瞬間だけなら愛していたのかもしれない。
だが、それだけの事だ。
誰かと共に、死ぬまで生きていこうと思った事は、唯一の肉親である姉以外には、一度も無かった。
それが、ルシィとは何の抵抗も無く、まるで遠い昔に失った魂の半分と引き合うように、自然と惹かれ、そして結ばれた。
現実主義を自認する俺にとっては、いささか認めづらい事だが、確かにそれは、運命と呼ぶ以外にはなかったのかもしれない。
ルシィとの結婚を決意した時、俺はバウンティハンターの仕事を辞めた。
結婚式にはピートはもちろん、ほとんど病院から出る事のない姉のフローレンス、俺とルシィの友人、同業のBH、多くの人が出席してくれた。
皆が俺たちを心から祝福し、幸せを願う言葉を贈る。
友人と呼べる者は多かったが、これほど大勢が来てくれるとは思っていなかった。
戸惑う俺にイチローが言った。
「あなたは、粗野で短気で女性にだらしない人ですが、その反面情に篤いところもあるって事を皆ちゃんと知っているんです。
ここに集まっている人は皆、あなたが好きなんですよ……
身内だと認識した人に対しては自分の危険を顧みず、それを恩とも思わずにただ、当たり前に接してきたジョン・スタッカーという人をね」
俺はルシィの事を誰からも愛されると言ったが、そういう俺もまた、多くの人に愛されていた事を改めて感じた。
俺たちは幸せだった。
おそらく、二人の人生において、もっとも輝かしい黄金の日々だったろう。
しかし、この幸せな日々の終わりがそこまで近づいている事に、この時の俺は気づきもしなかった。
今まで散々身にしみているはずだったのに、俺は忘れていた。
もっとも残酷で非情な存在が“現実”であるという事実を。
俺とルシィ、二人が幸せな日々を享受していた頃、巷ではBHが狙われるという事件が相次いでいた。
BHを狙うのもまた、BH。
だが、奴らが専門に狩るのは犯罪者ではなく、BHだった。
犯罪組織や恨みを持つ者に依頼され、BHを殺す。いわば、裏のBHと呼ばれる存在だ。
既に引退したとはいえ、俺を狙う者も現れた。
非情にして冷徹、残酷な殺人機械である“首狩り”と呼ばれる男。
獲物の首を戦利品として持ち帰る事からその名がついた、凄腕の殺屋だ。
育ての親である叔母の死を悲しむルシィを伴って、俺は彼女の生まれ故郷である惑星チリエリを訪れた。
そして――首狩りもまた、チリエリへと向かった。
運命の夜。
おそらく、俺、ジョン・スタッカーが一生忘れる事のできない夜。
その夜、チリエリでは惑星政府の創立を祝う大きな祭りが催されていた。
出店が軒を連ね、様々な出し物が行われ、記念公園では花火が打ち上げられた。
最後に特別な花火が上がり、その時に願い事をすれば叶うと言われているこの祭りのメインイベントだ。
俺はルシィと二人、公園で花火を眺めていた。
しばらくすれば最後の花火が打ち上げられる。
「何をお願いするんだ?」
「……ひみつ」
俺の問いにルシィが悪戯っぽく笑う。
しかし、そんな二人の幸せを悪魔が奪った。
俺がルシィの元を離れたわずかな隙に、彼女は首狩りに捕らえられてしまったのだ。
俺はすぐにルシィの救出に向かった。しかし、最愛の女を人質に捕られた俺には、なす術も無かった。
それでも、瀕死の重傷を負ったルシィを連れ、俺自身も傷つきながら、なんとか首狩りの手から逃れた。
しかし、その時ルシィの命の火は、まさに燃え尽きようとしていた。
奇しくも、最後の花火がチリエリの夜空を鮮やかな色彩に染め上げた。
夜の記念公園、誰もが幸せな願いに酔うその瞬間、俺は絶望と言いようのない喪失感に抗うように、ルシィの体を強く抱きしめる。
「俺を一人にしないでくれ!
――――ルシィ!」
悲痛な叫びが、夜の静寂にこだました。
「ごめんね……
ねぇ……笑って、ジョニィ」
ルシィは最後にそう言い残すと、俺の腕の中で静かに息をひきとった。
彼女の死に顔は安らかだった。
傷の痛み、死の恐怖に耐え、それでも最後まで俺の幸せを願った。
――ドドーン
どんな願いも叶えると言う花火――
しかし――
俺の願いが叶えられる事は、ついになかった。
俺は復讐を決意した。
憎悪の炎を滾らせながら、一人、また一人と首狩りの仲間を葬っていく。
そしてついに、倉庫跡のアジトに潜んだ首狩りの元に辿り着いた。
命を賭けたギリギリの闘争に喜びと生の実感を感じる首狩りもまた、対決の時を待っていた。
白兵戦のプロである首狩りとの戦いは、死闘と呼ぶにふさわしいものだったが、俺は辛くもその戦いに勝利する。
だが、首狩りとの死闘に精も根も尽き果てた俺の前に、もう一人の死神が姿を現した。
目元をミラーシェイドで覆った黒衣の男。
俺は危険を察知し、咄嗟に銃を構える。
しかし、銃を持った左腕は、一瞬にして手首の辺りから消失した。
信じられないスピードで抜き放たれた黒刀が俺の手を切断したのだ。
男の動きは流れるように、二の太刀がそのまま首を狙う。
俺はまったくその動きに反応出来ない。
例え、体が万全の状態であったとしても、その攻撃を初見で回避する事は不可能だったろう。
しかし、死神の鎌が獲物の首に振り下ろされるその瞬間、奇跡は起こった。
首狩りが罠として仕掛けていたのか、それとも第三者による介入であったのかは解らない。
倉庫が轟音と共に突然崩れ、巨大な鉄材の束がちょうど俺と黒衣の男の間に落ちてきたのだ。
止めの一撃を加えようとしていた男は、落ちてきた鉄材に跳ね飛ばされ、倉庫の奥へと消えた。
倉庫の壁が、天井が、軋みを上げて崩れていく。
激痛に耐えながら、俺はなんとか崩れる倉庫から逃げ出す事に成功した。
多量の出血により意識を失った俺は、駆けつけたピート達に救われ、一命を取り留めた。
俺の復讐劇はこうして幕を閉じた。
しかし――
完全に崩れ、瓦礫の山となった倉庫跡から、あの異様な黒衣の男の死体はついに発見されなかった。
◆◆◆
記憶にまつわる一連の出来事は彼にとって忌まわしく、いたましい、しかし、決して忘れる事のできない思い出だった。
それは、心に負った癒える事のない痕だ。
肉体の傷は癒え、失ったものを機械で補っても、心は未だに血を流し続けている。その痛みが、ことあるごとにジョンを苛む。
悪夢にうなされ、冷たい汗に身体を濡らし、何度も目覚めた。
酒に溺れ、もういるはずのないあの女の面影を幻視して、何度も振り返った。
記憶と共に蘇る激しい痛みに、左手を押さえ、何度も震えた。
何度も――
何度でも――
その度に、もう終わった、起こってしまった事なのだと自らに言い聞かせてきた。
過ぎ去ってしまった事なのだと――
しかし――
今、目の前にあるモノは、幻などではなく、確かな現実だった。
まだそれ程時間が経っていないのだろう、未だ血に濡れ、鮮やかな切断面を覗かせる拳銃使いの右手は、ジョンの動揺をあざ笑っているかのように――
“まだ、終わっていない”と告げているかのようだった。
ジョンには、目の前に転がった血塗れの手が、まるで自分の手のように思えた。
その不吉な思いを否定するように、現実にすがるように、自らの左手に触れる。。
義手の冷たく硬い感触が伝わってくる。
しかし、その感触は、ジョンに安心を与えてはくれなかった。
我知らず、ジョンはジョセフの右手に近づき、震える手で、触れようとする。
その時――――
「死体には触るな」
不意に、声がした。
◆◆◆
「死体には、触るな」
不意に、声がした。
低くハスキーな女の声。
それは、この路地よりも昏く、冷たい声音だった。
その声によって、幻に捕らわれていたジョンの意識は、急速に覚醒した。
さすが、と言おうか。数々の修羅場をくぐり抜けて来た肉体は、即座にあらゆる事態に対応すべく、周囲に気を張り巡らせる。
ゆっくりと、声のした方を振り返った。
距離にして2メートル程。路地の入り口を背に声の主とおぼしき人影が見えた。
路地の薄闇がヴェールとなって、顔は良く見えないが、確かに女性のようだ。
小柄で細い、少女のようなシルエット。飾り気の無い黒いスーツの上下に真っ白なシャツを着ている。髪の色は路地の暗闇に溶けるような黒。肩の当たりでカットしているというよりも、無造作に切りそろえたように見える。
そして何よりも眼を引いたのは、異常なまでに白い肌。それが黒髪、黒いスーツと対照をなし、路地の薄闇の中でさえ、淡く光っているように見えた。
この距離まで、相手の接近を感じ取れなかった事に、ジョンは微かな驚きを覚えた。
“それ程までに、俺は過去の記憶に捕らわれていたのか?”
自問する。
「聞こえなかったのか? それとも、共通語が通じないのか?」
ジョンの葛藤などお構いなしに、相手はこちらに近づいてくる。
落ち着いた声――まるで、自分のオフィスで部下を相手にしているような、自然な声だ。
しかし、この凄惨な殺人現場において、それは異常だった。
「聞こえている。――あんたは、誰だ?」
警戒心からか、ジョンの声には硬い響きがあった。
「おまえと同業だ、ジョン・スタッカー」
相手は立ち止まり、ジョンの名を呼んだ。
「BHか……なぜ、俺の名を知っている?」
「質問ばかりだな……おまえは、有名人だからだ。
その顔、体格、そのコート、該当する人物を私は一人しか知らない」
彼女は、まるでできの悪い生徒に対する教師のように、言った。
その態度にジョンは微かな苛立ちを覚えたが、つとめて冷静に、相手を観察する。
彼女が着ているスーツは、死体の男達が着ているものに似ていた。加えて、まるでこの凄惨な現場で露程の動揺も見せず、むしろ当たり前のように振る舞う様子からも、何らかの形で関わりがあると知れた。
「こいつらの仲間か?」
ジョンは死体の方を見て、疑問を口にした。
「仲間ではない。……だが、無関係でもないな」
「どういう……」
「それ以上は答えられない。ビジネスに関する事だ」
更に問おうとするジョンを彼女の言葉が遮る。
「とにかく、おまえも関わりがあるのだろうが……ここは、立ち去る方が賢明だと思うぞ?」
彼女の言葉は、明らかな警告だった。
つまり、これ以上ここに留まれば彼女のクライアント――もしくは、その敵対者とのトラブルに巻き込まれると言っているのだ。
「……」
言いなりになるのは癪だが、確かにここは、立ち去った方が良いだろう。
幸い、必要な物は手に入れている。
ジョンは、肩をすくめると彼女の方に――路地の入り口の方へと歩き出した。
だが、その時――ジョンは知るよしもなかったのだ。
過去の幻視以上の――ジョンにとって、もっとも衝撃的なモノを目撃する事を。
雲が流れ、マルコポーロの青白い月メノスが顔を出した。
薄闇のカーテンが開かれ、路地の様子をありありと浮かび上がらせる。
まさに、ジョンが彼女とすれ違おうとする時だった。
ジョンには、その女の顔がはっきりと見えた。
「――――!」
一瞬息を飲んだ――いや、体が凍り付き、時間さえも止まったように感じた。
月光に照らし出された彼女の顔は――――
それは、ジョンが決して忘れる事のない、かけがえない女の顔だったのだ。
「……ルシィ」
思わず、ジョンはその名を口にした。
「……私の名は、ケイ。
ケイ・アガタだ、スタッカー」
ルシィと同じ顔を持つその女――ケイは答える。
変わらぬ落ち着いた声で。
ジョンの記憶の中のルシィは、いつも笑顔だった。
それは、決して平穏とは言えぬジョンの人生に射した清浄な光。
裏切り、裏切られ、暴力に酔った少年の日々も。
姉とジョンを捨てて去った母親も。
ジョンを養うために、身を売って、病に伏した姉の不幸も。
ルシィに出会うまでの道程であったとすれば、全てを赦せるような気がした。
それほどに――ルシィという存在は、ジョンにとっての救いだったのだ。
そして――
ジョンの腕の中で息絶えるその瞬間でさえ、ルシィの顔に浮かんだのは穏やかな笑顔だった。
今にも命の灯が消えようというその時でも、ルシィはジョンを気遣った。
自分の命よりも、残される彼の哀しみを和らげようとしていた。
「ねぇ……笑って、ジョニィ」
それが、ルシィの最後の言葉だった。
中天には青き月――
降り注ぐ月光は、地上の不浄を祓う神の息吹のよう。
月明かりがケイの肌の白さを際だたせ、微かな燐光を纏って見える。
“美しい”
ジョンは思わず感嘆の溜息を漏らす。
ルシィと同じ顔であるはずなのに、純粋な美だけならば、ケイの方がおそらく美しいと思えるのだろう。
だが――それは精巧な彫像の持つ、無機質で冷たい造形美だ。
そこにはルシィのような、見る者を幸せにする温かく柔らかい雰囲気は無い。
あるのはただ、死のように静かで、穏やかな無面だけ。
違う――
一瞬、ルシィの面影を重ね合わせ、ジョンは心中でかぶりを振る。
透けるような白い肌。
吊り目がちの大きな目。
柔らかそうな唇。
瞳の色は赤みがかった深いブラウン。
髪の色、瞳の色こそ違うものの、眼の前の女――ケイは、ジョンの記憶の中のルシィにそっくりだ。
うり二つと行っても良い。
だが――違う。
凄惨な殺戮の現場に立つ、死の天使のごとき美しい女。
この地獄において、その姿に違和感は感じられない。
ルシィとケイ。
同じ顔を持っていても、二人はまったく違ったモノだ。
コインの裏と表、太極図の陰と陽のように。
近くはあっても、その生命の有り様がまるで違う。
だが――――
ただ一つ。
ジョンの記憶にあるルシィとケイを重ね合わせる事ができるものがある。
それは、死化粧を施された安らかなルシィの死に顔だった。
死――――
そう――ケイからは死の匂いがする。
その、生きながら死んでいるような。
不吉で妖しい、しかし、見るものを引きつけてやまない美貌。
ジョンは耐えきれず、顔を反らした。
まるで何かから逃げるように、足早にその場を立ち去る。
「また会おう。ジョン・スタッカー」
ポツリと――漏らしたケイの言葉が、まるで予言のようにジョンの耳に残った。
◆◆◆
惑星マルコポーロは、宇宙連合設立と共に定められた“AS(Age of star )”前に開発された地球型の惑星だ。
前期の惑星開発技術によっても居住可能な、貴重な惑星の一つだった。
四季らしきものもあるが、恒星エリザベスとの距離が近いため、年間を通して気温が高く、夏期は軽く摂氏四十度を超える。
マルコポーロの一日は標準時間にして22.5時間。
居住に適したこの星には、当初多くの移民が新たな新天地を夢見て訪れた。しかし、星間航法技術をはじめとする科学の発達により、他の星々が発見、開発されると、その多くがこの星を去った。
そのため、初期に開発された街の中には、住む者が無く、ゴーストタウンとなって残っているものもある。
そんな場所には、難民や犯罪者、放浪者等が身を隠すために集まり、治安の悪化と共にこの惑星政府の悩みの種となっていた。
マルコポーロには、幾つかの陸地が点在しているが、大きなものは二つ。この星を管理する惑星政府は、その中の一つ、もっとも大きな大陸である“マキシマ”の東海岸、“クイーンズランドシティ”にある。“女王の地”の名は、初代惑星政府の代表が女性であった事に由来している。
この星でもっとも治安の良いこの街には、大小様々な企業の支社、本社がおかれていた。ジョン・スタッカーのスポンサーである“メトセラ”のマルコポーロ支社もここにある。
ミツルギ、ハイテック、S&Mの三大星間企業には劣るものの、全銀河に支社を持つ、医療関係社の勇だ。
清潔感のある白で統一された四角のビルは、大企業の支社にしては比較的小さい。
あの慌ただしい夜が明けた次の日、ジョンはメトセラマルコポーロ支社内のカフェにいた。
百人以上は軽く収容できるカフェ内は、外観と同じ白で統一されており、もちろんヤニで汚れていたりしない。
時刻は正午前。昼食をとるために集まった社員で、にぎやかな喧噪に包まれている時間だ。
だが、そのカフェの一角に奇妙な緊張感が漂っていた。
原因は、ジョンが座っているテーブルにある。
注文を取りに来たウェイトレス、端を通り過ぎる社員が、その緊張感に眉をひそめ、あるものは興味深そうに覗き見ながら、ある者は“触らぬ神に……”とばかりにそそくさとその場を去っていく。
テーブルについているのは、ジョンの他には二人。一人は相棒のピート、そしてもう一人は女性だった。
一目で東洋人と解る整った顔立ちに見事な黒髪は、嫌でも人目を引く。
黒曜石をおもわせる切れ長の瞳は険があるものの、エキゾチックな魅力をもった美女だった。
品の良いベージュのスーツに身をつつみ、背筋をピンと伸ばして椅子に座っている姿は、綺麗と言うよりも、凛々しい印象を受ける。
彼女の名はナオミ・イマガワ。
メトセラ本社の社員であり、エージェントだ。
宇宙連合が発行するライセンスを収得した者は、誰でもBHになれる。
もちろん、ある程度の審査はあるが、あくまで形式的なものだ。よほどの問題が無い限り、ライセンスは修得できる。
したがって、BHの質もチンピラ程度から軍人上がりの叩き上げまで、様々だ。
そんな中、BHによる犯罪者の撲滅を企業のイメージアップ、PRの一環として活用する企業が現れはじめた。優秀なBHにはこういった“スポンサー企業”がつき、BH協会から支払われる“賞金”以外に資金面、装備、生け捕りの際のボーナス等様々な特典を保証していた。
企業は自社のイメージアップのために優れたBHの援助に力を入れる。
こうしたスポンサー企業の意向、依頼は通常、エージェントを通して伝えられる。
ナオミは現在のジョン担当のエージェントなのだ。
もちろん、“現在の”というからには、以前のエージェントも存在する。
前任のエージェントは、イチローという気の良い――それがエージェントとして適正かどうかは別として――青年だった。
彼は、体を壊してジョンの担当を外れた。別に依頼がらみのトラブルに巻き込まれたわけではない。 正確にはジョンが引き起こすトラブルそのものが、原因だった。
イチローの病名は胃潰瘍。
ジョン・スタッカーという男は、凄腕のBHとして有名だったが、同時にトラブルメーカーとしても名を馳せていた。
ジョンに言わせてみれば、名の知れたBHなら多少のトラブルは付きものであるらしい。
確かに、犯罪者を捕らえる事が主な仕事であり、加えて警察のような公的な権力に守られているわけでもない彼らBHは、怨恨からくる報復などのトラブルが多い。
だが、ジョンのそれは少し性質が違っていた。
BHの仕事には、一見簡単そうな仕事でも大きなトラブルの要素を持つものがある。
もちろん、腕の良いBHであるなら、トラブルを最小限に抑えるために事前のリサーチ等あらゆる手を尽くすのは当然だが、どうしようもない場合もある。
不運としか言いようのない出来事によって大きなトラブルに巻き込まれるケースがそれだ。
ジョンはどういう訳か、そういう仕事を引き当ててしまうのだ。
以前、ジョンはある詐欺師を捕まえる仕事を依頼された事があった。
仕事自体は簡単な部類に入るもので、事実、詐欺師はすぐに捕まえる事ができた。
ただ、この男が町を牛耳るファミリーのボスの娘にちょっかいをかけており、更にそのボスが娘を溺愛していた事を除いては……
ファミリーの構成員はもちろん、町中のいたるところに敵がおり、警察までが犯人の命を狙った。
結果として、ジョンは不本意ながら犯人を守るため、町一つを巻き込んだ大騒動を引き起こしたのだ。
これは、もう不運としか言いようがない。
唯一の救いは、ジョンがその事をあまり気にしていない事だろう。
むしろこれが普通、といった風ですらある。
ジョン曰く。
「運命の女神が俺に夢中で、気を引こうとイロイロちょっかいをかけてくる」のだそうである。
ただ、全てをこの女神様のせいに出来ないのも事実。
ジョン・スタッカーという男が少しばかり短気で、加えて腕っ節が強いため、短絡的な――ジョン曰く、合理的な――解決方法をとってしまう事や、女性に少しばかりだらしない――曰く、寛容な――事も原因であるのは確かだった。
そんな訳で、前任のエージェント“気の良い青年”イチロー君は、ストレスにより胃を壊してしまったのであった。
一度だけ、ジョンがイチローにこんな事を言った事がある。
「おまえ、この仕事向いてないんじゃないのか?」
これは、ジョンなりにイチローの心配をしていたようなのだが、イチローにはそうは聞こえなかった。
この日、彼は医者から休養を勧められていたのだ。
何かを言い返そうとしたが、生来、気の弱い性格であるため、結局なにも言い返せないまま、彼はジョンの後ろ姿を見送る事となった。
去っていくジョンの後ろ姿。
彼のロングコートの背には、トレードマークである十字架と毛の生えた心臓(ハート)が描かれていた。
待ち合わせの場所にやって来たナオミを初めて見た時、ジョンはニヤリと笑み、ピートはバンザイをし、引き継ぎのために同行していたイチローはガックリとうなだれて胃を押さえた。
別にジョンもピートもイチローを嫌っていたわけではない。それどころか、彼の性格を好ましく思っていたし、いろいろと良くしてくれるイチローに感謝すらしていた。
「イチロー今までありがとう」
ピートは慈愛に満ちた笑顔で言った。
うなだれたまま、イチローの肩がピクリと震える。
「でも……ほら、やっぱりつきあうなら男より女の子が良いし、女の子なら美人の方が良いと思わない? ……ねぇ?」
「そうだな」
ピートの問いかけにジョンが頷く。
「これは…そう、生命としての本能というか、運命ってやつ?」
「……」
イチローの肩が小刻みに震えているのは、胃の痛みのせいか? もしかしたら泣いていたのかもしれなかった。
だが――
運命はそう都合良く、この自分に正直な二人の思うようにはいかなかった。
ナオミ・イマガワは鉄の女だったのである。
「ジョン・スタッカーだ」
「ピート・タンジェリン、よろしく。わからない事があったら何でも聞いてね」
満面の笑顔と共に差し出されたピートの手を握り返す代わりに一瞥をよこしたのみで、ナオミは冷たく言った。
「ナオミ・イマガワです」
そして、簡単な契約事項を確認した後、ナオミはさっそく依頼の話を始めた。
ピートの軽口にも、ジョンの挑発にも眉一つ動かす事無く、彼女は淡々と話を進めた。
仕事を終えて、立ち去るナオミを見ながらピートは呟いた。
「すごい御馳走を食べたらカラシとマスタードがたっぷり入っていた時って、こんな気分なんだろうね」
結局、ピートの手は固まったように差し出されたままだった。
「……それで?」
不機嫌さを隠すでもなく、形の良い眉の間に縦皺を刻んでナオミは険のある声で言った。
ピートは両者の間で引きつった笑みを浮かべ、なんとか場を和ませようとむなしい努力を続けている。
ジョンの前に置かれた灰皿には、吸い殻が山のように積まれていた。来客用の数少ない喫煙席に設置された空気清浄器がゴウゴウと音をたてていたが、こちらもピートの努力と同様、まったく効果はないようだった。
「それだけだ」
ジョンは新しいタバコに今時珍しいマッチで火をつけると、そっけない口調で答えた。
“鉄の女も柔らかくなったもんだな”
非難がましく睨むナオミを気にすることなく、大きく紫煙を吐き出しながら、ジョンは心中で独りごちる。
出会ったばかりの頃のナオミは、感情を表に出す事はなかった。
昨夜の氷の女、ケイとは違ってそれは、人に関わる事を恐れるような、幼い子供が初対面の人間に対して示す警戒心にも似た印象をジョンに与えた。
ナオミは、ジョンたちとの付き合いをあくまで仕事と割り切った風で、まるでコンピュータに必要なデータを打ち込むように、機械的ですらある冷たさで仕事をこなしていた。
だからといって手を抜く事はなく、依頼内容の伝達、資料の用意、アフターフォローまで、彼女の仕事ぶりは完璧だった。
そういった意味では、ナオミは優秀なエージェントだったのかもしれない。
だがある時――
トラブルに巻き込まれたナオミをジョンが助けた事があった。
仕事とはまったく関係がなく、ジョンに言わせれば行きがかり上、仕方なく助けただけなのだが、ナオミはさも意外そうにジョンに聞いた。
「なぜ助けたの?」
“一文の得にもならないのに”と彼女の瞳は疑念の光を宿らせて、言を継いでいた。
ジョンはその言葉に不思議そうに首をかしげた。
どうやら、彼自身も深い意味があるわけではなかったらしいが、しばらくしてやっと呟くように言った。
「困っている女を助けるのに何か理由がいるのか?」
ふてくされたようにそっぽを向くジョンの横顔を、ナオミは何か未知の生物でも見るかのようにしばらく凝視した後、驚いた事に彼女は声を上げて笑い出した。
「フ……クク……馬鹿じゃないの? あなた」
何がどうおかしいのか、なぜ自分が馬鹿呼ばわりされなければならいのか、疑問がジョンの脳裏に渦巻いたが、不思議と嫌な感じはしなかった。
ジョンはなぜか気恥ずかしくなり、横を向いたまま軽く舌打ちするとタバコに火をつけた。
それ以来――ナオミの態度は徐々にだが変わっていった。
ジョンの行動をたしなめるようになり、不機嫌を露わにするようになった。
数こそ少ないが時おり笑顔を見せさえした。
ナオミは口にする事はないが、メトセラの系列病院に入院しているジョンの姉――フローレンスを見舞ってくれているようだった。二人は馬が合うのか、それともジョンという共通の話題のためか、フローレンスの前ではナオミはリラックスした表情を見せると言う。
ジョンとフローレンスに父親はいない。唯一の肉親である母親はジョンがまだ幼い頃、二人を残して家を出て行ったきり帰って来なかった。その理由をジョンは知らないし、知りたいとも思わない。
フローレンスは女手一つでジョンを育てた。二人で――いや、ジョンを生かすためにそれこそ、いろんな事をした。その時の無理がたたって彼女は病に倒れ、今はメトセラの総合病院に入院している。
完治の見込みのないフローレンスの治療費と、完全な看護を条件としてジョンはメトセラと契約したのだ。
自分を育てるために体を壊した姉への贖罪という気持ちも確かにあったが、ルシィのいない今、姉、フローレンスはジョンの生きる全てだった。
だが、それはあくまでジョンの事情だ。姉の看護は病院のスタッフがしてくれている。エージェントであるナオミには、何も関わり合いはないはずだ。
しかし、ナオミは機会があるごとにフローレンスの元を訪れるという。
以前ナオミがポツリと漏らした姉を亡くしたという話が脳裏をよぎる。もしかしたら、彼女はフローレンスに亡き姉の面影を重ねているのかもしれない。
ジョンはかぶりを振ってその思いを打ち消した。
あえてその事に触れる必要はあるまい。
今はただ、ナオミが訪れるようになって明るくなった姉の笑顔を思い描き、目の前の仏頂面の女に少しだけ感謝をしよう。
――――ほんとうに、少しだけだが。
何度かの不毛なやりとりの後、ナオミはついに諦めたのか、目を閉じ、大きな溜息をついた。
白い人差し指を細いおとがいにそっと添える。
彼女が何か考え事をする時の癖だった。
気の強いナオミには不似合いなその仕草を、ジョンは可愛らしいと思った。
“黙っていれば可愛げもあるのにな”
心中で独りごちる。
「解りました」
短い沈黙の後、ナオミは言った。
「ジョセフ・ランスキーは死亡という事で、社には報告しておきましょう。
ただし、それを納得させるための証拠――例えば、殺害現場を撮影したデータがあれば、渡していただけますか?」
ナオミには、現場を撮影したデータがある事をまだ言っていなかったが、ジョンたちとつき合いの長い彼女には、彼が現場を撮影しているだろうという事は、お見通しだったらしい。
だが、彼女の物言いにジョンは微かな違和感を感じた。
別に撮影データをナオミに渡す事に抵抗があるわけではなかった。
しかし、そんなものを見ずともあれだけ派手な殺人事件なのだ。警察に確認すれば、簡単に裏は取れるだろう。
例えBHと警察が犬猿の仲であったとしても、天下の星間企業、メトセラからの要請であれば、警察もだんまりを決め込めるはずがない。
ピートも同意見であるらしく、物問いたげな様子でジョンを見ている。
「撮影したデータは確かにある。
だが、どうしてそんなものが必要なんだ?
警察に確認すれば、済む事だろう?」
ジョンは疑問を口にした。
だが、彼の言葉にナオミはますます表情を堅くした。
「――ないのよ」
絞り出すように、ナオミはそれだけ言った。
『は?』
珍しく歯切れの悪い彼女の言葉に、ジョンとピートの口から同時に間抜けな声が漏れる。
「警察は何も知らないのよ――いいえ、隠しているわけではないわ。
本当に何も知らないの。
本社からの直接の問い合わせにも“昨夜はそのような殺人事件は起きていない”としか答えないの」
ナオミの声には、悔しげな響きが込められていた。
そんな彼女の様子に、ジョンは逆に笑みを浮かべた。
ナオミの悔しそうな様子が可笑しい訳では、もちろん無い。むしろ逆だ。
ナオミはジョンたちを信用している。
ジョンの報告が真実であるという事を前提に、その事実を隠蔽している何者かに対して憤っているのだ。
ジョンは彼女に対して仲間意識のような連帯感を感じた。
だから、つい口元がゆるんでしまったのだ。
だが、ナオミはそれを逆に受け取ったらしい。
「何が可笑しいのよ!
私がいったい誰のためにイライラしていると――」
思わず立ち上がり、大声を上げるナオミ。
「……すまん」
「……ごめん」
彼女の剣幕に押され、反射的に謝る二人。
「――他の連中がびっくりしているだろう? まあ、落ち着け」
ジョンがなだめる。
「これが落ち着いていられ――」
「……」
更に何か言おうとしたが、そこで彼らを注目する回りの様子に、ナオミはやっと気がついたらしい。
「……ゴホン」
わざとらしい咳払いを一つつくと、宇宙軍の巡洋艦の主砲よりも遙かに強力な一瞥を、好奇の視線を送る周囲に放った。
その一掃射で、野次馬たちは沈黙する。
「……とにかく、データを頂戴」
椅子に腰を下ろすと、恨めしげな――なぜ恨まれなければならないのか、ジョンはいまいち釈然としなかったが――視線を向けながら、バツが悪そうに彼女は言った。
ピートがポケットから小さなメモリーカードを取り出すと、おそるおそるといった風でナオミに渡す。まるで、猛獣にエサをやっているようだ。
ナオミはひったくるようにそれを受け取るとテーブルに置いていた小さなバッグから、銀色の金属のケースを取り出した。
「ま……まって! 何をするの?」
今度はピートが慌てて立ち上がり、ナオミを制する。
手帳サイズのそれは、データチェック用の携帯端末だ。もちろん、画面は小さいが画像データの再生もできる。
「何って……中身を確認するのよ」
慌てるピートを気にする風もなく、あっさりとナオミは答える。
「何も今……ここで見なくてもいいんじゃないかな?」
「そうだな……」
ジョンも同意を口にする。
「いいえ、確認します。今! ここで!」
無慈悲な女王は力強く断言した。
彼らの心遣いも今のナオミには逆効果だったようだ。
「とりあえず、あなたたちの報告が真実であると確認をしない事には、私の腹の虫が治まらな――いいえ、エージェントとしての義務なのよ」
半ば諦め顔のピートと顔を見合わせ、ジョンは改めて心中で独りごちた。
“ほんと……鉄の女も柔らかくなったもんだ”
「解った。もう止めん。アンタの義務とやらを気持ちよく遂行してくれ」
肩をすくめてジョンは言った。
「解ってくれて嬉しいわ」
何が楽しいのか、嬉々として端末を操作し始めるナオミ。
「一つ聞いて良いか?」
「何?」
ジョンの突然の問いにナオミの手が止まる。
「飯はもう喰ったか?」
「――この後、頂くつもりよ」
◆◆◆
ジョンは良い仕事をしていた。
惨殺されたジョセフ・ランスキーはもちろん、その他の死体まで、余すところ無く撮影していた。
それこそ、彼らが仮に生きていたとしたら――それはそれで嫌な光景ではあったが――ニッコリ笑ってVサインの一つも決めかねない程の、見事な仕事ぶりだった。
実際にその場に居合わせたジョン程に衝撃は無かったが、死体は見慣れているはずの彼をして気分が悪くなるほどの殺人現場なのだ。目の当たりにしたナオミは硬直し、画像を止める事もできず、最後まで――動画が終了した後もしばらくは、動けなかった――見てしまったのだった。
結局彼女は何一つ口にする事なく――目の前で冷たくなっていたコーヒーにも口をつける事なく、青ざめた顔で、フラフラとホールを出て行った。
「だから言ったのに」
ナオミを見送り、ピートが呟いた。
「ここで、もどさなかっただけでも上出来だな」
「アハハハ……そうだね
……うう、思い出したら僕まで気持ち悪くなって来たよ」
昨夜、データをチェックするためにソレを見て、今のナオミと同じ目にあったピートが口元を押さえて呻いた。
「大丈夫か?」
「なんとか……それよりも、さっき言った事は本気なの?」
「――ああ」
“さっき言った事”とは、逃亡したビル・ランスキーの逮捕の件だ。
「ジョセフ・ランスキーは第三者の手にかかり、死亡しました。弟のビルが残っていますが、あなたは彼を一度捕まえています。
逃げたのはあなたの落ち度ではありませんから、この依頼は一度白紙に戻す事ができますが――」
「奴は捕まえる」
去り際に言ったナオミの言葉を遮るようにジョンが答えた。
「……ジョン」
ピートが不安顔でジョンを見た。
「ピルも、そして“ジョセフ”も捕まえる。依頼は続行する」
微かな翳りを帯び、それでもはっきりと断言するジョンに、ナオミは一瞬何か言おうとしたが、結局何も言わず、ただ諦めたように軽く頷いた。
その時の事を思い出し、ピートの顔から笑顔が薄れた。
軽薄なイメージとは裏腹に、ピートは細かな気配りの出来る男だった。大胆で、どちらかと言えば大雑把なジョンとは、そういった意味でも良いコンビだ。
ピートには肉親はいない。ジョンと同じく天涯孤独の身だが、生い立ちは少し違う。
幼くして事故で両親を亡くしたピートは孤児院で育った。彼が6歳の時、名前も聞いたことがないような田舎の星に住む老夫婦が、彼を養子にしたいと申し出てきた。
まだ幼かったピートには断る理由も無く、他の星に行けるという好奇心にも突き動かされ、彼はその話を承諾した。
歳の割にませた子供だった彼が、60歳を過ぎた夫婦が子供を引き取るという話に、疑問を覚えていないと言えば嘘だったが、実際に養父母と住むようになってそんな疑惑はどこかに行ってしまった。
老夫婦は絵に描いたような善人だったのだ。
小さな町工場を営む夫妻には、子供がいなかった。これまでその事を特に苦に思った事はなかったが、年老いてくるにしたがって、どちらかが他界した後、残された伴侶の事が心配になったのだと言う。
「子供がいれば、アイツも寂しくないだろうと思ってな……」
養父が照れたように、そして少し申し訳なさそうに言った。だからと言って、夫婦がピートに冷たく接した訳ではなかった。
彼らは互いの伴侶に対する愛情と同じくらい、いや、それ以上の愛情をもってピートを育てた。
今更子供と遊ぶ術も知らぬ不器用な養父は、工場の機械をおもちゃ代わりにピートに機械いじりを教え、また、頭が良く、手先の器用なピートも生来の飲み込みの早さで、それに答えた。
養母のしつけは厳しかったが、料理上手の彼女は毎夜、彼の喜ぶものをちゃんと栄養のバランスを考慮し、食卓に並べてくれた。
田舎で娯楽も少なかったが、ピートに概ね不満はなかった。唯一、ピートが不満に思う事は、その星があまりに田舎で、歳の近い若者が――特に異性が少なかった事だろうか。思えば、ピートが現在、何かにつけ女性に対して積極的すぎる事も、そういった過去の境遇の反動なのかもしれない。
ともあれ平凡な、しかし、幸せに満ちた日々だった。
ジョンにとって、ルシィとの思い出がかけがえのない黄金の日々であったとするなら、老夫婦と過ごした日常がピートにとってもっとも幸せな日々であったのかもしれない。
その養父母も今はいない。皮肉にも彼らはピートが18歳の時、同じ日に天寿をまっとうしたのだ。
その後、何を思ったのか連合宇宙軍に入隊し、軍役を経験したピートはジョンと出会うのだが、それはまた別の話。今のピートにとってジョンは唯一の肉親と言って良く、そして、ルシィも彼にとっては肉親のような存在だった。
ジョンの負った心の傷をピートが理解する事はできないだろう。しかし、ピートもまた、ルシィの死によって心に傷を負った者の一人に違いなかった。
それぞれに違う痛みを抱えた者の間にわずかな沈黙が降り、先に口を開いたのは意外にもジョンだった。
「確かに――ルシィの事に拘っていないと言えば、嘘になるな」
吐息のように、静かにジョンが漏らした。
その短い言葉には、虚勢も何も無い。悲しみを共有する心ゆるせる友に見せた、彼の本心のようだった。
「ジョン……」
ピートは微かな躊躇いの後、口を開いた。
「ジョセフ殺しの犯人がルシィの時に現れた男と同一人物だとは限らないよ。
確かにやり口は似てるかもしれないけど、刃物を使うだけでまったく別人なのかもしれない。
それに――例えそうだったとしても……もう……ルシィは」
“帰って来ない”と――その言葉をピートは口に出す事ができなかった。なぜなら、そんな事を今更言わずとも何よりもそれを分かっているのは、ジョンなのだ。
「……ありがとう」
その心遣いを察したのか、ジョンは言葉と共にピートの肩に手を置いた。
「確かに……仮にアイツだったとしても、今更俺が何をしようと、ルシィはもう……帰って来ない。
だが……追っていた賞金首が俺の手を斬った奴と同じやり口で殺されて、あの女――ルシィにそっくりなケイと言う女が同じ夜に俺の前に現れた。これがただの偶然だとは、思えないんだ」
それは、ジョンの決意の瞬間だった。
その言葉を口にするまで、ジョン自身にさえ確信は無かったのかもしれない。だが、再び現れた黒衣の死神、ルシィにそっくりなケイという女、そのキーワードはたった今ジョンが口にする事で彼の中で意味を持った。
“ただの偶然ではない”
その言葉は、さながら神託のようにジョンの心に響いた。
そして決意したのだった。この事件にとことん関わる事を――その結末を見届ける事を。
その先に何が待っていようと――その代償に己が命を失う事になろうとも。
ジョンのそんな思いを感じ取ったのか、ピートはもう何も言わなかった。ただ、心持ち青ざめたジョンの貌が、決意の炎を灯した彼の瞳がピートは、似ているような気がしてならなかったのだ。
たった一人で、ルシィの復讐へと赴いた、あの時のジョンに。
「逃げたビルを捕まえるだけならまだいいが、ジョセフを殺った奴を追いかければ、やっかいな事になるな……」
「ジョセフ殺しを隠蔽した奴らだね」
呟いたジョンの言葉にピートが答える。
「ああ……警察に圧力をかけられて、殺しの痕跡をあそこまで消せるとなると……相手は企業、もしかしたら星間企業クラスかもな」
「星間企業か……たしかに、ちょっとヤバイ相手だねぇ」
「ああ……ヤバイ相手だ。だからピート、今回は――」
「“俺一人でやる”ってのは、無しだよ」
ジョンの言葉をピートが遮る。
「ピート……」
驚いたようにジョンがピートを見た。足手まといだと思っているのではない、ただ、ルシィの時のように、自分の親しいものを失いたくないだけだ。
強く、時には冷酷にさえなれるジョン・スタッカーという男は、身内にはとことん甘い。それが弱点でもあり、彼の強さの源でもあった。
「ルシィの時は、置いて行かれちゃったけど……今度は、僕もいっしょにやるよ。
ジョンは僕がついていないと危なっかしいし――僕たちはチームだろ?」
ジョンの不安をうち消すように、つとめて明るく、ピートは言った。
「ああ……そうだな」
ピートの言葉に頷きながらジョンは心中であらためて友に礼を言った。
“ありがとう”と――
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