BOUNTY HUNTER 魔剣使い

原田ダイ

第1章 月と太陽

第1話 黒衣の死神 VS Gunslinger

 この世でもっとも安全な奴は誰だ?


 厳重なセキュリティシステム、屈強のボディガードに守られた星間企業の重役達?

 それとも、世界を裏で牛耳る巨大マフィアの幹部? 星間連合の首脳? 宇宙軍の幕僚?

 確かに彼らは堅い金属の檻に守られている。どんな銃もエモノも彼らの心臓にその切っ先を埋める事はできないだろう。


 しかし――しかし、だ。

 彼らはなぜ、そうまでして安全を確保しなければならないのか?

 それは、彼らはまた、もっとも危険にさらされている者達でもあるからだ。

 金、地位、権力、様々な力を持つが故に、彼らは常に狙われる。

 だからこそ、この世の何よりも安全な場所を自ら作り出さずにはいられないのだ。


 だが、それでも――――

 彼らの内、何人かは、何者かによって確実に姿を消している。

 誰が? ――どんなエモノが彼らの堅い鎧を貫くのか?

 権力のモンスターとも言える彼らに抗しえるのか?

 誰が?


 ――――アリオンデイリー紙より抜粋


 ◆◆◆


「悪夢のようでした」


 長い沈黙の後、アラン・ヘンドリックスはやっと口を開いた。

 元宇宙軍軍曹の彼は、幾つかの戦地を経た後、三大星間企業の一つであるハイテックにSPとしてスカウトされた。

 その歴戦の強者と言える彼が、未だ体の震えを押さえる事が出来ないでいる。

 信じられない物を見た衝撃と、死の間際の恐怖が彼を捕らえ続けているのだ。


「……それで?

 ゆっくりとでいい。その時の事を思い出してみたまえ」

 仕立ての良いグレーのスーツを着た40代程の男が言った。

 男はテーブルを挟んでアランの正面に座っている。


 奇妙な部屋だった。

 九死に一生を得て生還したアランが、本社とは別の建物にあるこの部屋へ連れて来られたのは、つい先ほどの事だ。


 調度品の類は、アランと目の前の男が座っている椅子とスチール製のテーブルだけ。窓は無く、奥行き4メートル程の狭い部屋は色彩に乏しく、壁はグレーで統一されている。

 スーツの色が似ている事と、どこか作り物めいた無面が醸し出す雰囲気によって、まるで目の前の男自身もこの部屋の調度品であるように見えた。


 一つきりのドアの横には、アランを連れてきたもう一人の男が影のように立っている。長身で肩幅が広く、胸も腕も、全身が盛り上がった筋肉で覆われていた。レスラーのような体格のせいで、いかにもお仕着せの黒いスーツはまったくと言って良い程似合ってはいない。

 逆に目の前の男は、中肉中背のどこにでもいるカンパニーマンのようだった。

 のっぺりとした馬面に目だけが異様に細い。


 だが、この二人からは共通の雰囲気が漂っていた。荒事を生業とする者特有の、冷え冷えとした酷薄な空気だ。それがアランを更に落ち着かない気分にさせていた。


「夜の11時頃でした。

 私とジム・ミルズ、ウィリアム・ヘイワードの三人は帰宅する第三開発部部長のヤン・ガードナー氏の護衛についていました」


 アランは震える体を自ら抱きしめると、ゆっくりと語り出した。

「いつもは、私と相棒のジムが護衛を務めるのですが、今日はガードナー部長の特別の要請があり、ウィルが加わったんです。

 運転は私がしました。助手席にジム、後部座席にガードナー氏とウィルが座りました。

 ちょうどノックスストリートの中間辺りに……アイツがいました。

 ……道の……ど真ん中に立っていたんです」


 そこでアランは言葉を切り、うつむいた。

 きつく握り合わせた両手は、白く血の気が失せている。

 大きく深呼吸すると、彼は話を続けた。


 異様な男だった。

 不気味な白い禿頭とくとう。目元を覆った大きなミラーシェイド。

 全身を黒いコートで包んだ長身は、死神の様な禍々まがまがしい雰囲気を漂わせていた。


 相手がたった一人で、手に武器らしき物を持っていない事もあり、アランは車を10メートル程の位置で停止させた。

 様子を見るため、ジムとウィルが車を降りる。

 車のエンジンは切っていなかった。不測の事態が起きた時に、すぐ発進できるようにするためだ。


「始めは酔っぱらいか何かだと思いました」

 アランは呟く。

 ジムとウィルもそう思っていたようだった。しかし、それでも充分な警戒を怠ること無く、男へと近づいていく。


「邪魔だ! 危ないぞ!」

 ジムが警告のため、声をかけた。


 その声に反応したのか、男がこちらを見た。次の瞬間――――

 二人は同時に銃を抜いていた。

 男の持つただならぬ殺気に、彼らの体が反応したのだ。


 “この男は危険だ”と――――


「フリィ――――ズ!」

 悲鳴とも思える声がウィルの口から迸った。


 しかし、彼らにできたのはそれだけだった。

 二つの銃口からは、ついに一発の弾丸も発射される事はなかった。おそらく、驚きの声をあげる間さえ無かったろう。

 ウィルの絶叫が終わるか終わらないかの内に、二人は物言わぬ骸と化していたのだ。


 男は一瞬にして車のすぐ側まで移動していた。

 瞬間移動と思える程の信じられないスピードだった。

 男の背後で二人が共に銃を持った腕と首を切断され、倒れ伏した。

 いつの間に抜刀したのか、男は黒い刀身の片刃剣を手に持っていた。おそらくそれが凶器に違いない。


 目の前で起こった信じられない出来事に、アランは一瞬我を忘れた。目撃した光景が、どうしても頭で理解出来ないのだ。

 しかし、さすがと言おうか、頭で考えるより先に体が反応した。

 力一杯アクセルを踏み込む。

 車は耳障りなホイールスピンの音を残して、猛烈な勢いで発進した。


 目の前には黒衣の男。

 アランはこのまま男を跳ね飛ばすつもりだった。

 しかし、ぶつかる寸前、男の姿はアランの視界からかき消えた。継いで、車の屋根に重い物がぶつかる音がする。

 男は接触する瞬間に跳躍し、車の屋根に着地したのだ。

 予備動作のまったく無い、神技的な体術だった。


 起こったのはそれだけではない。アランは後部座席からくぐもった呻き声を聞いた。

 バックミラー越しに見ると、ガードナーが頭から血を流し倒れている姿が確認できた。間違いなく絶命している。

 男は着地と同時に手にした剣で車の天井ごとガードナーを貫いたのだ。

 ありえない事だった。

 アランが乗っている車は、ただの高級車ではない。企業がVIP用に用意した特別仕様車だ。その装甲は重火器の掃射にも耐え、例え目の前で手榴弾が爆発したとしてもフロントガラスにヒビさえはいらないだろう。

 それが、ただの剣に紙のように貫通されたのだ。


 次に感じた微かな痛みがパニック状態に陥ったアランに拍車をかけた。

 首筋に生ぬるい不吉な感覚がある。

 手で触れてみると、掌が血で濡れていた。

 男はガードナーを一瞬で殺し、そのまま正確にアランを狙ったのだ。

 しかし、いかに超絶の体術を駆使する暗殺者であっても同時に二人の人間を殺す事はできかなった。

 切っ先はわずかに及ばず、アランの首を浅く裂いただけだった。

 そして、アランは九死に一生を得たのだ。


「その後の事は……良く覚えていません。

 とにかく夢中で車を走らせて、会社まで戻って来たんだと思います」

 語り終えたアランは俯き、崩れおちるように深く椅子にもたれた。


 もうこれ以上あの時の――あの男の事を考えるのはごめんだった。あの姿を思い出すだけで心臓を冷たい手で直接鷲づかみにされているような、嫌な感触が蘇って来るのだ。


 おそらく、自分はガードナーと同僚を見殺しにした責任を問われるのだろう。不可抗力だったと言ったところで無駄かもしれない。企業は生け贄を求めるものだ。

 莫大な額の賠償金を請求されるのかもしれない。


 ――――だが、それがどうだと言うのだ。

 あの場に例え誰がいたとしても、結果が変わったとはどうしても思えない。

 あんな化物にいったい誰が対抗できるというのだ。

 半ば自棄になったアランは、覚悟を決め、次の言葉を待った。


 だが―――

「ありがとうございました。もう帰っても良いですよ。

 残念ながらあなたと我社との契約は解除されますが、相応の退職金が出るはずです。

 ……おそらく、普通に暮らしていれば、一生働かなくても良いくらいの額です」


 スーツの男はそれだけ言うと、席を立った。

 入り口の側に立つもう一人の男に目配せし、そのまま部屋を出ていく。


「ああ……そうそう、今夜の事は一応他言無用と言う事でお願いしますよ」

 呆然とするアランにそれだけ言い残すと、男たちは部屋を出ていった。


 ◆◆◆


 夢だ。

 オレは夢を見ている。

 ジョン・スタッカーは呟く。

 なぜなら、会いたくて会いたくてたまらない、しかしもう二度と会う事のできない女がそこにいるから。

「ルシィ」

 彼は、愛しいその女の名を呼ぶ。

 呟きにも似た言の葉に万感の想いをのせて、そっと囁くように彼女の名を呼ぶ。


 ――――消えてしまわぬように

 ――――想いを噛みしめるように

 ――――そして、すこしでも長く、この時間が続くように


 それは、祈りにも似た想い。


 透けるように白いルシィの肌は、月明かりの下で白く輝き、まるで妖精のようだ。

 伸びやかな手足は生まれたばかりの雌鹿のように瑞々しく、生きるエネルギーに溢れている。

 整った顔は西洋人の彫りの深い容貌ではなく、東洋の人形のような見る者を癒す造形美だった。美しいブロンドの髪を惜しげもなく短くカットしているが、それは行動的な彼女に良く似合っている。


 そして――――

 彼女――ルシィがルシィたる所以とも言える、蒼く深い色を湛えた大きな瞳。

 意思の強さを象徴する、ややつり目がちの瞳がジョンを見つめていた。


「ジョニィ」

 彼女は彼の名を返し、聖母のような笑みを浮かべた。

 幸せそうなその笑顔はジョンにとって何ものにも代え難い宝に等しい。しかし、同時のその笑顔が今の彼には悲しく、鋭い刃のように心を傷つける。


 ドドーン


 花火の音。

 目映い光が辺りを照らし出す。

 ああ――そうか。

 そしてジョンは理解した。

 ならばここは、惑星チリエリの記念公園だ。

 あの夜の――――


 あの忘れえぬ最後の夜だ。



 ◆惑星マルコポーロ ニューハレム


「ジョン!」

「ジョンってば!」

 彼を呼ぶ声と揺さぶる手が夢の終わりを告げた。

 ルシィとの別れを惜しむように、ゆっくりと目を開く。

 いや、これで良かったのかもしれない…なぜなら、彼女は――


「ジョン。そろそろ時間だよ!」

 一際高く、誰かが彼の名を呼んだ。

 男にしては、やや高い声の主がジョンをのぞき込んでいる。

 一見軽薄そうに見える――実際軽いのだが――二十代半ばのその男は、ピート・タンジェリン。自称“発明王”の彼は優秀な技師で、装備のカスタマイズからコンピューターの扱いまで器用にこなす、ジョンの頼りになる相棒といったところだ。


 ルシィの事を思い出した時には半ば無意識にそうするように、ジョンは首にかけたペンダントに手をやった。

 片時も離す事のない虫型のペンダント。

 鈍色の金属で出来たコガネムシのような虫の、ちょうど背中のあたりにくすんだ灰色の石が埋め込まれている。

 幸せと幸運を呼ぶというそれは、ルシィがジョンに残した物だ。


 心配顔のピートをとりあえず無視し、辺りを見回す。

 もちろんそこは緑の香りがするチリエリの記念公園ではなく、オイルとカビの匂いがする狭いワゴン車の助手席だった。


「寝ぼけてるの?」

 不服そうに口を尖らせるピートに手を振って答える。

「大丈夫だ」


 ダッシュボードの上の煙草を口にくわえながら、コンソールの液晶の時計を見ると時刻は午後9時30分。エンジェルシート近くのこの場所に車を止めてから、5分も眠っていない計算になる。


「疲れてるんじゃないの? 最近たて続けに仕事をしてるから。そうだ、今度休暇を取ってアシーンのビーチに行こうよ。あそこのビーチは最高だっていう評判だよ。なんたって女の子が――」

 ピートのいつものおしゃべりが始まる前に、遮るように体を起こした。


「考えとく。それよりも今は――仕事の時間だ」


 ◆◆◆


「聞こえてるかい? ジョン」

「ああ……感度良好。ノープロブレム」


 イヤホンからピートの声が聞こえた。

 ジョンはそれに呟くように答える。

 イヤホンはマイクと一体の小型のもので、コートの内ポケットに入れた受信機と細いコードで繋がっている。受信範囲は1km程と狭いが、ピートは近くのバンから様子を見ているはずだ、問題はない。


 彼は煙草をくゆらせ、薄暗い路地を歩いていく。

 消えかけたバーの灯り、点滅する街灯、道をわずかに照らし出す光源の下には、うずくまった人影が見える。

 酔っぱらいか? ジャンキーか?

 何も問題はない。


 いずれにせよ、どの星、どの街でも彼には見慣れた風景だった。すえたような匂いと湿った空気が、まるで馴染みの友のようにまとわりつき、肩をたたく。


「目標は、10分前からホテル『エルサレム』に入ったきり出て来ないよ」

「お楽しみの最中か……丁度いい、とっとと終わらせて一杯やろうぜ」

 前方100m程先に目的の建物を見つけて言った。


 くすんだグレーの、おせじにも上等とは言えない――ホテルというのもおこがましい――建物。屋上付近には、唯一そこが何であるかを示す「Hotel Jerusalem」の電飾が見える。


「"聖地"(エルサレム)か…ふざけた名前だぜ」

 紫煙を吐き、ジョン・スタッカーは呟いた。


 ◆◆◆


 25世紀の終わり頃、SFの中でのみ語られた宇宙旅行という人類の夢は、一人の天才によって現実のものとなった。


 アーネスト・ホーエンハイム。


 今では、スクールの教科書にも名を残す偉大な科学者にして、マッドサイエンティスト。


 晩年は、怪しげな魔術にも傾倒していたと噂される彼が発見し、開発した宇宙船を特殊なフィールドで包み、亜空間を航行する新航法“AHドライブ”により、光速でも数億、数万年を要する遙かな外宇宙への航行が可能となった。

 ただし、AHドライブ搭載型の宇宙船は開発と維持に莫大な費用を要するため、一部の巨大企業が運営し、結果、宇宙規模の巨大企業「星間企業」誕生のきっかけとなったのである。


 人類は新たなフロンティア、宇宙へと我先に飛び出していった。

 未知の世界での脅威、異星人との遭遇を経て、飛躍的に進歩した科学と惑星開発の技術により、人類はその版図を急速に広げていった。

 そしていくつかの惑星国家による宇宙連合の誕生から更に数百年後。

 人々がかつての故郷、地球の存在すら忘れ始めた頃。


 時代は星の時代“AS(Age of star )”と変わり、人々の生活の場が宇宙に広がっても、人類がひきおこす問題は変わらない。いや、異種族間の文化の問題、科学の発達によって更に犯罪は複雑化、凶悪化した。惑星間の移動が容易になったため、犯罪者はあらゆる星への逃走が可能になり、それぞれの惑星国家が管理する警察の力では追いつかなくなっていた。

 そこで、弱体化した警察の代理として凶悪な犯罪者を追跡、捕獲する者、BH(バウンティハンター)が誕生したのである。


 ◆ホテル エルサレム


「はあ……はあ……」

「ん………あ……あん」

 薄暗い室内に男の荒い息づかいと、女の甘い声が混じり合う。

 星明かりに照らし出されたベッドの上には、全裸の男女。

 星々の間を宇宙船が飛び交うようになっても、男女の営みに変わりはないようだった。

 ――――いや、例外がいた。

 部屋の隅、ちょうどドアの横にもう一人、男がイスに座っている。

 プロレスラーのような逞しい体格の白人男性だ。剃っているのだろう、頭髪は無く、スキンヘッドの右側には"I love nakkle"の入れ墨。


「はあ……はっ」

 この男の口からも荒い息が漏れている。

 彼はズボンを下ろしてイスに座っていた。その股間からは、体格に見合った逞しいペニスが天を突いている。

 男は二人の様子を見ながら夢中でペニスをしごいていた。


「あ……はあ……ね……ねぇ」

 風変わりな二人の客と、このホテルに入ってから気になっていたのだろう、女はその男――"ナックル"を横目で見ながら自分の上に乗っている男に声をかけた。

「ん……なんだ?」

 そんな女の様子を気にする風でもなく、男は返事を返した。

 こちらの男は、イスに座っている男と顔が似ている。

 双子かしら、と女は思った。


 ただし、体格はまるで違う。あちらがプロレスラーのような逞しい体つきをしているのに対して、こっちの男は身長こそ高いものの、細身で、胸板も腕も細かった。この男も頭はスキンヘッドで、入れ墨をしていたが、文字は違う。

 "I love revolver"


「ねぇ……あっちの人は放っておいていいの? なんなら……二人いっぺんでもいいよ、アタシ。……もちろん追加でお金は貰うけど」

 女は舌っ足らずな声で言った。


「あ? ああ……アイツか」

 細身の男――"リボルバー"は、今はじめて気がついたという様子で、イスに座っている男を見た。


「アイツはイイんだ。女を相手にするとダメなんだよ俺がヤッてるところを見てる方が興奮するんだと……ハッ」

 ラストスパートに入ったのか、"ナックル"はそんな二人の様子に気がついていない。


「ふ~ん、立派なの持ってるのにもったいないねぇ~」

 苦笑とため息混じりに女は言った。もちろん残念がっているわけではない。あっちで勝手に盛り上がっているだけでは、料金は一人分しか貰えないからだ。


「なんだか……損した気分」

 気づかれないように、女はそっと呟いた。

「まあ、こっちは、こっちで楽しくやろうぜ? 俺のリボルバーだってなかなかのモンだろう?」

 下卑た笑いをもらし"リボルバー"は再び女に覆い被さった。


 が――

 男の動きが不意に止まった。

「ねぇ、どうしたの?」

 女は怪訝そうに"リボルバー"の顔を見た。

 男は惚けたような顔で窓の外を見ている。


「ねえったら……どうしたのよぉ」

 女の問いに、"リボルバー"はようやく我に返ったのか、口を開いた。

「いや……なんだ?」

 先ほどまでの様子とはうって変わり、男は歯切れの悪い答えを返す。


「今、窓の外に光の玉みたいなものが浮かんでいたような気がしてな……なんだ? あれは」

「光の……玉?」

「ああ、気にするな、多分……何かの見間違いだ」

 "リボルバー"は自分が見たものを否定するように、頭を振ってぎこちない笑みを浮かべた。


「ん――それって、もしかして」

「何だ? 知っているのか? おまえ」

 やはり、気になっていたのか、"リボルバー"は女に問う。

「もしかして……それって“船長の灯”じゃないのぉ?」

「船長の灯? ……なんだ、そりゃ」

 男の問いに女はこわごわと答える。


「ただの噂だと……思うんだけどぉ。この星を見つけた宇宙船の船長の魂は、今もこのマルコポーロにいてぇ、たまに様子を見に来るんだってぇ」

 神妙な顔で女は語る。

「はっ――なんだ? そりゃあ、とんだ覗き魔だな」

 男は馬鹿にしたように笑った。


「ん~、でもぉ……」

「でも? ……なんだ? はっきり言えよ!」

 奥歯にものが挟まったような女の言い方に、苛立ち、男が声を荒げた。

「お……怒らないで。ただの噂なんだから……噂じゃ、船長の灯を見た人はその日の内に連れて行かれるんだって」


「連れて行かれる?」

「つまりぃ……死んじゃうって事なんだけど…」

「死ぬ? 俺が?」

 女のあまりに突拍子もない言葉に、“リボルバー”は目を丸くして自分を指さした。

「うん」

 女はコクンと小さく頷く。


「はっ……はははははっ! 俺が? 死ぬ? うはははははっ、何を馬鹿な事を。俺がその船長とやらに連れて行かれるってのか? はははははっ」

 急に笑い出した男にようやく安心したのか、女も強ばらせていた表情を緩めた。

「もう……そんなに笑う事ないじゃない~。だから、ただの噂だって言ったのにぃ」

 抗議しているらしいが、間延びした女の声には、まるで緊張感がなかった。

 その様子が可笑しかったのか、男は更に笑い続ける。

「まったく……ははっ……妙な事を言いやがって……これだから、女ってやつは」


 その時――――


 コンコン


 ノックの音がした。


「だれぇ……」

 女がドアに向かって返事をしようとした、その口を"リボルバー"がすばやく手でふさぐ。


 一瞬で男の顔から、あらゆる表情が失せていた。

 冷酷な光を宿す、細い目が女を見つめていた。

 "声は出さない"そう伝えようと、女は青ざめ、何度も頷いた。


 男はそっと手を離すと、サイドテーブルの銃をつかんだ。

 大型のリボルバー、アラハバキ製M357。

 刀剣類、ハンドガンの制作に他社を圧倒する性能と芸術性を誇る「アラハバキ社」が制作したリボルバー(回転式拳銃)。"旧時代"の名銃、コルトパイソン357マグナムのレプリカモデルだ。


 "リボルバー"は、そっとベッドから降りると、素早く衣服を身につけた。。

 "ナックル"もゆっくりと立ち上がり、ズボンを上げた。


「……」


 コンコン


 再びノックの音。


「誰だ?」

 "リボルバー"は銃をドアに向けて言った。


「ルームサービスだ」


 ドアの向こうで低い男の声が答えた。少なくともルームサービスを生業とする者の声音ではない。――もっともこの安ホテルにそんな気の利いたサービスなど無いが。


「そんなもんを頼んだおぼえはねぇな!」

 "リボルバー"は、そう答えると同時にドアに向けて発砲した。

 銃声が重なって聞こえる程の早撃ちだった。


 撃った弾は、5発。

 大口径の銃弾は、全て命中し、安ホテルの木製ドアを粉砕した。

 たとえ、ドア越しであったとしても、向こうに声の主が立っていたとしたら、ひとたまりもないだろう。


 だが――――

 埃と木片が舞い散る向こうに、その男は悠然と立っていた。

 男の身長は180cm程、膝下まである黒いロングコート越しでも解る鍛え上げられた体躯のせいで、実際の身長よりも大きく見える。

 野性味を帯びた端正な風貌、ダークブラウンの髪、鋭い眼光を放つブルーの瞳が"リボルバー"を一瞥した。


「ノックはもっと優しくするもんだぜ?」


 声の主――ジョン・スタッカーは、銃をかまえ、そう言った。


          ◆◆◆


 ドアを粉砕した5発の銃弾の内、3発がジョンに命中していた。威力のいくらかを削がれていたが、それは彼を殺傷してあまりある威力を残していた。

 しかし、銃弾はジョンを傷つける事はできない。

 彼の着ているコートは、ただのコートではなかった。衝撃を吸収する特殊な形状記憶ラバーの裏に、細い金属の繊維を編み込んだ防弾、防刃仕様だった。

 もちろん、市販品ではない。ジョンが全面的な信頼をよせる相棒、ピートの最高傑作だ。


「動くなよ」

 ジョンは構えた銃を"リボルバー"に突きつけて言った。

「ジョセフ・ランスキーだな?おまえを逮捕する……弟のビル・ランスキーはどこだ?」


「そのコートに、その顔……てめぇ、ジョン・スタッカーだな。たしか、ナンバー1のバウンティハンター……」

 "リボルバー"――ジョセフ・ランスキーは、ジョンを睨み付けて言った。

「違うな……俺は二番目、ナンバー2さ。でも良かったな? ナンバー1の奴が来ていたら、おまえらもう死んでるぜ?」


 ジョンは、そう言って入り口から一歩部屋の中に足を踏み入れた。

 彼からは、ドアの脇に立つ"ナックル"――ビル・ランスキーの姿は死角になっている。


 その隙をビルは見逃さなかった。

 まるで、投手の投球フォームのような大きく振りかぶった体勢から、右の拳を振り下ろす。

 一瞬、反応が遅れたジョンは、それをかわす事ができず、左腕でビルの拳をガードした。


 火花を散らし、すさまじい金属音が室内に響き渡った。

 ビルの腕は、両腕とも金属製の義手、しかも格闘戦用に作られた"コンバットアームズ"だ。

 特殊合金で覆われた拳は、コンクリートの壁をやすやすと粉砕する威力を持つ。

 たとえ特別仕様の防弾コートであったとしても、その威力を相殺する事はできないだろう。


 だが、ジョンは僅かに体勢を崩しただけで、必殺の威力を持つ拳をしっかりと受け止めていた。


「てめぇ……その腕は……」

 ビルが歯ぎしりをしながら、ジョンを睨む。


「悪いな。俺の左腕も特別製なんだよ」

 言うやいなや、ジョンは受け止めた左手を絡めてビルの手をとった。継いでふんばった右足を軸に体を半回転させる。

 ちょうど体重をかけた方向にビルを引き込む様に受け流した。

「うおっ!」

 体勢を崩し、たたらを踏むビル。

 ジョンからは、前のめりになった彼の背中を見下ろす形になった。


「おやすみ」

 そう呟くと、ジョンは右手に持った銃底でビルの後頭部を殴った。

「ぐっ……」

 くぐもったうめき声を残し、倒れるビル。それきり動かなくなった。


「今の声……やりすぎてないよね……殺しちゃダメだよ?」

 ピートがマイク越しに心配そうな声をあげる。

「大丈夫だ。手加減はしてある」

 自信満々に言うジョン。


「そんな事言って……ジョンはいっつもやりすぎるんだよね。この間だって……」

 ピートはあくまで不振気だ。

「今はそんな事を言ってる場合じゃねぇよ。――あっ!」

 わずかに気がそれた隙に、ジョセフは身を翻していた。――正確には、ビルがジョンに襲いかかった瞬間、行動をおこしていたのだ。


 跳躍し、窓を突き破り、ホテルの外へと身を躍らせる。


 ガシャーン


「お……待て、ここは3階だぞ」

 ジョンはあわてて窓にかけより、下を見た。

 高さにして、数十メートル。常人ならただではすまない距離だ。

 しかし、ジョセフはしっかりとした足取りで路地の奥へと駆けていく。


「俺の腕と同じ……だ。兄貴の足は特別製なのさ」

 意識を取り戻したのか、倒れたままのビルがジョンをあざ笑うように言った。

「ちっ……うるせぇよ」

 ジョンは、動けないビルに近づき、再度殴った。


「ぐぇっ――」

「ジョン!」

 再びピートが抗議の声をあげる。

「大丈夫。峰打ちだよ。死んじゃいないさ……多分ね」

 痙攣し、今度こそ動かなくなったビルを横目に、ジョンは言った。


「とりあえず、ジョセフを追う。兄弟両方を捕まえないと契約終了にはならないからな」

「あ……あの」

 部屋を後にしようとしたジョンに、先ほどからベッドの脇にうずくまり、身を隠していた女が声をかけた。

 おそるおそると言った風に、顔を半分だけ出して、ジョンを見ている。


「あ? ああ……悪いな。怖い思いをさせたか? もう大丈夫……」

「……違うの……そうじゃなくって」

 安心させようと、声をかけたジョンの言葉を女が遮る。


「違う?」

「その……お金。貰えなくなっちゃったからぁ、アンタが代わりに払ってくんない?」

 訴えるような瞳で彼を見る女の顔を、別の生き物を見るような視線でジッと見た後、ジョンは深いため息と共に言った。


「――――領収書をくれ」


 ◆◆◆


 理解しがたい感覚に突き動かされ、ジョセフは夜の街を駆けた。

 “リボルバー”ジョセフ・ランスキーと“ナックル”ビル・ランスキー。彼らの繋がりは深く、通常の肉親を超えた絆と言えた。裏社会を何者も信じず、頼らず、二人だけの力で今日まで生き抜いてきた兄弟にとって、お互いは、もはや別の人間ではなく、自分の半身であるかのように感じていた。


「必ず助けてやるぞ」


 言う事を聞かぬ自身の体に言い聞かせるように、ジョセフは叫んだ。だが、足は変わらず動き続け、かけがえのない弟から遠ざかる。その一歩一歩に文字通り体を半分に裂かれるような痛みを覚え、彼は再び呻く。


「くっ――くそ!」


 あの時、窓から飛び降り走り去ったのは、もちろん逃げたように見せかけるためだった。ジョン・スタッカーは確かに侮りがたい相手だが、彼の頭にはその後、気付かれぬようにホテルに近づきビルを救い出す計画が、逃走経路までも明確に浮かんでいた。


 もちろん、それはビルにもわかっているはずだ。

 間違っても兄が自分をおきざりにして逃げるはずはないと、今、この瞬間も信じ、待っているだろう。


 だが――――

 ジョセフは、休むことなく走り続けていた。

 それどころか、機械仕掛けの足は更にスピードを上げ、限界すら超えて、夜の街を疾走する。


 どうして――なぜだ。


 ジョセフは自問する。

 だが、その理由は分からぬままだ。

 ただ、自らの内から湧き上がる言いようのない不吉な予感に突き動かされるように走り続けるのみだった。

 否、確かに彼は逃げていたのだ。

 その予感はこう告げていた。


 “遠くへ!”

 “早くこの場から離れなければ!”


 警鐘にも似たその想いは、彼を支配し、囁く。

 彼自身否定していたが、それはまぎれもない恐怖だった。

 暴力と非道が支配する裏社会を生き抜いてきた彼のような人間は、危機を回避する感覚に長けている。

 だからこそ、今日まで生きて来られたと言って良い。

 その感覚が、彼にやがて訪れる危機を告げていたのだ。

 いや――それは、死の予感と言っても良いだろう。

 ジョセフも心の奥底で、その予感を理解していた。


 だが――――

 一つ、彼が間違えていたとすれば、その恐怖の対象がジョン・スタッカーというバウンティハンターではなく、まさに彼が向かう先に潜む何者かであった事だった。

 ジョセフは自分が路地の奥深くに迷い込んでいる事に気づいた。


 そして――――

 まさに、死神はそこにいたのだ。


 ◆◆◆


 ホテルエルサレム前の道と、東西に延びる道がT字に交差するこの一角は、通称“エンジェルシート(天使の腰掛け)”と呼ばれ、娼婦やその類の者たちが数多く集まるマルコポーロの一大歓楽街だ。かたや、東に延びる道は“ガス室通り”。名の由来は、酔っぱらいやならず者たちがまき散らす、すえた匂いが充満しているから、ガス室――死刑囚など、犯罪者――が身を隠しているからとも言われる。そのガス室通りから、蜘蛛の巣のように無数に延びる細い路地の奥深く、観光客が間違っても足を踏み入れる事のない路地の奥にジョセフの姿はあった。


 目の前に立ちふさがる建物の影がそこが袋小路であることを告げていた。

 喧噪も届かないひんやりとした薄暗い路地は、一種結界じみた静けさとかたくなさをもってジョセフを迎えた。


 路地のあちらこちらには、黒々とした得体の知れない物体が転がっている。

 鼻をつく異臭にジョセフは顔をしかめた。


 路地の奥。

 建物のシルエットを背にそれは、立っていた。

 異様な男だった。


 身に纏っているのは、路地の暗闇よりもなお暗い光沢のないロングコート。背は高く、長身のジョセフよりもまだ頭一つ高いだろう。


 頭髪は無い。ジョセフとは違って剃っているのではなく、もとから髪の毛などないようなヌルリとした不気味な頭だった。

 顔立ち、シルエットからすれば男のようだが、目元を大きめのミラーシェイドで覆っているため、表情はよく読み取れない。


 そして――――

 手には、ジョセフが見たこともない黒い金属でできた抜き身のソード

 片刃の細い刀身は噂に聞く“サムライソード”か。


 黒い出で立ちと白い頭、細身の黒剣がまるで死神のような異様を放っていた。


 ここにいたり、ジョセフはようやく自分が恐れ、闇雲に逃げていた相手がこの者であることに気づいた。


 今や、頭中に鳴り響く危機を告げる警鐘は耳をろうさんばかりだ。

 わずかの逡巡しゅんじゅう――――


 ジョセフは今すぐに逃げ出したい衝動をこらえ、さらにスピードを上げた。

 本能が逃げる事能わず、と告げている。


 ならば――相手の得物は剣。こちらの得物は銃だ。しかも、自らの通り名が示すとおり、銃の扱いにかけては絶対の自信があった。


 “戦えば俺が勝つ!”


 それは、常識的な判断であったろう。しかし、それでもジョセフは、やはり恐怖に捕らわれていたのだった。もし、彼がここで自らの自負も、何もかも顧みず、逃げ出していたなら――この後に待ち受ける運命も変わっていたのかもしれない。


 だが、捕食者に狙われた獲物が体の自由を奪われるように、拳銃使いの魂もまた、死神の手中に捕らわれていたのだった。


 ビシャリと―――

 足が濡れたアスファルトを蹴る。

 雨は降らなかったはずだが、とジョセフは訝しみながらも歩を進めた。


 そして―――

 ついに間合いに入った。


 銃声が轟く。


 抜き手も見せぬ、クイックドロウ。

 放たれた弾丸は、走りながらの射撃とは思えぬ正確さで、標的の頭と心臓に吸い込まれていく。


 だが―――

 何かが閃いたかと思った瞬間、火花が散った。


 ギッギーン


 金属音が二度。


 そして―――

 男は何事もなかったかのように立ち、グラス越しにこちらを見ている。


「なっ―――」

 ジョセフは声を失った。相手が刀身で弾丸を弾いたのだという事に気づくまで、僅かな間を要した。


「ありえねぇ! くそっ! なんなんだ、コイツは!」

 ジョセフは毒づいた。


 耐え難い恐怖は、なおも彼を縛り、その超絶の技巧を持つ剣士へと疾走する。

 しかし、さすがと言うべきか。数々の修羅場をくぐり抜けたジョセフは、即座に次の手をうった。


 相手との距離は、およそ4メートル。黒衣の男がゆっくりとした仕草で剣を構えた時、ジョセフは跳躍した。


 相手がまだ知らぬ事がある。


 それはジョセフの足が義足であるという事だ。

 生身ではあり得ぬ速度で疾走する彼はその勢いを殺すことなく、目の前の男に向かって跳躍し、跳び蹴りを放った。


 仮に、相手がそのまま彼を貫こうとしたとしても、特殊合金製の足は刀身をへし折り、男を絶命させるに足る必殺の蹴りをたたき込むだろう。

 仮に身をかわせたとしても、すくなからず動揺した男に今度こそ銃弾を浴びせることができるはずだ。男が体勢を崩せばなおのこと、自分の勝利は絶対のものになるだろう。


「くらえ!」

 間近に迫った男に向かってジョセフは叫んだ。

 彼は己が勝利を確信する。


 だが―――

 ジョセフの期待はまたしても裏切られた。

 男の体が僅かに揺れたと思った瞬間、姿がかき消えた。

 何らかの体術によって身をかわしたのだという事は理解できたが、その動作がまるで見えなかった。


 今度こそ、ジョセフはパニックに陥った。


“こいつは、ヤバイ”

“本物の死神だ”


 様々な思考が、奔流のように脳内を駆けめぐった。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ――――」

 絶叫を上げ、背後へ銃を向けた。

 着地を待たず、空中で闇雲に二発。


 そして、着地。相手の姿を見つけ、三発目を撃とうとしたが、彼の体はそのままバランスを崩した。


 二回、三回。


 跳躍の勢いを殺せぬまま、ジョセフの体は、すさまじい勢いで路地を転がった。


 グシャリ――――

 路地に転がった柔らかい何かを押しつぶし、彼の体はようやく止まった。


 ビシャ!


 手が濡れたアスファルトを掴み、ジョセフは即座に体を起こそうとした。

 だが、どうした事か、足が空を蹴り、バランスが崩れる。


 否――――

 彼は、やっと気づいた。


 足が無いのだ。


 膝から下を切断された己が左足をジョセフは信じられないものをみるような思いで見つめた。

 黒衣の死神は、蹴りをかわした一瞬で特殊合金製の足を切り落としていたのだった。

 通常の刀剣ではあり得ぬ、神業とも言える剣技だった。


 超絶の技を持つ剣士はうずくまった相手を見つけ、ゆっくりと近づいてくる。


「くそっ――――」

 ジョセフは吐き捨てるように叫ぶと、銃を握りしめた。

 硬いグリップの感触が僅かな冷静さを呼び覚ましたが、絶体絶命の危機は変わらない。


 本能的に助けを求めたのか、視線は辺りを彷徨う。

 暗闇にようやく慣れた目が、辺りに散らばる黒い物体の正体を捉えた。

 それは、人間―――

 いや、人間であったものだ。


 あるものは、横に、あるものは、斜めに。綺麗に切断された死体の数々が、まるで奇怪なオブジェのように転がっている。

 そして――アスファルトを濡らす液体は、その死体から流れ出たおびただしい量の血液だった。


 ゴクリと――生唾を飲み込み、ジョセフは先ほど自分が押しつぶしたモノに視線を向けた。

 スーツ姿の男の上半身。光の無い濁った目が、まるで新たな死者を歓迎しているかのようにこちらを見ている。


「くっ――――!!」

 言いようのない悪寒に襲われ、ジョセフは、かぶりを振って、それらを作り出したであろうモノを見た。


 顔は引きつり、喉はカラカラに乾き、悲鳴さえももはや出せぬ。

 だが、心は不思議と穏やかだった。

 逃れられぬであろう、死を前にした開き直りだったのかも知れない。


 人は死の瞬間に己の人生を振り返ると言うが、ジョセフもまた、彼の原点とも言える出来事を思い起こしていた。


 ◆◆◆


 ガンマンの姿に憧れた。


 ガキの頃、ネットムービーで見た大昔の西部劇。

 悪党に襲われた田舎の村を主人公のガンマンが救うという、たわいのない作り話フィクション


 その主人公の姿に子供の頃のオレは憧れた。


「先に抜け」

 主人公が悪党を挑発する。


 頭の悪い悪党のボスはホルスターから銃を抜く。

 しかし、そいつが撃つよりも早く、主人公の銃が火を噴き、ボスは倒れる。


 何者にも負けず。

 何者をも頼らず。

 たった一人、銃のみを頼りに阻む者を倒し、自らの道を行く拳銃使い。


 その姿に――――

 その生き方に――――

 オレは憧れたんだ。


 ◆◆◆

 まだ十代にも満たない頃。

 ジョセフとビルの兄弟は、スラムを根城とする子供たち――ストリートキッズのグループからリンチを受けた。


 子供たちとは言え、マフィアとも繋がりを持ち、様々な犯罪行為に手を染める彼らは小さなギャングだ。

 制裁は下手をすれば命を落としかねない苛烈なものだった。


 きっかけが何であったのか、ジョセフは思い出せないし、思いだそうとも思わない。

 おそらく些細な事だったはずだ。

 意識を失わないように必死で耐え、激痛を訴える身体を鼓舞し、ジョセフは何度でも立ち上がった。

 余裕の笑みさえ浮かべて見せた――もちろんそんな余裕などありはしなかったのだが。


 なぜなら自分が彼らを挑発し、立ち上がる限り、もはや立ち上がる気力も無い弟――ビルにはそれ以上の暴力が加えられないからだった。


 何度倒れただろうか。

 ジョセフの脳裏に死の予感がよぎった頃。

 リーダーらしき男が手に銃を持ち、ジョセフを見下ろして言った。


「命乞いをしろ」と。

 そうすれば、兄弟の内どちらかは助けてやっても良いと。

 その言葉を聞いた瞬間――ジョセフの心は凍り付いた。


 それまで体を鼓舞していたマグマのような怒りはそのエネルギーを残したまま――いや、更に純度を増して凍結し、体の奥底に沈んでいった。

 体からは、あらゆる感覚、感情が失せたようだった。

 ただ――意識のみが冷たく冴え、研ぎ澄まされた。


 冷静に状況を分析すべく、ジョセフの頭脳はめまぐるしく思考を巡らせ始めた。

 ゆっくりと立ち上がる。

 両手を上げて、降参の意志を表しつつ、リーダーの元へと近づいていく。

 ジョセフはリーダーの近くまで来ると跪き、命乞いをするふりをした。


 周りで一際高く歓声があがる。

 リーダーは銃を弄びながら薄笑いを浮かべ、こちらを見下ろしている。間違っても目の前の小さな少年が反抗するなどとは、考えていないだろう。


 相手に気づかれないように、ポケットの中の小さなナイフを取り出す。

 リーダーが笑いながら仲間の方を振り返った。

 彼がなにかを仲間たちに言おうとした次の瞬間。ジョセフはナイフを相手の腿の辺りに突き刺した。そのまま、体重をかけて、一気に下へ引き裂く。


「ひぃぃぃぃぃぃっっ!」


 反撃される事など夢にも思わなかったリーダーは、情けない悲鳴を上げて倒れた。その隙を見逃さず、ジョセフは銃に飛びつく。

 激痛にのたうつリーダーは、反応する事すら出来ず、銃はあっさりとジョセフの手に渡った。そのまま、倒れた相手の上に馬乗りになると、苦痛に歪む男の目の前に銃を突きつけて言った。


「命乞いをしろよ」


 10歳にも満たない少年の口から発せられたとは思えぬ冷たい声音。

 リーダーは、状況が把握出来ないと言った風で、恐怖と驚愕に顔を引きつらせた。

「うっ……あ」

 彼がようやく何かを言おうとしたが、その言葉を待たず、引き金が引かれた。


 パン!


 乾いた銃声と、そして何かが砕ける鈍い音と共に男は動かなくなった。

 ジョセフは額から血を流し息絶えた男を冷たい目で一瞥すると、ゆっくりと立ち上がった。


 今、目の前で起きた事が信じられないのか、言葉を無くしたストリートキッズ達を見回す。

 それが合図となり、ようやく事態を把握した少年達の間にざわめきと、明らかな殺気が波紋のように広がり始めた。


 数にして20人以上はいようか。

 リーダーを殺された事で殺気立った彼らは今にも飛びかかって来そうだ。


「てめぇ! よくもやりやがったなぁ」

 体格の良い少年が一歩進み出て、ジョセフを脅すように声を張り上げる。


 ジョセフがその少年の方を振り向く。

 おそらくその少年は、ジョセフの顔に怯えの色が浮かんでいるものだと思ったのだろう。自分のしでかした事に驚き、絶体絶命の危機に絶望する恐怖の表情を期待していたのだろう。


 しかし――――

 ジョセフは、笑っていた。


 薄く――

 冷たく――

 まるで、これから踏みつぶす小さな虫を見下ろす、無邪気で、残酷な子供のような表情で。


 パン――――


 再び銃が火を噴いた。


 銃弾は過たず、少年の額に命中し、彼は崩れおちるように前のめりに倒れると、そのまま動かなくなった。


 ジョセフの躊躇いのない行動に、少年たちは声を失う。まだ、口々に何か言っているが明らかに先ほどとは違う動揺が伺える。


 誰も一歩を踏み出せぬまま、ジョセフを睨み付けているのみだ。

「あ……あんたがいくら銃を持っていたって、弾は後4発しかないよ」

 業を煮やした一人の少女が掠れた声で言った。


「あたしたちは、まだこれだけいるんだ。とても……かないっこないんだよ!」

 自分の言葉に勇気づけられたのか、少女の声に段々と力がこもる。

 同時に少年たちのざわめきも大きくなってきた。

 ジョセフは冷めた目で少女を見た。


「今のうちにあ……あやまれば――」


 パン


 銃声が少女の声を遮った。


「ひ……」

 銃弾は少女の腹部に命中した。


「ぐっ……ああああああああっっ!」

 少女が腹を押さえて激痛にのたうつ。


「これで弾は残り三発」

 ジョセフは少女を見下ろし、言った。


「確かにおまえら全員をこれで相手にするのは無理だろう」

 その声には怯えも恐怖も無く――ただ、状況を冷静に伝える落ち着きさえ感じられた。

「だから、どうだと言うんだ? 弾は後、三発もある」


 そこでジョセフは言葉を切り、再び辺りを見回した。

「この三発はおまえ達の命の数だ。三人、殺せる。――さあ、仲間のために死にたいヤツは、誰だ?」


 そして、ジョセフは残酷にわらった。

 相手の命はもちろん、自分の命すら意に介さない、ゾッとするような氷の笑みだった。


 少年達は今度こそ、言葉を失った。

 確かに一斉に飛びかかれば目の前の小さな少年を取り押さえる事はたやすいだろう。だが、誰も死にたくは、なかった。


 徒党を組んではいたが、仲間意識など希薄だ。ましてや、誰かのために犠牲になろうなどと思うものは、一人もいなかった。


 立ちつくす彼らに最後の一瞥を残し、ただ一人崇拝した表情でこちらを見上げる弟、ビルを立ち上がらせるとジョセフは、その場を去った。

 もちろん、後を追おうとするものなど、誰もいなかった。


 その時の体験が彼にとっての全ての始まりだった。

 幼きあの日に見た拳銃使いの姿――――

 銃という武器がもたらす力に酔う事なく、制御し、支配する。


 その日――――

 ジョセフ・ランスキーは“リボルバー”として生まれ変わったのだ。


 ◆◆◆


 深呼吸を一つ。

 深く――深く――――


 息を吸い込み、ゆっくりと吐く。


 窮地であればあるほど、冷静になる性ゆえか、ジョセフはここに至り死神の呪縛から解き放たれた。


 だが、冷静さを取り戻した双眸そうぼうに映ったのは、あの日の隙だらけのストリートキッズではなく、一部の隙も無い完全な殺人機械の姿だった。


 今やジョセフにとって死の具現とも言えるその男は、ゆっくりと、しかし油断の無い足取りで彼に近づいて来ている。

 男の超人的な体術をもってすれば、その間合いはすでにジョセフの命を一瞬で奪う事のできる位置であった。

 しかし、男は絶対的な優位においても、相手の反撃を予測し、更に油断無く間合いを詰めてきている。


「チッ……」

 ジョセフは小さく舌打ちをした。


 何度、状況を分析してみても、そこにあるのは逃れようのない死のみだった。

 何か奇跡的とも言える偶然でもなければ、この危機を脱する事は不可能だろう。


 “噂じゃ、船長の灯を見た人はその日の内に連れて行かれるんだって”


 あの娼婦の言葉が蘇る。

 その不吉な予言は、まさに現実のものとなりつつあった。


「ビル……すまねぇな」


 唯一の心残りでもある弟に小さく謝罪の言葉を残すと、意を決し、ジョセフは不安定な片足のまま、よろめきながら立ち上がった。


 それは、彼の最後の意地であったのかもしれない。


 脳裏に浮かぶは、幼き日に憧れた拳銃使いの姿。


 手にした愛銃を背中のベルトに差し、まるで決闘前のガンマンのように両手をダラリと下げた。

 真正面から、男の姿を見据える。


「オレの銃には弾は後一発しかねぇ。この一発は命の数だ。

  ……果たしてこれは、オレの命か? それともおまえの命かな?」


 もちろん相手からの答えは無い。しかし、まるで彼の“決闘”に答えるように男は歩みを止めた。ミラーシェイド越しに視線が突き刺さるのを感じる。


Drow your gunかかって来な――」

 ニヤリとジョセフはわらった。


 凄絶な笑みを口元に浮かべたまま、彼の手が、今までにないスピードで閃き、同時に微かな風切り音が聞こえた。


 そして――――

 路地には、氷のような沈黙と地獄のような闇だけが残った。

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