第14話 世界の果て xyz...

 剣こそ全て――

 物心ついたときから――いや、それ以前から。

 私には剣しか無かった。

 

 来る日も来る日も、剣を振る毎日。

 しかしそれは、剣術などという崇高な道ではなく

 ただ、人をどう斬り、どうほふるかという冷徹で単純な技術の修練だった。


 そう――――

 私にとっては、自分以外の人間は、全て単なる殺人対象でしかなかった。


 そこに愛はなく。

 そんなロマンチシズムが入り込む隙間など微塵もありはしない。

 もちろん肉親ですら例外ではなかった。

 師である祖父からも、超えよと常に求められた。


 世の中にそれ以外の生き方があると知ったのは、随分後になってからだ。


 ――――だから。

 ついあんな事を聞いてしまったのだろう。


「どうして剣を使うんですか?」


 頂きさえ見えぬ。

 そびえ立つ巨大な山のような存在だった祖父を、技量において超えた時、私は無意識にその言葉を口にしていた。


 鍛錬を重ねれば重ねるほどに、私の中で大きくなっていった疑問。

 人を殺すのであれば、わざわざ剣など使わずとも、銃でも毒でも簡単で便利な方法が他にいくらでもあるのに、なぜ剣にこだわる必要があるのか。


 それは私たち、一族の有り様を否定するに等しい言葉だった。

 だが、言わずにはいられなかったのだ。


 激しい叱責を覚悟し、身を固くする私を祖父は黙って見つめた後、口を開いた。

 

「我々が真に倒さねばならない相手が人間であるのなら、剣にこだわる事もないのだろう」


 怒りも何も含まぬ、靜かな口調だった。


「人ではない?

 ――――では、私たちの敵とは、何なのですか?」


 私の問いに、祖父は頭を振って呟いた。


「わからん――――だが、会えば必ず倒さねばならぬ相手とわかる。

 そういうものなのだ、アレは」



◆シャドーランド


 技の起こりどころか、影さえ見えなかった。

 瞬きする間に、のど元に黒い刀があった。

 距離は10センチも無い。

 身を捻ろうが下がろうがどうしようもない。

 まさに絶体絶命だった。


 ――――?


 しかし、そこでジョンの脳裏にある疑問が浮かんだ。


 なぜ


 彼のもつ特殊な感覚、緩やかな時間ヴァレットタイムが再び訪れたのでは、もちろん無い。

 危機に瀕して隠された力が蘇るなど、フィクションのヒーローのような事が起こるはずもない。星を巡る時代にあっても、人はそれほど器用ではないのだ。


 ならば、ジョンは斬られた事すら解らぬままに、絶命しているはずだ。

 しかし、彼の目には黒い刀身がはっきりと見えている。

 まるで止まっているかのように――――否、止まっているのだ。


 ジョンと魔剣の間に存在する見えない何かが、凶刃から彼を守っているのだ。


 ――――!!


 ミラーシェイドに覆われ、表情を読めないが、その面に走った動揺をジョンは確かに感じた。


 腕斬りは力を入れ、押し切ろうとするが弾力のある何かが刃を押し返した。

 ――――と、何も無かった空間が不意に泡立ち、そこに作り物めいた透明な双眸が出現した。


「人は斬れても、イカを斬るのは苦手なようアルな!」

 電子声が得意げに叫ぶ。


「ポチ、でかした!」

 ジョンは、声の主であるピューレス人の女の名を呼ぶと、即座に次の行動を起こした。


 一度で良いから腕斬りの攻撃を止めてくれというジョンの言葉に、ポチは見事に応えてみせた。

 硬度を自由に変えられるピューレス人と言えど、達人が振るうオリハルコンの刃を止める事は出来ない。そこで、昨夜彼女自身が悪戦苦闘した、滑りと弾力のあるイカの肉質を再現したのだ。

 ピューレス人のポチならではの純粋な観察力と学習能力のたまものと言えた。


 だが、それも一瞬――――


「これぞ名付けて、イカアーマーアル!

 もうおまえの攻撃なんて――ワプッ」


 手応えから、特質を瞬時に理解した腕斬りの手より、力が一瞬抜けた。

 次の瞬間、全ての抵抗が消失し、刃が空間を一閃した。


「くそー! くやしーアル」

 両断されたポチの体が、液体へと戻り、崩れ去る。

 しかし、そこにジョンの姿は既に無かった。


 一瞬の隙をついて、体をかがめて凶刃をかわすと、そのまま間合いを詰める。

 ついに訪れた、千載一遇のチャンス。


「ほらよ――――」

 ポケットから液体の入った小瓶を取り出すと、無造作に投げた。

 小瓶を切り割り、中の強力な瞬間接着剤に自由を奪われた記憶が、腕斬りの脳裏に蘇る。


 キンッ――――


 同じ手は喰わぬとばかりに、刀身の腹の部分を使い、小瓶を割ることのない絶妙な力加減で遠くに弾き飛ばした。


「さすが――――だが、本命はこっちだ」


 刀を振り切った隙をついて、ジョンが愛銃の銃口を向けた。

 しかし、それも超絶の技量を持つ暗殺者は読んでいた。


 ガァン――――キンッ!


 発射された弾丸を神速の刃が切り払う。


 ――――?


 弾丸を斬る――その常ならばありえない行為も魔剣使いと呼ばれる魔人の一人である彼ならば、容易な事。だが、その手応えに違和感があった。

 違和感を裏付けるかのように、両断した弾丸からはじけた液体が体を濡らした。


 違和感が確信へと変わるが――思考よりも早く、訓練された体は、技を繰り出すべく刀を振るう。


 ニヤリ――ジョンの口元に笑みが浮かんだ。


 ――――止めの一撃を繰り出そうとする姿勢のままに、腕斬りが動きを止めた。

 否、止めたのではない、止められたのだ。


「やっと、はまってくれたな」


 ガァン


 言うや否や、ジョンはもう一発、発砲した。

 身動き出来ない腕斬りは、せめて致命傷をさけるべく、体を捻る。


 パシャ――――


 肩口の辺りに着弾した弾丸は、乾いた音を立てて弾けると、液体をまき散らし、死神の体を濡らした。


 濡れた衣服が、白く変色し、固い質感へと変わっていく。

 パラパラと白い粉が中を舞った。

 バランスを崩し、さすがの死神も膝をついた。


「そいつは、生け捕り用のジェル弾だ。

 象だって動けなくできる代物だぜ」

 ジョンが銃口を向けて言った。


 ジョンの銃は、ただの銃ではない。

 通常弾用の下にもう一つ銃口があり、そこから様々な特殊弾を発射出来るカスタム銃だ。アタッチメントを取り付ければ榴弾を撃つ事も出来る。

 今のところ、同じ銃をジョンは見た事がない。もしかすると銃剣類に根強い人気を持つ、アラハバキ社の試作品かもしれないとは、ピートの談だった。

大型で扱いづらい銃だが、なぜかジョンは気に入っていた。


「――――!!」


 体を起こし、飛びかかろうとした腕斬りが、くぐもったうめき声を漏らし、再び膝をついた。

 その様子を見て、さすがのジョンも安堵の吐息を漏らした。

 

「ジェル弾てのは、普段はトリモチみたいに柔らかいんだが。

 アンタには、それじゃあ歯が立たないだろう?

 ガチガチに固く調整させてもらった。

 無理に動くと固まった皮膚が裂けるぜ」


「それ知ってるアル!

 言うアルな!」

 元の姿に戻ったポチが胸を張った。


「――――それ違う」

 耳ざとく聞きつけたピートが苦笑した。

「それにしても……衣服だけじゃなく、皮膚の一部も硬化してる。

 あれじゃあジェル弾じゃなくて、石化弾だよ。

 規約無視の危険仕様。BH協会に知れたら免停ものだ。

 くわばらくわばら――」

 ピートは、僕は見てないからねと、わざとらしく目を反らした。


 勝負あったと、誰もが思った。または、そう願った。

 ただ一人を除いて。


「油断するな! まだ終わってないぞ」

 ケイの一喝が緩みかけた場の空気を一掃した。


「そんな――」

 馬鹿なと、ジョンは言おうとした。

 だが、次いで聞こえた音が、彼の言葉を否定した。


バリ――


 総毛立つような、不吉な音だった。

 ジョンはとっさに音のする方、腕斬りへと視線を戻した。


バリバリ――


 そしてジョンは、その音の正体を理解した。


 硬質化した衣服が、陶器のようにひび割れ、砕けていた。

 しなやかさを失った皮膚が裂け、剥がれていく。

 吹き出した血が、ボタボタと大地に染みを作った。


 己の体が傷つき、破壊されるのもかまわず、腕斬りが立ち上がろうとしている。


「オオオオォォォォォォ」


 瀕死の死神は、喉の奥から絞り出すような雄叫びを上げた。

 それはもはや、人のものではない。


「よせ!  死ぬぞ!」

 ジョンのその言葉は、果たして誰に向けられたものであったろうか。


 象であろうと、動けないように出来るとジョンが言った言葉は、決して誇張ではない。

 硬質化した体を無理矢理動かすだけでも、信じられないような怪力だった。

 なによりも、想像を絶する激痛を伴っているはずだ。


 ザワリと――

 背に冷たい汗が伝った。

 ジョンはこの時初めて、目の前の敵に言いようのない恐怖を感じていた。


 死ぬのが怖くないのか?

 それとも、この闘いに勝つことが己の命よりも大事なことなのか?


 いくつかの疑問がジョンの頭の中を駆け巡った。


 生きている存在なら、どんな凶悪犯であろうと臆することのない彼だった。

 だが、今、目の前にいるソレは、ジョンにはまるで得体の知れないナニかであるような気がした。


「ジョン!」

 我知らず、ケイは叫んでいた。

 ジョンのトレードマーク――毛の生えた心臓――が描かれたロングコートの背が、一瞬小さくなったように見えたからだ。


「落ち着け!  相手をよく見ろ!」

 その声が聞こえたのか、ジョンの体がビクリと震えた。


「よく――見るんだ」

 もう一度、念を押すように、ケイは言った。


 ケイの声が、混乱していたジョンの意識を呼び戻した。


「よく見る?」

 胸中でその言葉を繰り返し、目の前の敵に意識を集中する。


「ウウウァァァァァァァ」

 叫び声を上げ、起き上がろうとする死神の姿がそこにある。

 裂けた皮膚からは、大量の血が――


「血が……出てない?」

 不意に浮かんだ疑問を、ジョンは口にした。


 まったく血が出ていないわけではない。だが、傷の深さに比べて出血が少ない。よく見ればケイに斬られた腕の血も止まっていた。

 そして、その理由に――傷跡から覗く、金属の鈍い輝きに――すぐに気付いた。


「義手? 義足? いや……」

 確かに、ジョンの腕や、ジョセフ・ランスキーの足のように、体の一部を機械で補うことは、技術的に可能だ。

 ケイから体のかなりの部分を機械化していると聞いてはいたが、腕斬りのコレは、ジョンの想像を超えていた。


 腕や足だけではない。

 脇腹や首、見えるだけで数ヶ所、全てに機械の部品が覗いていた。


「轟の体は、ほとんどが機械だと言っただろう。

 生身で残っているのは、頭くらいなんだ」


 ジョンが疑問を口にするよりも早く、ケイが答えた。


「なんだって!  そんな馬鹿な!」

 ピートが驚きの声を上げた。


 無理もない。

 全身の機械化に成功した例は、未だ一人もない。技術的な問題もさることながら、体の6割以上を機械化すると、拒否反応により、死亡すると言われていた。


「6割の壁を越えたのか?

 成功していたのか……」


「いいや……」

 ケイが首を振った。


「成功などしていない。

 ――――


 低く呟いた。どこか、痛みに耐えるような声だった。


「成功していない?

 どういうことだ」

 今にも飛びかかって来そうな腕斬りから距離を取るために、ジョンは後ろに下がった。

 傷ついた死神の体に、残された最後の力が満ちていくのを感じていた。

 たわめられた弓が命を賭した一矢を放てば、自分にはもうなすすべもない。


 急がねばならない。

 行動を起こすのは、今をおいて他にない。

 だが、ジョンの中にわずかな迷いがあった。

 それが彼の決心を鈍らせていたのだ。


 痛みに耐えるようなケイの声が――

 ルシィの最後の笑顔を想起させる。


 意を決してケイは、息を大きく吸い込んだ。胸の奥の奥、彼女自身すら知らぬ、秘められた何もかもを吐き出すように、声を振り絞った。

 ここ数日行動を共にしたジョンが初めて聞く、それは絶叫だった。


「迷うな、ジョン!

 それはもう、ごうじゃない。

 生ける死人だ!

 だから――――」


 その声が合図でもあったかのように、腕斬りが動いた。

 ブチブチと何かが切れる音。

 血風をまいて、隻腕の死神が迫る。


 考えるより早く、ジョンもまた迎え撃つために銃を構えた。

 幸い腕斬りの動きは、以前より格段に遅い。あの稲妻のような技は見る影も無かった。


 だが――それでも。


「ヤツの方が早い」ジョンはそう確信していた。

 視界は揺れ、立っているのもおぼつかない。

 ジョンもまた、限界をとうに越えているのだ。


「チッ――――」

 ジョンは軽く舌打ちをし、目を閉じた。

 不思議と悔しさは無かった。

 これで、ルシィのところに行けるかもしれない。

 そんな思いが心をよぎった。


 その時――――

 ケイの最後の言葉が耳に届いた。


「だから――――轟を

 楽にしてやってくれ!」


 その言葉が、ジョンの目を覚ました。

 あるいは、今見えていた亡き妻の面影は、本物の死神の誘いであったのかもしれぬ。


 目を開いた彼の目の前に、黒い刀身があった。

 これを躱す術はない。よくて相打ちといったところだろう。


「――――上等だ」


 ジョンは呟くと自ら死神の懐へ、一歩を踏み出した。

 その一撃を確実なものとするために。

 決して外す事のないように。

 例え死んでしまったとしても、この引き金は引かねばならない。

 ケイに己が肉親を殺させてはならない。

 その思いが、ジョンを死地へと踏み出させた。


 ジョンは腕斬りの胴、鳩尾みぞおちのあたりに銃口を押しつけるように構えた。

 ミラーシェイドの奥の、相手の瞳をのぞき込むように睨む。

 命を奪うはずの刃は、もはや視界にはない。

 最後まで、相手の顔から目を離すまい。

 そう心に決めていた。


「ダメだ!

 機械の体には弾丸は徹らない」

 ケイの叫びも、もはや耳には届いていない。


 そして――――


 ガァン!


 死闘の終わりを告げる銃声が、影の国に響き渡った。


◆◆◆


 影の国に、再び静けさが満ちていた。

 死の気配を纏ったそれは、あたかもこの特異な土地が侵入者たちを批難し、自らのイニシアチブを主張しているかのようだった。


 ジョンは銃を手に、黙って立ち尽くしていた。

 足元には腕斬りが仰向けに倒れている。


「どうして……」

 胸中へ消えるような問いは、ジョン自身に向けたものか、それとも先程まで死闘を繰り広げていた敵へだったろうか。


 腕斬りからの答えはない。

 腹の部分、丁度鳩尾の辺りに銃弾が貫通した穴が空いている。

 元々蒼白だった肌は更に白く、生の気配がまったく感じられなかった。


 ジョンは、我知らず喉元へ手をやった。

 まるで、首が繋がっていることを確認するように。


 事実、ジョンは生きていることが信じられなかった。

 なによりも、敵である腕斬りに助けられたことが信じられなかった。


 そう――あの時、ジョンが死を覚悟した最後の瞬間、腕斬りは剣を止めたのだ。

 力尽きたわけではない。自らの意思で剣を止めたのだ。

 それは、ジョン自身がなによりも良くわかっていた。


 なぜ――――


 ジョンはもう一度、自らに問うた。


「――――轟を

 楽にしてやってくれ!」


 脳裏に蘇るケイの絶叫に、ジョンは頷いた。

 そうだ、あの時、ケイの声が聞こえた瞬間、腕斬りの動きが止まった。

 覗き込んだ相手の瞳の奥に、冷徹な死神のそれではない、人間の迷いのようなものを、ジョンは見た気がした。


 ならば、最後の最後に、彼は自分を取り戻すことが出来たのだろうか。

 かけがえのない、肉親の声によって。


 よそう――――


 ジョンは物思いを振り払うように頭を振った。

「死は死者だけのものだ」

 それは、かつてジョンに銃器の扱いを一から教えた男の言葉だ。

 生き残ったものは、後ろめたさから人の死に意味を求めるが、死は死者だけのものだと。


「上出来だ」すぐ横でケイの声が聞こえた。


「上から目線かよ」

 その声で我に帰ったジョンは、気恥ずかしさから憎まれ口をたたいた。


「ありがとう」


 すれ違う一瞬、ケイはジョンにしか聞こえないような声で、短く礼を言った。驚いたジョンが顔を上げたが、彼女は何事もなかったかのように通り過ぎ、倒れ、動かなくなった腕斬りの横に膝をついた。


「よくやったアル。さすが私の弟弟子アル」

 いつの間にか横に並んだポチがジョンの肩を叩いた。


「オレはジジイの弟子になった覚えはねぇ」

 ジョンの抗議の声も聞こえぬ風に、ポチはうんうんと頷いている。


「ねぇ、ホントに大丈夫なの? また起き上がってきたりするんじゃないの」

 ピートがこわごわジョンの後から声をかけた。


「大丈夫アル。あいつからは、もう命の記録は消えているアルよ」

「命の記録? ……よくわかんないけど、死んでるって事かな」ピートが首をひねった。


 ケイは、兄の顔をジッと見つめた後、小さな声で何か呟いた。

「よく銃弾がとおったな」

 腕斬りの腹の傷を見て言った。


 それが自分に向けられた言葉だと気づくのにしばらくかかった。

「あ……ああ。そうだな」

 ジョンが慌てて答える。

「白龍の爺さんが、そいつと闘った時に、鳩尾みぞおち辺りを打ったと、ポチが言っていたからな」


「なるほど、確かにそれなら無事で済むわけはないな」

 ケイが納得したように頷いた。


「ああ。俺も生きているのが不思議なくらいだ」

 ジョンは、白龍の強烈な一撃を思い出したのか、苦笑いを浮かべた。


「それに、もしかしてと言うこともあるからな」

 ジョンは続く言葉を胸中に飲んだ。

 生身ならまだしも、機械の身体なら、腹に銃弾を撃ち込んでも、殺さずに済むかもしれないと――――


 それが甘い考えだとわかっている。

 ケイに言えば、確実に怒られるだろう。

 だが、そうだとしても。

 例えば己の身を危うくしたとしても。

 出来る限り全てを救おうとする。


 仮にその事をジョンに言ったとしても彼は否定するだろう。

「女の悲しそうな顔は苦手なんだ」と答えるくらいだろう。

 だが、結果としてそうなってしまうのが、ジョン・スタッカーと言う男のありようなのだ。

 だから、彼のまわりには自然と人が集まる。


 だから、ビル・ランスキーは兄の仇討ちをジョンに託した。

 ケイは最後までジョンを信じたのだ。


「これでやっと家に帰れるね」

 ピートが盛大なため息をつきながら言った。


 ジョンはそれには答えず、銃をホルスターに納めると、新星たばこに火をつけた。身体中の疲れを追い出すように、深く紫煙を吐く。

「本当に終わったのか」

 煙のヴェールの向こう、亡き妻の面影をもった女の横顔を見つめ、自問する。

 腕斬りを倒した今、この星に用はなかった。

 いや、むしろ一刻も早くこの星を離れるべきだとジョンの本能が告げている。


 新たなトラブルが起こる前に――――

 それは、予感というよりも確信に近かった。


 相棒の雰囲気を察したのか、ピートもどこかせかすように、ジョンの肩を叩いた。


「さあ、さっさとこんな辛気くさい場所とおさらばして、街にもどろうよ。

 ゴードンは死んじゃったから、依頼料はもらえないけどさ」


「いいえ、報酬はちゃんとお支払いしますよ」

 あるはずのない答えが返った。

 良く通る声は、夜の静寂しじまを振るわせ、一同の耳に届いた。


 ジョンの知っている声だ。


「やっぱり、生きてやがったのかゴードン」

 ジョンは声のする方へ振り向いて言った。



◆◆◆



「やっぱり、生きてやがったのかゴードン」


 ジョンがそう言った次の瞬間、眩い光が夜の闇をはらった。

 辺りを煌々こうこうと照らす圧倒的な光量は、まるで一瞬にして別の場所に移動したのでは、と錯覚するほどだった。


「ヘリか?」ジョンが咄嗟に見上げると、大型の軍用ヘリが3機、夜空に浮かんでいた。

 光の正体は、ヘリのサーチライトだった。


「音がしないアルな」


「軍用の無音ヘリだよ。

 あれだけ大型なのは、初めて見るけど」

 ポチの呟きに、ピートが答えた。


 ピートの言葉通りかなりの数の兵士が楽に乗れそうな程、大型のヘリだ。それがほとんど音を立てずに浮遊している様は、奇妙な光景だった。

 横長のボディはローターの羽に至るまで艶のない黒で、サーチライトの光がなければ見失ってしまいそうだ。


「宇宙軍のマークがないな。

 ミツルギのマークもない。何もないぞ」

 ピートが疑問を口にした時だった。

 3機のヘリのボディが一斉に横にスライドしたかと思うと、地上に向けてワイヤーが降ろされた。

 ワイヤーを伝って、完全武装の兵士が次から次へと降りてくる。

 小銃を持った彼ら兵士も一様に黒ずくめで、所属を表すものを何も付けていなかった。


 そこに不穏なものを感じ、一同に緊張が走った。


「あなた達に危害をくわえる気はありません。安心してください」


 再び男の声がした。

 そして、サーチライトが照らす光の中に二人の男が歩み出た。


 一人は、SPが着ているような黒いスーツを着た男だった。

 髪の色こそ黒いが、その顔は忘れようもない。


「ゴードン……死んだフリとは、なかなか芸達者だな」

 ジョンが皮肉たっぷりに言った。


「さすがに体を真っ二つにされて生きているほど、しぶとくはありませんよ」

 ゴードンが肩をすくめた。


「真っ二つにされたら死ぬアルか?」

「そりゃあ、死ぬよ、ピューレス人じゃないんだから。

 ……なるほど、さっきのあれは影武者だったのか」

 合点がいったと、ピートが手を叩いた。


「専務もそれなりの代償を支払ったんだ、あまり意地の悪いことを言うな」

 もう一人の男が、ゴードンの手に包帯代わりに巻かれたスーツを見ながら言った。


おぼろ!  なにが黒子くろこだ。

 しっかりこんなところまで顔を突っ込んでるじゃねぇか!」


「言ったはずだぜ? 黒子の仕事をすると。

 俺は裏方の仕事をしただけだ。ガラクタの始末はおまえに任せただろう」

 ジョンの言葉に動じる事なく、諜報部のエージェントは、酷薄な笑みを浮かべた。


「ガラクタだと?」ジョンが睨む。


「げげ! おぼろ十郎じゅうろう

 ピートが顔をしかめた。

 人当たりが良く、如才ない彼がここまで嫌悪を露わにするのは珍しい。


「何者アル、あいつは」

 ポチが興味を惹かれて訪ねた。


「怖い人だよ。

 ――

 ピートが微かに体を震わせた。


「ふぅん」ポチは、正体を探るように朧を見つめた。

 半透明の作り物めいた彼女の瞳が、まるでカメラがピントを合わせようとするように、クリクリと動いた。


「そうやって見る必要があるの?」

 ピートがその様子を不思議そうに見ながら言った。


「どういう意味アル?」

「だって、その目は……その……

 本物の目じゃないんでしょ?」

 ピートが言いにくそうに答える。


「本物アルよ」

 ポチは、気にした風もなく言った。


「人の姿をしているからには、私たちは形に囚われているアル。

 ちゃんと見るためには、見るという動作が必要アルよ」


 ポチの答えにピートは、そういうものなのかなぁと首を捻った。


「こんな所まで何をしに来たとは、聞かない」

 ジョンは、ため息をついて言った。


「そっくりな身代わりまで用意してたんだ。

 あんたが意味のない事をするわけがないからな。

 だからって、一言礼を言いたかったなんて殊勝なタマでもないだろう?

 だったら、どうして本星へ帰らないんだ。

 怪我をしてるんだろう?

 さっさと入院して、美人の看護婦に下の世話でもしてもらえばいい」


「もちろん。用さえ済めば、すぐにでもそうしますよ」


 失礼な物言いに気を悪くした様子もなく、ゴードンは肩すくめた。


「用? 俺たちにいったいなんの用があるってんだ」


「迎えに来たんです」


 せめて治療をと促す兵士を下がらせ、ゴードンは続ける。


「迎え?」


「ええ。魔剣使いを迎えに来たんですよ」


 ゴードンの答えに、ジョンが目を細め、怒りを抑えた声で言った。


「てめぇ。まだあいつをいじくり回すつもりか」


「あなたの言うあいつが誰の事かは、想像がつきますが、違いますよ。

 僕が言っているのは、使の事です」


「本物? それはいったい――――」

 なおもくってかかろうとしたその時だった。

 ジョンは背後に冷たい気配を感じ、続く言葉を飲み込んだ。


 同時に、兵士たちが一斉に銃を構えた。

 まるで何かに怯えるように。

 赤く光るポインターはジョンの後に照準されている。

 歴戦の兵士たちをも怯えさせる何かが、そこにいるのだ。


 ポチは全身を細かくプルプルと震わせ、ピートは顔をひきつらせ、固まっている。

 ジョンは最初、腕斬りが目を覚ましたのかと思った。

 だが、そうではない事はすぐに解った。

 これは、違う。

 ――これは、

 あれを遥かに超えるような何かだと、ジョンの本能がそう言っていた。

 

 そして、今ジョンの後にいるのは、一人しかいない。


 ジョンは、この数日間行動を共にした女の事を思い浮かべようとした。

 無愛想で、冷たい物言いの女。

 サディスティックで、生意気で、しかし不思議な母性のようなものを感じさせる女。

 ルシィの面影をもった女の事を――――


 まるでそうする事で、自分の後に感じているナニかの気配を忘れようとするかのように。


 だが――――


「そう怯えるな」


 女の声がした。

 ジョンの知っている女の声だ。


「ケイ――――!」


 反射的にジョンは後ろを振り向いた。

 そして、再び言葉を失った。


 ケイは魔剣を手に立っていた。

 その姿は、どこまでも自然だった。

 一流の競技者が、道具を手にしただけで只者でない事がわかるように、しっくりと馴染んでいた。


 魔剣もまた、本来の主の元に戻って喜んでいるように見えた。


 そして、何よりも彼女は美しかった。

 もともと人並以上に顔立ちの整った女だったが、今の彼女は、以前とはまったくの別人――否、別の存在だった。


 白かった肌は更に白く、生ある者の暖かさも、質感すら感じさせないほどだ。

 瞳は小さな炎が灯っているかのように紅く、妖しい光を放っていた。


 その姿は、どこか現実感を欠いた、此の世の者でないような雰囲気を醸し出していた。


 兵士たちの銃が放つポインターの赤い光に全身を斑らに染め、ケイは熱い吐息をもらした。


「無遠慮に見つめるなよ。

 たかぶってしまうじゃないか」

 妖艶な笑みを浮かべ、歩を進めた。


 ジョンは、動くことも出来ずに、目の前の女を見つめていた。


 使――


 ジョンは、ゴードンが言った事を本能的に理解した。


 目の前にいるのは正真正銘、本物の魔剣使い、腕斬りに違いない。

 先程までジョンが闘っていた相手とは、比べものにならない。

 一騎当千、宇宙の伝説と呼ばれる存在なのだと。


 そこに心のどこかにひっかかっていた疑問の答えをジョンは見た。

 ケイが纏っていた死の空気。

 ふとした瞬間に垣間見る、不吉な影の正体を。


 ジョンに一瞥もなく、ケイは通り過ぎた。 

 そのまま、ゴードンたちの元へと歩いていく。

 兵士たちがざわめくのをゴードンは手で制した。


「大丈夫、手を出さなければ害はありませんよ。

 ――多分ね」

「そう願いたいな。こいつを押さえるのは、骨が折れそうだ」

 朧も軽口を叩くが、一時もケイから目を離す事はなかった。


「なかなか食いでがありそうな男がいるじゃあないか」

 ケイが薄く笑った。 


「待て――――」

 体を戒める見えない力を振り払うように、ジョンは声を振り絞った。


「…………」

 ケイが足を止めた。だが、ジョンの方を振り向かない。

「どっちだ?」ジョンはその背中に声を浴びせた。


「どっちが本当のおまえなんだ?

 さっきまでのおまえは、嘘だったのか」


「――――そうだ」

 振り向かぬまま、ケイは答えた。 

 あらゆる抑揚を欠いた冷たい声音で。


「こちらが本当の私だ。

 そんな事も見抜けなかったのか?

 馬鹿め――――」


「こっちを向けよ!」

 言葉を遮るように、ジョンは手を伸ばした。


 だが――――


「痛っ――」

 伸ばした手に鈍い痛みが走ったかと思った次の瞬間、魂までも凍るような、冷たさをのど元に感じた。

 魔剣が喉に押し当てられている。

 ケイの顔が目の前にあった。


 影さえ見えなかった。

 気配さえ感じない。


 手を斬り、首を落とす。

 峰打ちでなければ、彼女がその気であったなら、確実に死んでいたとジョンは思った。


「スタッカー」

 息がかかるほどの距離。瞳の奥で紅い炎が揺れていた。

「私は全てがすんだらおまえを殺せと命じられている。

 だが、一度は見逃そう。

 おまえには借りがあるからな」


 再び、ケイの姿が目の前から消えた。


「ぐっ――」

 今度は首筋に鈍い痛みを感じ、ジョンは呻いた。

 がくがくと膝が揺れ、視界が暗闇のヴェールに覆われていく。


「いいか?

 決して、私を追うな。

 次に会えば、私はおまえを殺す」


 遠くでケイの声が聞こえた。

 そして、ジョンの意識は影の国より昏い、闇の底へと落ちていった。

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