第13話 死の舞踏 Danse macabre
◆シャドーランド 真実の口
――――黒猫だ。
真実の口の上半分が左右に割れて、現れた巨大なモニターに映っていたのは、黒猫だった。よくよく見れば、耳の端と腹が白い。
暗い背景に溶け込む事なく、確かな存在感をもって猫がいる。
CGか実写か、まるで判別出来ない。それどころか手を伸ばせば触れることさえ出来そうだ。
愛らしい姿だ。
だが、そこに秘められた意味を探るように、ゴードンと朧が鋭い視線を注いだ。
黒猫はひとしきり毛繕いをすると、部屋の中の二人を見た。
「あなたがアーネスト・ホーエンハイム博士か?」
ゴードンが問う。
「その名前は使えません。新しい名前を登録して下さい」
猫が答えた。まるで肉声のような滑らかな発音だった。
「では、アルフォンス・ハインミュラーではどうかな?」
ゴードンは一瞬ふむと考え込んだ後、口を開いた。
「同じA・Hですか……」後で朧が苦笑する。
「――――了解致しました。
アルフォンス・ハインミュラーを仮登録しました。
ユーザー名をどうぞ」
「ゴードン・マクマソン」
ゴードンが
「…………」
朧がスッと目を細めた。
ミツルギの統括専務は今、ゴードン・マクマソンと名乗った。
ゴードン・マクマソン・ミツルギではなく。
あえてミツルギと答えなかった意図はどこにあるのか。
その真意を探るように、朧は薄い笑みを浮かべる目の前の男の横顔を見つめた。
◆◆◆
「例えこれで命を落とすような事になったとしても、アンタは最後まで見ていてくれ。――――頼む」
「なん……だと?」
敵と対峙している事も一瞬忘れ、ケイはジョンを見た。
「腕斬りに勝つために打てる手は全部打った。これで勝てなきゃ、二度とあいつには勝てないだろうさ。……もっとも、二度目があればの話だが」
「ふざけているのか?」
ケイは再び、腕斬りに向き直り背を向けた。
まるで、その
「俺は大まじめだ」
まだわずかに震える足に、勇気と力を込めてジョンはケイの横に並んだ。
「これは一族の問題だ。
おまえは良くやった。後は私に任せて――――」
「アンタの事情は理解しているつもりだ。それに、俺が知っている理由以外にもアンタがやらなきゃならない
だが、それを承知で頼む、俺にやらせてくれ」
ジョンはケイを遮るように言葉を重ねた。
「――――頼むよ」」物言わぬ背に語りかけた。
「まったく――おまえという男は、馬鹿で愚かで、どうしようもない頑固者だ」
ケイは、諦めたように首を振った。
「よく言われる」
それを了承ととって、ジョンが一歩前に出た。
ケイは一瞬ポチと視線を合わせると、
まるで「ジョンを頼む」と言うように。
ケイの意思を汲んでポチがジョンの横に並び、胸を張った。
「おまえの事は老師から頼まれている。
私は手伝うアルよ?」
「頼りにしてるぜ。
一回でいい、あいつの攻撃を止められるか?」
ジョンの言葉にポチは胸を叩いた。
「任せろアル」
苦笑し、ジョンは改めて腕斬りを見た。
マルコポーロの双子月に照らし出された黒衣の死神は、不吉な黒いシミのようだ。
ピクリとも動く事なくこちらを見ている。
まるで生者の気配を持たない。影の国の廃墟の一部にさえ見えたかもしれぬ。
その姿に、影の国に来て以来、ジョンの中に生まれたある疑問の答えを見たような気がした。
「やっぱりそうなのか――――
おまえは、もう終わっているんだな。
ここがどこで、俺が誰かも解っていないんだろう?」
瞳に哀れみの色を滲ませて、ジョンは呟いた。
「野生の獣が、死期を悟って姿を隠すように、死に場所を探してここに来たのか。
おまえが待っていたのは、ケイだったのかもしれない。
だが、あいつにやらせる訳にはいかないんだ。
――――すまないな」
――――その時
それまで身動き一つしなかった腕斬りが顔を上げた。
しかし、ミラーシェイドの奥の瞳が見ているのは、ジョンではない。
腕斬りはジョンの後に下がった一族の女を見つめていた。
痛みに耐えるように微かに震えると、たった一人の肉親に向けて、小さな声で何かを呟いた。
「――――さん」
囁くような言葉はジョンの耳に届いたが、それが意味するところをすぐには理解出来なかった。
だが、それが謎を解く最後のピースであるかのように、ジョンの中でバラバラだった断片が次々と繋がり、形を成していった。
「なんだと? おまえ、今なんて――――」
ジョンが訝しげに眉を寄せる。
オオオオオオオオォォォォォォォォォ――――
だが、ジョンの問いに返って来たのは、言葉ではなく咆吼だった。
死神は何かを振り払うように激しく首を振ると、ジョンに向かって一直線に突進して来た。
これまでの彼の動きを凌駕する凄まじいスピードだった。
まさに神速。
腕斬りの状態が先ほどのジョンの言葉通りであるのなら、それは死期を目前にした者が得る最後の魂の輝きであったのかもしれぬ。
黒い影のような姿がかき消えたかと思うと、瞬く間に目の前に移動していた。
誰もがその姿を見失った。
ケイですら、驚きに目を見開いた。
刃の閃きさえ見せず、魔剣が真一文字に空間を裂いた。
ジョンのみならず、横に並び立つピューレス人をも、諸共に斬って捨てる。
液体であるはずのポチの体が、斬られた事すら自覚出来ずに一瞬再生が遅れるほどの、それは、必殺の一撃だった。
――――だが
斬られたのは、一人。
そこにジョンの姿はない。
まるで、刃がそこを通るのを知っていたかのように、ジョンは
しかし、ジョンはこのニ撃目も身を捻って躱した。
「ヒュッ――――」
腕斬りは短く息を吐くと、更に一歩踏み込んだ。
逃げる相手を追うように、変幻自在の突きを放つ。
線から点へ、常人であれば反応すら出来ぬ攻撃の変化。
切っ先がジョンの目の前に迫る。
キィィィン――――
しかし刃はわずかに届かず、金属音と共に
ジョンがリボルバーの銃身で腕斬りの魔剣を弾いたのだ。
「馬鹿な――――」
これには、さすがのケイも驚きを隠せなかった。
――――何がおきている?
ケイは自問した。
今の轟のスピードは、過去の彼の速度を超えている。
速さだけなら、彼女たちの師である祖父、雷也以上だろう。
それをついさっきまで、薬の力を借りてやっとしのいでいたジョンが、対等に渡り合っている。
いや――――対等以上だ。
ケイが見つめるその視線の先で、刃を弾いたジョンが至近から銃を撃った。
だが、腕斬りの反応も尋常ではない。
弾丸をギリギリで躱すと、刀を持った手でジョンの腕を絡め取る。そのまま動けない相手の首を黒刀が狙った。
ジョンもまた、神がかった勘の良さでその意図を察すると、腕が極まる直前に体を捻って腕斬りに後蹴りを見舞った。
その反動を利用して腕を抜くと、前転して距離を取る。
今のジョンには、腕斬りの動きが見えている。
ケイは確信した。
しかし、ジョンの速度が上がったわけではない。
次の動きを読んで、先に動いているのだ。
相手の動きが読める。その結果動きが遅くなったように感じる。
それは、もともとジョンが持っていた才能だ。
だが、先ほどまでは勘で、何とか躱す事で出来ていた程度だったはずだ。
――――なぜだ。
なぜ、急に読めるようになった?
不意に彼女の脳裏に閃くものがあった。
もしかすると――――
ジョンが腕斬りの攻撃を読めなかったのは、動きを視認する事すら出来なかったからだ。実際、技の初動に集中する事によって、一時は何とか躱せている。
ならば、一度でもはっきりと見る事が出来さえすれば、予測は可能なのではないか? 緩やかに時が流れるジョンの世界へ、死神を連れてくる事が出来るのではないか?
加速剤によって、ジョンは腕斬りの動きを見た。
それこそ止まって見える程にしっかりと――――
その事が、ジョンの能力を一段上に引き上げたとしたら――――
「アイツは――本当に天才なのかもしれないな」
銃と刀、得物は違うが、至近距離で対等に斬り結ぶジョンの姿を見ながらケイは呟いた。
しかし感心するケイとは裏腹に、ジョン自身には余裕も勝算も無かった。
彼自身理由も解らぬままに、ただ必死に腕斬りの攻撃を凌いでいるだけだ。
もともと、ジョン・スタッカーという男は、理詰めで動く男ではない。
こうすればこうなるという確信があるわけでは無い。ただ何となく――そう、それは本当に何となくこうすれば良いような気がするだけだった。
しかし、それが捨て鉢になった分の悪い賭けなのかと言うとそうでもない。
ジョンは、窮地において最善を選択する勘のようなものを持っていた。
その閃きは、昔から幾度となく彼を助けて来たので、自然と彼自身も疑うことなく信じるようになったのだった。
もしかしたら、彼にとっての一番の武器は、時間の流れを遅く感じる特殊な感覚の事ではなく、この生き残るための純粋な本能なのかも知れない。
ゆっくりと動きを捉える感覚とは真逆に、腕斬りの攻撃に対する反応はどんどん加速し、ジョンの動きは更に鋭さを増していく。
不思議な高揚感がジョンの体を包んでいた。
銃身と刀身が触れ合う火花と、稲妻の斬撃が刹那見せる白銀の閃き。
流星のような無数の輝きを超えたその先に、ジョンは魔剣使いと呼ばれる超人のみが立つ、遥かな高みへの手がかりを見たような気がした。
だが――――
それが容易に至れぬ場所である事もまた事実。
天才とケイが称したその才能を持ってしても、目の前の死神のいる場所にジョンが並び立つには相応の修練が必要であった。
そして兆しは、不意に訪れた。
鮮やかに腕斬りの連撃を捌いていたジョンが、踏鞴を踏んでバランスを崩した。
胸元を浅く裂かれ、慌てて距離を取る。
「チッ――――」
違和感に顔をしかめる。
敵を見据える視界が暗く霞んだ。
息苦しさに胸が締め付けられるようだ。
まるで夢から覚めるように、体を包んでいた熱が引いていく。
終わりの時が来たと、ジョンは直感した。
蜘蛛の糸のような細く頼りない希望をたぐり寄せるようにして、ここまで来た。
ここまでやれただけでも奇跡のようなものだった。
だが、それでも――――届かなかった。
力対力の純粋な戦いにおいて、決着をみる事はなかった。
ジョンはあえぐように大きく息を吸い込んだ。
酸欠で暗くなっていた視界が明るくクリアになる。
しかし、そこにあの恍惚とした感覚は無かった。
緩やかな時間は、すでに終わったのだ。
白刃の上に裸足で立つような危うさに、心が冷える。
「覚悟を決めろ――」
迷っている暇は無かった。
ジョンは自らに言い聞かせるように呟いた。
間近に迫った死の具現でもある敵の姿を見据える。
ジョンは視線をそらさぬまま、思い切り後に飛んだ。
「ピ――――」
柔らかな弾力を背中に感じる。
――――ポチだ。
華奢な外見からは意外なほどに力強い手がジョンを支えた。
「頼んだぜ」
ジョンの言葉が聞こえたのか、後でポチが頷いたような気がした。
視線の先――黒衣の死神の姿が突然かき消えた。
ついさっきまであれほどはっきりと見えていた敵の動きが、今はまったく見えなかった。
このビューレス人が先ほどの言葉通り、腕斬りの攻撃を防ぐ事が出来れば良し。
そうでなければ、終わり。待っているのは確実な死だ。
――――だが、それがどうしたと言うのだ。
奇妙な落ち着きをジョンは感じていた。
体の力を抜き、次の行動に備える。
どのみち、この一撃を躱す方法は無いのだ。
そう――それは賭けだ。
分の悪い賭けかもしれない。
ジョンの人生において、生きるか死ぬかの選択を他人に任せた事は一度とて無いが――短い付き合いだったが、ジョンはこの異星人に信頼のようなものを感じていた。
運を天に任せると言えば聞こえは良いが、このギリギリの土壇場で開き直れるジョンの度胸も並では無い。コートにプリントされたトレードマーク。十字架と毛の生えた心臓が何よりも彼の有り様を物語っていた。
◆シャドーランド 真実の口
キュン――――
甲高い金属音と共に、まばゆい光が夜の闇を払った。
「うわっ」
慌てて部屋を飛び出した、ゴードンがまぶしさに目を細めた。
真実の口があった箱のような部屋を、突然現れた光の玉がすっぽりと覆っている。
「危ないところだったな」隣で朧が独り言のように呟いた。
と――――光の玉は現れた時と同じく、突然消えた。
昼間のような明るさから再び夜の闇へ。
静寂が支配する中、二人の目の前には信じられないような光景が広がっていた。
「むう――――」これにはさすがの朧も息を飲んだ。
「本当に危機一髪だったようだね」
ゴードンが引きつった笑いを浮かべた。
そこには何も無かった。
地面は球形にえぐれ、光の中心にあったはずの箱のような部屋はもちろん、周りの瓦礫も、光の玉の中にあった物全てが、きれいさっぱり無くなっていた。
「気がついたかい?」
振り返る事無く、ぼんやりと前を向いたままゴードンが問う。
眼鏡の奥の視線はどこか遠くを見つめ、深い物思いに沈んでいるように見える。
「――まるで熱く無かった。
あれだけの光量だったのに、まったく熱を感じなかった。
蒸発や分解なんかじゃないぞ」
「転移したのか……」
「いいや――――」朧の答えにゴードンが首を振った。
「空間丸ごと、広範囲の転移なら真空状態が起きるはずだ。
だが、空気の揺れも無かった。そよとも風が吹かなかったよ。
まるで――――ツッッ」
何かを言おうとしたゴードンが左手を押さえ顔をしかめた。
「痛いですか?」朧がゴードンの手を見ながら問う。
「痛くて痛くて……泣いちゃいそうだよ」
ゴードンは、何を今更と言う風に左手を挙げた。
手には上着が巻かれ、その上からネクタイできつく縛っている。
上着には、所々赤黒いシミがあり、溢れた血が未だ滴っていた。
「ちょっと怪我をしたが、何とか手を抜くことが出来てよかった」
ゴードンはベルトを抜き、止血がわりに腕の付け根に巻きながら言った。
「手を抜くことが出来ただと――――」
先ほどの出来事を思い出し、朧は心中で呟いた。
あの黒い箱のような部屋で、彼が見た光景はそんな簡単な言葉で片付けられるようなものではなかった。
猫の姿をした存在と、ナイツの間で交わされた話――契約の内容ももちろん興味深いものではあったが、なによりも、この冷酷非情にして、鋼の自制心を持つエージェントを驚かせたのは、その後のゴードンの行動だった。
全ての手続きを終えると黒猫は、突然姿を消した。
そして、リアルな猫の代わりにそこに現れたのは、無機質なタイマーの数字だった。
アラートも音声による警告もなかったが、刻一刻と減っていく残りの時間を見た瞬間、自らの頭の中に響きわたる警鐘を、歴戦のエージェントは確かに聞いた。
弾かれたように部屋の入口を目指す。
――――一瞬、ミツルギの統括専務へと目を向けた。
それは、助けようと思った訳でも忠誠心からの行動でも無い。
ただの現状の確認に過ぎない。
なにより、真実の口にとらわれている彼を無事助け出すには、時間が足りなかった。
朧は無意識に、これまで何度となく見てきた死を前にした者たちが見せる姿を想像していた。うろたえ、抗い、しかしそれが逃れ得ぬ運命であると確信し、絶望する姿を――――
ゴードンはじっと、自らの手を見ていた。
何度か引っ張り、未だ抜けない事を確認しているようにも見えた。
――――?
朧は微かな違和感を覚え、立ち止まった。
呆然としているようにも見えた、ゴードンの目。眼鏡の奥の瞳に理性の光を見たからだ。
ゴードンは左手首に右手を添え、力を込めた。
何か策でもあるのかと、そう思った次の瞬間。
ゴキリ――――
鈍い音が響いた。
ゴリッ――ゴリッ――――
生理的に怖気を催すような音は、ゴードンの手から聞こえてくる。
ボタボタ――――
噴き出した鮮血が床を濡らした。
「な――――んだと」
我知らず、朧は呟いていた。
迫る危機も、減っていくタイマーの数字もまはや目に入ってはいない。
食い入るように、その正体を見定めようとするかのように、目の前の男の姿を凝視していた。
自ら関節を外して、手錠から手を抜く事が出来る者もいるが、ゴードンがしている事はもっと単純な事だった。
技術でも策でも無い。
ただ単純に――――力任せに手を引き抜いているだけだ。
これが死の恐怖に負け、理性を失い、自棄になった末の行動であるなら納得も出来ただろう。
――――だが、これは違う。
目の前の男の瞳には、狂気の色は微塵もない。
理性的に、もっとも最善の方法を行っているだけだ。
――――ありえない。
目に映る光景が一瞬、理解出来ない。
それは、朧にとって初めての経験だった。
その行動に、何か合理的な意味を求めてしまう。
無理もない、なんと言っても相手はミツルギの統括専務なのだ。
ゴキンッ――――
朧の物思いを否定するように、ひときわ大きい音が響いた。
肉を裂き、骨を砕き、無残な姿となった左手が抜けた。
ゴードンは、上着を脱ぐと痛みに顔をしかめながら、左手に巻き付けた。
ネクタイを抜き、きつくしばる。
「行こう」
そう声をかけると、呆然と立ち尽くす朧に背を向けて、部屋を出て行った。
その後姿を追いながら、朧は自らの内にわき起こる衝動を感じていた。
原初に根ざす、本能ともいえる激しい衝動。
それは、殺意だった。
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