第12話 加速する世界 Blood Moon

◆シャドーランド


「失敗したら許さないからな――」

 兄貴の仇を――ビル・ランスキーとの誓いがあった。

 

「私は轟を殺さなければならない」

 ――――笑顔を見たいと思った女の決意があった。


 様々な思いを胸に、ジョンは黒衣の死神と対峙した。

 

 もはや、腕斬りとの戦いは避けられないだろう。

 だが、自身にとっての決着とはなんだと、ジョンは改めて自らに問うた。

 

 妻ルシィの仇討ちと言うのなら、5年前に首狩りを倒した時に終わっている。

 ジョンにとって、腕斬りとの対決の本当の意味は、そこに至る道程にある。

 宿敵を追う事で見えてくるルシィの死の真相にあった。

 

 だが、こうして腕斬りと相対してもいまだ底は見えぬ。

 底なしの深淵のように、何かがあるという不吉な予感があるだけだ。

 

 ならば、まだここで死ぬわけにはいかないとジョンは思った。

 

 実を言えば、心のどこかで腕斬りと戦って死んでも構わないと思う気持ちがあった。

 それは、ルシィをうしなってから常にジョンの心の奥深くに刺さったとげのようなものだ。

 ――――だがまだだ。

 ジョンは、死神の手を振り払うように、まだその時ではないと、自らを奮い立たせた。

 

 

◆◆◆



 ドッドッドッドッ――――


 鼓動がうるさいほどに早鐘を打っている。

 ジョンのスイッチはすでに入っていた。

 

 ずば抜けた格闘センスが、腕斬りと対峙した瞬間に迎撃態勢を整えているのだ。

 それでも、時間の流れが遅くなる――そう感じるというジョンの希有な才能をもってしても、腕斬りの動きを捉えられるかは疑問だった。

 

 事実、昨日の朝のゴードン襲撃時においては、ジョンはほとんどその攻撃に反応出来なかった。

 だが、これで二度目。

 5年前の事件を入れれば三度目の対決となる。

 

 皮肉な事に、五年前の事は何度も思いだし、今でも鮮明にイメージ出来る。

 斬られた左腕の痛みさえ感じられた。

 それこそ夢に見る程に――――

 

 今度こそは、という希望と――――

 届かないのでは、という恐怖――――

 ジョンは自分が今、生と死の境界に立っていると感じていた。

 それはナイフのように薄く鋭利なエッジの上だ。

 

「さあ、踊ろうぜ!」


 ジョンの言葉に応えるように、腕斬りが一歩を踏み出す。

 ジョンもまた、ゆっくりと近づいて行った。

 両者はまるで、親しい友人に挨拶でもするように、軽い足取りで距離を詰めて行く。

 

「ポチ、ピートを頼む」

 腕斬りを見据えたまま、ジョンが声をかけた。

 ついて来ようとしていたポチが頬を膨らませ、渋々下がった。


 ケイはジョンから少し離れ、両者の動きが良く見える位置につけた。

 そこは、ジョンが影になり腕斬りからは死角になる場所でもある。


 二人は残り数メートルのところで立ち止まった。

 腕斬りは黒刀を下げたまま変わらず。ジョンはやや前傾の猫足立ちだ。

 

「俺もそろそろ自分が不死身じゃないって事を自覚すべきなんだが――――」

 そう言ってジョンは、ニヤリと笑った。

 

「――――もう一度だけ試してみる事にするぜ」


 その言葉を合図に、死闘が幕を開けた。

 

 

◆◆◆



「これはまた……悪趣味ですね」


 SPの男は、巨大な石の彫刻を目の前にして苦笑した。

 ――――そう、石の彫刻だ。

 

 ようやくたどり着いた黒い箱のような部屋にあったのは、壁一面の巨大な石の彫刻だった。円形の中に髭をたくわえた老人の顔が彫刻されている。

 そして、老人の口はわずかに開いていた。

 伝説によるとこの老人は海神で、偽りの心を持つ者が手を入れると、噛み切られるか、抜けなくなると言う。

 

「真実の口ですか……博士もなかなか意地悪な事をする」

 男は、星暦においてもなお世界的に有名な地球の彫刻、真実の口を前に腕組をした。

 

「さて――――」

 男は改めて部屋の中を見回した。

 良く見れば、部屋は外から見た時よりも狭くなっている。それはつまり、この真実の口の向こうに何かが存在すると言う事だった。

 

「ミツルギの統括専務に真実の口へ手を入れさせるとはね。

 もしかして、片腕をおいて行けと言ってるのかな?」

 そう言って男――ゴードン・マクマソン・ミツルギはサングラスを取った。

 

 その時――――「ククク」

 他には誰もいないはずの室内で、男の含み笑いが聞こえた。

 

「そこの君も、そろそろ出てきたらどうですか?」

 ゴードンが見えざる相手に声をかけた。

 

「失礼――――」男が答えた。

 同時に、部屋の入口の風景が歪むと、何も無い空間に突然男の姿が現れた。

 グレーのスーツを着た目つきの鋭い男だ。

 

「ちょうどタバコが吸いたいと思っていたところなんです。

 この部屋は禁煙ですか? 専務」

 男は上着からアメリカンスピリッツを取り出すと指で叩いた。

 

「軍諜報部のおぼろ十郎じゅうろう――やはり、君だったか。

 わざわざ影の国まで付いて来るなんて、ご苦労な事だね。

 ――ところで、うちの製品に光学迷彩付きのスーツは無かったと思うけど……どんな仕掛けなんだい?」

 

「ただの手品ですよ。タネは明かせませんがね。

 専務こそ、わざわざ影武者まで仕立ててこんなところまでやって来るなんて」

 男――朧はそう言ってタバコに火を点けた。

 

「影武者? ああ……彼か!

 まったく、彼は良い仕事をしてくれたよ。

 次もまたお願いしたいところだが、そうはいかなくなってしまったようだね」

 ゴードンは、今初めて影武者の存在に気付いたとでも言うように、手を叩いた。

 

「それにしても、車から出て、彼と服を交換している時に腕斬りに襲われなくて、本当に良かった。あの時、襲われていたらそれこそ一網打尽だ」

 他人事のようにゴードンは笑った。

 

「そんな事より専務――――それはどうするんです?」

 朧が真実の口をタバコで指した。

 

「そりゃあ君、ここまで来たんだ。

 やらないわけにはいくまい?」

 肩をすくめてゴードンが答える。

「ほほお」その様子を朧が愉快そうに見つめた。


 まったく躊躇いもせず、ゴードンは真実の口に手を入れた。

 手探りで口の奥にあるスイッチを見つけて押す。

 カチリという音と共に真実の口の上半分が左右に割れ、巨大なモニターが現れた。

 ブーンという機械の作動音が狭い室内に響いた。

 

「――――ん?」

 モニターを見たゴードンが左手を抜こうとして顔をしかめた。

 

「どうしました?」

「どうも……抜けなくなってしまったようだ」

 そう言ってゴードンは、困ったように頬を掻いた。

 

 

◆◆◆



「いいか、ジョン。ごうの動きを目で追ってはダメだ」

 影の国への道すがら、ケイはジョンに言った。

「技のを感じるんだ。動きが始まるその一点に集中しろ。

 そうすれば、おまえのセンスなら何とか攻撃を躱すぐらいは出来るだろう」

 そしてその後「それでも腕か足の一本くらいは、取られるかもしれんがな」と言って笑った。

 

 間合いに入った瞬間――ジョンは首筋にヒヤリとした悪寒を感じた。

 考えるより早く、体が反応し、上体を反らす。

 

 ヒュン――――


 眼前すれすれのところを何かが通り過ぎた。

 続いて足――――首――――胴――――

 感じるままにジョンは体を動かした。

 

 ヒュヒュン――――

 

 腕斬りの連斬が、全てギリギリのところで空を切る。

 極限の集中状態――考えず、危機を察して体の動くままに、ジョンは神業の回避を実践してみせた。

 

「上出来だ――――」

 更に追い打ちを加えようとする腕斬りにケイが斬りかかった。

 

 ギギッ――――ン

 

 黒い短刀と魔刀が火花を散らす。

 体が密着する程の間合いで、目まぐるしく体を入れ替えながら、ケイと腕斬りは何度も斬り結んだ。

 

 その様子を見て、ジョンが舌を巻く。

 ケイはリーチに劣る短刀で腕斬りと互角に渡り合っている。

 それどころか、実力はもしかしたらケイの方が上なのかも知れない。

 躱すのが精一杯の自分が戦うよりも、このまま攪乱に徹すれば、もしかすると腕斬りを倒せるかも知れないと、ジョンは思った。

 

 だが――――それではダメだ。

 

 甘い考えを振り払うようにジョンは頭を振った。

 ケイが腕斬りを倒す――それは、ケイが兄を殺すと言う事だ。

 それだけは、させてはならないとジョンは心に強く思った。

 

「おおおおおぉぉぉぉ――――!」

 コートから愛銃のリボルバーではなく、サブマシンガンを抜くと雄叫びと共に発射した。

 ケイと腕斬りが左右に分かれ、銃弾を避ける。

 

 ケイを庇うように、ジョンが前に出た。

「ジョン……」ケイがもの問いたげにジョンを見る。

 それには答えず、ジョンは銃口を腕斬りに向けた。

 

 

◆◆◆



 かわしし――撃つ。

 熾烈の一言に尽きる腕斬りの猛攻をジョンは、よく凌いでいた。

 腕の一本も取られる覚悟をとケイは言ったが、なんとか全身傷だらけになりながらも、致命傷は避けていた。

 だが、それでも後手後手に回るのは否めない。


 かろうじて反撃はするものの、回避に全神経を集中してやっとギリギリの状況では、決定打は期待薄きたいうすだった。

 

 こうしている間にも、体力は消耗し、集中は乱れる。

 ジョンの頼みの綱である極限の集中力が途切れた時こそ、その命運が尽きる時だ。

 

 ガシュッ――――

 

 サブマシンガンが両断され、中を舞う。

 咄嗟に手を離さなければ、腕を落とされていただろう。

 

「くそっ」ジョンは焦りを感じ、毒づいた。

 入れ替わるように、ケイが前に出る。

 返す刀で斬りつける黒刀を短刀で止めると、絶妙な角度で威力を反らした。

 ほんのわずか――――わずかに崩れた体勢を見逃さず、ケイが更に一歩踏み込む。

 刀を反らした動きを止めず、そのままコマのように回転すると稲妻の速度で刃を振り抜いた。

 

「――――っ」

 腕斬りの口から、声にならない苦悶が漏れた。

 

 オリハルコンの短刀は黒刀をもった腕斬りの腕を両断していた。

 そのまま、旋風となった短刀が腕斬りの首を狙う。

 

 ガキン――――

 

 だが腕斬りは残った右腕で飛ばされた黒刀を掴むと、ギリギリで短刀を防いだ。

 

 ボトリと両断された腕が地に落ちた。

 だが、腕からの出血は無い。

 

「そっちは、義手だったか……」

 ケイは凄惨な笑みを浮かべると間合いをとった。

 嗤うケイの目が赤く染まっている事にジョンは気付いていた。

 空港での最初の襲撃時、彼女が倒れる前もそうだった。

 

 屍血病ウイルスによる超人的な戦闘能力にも、もしかすると時間制限があるのかもしれない。

 前回のように突然気を失うのかもしれない。

 だが、そうではなく――彼女が戻ってこれない領域に行ってしまうのかもしれない。

 

 ――――理由は解らない。

 だが、ジョンにはそれが不吉な兆候であるような気がした。

 急がなければならない――ただ、そう思った。

 

「よしっ――――」

 気合いを入れるように、ジョンは頬を叩いた。

 コートのポケットに手を入れる。

 ペン型のプラスチックの容器を手に取った。

 

「ジョン! やめろ――――」

 ジョンの行動に気付いたケイが顔色を変えて叫ぶ。

 だが、ジョンはそれにはかまわず容器を首筋に当てるとスイッチを押した。

 

 

◆◆◆



「どうしても――必要だと感じた時に使って頂戴」

 昨夜、食事の後でナオミはそう言ってペン型の赤い容器をジョンに渡した。

 

「――――これは?」

「神経軸突起を伸長させる非ペプチド系の神経長剤の新薬……つまり神経細胞に作用して1秒を何百倍にも感じる事が出来る薬」

「――加速剤か!」驚き、ジョンは顔を上げた。


 加速剤とは、もちろん俗称だ。早く動けるような気がする事から加速剤と呼ばれるが、実際はナオミの説明通り、相手の動きを遅く感じているので、こちらが早くなるわけではない。

 要は、極限状態でのジョンの感覚に近い能力を得られる薬という事だ。

 

 だが、夢の薬というわけではない。

 使用には医師の検査による処方が必要だし、適量を間違えれば限界を超えた情報量に耐えられなくなって脳をやられる。

 加えて、常用性も確認されている。かなり危険な薬である事は間違いない。

 

 もちろん、ドラッグストアで誰でも買えるような代物ではない。

 粗悪な複製品は裏ルートでも取引されているが、正規品は軍以外での使用を禁止されていた。

 

 メトセラと契約しているジョンのメディカルデータは記録されているので、処方は可能だろう。だが、これは明らかに規約違反だ。

「ナオミ――――」ジョンはもの問いたげにナオミを見た。


 ナオミは黙ってジョンの視線を受け止めた。その瞳の奥に揺らめいた、迷うような光をジョンは見た気がした。

 二人は、互いの真意を問うようにしばらく見つめ合った。。

 

「……不器用なのよ」

 聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう呟くと、逃げるようにナオミはきびすを返した。



◆◆◆



「すまない――――」

 それは、誰に向けた言葉だったろうか。

 怯えているように見えた、昨夜のナオミに対してか。

 それとも、ケイに対してか。

 

 首筋に微かな痛みを感じた次の瞬間、視界が二度三度と明滅した。

 全てがスローモーションのようにゆっくり動いて見える。

 あれほど捉える事の出来なかった腕斬りの動きさえ、はっきりと見えた。

 

 急がなければ――ジョンはそう思った。

 加速剤の効果はそう長くはない。おそらく1分か2分程度だろう。

 ペン型のアンプルには二回分の薬が入っているが、続けて2回の投薬はさすがに自殺行為だ。

 

「ジョ――――――――!」

 ケイが何か叫んでいる。

 おそらくジョンの名を呼んでいるのだろうが、なんと言っているのか解らなかった。 ジョンは意を決し、コートから再びサブマシンガンを抜くと、ケイと腕斬りの間へ割り込むように飛び込んだ。

 

「くっ――――」

 意識の冴えとは裏腹に、思うように動かない体が歯がゆい。

 ジョンは腕斬りの連撃の合間を縫うように、間合いを詰めた。

 眼前をかすめる黒刃に背筋が凍る。

 強引に肩から体をぶつけ、わずかに揺らいだ腕斬りにサブマシンガンを向けた。

 

ダダダダダダ――――!


 数十発を一気に叩き込む。

 繊維が焦げる匂いが鼻をつく。

 だが、胸元に銃弾を浴びた腕斬りはわずかにのけぞったのみで、体を起こした。

 

「しつこいぜ――!」

 ジョンは繰り出された斬撃を体を低くしてかわすと、入れ替わるように腕斬りの後へ抜けた。

 

「これなら――どうだ!」

 無防備な背中に向けてトリガーを引いた。

 

 だが――――


キキキキキ――――ン――


 黒刀が信じられない速度で閃き、フルオートで発射された弾丸を弾いた。

 更に体を捻り、残りの銃弾を躱す。

 一撃目ではまったく反応出来なかったジョンの動きに、腕斬りは早くも対応していた。

 

「マジか!」

 ジョンは慌てて銃口を向けた。

 その手の中で、銃身が真っ二つに裂けた。

 

 銃を構えるジョンの動きに合わせるように、腕斬りが黒刀を振るったのだ。

 その動きを加速された意識は、はっきりと捉えている。

 だが、躱す事は出来なかった。

 

 ジョンの動きが読まれているのだ。

 

 幸いな事に、無理な体勢からの攻撃だったため、わずかに届かず、刃は銃身を両断したのみだった。

 

 だが、追い打ちをかけるべく黒い死神が迫る。

「ちぃっ――――」

 ジョンは舌打ちし、距離を取ろうとする。


「――――――――!」

 その視界が不意に赤く染まった。

 次いで重力が何倍にもなったのかと思う程の、すさまじい脱力感がジョンを襲う。


 ついに、加速剤の効果が切れたのだ。

 赤く染まった視界は、毛細血管の破裂によるものだろう。


「ぐぅっ……」

 打って変わって言う事を聞かない体をむち打ち、ジョンは死神の手から逃れようとあがいた。

 だが、間に合わない。

 僅かに残った超感覚の残滓が、腕斬りの方が早いと、冷徹な事実を告げている。

 そして、死神の鎌ならぬ、黒刀がジョンに振り下ろされようとしたその時――――


ドカッ――――


 凄まじい衝撃と共に、脇腹に激痛を感じたかと思うと、ジョンの体が真横に吹き飛んだ。

「ジョン!」

 二度三度と回転し、地面を転がったジョンにポチが慌てて駆け寄った。

 痛みに耐えて顔を上げたその先に、ジョンを庇うように再び腕斬りと対峙するケイの姿があった。

 先ほどの衝撃は、ケイが放った蹴りによるものだ。

 間に合わないと判断したケイが、走り寄る勢いそのままにジョンを蹴り飛ばしたのだ。


 結果、窮地を脱する事が出来たが、もしかすると肋骨にヒビくらい入っているかもしれない。ジョンは痛みに顔をゆがめ、苦笑した。


「言っておくが――――私は怒っているんだぞ」

 ジョンの方を見ずに、ケイは冷たい声で言った。

「あんな無茶をして……あれで轟に――魔剣使いに勝てると本当に思ったのか?

 魔剣使いは一騎当千を体現した超人だ。あんな薬一つで勝てるのなら、苦労はしない」


「解ってるさ――――」

「――――解ってない!」ジョンの言葉を打ち消すように、ケイが叫んだ。

「薬に頼って感覚を鋭くしたところで、おまえの持ち味を消すだけだ。

 それどころか、一時の有利から攻撃が単調になり、動きを読まれた。

 ――――もう少しで死ぬところだったんだぞ」

 

 言葉は叩きつけるような怒気をはらんでいた。

 氷の白面は微かに上気し、赤い瞳はまるで炎のよう。

 自らが宣した通り、ケイは怒っていた。

 彼女が怒りを――感情をこれほどまでに露わにする事は珍しい。

 ジョンたちと行動を共にするようになって、初めての事だ。

 

 ケイは怒っている、だがそれは――――

「ありがとう」ジョンは素直に感謝の言葉を口にした。

「何を言っている? 怒っている相手になぜ礼を言う」

「俺が無茶をして、どうしてアンタが怒るんだい?」

 訝しげに問うケイに、ジョンが言葉を返す。

 

「すまない。こんな言い方をするつもりはなかった。

 心配してくれてありがとう」

「――――うぬぼれるなよ」

 ケイは一瞬言葉を詰まらせ、小さく呟いた。

 

 ぐらりと――ケイの姿が一瞬揺らいだように見えた。

 常に冷徹に、観測する機器のように物事を一歩離れたところから見ていた氷の女のありようが、わずかに傾いだように、ジョンには思えた。

 

「うぬぼれついでに、もう一回だけ見栄を張らせてくれ」

 ポチの肩を借り、ジョンは立ち上がった。

 

「これが最後だ――――」

 自らに言い聞かせるように、ジョンは言葉に力を込めた。

「例えこれで命を落とすような事になったとしても、アンタは最後まで見ていてくれ。

――――頼む」

 

 

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