第11話 メメント・モリ Nightmare

◆シャドーランド


「どうする――――」


 アレクセイ・バヴロフは何度目かの問いを口にした。

 フロントガラス越しに広がる広大な廃墟群には動く者も無く、もちろん答えが返って来るはずもない。その名の如く不吉な黒い影が広がるのみだ。


 今回は場所が場所だけに、SPを同行させてゴードンが廃墟の中に消えてからもう2時間近くが経過している。

 これは、異常事態なのか、それともゴードンの言う大切な用事とやらに手間取っているのか、アレクセイは判断しかねていた。


 エンジンは停止している。気温は高く、空気はまとわりつくような嫌な湿気を含んでいたが、アレクセイは背にヒヤリとした薄寒さを感じていた。

「これは……上手くいったのか……」つい口に出し、慌てて辺りを見回した。


「――――いい話があるんです」


 ラザルという男がアレクセイを訪ねてきたのは、統括専務、来星の知らせを受けた翌日だった。

 白衣を着たその男は「内密に」と念を押すと、本社の技術者でデクスター・ルッツ部長の使いだと名乗った。


「君にとっても悪い話じゃなかろう」


 確認のために問い合わせた電話の向こうで、デクスター・ルッツ開発部長はまるで旧知の友のように親しげに言った。

 彼が語った話の内容は、確かに悪い話ではなかった。

 だが、それがの悪くない話かが重要だった。


 ルッツ部長の話の内容は、要約すればこんな感じだ。


「マクマソン専務に合わせたい人がいるので、私の指示に従って欲しい。但し、専務には内緒で。

 その人物は少々扱いが難しい人物だが、その辺りはラザル技術顧問が上手くやってくれるから安心し良い。彼はその人物の扱いには慣れている――」


 アレクセイ・バヴロフという男は、頭の悪い男ではない。そもそも、頭の悪い男がマルコポーロ支社の社長になれるはずもない。

「本社のオフィスは、そちらよりも随分過ごしやすいぞ」というルッツ部長の言葉を鵜呑みにする程おろかではないし、古参の部長と若き統括専務との因縁も十分理解していた。

 その扱いが難しい人物というのが誰なのかという事も、すぐに思い当たった。


 だが、その事を統括専務に報告する程、ミツルギという企業に忠誠を誓っていたわけではなかったし、少なからず野望を抱いてもいたのだった。


「これはチャンスかもしれない」とアレクセイは直感した。

 ミツルギ程の巨大企業ともなれば、本社でそれなりの地位につくためには、ただ待っていてもチャンスは来ない。いくらかの幸運ときっかけが必要なのだ。そして、チャンスを掴むためにはリスクを負う必要もある。


 ルッツかゴードン、どちらかに付くのではない。上手く立ち回れば、これはまたとない好機に違いないと、彼は思った。

 だから、差し伸べられたラザル技術顧問の骨張った手を握り「よろしく頼むよ」とにこやかな笑みを浮かべた。


 ――――だが

 この時彼は気づかなかった。

 人生において多くの者がそうであるように「自分だけは上手くやれる」と慢心した者が、皆等しく墓穴を掘るという事実に。

 そして、彼は知らなかったのだ。

 それに気づくのは、もはや逃れる事が出来ない程に、深く底なしの穴にはまり込んだ後だという事を。


ジャリ――――


 不意に聞こえたその音は、死のような静寂の中にあって、実際よりも大きく響いた。

 何かを引きずるような音だ。

 まるで、背中に銃口を突きつけられたように、アレクセイの体は凍り付いた。


ジャリ――――


 再び聞こえた音に、はじかれたように回りを見回した。

 ずっとハンドルを握りしめていたため、両手が強ばっている。

 じっとりと汗に濡れた体が急激に冷えたような寒気を感じた。


 マルコポーロ支社長の頭の中で、理性と本能が激しくせめぎ合っていた。

 理性は、せめてゴードン専務がどうなったかを確認すべきと告げている。

 だが、本能は激しく警鐘を鳴らし、一刻も早くこの場を離れろと騒ぎ立てていた。


 そして、ついに勝利を収めた本能に身を任せ、アクセルを力一杯踏もうとしたその時。


バシャ――――


 ――――何かがぶつかった。

 すさまじい勢いで飛んできたそれは、大量の液体をまき散らし、フロントガラスに叩きつけられた。


「あ……ああああ…………」


 ガラス越しにアレクセイを見つめるソレは、彼の良く知っている人物だった。つい先ほどまで行方を案じていた人物だ。


 ミツルギグループ統括専務、ゴードン・マクマソン・ミツルギ。


 だが、それには下半身が無い。ちょうど胸の辺りから、鋭利な刃物で斜めに切り取られたように失われている。


 血の気の失せた顔面を赤黒い液体がまだらに染め、柔らかそうな濃茶の髪はべったりと額に張り付いている。

 眼鏡は無く、いつも笑っているようだった細目は、断末魔の恐怖に見開かれ、光が失せた瞳がじっとアレクセイを見つめていた。


 彼の中で何かが弾けて消えた。


「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」


 人間の声帯というのは、これほどの音量に耐えられるのかと疑う程の大音声だった。

 せめぎあっていた理性は一瞬にして消え失せ、アレクセイ・パヴロフはただ獣のように吠えた。


 人は、どうしようもない恐怖に直面した時、とりわけそれが自らの命を脅かす存在であった時、恐怖を表すために叫ぶのではない。

 何も出来ないから叫ぶのだ。決定的な死を考えないようにするため、自らの思考を停止させるためにただ絶叫するのだ。


 アレクセイは反射的にアクセルを一杯まで踏み、ハンドルを切った。

 恐怖に背を向けるために、少しでも遠ざかるために。


「――――――――!」


 だが――――


 ガクンと車体が傾いだかと思うと、大きく横にスライドした。

 ガリガリと何かが地面をこする音がする。ハンドルが効かない。


 コントロールを失った車は、スピンし、何かにぶつかって停止した。

 フロントガラスに、ゴードンの死体はない。かわりに何かかがガラガラと当たる音がした。どうやら、廃墟の一つに突っ込んだらしい。


ギャァァァァァ――――


 アレクセイは慌てて車をバックさせようとしたが、瓦礫にはまりこんだタイヤはむなしい悲鳴を上げるのみだ。


 死ぬ――――このままでは――――


 停止させていた理性が、間近に迫った逃れられぬ運命を囁く。

 一瞬ドアに伸ばした手をひっこめて、アレクセイはバディホンを取り出した。


◆◆◆


「ゴードン専務が……殺された」


 ぜいぜいと息を切らし、恐怖に震える声でその男は言った。

 バディホン越しにもカチカチと歯が鳴る音が聞こえる。

 これがもし芝居なら、このアレクセイという男は、銀河ネットワークでオスカーを取れるだろう。


「こんなはずじゃなかった……上手く制御出来るとアイツは言ったのに……ヤツはどこに言ったんだ」

 うわごとのように男は繰り返し、神の名を呟いた。


「助けてくれ……このままでは俺も……」

 どうやら、この広い宇宙で神も手一杯だったようだ。

 男の言葉は突然途切れ、気味の悪い沈黙だけが残った。

 それが、何よりも男のたどった運命を物語っていた。

 まるで棺桶のフタを閉じるように、ジョンはそっと通話を切った。


「どうするの?」

「行こう」ピートの問いに、ジョンはそれだけ答えた。

 ヘッドライトが映し出すその向こうに、影の国シャドーランドが月明かりに浮かび上がっていた。


 車は何も無い荒れ地を抜け、廃墟群の中心へと続く広い道に入っていった。

 ところどころに残ったアスファルトの残骸が、それがかつては街のメインストリートであった事を物語っている。


 わだかまる廃墟の影が無言の圧力をもって侵入者たちを迎えた。

 得体の知れない化け物のあぎとの中に自ら入っていくような不気味さに、ピートが身を震わせる。


「噂には聞いていたけど……本当に誰もいないんだね。浮浪者や難民もいない。

 ひとっこ一人いないや」

 恐怖を紛らわそうと明るい声でピートが言った。


「死骸だな……」ケイがポツリと漏らした。

「え?」

「眠っているわけでもなく、新たに生まれ変わるわけでもない。

 ここはもう終わっている。きっちりと……どうしようもないくらい死んでいる。

 まったく……死神が隠れるのにこれ以上ピッタリの場所はないな」

 辺りに漂う濃密な死の気配を、まるで懐かしむようにケイは呟いた。


「やっぱりここに……」

「――――いるな。

 まちがいなく、ここにいるぜ」

 ピートの独白にジョンが答えた。


「綺麗な部屋があったアルよ。

 あれはそう……病院みたいな……そこにヤツがいたアル」


「ここに来た事があるのか」

「老師と来た時に見つけたアル。そして老師がアイツをやっつけた……」

 ポチの目は闇の向こうを見通しているかのように、爛々と仄赤ほのあかく輝いていた。


「ジジィ……俺に任せるなんて言ってたくせに、ヤツとやりあっていたのかよ。

 ――――でも、やっつけたって……アイツは生きてるみたいだぜ?」


「老師にこの辺りを打たれたのに、アイツはそのまま逃げていったアルよ。

 頑丈なヤツ……」

 鳩尾みぞおちを指さして、ポチは悔しそうに言った。


ごうの体は、今では大半が機械だ。おそらくそのおかげで白龍の打撃に耐えられたんだろう。

 ……その病院のような部屋はどこだ?」


「もっと奥の方……でも、老師と戦った時に崩れたからもう入れないヨ」


「そうか残念だな……何か手がかりが残っていたかもしれないのにな。

 おそらくそこで轟は、メンテナンスを受けていたに違いない」

 

「メンテナンス? ……なるほど、今回の黒幕はやっぱり星間企業の重役か。

 という事は……おぼろめ、黒幕の正体を知ってやがったな」

 ジョンが舌打ちする。

 

「考えてみれば当たり前の事だよね。腕斬りは殺し屋なんだから。

 殺し屋には依頼主がいるもんだし」

 ピートが肩をすくめた。

 

「じゃあ、腕斬りは他の会社の奴らに命令されてるアルか?」

 ジョンたちの後からヒョコと顔を出してポチが言った。


「他の会社とは限らないぜ? 多分今回の件、本当の目的はゴードンの暗殺だ。

 だったら、敵は社内の方が多いんじゃないのか?」

「そうなの? 恨みを買いそうな人には見えないけどなぁ」

 お気楽に言うピートにジョンは「会えばわかる」と苦笑した。

 

「恨みを買わずに統括専務ナイツになれる者なんていないよ。

 ――――それに、轟はおそらく暗示をかけられているんだろう」

「暗示?」ケイの言葉にピートが問いを返す。

 その時だった。

 

 車が急停止した。

「ピギュ――――」

 ジョンの背中に突っ伏して抗議の声を上げようとしたポチに、ジョンは指を一本立てた。靜かにと告げると外を指さす。

 

 車が一台、廃墟に後半分を埋めて止まっている。右の前輪が無く、車体が激しく地面を削った後が残っていた。そして、フロントガラスには何かが貫通したのか、細かいヒビが全面に走っている。

 廃棄されたスクラップでは無いのは一目瞭然だった。

 

 一同は無言で車を降りた。辺りに人影は見あたらない。

「残っていてもいいんだぜ?」

「こんなところで一人で待ってるなんてゴメンだよ」

 ジョンの言葉にピートは激しく首を振った。

 

「ミツルギの社章は無いが……おそらくあれにゴードンたちが乗っていたんだろうな」

「中で一人死んでるアルよ。あれがゴードンか?」

 夜目が利くのかポチが車を見ながら言った。

「いや……そっちは連絡して来たアレクセイとか言う男だろう」

 ケイがそう言って車とは反対側の路上を指さした。

「なんだろうあの黒い塊は……」ピートが目を細めて言った。


 無言で歩を進めるケイに続くように、一同は黒い塊へ近づいて行った。

「うへぇ――――」

 思わず、ピートが声を上げた。それは、下半身の無い男の死体だった。

 鋭利な刃物で切り取られたような断面は、まだ血に濡れており、流れ出た血が辺りを赤黒く染めている。

 

 顔をしかめてそれ以上近寄ろうとしないピートとは対象敵に、ケイは眉一つ動かさずに死体に近寄ると髪の毛を掴んで顔を上げた。

 ジョンものぞき込むように男の顔を見た。

 

 濃いブラウンの髪に端正な顔立ち、昨日会った統括専務ナイツの顔がそこにあった。

 ゴードン・マクマソン・ミツルギその人に間違いない。

 だが、ジョンは奇妙な違和感を覚えた。

 再度死体の顔を見てみたが、違和感の正体が何なのかは解らなかった。

 ケイもまた、同じ疑問を持ったのかしばらく男の顔を見つめている。

 やがて得心がいったのか「なるほど」と呟くと顔を上げた。

 

「ケイ――――」

 その呟きの意味を聞こうと、ジョンが声をかけたその時。

 

 空気が凍り付いた――――

 

 ジョンが、ケイが、ポチが――そして、殺気には鈍感なはずのピートですら凍り付いたように動きを止めた。


 なんという凶気きょうき――――

 

 叩きつけられた殺気は、まるで物理的な圧力を持っているかのように一同を縛った。


「上等だ――――」

 ジョンが不適な笑みを漏らした。

 

 それは挑戦状だった。

 宿敵に対して死神が告げているのだ。

 

 と――――



◆◆◆



 ジョンたちが影の国にやって来た丁度同じ頃。

 別の目的を持って廃墟の暗がりを行く人影があった。

 崩れて骨組みだけになった建物がほとんどだったが、中心街に近いこの辺りは比較的形が残った建築物が多い。


 瓦礫やゴミに足をとられながらも、人影は廃墟の間を縫うように奥へ奥へと進んでいく。

 

 雲の間から顔を出した月が、一瞬人影を照らした。

 黒のスーツの上下に身を包んだ黒髪の人物。男のようだ。肩幅が広く、夜だというのに大きめのサングラスをかけている。だがそれが暗視装置になっているのか、男は暗がりを迷う事なくしっかりした足取りで歩いていった。

 

 この時、既にこの世の者ではないが、アレクセイ・パヴロフが男を見たとしたら「なぜSPがここに?」と驚きの声を上げたに違いない。

 そう――この男こそゴードンと廃墟の奥に消えたはずのSPだった。

 だがなぜ、彼はこんなところに一人でいるのか?

 腕斬りの襲撃を受けて主と離れたのか、それとも見捨てて逃げて来たのか?

 

 否――男からは逃走者特有の後ろめたさや怯えは感じられない。

 慎重ではあるが、確たる意思と目的をもって何処かを目指している風に見える。

 

 と――――男がある建物の前で足を止めた。

 不思議な建築物だった。

 建物というより、それはただの黒い箱に見える。

 まるで大型のエレベーターの部屋がそこに落ちて来たような四角い建造物だ。

 

 男はわずかに傾いた箱の正面に回った。

 正面には分厚いスライド式の扉があり、横には数字が並んだパネルがあった。

 男は、パネルを調べた後、懐からナイフを取り出した。パネルの隙間にナイフを突き刺すとカバーをこじ開ける。


「あったあった……」場違いな程のんびりとした声で呟く。。

 パネルの下には、もう一つアルファベットが並んだボタンがあった。


「ええと……パスワードは……」

 男は次々とボタンを押し、パスワードを入力した。


apocalypse――――ピ


 入力を終えると、廃墟の中に放置されたとは思えない程、滑らかに扉が開いた。

 

「さて……博士はご在宅かな?」

 男が部屋の中に入ろうとしたその時――――

 

ガサリ――――

 辺りで物音がした。


ゴソ――ガサリ――――


 物音は一つではない。あちらこちらから聞こえて来る。

 

 ポツリ――ポツリと――赤い光が灯った。

 四角い部屋の上から、周囲の暗がりから無数の赤い単眼が男を見つめている。

 

「番犬がいたか……」

 慌てた様子もなく男は言った。

 

 良く見ると、赤い単眼の主は小型のドローンだ。頭部に赤い光を放つカメラと触覚のようなセンサーが付いている。

 平べったい楕円形のボディの下部から八本の昆虫のような足が出ていた。

 大きさは中型の犬程だろうか。ボディの色が濃い茶色であるためか、巨大なゴキブリに見える。

 

「生憎と殺虫剤の手持ちは無いんだが……」

 無数の殺人機械に囲まれているというのに、男はまるで世間話でもするように言った。

 

 ジリジリとドローンたちが近寄ってくる。

 背中が割れ、円筒形の装置が顔を出した。

 

「レーザーか……」男は呟くと大きく息を吸った。


「狭き門より来たれ――――」


 声を張り、宣する。

 同時に、攻撃を加えようとしていた殺人機械たちの動きが一斉に止まった。

 

 まるて元から何もいなかったかのように、ドローンたちが闇の中へと消えていく。

「やれやれ……」

 男は肩をすくめると、改めて黒い箱の中へと入っていった。



◆◆◆



 中天に輝くはメノスとマイスの双子月。

 満月を過ぎたとはいえ、真円に近い神の双眸そうぼうが見下ろす地上。

 不吉な黒い染みのように、死神はそこにった。

 

 街を両断する道の真中。

 彼我の距離数十メートルは、既に間合いの内だ。

 

 黒いロングコートに目元を覆うミラーシェイド。

 すでに抜刀した黒刀を手にしている。

 その出で立ちは以前のままながら、幽鬼のような姿は、この世の者でないような凄みを感じさせた。

 

 ビリビリと殺気が肌を刺す。

 叩きつけるような敵意を受けて、しかしジョン・スタッカーはわらっていた。


「殺し屋であるはずの腕斬りが姿をさらし、真っ向から殺意をぶつけて来ているんだ。

 ――――これが何を意味するのか解っているか?」

 横に並び、ケイが問う。

 

「やろうぜ――って言ってるんだろう?」

 こみ上げる歓喜を押さえきれないという風に、ジョンが答えた。

 

「いかれているな――――おまえも」

 呆れたようにケイが言う。だが、彼女も嗤っていた。

 

「およそまともな神経の持ち主がいられる場所じゃないよ、ここは」

 ピートが気付かれるのを恐れるように、声をひそめて言った。

 

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