第9話 トラップ×トラップ The agent

◆ブルーウェイ記念病院 駐車場前


 生き物のようにざわめく青髪のツインテール。

 整った顔立ちはまるで良くできたマネキンのよう。

 赤いアオザイに映える透けるような白い肌は、良く見れば比喩でなく、かすかに透けていた。だが、皮膚の下に見えるはずの骨や血管は無い。

 それもそのはず、人類社会になじむために人の形をしてはいるが、もともと液状生命体であるピューレス人には、決まった形も色もないのだ。


「決まったアル」

 首輪型のチョーカーに内臓されたスピーカーから、電子音声ボカロボイスが響いた。

 腰に手を当てて、仁王立ちのスライム娘はご満悦の様子だ。


 ジョンはしかめっ面でピートを見た。その目が「これはどういう事だ?」と疑問を如実に語っている。


「あ――――ジョン。これは……そのぅ、話せば長くなるんだけど」

「老師におまえを助けるように言われたアル」

 言いよどむピートに代わって、ポチがあっさりバッサリと言い放った。

「――――そんな感じです」ピートがすまなそうにうつむく。


「そういうわけだから、私が来たからにはもう安心アルよ」

「不安しかぇよ」ジョンがため息まじりに言った。


 一方、テンザンも突如現れた乱入者に戸惑っていた。

 指示を求めて田中を見る。

 田中は「好きにしろ」と言うように肩をすくめた。

 

「まずは、あの岩みたいに頑丈なヤツを何とかする方法を考えないとな」

「岩? ――――それなら、これアル」

 ポチの右手がギュルギュルとねじれたかと思うと、あっという間に鋭いドリルになった。金属の光沢も実にリアルだ。


「死んじまうだろうが、それじゃあ。……殺してどうするんだよ」

 ため息交じりにジョンが言った。

「ダメか……」腕をもとに戻して残念そうにポチが言った。

 ピューレス人は体の形や固さを自由に変えられると言うが、本当ようだ。


「しかしジョン―――」

 ポチが心底不思議そうに訪ねた。

「こう言っては何だが、あいつらはジョンが死んでもかまわないと思っているアル。

 どうしてそんな奴らの命の心配をするアル?」


 テンザンはゆっくりと二人に向き直ると手をついて“仕切り”の体勢をとった。

 どうやら、さっきのドリルは見なかった事に決めたようだ。


 油断なく、相手の様子を見ながら、ジョンは言った。

「いいか――――これは、俺の生き方の問題だ」

「生き方? ――――よくわからんアル」

 首を傾げるポチ。

「生き方というのは、己の一部だ。あいつらの為じゃ無い。そうしなければ、俺が俺でなくなるからするんだ。――――だから、俺はあいつらを殺さない」

「やっぱりよくわからんアル」

 そう言いながら、ポチは笑った。


「でもアイツはどうするアル?」

「おまえ……拳を大きく出来るか?」

 ポチの横に並んで、ジョンが囁いた。

「そりゃあ出来るけど、そんな事をしても体が小さくなって踏ん張りがきかんアルよ」

「それなら――――」ジョンの言葉にポチがなるほどと頷く。


 次の瞬間――――

「――――来るぞ」ケイが二人に警告を発した。

 テンザンは仕切りの体勢から凄まじい勢いでダッシュした。

 その巨体からは想像出来ないようなスピードでジョンめがけて突進する。


 対するジョンは避けずに腰を落として、右腕を振りかぶった。

 衝撃にそなえるためか、ポチが後ろにまわり、ジョンを支える。


「馬鹿め――――」テンザンの口があざけりに歪められた。

 テンザンのぶちかましの衝撃は2トンを越える。そんな事をしたところで止められるはずは無かった。


「死ね」頭を下げ、更にテンザンは加速した。

「――――?」

 だが、間近に迫ったジョンを見上げたテンザンは、妙な違和感を覚えた。


 ジョンの体を後ろで支えていたピューレス人の姿がない。

 彼女が着ていた赤いアオザイは、ジョンの肩にかかっているが、その姿がどこにもなかった。


「いくぜ――――」

 ジョンは、まるでピッチングフォームのように、大きく振りかぶった右手に力を込めた。


「そんな事をしても無駄だと――――」

 テンザンの言葉はそこでとぎれた。

 驚きに目を見開き、振りかぶったジョンの右拳を凝視している。


 ジョンの拳が大きくなっている――――

 見る見る内に、それは直径1m近くまで膨らんだ。


「な……なんだ、それは――――」

 危険を感じたテンザンは絶叫するが、加速した体は止まらない。


「おらぁぁぁぁ――――」

 拳の重さに顔を真っ赤にし、歯を食いしばったジョンが渾身の力を込めて右手を振り下ろした。


ゴォォォォォン――――


 体よりも大きい拳に殴られたテンザンが、凄まじい打撃音を残し、吹き飛んだ。

 巨体がゴロゴロと大地を転がり、止まっていた車のドアを二つに折って車内にめり込む。


「ストライク! ――――うおっと……」

 振り切った勢いで、転倒しながらジョンが笑う。


「見たか! これぞ必殺二人羽織ににんばおりパンチ!」

 子ども程に小さくなったポチが、ジョンの肩口から顔を出して叫んだ。


 ジョンの拳がしぼんで元の大きさになる。

 それに合わせて、ポチの体も元の姿に戻った。

「なるほど…ジョンが彼女をわけか。

 彼女一人だと、拳を大きくすれば体が小さくなって踏ん張りがきかんからな」

 ケイが感心したように頷いた。


「ちっ――――」田中の舌打ちが聞こえた。

 ――――凄まじい早業だった。

 まるで手品のように、田中の手にオートマチックが現れた。

 一息ついて油断しているジョンに、銃口を向ける。


 だが、ケイの動きは田中の抜き撃ちを凌駕していた。

 ジョンを狙って銃を向けた時には、田中の目の前にケイがいた。

 には、黒い短刀を握っていた。


「――――っ!」

 何が起きたのかも解らず、呆然とする田中。

 だが、すぐに異変に気づいた。

 銃が無い。――――否、銃だけではない、左手が手首の辺りから無くなっていた。


ボトリ――――

 不吉な音をたてて、田中の左腕が地に落ちた。

 下を向こうとしたその目の前に、ケイの短刀があった。


「これで勘弁してやる。あのデカブツを連れてさっさと立ち去れ」

 切っ先を突きつけて、ケイが冷ややかに言った。


 その光景をジョンは、不思議な思いで見ていた。

 ケイの出自を聞いた後ならば、彼女の見事な腕前も納得がいく。

 首を落とす事はしなかったが、あれは腕斬りの技だ。

 しかし、ジョンはケイの動きに、言いようのない違和感を覚えていた。

 スピード自体は、腕斬りの方が早い。だが、ケイは一見ゆっくりに見えて、ところどころがコマ落としのように早いのだ。

「なんだ? ……あれは」

 ジョンは自問するが、その答えは見つからなかった。


「ああああぁぁぁ――――私のぉぉ手がぁぁぁぁ」

 田中の絶叫が響き渡った。

 血走った目でケイを睨む。

 いつの間にか、右手に銃を握っていた。


「許さん――――」

 至近距離で、銃を撃とうとする。

 しかし――――


シュカッ――――


 ケイは空中で銃を握った手を、銃ごと短刀で貫いた。

「ひぃぃぃぃぃぃぃ――――」


 片腕を切断され、残った手を短刀で縫い止められた田中が悲鳴を上げた。

「そう嗜虐心しぎゃくしんさぶる悲鳴を上げるなよ。もっといじめたくなるじゃないか」

 その様子をうっとりと見つめながら、ケイが囁いた。

 ゾクリと――――ジョンの背に冷たいものが走った。


「ケイ!」心の中に芽生えた不安を振り払うように、ジョンはケイの名を呼んだ。

 短刀を引き抜き、田中に背を向ける。

 完全に戦意を喪失した田中は、手を押さえてその場に蹲った。

「さっさと立ち去れ――――もう二度は言わんぞ?」

 ケイは背中越しにそう言い残すと、ジョンたちの方へ歩いて来た。


「音が――――」

 その様子を見ていたポチがポツリと呟いた。

「なんだ?」

「風を切る音が……しなかったアル」

 何かを思い出すように、ポチが繰り返す。


「………」

「なぁ、ポチ……」

「なにアル? 何度も言うようだが、私の名前はポチでは無いアル」

 うるさそうに答えるポチ。

「それは良いんだが――――」

「だから何――――わぷっ!」

 振り返ったポチにジョンがアオザイを投げつけた。

「真っ裸でなにを考え込んでやがるんだ! さっさと服を着ろ!」

 ジョンとの合体技(?)で液体化したため、脱げた服を指さしてジョンが怒鳴った。


「真っ裸なんて関係無いアル。そもそも、ピューレス人は服なんて着ないアルよ」

 なおも抗議するポチにジョンが噛みつく。

「TPOをわきまえろと言ってるんだ! この――――痴女!」

「せっかく助けてやったと言うのに、痴女とはなにアル――――」


「やれやれ……なにやってるんだか」

 二人の様子を眺めながら、ピートは嘆息した。

「……ん?」不意に何かに気づいたのか、道の向こうを見た。

 苦笑いを浮かべていたピートの顔から笑みが消えた。


「――――おい! ジョン!」異変に気づいたケイがジョンに声をかけるが、遅かった。

 ピートの乗ったバンの行く手を塞ぐように、駐車場から一台のセダンが飛び出して来た。


「ちっ――――覆面か」

 毒づいたジョンの耳に、徐々に大きくなってくるサイレンの音が聞こえた。



◆クイーンズランドシティ警察署


 警察というのは、どこも同じだとジョン・スタッカーは思った。

 殺風景な、無駄の無い部屋にかび臭いほこりっぽい空気。

 それがたとえ、辺境の小さな分署であろうと。

 連合の主星であろうと何も変わりはない。


 書き割りのようなわざとらしい風景の向こうに、内輪のごたごたをひた隠し、いかにも理路整然と何もかもお見通しだという風に振る舞う警官たち。

 もっとも、そんなものは二つ以上目がついていて、赤ん坊と年寄りの見分けがつく者なら誰でも見抜ける程度の三文芝居にすぎない。


「さて、もう一度最初から聞かせてもらおうか」


 縦長のボイスレコーダーを机の上に置き、椅子にもたれ掛かった部長刑事が不機嫌そうに言った。筋肉質ではあるが、年配の男にありがちな贅肉が腰回りでブルンと揺れた。

 そもそも、取り調べを行う相手の目の前に、これから録音するぞと言わんばかりにこんな物を置く必要はないんじゃないかとジョンは思った。今時こんな古くさい骨董品を使わなくても、もっと小型で高性能な録音機器なぞ、いくらでもあるはずだ。


 部屋の角では、小さな机に窮屈そうに腰掛けたアルマジロのような異星人がこちらを見ている。頭から背中にかけて鱗があり、腕は左右に3本ずつ、計6本。一番上の腕は太く手の甲にも甲羅があった。殴られたらかなり痛そうだが、細かな作業は苦手なのか、二本目の子どものような腕でノート型の端末を抱えている。


「グレリー、ちゃんと記録をとれよ。一言一句もらさず記録するんだ」

 部長刑事が、異星人の刑事に怒鳴った。グレリーと呼ばれたアルマジロ型の異星人は、見かけの割に気が弱いのか、一瞬おびえたように肩をふるわせると、小さな声で「解った」と呟いた。


「こんな芝居に付き合ってる暇はないんだがなぁ……」

 にらみ付けてくる警官を無視して、ジョンは独りごちた。


 あの時、駐車場に現れたパトカーは覆面を入れて全部で3台。

 無理に逃げようと思えば、逃げられない数では無かったが、ジョンはあえて抵抗はしなかった。

 ジョンたちに特別後ろめたいところは無かったし、どちらかと言えば被害者と言える立場でもあった。警察に騒がれてまずいのは、田中たちの方だろう。

 それに、ジョンとしては、はなはだ不本意ではあったが、ミツルギのゴードン専務という切り札もある。

 大事になることはないだろうと高をくくっていたジョンたちだったが、なぜかピートは青ざめていた。ジョンよりも警官のあしらいには慣れている彼らしくない反応だった。


「放しやがれ!」

 その理由はすぐに解った。

 ピートが運転していたバンの後部座席から、誰かが警官ともみ合う声が聞こえた。

 聞き覚えのある声だった。ジョンとケイが驚いたように顔を見合わせる。

「マジか……」思わずジョンが天を仰いだ。


「ジョン、ごめん……あのまま一人で置いておくわけには、いかなかったんだよ」

 ピートがすまなそうに頭を下げる。


 ジョンはしかめっ面のまま、止めようとする警官の手を払って、バンに近づいて行った。いろいろ言いたい事はあるが、今は声の主をなんとかするのが先決だ。


 車の中をのぞき込むと、警官ともみ合っていたビルが笑顔を見せた。

「ジョン! 助けに来てくれたのか。早くコイツらを……」

 最後まで言い終わらない内に、ジョンは力一杯ビルをぶん殴った。


「何をするんだ――――」

 驚きと、そして裏切られたという怒りの炎が、ビルの瞳に灯った。

 ジョンは何も言わず、顔を近づけてその瞳を見つめた。

 一触即発――――まわりの警官もどうして良いか解らず、動きを止めて成り行きを見守った。

「落ち着け……」

 ジョンの手がゆっくりと持ち上がり、ビルの肩に置かれた。

「――――俺に任せてくれ。必ず兄貴の仇をとってやる」

 低く、まるで己自身に言い聞かせるようにジョンは言った。


 周囲が固唾を飲んで見守る中、ビルの体から緊張がとけていくのが目に見えて解った。

「解った――――但し、失敗したら許さないからな」

 ビルは笑って拳を差し出した。

 その目に涙がたまっているのが、ジョンには見えた。

 悔しいのだ――それはそうだろう。

 本当なら、ここで大暴れしたい程悔しいに違いない。


「任せろ」

 ジョンが答えるように拳を合わせた。

 まるで、ビルの想いを受け取るように、合わせた拳で胸を叩いた。


◆◆◆


「どうして、ビル・ランスキーがおたくの車に乗っていたんだ」

 ホワイトと名乗った部長刑事は言った。

 質問しているように聞こえるが、答えはどうでも良さそうだった。

 それよりもジョンを叩きのめして、ムショに放り込みたい、そういう顔をしていた。


「俺は、メトセラから依頼を受けてビル・ランスキーを捕まえただけだ。――――どこかの誰かさんが下手をうったせいで、二度も捕まえるはめになったが」

 ジョンは挑むようにホワイトの顔を見た。


「宇宙で二番目のBHだか、首輪付き(スポンサー付き)なんだか知らんが、そんなものはここでは何の役にもたたんぞ」

 そう言ってホワイトは熱心に記録をとっている異星人の刑事を指さした。

「あいつのあの拳骨を見ろよ、カウボーイ。

 あれは、鉄よりも固いぜ。おまえの石頭とどっちが上か試してみるか?」残酷な笑みを口もとに張り付けて、部長刑事は言った。


「生憎と……殴り合いはお腹一杯なんだ。おかわりはいらないな」

 ジョンは心底うんざりだと言うように肩をすくめた。

「それよりも、俺たちはあまり長居をする訳にはいかないんだ、ミツルギのゴードン専務から護衛を仰せつかっているもんでね」

 ゴードンにあまり借りは作りたくないが、仕方がない。

 ジョンは内心嘆息した。


 ところが、部長刑事はひるむどころか、待ってましたと言わんばかりに笑みさえ浮かべた。

「ミツルギの名を出せば、警察が黙ると思っているようだが、生憎だったな。ゴードン専務とやらから、おまえたちに伝言を預かっているんだ」

 これはさすがに意外だった。ジョンが驚いたようにホワイトの顔を見返した。


「しばらく留守にするから、待機しておくように、との事だ。

 ――――良かったな、まだまだゆっくりしていられるぜ」

 楽しげにホワイトは言った。

 ジョンが黙り込んだのを落胆と見て取ったのか、ホワイトが勝ち誇ったように笑んだ。

「疑うなら、連絡して確認してもいいぞ。特別に許可しよう」

 その必要はないとジョンは思った。いくらホワイトが、頭のかわりにビーチボールを乗せていてもかわりがないノータリンだろうと、ミツルギの統括専務相手に下手をうつ程愚かではないはずだ。

 この手の男は、損得勘定には敏感なのだ。


 だとすれば、ゴードンはどこに行ったのだろう。ジョンは首を捻った。

 腕斬りに狙われている身としては、迂闊にも程がある。

 ともあれ、今それを確認する手だてはない。


「あの人類史調査委員会とやらの連中は、どうしたんだ。あいつらも逮捕したんだろう?」

 ジョンの問いに、ホワイトの顔から勝ち誇った笑みが一瞬で消えた。


「あいつらは……帰った。お迎えが来たからな」

 喉の奥から絞り出すように、それだけ言った。

 怒りを必死に堪えているのが、見て取れた。


「その怒りの矛先をこっちに向けるなよ。大人げないぜ」

「貴様――――」その一言が余計だった。

 堪えていた怒りの炎に油を注ぐようなものだった。そんな事はジョンにも解っていたが、それをあえて言ってしまうのがジョン・スタッカーという男だったのだ。


 ホワイトは身を乗り出すと、巨漢に似合わない素早い動作で右の拳を振った。ごつい拳骨が絶妙な角度でジョンのアゴにヒットした。

 腕力にものを言わせた手打ちだったが、破壊力は相当なものだ。


 だが、ジョンはわずかに身を反らせただけでその一撃に耐えた。

「夕べのサイ男に比べたら、撫でた程度だな」

 顔色ひとつ変えず、ジョンは部長刑事を睨みつけた。

「な――――」

 ジョンの迫力に気圧され、ホワイトは言葉を詰まらせた。


「おまえは下手をうったぜ。臭い息を俺に吐いて、くだらない御託を並べてるだけなら良かった。だが、もうこれで俺は何もお前に言うつもりはない。今日の天気を聞かれても教えるつもりはない。――――ましてや、ダチの事をおまえになんか、一言だって言うつもりはないね」


「ダチだと――――ビル・ランスキーの事か」

 ジョンの剣幕に怯んだホワイトだったが、その一言にすがるように声を上げた。


「語るに落ちるとはこの事だな――――おい! グレリー」

 ホワイトは助けを求めるように異星人の刑事に声をかけた。

「――――はい?」端末をじっと見つめていたグレリーがのろのろと顔を上げた。


「こいつに、警察を馬鹿にすればどういう事になるか教えてやれ」

 上司の言葉の意味が解らないという風に、グレリーは首を傾げた。

「こいつに一発食らわせてやれと言っているんだ!」

 ホワイトが怒鳴る。

「いや……しかし……」戸惑い、言いよどむ。

 つぶらな黒い瞳がジョンを見た。

「やれよ――――」

 ジョンは同情を込めた目でその瞳を見返した。


「タフガイぶっていられるのも今の内だぞ。おまえはあの委員会の連中とやり合っていたらしいな。その時、ちょいと派手な怪我をしていたと言えば筋は通る。どうせやつらはお前を殺すつもりだったんだから……それに比べればなんという事は……」


 その時、不意に内線の呼び出し音が鳴った。

 グレリーが助かったと安堵の吐息をもらし、受話器を手に取った。

「……はい……はい、いらっしゃいます。――――ホワイト部長、ポラーノ署長からです」

「署長が何のようだ―――ゴルフに行ったんじゃなかったのか」

 ホワイトは、不機嫌そうにグレリーの手から受話器をひったくり、耳に当てた。


「はい、ホワイトです。ええ……います。黙りを決め込んでいますが、時間の問題です。かならず聞き出して見せますよ……え? そんな……ええ……それは、はい……はい、わかりました」

 ホワイトは受話器を下ろすとしばらくそのまま動かなかった。

 肩が小刻みに震えていた。頬の筋肉が痙攣し、耐えがたい怒りに震えているのが解った。


「――――連れて行け」

「はい?」自分に言われた事が解らずグレリーは聞き返した。

「そいつをさっさと連れて行けと言うんだ!

 ――――釈放だ」

 怒りに任せて、ホワイトは叫んだ。


「はい!」

 グレリーは、慌ててジョンに手を貸し、立たせた。

 部屋から出る瞬間、彼は小さな声で「すまなかったな」と言うと頭を下げた。


◆◆◆


 ホワイト部長刑事が――署長がなぜジョンの釈放を命じたのか。

 その理由は取調室を出た途端にわかった。


「災難だったな」

 その男はそう言って片手を上げた。

 細身の体にグレーのスーツ。白いものが混じった髪をオールバックにまとめ、後ろでくくっている。

 無精髭の浮いた細いアゴに鋭い目つき。精悍な顔つきは猛禽をイメージさせた。

 一部の隙もない、まるで抜き身のナイフのような男だった。

 男の名はおぼろ 十郎じゅうろう。宇宙軍諜報部に所属しているエージェントだ。


「おまえの仕業だったのか……朧。なぜ軍の諜報部がこんなところにいるんだ」

「朧だろう? 年長者を敬えよ、カウボーイ」

 そう言って朧は薄く笑んだ。


 この油断のならない男を、ジョンはよく知っていた。

 忘れようにも忘れられない顔だった。

 過去にジョンが請け負った仕事で、何度となく顔を合わせた事があったのだ。

 この男に殺されそうになった事もあったはずだ。


 しかし、朧はそんな過去のいざこざなぞ気にもとめていないのか、ゆっくり近づいて来ると、懐からタバコを差し出した。アメリカンスピリッツだった。


 ジョンは軽く嘆息すると、一本つまんで口にくわえた。

 キンという音をたてて、朧がジッポを擦った。


 ゆっくりと紫煙を吸い込み、吐く。

 ジョンがいつも吸っている“新星”では無かったが、久しぶりのタバコは上手かった。そういえば、今日は朝から一本も吸っていない。

 ホワイトに殴られた傷が痛み、ジョンは顔をしかめた。


「おまえも相変わらず世渡りが下手だな」

 その様子を眺め、朧が喉の奥でクツクツと笑った。


「余計なお世話だ。そんな事より、俺の質問に答えていないぜ、

「質問?」わざとらしく、朧は聞き返した。

「どうして、俺を助けたんだ?」

「別に助けたわけじゃない」

 ジョンの問いに、朧は何だそんな事かと頭を振った。

「俺はただ、マルコポーロの警察がこれ以上人手不足にならないように気を利かせてやっただけだ。―――ちょうど頃合いだったからな。

 18番でパーパットを打とうとしていた署長に電話をかけて、おたくの部下がハンカチみたいに綺麗に折り畳まれない内に、ヤツを放してやってはくれないかと言っただけさ」


「折り畳まれそうになったのは、どっちかと言えば俺の方だぜ」

 ジョンは苦笑した。

「そうだったのか。それならもう少し待てば良かったな」

 朧はタバコを口にくわえ、火を点けた。


「それにしても……らしくないな。どうしてそう世話を――――待てよ?」何かに思い当たったのか、ジョンが朧の顔をのぞき込むようにして言った。

、だと言ったな?

 ――――そうか、そう言う事か。妙にタイミングが良すぎると思ったぜ」

「なんの事だ?」朧は紫煙を吐いた。


「人類史調査委員会とかいう連中の目を引きつけるために、俺たちを囮に使ったな。

 それに――――警察に通報して俺たちを逮捕させたのもあんたの仕業だろう。

 俺たちを足止めするためだろうが……何が目的だ?」


 詰め寄るジョンを涼しい目で見返して朧は言った。

「落ち着けよ、カウボーイ。

 いいか? 今はまだ幕間なんだ。おまえの出番はこれからだ。

 おそらく、明日の明け方にはゴードンから連絡があるはずだ。

 それまでは、ゆっくりと休んでおけ」


「あんたは、何を知っている?」

「何も――――俺は統括専務が書いた台本にキャスティングされていない。

 ただの黒子くろこだ。黒子くろこ黒子くろこの仕事に徹するとしよう」

 備え付けの灰皿に、吸いかけのタバコを押しつけると、朧は背を向けた。

 その背に、更に問いを重ねようとしてジョンは口をつぐんだ。

 そこに強い拒絶を感じたからだ。

 それに、朧が敵か味方かも定かではない。


「俺も俺の仕事をするか」

 ビル・ランスキーの悔し涙を思い出し、ジョンはそう呟いた。



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