第8話 復讐者たち Avengers

◆ブルーウェイ記念病院


 ベッドに横たわるケイの横顔をジョンは見つめていた。

 性格がまるで違うせいか意識する事は少なくなったが、そのおもてに、やはりルシィの面影を重ねてしまう。ルシィではない―――だが、ルシィと同じ顔をしたこの女とのやりとりを、どこか楽しんでいる自分がいた。


「未練だな……」

 疲れたように、ジョンは呟いた。

 不意に、血の気が失せたその顔とルシィの死顔が重なり、ジョンは逃げるように目を反らした。


 腕斬りの襲撃の後、倒れたケイを連れて、最寄りの病院までやって来た。

 ゴードンが気を利かせたのか、ケイを見た女医は病状を親切に説明してくれた。

 どうやら、ジョンの事を夫だと思っているらしい。


屍血病しけつびょうです」と女医は簡潔に言った。

「極めて珍しい病気です。私も症例を実際に見たのは初めてですが」

 いやに熱っぽい目で、ベッドのケイを見ながら女医は呟いた。ここに誰もいなければ、ケイを自分の研究室に連れて行きかねない、そんな目だ。


 屍血病は、星暦せいれき(AS)になってから発見された奇病だ。

 ウィルスが直接動物の血液に入る事により、変化し、発症する。

 血液を通して感染者に劇的な変化をもたらすのが特徴だ。


 通常の疾患しっかんの多くが何らかの不調を引き起こすのに対して、この病気は身体能力、反射、治癒力の向上をもたらす。一部ではあるか若返ったという記録すらある。この病気が別名「ギフト病」と呼ばれる所以ゆえんだ。過去に屍血病の感染者がある競技大会において新記録を出して優勝した事から、話題になった事もあった。


 これだけ聞くと、病気とは名ばかりで良い事だらけに聞こえるが、世の中甘くはない。

 屍血病のウィルスは血管を通して脳を徐々に破壊していく。

 自我を失い、生きるしかばねのようになり、最後には死に至る。感染してから早くて2日、遅くとも1週間以内に症状が現れる。それから死亡までの期間は半年から1年。その内、自我を保っていられる期間はその半分にも満たない。ちょっとした超人気分が味わえるとはいえ、短すぎる春だ。


 症例が極めて少ない事もあり、今のところこれと言った治療法も無く、ウィルスによる病気だという以外には何も解っていない。

 恐ろしい病気には違いない。だがその感染経路ははっきりしているので防ぐのは比較的容易だった。


 それは―――


「奥さんに噛まれてはいませんか?」

 努めて冷静に、女医は言った。


「屍血病は感染者の体液が直接血管に入る事により、感染します。

 ここしばらくの間に、奥さんに噛まれたり、引っ掻かれたりした事はありませんか?」


 彼女は何かを問うように、ジョンの顔を見つめた。

 言われて初めて、ジョンは自分の顔の事を思い出した。ハイジの店で塗ってもらった薬のおかげで、腫れはほとんどひいているとは言え、ブレッチとの殴り合いアフターバーナーのせいで顔は傷だらけだ。

 ジョンはケイから視線を女医に移し、にっこりと笑った。


「無いな―――そういうプレイはしないんだ。

 その事について、詳しく説明する必要はあるかな?」


 無表情な女医の面に、さっと朱が指した。

「いえ―――そ……その必要はありません」

 それだけ言うと、女医は逃げるように病室を出て行った。


初心うぶな女をからかうなんて、悪趣味だな」


 振り返ると、ベッドから半身を起こし、ケイがこちらを見ていた。


「おまえを―――」

 ケイを見る女医の目が――モルモットを見るような目が気に入らなかったと、そう言いかけてジョンは続く言葉を胸中に飲んだ。


「―――体は大丈夫なのか?」

 気恥ずかしさに、話をそらす。


「大丈夫だ」

 そう言ってケイは笑った。

 いつもの冷たい笑みではない。それは気を許した者に見せるような温かい笑みだった。

 不意をうたれ、ジョンは鼓動が早くなるのを感じた。

「大丈夫―――なわけないだろう?」


「大丈夫なんだ」

 ジョンの言葉を遮るように、ケイは繰り返した。


「ジョン……もっとこっちへ来い」手招きする。

「なに?」

、こっちへ来いと言っているんだ」

 チラとドアを見て、ケイは言った。


「………」

 ケイの意図を察したジョンが椅子を寄せて、隣に座った。


「察しが良くて助かる。

 ……そんなにかたくなるな、いきなり襲いかかったりしないから」

 ケイはクスクス笑いながら言った。

「ちゃかすなよ」ジョンがケイを睨む。


「医者から屍血病の事を聞いたようだが、私のこれは、生まれつきだ」

 ケイの言葉にジョンは、耳を疑った。

「なんだって?」

「私は―――私たちの一族は生まれつき屍血病のウイルスを持っているんだ」

 真剣な表情でケイは言った。そこにはジョンに対する気遣いさえ感じられた。


「そんな事があるのか?」

 ジョンの問いにケイは頭を振った。

「私たちの他には無いな―――私の知る限りでは」


 あっけにとられたジョンを見て、ケイは困ったような顔をした。

「おかしなヤツだな。……どうしておまえがそんな辛そうな顔をするんだ」

 言われて、ジョンは言葉に詰まった。“どうして?”そんなの、決まっている。


「不治の病におかされた妻を心配するのは、当たり前だろう?」

 照れたように笑うジョンを、今度はケイが驚いた顔で見た。


「本当におもしろい男だな、おまえは。

 あのゴードンが気に入るのも頷けるというものだ。

 ―――ともかく、この病院を早めに出た方が良い」


 ジョンは黙って頷いた。

 屍血病ほど珍しい病気の患者なら、医者たちにとって宝に等しい生きたサンプルだろう。

 更にそれが生まれつきの保菌者で、脳を破壊される事なく生きているのだ。

 もし、医者たちが…いや、他の誰かがそれを知ったら、隅々まで調べようとするだろう。――――どんな事をしてでも。


 しかし、それなら―――

「ゴードンはその事を知っているのか?」

 あの男がこんな美味しい話を見逃すはずがないと、ジョンは疑問を口にした。


「知っている。だがこの事については、たまに血液検査をするくらいで、それ以上何か言われたり、されたりした事はない。―――少なくとも私が生きている限りはないはずだ」そう言ってケイは肩をすくめた。


「そんな馬鹿な―――」

「それについては、確信がある。ゴードンは私たちに手を出さない。

 なぜなら、星間企業は魔剣使いに干渉しないという不文律があるからだ」


「な――――」今度こそ、ジョンは言葉を失った。

「今――――なんて言った?」

 喉の奥から絞り出すように、ようやくそれだけ言った。

「私は―――魔剣使い、腕斬りの一族なんだ」

 そう言ってケイはベッドに置いてあった上着から、黒い刀身の短剣を出した。


「これは……あの時の」

 確かにそれは、先程の襲撃時に、ジョンを守ってくれた短剣に違いなかった。

 あの時、装甲車並のリムジンのボディさえ紙のように切り裂いた腕斬りの刀を、この短剣は受け止めた。


「これは、腕斬りの刀と同じ金属、オリハルコンで出来ている」

「オリハルコン――――」

 やはりそうかとジョンは思った。いくら腕斬りの技が超人級だといえ、あんな事が出来るからには、刀にもそれなりの仕掛けがあるに違いない。


 オリハルコンとは、もちろん鉱物の正式名称ではない。

 人類が宇宙に進出し、手にいれた、その時代においてもっとも固い物質の俗称だ。

 現在のオリハルコンは、いくつかの星で僅かに採れるレアメタルを精製する事で得られる金属を指す。確か、その中にはルシィの故郷でもある惑星チリエリも含まれていたはずだ。

 ジョンは、そこに奇妙な符合を感じた。


「ルシィもその一族なのか?」

「お前の妻―――ルシィは私の……妹だ。

 そして、腕斬りは私たちの兄なんだ」

 ケイの言葉に、どこか迷うような響きをジョンは感じていた。

 彼女はまだ何かを隠している。そう思った。

 だが、今聞くべきはそれではない。


「時間はないが――――約束だ。お前に出来る限りの事を話そう」



◆◆◆


「もともと私たちは、魔剣を打つ鍛治師の一族だ」

 それが、自ら打った刀の扱いに長けていく内、今のようになったと言う。

「昔は、鍛冶師も腕利きの剣士である事が多かったんだ」

 まるで、昔を懐かしむようにケイは言った。


 ケイたちの特殊な体質も、その起源は旧時代の地球にまで遡る。


「待てよ。確か屍血病が発見されたのは、星暦になってからだろう。

 どうして、地球に住んでいたあんたのご先祖がその病気のウイルスを持っているんだ」


「その疑問はもっともだ。だが、良く考えてみろ。旧時代でも、この病気の症状に似た伝承があったはずだろう?」

 ケイの赤い瞳がジョンを見つめた。その妖しい光に誘われるように、ジョンの中にある映像が浮かび上がった。


“吸血鬼ドラキュラ”――――情報屋モリオンの神託による謎の映像だ。


「まさか、吸血鬼か―――」

「ご名答」

 ケイがにやりと笑う。その口元から犬歯がのぞいた。


「もちろん、実際に人の血を吸うわけでも、太陽の光で灰になるわけでもない。

 無くなった手が生えたり、心臓を吹き飛ばされて生き返ったりもしない。

 ―――まあ、試した事はないが」

「当たり前だ。たちの悪い冗談だぜ」ジョンが苦笑した。

「だが、人よりちょっとばかり、運動神経が良いのは確かだ」

「―――あれが、ちょっとばかりかよ……」

 今朝見た、腕斬りの姿を思い出し、ジョンはため息をついた。


 だが、これで合点がいった。

 モリオンの情報にあった、3人の腕斬り。あれは過去の腕斬りたちだったのだ。

 あの時ピートがいった「ニンジャの一族」と言うのも、あながち外れではなかったわけだ。

 という事は―――


「あんたの母親、つまりルシィの母親も腕斬りだったんだな?」

「そうだ」ケイが答える。

「それなら、ルシィもあんたと同じ体質だったのか? ……そんな様子は感じなかったけどな」

 過去を思い出し、思案顔でジョンが呟く。


「ルシィは違ったんだろう。あれの父親は一族の人間では無かったからな」

「そうなのか」というジョンの問いに、ケイが「おそらく」と返す。


「私……私たちの母は、私が幼い頃に“仕事”に出かけたきり、帰って来なかった。

 そこにどんな事情があったのかは知らないが、彼女は里の外でルシィを生んだ」

 ルシィの存在が解ったのは、つい最近だと言う。

 ルシィの育ての親、ベスおばさんはルシィの母親の親友だった。


「母は仕事に失敗して、死んだと思っていた。だから、母のかわりに兄のごうが腕斬りになった」兄がいなければ、私がなっていたのかもしれないと、ケイは笑った。

 もちろん、一族の者なら誰でも腕斬りになれるわけではない。

 特別な才能を持ち、厳しい鍛錬に耐えた者のみが腕斬りとして、あの魔剣を与えられる。

「あの魔剣は只のオリハルコンの刀ではない。魔を祓い。不死なる者を殺す事が出来ると言われている」

「不死なる者?」ジョンが訝しげに呟いた。

「ただの言い伝えさ。――――それを差し置いても、あれだけの業物わざものを打てるのは、我々だけだったろう」ケイが笑った。


「――――?」

 言葉にひっかかりを覚えてジョンが繰り返す。


 ケイが一瞬遠くを見るような目をした。窓の外を見やり、歌うように言った。

「もう腕斬りの一族は、私と兄だけだ。

 他の者は皆、轟が殺してしまったんだ」


「――――なんだって」

「剣技は、ずば抜けていたが、轟はもともと優しい男だった。

 だから、腕斬りとなった後も怪我が耐えなかった。

 傷の痛みを薬で誤魔化し、腕や足を義手義足に変えて、仕事を続けた」

「まさか……俺と会った時の事故が原因か?」

 首狩りのアジトで会った時、アイツは建物の崩壊に巻き込まれた。

 俺も一度は、それで腕斬りは死んだものと思っていた程だ。


「それだけではない。もうその時は、体のほとんどを機械に変えていたからな。

 仮にそうだとしても、おまえが気に病む必要はなかろう」

 変な奴だなと、ケイが笑った。


「薬が原因か、機械のせいなのかは解らない――――おそらく両方だろう。

 轟は屍血病のウイルスに脳をやられ始めたんだ」

「ウイルスへの抵抗力が弱まったというのか?」

「おそらく」ケイが頷く。


「ある日、久しぶりに里に帰ってきた轟は里の者たちを皆殺しにしたんだ。――――私は隠れていたので何とか助かったが、外に出てみると生きている者は誰もいなかった」

 その時の事を思い出しのだろう。

 ケイの白面からあらゆる感情が失せた。


「ケイ……」

 ジョンは何と言って良いか解らず、ただケイの名を呼んだ。

 そうしないと、目の前の女がどこか遠くに行ってしまうような気がしたからだ。


「轟はきっと、腕斬りとして生きる事を強いた一族を恨んでいたんだろう。

 自我を失いかけていても、心の中でその思いだけは残っていたに違いない。

 ――――だから、これは自業自得なんだ。人の命を殺めて糧を得ていた一族の」そう言って、ケイは寂しそうに笑った。


「自我を失った轟は行方不明になった。きっとどこかでのたれ死んだのだと思っていたが……数ヶ月前にこの星でハイテックの重役が殺された。

 ――――轟の仕業だ。一族の“仕事”ではない。企業に利用されているんだ」


「ジョン――――」その時はじめてケイは、ジョンの名を呼んだ。

「ケイ……おまえ……まさか」

 ケイは頷き、ジョンの手を強く握った。

 女性らしい小さな手だった。

 その手は、彼女の意志を伝えるかのごとく、熱を帯びていた。


「私は轟を殺さなければならない」



◆惑星テラツー ミツルギグループ本社アーコロジー


「――――マルコポーロは初めて来ましたが、なかなか良いところですね」


 サテライトニュースでは、にこやかに微笑むゴードンの姿が映し出されている。男は身を乗り出し、その様子を忌々しげに睨みつけた。

 狐に似た細面に、酷薄そうなはれぼったい一重の目。やや薄くなったブロンドをオールバックできっちりと纏めている。

 男の名は、デクスター・ルッツ。ミツルギ本社開発部、部長だ。


「――――っ」

 何か言う度に取り囲んだリポーターたちが湧いた。

 ルッツは舌打ちすると机を叩いた。


「なぜだ―――そんな軽薄そうな男になぜ、皆だまされる?」

 華々しい実績が取り上げられるが、そんなものはルッツに言わせて見れば、綱渡りに等しい博打がたまたま当たったにすぎない。

 派手で耳新しい話題にマスコミが飛びついているだけだ。


 ルッツの妻は、会長アレクサンダーの娘。

 つまり、会長は彼の義父にあたる。

 だが、ミツルギの皇帝の前では、血の繋がりなど何の役にも立たない。

 常に実績が求められる。


 ルッツは、会長の期待に応えようと必死にがんばってきた。

 小さな成功を積み上げながら、ひたすらチャンスを待った。

 そして、ついにその時がやって来た。

 統括専務ナイツの椅子が一つ空いたのだ。


 今度こそ自分の番だ――――ルッツはそう思った。

 ――――しかし

 選ばれたのは、自分より役職も下の若造だった。

 かつては、ルッツの部下だった事もあった男だ。

 その時、ルッツは初めて彼が会長の孫である事を知った。

 世間にもその事は公表されていなかったし、本社内でもそれを知っている者はほとんどいなかった。

 実の娘である、ルッツの妻でさえ知らなかったのだ。


「叔父さん、これからもよろしくお願いします」

 ミツルギの名と統括専務ナイツの地位を得た男は、笑顔でルッツにそう言った。

 差し出された手を握りながら、ルッツは確信した。

 “自分はこの男が嫌いだ”

 会長の孫である事を知る前から、初めて会った時からが会わないと感じていた。

 そして、必ずこの若造を統括専務ナイツの椅子から引きずり下ろし、自分がそこに座るのだ。――――必ず。

 ルッツはその時、自らに誓ったのだった。


「――――」ルッツのバディホンスマホが着信を告げた。

「――――私だ」

「………なに?」

 部下からの報告を聞く内に、ルッツの顔がみるみる朱に染まっていった。


「なぜ――――奴がまだ生きている?」

 声を荒げそうになり、慌てて口を押さえる。

「なに? ……ジョン・スタッカーだと?」

「専務は、ジョン・スタッカーに護衛に加わるように依頼しました。

 メトセラもその件は了承しています」

 ルッツの怒りを感じたのか、部下が慌てて説明する。


“ジョン・スタッカーは白龍に始末させるはずではなかったのか”

 ルッツは心中に問うた。

“まさか、こちらの計画が漏れたのか?”

 ――――背筋に冷たい汗が伝うのを感じ、身を震わせる。

“そんなはずはない。例え何か感じていたとしても、私とアレを繋ぐ証拠など何もないではないか”

 ルッツは、自らにそう言い聞かせた。


「解った……だが、おまえがする事は何も変わらない。

 ――――いいか? 何も変わりは無い」

 電話の向こうで、相手が唾を飲み込む音が聞こえた。

「……わかりました」

 その答えを聞くと、ルッツは通話を切った。


 しばらく、暗くなったバディホンの画面を見つめた後、思い出したようにナンバーをプッシュした。

「ハイテックの和知わち部長を――――」


◆ブルーウェイ記念病院前


「全人類の未来のためにも、何とぞご協力を―――」

 院長を名乗った恰幅の良い男はそう言ってすがりついて来た。


“全人類の未来のため”という言葉には、まるで“私の地位と名声と金のため”とルビがふられているのが見えるようだった。

 ジョンとケイは出来るだけ穏便にその申し出を辞退した。

 院長の熱烈なアプローチに「ミツルギのゴードン専務」の名前でかたをつけると、二人はそそくさと病院を後にした。


「ピートが迎えに来るはずだ」と裏の病院駐車場へ向かう。


 ―――だが、駐車場入り口近くで二人は足を止め、互いに顔を見合わせた。

 辺りは静まりかえっていた。

 平日とはいえ、午前中なら病院の駐車場は患者たちの車で混み合っているはずだ。

 事実、ジョンたちがここにやって来た時は、何台も車が出たり入ったりを繰り返していた。

 しかし、今は駐車場に止まっている車の他に、動いている車はない。病院へ向かう患者の姿も見あたらなかった。


 かわりにグレーの背広を着た男が二人、入口によりかかるようにして立っていた。

 一人はのっぺりした馬面に細い目をしたいかにもサラリーマンと言った男。

 もう一人は、プロレスラーのような体格の男だ。馬面の男はまだしも、こちらのマッチョはまるで背広が似合っていなかった。


「やあ、どうもどうも」

 ジョンたちに気づいた馬面がハンカチで汗を拭きながら、片手を上げた。

 愛想笑いを浮かべ、近づいて来る。


 ジョンは一瞬、ケイを見た。

 ケイは気遣わしげな視線に苦笑すると、大丈夫だという代わりに頷いて見せた。


「ええと……BHのジョン・スタッカーさんとケイ・アガタさん?」

 目の前までやって来た馬面が訪ねた。

 その後には、むっつりと押し黙ったままマッチョが立っている。


「………」ジョンは答えず、不機嫌そうに目の前の男を睨んだ。

「ああ……そうそう。私、こういうものです」

 慌てて、上着のポケットから名刺を取り出す。

 ケイが名刺を受け取り、一瞥すると苦笑いを浮かべた。

 紙片をジョンに見せる。


 名刺には、「人類史調査委員会 田中一郎」と書いてあった。


調は、星間企業のトップが共同で運営しているダミー機関だ。

 名前通りの優しい連中じゃないぞ」

 ケイは馬面の後に控えているマッチョを見ながら言った。

「なるほど、どちらかと言えば肉体労働が得意そうだな」

 ジョンが頷く。


「さすが、腕斬りの身内。事情には詳しそうですね」

 田中が愛想笑いを貼り付けたまま、言った。


「確か、魔剣使いの監視もおまえたちの仕事だったな。

 ……ずいぶんと不手際じゃないか」

 ケイがあざけるように笑った。

 マッチョが気色ばんで何か言おうとするが、田中がそれを手で制した。


「その件も踏まえて、少々お時間を頂きたいのですが?」

「なんだ。人類史の貢献とやらで表彰状でもくれるのかい?」

「お望みとあらば、ご用意いたしますよ」

 ジョンの挑発に汗を拭きながら田中が笑った。


「残念だが辞退させてもらおう。私たちはミツルギのゴードン専務から依頼を受けている」

「専務には、こちらから連絡を入れておきます」

 ケイの言葉にも田中は引き下がらなかった。


「話は終わりだ。通してもらおうか」

 ジョンが田中の肩をつかんでどかそうとするが、見た目とは裏腹にびくともしなかった。


「やれやれ……あまり、こういうやり方は好きではないんですがね」

 ハンカチをポケットにしまいながら、田中は言った。

「嘘つけ、大好きだって顔に書いてあるぜ」


 ジョンの言葉が終わらない内に、田中の肩越しに手が伸びてきた。

 マッチョがジョンに掴みかかる。

 ジョンはすばやくバックステップすると、体勢が崩れたマッチョのアゴに渾身の右ストレートを見舞った。

 体重の乗った申し分のない一撃だった。


 だが――――

 ジョンが訝しげに目を細めた。

 打ち抜き、脳を揺らすはずの一撃は、マッチョのアゴで止まっている。

 まるで固い岩を叩いたように、ジョンの手が痺れていた。


 危険を察したジョンが咄嗟に離れた。

 マッチョは何事もなかったかのように、ゆっくりと身を起こした。

 ジョンに向かい合うと高々と片足を上げ、四股しこを踏んだ。


ズシン――――


 ビリビリと大地が震えた。


「ほぉ……相撲……力士か。珍しいな」ケイが呟く。

「スモウ?」

「旧時代、日本の格闘技だ。――――手強いぞ」

 ケイが簡潔に答える。


「テンザンを只の大男と侮らない方が良いですよ。

 彼ならガバリ熊とスモウをとっても負けないでしょう」

 田中はそう言ってケイを見た。

「あなたも、手を貸してあげたらどうです?」

「――――コイツが危なくなったらそうしよう」

 ケイは、田中から目を離さずに言った。

 田中から目を離してはいけない――そう直感したのだ。


「賢明な判断ですが―――そんな余裕がありますかねぇ」



◆◆◆


 田中の言葉が単なるはったりでない事はすぐにわかった。


「ちっ―――」

 ジョンは内心舌を巻いた。

 テンザンという力士は、スピードはそれほどではないが、とにかく打たれ強かった。

 打感で生身だと解ってはいたが、とにかく岩か何かで出来ているとしか思えない打たれ強さだった。


「神経が通ってないんじゃないのか―――」

 顔色一つ変えないスモウレスラーに、ジョンは毒づいた。


「仕方ねぇな……」左の拳を握り、向かい合う。

 ジョンの顔より大きく見えるテンザンの張り手が眼前に迫った。

 顔が歪むほどの風圧を感じながら、それをぎりぎりで躱す。

 そして、カウンターで左の義手をテンザンのボディに叩き込んだ。


ドゥン―――


 肉をえぐる感触が手に伝わってくる。

 さしもの力士も後ずさり、踏鞴を踏んだ。

 膝が揺れる―――効いているのだ。


 倒れる―――そう思った瞬間、テンザンが手を伸ばした。

 それを躱そうとするが、相手を気遣い、様子を確認しようとした分、挙動が遅れた。

 ほんのわずか、テンザンの指がジョンのコートを掴んだ。


 恐るべき怪力。

 指先でつまんだだけのコートをたぐり寄せ、掴む。

 そのまま、力任せに振り回した。


ブンッ――――


 ジョンの視界がブレた。

 まるでハンマー投げのように、テンザンはすさまじい勢いで回転した。

 ふわりとジョンの足が地を離れる。

「まずい――――」そう思った時、ジョンの腕がコートから抜けた。

 それは、単なる偶然だったが、ジョンにとっては幸運だった。

 あのまま、更に勢いを増し、叩きつけられればただてはすまなかっただろう。


 だが、それでもジョンの体は容易に中を舞い、アスファルトの上を二度三度と転がった。

 それだけで、シャツはボロボロになった。

 擦過傷に顔を歪めながら、ジョンが跳ね起きた。


「くそったれ――――」

 反射的に起き上がったものの、視界が揺れ、意識がはっきりとしない。

 棒立ちになったジョンにテンザンが迫る。


 さすがにこれはまずいと、ケイが助けに向かおうとした、その時――――


キキキキィィィ――――


 ブレーキ音を響かせ、タイヤを鳴らしながら、白いバンが滑り込んで来た。

 これには、テンザンも動きを止めた。


「ジョン!」バンの運転席からピートが叫んだ。


バンッ――――

 続いて、車のドアが勢いよく開いた。

 そこから人影が車外へ飛び出す。


「悪党ども、そこまでだ! 私が来たからには一網打尽アルよ」

 ジョンを庇うように、テンザンの前に立ちふさがったポチが謎の決めポーズで叫んだ。

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