第7話 帝王の庭 Deus Ex Machina

◆ホテル YOUSUI


 全部説明するというジョンの言葉に、ナオミは何も言わずに部屋までついてきた。

 部屋に着くまで、彼女はまったく口を開かなかった。

 その沈黙が、かえって彼女の怒りを如実に表しているとジョンは感じた。

 ナオミは、本当に怒っている時は口数が減るのだ。

 それを知っているピートも、引きつった笑みを口元に貼り付けたまま、脂汗を滝のように流していた。


 部屋に入るとナオミはテーブルの、二つしかない椅子に腰かけた。

 正面にはジョン。他の面々はベッドに座った。


「さて……説明してもらおうかしら」

 低い声音だった。下腹に響く声だ。


 ジョンは大きく一つ深呼吸をすると口を開いた。

 全部話した。ケイの事も含めて、ジョセフが殺された夜から今までの事を全部話した。途中、ケイの事を話している最中にナオミは、チラリとジョンの妻とそっくりだという、その面を盗み見た。

 当のケイは、話の成り行きを興味深そうに見ているのみだ。


「―――これで全部だ」

 全てを話し終えたジョンは、それだけ言うとタバコを取り出した。

 吸わないナオミは、一瞬顔をしかめたが、何も言わず肩をすくめた。


「なるほど―――」と美食家が料理を吟味するように、ナオミは言った。

よろしくないわね」険しい顔をジョンに向ける。

「そうかい?」ジョンは深く椅子に腰かけると紫煙を吐いた。


「メトセラのエージェントとしては、聞き捨てならない話です。

 ―――

 ナオミは、そう言って壁にかかった時計を見た。

 時刻は、標準時間の深夜をとうに過ぎている。


「悪いけど、メトセラの業務時間は、午後五時半までなの。

 時間外に、聞き分けのない大きな坊やの戯言につきあっている暇はないわね」

 わざとらしくそう言うと、ナオミはあきらめたように笑った。

「どうせ言っても聞かないんだから……」


「さすが、ナオミ! 話がわかるね」

 ピートが手を叩いて喜ぶ。

「喜んでばかりもいられないわよ」

 ナオミの言葉がピートの動きを止めた。

「え……まだ何かあるの?」心配そうに訪ねるピート。


「実は、警察の保管庫に泥棒が入ったらしいのよ」

「へぇ……そりゃまた」ジョンを見るピート。

「まぬけな話だな。どうりでコイツに逃げられるわけだ」

 ジョンがビルを見て笑った。

「案外簡単に逃げられたな」とビルが頷く。

 他人事のように、笑い合う男たち。


「盗まれたのは、ジョセフ・ランスキーの銃よ」

 その一言が、一同の時間を止めた。

 正確には、唯一人、ビル・ランスキーを除いて。


「案外簡単だったな」うんうんと頷くビル。

「やっぱりコイツか」こめかみを押さえて、ナオミが呻いた。


「なあ、おまえ。警察の保管庫から兄貴の銃を盗ったのか?」

 ジョンがビルの顔を覗き込むように言った。

「違う」首を振るビル。

「知り合いの警官が、300で上手く誤魔化してやると言ったんだ」

 指を三本立ててビルが言った。


 ジョンが何か問いたげに、ナオミ、ピートの顔を順に見た。

「そしたら、1000寄こせなんて言いやがった。だから……」

「だから?」ピートがオウム返しに訪ねる。

「ぶん殴ってやった。……でも、ちゃんと金は払ったぞ、300」

 そう言ってビルは得意げに指を三本立てた。


「はぁぁぁぁぁ……」

 ジョンが盛大にため息をついて、頭をかかえた。

「なんだってこう、どんどん話がややこしくなっていくんだ。

 でもさすがに今夜はこれ以上は―――」

 言いかけてジョンは、何かに気付いたように顔を上げた。

 楽しそうに成り行きを見守っているケイが目に入った。


「そうだ―――まだコイツが残っていた」

 込み入った話だとケイは、言っていた。

 嫌な予感がした。いや、嫌な予感しかしなかった。


 ジョンの心中を読んでか、ナオミがさっと立ち上がった。

「ナオミどこへ行くの?」

 ピートがまるで捨てられた子犬のような目でナオミを見た。

「帰るのよ」笑顔でナオミは言った。すごく良い笑顔だった。

 たしか子どもの頃、育ての親のブレンダおばさんが月に一度出かける時も、こんな笑顔だったとピートは思った。

「用事があるんだ。良い子にしてるんだよ」とおばさんは言っていた。

 それが、近所のばあさんたちが集まって、酒を飲み、持ち寄った料理を食べ、旦那の愚痴を言い合う集まりだと知ったのは、随分後の事だった。


「これ以上ここにいると、聞かなくても良い話を聞かされそうだから」

 そう言ってナオミはドアに手をかけた。

「悪いな―――」ケイが立ち上がり、後からナオミの肩に手を置いた。

 耳元に口を寄せて何か囁く。

「なっ―――」

 それを聞いたとたん、ナオミは弾かれたように顔を上げた。

 ケイは、再び何かを口にすると、片目をつむった。


「………」

 ドアから手を離し、ナオミが戻って来た。

 幾分青ざめた顔でジョンを見る。

「何も言う事はないわ。少なくともメトセラはこの件にはノータッチです」

 堅い声音でそれだけ言うときびすを返す。


「―――それから、ビル・ランスキーに関しては、私の方で出来るだけ取りなしておくわ。調査中の別件に協力してもらっているとかね」

「仕事熱心なんだな。勤務時間外なんじゃないのか?」

 ジョンは笑いを堪えて言った。

「知ってる?ひ出来る女に残業はつきものなのよ」

 それだけ言い残すと今度こそ、ナオミは部屋を出て行った。

 顔は見えなかったが、ジョンはナオミが笑ったような気がした。


「さて―――おまえの番だ」

 そう言ってジョンは、ケイを見た。


◆クイーンズランドシティ中央総合空港


 小型の宇宙船から、通常の航空機まで、あらゆる機種の発着を可能とするマルコポーロ最大の空港。通称、中央空港。乗客で賑わう中央口から離れたところに「関係者専用」と書かれた駐車スペースが設けられていた。

 常であれば、半分程度の空きがあるこの場所も、今朝は、早くから取材でつめかけたマスコミたちの車で満車状態だった。

 様々な車種、カラーの車がならぶ中、「星辰ニュース」と書かれた中型のバンにTシャツ、ジーンズの若者が走り寄って行った。


「ベルカさん、買って来ましたよ」

 若者は助手席のドアを開けると、運転席の男性にビニール袋を差し出した。

「おせぇぞ、ハセガワ」

 運転席のシモン・ベルカは不機嫌そうにそう言うと、180cmの体躯を窮屈そうに動かし、朝食の袋をひったくった。


「星の王子様はご到着ですかね?」

 ハセガワが運転席のテレビモニターを覗き込みながら聞いた。

「たった今、着いたところだ。……王子様ねぇ……随分と腹黒そうな顔をしてやがる」

 ベルカは、ダッシュボードに突っ込んでいた新聞を広げると一面を手で叩いた。

“ミツルギグループ統括専務 ゴードン・マクマソン・ミツルギ氏来る!”の見出しに茶系の上品なスーツを着た紳士の写真が載っている。


「カッコイイじゃないですか。なかなかのハンサムだし、女性ファンもいるみたいですよ。―――あ、ずるい! ベルカさん焼きそばパン嫌いなはずじゃないんですか」


「うちのチビ助がな、この間買って来たんだよ。なかなか美味いな、これ。

 ―――おまえは、人生経験が足りないんだ。人を見る目がまだまだなんだよ」

 ベルカは惣菜パンを頬ばりながら言った。


「マスコミの人数規制がされているとは言え、留守番は寂しいですねぇ」

 コーヒーを開けながらハセガワが言う。

「バーカ。お守りをさせられている俺の身にもなれよ」

 ベルカがハセガワの頭を小突いた。

「あいた! 感謝してますよ~」

 頭をかかえて、笑うハセガワ。


 二人がモニターをのぞき込むと、ゴードンが爽やかに笑いながら、記者の質問に答えているところだった。

「マルコポーロには初めて来ましたが、なかなか良いところですね。

 思っていたよりも涼しいですね。歳をとったら、是非この星で隠居生活を送りたい――――」


「……な? いけすかないだろう?」

 ベルカがフンと鼻を鳴らした。

「……そうですねぇ。あ! そういえば、ベルカさん。あれ見てくださいよ」

 ハセガワが駐車場の端に止まっているリムジンを指さした。

「あれがどうかしたのか?」


「あれ……ミツルギのリムジンですよ」

「ふむ、そうだな」ベルカも違和感に気づいたのか、ミツルギの社章が入った黒いリムジンを見つめた。かなりの距離を走って来たのか、黒い車体はホコリと泥で汚れていた。


「確かに、ミツルギのお偉いさんの車があんなところに止まってるのは、妙だな」

 ベルカが首をひねる。

「僕たちと同じで留守番をしてる……とか」

「馬鹿。それなら、ちゃんと正面にVIP関係者用の駐車スペースが別にあるだろうが」

「そうですね―――あっ、誰が出てきた」

 二人が言い合っているとリムジンの運転席のドアが開いた。


 黒いコートを着た禿頭、長身の男が辺りを見回した。

 咄嗟にベルカはハセガワの頭を押さえて身を伏せた。

 なぜか、背中に冷たい汗が噴き出している。


「………」

 しばらくして、二人はそろそろと顔を上げた。

 コートの男は、もうどこにもいない。

「変わったSPでしたね……ベルカさん? どうしたんですか」

 ハセガワの問いにベルカは青ざめた顔で頷くのが精一杯だった。


「もしかすると、俺たちは死神を見たのかもしれないな……」

 空港を見つめながら、ベルカはほんやりと呟いた。



◆クイーンズランドシティ 空港線道路


 ジョン・スタッカーと言う男は、ほとんど何かに臆するという事がない。誰に対しても、何に対しても、それが大企業のトップであろうと、自分の命を狙うギャングのボスであろうと、なるようになるというのが、彼の信条ポリシーなのだ。

 だが今、ジョンは生まれて初めて誰かを前にして、居心地の悪さを感じていた。

 もちろん、萎縮しているわけではないが、初めて経験するその感覚に、ジョンは戸惑いを感じていた。


「楽にしてくれたまえ」

 簡単に自己紹介を済ませると、目の前の男はまるで旧知の友のように、親しげに笑った。

 男の名はゴードン・マクマソン・ミツルギ。

 天下の三大星間企業、ミツルギグループの統括専務ナイツだ。

 おそらくジョンが今までに会ったことがある人物の中でも、一番の大物である事は間違いない。

 だが、彼が感じている感覚は、そんな事が原因ではなかった。


 目の前の男は、普通すぎた。

 威圧してくるでも、懐柔しようとするでもなく普通だった。

 ただの会社の社長やヤクザのボスならそういう事もあるだろう。

 だが、ナイツである彼がまるで普通だと言うことはありえない。

 そもそも普通の人間がナイツになどなれない。

 それがかえって不気味だったのだ。

 そう、ジョンはゴードンという男に理解できない薄気味悪さを感じていた。


「おまえに会いたいと言う人物がいる」

 昨夜ケイは、そう言った。

 そして、誰だと言う問いに「ミツルギのナイツだ」とそれだけ答えた。

 後の事は、直接聞けと――――


 その時ジョンは、ナオミの言った言葉を思い出した。

 メトセラはこの件に関してはノータッチだと、ナオミはそう言った。

 つまりは、そういう事だ。

 ミツルギとメトセラで何らかの取引が合ったのだ。

 取引の材料はもしかしたら、ジョンの命だったのかもしれない。


 それでもジョンは、ゴードンに会うと決めた。 

 ジョンの腹は決まっていた。

 同行を申し出るピートとビルを残してジョンは部屋を出た。

 ケイに連れられ、指定された時刻、朝の中央空港でジョンを出迎えたのは、黒塗りのリムジンだった。しかも、超のつく特別仕様だ。

 一見地味に見える内装は、どれも本物だ。派手な装飾が無くとも、品々が醸し出す雰囲気は一流のそれだった。

 横長のソファは柔らかすぎず、固すぎず、抜群の座り心地だった。

 窓はないため、そこが車内であることを忘れてしまいそうな空間だった。

 待つこと数十分で、ドアがうやうやしく開いたかと思うと、暑そうに上着を脱ぎながら、ミツルギのナイツは姿を現した。


◆◆◆


「いやぁ、やっぱりこの星は暑いね。

 よくこんな暑い星に住んでいられるもんだよ。

 ―――ハハハハ。

 今日は午後から取材があるんだが、今はこんな物、とってしまってもかまわないだろう?」

 そう言って、ゴードンはネクタイを外した。

 クーラーからミネラルウォーターを出し、グラスに注ぐ事なく直接口をつけた。


「君たちは何か飲むかい?

 まだこんな時間だが、酒ならバッカス産のイイのが揃っているよ」

「いや、結構だ。あ――――ミスタ・マクマソン。

 さっそくだが……俺に会いたいという、その理由を聞かせてもらいたい」


「ゴードンと呼んでくれ。僕もジョンと呼ぶから。

 そうだな――――そっちから先に片付けてしまうか」

 そう言って、ゴードンはケイを見て笑った。


「では、君にならって単刀直入に聞くが、君は腕斬りに会ってどうしたいんだ?」

 ゴードンのいつも笑っているような、細い目の奥で鋭い光が閃いた。

「腕斬りを捕まえてくれという依頼があるわけでもないだろう?

 君の奥さんの仇であるところの首狩りはもう死んでる。

 わざわざ危険をおかしてまで腕斬りを探す必要はあるまい」


「俺に会いたいと言ったのは、腕斬りの件から手を引けと、わざわざ忠告するためか?」

 ゴードンが何か、をかけて来ている事は解っていた。だがそれでも、ジョンは自然と言葉に力がこもるのを止められなかった。


「そうではないよ。……いや、君の返答次第ではそういう話も有りかもしれないが」

 ゴードンは大仰に手を振り言った。

 ジョンは何かを読み取ろうとするかのように、ミツルギのナイツを見つめた。


「これは、俺の想像。推理とも呼べない戯言だと思ってくれていい。

 ……ルシィの一件をアンタは知っているようだから、詳しい説明は省くぜ?」

「どうぞ」頷くゴードン。


「あの後、首狩りの事件を俺なりに調べてみたんだが、どうも腑に落ちない事がいろいろあってね」

「ほほぉ……」

「どうも、あの事件では首狩りの手際が良すぎる気がするのさ。

 直接手合わせをした感覚では、もっと調子に乗ってボロを出す性格だった。

 というよりも、もっと自分の快楽に忠実に動く性格だったと思うぜ」

「ふむ、面白いな」今度はケイが相づちをうった。


「あれは首狩り一人の犯行じゃない、まだ後ろに黒幕がいるような気がするのさ。

 ヤツに入れ知恵をした誰かがな。

 そいつは、もしかしたらスタッカーを殺すのなら、妻を人質に使えなんて言ったのかもしれないな」


「首狩りを雇ったのは確か、君に恨みをもっているギンディとかいうギャングのボスだろう。そいつがその黒幕じゃないのかい」

「さすが、良く調べているな」ジョンがニヤリと笑った。


「俺も最初はそう思った。―――腕斬りが現れるまではな」

 ケイが何かを問うようにゴードンを見た。

 ゴードンが笑って頷く。


「腕斬りが殺すのは、VIPと相場が決まっているんだろう?

 だが、あの時あの場にはVIPなんてどこにもいなかった。俺ももちろん違うし、首狩りも違うだろう……だが、ヤツがVIPと何らかの関わりがあるとしたら? VIP並の何らかの価値があるのだとしたら?」

 そう言ってジョンは、挑むようにゴードンを見た。


「面白い―――君は本当に面白い男だな」

 ゴードンは笑った。今までの親しげな笑みではない。

 子どもが見せるような無垢な笑みだ。

 心の底から楽しくて仕方がない、そんな笑みだった。

 だが、子どもは無邪気に笑いながら、虫の羽をむしるのだ。


 ジョンは、全身が総毛立つのを感じた。

 そんな事は初めてだった。あの魔剣使いの老人に対した時も、感じたことのない感覚だった。


「例えば―――」ゴードンは、言葉を口の中で転がすようにゆっくりと紡いだ。

「君は、私がその黒幕だとは考えないのかな」

「もちろん、考えたさ」ジョンはニヤリと笑った。


「例えそうだったとしても、アンタが俺の事を本当に邪魔だと思ったのなら、俺はここにはいないだろう。今すぐにでも俺を消そうと思えば消してしまえるはずだ」

「だろう?」とジョンは念を押すように言った。


 ジョンは居住まいを正し、正面からゴードンを見据えた。

「5年前の事件が、首狩りと俺の事件なら、これ以上関わる事はない。

 だが、それ以上の何かがあるのなら、ルシィの死にそれ以上の意味があるのなら、知らなくてはいけない。

 それが、俺が腕斬りに拘る理由だ」


「さあ、次はアンタの番だぜ。」そう言ってジョンは片目をつむった。


◆◆◆


「堪能させてもらったよ、いいね―――とてもいいよ、

 嬉しそうにゴードンは言った。

「そうだな、僕の用件を話そう。―――情報元は証せないが、腕斬りの次のターゲットはどうやら僕らしい」

 そう言ってゴードンは肩をすくめた。まるで冗談でも言っているようだ。


「な―――」

「本当の事だ―――」

 言葉につまったジョンを見かねたのか、ケイがため息をついて言った。

「ありがとう」ゴードンが笑った。

「つまり―――僕につい来れば、いやでも腕斬りに会えると言う事さ。

 他の連中には……そうだな、ボディガードだとでも言えばいい」


「なるほど―――ナオミが言っていたのはこの事か」

 呟いてジョンはケイを見た。笑って頷くケイ。

「これに関しては、メトセラと話はついている。あくまで君は君の捜査の一環として僕に同行する。メトセラとの契約は今まで通りだ」


「気に入らないな―――」ジョンは顔をしかめた。

「そうかな」ゴードンは顔色一つ変えず、ジョンの反応を見ている。


「気に入らないが……今はそれが一番手っ取り早そうだ。

 手っ取り早いというのは、人生で案外重要なもんだよな」

 肩をすくめるジョン。

「納得してくれて嬉しいよ。個人的にも君とは仲良く出来ればうれしい」

 手を差し出すゴードン。ジョンはしばらく思案した後、渋々といった風でその手を握ろうとした。

 

 その時―――

「専務! 襲撃者です――――――ぐっ……」

 マイクから運転手の叫びが聞こえた。


◆◆◆


 運転手のうめき声とともに、車が左右に激しく揺れた。

「うわっ」ソファに倒れたゴードンが驚きの声をあげる。

 タイヤを鳴らし、蛇行するリムジン。だが、それも一瞬の事、オートドライブに切り替わった車は、安定を取り戻しゆっくりと停止した。


ガッガン


 天井から不吉な音がする。

 ジョンは上を見、少し考えた後、意を決してドアを開けた。

 素早く車外へ転がりでる。


「ツッ――――」

 首筋に鈍い痛みを感じ、手を当ててると浅く斬られていた。

 前転し、顔を上げる。

 黒いコートにミラーシェイド、手には血のついた黒刀。

 リムジンのボンネットの上に、ジョンは悪夢の中で何度も会った、死神の姿を見た。


「ひさしぶりだな、腕斬り」ジョンが唸るように低く、その名を呼んだ。

 車の天井に刀を叩きつけていた腕斬りの動きがとまり、ゆっくりと振り向いた。黒いサングラスに覆われた目からは、その真意は読めぬ。

 だが、ジョンを敵であると認識したのは、確かなようだ。


 空港の方角からは、護衛の車が数台、猛スピードで近づいて来ているのが見えた。

 あれが追いつくまで時間をかせげば―――ジョンがそう考えたその時、反対側のドアが開き、今度はケイが姿を見せた。


 腕斬りが反応し、ケイの姿を見た。

「まずい!」反射的にジョンは銃を撃った。同時に、腕斬りの姿が視界から消えた。

 まるで、反応出来ない。完全に姿を見失っていた。


「スタッカー! 右だ!」ケイの声が聞こえた。

 頭で理解するより早く、体が反応した。


ヒュオン―――


 咄嗟にのけぞるように左側へ身を投げたジョンの視界の端を、不吉な黒い影がよぎった。


ガガン―――そこめがけて、ジョンが倒れながら発砲する。


キン―――


 だが、それも腕斬りは軽々と黒刀を振るって弾いた。

 凄まじいスピード。身のこなしだった。

 まるで、ジョンはついていけない。

 ケイの声がなければ、最初の一太刀で首を斬られていたろう。


「仕方ないか……」

 ジョンはコートのポケットに手を入れ、掴んだ物を投げた。

 それは液体の入った小さな容器だった。

 咄嗟にそれを切り払う腕斬り。


バシャ―――容器の中の液体が零れ、腕斬りの右足にかかった。


 危険を感じたのか、離れようとする腕斬り。

 だが―――


 右足が道路から離れない。

 容器の中の液体の正体は、ピートが調合した強力な瞬間接着剤だった。

 下が土なら効果は無いが、空港から市内へ続くこの道は整備されたアスファルトだ。

 腕斬りの足は、しっかりとアスファルトの道路にくっついている。


「一応、切り札なんでな。決めさせてもらうぜ」


ドドン―――


 2発の弾丸が発射された。

 右足が伸びきった体勢では、さすがの腕斬りも躱すことも、弾くことも出来ない。

 鳩尾の辺りに弾丸をくらった腕斬りの体がくの字に折れる。

 しかし―――

「こいつ―――」

 ジョンは違和感を感じ、最後の1発を叩き込んだ。


「やっぱり―――防弾かよ」

 違和感の正体に気付いたジョンが毒づく。


 計3発の弾丸をその身に受けたはずの死神は、倒れる事なく渾身の力を振り絞って、ジョンに飛びかかって来た。


バリッ―――


 嫌な音がして、腕斬りの靴底の革が外れた。

 自由になった腕斬りは黒刀を水平に振るう。


「嘘だろう―――」ジョンが叫ぶが、今度こそ間に合わない。


ギィン―――


 だが、ジョンを真っ二つにするはずの刃は、間に割って入った人物によって防がれた。


「危なかったな、スタッカー」

 黒い刀身のナイフで、腕斬りの刀を防ぎながらケイは言った。

「おまえ……そのナイフは―――」

 ジョンの言葉が終わらない内にもつれ、倒れる二人。


 腕斬りがさらに追い打ちをかけようと身を乗り出した時―――

 ようやく追いついた車から出てきたSPたちが、銃を構えた。


タタタタタ―――


 集中砲火を、すばやく飛び退いて避ける腕斬り。

 そのまま、道路の向こうに走って行ってしまった。


 SPたちや警官がその後を追うが、凄まじいスピードに追いつく事が出来ない。

 銃の音がむなしく響くだけだ。


「どうやら、助かったようだな」

 立ち上がり、振り返るケイ。

 その時、ジョンは違和感を感じた。

 ゾクリと背に冷たいものが走った。


 ジョンに近づいてくる女が、彼の知る彼女とはまったく別の何かのような気がした。

 透けるように白かった肌は蒸気し、色素の薄い唇は赤く滑っている。

 言いようのない、匂い立つような色香を漂わせ、ケイは薄くわらった。

 三日月を切り取ったような、アルカイックスマイルだった。

 そしてその目。赤紫色のその目は、色素を失ったように赤かった。


「どうしたんだ? スタッカー」

 ケイが一歩を近づく度にジョンは無意識に後ずさった。

「助けてやったというのに……失礼なヤツだな……おまえは」

 そう言って笑おうとした、ケイはそのまま前のめりに倒れた。


「おい!」

 我に返り、慌てて抱き留めるジョン。

 彼女の体は火のように熱かった。



 


 


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