第6話 黒の欠片 Puzzle pieces
「なんだかなぁ……」
リムジンの窓から外を眺めながら、ジョンはぼんやりと呟いた。
この高級車は、ハイジがわざわざ用意してくれたものだ。
フカフカのシートに高そうな酒までついている。確かに乗り心地は抜群、疲れ果てた体には有り難い。
だが―――
「どうしてこうなったんだろうなぁ……」
ジョンは、隣に座っている対象的な二人、ビルとケイを見て嘆息した。
「しかし……このデカブツをホテルに連れて帰って良いもんかな」
「大丈夫だ」
ジョンの独白にケイが律儀に答えた。
彼女はまるで自分の車のようにリラックスしている。
「なんでだよ」
「ハイジのお膝元で、余計な事を言ってまわる命知らずはいないだろう?
――――そういう事だ」
ケイは、どうしてそんな事も解らんのだ言わんばかりだ。
初めて会った時から何かとジョンを馬鹿にした態度をとるこの女を、ジョンは気に入らなかった。ルシィに似ているだけに余計に腹立たしい。
「警察がうろうろしているだろうが。見つかったらどうするんだ」
「警察は今、その男にかまっている暇なぞない。
もっと大事な用で手一杯だ」
「なんだよ、その大事な用ってのは」
あの警官たちは、ビルの逮捕にかり出された人員ではないのか? ――ジョンが訝しんだ。
「ニュースを見てないのか?
だいたい……おまえがこの男の頼みを引き受けたんだろう?」
「―――そうだぞ、ジョン・スタッカー。約束したはずだぞ」
ビル・ランスキーが賛同する。
痛いところを突かれ、ジョンがグゥと唸った。
「約束……したのかなぁ」
◆◆◆
「兄貴の仇を討ちたいんだ!
手を貸してくれ―――頼む、この通りだ!」
ビル・ランスキーは現れるなり、そう言って土下座した。
「なっ―――」
これには、さすがのジョンも言葉に詰まった。
うろたえて女主人を見るが、彼女は楽しそうに様子を眺めるのみだった。
「ま……まてまて!
俺は、おまえを捕まえに来たんだぞ?」
「さっきは、アタシにこいつをかくまえって言ったじゃないか。
それは、こいつの兄貴の仇を優先するって事なんだろう?
だったら、目的は同じじゃないか」
ハイジがタバコを吹かしながら、わざとらしく言った。
「そ……それは―――」
思考が一瞬停止した。ジョンは自分がはめられた事に気が付いた。
もっとも、それは身から出たサビ。自業自得なのだが。
「オーケー。わかった……わかったよ。
―――ビル、おまえ、兄貴が死んだ事を知ってるんだな?」
「ああ―――」
ビルは頷きハイジを見た。彼女から聞いたという事だろう。
握りしめた拳が震えている。怒りを堪えているのだ。
「もし、おまえに断られても―――俺一人でも仇はきっと討つ。絶対にだ!」
「おまえ……」
ジョンはその様子を黙って見つめた。身内を失った痛みは、ジョンにもよく分かる。
「小さな頃から、俺と兄貴は二人で生きて来たんだ。
俺たちはただの兄弟じゃねぇ。一心同体。二人で一人なんだ。
おまえには解らないかもしれないけど……」
「―――わかるよ」
病に倒れ、今も病室にいる姉を思い出して、ジョンは呟いた。
ジョンとフローレンス。彼ら姉弟もたった二人で生き抜いてきたのだ。
「よく……わかるよ」
「甘ちゃんだな……」
ケイが嘲るように笑った。
「言ってろよ――――そんなのは、自分が一番よく解ってるんだ」
「だが、おまえは不思議な男だな、スタッカー」
その時、ケイの氷のように冷たい面に微かに温かい光が差した。
「ただのタフガイぶった脳筋かと思ったら、意外に繊細なところがある。
考え無しの行動にちゃんと意味があるようにも見える。
――――まあ、そんな気がしているだけかも知れないが」
そう言って、同意を求めるようにハイジを見た。
「ああ……変なヤツだよ。
だが、アタシはアンタが気に入ったよ。変なヤツは大好きなんだ。
そいつを連れて行くのなら、歩いて行くのも何かと都合が悪いだろう。
車を用意してやるよ、それでホテルまで帰ると良い」
ハイジが満足そうに頷いた。
それを見たブレッチが再び部屋を出て行く。
◆◆◆
ほどなく車は、ジョンが宿泊しているホテルに到着した。
もともと、ハイジの店とホテルはそれほど離れてはいない。
思ったよりも時間がかかったのは、こっちの会話の様子を見ての事かもしれない。
だとすれば、ゴツイ外見の割には意外と気遣いの出来る男なのだろう。車を運転しているブレッチを見ながら、ジョンはそう思った。
車は、ホテルの少し手前に停車した。
用心棒は、不機嫌そうに前を見たまま「着いたぞ、降りろ」とだけ言った。
降り際、ジョンが「ありがとう」と礼を言うと、ブレッチは一瞬驚いたように振り向いた後、何も言わずにまた前を向いた。
ジョンは、念のために辺りを確認してみたが、とりあえず見える範囲に警官の姿は無かった。こちらを注目している者もなさそうだ。
ビルは一応、長めのコートと帽子で変装させている。素性を知っている者が見れば一発でバレるチャチな変装だが、何もしないよりはマシだろう。
ケイはジョンの隣に並ぶようについて来ている。
「おまえは、ホテルまでついてくるつもりなのか。
その話とやらは、そんなに込み入った話なのか?」
ジョンは疑問に思っていた事を口にした。
「おまえの相棒にも聞かせた方が良い話だ。
それに、これから何度か顔を合わせる事になるだろうから、今の内に自己紹介の一つでもしておいた方が良いんじゃないのか?」
「やっぱりおまえ、ルシィの事を……」
ジョンは直感した。ケイはやはり、ルシィの事を知っている。ジョンの身に起こった事を知っているのだ。それならば、ルシィにそっくりな顔もただの偶然などではないだろう。
「込み入った話になりそうだろう?」
ジョンの心中を読んでか、ケイは意味ありげに笑った。
「ジョン、誰か来る……」ビルの声がジョンの物思いを遮った。
ホテルの方からピートがこちらへ走って来ている。
「アレは誰だ。敵か? ヤッチマウか?」
「やっちまわねぇよ……」
ジョンは嘆息して答えるとピートに手を上げた。
「お~いジョン! 気が付いたらいなくなってたから心配したよ。
いったいどこに……」
ピートの顔色が明らかに変わり、青ざめた顔でケイを見ていた。
目をこすってから、訝しそうにもう一度見ている。
「あのさ……変な事を聞くけど、ジョンの隣に女の人っている……よね? 」
「なるほど……」ジョンは合点がいった。
「安心しろ。こいつは、実物だ。ちゃんと足がある。
―――この女はケイ・アガタ。ルシィじゃない、別人だ」
「ええぇぇっ―――そ……そうなの……でも……」
うろたえるピート。その様子にジョンも同情した。
「驚く気持ちはわかる、俺もビックリしたからな」
ケイは、手を胸元に持ってきて、芝居がかったお辞儀をした。
「―――まったくもう。いなくなったと思ったら、ルシィにそっくりな女の子を連れて帰って来るし。探してたビル・ランスキーを捕まえて来たのかと思ったら、敵討ちに手を貸すとかって話だし―――まったく何がなんだか解らないよ」
ビルを見て再び驚いたピートは、ブツブツと文句を言った。
「女の子か……さすがピート。女の扱いを心得ているな。
この男と来たら、ちっとも私を女扱いしないからな」
ジョンを見て、ケイが皮肉気に笑った。
「ええ? ……だってケイ……さんは、どう見てもジョンや僕より年下でしょ? 」
「どうだろうな? ……女は見かけで判断すると痛い目を見るぞ」
先ほどまでの驚きはどこへやら。すっかり打ち解けているピート。
「……でもねぇ、ケイさんは良いとしても、ビルはどうするのさ。
特に我らが女王様になんて説明するつもりだい? 」
ホテルの入り口に続く階段を上りながら、ジョンは顔をしかめた。
「それだよなぁ……」
メトセラのエージェント、ナオミに説明する事を考えると気が重かった。
「なんと言ったもんだろうなぁ……」
「そうね、どんな説明を聞かせてくれるのか楽しみだわ」
声はジョンたちの頭上から聞こえて来た。
それは、おそらくジョンが一番聞きたくない女の声だった。
おそるおそる顔を上げたその先、ホテルの入り口で腰に手を当てて仁王立ちしているナオミの姿が目に入った。建物の灯りが逆光になって表情はよく見えなかったが、出来ればこのままずっと見えないままでいてほしいと、その時ジョンは真剣に思った。
◆マキシマ ゴーストタウン シャドーランド
首都クイーンズランドシティから北へ数百キロ。何かを恐れるかのごとく周りには何も無い。ただ荒野が広がる中にポツンと、まさに影のようにその廃墟は存在していた。マキシマに唯一残るゴーストタウン“シャドーランド”。
「死にたければ影の国へ行け」とマルコポーロの人々は、冗談まじりに口にする。
化学兵器の実験場であったとか、その時に逃げ出したモンスターが徘徊しているとか、怪しげな噂が絶えないその土地には、お定まりの犯罪者や難民の姿もほとんど見ることはなかった。
夜の闇の底に沈み、沈黙のヴェールを纏った廃墟は、海底に沈んだと言われる幻の神殿のような、見る者を威圧する神々しささえ感じられた。
屋根も壁も残っていない骨組みだけがほとんどだったが、その中に奇跡的に原型を止めている建物があった。だがそれもボロボロで、今にも崩れそうに見える。
建物の入り口は、当たり前ではあったが開いている。しかし、そこからはあり得ない事に灯りが漏れていた。一瞬、光を何かが遮った。そして人影が二つ、建物の中へ消えていった。
◆◆◆
「ふむ……」
室内に足を踏み入れた白龍は、辺りの気を探った。
ポチが黙ってそれに続く。ピューレス人である彼女は環境の――とりわけ大気の状態に敏感だ。もし、室内に有害なガスやウィルスが存在すれば、どんな計測機器より正確に、早く反応しただろう。
安全を伝えるようにポチが頷いた。
奥の扉から人の気配がする。白龍は迷わず扉を開けた。
部屋の中は前の部屋より広く、そして建物の外観からは想像もつかない程、清潔だった。大きめのベッドがあり、それを囲むように医療機械が並んでいる。その中には、医療に使うとは到底思えないようなドリルやカッターのついた剣呑な機器もあった。
奥の壁には大きな棚が2つ有り、様々な薬品が並んでいた。
ベッドには男が一人腰かけている。
黒いコートを着た不吉な姿、手には血のついた黒刀を持っていた。
「お主が、今の腕斬りか……」
白龍が男に声をかけた。
男は何も答えず、虚ろな視線を足下に向けた。
白衣を着た小柄な男が倒れている。男の胸からは血が溢れ、白衣と床を赤く染めていた。
「た……助け……むてくれ」
まだ息があったのか、白龍たちに気付いた男が呻いた。
「無理だ。お主はもう助からん」
白龍が抑揚を欠いた声で告げた。死にかけている男の事などまるで気にもとめていない。今日の天気は雨だ、とでも言うような口調だった。
「そんな……」
血の気が失せた男の顔が、更に紙のように白くなった。男のかけていたメガネが血の海に落ちた。薄い頭髪をかきむしるように男は頭をかかえた。
「それに、お主は殺されて当然の事をそいつにしたのじゃろう?」
「わ―――私は……命令された……だけだ」
白龍の言葉に、男は弾かれたように顔を上げた。血泡を吹き、まるで許しを請うように声を張り上げた。
「わかっておる」
「な―――」
真意を測りかね、濁って光りを失った男の目が老人を見た。
「お主がした事も何をしようとしているのかも……そして、誰に命令されたのかも解っておるよ。全て、この場所を教えてくれた男から聞いた」
その言葉の意味を理解するのと同時に、男の顔に絶望が広がっていった。
否―――それは絶望などという生やさしいものではなかった。
「――――――っ」
声にならない悲鳴を男はあげた。死にかけた男のどこにこんな力が残っていたのか不思議な程、自らの体をかきむしり、血の海の中を転げ回った。
この世の全て、あらゆるものに対して―――そして何より自分自身を男は恨み、怒った。
「人間とはこんなにも醜いものなのカ、老師」
透明な瞳に嫌悪の色を滲ませて、異星の女は呟いた、
「そうじゃ。よく見ておけ」感情のこもらぬ声で老人が答えた。
流れ出た自らの血で全身が赤く染まりきった頃、男はついに力尽きた。
物言わぬ骸と化した男から視線をあげて、老人は改めて腕斬りを見た。
腕斬りもまた、何も言わず男の様子を見ていた。
やがて、動かなくなった男に興味を無くしたように、ベッドから降りた。
ピシャリと血の飛沫が舞った。
そして―――闘いは唐突に始まった。
まるで、男の死によって、白龍たちを初めて次の標的と定めたかのように、腕斬りは突然攻撃して来た。
床に足を下ろすや否や、黒刀を逆袈裟に薙いだ。
凄まじいスピード。おそらく攻撃を視認してから避けては、どんな達人であろうと躱すことは出来まい。
しかし、魔剣使いの老人は、それをやすやすと躱した。見てから避けたのではない。技の起こりを察して、先に回避行動を起こしたのだ。
ジョン・スタッカーが危機において見る事の出来る光景の、その更に先を老人は見ていた。
腕斬りが避ける老人を追って次々と斬撃を繰り出す。
白龍が流れるような動作でそれを避ける。入って来た扉をくぐり、最初の部屋を抜けて外へ出た。
腕斬りもまた、追撃しながらそれを追った。
壁を太い柱を、冗談みたいに易々と斬り飛ばしながら腕斬りが外へ出てきた。
その背後で、轟音を上げて建物が倒壊する。
「なかなか大したスピードじゃが…風を切る音がするようではまだまだじゃ」
再び対峙する二人の魔剣使い。
少し遅れてポチが姿を現した。
無傷の白龍とは違い、彼女の服はボロボロ。右の腕が肘のあたりから無かった。
「おのれ……よくも私の一張羅を! ―――ゆるさんアル」
言うやいなや、腕が一瞬で再生した。もとも不定形生物であり、その体のほとんどが液体であるポチには、斬撃は通じない。
だが、怒りに燃えるポチを無視し、腕斬りは白龍へ斬りかかった。
再び腕斬りが攻め、白龍が避ける展開が繰り広げられる。
「くそっ! 無視するな、私と戦え!」
ポチは叫ぶが、二人のスピードについて行けない。
スピードでは勝るものの、やはり黒刀は白龍に触れる事すらかなわない。
だが、その攻撃があまりに単調すぎる事にポチは気がついた。
不吉な予感が頭をよぎる。
「老師――――」罠だと、あるいは余計なお世話だと思いながらも、ポチは叫ぼうとした。その時――――
腕斬りの動きが加速した。否―――攻撃の最中、徐々に緩めていたスピードを元の早さに戻しただけだ。だがそれだけで、遅いスピードになれた感覚はついていけない。
二人の距離が一気に縮んだ。必殺の間合いへと腕斬りは踏み込んだ。
無面の死神に、感情というモノがあれば、おそらく勝利の笑みを浮かべていたかもしれぬ。
だが――――
「ホレ―――」白龍は無造作に拳を握った右腕を突き出した。それは攻撃ですらない。まるで差し出すように右腕を前に出したのだ。
腕斬りは半ば無意識に、差し出された腕を切断しようと動いた。
腕を斬り、首を落とす必殺のコンビネーション。
腕斬りの名の由来となった技。
それが――――勝負の明暗を分けた。
攻撃を限定する事で、老獪なカンフーマスターは再びイニシアチブを握った。
ここが勝負所と、今度は攻撃を避けない。腕を狙って繰り出された刀身を、巻き込むように右手で払った。刃には一切触れる事無く、刀の背と腹の部分を押して斬撃を逸らしたのだ。言ってしまえばそれだけの事だが、視認するのもままならない超スピードの攻撃を完璧に見切ってやってのける技術は、尋常ではない。
しかも、白龍は斬撃の勢いを殺す事なく逸らした。それどころか巻き込み、払う事で勢いが更に増し、さしもの魔剣使い腕斬りもバランスがわずかに崩れた。
常人であれば、見逃しかねないその隙を逃す白龍では無い。
縮まった間合いを更に一歩詰める。
ズン――――
踏み込んだ足下のアスファルトが砕け、土煙が舞った。
震脚によって生み出されたエネルギーは、余すことなく左の拳へと集約されていく。体が密着する程の間合い、死神のみぞおちに触れただけの拳から、凄まじい力が解放された。
ゴォン――――
固いモノを叩いた鈍い音を残して、黒衣の死神は吹き飛んだ。
くの字に折れた体が廃墟の壁を易々と突き破り、その向こうへと消えていく。
「なるほど…やはりそういう事か」
腕斬りを打った己が拳をしばし見つめた後、白龍は得心がいったように呟いた。
「老師――――やったアルか?」
駆け寄って来たポチに首を振り、老人は腕斬りが吹き飛んだ方を見た。
「どうやら逃げたようじゃな――――頑丈なヤツじゃ」
そこに敵の気配はすでに無かった。
「そうアルか……今度会ったらタダじゃおかんアルよ」
遠くで走り去る車の音が聞こえた。
白龍は、一瞬何かを思案した後、ポチを見て言った。
「お主に頼みたい事があるんじゃが――――」
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