第5話 ゲームマスター Knight

◆惑星マルコポーロ 宇宙空間


 星々が瞬く宇宙に新たな光が生まれた。

 小さな光の瞬きは同心円状に広がり、波紋のように宇宙空間を波立たせた。

 漆黒の宇宙に開いた光の穴―――吹き出た光が複雑な文様を描き、巨大な円を形作っていく。

 直径数キロに及ぶ光の五芒星―――魔法円。

 それは別宇宙への扉だった。

 一般に公開されている資料によれば、この現象の源である亜空間転移装置「AHドライブ」は、純然たる科学技術だ―――そのはずだ。

 それがなぜこのような神秘的、オカルト的な現象を引き起こすのかは、未だ持って謎である。

 ただその開発者、マッドサイエンティストと噂される故アーネスト・ホーエンハイム博士の謎に満ちた経歴を考えると、そこに得体の知れない何かを感じずにはいられないのも事実だった。


 一際輝きが激しくなり、異空間へのゲートから金属の光沢をもった人工物――――宇宙船の船首が姿を現した。

 何も無い空間から、全長2000mを越す巨大な宇宙船が出現する様は、不思議な光景だった。

 現れた宇宙船は、一般的にイメージされる船からはほど遠い形をしている。船首は先端が尖った楕円形、それが徐々に細くなり、中程でくびれている。くびれの一番細い部分を肋のようにぐるりと囲んでいるのは、太い金属製のフレームだ。その中には、この船の心臓とも言えるAHドライブユニットが納められている。しかし、それは“心臓部”というよりもむしろ、いざとなったらすぐに切り離せる“危険物”といった様相だった。

 船尾はまた太く大きく膨らんでいて、居住ブロック、ボート(AHドライブのない小型の宇宙船)のカーゴスペースが六角形に仕切られている。それはまるで巣を抱いた巨大な蜂のようだ。

 故に星間航行用の宇宙船を人々は「女王蜂クインビー」と呼んだ。

 今、惑星マルコポーロの双子の月、メノスとマイスを望む宇宙空間にゲートアウトした船には、重ね合わせた三本の剣が描かれている。三本の剣は三大星間企業の一角、「御剣」の社章。

 船の名は「クロノス号」。御剣が所有するAHドライブ搭載型宇宙船だ。



◆クロノス号 ロビー


 クインビーは航行能力はあるものの、宇宙船というよりはむしろ、星から星へ船や人を送る転移装置といった方が正しいのかもしれない。そしてその性質上、各星々への窓口、ステーションとしての機能も有していた。

 このクロノス号の窓口である中央ロビー、その広大なスペースは静寂に包まれていた。普段であれば乗客やスタッフ、自動端末ドローンで混み合っているはずのロビーにいるのは、黒服の一団のみ。それどころか、今この船で乗客と呼べる者は彼らだけだった。

 ―――否、だ。

 黒服の一団はそのたった一人を守るための護衛、いわば寒さから身を守るためのコートのようなものだ。

 ―――では、誰が?

 現在全宇宙で12機しか存在しない人類の宝。運用するだけで莫大なコストと人員を必要とする“女王蜂”を動かせるアーサーとは、いかなる存在なのか?


 規則正しい足取りで一団がロビーを横切る。

 前後を黒服に守られた中心にその人物はいた。

 肩幅が広く、スラリとした長身。ややクセのある髪は濃いブラウン。

 なかなかのハンサムだが、縁なしメガネの奥の目は細く、いつも笑っているように見えた。公表されている情報では、40歳のはずだがもっと若く見える。

 黒いシミのような一団の中、彼だけが色彩をもった存在だった。

 群衆モブの中の主役然とした存在感。

 事実、彼はいろんな意味で浮いていた。なぜなら、一部の隙もないスーツ姿の一団の中、彼の着ているのは、赤と黄のハイビスカスをちりばめたシャツ――アロハだった。

 高そうな薄いグレーの上着は、羽織らずに肩に担いでいる。まるで、リゾートに来た観光客そのものだ。

「専務……下にはメディアもたくさん詰めかけております。

 その際には……そのう……もう少し別のお召し物を着て頂けると…」

 彼の隣を歩いている紺のスーツを着た男が申し訳なさそうに言った。

「―――変? 僕は変かな?

 マルコポーロは暑いって聞いてきたから、涼しい格好をして来たんだけど」

 まったく悪びれた様子もなく、それどころか意味もなく楽しそうにアロハの人物は言った。


 そう―――

 この人物こそ、三大星間企業の1つ「御剣」のトップ。

 総帥“皇帝カイザー”アレクサンダー・マクマソン・ミツルギの元、全ての御剣グループを取り仕切る三人の統括専務の一人。

 御剣の社章、三本の剣になぞらえて“ナイツ”と呼ばれる彼ら統括専務は、総帥を除けば、御剣のナンバー2の地位にある。

 彼の名は、ゴードン・マクマソン・ミツルギ。

 総帥アレクサンダーは、彼の祖父にあたる。

 1年前にミツルギの名と共に統括専務に抜擢された新たなナイツだ。

 まさに大物中の大物。

 クインビーの貸切どころの騒ぎではない。

 事実、カーゴエリアには護衛にかり出された宇宙軍の船の姿も見られた。

「例の殺し屋の噂もあります……充分ご注意下さい」

 紺のスーツの男は、声を潜めて囁いた。

「伝説の魔剣使いか……僕に見せたいものというのは、それかい?

 アレクセイくん」

「―――ご冗談を」

 男――アレクセイの目がスッと細められた。

 胸板が厚く、顎の太い彼はスーツよりも軍服が似合いそうな風貌だ。

「冗談だよ―――考えている事が顔に出てるぜ?」

 ゴードンは明るく笑ってみせると、アレクセイの背中を叩いた。

「失礼を承知でお聞きします、専務。

 今回は視察と聞いていますが―――本当の目的は何なのですか?」

 低く、押さえた声音だった。

 発したアレクセイ自身でさえ、その問いに対する答えを期待していたわけではなかった。

 だが―――

「ひとつ―――良い事を教えよう、アレクセイくん。

 総帥は我々ナイツに本星でふんぞり返っている事なんか望んじゃいない。

 昔気質なんだよ、あの人は―――そして、僕たちを試している。

 ナイツなんて偉そうな呼び名で呼ばれちゃいるが、僕らはただの人間だ。

 でもあの人は、ただの人間でいる事を許しちゃくれないんだよ。

 何があろうとビクともしない絶対者であれというのがあの人の信条なのさ。

 ―――だからね?」

 そう言ってゴードンは、アレクセイに顔を近づけた。

 こちらをジッと見つめるハイ・エグゼクティブの瞳の奥に、アレクセイは炎のような揺らめきを見たような気がした。

「仮に―――もし仮に僕たちがに巻き込まれて命を落としたとしても、あの人は全然気にもとめないだろうさ。

 ただ、アイツは選ばれなかったと―――そう言うだけだと思うよ。

 それが例え実の孫であってもね?」

 そう言って薄く笑った。

 アレクセイは、背筋に直接氷を押しつけられたような感覚を覚えた。

 嫌な笑みだと―――直感でそう思った。

 もし、悪魔が存在するのなら、きっとこんな笑い方をするのだろう。

「さあ、行こうぜ。

 マスコミどもを待たせちゃ悪い」

 軽い足取りで先を行く後ろ姿を見つめながら、アレクセイはゴードンの二つ名を思い出していた。


“ゲームマスター”と―――



◆ホテル YOUSUI


 長い1日だった。

 いろいろな事がありすぎた。

 そして、何よりも体中がズキズキと痛んだ。

 魔剣使い白龍の一撃を思い出すと、未だ背筋が寒くなる。

「よく生きてたよなぁ……俺」

 ジョンは、改めて生き残った幸運を実感した。


 公園の一件の後、エンジェルシートからガス室通りへ、昨夜の事件現場をまわってみたが、これといった収穫は無かった。

 ただ、やたらとあちらこちらに警官の姿が見えたのは、もしかしたら逃亡したビル・ランスキーを探しているのかもしれない。だとすれば、まだビルはこの星にいるという事になる。


 昨夜、気絶していたはずのビルは、警官の隙をついて逃亡した。

 ナオミの話によると突然目を覚まし、火が付いたように暴れ出したのだそうだ。

 殺人事件の事は公になっていないので、ビルはジョセフの死を知らないはずだ。

 だが―――双子特有の直感のようなもので、何かを察したのかも知れない。

 いずれにせよ、今も逃亡中のビルがどこにいて、何をしようとしているのかは不明のままだった。ジョンを恨んで復讐しようとしている可能性もある。

「ヤレヤレ」

 仏頂面のフロントからルームキーを受け取り、そっと嘆息した。

 時間は夜の10時を回っていた。

 ジョンたちにとっては、まだまだ宵の口といったところだ。だが、とても出かける気にはなれない。そんな事よりも今は一刻も早くベッドにダイブして、朝まで泥のように眠りたかった。

 いつもなら真っ先に「気分転換」と言い出すピートでさえ、重い足取りでジョンの後をついて来ていた。二人とも疲れ果てていた。肉体的にも、精神的にも。

 あるいは、疲れを押してでも宿を移るべきなのかもしれない。

 白龍の一件は、彼なりの忠告のようにも思えた。

 相手が町のゴロツキ程度なら――それがギャングであろうとあの老人が口を出すような事はない。よほどの相手で無い限り、あのような行動には出ないはずだ。

 だとすれば、スポンサーであろうと星間企業のメトセラが用意してくれたこのホテルは、安全とは言えないのではないか。今すぐここを出て、ロビーに娼婦たちがたむろし、清掃係が客の部屋を物色するような、ジョンにとっては馴染みのある宿に移るべきなのではないか。幸い今なら、安ホテルの固いベッドでも“サンクチュアリ”のロイヤルスイートに思えただろう。

 ―――グルグルと思考ばかりが空回りする。やはり疲れているようだった。


「順調なら良し。苦難が来ればそれもまた良し―――か」

 姉が良く口にしていた言葉を呟き、ジョンは気持ちをリセットした。

 どのみち「待ち」は性に合わない。攻めるか守るかと問われれば、迷わず攻めると答える。それがジョン・スタッカーと言う男なのだ。



◆BAR フィーブルズ


 “フィーブルズ”の店内は、想像していたよりもずっと広かった。

 天井も高く、これなら大型の異星人でも入店は可能だろう。

円形の店内に広めのカウンター。中央にはステージが設けられており、それを囲むようにボックス席が配置されていた。

 ステージでは、リアルな猫のメイクをした半裸の女が、電子音のような音楽に合わせて体をくねらせていた。

 クイーンズランドシティの高級店らしい、清潔で上品な雰囲気を漂わせている。おそらく酔っぱらいなど、すぐにボーイが片付けてくれるのだろう。―――床のゴミを拾うみたいに。

 ジョンは、入口でコートと銃を預けると、ボックス席をすすめる女性店員を手で制し、カウンターについた。

 平日という事もあって、客の入りは六分程度。

 ジョンの右奥の席では、ウサギみたいな顔をした耳の長い異星人が早口でバーテンに何かまくし立てている。


「ギムレットを」

 目の前のバーテンに注文する。

「ハイジに会いたいんだ」

 カウンターにチップを置いて言った。

 鮮やかな手つきでジンをシェイクしていたバーテンは一瞬だけ手を止めると、器用に方眉だけを上げてみせた。

「ママは留守だよ、マーロウ」

 それだけ言うとジョンの前にギムレットのグラスを置いた。

 差し出されたグラスの透明な液体を見つめて、ジョンはしばし考えた。

 ――――否、考えているフリをしただけなのかもしれない。

 ガックリとうなだれるゼスチャーをして、盛大にため息をついてみせると、グラスを一気にあおった。

 カン――――と小気味良い音を響かせてカウンターに空のグラスを置いた。

 そして、一言一言ハッキリと区切るように、大きな声で言った。

「ジョン・スタッカーが“マシンガン”ハイジに会いたがっていると、伝えてくれないか?」

 次の瞬間――――店内は静まりかえった。

 バーテンはもちろん、しゃべり続けていた兎顔の異星人も。

 ステージ上のダンサーも、客にしなだれかかって嬌声を上げていた女も――――

 だれもかれもが黙り込んでジョンを見ていた。

 バタバタと慌てて店を出ようとしている者までいる。

「特大のヤツを踏んだぜ、セニョール」

 バーテンが絞り出すようにそれだけ言った。

 どことなく視線が泳いでいるのは、逃げ道を探しているのかもしれなかった。


ザワ――――

 店内がざわめいた。

 店の奥から誰かがやってくる。

 遠目にも解る――――2メートル近い。かなりの巨漢だ。

 浅黒い肌に傷だらけのスキンヘッド。大きくしゃくれたアゴに大きな鼻。

 身長だけでなく、胸板も厚く、ジョンの倍以上はある。

 体は人間のそれだ――――だが

 なぜか鼻の上にツノが生えていた。

 まるでサイのような顔だ。

「――――貴様か?

 ハイジさんに会いたいとか言ったヤツは」

 掠れた―――まるで石と石をこすり合わせたような声だった。

「“マシンガン”ハイジに会って話がしたい」

 巨体に似合わない、素早い動きでサイ男のごつい手がジョンの首を鷲掴みにした。

「“ハイジさん”だ―――。

 口の利き方には気をつけろ、ヒューマー」

 万力のような力でジョンの首を締め付ける。

 ジョンは、首を掴んでいる手を邪魔そうにジロリとにらむと、左手で握った。

 黒いグローブをはめた、義手の指が男の手に食い込んだ。

 サイ男の顔が苦痛にゆがむ。

 ジョンは男の手をゆっくり引きはがすと、そのままカウンターにたたきつけた。

「“ただ今お呼びします、お客様”だろう?

 口の利き方には気をつけろよ、ライノー」

「野郎――――」

 サイ男の顔が、興奮で赤黒く染まった。

 怒りに身を震わせてジョンに掴みかかろうとする。

 その時――――

「おやめ! ブレッチ」

 女の声がした。


ビリビリ――――

 カウンターがかすかに振動している。

 最初は地震かと思ったが、そうではなかった。

 すぐにそれは、こちらへ歩いてくる女のせいだと知れた。

ズン――――ビリビリ

ズン――――ビリビリ……

 女が歩を進める度に店内がかすかに揺れた。

 人間の女だ――――だが何もかもデカイ。

 身長もブレッチと呼ばれたサイ男より大きいが、それ以上に胴回りがデカイ。

 二本の足で支えて歩いているのが不思議な程、とにかくとてつもなくデカイ女だった。

 髪はピンクに染めた長い巻き毛。おまけにラメの入ったこれまたピンクのドレスを着ている。

 まるで巨大なピンクのカバが歩いているようだった。

 これにはさすがのジョンも驚きのあまり、呆然と見入った。

「アンタがジョン・スタッカーかい? ニュースで見るよりイイ男だね。

 アタシがお探しのハイジだよ。いったい何のようだい?」

 ジョンの前まで来るとハイジは、ニタリと笑って言った。


◆◆◆


 BAR フィーブルズは熱狂の渦の中にあった。

 店員も客も、誰も彼もがジョンとブレッチのいる席を取り囲んでいた。


ワアァァァァァァァァァァァ――――


 歓声が海鳴りのように一つの音となって響いている。

 ジョンは顔をしかめた。

 頭がガンガンする。吐き気がする。まるでひどい二日酔いのようだ。

 次の瞬間、巨大な拳骨が目前に迫り、ジョンを殴り飛ばした。

 イスから落ちて倒れそうになる体をカウンターの端を掴んで支える。

 大きくのけぞった体を無理矢理戻して、テーブルに手をついた。

 目の前のグラスになみなみと注がれたテキーラを一気に飲み干す。

「――――ぬるいぜ」

 隣に座っているブレッチにニヤリと笑ってみせた。


ワワアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ――――!

一際大きい歓声が店内を振るわせた。


「すげぇ! これで十発目だぜ?」

「ちくしょう負けた! なんで倒れねぇんだよ」

「素敵! ジョン――――抱いて~」

 賭に負けて悔しがる者。

 賞賛を送る者。

 見とれる者。

 三者三様の声が上がった。


 腕自慢の用心棒の顔に動揺が走る。

 ブレッチの顔は、見事に腫れ上がっていた。

 鼻血がたれて、歯も一本欠けている。

 そしてジョンの顔も似たようなものだった。

 二人ともボコボコだ。

 ジョンは相手のグラスにテキーラを注いで言った。

「次はアンタの番だぜ?」


 座ったまま、相手を一発殴る。

 殴られた者は、テキーラを一杯飲む。

 これを降参するか、テキーラが飲めなくなるまで繰り返す。

 二人が今行っているのは、そういうゲームだ。

 そのゲームの名は――――


「“アフターバーナー”で決めようじゃないか」

 非礼を詫び、教えてほしい事があると言ったジョンに、女主人はそう答えた。

「―――俺が相手になってやるよ」

 ブレッチが歯を剥き出しにして、どう猛な笑みを浮かべた。

「………」

 ハイジからルールの説明を聞いたジョンが、腕組みをして顔をしかめた。

「――――昔、初心な娘っ子がいてね。ある男に欺されて洗いざらい全部巻き上げられちまったのさ。良くある話だねぇ。

 相手の男ってのは、つまんないチンピラだったけど、一応それなりに肩書きのあるギャングの構成員だったからね、ただの娘には手の出しようはないのさ。

 ――――普通ならね?

 でもその娘はちょいとばかし普通の規格じゃなかった。

 マシンガンを手に入れて、一人でそいつの事務所に乗り込んで――――

 ダダダダダァァ――――ンってね?」

 ハイジは、マシンガンを撃つ真似をしてみせた。

 その話はジョンも知っている。この界隈では知らぬ者とてない有名な話だ。

 もちろんその娘というのは、ハイジの事だ。当時の彼女がどんな体型だったかは解らないが、銃はマシンガンでは無かった。彼女が持つとマシンガンに見えたようだが、それはガトリングガンだったそうだ。

 それ以来彼女は“マシンガン”ハイジと呼ばれるようになったという。

 “ガトリングガン”ハイジでは、語呂が悪かったせいだろう。

 その時、事務所にいた連中は殆ど死に、もちろんハイジも報復で殺されるところだったが、どういう経緯かギャングのボスに気に入られ、今ではマルコポーロの夜の顔役となった。

「“マシンガン”ハイジなんて大仰な二つ名だけどね?

 アタシにとっちゃ苦~い思い出の名なのさ。

 今でもここのところに、少しばかり残っている乙女心ってヤツにチクッと来るのさ」

 昔日の乙女は、左胸を指さすとウインクを返した。

「よし! やろう!」

 話を聞いたジョンが膝を叩いた。

「へえ……筋は通すって訳かい?」

「――――違う」

 ハイジの問いに、ジョンはかぶりを振った。

「女心を傷つけちまったのなら、償わなきゃいけないだろう?

 ――――女に辛い思いをさせるのは、主義じゃないんだ」

 そう言ってジョンは明るく笑った。

「――――イイネ」

 つられて、ハイジも笑う。

「――――安心しろ、利き腕は使わないでおいてやるよ」

 ブレッチが顔を近づけて挑発する。

 ジョンは義手の左腕をカウンターに乗せるとニヤリと笑った。

「俺もこっちは、使わないでおいてやるよ」


◆◆◆


 朦朧とする意識の中、ジョンが覚えているのは、大の字になって失神しているブレッチの姿だった。

 派手に吹っ飛んだ後、何とかカウンターに戻ったブレッチは、テキーラをあおった勢いで倒れて動かなくなった。

「約束を守ってもらうぜ―――」とジョンは立ち上がってハイジに近寄ろうとしたが、数歩歩いたところで足がもつれて倒れてしまった。

 記憶はそこで途絶えている。

 “―――あれ? 俺も失神したって事は、引き分けか?”

 ジョンはぼんやりとそんな事を考えていた。

 酔いと傷の痛みで顔から火が出そうだった。“アフターバーナー”とはよく言ったものだ。

 ジョンはひんやりとした冷たい感触を感じた。

 誰かが何かを顔に塗っている。塗られたところから、痛みが嘘みたいに引いていった。

 柔らかい感触が頭の下にあった。誰かがジョンの髪を撫でている。

 なぜかわからないが、とても懐かしい、心が安まる思いがした。

「ルシィ―――」

 自然とその名を呟いた。

 引いていく痛みと共に、水面に浮上するように徐々にジョンの意識が覚醒していく。

 ゆっくりと目を開けた。

 ルシィの顔が目の前にある。ルシィが髪を撫でている。

 柔らかい感触は、彼女の太ももだ。どうやら膝枕をされているらしい。

「ルシィ……」

「どうやら目が覚めたようだな、スタッカー」


「――――――!」

 その一言で、朦朧としていた意識が一気に覚醒した。


 勢いよく起き上がると、後ずさるように距離をとった。

「ケイ・アガタ!

 ……おまえがどうしてここにいるんだ」

「ケイでいい。

 介抱してやったというのに、失礼な男だな」

 黒いスーツを着た、ルシィと同じ顔の女はそう言って薄く笑った。

 灯りの下で見ても、やはりケイの顔はルシィにそっくりだった。

「まさか、ケイ姐さんと知り合いだったとはねぇ」

 ハイジの声が聞こえた。

「姐さんはやめてくれ、ハイジ。

 私の方が随分年下のはずなんだから……」

「―――そうだったね」

 親しげに二人は笑い合った。

 ジョンが寝かされていたのは、フィーブルズの個室のようだ。おそらくハイジの執務室といったところだろう。店内の喧噪がわずかに聞こえてくる。

 広めの室内には、大きなソファーとテーブルが置かれており、部屋の隅には、分厚い合成木材の端末付テーブル。ジョンなら三人は座れそうな丸イスには、ハイジが座っていた。

 ジョンが寝かされていたソファーの反対側には、ブレッチが不機嫌そうに腰かけている。

「おまえを探していたんだ、スタッカー。

 そしたら、この騒ぎに出くわしたわけさ」

「いったい何の用―――」

「その前に、おまえの用事を先に済ませたらどうだ?」

 ジョンの言葉を遮り、ケイはハイジを見た。

「約束だからねぇ……話とやらを聞こうじゃないか」

 ハイジは細身のタバコをくわえるとジョンに向き直った。

 巨漢の彼女がタバコをくわえていると、まるで爪楊枝を口にしているみたいだ。

「―――でも、あれは引き分けじゃないのか?」

「おまえの勝ちだ、BH」とブレッチがジョンの方を見ずに言った。

「―――律儀だね。……でもブレッチもああ言ってるんだ。

 質問とやらをすればいいさ」

 紫煙を吐き出すと、ハイジは楽しそうに笑った。

“この女に話を聞かせて良いだろうか”ジョンはケイを見、胸中に問う。

 しかし、それも一瞬。

「それはそれで面白いかもしれないな」と開き直る。

 こちらを見たケイが微笑んだ気がした。

「解った―――」居住まいを正し、ジョンはハイジを見た。

「話をする前に、まず確認したい事があるんだが―――アンタはジョセフ・ランスキーが殺された事は知っているかい?」

 チラとケイを見たハイジが胸を反らした。

 胸の――どこから胸か腹なのか解らないが――肉がブルンと波打つ。

「もちろん知っているさ。アタシを誰だと思っているんだい。

 ―――聞きたい事ってのは、それかい?」

「まさか―――アンタがどっち側か確認しただけさ」

 ニヤリとジョンが笑う。

 そう―――これに「何のことか」と答えるようでは、そもそも話にならない。

 ケイとつながりがあり、事件の事を認めるというのなら、この後の話も出来ようというものだ。

 ジョンは、タバコを取り出すとマッチで火をつけた。

「今時マッチを使ってるヤツは、初めて見たよ。

 それに“新星”か…なかなか珍しいのを吸ってるねぇ」

 大きな星に“漢字”で新星と書かれたロゴを見て、ハイジが言った。

 ジョンは深くソファーにもたれると、天井に向けて紫煙を吐いた。

「ところで――――アンタのところでは、もしかしたらそこのサイ男の他に、もう一匹ペットを飼ってるんじゃないのか?」

「ほぉ――――」

 ハイジの目がスッと細められた。

「例えば……両腕にコンバットアームを仕込んだゴリラとかね」

「……」

 一瞬で場の空気が変わった。

 上機嫌で笑みを浮かべていた女主人の顔から、表情が消えた。

 ブレッチが動揺し、ジョンに何か言おうとする。ハイジが無言で手を延ばし、それを制した。

 ボッと小さい音をたてて、くわえていたタバコが一気に灰になった。

 額に血管が浮き上がっている。

 巨漢の女主人が腰かけているイスが、ミシリと嫌な音をたてた。

「ジョン・スタッカー……」

 低く、怒りを押さえた声音でジョンの名を呼んだ。

「アタシにかまをかけるたぁ……いい度胸だ。

 ――――だがね?」

 身を乗り出し、ジョンの目をのぞきこんだ。血走った小さな目に怒りの炎が揺れていた。

「あまり舐めたマネをしない方がイイ。

 ――――アタシを怒らせない方がイイよ」

「怒らせるとどうなるんだ?」

 ハイジは気の弱い者ならそれだけで気を失いかねない、すさまじい笑みを浮かべた。

「どうなるかなんて、気にする必要がなくなるのさ」

「そいつは、参ったな……」

 ソファにもたれたまま、ジョンは相手の視線を受け止めた。

「なぁ、スタッカー……」

 ハイジは灰になったタバコを投げ捨てると、金のシガレットケースから新しいタバコを取り出した。

 場の空気がわずかに緩む。

「アタシを怒らせて、アンタは何を聞きだそうとしてるんだい?

 まだるっこしいやり方はおよしよ。似合わないよ?」

 ライターで火をつけながら、ハイジは言った。

 使い込んだ鈍色のライター。見覚えのある昆虫のデザインが目に入った。ジョンの頭の中で、いくつかのピースが朧に形を成したような気がした。

「お見通しってわけかい?

 さすがは、マルコポーロの夜の顔役だ」

 ジョンは苦笑し、肩をすくめた。

「じゃあ、単刀直入に聞くぜ。

 ビル・ランスキーの居場所を知ってるかい?」

「知っている―――と言ったらどうするんだい?」

 ハイジは挑戦的な笑みを浮かべた。

「そこがもし、安全な場所ならアンタが守ってやってほしい。

 ―――もちろん、俺が迎えに行くまで」

 これには、さすがのハイジも驚いた様子だった。

 肉に埋もれた小さな目が大きく見開かれた。

「なんだって?」

「珍しいゴリラの首を欲しがる連中がいるかも知れないって事さ」

「アンタ……」

 それきり、ハイジは黙った。

 彼女にしては珍しく、次の言葉に迷っているようだった。

 ブレッチが何か言いたげに主人を見た。

 ハイジがそれに頷いてみせると、用心棒は一人部屋を出て行った。

 やがて、ハイジは意地悪そうな笑みを浮かべ、口を開いた。

「ダメだね」

「どうしてさ」

 ジョンが不服そうに身を乗り出した。

「本人が嫌だと言っているからさ。

 どうしてもって言うんなら、直接交渉するんだね」

 そう言ってハイジは、器用に指を鳴らした。

 バチン―――と小気味良い音が響いた。

 それを合図に、ブレッチが部屋に入ってきた。

 彼は一人ではなかった。


「ジョン・スタッカー。おまえに頼みがある」

 ブレッチと一緒に部屋に入って来た人物。

 ビル・ランスキーはそう言った。

 






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