2

右肩から振動が伝わり目が覚めた。

ぼやけた視界の先には、紺色の物体、次に真新しい帽子のツバが光ったのが眩しく見えた。

「お客さん、終点ですよ。この電車は車庫に入るため、降りてください。」

車掌さんが、優しく私の肩を叩いて起こしていたのだ。

会社の上司や、お酒好きの友達からよく聞く話。

「酔っ払って、寝過ごしてしまい‥気が付いたら終点駅でさぁ、帰れずそこから始発だったよー。と。」

寝過ごした?!

私、お酒飲んでない。

そぉ言う問題でもない。

パニックで手汗が出てきた。

「ここ何処ですか?」

「ここは人沼駅です。」

「人沼駅?あっ今、何時ですか?」

「11:58分、もぉすぐお昼ですね。」

「ありがとうございます。すいません。降ります。」

慌てて立ち上がり、電車から飛び降りた。

「あのーここから帰る電車は、次の出発は何時に来ますか?」

「今日の電車は無いんです。」

車掌さんが答えた瞬間、扉が閉まった。

満面な笑顔の車掌さんは、動き出した車内から軽く会釈をし、電車と共に車庫へ行ってしまった。

車庫へ向かう大きなトンネルに吸い込まれるように、電車のライトと走る車輪の音が暗闇に消えて行った。

数秒後ふと、我に返り右手でバイバイをしていたことに気付いた。

パニックで出た手汗は引いていた。

呆然としながらも、無意識に身体は笑顔の車掌さんと電車を見送っていた。


人沼駅は、無人駅だった。

小さな屋根だけの駅、簡易トイレ、駅名の書かれた駅名標。

ベンチと街灯が1ツづつある。

駅名標とベンチは、木で出来ていて、白いペンキが塗られていた。

所々、ペンキが剥がれているのも味がある。

長閑で山奥であること、空気が澄んでいるのは五感で分かる。

しかし人の気配が全くない。

民家らしき建物は、駅からは見えない。

ぼーっとしている頭の中では、

「今日の電車は無いんです。」と言われた言葉が何度も何度も繰り返えされ、車掌さんの笑顔が薄れていった。

知らない土地、今日は帰れない。

こんな日に限り‥

腕時計も、携帯電話も忘れた。

最悪過ぎる。そして連絡手段が閉れた。

考えれば、考える程‥

心配と不安が、襲い掛かってくる。

「どぉしよう。会社無断欠勤だよ。クビかも‥」

「どぉしよう。親父に夜ご飯作らなきゃだったし‥」

「どぉしよう。真邉氏とランチの約束‥」

「どぉしよう。Zeppライブの振込、今日までだった‥」

警察へ行方不明者届けを出されるのだろうか?厳しい親父と、しっかりした妹に怒られるのが目に見えると逆に、このまま帰りたくない気持ちも‥

過去2人に、こっぴどく叱られた記憶があり‥自分が悪いのだが迷惑を掛けてしまったあの事件。

私はビーチクルーザーに乗っていた。あの日以来、ビーチクルーザーを乗ることは禁止になった。

洋服を入れるクリアケースを買い、ビーチクルーザーの上向きの右側のハンドルに大きな袋を下げた。籠はついていておらず、ジャケットの左ポケットには飲みかけのココアの入った紙カップを入れて家に向う道路を走った。

多少、右側のクリアケースが重く、バランスが悪かったもののビーチクルーザーを得意気に乗って帰っていた。

次の瞬間。歩道に電柱と木が在り、ビーチクルーザーのハンドルが挟まった。

抜け出そうとした時、バランスを崩し左頭をコツンと民家の壁石にぶつけた。

クリアケースの袋は破け、ジャケットのポッケに入っていたココアは人の家の前にブチ撒けてしまった。

これは、不味いとビーチクルーザーを歩道の端に停め、ココアの入った紙カップ、蓋、クリアケースを回収した。

左頬から冷たい液体が流れるのを感じて手で触った。

血だった。

顔面蒼白になり、親父に電話した。

「もしもし、ごめん自転車で転んだから迎えにきて。ケーキ屋さんの近くに居る。」

と電話を切った。

散乱しているクリアケースの袋や、零されているココア、しゃがみ込んでいる女をこの家の息子が私を発見した。

「大丈夫ですか?」

声を掛けられ平常心に戻った。

「すいません。大丈夫です。」

そこのお宅は田尻と表札があった。

大丈夫だと言っても、事態が事態で、家の前に血を流した女が夜居たら不気味に思う。

田尻さんの家族が続々と外に出てきた。

お父さん、お母さんと家の前交通事故が起こってしまったのではないか?

と様子を伺うように。

恥ずかしい。転けて田尻さん家の壁石で頭をぶつけて血を流しています。とは言えない。迷惑すぎる。

ビーチクルーザーのハンドルが木と電柱の間に挟まり出れなくなりましたとは‥

「すみません。親に電話して迎えにくるので大丈夫です。」

と答えと気丈なふりをして答えた。

お父さんと、お母さんは交通事故ではなかったと、息子と友達に任せて家の中へ戻って行った。

高校生の息子さんと、一緒に遊んでいたであろうお友達が、親父の到着を待っていてくれた。

5分ぐらいして、ワゴン車が到着した。

私は立ち上がり「来た、あれだ。」と車へ向かった。

運転席から降りた親父は、私の方へ歩いてきた。

「どぉーした?!」

「チャリで転けた。」

頭からの出血量は多く、ベージュのジャケット半分が血で染まっていた。

余り痛みがなかった分、自分でも見た目の酷さにホラーを感じたが、親父はただ脚を擦りむいた程度としか想像していなかったらしく驚いていた。

「事故じゃないのか?」

「うん。自爆。」

後ろに居た、高校生のお兄さん達がビーチクルーザーやクリアケースを車に積むのを手伝ってくれた。私はこっそり車に乗った。

助手席に妹が居た。

「ちょっと、どぉしたの?」

「転んで頭ぶつけたら血が出た。」

親父は、高校生のお兄さん2人に何か御礼をと、近くにあった自動販売機でジュースを買っていた。

「悪かったな。ありがとう。本当にすまなかった。」

と高校生2人に謝罪をして運転席へ戻ってきた。

「本当に事故じゃないのか?」

「うん。」

「救急車もなぁ。朱莉ちゃんの勤める病院は駄目か?」

親父が真剣に聞いた。

「ちょっと、恥ずかしいよ。お姉ちゃんが自爆で頭切ったで病院に連れて行けない。」

「でもなぁ‥時間がなぁ。」

車のダッシュボード付いている時計は19:00を回っていた。

私は後部座席で、ただ黙って傷口をテッシュ抑えていた。

「俺の行ってる介護の本部の病院に電話してみよう。駄目だったら、また考えよう。」

親父は携帯を取り出し電話を掛けた。

「あっ、もしもし村瀬です。ちょっと娘が自転車で転んで頭を切ってしまって‥はい。はい。」

携帯の通話口を親指で抑えて後部座席の私を見て「今、受付の人に聞いて貰っている。」と小声で言った。

保留の音楽が切れ再び通話し始めた。

「はい、ああーそぉですか助かります。今から行きますので宜しくお願いします。」

親父は、安心した明るい声で通話を終わらせた。

妹の朱莉が「何だって?」

「ちょうど、整形外科の先生が居てくれたんだよ。待っててくれるって。お前良かったな。」

私は肩身が狭かったから、言葉を発さず頷いた。

親父の勤める病院へ着いた。

看板の電気は消えていて、緊急用の裏口から入った。

「本当、申し訳ないです。」

と親父は、受付の女性に頭を下げた。

至って冷静な妹の朱莉は「本当だよ。」と私を見た。

保険証を受付の女性に渡し、すぐ診察室に案内してくれた。

40代ぐらいの黒髪の顔は少々エラのある男の先生だった。

「もぉ、血は止まってきているけど縫わなきゃだね。」

髪の毛をワシャワシャと分けて言った。

縫う?!

「えっ?縫うまでの傷?痛ですか?」

ビビる私に先生は諭すように言った。

「大丈夫、麻酔するから。お酒は飲んでいないよね?」

「はい。飲んでません。」

「診察台に横になって。ちょっと縫うから髪の毛を、ちょっと切るね。」

チョキチョキと切られる音がした。

傷口を先生に向けた時、私は壁側を向く体勢だったが、頭に麻酔の注射を打ち、縫われているのも先生の影や動きで分かった。

血の付いた髪の毛もアルコールで拭いてもらった。

「はい、終わったよ。」

20分ぐらいだった。

「早いです。有難うございます。あのぉ‥編みみたいな帽子被るんですか?」

先生は笑った。

「ネット包帯ね、被ってもいいよ。欲しい出すけど。」

「ああ、要らないです。」

先生は鏡で処置した頭の場所を見せてくれた。

ガーゼの両端にアメリカピンが一本づつしっかり付けられていた。

「頭は数日洗えないから。明日から消毒に通ってね。」

「分かりました。」

診察室を出た。

妹の朱莉が「あれ?ネット被ってないじゃん。」私は眉間に皺を寄せて怒った顔をした。

その間、親父は会計をしてくれていた。

また、私の頭に付いているガーゼを見て朱莉が笑った。

「それ、新しい」

自分では、ぶつけた時の痛みはそれほどでもなかったから、3針縫うまで切れていたとは思っていなかった。

野球部の同級生の男友達が話してくれたのを思い出した。

「ナイターやっててさ、ライトの先輩が眼鏡掛けてたんだよ。ナイター照明の光の反射もあったんだろうね。見えずらかったらしくボールが眼鏡に直撃しちゃlちってさ。眼鏡のレンズがプラスチックじゃなくて硝子だったんだよ。片方のレンズが割れちゃって眉毛部分を切っちゃってさぁー。顔面血だらけ。顔とか頭ってちょっと切っただけで出血量が多いんだよ。俺も、皆慌てちゃってその日は先輩を病院に連れて終わりにしたけど、先輩は2針縫ったんだよ。」

私は、あの時和風居酒屋のカウンターで顔は痛そうだねと表現しながら他人事のように、エイヒレをむしってた。

自分が先輩と同じ目に遭う予告だったのではと、同級生の男友達に、その日の夜にメールしてしまった。

今日は私が頭を縫いましたと‥

次の日からは、仕事の帰りに毎日、病院へ消毒に通った。

さすがにシャンプーの要らないスプレーを購入し、使用していたが頭皮のベタベタと臭いは日を増すに気になった。

抜糸1日前で駄目だったぽいけど、我慢出来ず妹の朱莉に頼み、頭を洗うのを手伝ってもらった。傷口のガーゼを抑えて洗面器に頭半分を浸けてゆっくり洗った。傷口のギリギリまで髪の毛を分けて濯いだ。とてもスッキリした。

少しガーゼ濡れてしまった為、アメリカピンで留めてあるガーゼを取ってみた。

首を横にしながらドライヤーをかけていると妹が傷を見せてと言ってきた。

仕方なく、ドライヤーを止めて頭を差し出した。

「黒い糸で縫われてる。髪の毛は切られてるからこの部分だけスポ刈り?3厘ぐらいになってるよ。ここハゲるね。」

「えぇー。ちょっと見たい。」

妹が手鏡を持ってきてくれた。

私は傷口に掛かる髪の毛を抑えながら、妹は手鏡を持っていてくれた。

「本当だ。スポ刈り‥しかも黒い糸がツンツンと縫われて立っているね。明日漸く抜糸だよー。」

娘達のやり取りを見ていた親父が

「お前、菓子折り買えよ。」

「何で?」

「何でじゃないよ。呑気なもんだ。人に迷惑掛けといて。田尻さん家に持って行くんだよ。」

「すみません。明日デパート行ってくるよ。」

次の日、私はデパートの地下にあるお菓子屋さんでクッキーの詰め合わせを購入した。

土曜日だったから、親父も行くと車で田尻さん家まで一緒に行った。

田尻さんの家の前に車を止めて玄関のチャイムを鳴らした。

あの時に助けてくれた高校生のお兄さんが出てきた。

お兄さんは私を見て、あっ。と言う表情になった。

「この間は、すみませんでした。」

と、私は目を伏せ気味に菓子折りを渡した。

「本当、しっかりしてください。」

と10歳ぐらいは年下であろう高校生のお兄さんに言われてしまった。

車の運転席の窓を開けた親父が、高校生のお兄さんに「すまないなぁ。」と手を上げた。

田尻君は、会釈した。助手席に乗り込み

「高校生にしっかりしてくださいって言われちゃったよ。ダサいね私。」

「当たり前だろ?あのお兄ちゃんの言う事が正しいし、助けて貰ったんだぞ。優しい若者に感謝だろ。頭臭いとか痒いとかじゃないぞ。それと、大きい荷物を買う時は車で行くこと。そしてビーチクルーザー運転は禁止。分かったな。」

「はい。」

ドジばかりの自分の過去と、また今日も迷惑を掛けてしまっていることに落ち込みを感じ深い深呼吸をして、頭の中を真っ白にしてみた。

抜け殻状態とはこの事だろうか?

取り敢えず座ろう。と思い白いベンチへ数歩行き腰掛けた。


人沼駅は、ポカポカの陽気に包まれ、雑音一つなく静かだった。

私は、朝から今までの行動と出来事を振り返り始めた。

朝起きてから、電車に乗るまでは“いつもと”同じだった。

誤算は、椅子に座われてしまったところからだ。

周囲の人達の視線を遮るためにした、寝たふりが、つい寝てしまい“いつも”と違う場所に着いてしまったのだ。

座ったことに、今更後悔しても戻ることは出来ないと思い下唇を噛んだ。

“人沼駅”と言う駅があることすら知らなかったし、ここの場所なんて知らなくても、正直、生きてられるけど‥

私には、まだまだ知らない事や、知らない世界は沢山あんだと思い知らされた気持ちになった。

ただ、TVやネットを見て知ったフリをしているだけの表面的な知識だけの薄っぺらい自分。

やたらと反省したくなり大きな溜息をついた。


ベンチから立ち、駅のホームの端から端まで歩いてみることにした。

距離は25m有るか?無いか?

学校のプールぐらいかな?

それより短い気もする。

乗った地元の駅では、十両以上の長く繋がっていた車両が、人沼駅に着いた時は一両になっていた。車両が離されていた事にすら気づかず、私は爆睡していたみたいだ。

駅を利用する人が少なければ、ホームも電車も短かくなるのは当然のことになる。

一歩、一歩進んでみるものの、景色は同

じで緑の山が延々と続いている。

「これじゃー、野宿決定?

いや、まだ諦めるのは早い。半日は残っている。」

TVで芸能人が宿泊させて貰える番組を信じて、駅から出ることにした。

屋根だけある無人の小さな改札を抜けて、「ワープ」と言った。

歩幅を大きめにジャンプしてみたけど、人沼駅のホームから見える景色と略変わらなかった。

道は1本、右と左に続いている。

左の道は、途中で車庫へ続くトンネルになっていた。

「さて、どっちがいいんだろう?」

目を瞑り、左手で左眼を覆い考え事をす

るのが私の癖だった。

「あっ、車庫の方に向かえば車掌さんか、運転手さんに会えること間違いない。」

車庫へ続く大きなトンネルを目指した。

人沼駅のホームからトンネルは近くに見えが、思ったよりも、遠く30分ぐらいは歩いただろうか?

今日は勘と言う時計しか持っていない。

線路と道の間に柵はなく、草が生い茂っていた。

漸くトンネルの入口に着きトンネルは大きく、迫力があった。

中は光が一つもなく真っ暗、懐中電灯など、明かりを灯せる道具は持っているはずもない。

携帯電話も忘れた。

ここは、勇気を振り絞り歩いてみた。

笑顔の車掌さんに会いに。

「一歩、二歩、三歩、四歩、五歩‥」

順調に進んで行った。

5メートルぐらい歩いた、その時、

莫大な音と、大きくなっていく光が私の方へ向かってきた。

「ひぃぇぇ。電車!」

線路脇に逃げたが、電車とトンネルの間は人が2人列になったら電車に接触してしまう程の距離しかない。

コンクリート塗りで出来た壁は真っ平で

捕まるところは無い。

これでは、飛ばされてしまうのではと思い私は、咄嗟にうつ伏せになり、両腕を伸ばし両手で枕木を掴んだ。

地面に顔を押し付け、線路に転がる砂利石が氷のような冷たさが頬から伝わってきた。

頭から背中と背後に、体感したことのない暴風が吹き、身体が持って行かれないよう全身に力を入れた。

スカートが引っ掛からないよう、両足で挟んでみたものの、裾が凄い早さで太腿の裏を打ち付けている。

台風が来た時の、お店が掲げている昇り旗のようにバタバタバタと‥

電車の走る爆音と暴風が止んだ。

電車が去ったかを、少し頭を上げて振り返って確認した。

茶色の貨物列車だった。

耳の中がボワンとして聴こえが悪く、ライブハウスから出て来た後の騒音性難聴になっていた。

ライブハウスの音楽よりも数倍、貨物列車の走る音は、耳にも衝撃を走らせた。

投げてしまった鞄を掴み取り、ダッシュでトンネルを逃げるように走った。

スタンドバイミー気分を味わうのは、ものの数分では打ち消され、貨物列車に引かれそうになった恐怖と、どこまで続くか分からない暗いトンネルを、進むのは危険と判断した。

人沼駅周辺にいれば、また貨物列車がきて手を降ったりと存在をアピールすれば運転手さんが気付いて、停まってくれるかも知れない。

帰る電車がなくても、貨物列車が来るかも知れない。また通ることを期待して、人沼駅に戻ることにした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る