第10話 壮大なる野望と没落


その日は小雪交じりの冬の日だった。12月の北朝鮮は常に極寒といえる。

アメリカ軍の特殊侵攻部隊は、大型スティルス機F-113 ナイトホーク、そして 戦略爆撃機 B-4 スピリットに乗った300人の部隊で、日本海から興南(フンナム)経由で北朝鮮に入り、平壌(ピョンヤン)上空で静かに落下傘降下した。3000フィートからの高度からの落下にも耐えられる最新鋭の防寒具をつけ、自動の制御装置つきの飛行装置をつけた300人は、平壌を流れる大同江(テドンガン)の羊角島(ヤンガッドゥ)国際ホテルの屋上に集結した。この飛行装置は落下速度を目標地点に対し自動で制御でき、風の流れに対して前後に移動できるように超小型のジェットスプレーを備えている。途中、何カ所かは気流が悪く流される隊員もいたが、落下最後段階の高度付近の気流が安定していたので目的地付近ではほぼ全員が正確に着地出来た。この300人の兵士は最新のパラグライダーを装着し、50cmの誤差で瞬時に風や雨の向きに対応できる自動着地誘導装置も搭載している。約15分かけて静かに屋上に降り、すでに潜入していたエージェントの手引きで予め占拠して置いたホテルの15部屋に分かれて待機した。ホテルの職員に変装した兵士が、ロビーですべてをコントロールしている。しかし、即座に部屋に移動しないと300人と300個のパラグライダーは収容できるほど屋上は広くない。それに、深夜の黒ずくめの装備で地上からの肉眼では捉えにくいとはいえ用心にこした事はない。

一方、残りの900人は、西朝鮮湾からレーダーに映らず、ソナー感知に引っかからない複数のスティルス潜水艦で潜入し、艦内から発射でき15人を一度に曳航できる最新型小型水中艇で大同江(テドンガン)を遡って羊角島(ヤンガッドゥ)に到着した。実は1866年に、アメリカの武装商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めて大同江を遡ったことがあり、その時は平壌の近くで軍の攻撃にあい乗組員全員が殺害され船が焼き払われたことがあった。武装商船ジェネラル・シャーマン号と今回の潜入の違いはスティルス型潜水艦であることである。真冬の川の中を注意深く見る人間はほとんどいないので見つかりにくい。それに、レーダーに映らなければ、スクリュー音もしない最新鋭の小型潜水艦である。大同江河口から兵士は、小型のスクリュー艇に15名ずつぶら下がり川底を這うように侵攻した。このスクリュー艇は実際にはスクリューを使わない最新鋭機で、したがってスクリュー泡も生まれない。赤外線透視スコープで地形を見ながら侵攻できるタイプであるためライトを使わずに進む。さらに、兵士のシュノーケルは泡を高速回転で細かくする特殊装置つきであるため、ボコボコと上がってくるシュノーケルバブルが上がってこない。したがって、川の上から見ても気づくことは出来ない。

司令部は羊角島(ヤンガッドゥ)国際ホテルの屋上に設置された。警備関係の兵士は既に捕獲され、朝鮮語ができる米兵が朝鮮兵士になりすましている。無線機の扱いとQ&Aを暗記しているので、穏便に事が運べるはずである。潜水艦の部隊は艦内でヒーターつきの防寒潜水服に着替えていたので、川の中で合図を待っていた。合図は、午前2時の予定であった。計画では、羊角島(ヤンガッドゥ)に上陸しそこを通る平壌駅を抜けて、約半分の部隊が、「101連絡所」 、「党39号室」 、「万寿台議事堂」 、「二月銀色(ウンビッ)貿易会社」 、「平壌商標工場」 を襲撃し、残りの半分が、「党3号庁舎」 内にあるキム・ウンテ本人と親族が収監されている設備を襲撃することになっている。情報では、キム・ソンナム現委員長は側近や親族と平壌の大同江外交団会館で内輪の宴会を催している、とのことである。それぞれの部隊は、交戦に備えて重装備しており、メディック(衛生兵)や証拠の品や映像を撮るクルーも参加していた。

作戦終了後には、速やかに逆の手順で引き上げ、ピョンヤン空港に集結することになっている。そして、数時間後にはエリック・ジョンソン、アメリカ合衆国大統領より世界に向けて、北朝鮮への侵攻とその成果に関する発表が予定されている。事前に韓国には作戦を説明し38度線の警備を依頼する。今回の作戦は北朝鮮への侵略ではなく、現政権の不正を世界に暴き、人民を結果的に解放することである。後は、国連主導による全体選挙を実施し真の「世界の仲間入り」 をさせることである。是非とも成功させなければならない作戦である。



マイケルは、日本海の公海洋上に浮かぶKitty Hawk(キティー・ホーク)航空母艦で太平洋軍総司令部(CINCPAC)の連中と一緒にいた。指揮を取るのは軍司令部だが、軍では判断出来ない問題が発生した場合の相談役のような立場で待機していた。作戦自体の指揮を取るのではなく、マイケルの知識が必要となったときの情報提供である。それぞれの目標地点は、スリーパーや過去の平壌訪問者の証言や衛星写真、さらに中国や北朝鮮と友好関係にある国の旅行ガイドブックなどにより位置関係は正確に把握している。殆どの兵士にもGPS付きのナビゲイション装置を暗視装置に写しながら見られる装置を付けていた。

キム・ウンテ 、キム・ソンナム、その他の閣僚、金田勝(キム・ヨンチョル)、KMそしてKMの部下のキム・チョンミルなどの顔写真は克明な特徴を記した情報とともに精鋭部隊の兵士は暗記しているはずである。

地上組の兵士全員は新しく開発された防寒ウェアを着ており、零下の寒さの中でも指先の感覚が死ぬことはない。また、平壌では他の北朝鮮の都市同様、深夜は街中でも真っ暗なところが殆どである。一説には、キム・ウンテが夜の襲撃を恐れて、ライトダウンしているのだろうと言われているが、実際は非常に乏しい電力事情に原因がある。そのために、兵士は全員赤外線透視カメラ付ゴーグルを着用している。北朝鮮のパトロール部隊に赤外線の監視カメラを使用するほど、裕福ではないことは諜報活動で判明している。よほど多くの北朝鮮兵士がパトロールしており、網の目のような防御体制でも敷いていない限り、見つかることはないと研究結果の報告もでている。暗闇に乗じて問題なく遂行できるはずである。

しかし、それぞれのターゲットでは当然、交戦も覚悟せざるを得ないし、交戦が発生すれば米軍兵士がサイレンサーを使用しても、一旦、相手が発砲すれば蜂の巣を突っついたようになるだろう。被害を最小限にするには、同時にアタックするほかない。また、移動中に警邏隊に見つからずに進むことが重要である。これらの重要な拠点を完全に制圧し、マスコミを通じて北朝鮮全国の兵隊に戦意欲をなくさせるのも重要な事である。

2時になった。作戦開始時間である。

羊角島(ヤンガッドゥ)国際ホテルに隠れていた米兵士および、小型潜水艦に隠れていた米兵士が、担当別に、遠いターゲット担当順に上陸した。ターゲットの殆どは大同江と平壌駅のある線路の間に位置している。上陸した米兵士の戦闘部隊は平壌駅の警備に当たっていた北朝鮮兵8人を、音を立てずに捕縛した。最初の難関突破である。ここで騒ぎが大きくなると全体の作戦に影響がでて、負傷者さらに死者の数が数段多くなる。

その後、残りの米兵士は、中洲に位置する羊角島から、「101連絡所」 、「党39号室」 、「万寿台議事堂」 、「二月銀色(ウンビッ)貿易会社」 、「党3号庁舎」 、「咸境南道(ハムギョンナムド)・燿徳(ヨドク)政治犯収容所」 、「平壌商標工場」 の順に配置に付く。深くし静かな作戦、ということで「サイレント・ドルフィン」 と名づけられていた。



ついに、動き出した。

3時には平壌郊外のウンチョン区にあるピョン・ソン商標印刷工場以外のターゲットに対する同時にアタックが始まる。殆どの米兵は、所定の位置につき、待機しているころである。いまのところ、静かな進行状況である。羊角島(ヤンガッドゥ)国際ホテルに設置された現場の司令部から、Kitty Hawk(キティー・ホーク)航空母艦の作戦本部に最終の「GO」 サインの確認を要求してくるはずである。

2時58分、現地司令部からの連絡があり、司令官は「GO」 のサインを出す。もう止まらない。平壌上空にセットされている赤外線処理画像がスパイ衛星から送られてくる。合計12箇所のターゲットに対する映像が克明に送られてきており、米兵士と北朝鮮兵士の位置や行動内容がすべて分かる。特に米兵士は全員、チップが埋め込まれており、完璧に管理されているため、見失うことはない。


「101連絡所」 に攻め込んだ米兵士は、警備の薄さに驚いた。

10名の警備兵のうち7名は仮眠しており、三人を気絶させた時点で勝負あった。米兵士は、殆どすべての部屋に捜索を開始し、大量の偽造ドル紙幣を発見した。「101連絡所」 は海外にいる北朝鮮の工作員への資金として偽造ドル紙幣を手配する機関であるから、当然、偽造紙幣を保有している。100ドル紙幣が100枚ずつ束ねられて、さらにシュリンクラップでまとめられて、一番奥の部屋に無造作に積み置かれていた。多分、50万ドルずつにラップされているのであろう塊が、30個ほどあった。すべてを回収するのは無理なためラップ2つを持ち帰ることにし、残りはビデオと写真を大量に取った。もちろんビデオは「101連絡所」 の看板があった裏口から、ずっと回りっぱなしだ。今回使用したのは日本製の小型DVDビデオカメラで、20時間の撮影が新しく開発された2インチ(約5cm)のDVDと5テラバイトのHDに収録できる。この小型ビデオカメラのもうひとつの特徴は500万画素で500gを切った軽量設計で、ほとんどの兵士のゴーグルに装備されていた。これで、鮮明な画像が膨大に入手でき、北の実情が驚愕の画像とともに配信されることになるだろう。


「党39号室」 に潜入した米兵士は、完全な無抵抗を経験した。同施設は、党財政経理部があり、キム・ソンナム現委員長の秘密資金の金庫番である。オーストリアにある「クムビョル銀行」 や海外の「テソン銀行」 からマネー・ローンダリングされた後の本物の外貨をコントロールするところであるため、財務に関する資料が多数押収された。これにより、マネー・ローンダリングの流れが解明でき、世界中に広がるシステムを壊滅できる、非常に貴重な資料となる。また、「党39号室」 はアヘンやヘロインの管轄を受けもっており、北朝鮮の数社の貿易会社から、公益物品、医療薬品と偽装して公然と輸出している。ここには、最近開発された一分間に600枚の資料をスキャニングできる機械を三台持ち込まれていた。ビデオ、写真と合わせて、かなりの証拠となり、マネー・ローンダリングと麻薬の二大悪行が暴かれることになる。


「万寿台議事堂」 には、交戦が発生した。警備兵が約30名おり、徹夜で作業していた職員が5名いたが、警備兵5名を射殺しただけで済んだ。米兵士はナイフバトルで殺害された1名の死亡と重軽症者5名で、音のしないガス弾が使われたため、警備兵や職員は全員、涙が止まらない状態で捕縛された。北朝鮮の策略を証明できる証拠は発見できなかったが、妙なことに失脚したはずのキム・ソンナムの最近、公務に従事していたと思われる資料がかなりの量で、発見された。「党39号室」 に持ち込んだほど性能はよくないが、ハンディタイプのスキャナーでこれらのキム・ソンナム関連の資料が処理され、衛星回線を通じて即座に、Kitty Hawk(キティー・ホーク)航空母艦の作戦司令本部とペンタゴンに送信された。朝鮮語を理解する北朝鮮問題の専門家がこれを分析する。


「二月銀色(ウンビッ)貿易会社」 に突入した米兵士は、20名の警備兵が殆ど仮眠中であったので小さな交戦で捕縛した。主にこの施設は「党3号庁舎」 を通じて中国との貿易を行っており、中国が絡む貿易には本物のドル紙幣を使用し、その他の国の貿易には偽造ドル紙幣を混ぜて送金する。「党3号庁舎」 も同様であるが、やはりマネー・ローンダリングと貿易相手の企業を割り出すために資料が大量に押収された。これで殆どの北朝鮮の金融の流れと偽造紙幣の流れを封じることが出来る。


「北朝鮮労働党中央委員会調査部」 の破壊は、警備兵との交戦となったが10分程度で、その後の爆破は5分後に実施され、問題もなく終了した。



後は、「平壌商標工場」 で実際の偽造紙幣を印刷する施設を押さえれば、完璧な打撃を与えられる。しかし、今回の作戦で一番困難を極めたのが「平壌商標工場」 であった。理由は、まず敷地が広いことと、印刷工の約400名と護衛軍100名程度の人間が住んでいるため、建物の数が多く、国家的秘密を守るため入口は狭く数も少なかった。もちろん、事前に突入場所や鉄条網の破りやすい位置などは承知していたが、見回りの警備兵に加え、警備犬まで配置されていた。

これは、外からの侵入者を取り締まるだけでなく、大量に抱える印刷工の脱走も防御する目的もある。電力事情から、高電圧の鉄条網がないのは楽であったが、暗さに乗じて行う作戦の半分の効果は、警備犬によって得られない。最初の交戦が始まったのが、突入後、5分の時間であった。もちろん、「平壌商標工場」 には、今回の作戦で最大の兵士を送っているし、装備も抜かりないが、赤外線監視装置の破壊からはじめなければならなかった。3時30分に攻撃が開始された「平壌商標工場」 は平壌のウンチョン区にあり、中心部から離れているとはいえ、冬の夜間の銃声は響き渡る。3時40分ごろにはピョンヤン市内の兵士や市民は全員起きたであろう。

「平壌商標工場」 の戦闘は、機関銃や手榴弾、催涙ガス弾、小型ミサイル砲などが使用され派手な戦闘になった。想定範囲内とはいえ、北朝鮮兵士39名、印刷工などの一般人6名、米兵士9名の死亡が後になって報告された。しかし、これだけの死者をだしたものの戦利品は膨大であった。最大の収穫は、プロなら開けるのに1分もかからない程度の金庫に保管されていた偽造紙幣の原版である。これは、完璧な証拠となる。後で分かったことであるが、米国内で使用されている刷版と遜色のない非常に精巧な原版であった。さらに、印刷機はフラット・ベッド方式の4色機が8台発見され、黒、緑のOVIインキが油圧ポンプで送られる専用ドラム缶で30本ずつ発見された。

印刷のフル稼働前に出るヤレ紙(または損紙)と呼ばれる、ドル紙幣の図柄が面付けされたままの用紙も大量に発見された。「平壌商標工場」 はもともと、国内産のワインのラベルや切手を印刷する工場であったが、それらの証拠品は、ごく僅かで、殆どが偽造紙幣に占領されていた。印刷工として、北朝鮮に1980年に拉致された池田守男も富山県で殺害されるまで、ここで働かされていたのである。米兵士は、印刷機以外のサンプルを持ち出し、大量のビデオテープを持ち帰った。印刷機に関しては、ビデオの撮影後、破壊された。米兵士が制圧した後、工員は解放されたが、誰一人として逃げるものはいず、逃げてつかまることの恐怖心が根強いことを物語った。



今回の作戦とは別途に、合計30名のデルタ・フォースが空挺部隊の応援を仰いで威鏡北道(ハムギョンプクト)、両江道(リャンガンドウ)、黄海道(ファンへドウ)の山間地帯に潜入している。10名ずつに別れた3部隊は、やはり大型スティルス機から、ステルスグライダーという小型で人の大きさよりやや大きいだけの最新鋭のもので飛び立ち、相手に発見されることなく、3地区に降り立った。暗視用ゴーグルと最先端のグライダーで相手に発見されることはまずあり得ない。この最新型グライダーはパラグライダー式で着地も音もなくできる。

これらの3地区は、平壌からはるか離れた地域で、秘密裏にアヘンとケシを栽培している畑郡である。けしは未熟果実に傷をつけて出る乳液を集めて乾燥したものがアヘンであり、モルヒネ、コデイン、パパベリン、ノスカピンなどアヘンアルカロイドと称する物質群を多く含み、鎮痛薬などの製造原料となる。ヘロインは、ケシの液汁を集めて煮詰めてアヘンを作り、そのアヘンからモルヒネを抽出し、モルヒネを化学的に化合してヘロインが作られる。北朝鮮の政府はケシ栽培事業を「ペクトラジ事業」 とし、外貨獲得のため、アヘンを大々的に輸出する、と指示していたことは世界的に周知の事実となっていた。これを受け、内閣・国家保衛省・社会安全省・人民武力省等の国家機関が総動員され、ケシ栽培を管理・督励、ケシ栽培面積が大きく拡大され、アヘン生産量も急増した。 市場のルートとしては、日本のヤクザやロシア・マフィア等の国際犯罪組織と連係する一方、中国国境の新興暴力組織に資金を支援、育成して、麻薬密売下部組織に活用していることが知られている。 富山の富菱組はここからヘロインを仕入れている。表向きは、海産物を輸入する貿易商と言う看板で商売する富菱組の運営するこの企業は、アサリを中心に輸入するが、それとは別に、海上にて「せわたし」で積荷を受け取っていた。

中国の場合の北朝鮮の麻薬密売は、吉林省等の東北3省を北朝鮮が生産する麻薬(アヘン・ヘロイン・ヒロポン)の主な密売ルートに使用しており、ソ連崩壊後のロシアでは、北朝鮮伐採工・林業代表省職員等が、現地に派遣された北朝鮮人一般人を利用し、ロシアに販売している。 深刻な食糧難と経済難により、独自で経済回復を期待するのが難しい北朝鮮としては、麻薬密売の誘惑には勝てず、対韓国工作の意味も含めて、一石五鳥くらいに考えている。

30名のデルタ・フォースは、地区が山岳であることや広大な畑であり、さらに深夜のことであるため、警戒が薄く、なんら抵抗を受けることなく深く静かに進入した。ここでは、ビデオは赤外線カメラを装着して、上空からもケシとアヘン畑全体を撮影し、降り立った兵士は即座にサンプルを入手し、畑全体を焼き払った。


「大同江外交団会館」 に攻め入った部隊は、20名程度の警備隊と交戦になったが、電気が消されてからは圧倒的に米兵士に有利となり、簡単に制圧した。キム・ソンナム委員長は、側近や親族とともに捕縛されたかが、家族は開放された。殆ど全員が泥酔しており、歩けないものもいたくらいである。衛星写真と照合すれば正確な栽培量まで把握できる。



今回の攻撃である意味で最も世界に衝撃な結果に終わったのが「咸境南道(ハムギョンナムド)・燿徳(ヨドク)政治犯収容所」 を攻め、キム・ウンテ元朝鮮民主主義人民共和国委員長および総書記の捕縛であった。突撃後、意外にも重装備の警備に当たる兵士より、短銃のみを所有する「警官」 レベルの兵士が殆どで、死者も出ず、簡単に制圧できた。迫力で勝る米兵士の要求で、キム・ウンテの牢獄が簡単に開かれた。ビデオは、エンドレスに回っている。キム・ウンテの身柄を捕縛することを最優先している5名の精鋭米兵士は、その牢獄が蛻(もぬけ)の殻であることに気が付く。リーダーである軍曹が、

「妙だ、徹底的に探せ!」 と、指示を出すが、どこにも見当たらない。

それに、やけに牢獄内が広いし、鉄格子の外から見る内部は牢獄らしく質素であるが、見えないところは絨毯が引かれ、牢獄では考えられないダウンライトが設置されている。軍曹は、その絨毯が妙な壁でさえぎられていることに気づき、ユニット全員をその壁のまわりに招集させた。

「なにか、この壁が隠し扉になっている可能性がある。全員、スイッチを探せ!」 と、命じた。

1分も経ったころ、一人の兵士が窓に注目した。鉄格子がはめられた窓であるが、まず、窓の外はブロックで塞がれており、

「ちょっと妙だな!」 と感じたし、よく見ると、右端の一本の付け根が土台のコンクリートとの間に隙間がある。

「軍曹、この鉄格子が怪しいのですが……」 

軍曹が、即座に寄ってきて調べる。そして、その鉄格子を時計方向に回すと壁一面が、音もなくあがっていった。兵士全員がサーチライトつきのオートマティック銃を構える。

トンネルだ。

兵士は、即座に両方の壁に沿って侵攻すると、鉄の壁で遮蔽された箇所に到達したが、ノブつきドアがあった。ゆっくりまわすと、ドアがあいた。一気に開けず、軍曹は速射できるフォーメーションを指示し、銃口がドアの向こう側に向けられていることを確認して、今度は一気に開けた。全員、赤外線カメラつきのゴーグルを装着し、真っ暗な向こう側を観察した。四名ではあるが、匍匐前進の形でこちらを狙っている。とはいっても、向こうは暗闇の中で肉眼であるが、こちらは全員、赤外線透視スコープで相手を見ているのである。軍曹は四本の指を立て、四名の敵が壁の両端に狙撃状態でいることを、無言で伝える。こちらは、ドアの狭いところを通らなければならないが、逆にドアが向こうから飛んでくる銃弾を防いでくれる。楽な撃ち合いである。軍曹が四人に向けてドアから銃口をだけを出して乱射した。10秒ほどの乱射で、向こうからの狙撃がとまった。軍曹は、安全を確認してユニット全員の突入を指示した。四名とも死んでいることを確かめて分かったことは、一般の兵士ではなく、短銃を持っただけの兵士たちだ。キム・ウンテを守る、いわゆる近衛兵であろう。

次のドアの向こうには、怯えきったキム・ウンテと二名の女性を発見した。この二名は夜の相手をするためにいるのだろう。ほとんど衣服をまとっていない。キム・ウンテがいた、その部屋は、かなりの広さであるし、さらにダイニングルームやベッドルーム、風呂/シャワーのほか贅沢三昧の調度品が並び、さらに、外部へ通じる出入り口もであった。無いのは窓だけである。つまり、キム・ウンテの牢獄への収監はまったくの偽りであり、自由に出入りができることになり、これを捕らえたビデオ映像は今世紀最大のスクープとなるであろう。



後の調査で分かったことは、政権交代自体がまったくの偽りの塊で、キム・ウンテがキム・ソンナムとともに打った世界に対して打った「ハッタリ芝居」 であった。北朝鮮としては、偽造ドル紙幣の製造や麻薬の闇取引、さらに国内では飢餓と財政不足から起こるクーデターの中で、政権を維持するための茶番劇であったという事である。つまり国内のコントロールと海外に向けてのプロパガンダである。

実は、この茶番劇はKMが草案を作り、金田がまとめたシナリオであった。

キム・ウンテはキム・ソンナムを呼び、現状での政権維持は困難であり、キム・ウンテが失脚したかのように見せ、キム・ソンナムを代わりに表面に出すことにより、「世界の非難の矛先をかわせ」 と、指示したのである。しかし、キム・ウンテが政権を握り続けることに固持し、陰に回るが実権を握ることに代わりがなかった。当面はキム・ソンナムが表に立ち、金 来成(キム・ネソン)という息子に政権を移譲し、自分はあくまでも闇将軍の地位を堅持するつもりであった。キム・ウンテには本妻・妾を合わせて5人の女に7人の子がおり、その内3人の男子がいた。いずれ海外に留学させた息子、キム・ネソンに政権を譲る算段だ。ただし、キム・ネルソンには短気で派手な性格が父には欠点と写り、そのため自分が陰から教育したいという強い希望もあった。

しかし、この目論見で表面的には失脚して、投獄されている以上、表に出ることは出来ないため、キム・ソンナムが表向きのリーダーとして祭り上げていたのである。CIAはこの事実にうすうす気づいており、作戦の最終決定は、デヴィッド・パクの今回の虚無の政権交代に対する証拠があったからであった。

デヴィッド・パクは、この「燿徳(ヨドク)政治犯収容所」 に納入している食品業者から、「刑務所のわりに大量の贅沢品を納めているのはおかしい」との情報を得た。さらに、「喜び組」 に娘をとられた父親が、「大同江外交団会館」 での公演でキム・ウンテらしき人物を見た、と発言した直後に家族全員処刑されたとの情報をデヴィッド・パクは、入手していた。

最終的に作戦の許可を出したのはアメリカ合衆国のエリック・ジョンソン大統領であり、北の悪行をつぶすきっかけが必要であった大統領が英断したものであった。特に大統領が一番心配したのが核による脅威であり、ノドンやテポドンの開発以降、長距離核弾頭の保有を懸念する米国友好国の支持も取りたかったことも背景にある。今回の作戦には警備が厳しい筈である各施設や発射台などの設備は対象としておらず政権崩壊後徐々に破壊する予定である。今回の襲撃の戦利品により、国連と協議しながら北朝鮮の解体が進められるであろうし、飢えた北朝鮮を救うという大義名分もある。

作戦「サイレント・ドルフィン」 は被害が想定以上に低く、成功裏に終了した。

キム・ウンテが逮捕されるころは、平壌市内全体が騒然となってはいたが、一体全体何が起こったのかわからない市民は直接に攻撃されたのではないため、また、避難する場所もないため家にじっとしているほかなかったし、一方、襲撃に関係のない兵士は、大きなクーデターでも起こったと思い、どちらが勝つか静観せざるを得なかった。そのころには、Kitty Hawk(キティー・ホーク)航空母艦から飛び立ったスティルス加工されたC140輸送機六機と、護衛用のF-20五機がピョンヤン空港を占領していた。進入の際、レーダーに引っかかっているはずであるが、軍総司令部が混乱しているため、攻撃許可が下りなかった。作戦に投与された兵士は、死者やけが人も含めてピョンヤン空港に集結した。押収した、証拠品のすべてや、キム・ウンテがキム・ソンナムを含むすべての捕虜もC140に乗せられKitty Hawk(キティー・ホーク)航空母艦に運ばれた。


同日、米国東部時間10時にアメリカ合衆国のエリック・ジョンソン大統領は米国市民および、世界中にこのニュースを「アメリカの正義の大勝利」 としてマスコミを通じて発表した。PBS(アメリカの公共放送局)、とテレビ局のABC、NBC、CBS、CNN などを通じて世界に配信された。いずれ、北朝鮮内のネットワークに流される。情報統制されている北朝鮮のマスコミには苦労が予想されるが、インターネットの生みの親でテレビ・ラジオ先駆者としてのアメリカにとっては意外にネットワークに載せる事は簡単である。

世界各国のマスメディアは特別番組を構成し、繰り返し、繰り返し流されたビデオやスキャニングされた情報と、北朝鮮と共同歩調を取っていた政府や民間企業を非難する大統領談話を流した。勿論、今回の作戦で入手した証拠を可能な限り映像に流した。

  朝鮮民主主義人民共和国の長きにわったったキム・ウンテがキム・ソンナムの真の壮大なる野望と没落であった。



雅人はテレビに釘付けであった。作戦「サイレント・ドルフィン」 を詳細に知ってはいなかったが、作戦開始時間やどこをターゲットとしているのかなどを知っていたので、映像は余計に臨場感を伴って見える。結果を知っていても、テレビが伝えるビデオ画像に引き付けられていた。電話もひっきりなしにかかってくる。地方の警視庁や警察からの電話であろうが、すべてに応答できない。他人任せで、雅人は電話を取らなかった。劇的な映像が流れ、日本国民も拉致問題や麻薬により北朝鮮が起因としたさまざまな問題の早期の解決に期待しているのだ。北の様々な問題がどう解決され、どういう落とし所が待っているのか、これからの展開に注目が集まる。

しかし、雅人にはまだ、フィナーレは訪れていない。金田勝(本名キム・ヨンチョル)、KMそしてKMの部下のキム・チョンミルを国内で緊急指名手配をしたが、今回の米国の北朝鮮への突入で発見されることを期待したものの、発見はされていない。全く情報がない。しばらくは、CIAによる調査の過程でこれらのテロリストの潜伏先や最近の行動内容の情報を待つしかない。日本海に面した各県警および海上保安庁は海上の警備を最大限警戒しているし、日本船舶のみに与えられているGPSの発信機をつけていないすべての船舶は、漁船のような小型船舶も最近、感知できるようになっている。

それに、雅人は極秘で、ある人間をマークしており、その人間の行動を優秀な部下一名を使って完全に把握していた。



三日後の深夜2時ごろ、その部下から雅人の携帯に連絡が入った。

「藤井さん、たぶん、動き出しました。本人は、自分の車で移動を始めました。彼が、こんな深夜に東名を走っているのは妙ですし、夕刻、100万円を自分の口座から引き出しています。このまま追跡を続けます」 

「分かった。どこに向かっているか分かったら、いつでもいいから連絡をくれ!」 

連絡は、定期的に入った。東名を西に向かい、名神に入り、さらに 東海北陸道から国道156号線を北陸に向かっている、と報告があった。雅人は、東海北陸道に入った時点で、目的地が分かった。

「富山だ」 

雅人は、次の日の7時ごろに警察庁のヘリで富山に向かった。富山県警に降り立ったころに、再度、部下から連絡が入った。

「今、富山港にいます。ターゲットは船に乗り込みました。山根海産という富山の業者所属の船で、出航しました。海上保安庁に連絡しましょうか?」 

「いや、ありがとう。すべてもう手配してある。君はそこに待機してくれ。その船は、富菱組の息がかかった海産物を輸入する貿易商の船だろう。今調べてもらう。今頃、アサリを輸入するための出航は変だ。多分、海上で『せわたし』 をして積荷か人間を受け取るのだろう」 

雅人は、この船がGPSの発信機をつけた船舶であるはずであり、海上保安庁に依頼して追尾してもらった。もちろん、詳細な理由は伝えなかったが、米国の北朝鮮突入直後のことであり、「それに関連した行動である」 の、一言で、哨戒機と本部のレーダーでGPS探査装置のすべてを追尾してくれた。さらに、雅人は、海上保安庁に巡視船を緊急依頼したところ第九管区海上保安本部所属の「巡視船のと」 が富山港に停泊しており、雅人と部下は乗せてもらえた。


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それから、約一時間後、山根海産のこの船舶が海上で停止し、その船めがけて、北朝鮮のアサリ漁業船として入国許可が出ている船が近づいてきた。「巡視船のと」 がこの二隻の船舶に近づいたのは、この二隻がランデブーしてまもなくのことであった。巡視船は国際法に従って、船舶を停止させることが出来る。国際法での手順は、不審船を見つけたら、停船命令を出し、立ち入り検査を行う。停船命令に従わない場合は、警告射撃を行う、それでも従わない場合は、撃沈してもよい、という手順である。「アサリ漁業船としてはいるものの、この不審船に撃沈されるかもしれない」 という可能性があるからこそ、警告射撃・爆撃が意味をもつのである。

この二隻の場合、不審船と見るか否かは、まず、畠山の証言で明らかになった富菱組関連の船舶であり、麻薬の不正輸入の可能性があるし、二隻が寄り合っていることは「瀬渡し」 をしようとしている可能性が大きい。瀬渡しは、検閲を受けないで積荷を移し替える訳であるから、違法性が高い。

「巡視船のと」 は急速に近づき、日本語と朝鮮語でエンジンを切るように指示した。もとより、両船とも停止していたのだから、エンジンを切ることでまったく逃げられないように出来る。

「巡視船のと」 の射撃手は20ミリ機関砲の威嚇射撃の態勢に入っている。

緊張が双方に走る。


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雅人がマイクを取った。

「防衛庁情報本部田中富雄副本部長! 乗っていらっしゃるのは分かっています。あなたに埋め込まれているチップがGPSに引っかかっていますし、申し訳ありませんが、東京から追尾させてもらいました」 

一分程度の沈黙の後、ついに田中が姿をゆっくりとした歩調で見せた。

「藤井君だね、声でわかったよ。ついにばれてしまったようだね」 と、薄笑いをしながら甲板に出てきた。

「我々は、CIAからの情報で、あなたが、キム・ヨンチョルとつながり、北朝鮮の工作船を無事に入国できるよう情報を流して、その報酬を得ていたことをつかんでいます。それに「KM」 やキム・チョンミルと富山市内で会っていることも富山県警がつかんでいます。観念して投降して下さい」 

「分かった。どうせ、この船に乗り込むつもりだろうから、一緒にいる連中も甲板に出させよう」 すぐに、キム・ヨンチョル、KM、そして金田ことキム・チョンミルが雁首をそろえて出てきた。「全員手を上げてください……」 と、言い終わるか終わらない時に銃声がなった。

田中は、甲板に即座に伏せたが、金田がキム・チョンミル を羽交い絞めにし、盾にしながら発砲を始めた。セミオートマティックの金田の銃は「巡視船のと」 の操舵室に向けて連射された。雅人のそばにいた部下が打たれて倒れ、肩から血が噴出している。次の瞬間、流れ弾が雅人のふくらはぎを貫いた。焼けるような痛さに襲われ、雅人は倒れた。命に別状はないが、立っていられず、雅人は苦悶した。思ったより出血が少なかったので、隣で倒れている撃たれた部下が手当を受けているのを見ながら膝にハンカチを強く巻いて立ち上がって、その後の展開を見守った。これに反応して、「巡視船のと」 の射撃手は応戦し、金田と キム・チョンミル を一瞬のうちに倒した。また、KMと思われる女性が短銃を準備していたが、二人が撃たれたのを見て、銃を捨てた。そのとき、「巡視船のと」 の船尾にロケットランチャーからロケット砲が打ち込まれた。北朝鮮のアサリ漁業船からだった。田中の乗った船に気を取られている間に、発射したものであった。その直後に、アサリ漁業船に向けて狙撃手が大量の銃弾を浴びせる。静かになった。しかし、油断は出来ない。自爆があるからだ。雅人と意外に軽症であった部下は肩を抑えながら、田中とKMに銃口を向けている。「巡視船のと」 はアサリ漁業船から目を離さない。

アサリ漁業船に向かって「巡視船のと」 の館長がマイクに向かって怒鳴る。スピーカーから、朝鮮語で「降参しろ!」 と、再三流れる。次の瞬間、ロケットランチャーを持った乗組員が操舵室から出てきたが、20ミリ機関砲が火を噴き、ロケットが発射される前に倒した。頭が吹っ飛んだ。即死だろう。他の船員が手を上げて出てきた。

「巡視船のと」 は3基のウォータージェットを搭載して、40ノット(時速74キロ)を越えるスピードを出せるので逃げられないと思ったのであろうし、所詮、工作員がいても、普段、漁船の乗組員である。高速工作船なら、訓練を受けた兵士ばかりが乗っており自爆も辞さないが、同船している漁民は死にたくないのであろう。田中、KM、漁民と思われる乗組員が合計三人、逮捕された。全員、身体検査のあと、手錠がかけられた。

田中とKMは自殺の可能性があるので手錠のほか猿ぐつわをつけられた。舌を噛み切らない様に。

全員、「巡視船のと」 に移され、漁船二隻は富山港まで曳航された。


12


米国軍がすべて引き上げた後は、米国がイニシアティブをとる国連軍が北朝鮮を統治していた。当然だが、中国は参加していない。すでに、米軍突入の際に殆ど焼き払われたはずのアヘンやケシ畑が他にも多数見つかり、国連監視の元にすべて焼き払われた。

さらに、平壌商標工場に残った偽造紙幣やインキ、洗い油、紙、版材、印刷機、断裁機、さらに、色補正と管理システムなどすべての機械や資材が破棄された。また、規模は小さいものの六箇所の偽造紙幣に関与したと、思われる小さな印刷工場が発見され、すべて廃棄された。

国際組織犯罪対策を担当する国際刑事警察機構ICPO(インターポール)は、北朝鮮関係のマネーロンダリーを入手した資料を基に、徹底的に調査し、東南アジアを中心に逮捕者が多数出た。また、解体された企業は80機関に及んだ。


北朝鮮は1985年に核兵器不拡散条約(NPT)に一旦、加入したが、1993年3月にNPT脱退を宣言している。同国が国際原子力機関(IAEA)保障措置協定に署名したものの北朝鮮の核兵器開発に対する国際社会の懸念は払拭されていない。さらに、中距離、長距離ミサイルの開発が成功しており、国連の国際原子力機関(IAEA)が査察を開始した。ノドン・テポドンが次々と破棄された。北朝鮮のミサイル開発は予想以上に進展しており、ボタン一つでグワムや本土の一部を含む米国、沖縄や自衛隊の拠点すべてを含む日本全土、もちろん韓国全土にミサイルを発射できる軍事力であることは判明する。

日本政府も、拉致疑惑を含む過去からの諸問題の最終的解決を望んでおり、国連に働きかけ、疑惑解明のための調査を行う了承を取り付けた。もちろん、最近まで敵国政策の対象であった日本に対して、北朝鮮人民が容易に手助けするとは思えなかったが、人民選挙で確立するまでの臨時政府に、積極的に働きかけることにした。そのかわり、山田馨総理大臣は人道支援として、70万トンの米を送ることを約束し、さらに浮浪孤児のための簡易宿泊設備および教育設備を1万人分と延べ200人の医師団の派遣などを約束した。


KMは結局、キム・ウンテがキム・ソンナムや何人かの閣僚と一緒に調査するためにアメリカに引き渡されることになった。国連が関与して取り調べを行うためである。ただし、池田守男の殺人事件が日本に主権があるため、裁判は日本で行われる予定であるが、それまでの事情聴取や北朝鮮の国家的犯罪を裁く国際犯罪法廷が国際司法裁判所で実施されることとなっており、当分の間、米国にて投獄されることになった。日本にとっても、一件、一件の事件より、総合的な裁判を優先させることに政府も同意した。さらに、キム・ヨンチョル、そしてKMの部下のキム・チョンミルが、日本の富山での銃撃戦の結果、死亡しており、すべてを目撃し状況を把握している雅人の証言が重要な意味を持つであろう。


13


KMは警察庁の調べで供述を始めていた。

派遣された国際司法裁判所の裁判官と弁護士の立会いのもと、KMは証言し、すべての内容を本人の了承の上、ビデオテープに収められ、それをまとめた供述書にサインをする流れだ。それによると、KMは奴隷になった背景や北朝鮮労働党中央委員会調査部や朝鮮政治軍事大学、「偵察軍官学校」 の訓練を経て配属された背景、そのとき、キム・ソンナムに認められて大きな出世をしたことを時系列に告白した。体を使って登り詰めたことも含め克明に話し出した。

キム・ウンテの思想教育をキム・ソンナムは細かく解読し、KMはその内容を元に、北朝鮮の人民を救うために立ち上がった。そのうち、肉体的な寵愛を受けるようになり、心身ともに捧げる形になった。日本に工作船で入国した際に、キム・ソンナムから紹介されたキム・ヨンチョルは貧しい境遇から這い上がった男で、同じくKMと肉体関係を持っていた。KMにとって肉体関係は一時の快楽で「愛」 はなかった。それより、革命に愛を持っていた。同様に部下のキム・チョンミルにも関係を強要した。ある意味では、男を操縦する計算があった。男たちは何でも言うことを聞いた。

池田守男を殺害したのはKMで「日本へつれて帰ってやる」 と、言って工作船に乗せ、最後の門出ということで、菱富組の用意した船に乗り移ってから持参したキムチとアセトアミノフェン入りのマッコリで殺害した。その後、大量のヘロインを注射した。すでに死んだものと思われたが、完璧に証拠を消す、という指令を反映して、念には念を入れた。北ではろくなものを食べていなかった池田はあっと云う間に苦しみだして即座に死んだ。後は船から重石をつけて突き落とした。寒さで重石を十分に固定できていなかったのであろう。死体が浮いて、今回の世界を震撼させた事件のきっかけとなってしまった。


情報収集能力に優れたKMは、敵(日本)の牙城を崩すために、接待付けだった若いころの田中富雄(当時防衛庁情報本部課長)に近づき、時間をかけて仲間にひきこんだ。その当時、防衛庁(現防衛省)の課長級レベルであったが、将来を有望視されていることを「北」 が掴んで、KMに手名付けさせた。最初は、ダブルエージェントを演じていたKMの体と金に田中が溺れていった。さらに、防衛庁内にいるスリーパー工作員がIT部門にいて、その工作員は情報へアクセスは出来ないものの、田中のPCのキーボードに細工を施しPCへのパスワードを掴んでいた。時系列的にどのキーを打ったかを記録できる装置を取り付けておき、最初に打つパスワードを盗む、という簡単な方法である。田中の脅すには十分に効果のある極秘情報である。そのうち、防衛庁内の不正や、裏金など「闇」 の部分を把握できるようになったため、田中を脅迫することも出来るようになった。国防など日本の防衛庁から入手できる情報は、北朝鮮にとって最も重要なものとなり、ピョンヤンからの資金も潤沢に入るようになった。


14


マイケルの暗殺未遂も認めた。

キム・チョンミルが実行犯でKMが指導して爆薬を仕掛けた。香水をマイケルが覚えていたことについては、自分の大きなミスだが、暗殺に失敗したのは、アムトラック事件が始めてであった。

恭子の死亡事故は、手違いで、マイケルを狙ったものであった。

マイケルと同様、菱富組に捜査した雅人も殺害を計画したが、日本では大量の無差別殺人は非常に楽であるが、一人を狙うのは難しい。どこに行っても人の目があり、何を仕掛けるのも、直接、武器で殺害するのも難しい。池田やマイケル、さらに雅人を殺害しろと言われたのは、キム・ヨンチョルからで、キム・ソンナムからの指示だという事であった。理由は、偽造ドル紙幣や麻薬の真実の漏洩を恐れたキム・ソンナムは関係者の口封じを命じたのであった。英子に関してはKMが自分から直接手を出さなかったが捕縛しておいた部屋で自害したことが分かった。北に戻されてからの英子は食事も取らず、じっと死を待つようであった、と語った。

同様に、畠山菱富組組長も暗殺する手はずであったが、本人が察知して逃亡したので実行できなかった。後に畠山が神戸で捕まったときには、KMも身の危険を感じて北へ帰った。

英子に関しては、妹を自決に追い込ませたことを恨んでいたが、この時点では細かな告白は行っていない。

米軍がピョンヤンに攻め入った時、「大同江外交団会館」 でキム・ソンナム委員長と宴会に参加していたが、家族のふりをして逃亡できた。その後、キム・ソンナムと床を供にするはずであったため、その準備で席を外していて、一緒にいなかったのが幸いした。出席していた閣僚の家族が開放されると知ると、そっと家族に紛れ逃げた。

その後、キム・チョンミルをつれて、工作船が手配できなかったので、定期出航予定の漁船に乗った。金田勝は防衛庁の田中に、逃亡資金を用意させ、迎えに来させたときにつかまった。最後にKMは自分の最大の目標であった北朝鮮人民の解放と、国の革命が、軍事帝国のアメリカと日本に粉砕されたことに、怨念に似た怒りを覚えて流れる涙を吹くこともせず吐き捨てるように行った。

「朝鮮に侵攻し、分断させ、民主だ、共産主義だとイデオロギーを押し付け、何もかもかき回した日米韓の3国を、私は許さない。私自身も家族の崩壊の恨みもある」 と。そのときすでに香水の匂いはしなかった。

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