第8話 極秘緊急会議と「北の暗躍」 


第二回極秘緊急会議が日本の箱根で招集された。今回の目的は、電話会議で得た情報とその対応策を各国が現時点で、どのような変更したか、さらに、あらゆる新しい情報を整理し話あうことと、今後の対策を決めることであった。各国はアジアで入手したさまざまな情報を整理し、他の2カ国に確認しながらまとめていった。さらに、それらの確定情報に対する各国の活動方針を二日目に発表した。一日目の確認された北朝鮮に限定された内容は次のような項目であった。

『偽造紙幣に関して』

スーパーKは今でも印刷されている。しかも、生産量は維持している。平壌市ウォンチョン区にあるピョン・ソン商標工場が主力印刷工場で、いまだに400人が働いていることが米国の衛星写真で確認された。工場には、武装保衛部隊が護衛している。偽造された紙幣は、朝鮮労働党財政経理部を通して中国マフィアの「黒党」 と、額面の半額で人民元と交換され、黒党は香港やアジア各国のテログループなどと結託して人民元に換金している。

『麻薬製造に関して』

寧辺・平壌・開城の各地でケシを栽培し麻薬事業を継続している。麻薬・阿片を「中央党39号室」 の管理下に置き、息のかかった貿易会社である大成総局、チャンセン商事等の貿易商事と各国の大使館等を通して、合法的な交易物品・医薬品等に偽装して、いまだに公然と密輸している。日本のヤクザ、ロシア・マフィア、中国マフィアなどの国際犯罪組織と結託し、各国の新興暴力組織に資金を支援、育成して、麻薬密売下部組織に活用している。日本では菱富組、中国の黒党がいまだに活発に動いている。

『テロ組織について』

現在テロ支援国家とされているのは、イラン、イラク、リビア、シリア、キューバ、北朝鮮の6か国であるが、北朝鮮がその中で一番不穏な状態である。確認されている潜入工作員は、日本に35名、米国には30名、韓国には97名である。ただし、これらの数字は確認された人数であって、実際にはそれぞれ3倍程度の工作員が潜伏していると思われる。殆どがスリーパーと呼ばれる休眠工作員である。労働党作戦本部清津連絡所と対外調査部による工作員が過激派で、テロ行為や殺戮、爆破工作など、大掛かりな活動をしている。日本、韓国、米国にそれぞれ北朝鮮のテロ組織の本部があり、すべて、各国国内の地下組織となっている。アルカイダなどの国外組織と連携を深めており、麻薬と武器輸出の代償にテロリスト育成を依頼している。協力関係にある国家はイスラエル、イラク、イラン、などである。加えて、長距離、中距離の大陸弾道弾用の発射台で、活発な動きがあり、急を要する事態と考えるべきである。



この日本での会議に先立って、エリック・ジョンソンアメリカ合衆国大統領はジョージ・アレン、CIAの大統領特別補佐官の依頼で会議を招集した。場所は、ホワイトハウスのウェスト・ウィングの角にあるオーバル・オフィス(大統領執務室)で行われた。マイケルはジョージの右腕でもあるし、CIAアジア対策本部、国家安全保障問題担当大統領補佐官であるから、当然呼ばれているし、国防省のヘッドや副大統領も同席した。

大統領は、「もうそろそろ限界のようだな」 と、吐き捨てるように言った。

「大統領、残念ですがその通りです」 と、ジョージがうなずく。

「政権交代後の北朝鮮の実情は、悪化の一途をたどっています。今日、お集まりいただいたのは、テロ行為が世界平和にとって大きな脅威になりつつあります。ナイン・イレブン(9/11)と同じ様なことが起きてもおかしくない状況に限りなく近づいているといっても過言ではないかもしれません」 

「そんなにひどいのか?」 

「はい、そうです。それを証明する証拠は十分そろっています。詳細はこちらの資料をご覧ください」 と、資料を示す。事前に国防相のトップ連中には配ってあった。大統領は、質問することなく理解した。 

「本日ご承認いただきたいのは、国防省とCIAとの共同作戦『サイレント・ドルフィン』 を展開したいことの一点です。確実な証拠があり、また、この作戦でも、世界を納得できるさまざまな証拠を持ち帰ることが出来る確信の元に実施する作戦です」 大統領は、決して9・11を忘れることは出来ない。テロが起こる前に「手を打つ」必要を強く感じていたし、国民はそれを支持している。静かに、エリック・ジョンソンアメリカ合衆国大統領は万年筆のキャップと取った。


極秘緊急会議の第一日目の内容を受けて、3カ国が次の日に発表する活動方針をそれぞれ協議した。箱根のホテルを一部貸しきっていたので、お互いの参加者が偶然鉢合わせすることもあったが、早く、協議が終わったマイケルは雅人を探した。さすがに、サイズが合う「浴衣」 がなかったが、ラフな格好に着替えたマイケルは、日本人の出席者を一人見つけ、雅人を探している旨、伝えた。「義理のお兄さん」 と、云う言葉を言えばみんな機密性の高いミーティングとは誰も思わない。すぐに雅人が見つかった。簡単な話し合いの結果、二人は秘密裏に別途、会うことにした。特に、それぞれの国に隠すことはないのだが、韓国を無意味に刺激することを避けることと、「あの二人は、特別に何かを企んでいる」 と誤解されたくなかった。

マイケルが、あるCIAのエージェントが入手した情報を雅人だけに伝えたかった。それはある北の工作員の存在と日本での暴力団組織のつながりの事実をCIAの捜査でつかんでいたのである。深夜に箱根のホテルから、車で20分のところにある、あるスナックを雅人は指定した。雅人がこのスナックに入るとマイケルは一人浮いた状態で待っていた。スナックの従業員も一人の外人をどうすればよいのか分からず、雅人の来店に異常な喜びを示した。

「マイケル、待たせて悪かった」 

「いや、俺も5分前に来たとこだ。何を飲む?」 

「ビールを頼む」 と直接、オーダーする。

「雅人。早速だが、これから話すことは明日の会議では発表しない。理由は後で言う。したがって、ここだけの話として聞いてくれ。いいな」 

「分かった。」 何か、とてつもない内容であることはマイケルの目を見れば分かった。

マイケルは、「明日、『サイレント・ドルフィン』 と名付けられた作戦内容を日韓の両国にオープンにする。ただし、極秘事項の部分は概略だけだ」

「何か『動き』があると思っていた。こうやって会っているのはその事を伝えるためか?」

「いや、もうひとつある。あす発表しない内容だ。雅人だけに伝えておくべき内容だ。雅人に伝えて、そして協力もしてほしい」

「何か大きなことか?」

「大きなことだが、雅人の国の機関では難しくない事だと思う」

「じらさないで早く言えよ」

「分かった。簡単に言うと、北朝鮮のヒットマンと日本にいる、ある中心的人物、さらに暴力団との関係が見えてきた。これがその組織図だ」 と、紙一枚を渡される。それは、スナックのナプキンに手で書かれたメモだった。待っている間に書いておいたのだろう。

その中に三人と日本人の名が書かれており、線でつながりや関係が補足の説明として書かれていた。雅人は、一人の日本人の名前に驚愕した。

その様子を期待していたようにマイケルは、「落ち着いてくれ」 と言う。

「マイケル、これは間違いないのだろうな」 

「雅人。俺がガセネタを確証無しにお前に渡すと思うか?間違いない。情報の出所は細かくは言えないが、ロスにいるある北の工作員をマークしていた。その工作員がヘロインに手を出してボロボロになった時、それを看護して命を救った韓国系の女性のために告白を始めたのだ。それで、色々な名前や事件が出て来て、雅人から聞いている過去の内容とCIAとFBIが掴んでいた内容と一致した。さらに、『エージェントKM』 という工作員が恭子の殺人にも関与している」 と、言いながらナプキンのメモを焼いた。

その3名の名前とつながりで、見えてきた真実や過去にあった疑惑がほどけてきた。それにマイケルが明日の会議で、このことに触れない理由もはっきりした。



マイケルが続ける。

「恭子が事故を起こした……というか、殺害された3日前に、『エージェントKM』 が米国に入国している。もう一人、最終確認されていないが金哲民(キム・チョンミル)と言う名の工作員と思われる人物が入国している。キム・チョンミルは現代(ヒュンダイ)自動車の技術者と言うことで入国している。部品を数点持ち込んでおり、ニューヨークの空港でスキャニングの際の映像が残っており、例の事故報告書にあった『アジアで使用されている部品』 と一致した。つぎにキム・チョンミルがアメリカで確認されたのが、おれの列車爆破工作事件のやはり3日前。まず、キム・チョンミルがエージェントKMと共謀して恭子の死につながる細工とカリフォルニアゼファー号の爆破工作をしたと見るのが妥当だろう」 

「つまり、恭子の事件も列車の爆破の件も、マイケル、お前を狙ったものだろう」 

「そうだ。分かっている。それで、調べたのだ、なぜ彼らが、俺たちが新婚旅行から帰ってくるのを知っていたのか。なぜ、我々の住所を知っていたのか」 

「それで、そのすべてを知っている人間がいた、と言うわけか」 

「そうだ、それでその日本人が浮かんだ、と言うわけだ。雅人、辛いだろうが、あいつに俺たちの新婚旅行の行程を話しただろう。俺の住んでいる場所はあいつが良く知っている。俺が独身のときに会議があって奴を家に招待しているからな」 

「マイケル、恭子の死に俺からの情報が関係しているなんて……信じられない」 

「そう嘆くな。恭子の死はお前の責任ではないし、俺のせいでもない。不要なものは親でも殺す工作員と北朝鮮をうらめ。俺はそうすることに決めた。いいな、雅人」 雅人は返事をせずにうなずいた。怒りとむなしさで震えていた。今日のビールは苦過ぎる。


キム・チョンミルは特殊工作員KMの部下である。すべての工作はKMが計画し、キム・チョンミルに指示をする。KMに指示を出すのはキム・ソンナム現朝鮮民主主義人民共和国委員長自身である。本来なら特殊工作部隊の司令官クラスが指示をだすが、KMがまれにみる功績があり、外相時代からキム・ソンナムから可愛がられていた。KMが肉体の提供を含めうまく取り入ったのは、勿論公表されてはいないものの周知の事実である事である。工作員の選出や訓練は、非常に厳しくさながら地獄絵の様相である。しかし、最初は、厳しい工作員になれるか否かの選定段階がある。

「土台人」 と言う言葉がある。北朝鮮諜報機関(対南、対日工作機関)で使用される用語である。在日のうち北朝鮮の出身か、肉親が北朝鮮に現存している者を「土台性の人間」 と呼ぶ。北諜報機関は土台人を選定して接近し、その親族らの身の安全と引き換えに工作任務を強要するのである。いわば、工作員のふるいをかけるテストである。レベルの低い工作員で、その中から厳選された者と若いころから鍛えぬいたものが、国際テロリストに教育、訓練される。

日本における戦略で北諜報機関が重用するのは、土台人の条件で、潜入国内に安定した仕事と収入がある者、朝鮮総連に直接の関係を持たない者、帰化人、韓国籍の者、日本人妻の親族 などである。在日朝鮮・韓国人の人口は約65万人という。日本の総人口に対しておよそ0.5%、つまり200人に1人の割合だ。そのうち「終戦時に日本に残った朝鮮人とその子孫であり、現在も韓国籍か朝鮮籍を持っている」 者が多数を占めている。そのため一人の「土台性」 を有する人物の親戚関係をも視野に入れると、血縁関係で、いつスパイになるかもしれない潜在的工作員予備軍は膨大な数になる。現在では、戦後の第一世代が、死亡したか高齢なため、その孫の世代が対象である。

一方、エリート的な工作員は、北朝鮮内の中学から大学時代にかけて選抜され8年から14年間の訓練を受ける。KMは北朝鮮労働党中央委員会調査部所属の特殊工作員である。もともと囚人であったが、稀にみる功績が認められて上層部にも過去の囚人の経歴を握り潰させるほどの異例な存在である。さらに、KMは、米語(と英語)、日本語、中国語、ロシア語を流暢に話せ、爆薬や電子技術の専門知識を持っていた。その卓越した能力と実力は他を圧倒し中央委員会でも一目を置いていた。

平壌にはこうした工作員を育てる養成学校がある。工作員養成施設としては、政治軍官学校、第一総合軍官学校、人民武力部直属下士官教導隊、工兵士官学校などがあるが、最も有名なのは朝鮮政治軍事大学で、学内にはソウル市をそっくり模した街もあるという。KMは国家安全保衛部傘下の第八特殊団という部署が統括している「偵察軍官学校」 で3年以上にわたって訓練を受けている。ここでは政治学、敵軍学、地形学、外国語、射撃、無線通信法、秘密潜伏地構築、襲撃訓練、野外実戦訓練などが叩き込まれ、ここを出た工作員は過激な工作員として、ひときわ恐れられている。KMはこの一連の教育訓練を殆ど主席で卒業している。中には体力勝負の訓練もあるが、すべて勝ち続けた。女性である事の肉体的ハンディーを精神力でカバーし男子工作員を蹴落とす事についての才能を持ち合わせていた。囚人時代の肉体関係を持った経験から学んだ男の弱点を活用したのである。さらに、バネになったのが父の脱北、母の処刑、惨めな囚人生活などである。彼女は キム・ミヘである。

教育および訓練は平壌にある「招待所」 で行われ、キム・ウンテ元朝鮮民主主義人民共和国委員長の写真を前に毎日、宣誓させられるのが日課である。いまでは、キム・ソンナム現朝鮮民主主義人民共和国委員長の写真に変わっている。KMは平壌の朝鮮総合大学予科一年を経て平壌外語大に編入。KMは短距離走では北朝鮮の記録を塗り替えるなど身体能力は抜群であった。これらの卓越した能力を買われて朝鮮労働党から工作員として選抜された。また、近世政治軍事大学や平壌市北里の招待所で射撃や思想などの訓練を受けた。大韓航空爆破の金賢姫(キム・ヒョンヒ)も同様の訓練を受けている。

工作員養成所を卒業すると「毘盧峰連絡所」 という施設で最終訓練を受けるが、そこで最後に受けるトレーニングが自決の方法である。工作員は常に死を持って祖国を守るもの、と教えられるのである。そうした訓練の後に、実地訓練に入る。第二次世界大戦当時の日本兵にも同様の教育が行われたが、「捕虜になって恥ずかしめを受け、重要な情報を敵国に渡すくらいなら自決せよ」 と言う教育である。欧米では捕虜になる事はむしろ英雄扱いである事を考えると数段の違いである。

最初は簡単な訓練で、海外活動が主なものになる。政府が用意する偽造旅券を使う。偽造といっても非常に精巧に出来ており、入国審査で引っかかることはほぼない。主に大韓民国のパスポートで、まれに日本人に成りすます事もある。工作員といっても、大別して2種類あり、表向き一般市民として仕事を持ち、10年単位で任務をこなしてゆく者。これはスリーパーと呼ばれ清津港や南浦港から工作船に乗り込んで上陸し、短期間のうちに情報収集や拉致を実行する者である。キム・ソンナム現朝鮮民主主義人民共和国委員長を頂点とする指示系統が確立されており、絶対指示権を持つ。さらに朝鮮労働党の対外情報調査部(35号室)、作戦部、統一戦線部、対外連絡部といった組織がキム・ソンナムの指示をサポートする。 



KMが、いかに高い地位を一介の工作員から昇りつめたか理解できる。KMは日本語が流暢であり、日本の習慣を教育されており、工作船で日本へ派遣されたことがある。そのときの任務は、対韓国工作(日本を拠点に、地下党組織構築、軍事、政治、経済など韓国の国内情報を収集)、駐日韓国大使館及び在日本大韓民国民団に関する情報の収集及び工作、自衛隊・在日米軍の編成、装備、士気に関する情報の収集、さらに防衛産業に関する情報の収集、日本の韓国及び北朝鮮政策に関する情報の収集などであった。情報収集能力に優れたKMは卓越した調査と分析を短時間に行い稀にみる報告を行った。このレポートを読んで「日本と韓国を丸裸にした」 と、キム・ソンナムを喜ばせた。

一方、北朝鮮工作船の活動に関しては、2001年12月に発生した「九州南西海域工作船事件」 において海上保安庁は銃撃戦の後、不審船を沈没させた。(実際は自爆であるが、それまでになかった海上保安庁の毅然たる態度に自爆した。)その後、引き上げられた船体、船内から発見された多数の証拠物等により、当該船舶を北朝鮮工作船と断定した。韓国の海岸での北朝鮮製潜水艦の座礁と乗組員の自決事件も起こっている。これら北朝鮮工作船は、これまでの検挙事例やその他の情報を総合的に判断して、工作員の潜入・脱出を助けるためや日本人拉致等を行うことを目的として活動していた。KMは、この事件を怒り、愚かな工作員のレベルの低い判断力に起因するとして80枚もの論文を朝鮮労働党の対外情報調査部(35号室)に提出し、当時の監督の任を得ていたものはことごとく粛清された、という逸話を残している。

同時に朝鮮労働党はKMの進言を受け入れ「若返り」 を実施した。キム・チョンミルは、この時にKM自らに抜擢され部下に任命された。KMとキム・チョンミルはそれ以降、行動を共にすることが多く、キム・チョンミルを「KMの下足番」 と呼ぶ輩も出てきた。KMは裏でKMまたは 金哲民(キム・チョンミル)を 非難する工作員を突き止めると、朝鮮労働党内にある集会講堂で、全員の前で気を失うまで殴り続けた。一工作員が他の工作員を党内の集まりで粛正を行う事自体異例であったが、上層部はKMの祖国を愛するが故の行動であり、賞賛した。テコンドーの達人となったKMに反抗する者もなく、徐々にKMは確固たる地位を築いていった。もともと、囚人であった事など今は誰も口にはしない。しかし、KMはデスクワークを嫌い、後ろで指示するタイプでもなかった。自ら最先端で活動をすることを常としていた。朝鮮労働党はKMを格好の宣伝材料とみなし、工作員の英雄にまつりあげた。キム・ソンナムが、直接、指示を出すようになったのもこのころである。



国際的なテロリズムについては、その対応が多様化、複雑化していることもあって国際法上の統一した定義づけがないのが現状であるが、国際テロリズム研究で先進的な米国商務省や世界各国の戦略研究所の提唱している定義をまとめ、根本的な「テロリズム」 自体の定義を各国とも制定し対応策を構築し実行しようとしている。

これに対して、各国は対抗する組織を構築しており、日本だけが当初、出遅れる結果となった。現在では、防衛庁と警察庁が連携して、国防という観点から情報収集に当たっているが、海外の組織と比べると、海外での諜報活動が表面的にではあるが禁止されているため、その内容については貧弱である。したがって、ある程度のスパイ活動はあっても、破壊工作などは行っていないことになっている。

アメリカ合衆国の対テロ組織 としては、1977年11月に創設されたデルタ・フォースや1980年11月に発足SEALチーム6である。米海軍特殊作戦任務部隊である隠密偵察隊SEAL(海空陸戦)の各チームから選抜された100名で編成されており、デルタの一部として活動、対テロに精通している。

大韓民国には、1982年に創設された陸軍特殊戦闘コマンド第707特殊作戦大隊があり、6個部隊中、2個部隊が特攻救助作戦用訓練を受けている。他にも、対テロリスト特殊攻撃部隊(対テロ特攻隊)がある。

一方、日本の対テロ諜報機関は、遅れをとったとはいえ、また「寝ぼけた平和国家」 と言う世界での「いただけない」 評判を受けながら、先進国の中でも最先端の技術を駆使してテロ対策を日本もすすめた。1977年の日本赤軍によるダッカハイジャック事件が契機となってハイジャック対策用特殊部隊が創設された。これが警視庁特殊急襲部隊(SAT)の設置された経緯である。後に「特殊急襲部隊」 という正式な名前が付き、他に5道県警察にも1個小隊ずつ創設されて、警察庁内で配備される機動隊の隊長に対して部隊の隊旗の授与が行われた。 雅人がここの一員である。

さらに、自衛隊として、海上保安本部特殊警備隊(SST)が1966年5月、関西空港海上警備救難部所属の空港警備隊と海上保安庁プルトニウム海上輸送対策室所属の特殊部隊(名称不明)が統合されて、大阪特殊警備基地として発足した。



北朝鮮ではキム・ウンテ独裁支配時代の「後遺症」 として、テロ行為が意外のほかアジア全体に及んでいることが諸外国から判明し確認された。しかし、最近では、北朝鮮のテロ活動が以前にもまして増強されている、という報告が相次いだ。

これは、国内のクーデターの要因となった国民の飢餓、国際的な非難と圧力、治安の悪化、官僚の汚職、冷夏や地球温暖化に伴う食糧不足などが、さらに状況は悪化している。新政権のキム・ソンナム指導でも改善は見られず、外貨獲得や官僚の愛国心とキム・ソンナムの政権維持のために、テロ活動は、より活発となった。キム・ウンテ独裁支配時代では経済成長率マイナス6.8%で10年近く連続を記録していた。企業の稼働率は20%以下で、労働意欲は最低レベルに落ちていた。それに反して、国防費77億ドル(2010年)に膨れ上がり、韓国の127億ドルに追いつく勢いとなった。この国防費は、軍備の拡充と、兵隊の維持費、そして、テロ活動の拡大に充てられた。もともとの「強盛国家」 (思想、軍事、経済の大国になる、という国家思想)とは、かけ離れ、いまや、一般労働者の月給は100ウォンを切っている。これを反映して7歳以下の栄養失調率は80%で餓死は子供を中心に年間約90万人まで増えつけている。さらに200名以下の大小の暴力団が急増し、社会安全部(一般の警察)などの治安当局と結託して、悪行を行っており、蔓延している。特に大手は「キルドンイ派」 と呼ばれかなり政治にも関与してきている。これらの暴力組織は一部の軍部とつながっており、民衆から金品を搾取する一方で、政府に対しては脅迫じみた行為から、軍事品や配給食糧を求めた。これらの不穏分子の増大はキム・ソンナムの政権を脅かす存在であった。



2015年に新政権のキム・ソンナム指導になった北朝鮮は、それ以前より続いていた国内のクーデターと内戦が約5年間続いていた。キム・ソンナムは、軍の一部を掌握し、キム・ウンテを捕縛し、公開裁判によって終身刑に処した。驚かされたのは、それまで一切の情報統制をかけていたテレビが裁判の主文を言い渡されるキム・ソンナムを映し出していたことである。キム・ウンテ派の官僚や軍関係者は、当初、抵抗を見せたものの、キム・ソンナムによって身分の保証を代償に従属を強いられた。キム・ウンテは投獄され、ある程度、贅沢な食事と家族との面会を許されており、面会は一応、管理されているものの殆ど自由であった。キム・ウンテは投獄されたことにより、不穏な団体と軍の関係は外見的には一掃されたことになっている。

これらのことから、確かにキム・ウンテ独裁支配時代は終結したが、委員長の名が変わっただけで、独裁的な国政は変わっておらず、世界から非難が集注し始めている。国連に対しても、活発に事実隠しに遁走しており、ODAを搾り取ろうと言う意図がはっきりとしてきた。当然ODAは減少しており、北朝鮮の財政は2000年頃と同じく極悪の状態である。国連でも北朝鮮が総書記制度を維持しており、大統領制、首相制などの国民の選挙による選出でないことを追求する国が相次ぎ、一刻も早い民主化を要求した。さらに、2010年ころからイランなどに核兵器の関連部品を輸出するなど、「核」に関する動きが活発になっている。「核」に強烈なアレルギー反応を持つアメリカにとっては由々しい問題である。世界に対するテロ活動や闇の活動が、すでにコントロール不可能な状態で、いまの北朝鮮は、発覚防止に躍起となっている。

このために、諜報部員を派遣して、自国の活動員や諜報部員の「口封じ」 を頻繁に行うようになった。

しかし、北朝鮮にとっても、これは両刃の刃であることは明白であった。「口封じ」 を行えば行うほど、資金の流入が少なくなる。キム・ソンナム現朝鮮民主主義人民共和国委員長は、それでも、派手な外交を展開しており、同盟国ですら、もう良好な関係を維持するのは難しいと、あからさまに態度に示すようになった。朝鮮民主主義人民共和国の指導者や官僚、軍組織の終焉が近づいたことを世界の経済評論家、軍事評論家が、一斉にマスコミに向かって発表を始めた。2015年の10月のことである。

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