第5話 マイケルと恭子


雅人と恭子の兄妹が二人で三鷹の両親の家から、いまの新宿のマンションに引っ越してきたのは、二人の母が心不全で急死した直後であった。 母は、夫の正が暴力団との銃撃戦で殉職し、その後、3ヶ月で、後を追うように他界した。いま思うと、夫婦にはそんなに絆がり、不思議であると同時に、なぜか安堵する。

公職に就いた雅人と恭子は、別に父の生き様に強要された生活を送っていた訳ではないが、厳格な父を半分は嫌いつつ、半分は尊敬の念を持って接してきたため、段々と似てきたのかもしれない。しかし、殉職と言う、ある日突然の出来事をきっかけに、二人はアルバイトをしながら勉強を頑張り、雅人は、難関を打破して警察庁に努めている。曲がったことが嫌いで、声をあまり聞いたことがないような厳格な父を持つと、憎しみと同時に尊敬の念が知らずと湧き出で、その子供たちはよく後を継ぐということが世間でよくある。雅人もそうだったのであろう。父の存在が精神的なサポートとなったのは当たり前だが、少なからず父の昔の仲間も応援し手助けしてくれた。

恭子も、同じく警視庁に勤めることが出来た。当初は自衛官と警察官の両方を目指していたが、結局、警視庁に勤め始めた。父や兄の影響があったし、雅人と同様に曲がったことの嫌いな父譲りの性格に合う仕事でもあった。同僚と打ち解けない出来ない事も有ったが、職務上、その性格と態度が評価される事も多く、父親譲りの性格が良い方に働いた。独学であったが、英語ができる事もプラスに働いている。



雅人を通じて始まった恭子とマイケルの関係は急速に進展していった。マイケルが日本に滞在し、恭子と知り合ったときの三ヶ月はあっという間に過ぎていった。その後も、メールはもちろん、電話や季節ごとの手紙、さらに、時には恭子が主に休みを取ってアメリカまで遊びに行っていた。マイケルも休みのときは、日本とアメリカの間のハワイで会うことも時々あった。

今日も、連休と休暇を使ってハワイで会うことになっていた。恭子の乗ったJAL便は昨日の夜10時に出発して、今朝、10時過ぎに予定通りに着陸した。恭子は、ハワイが好きである。到着して一歩機外に出ると、甘く暖かな空気が熱帯独特の果実の匂いが流れてくる。この開放的な雰囲気が、魔術師が指をスナップするかのごとく、心のどこかに潜んでいるネガティブな部分を一瞬にして気を明るくさせてくれる。もちろん、マイケルに会えることが精神的に作用しているのだが、それでも、この晴れやかな気分は格別だ。周りにいる人も、殆ど日本人観光客で、誰もしかめ面をする必要がない人たちで、幸せの絶頂、という顔の人たちばかりである。東京や殆どの世界の大都市で歩いている人は、他人を見てみぬ振りが上手な人ばかりで、目を見開いていても何も見ていない。その点、ここの人は、相手をしっかり見ているし、話しているし、微笑んでいる。そんな、人との接し方が出来る人が多い島という理由でも、恭子はハワイが好きであった。もちろん、地元の人は観光業で生計を立てているから、作り顏かもしれないが他人を不愉快にさせない雰囲気が身についている。

マイケルは午後の到着便。到着予定時間は午後の2時過ぎ。通常、殆どのアメリカの航空会社と同じで、ユナイテッド航空便は必ず遅れる。だから、「多分、充分時間があるわね」 と、思っていた。イミグレーションと税関を通って、空港内に出るとすぐに、掲示板モニターでユナイテッド#1をさがす。マイケルは、仕事でシカゴに出張で、そこから飛んでくる予定だった。彼は、出身がシカゴであることもあるが、このフライト#1が好きだった。わざわざ、直行便を利用せずにシカゴで乗り換えてくることもある。理由は、ユナイテッドのハブがシカゴで、会社としてもこのフライトが広告宣伝もかねているらしく、機内サービスが他とは違う。フライトアテンダントは、アロハシャツ姿だし、中にはフラダンスを踊るのもいる。楽しませるアイディアいっぱいのフライトだそうだ。フライトの番号が「#1」 というのも、意気込みを感じさせる。

「あら、珍しい」

空港掲示板に珍しく「On Time」 の表示が見える。ホテルに先に行ってもいいけど、すぐに出迎えのために戻ってこなくてはいけない。ホテルで待つことも考えたが、恋人同士は、早く会いたいものだ。空港で時間をつぶすことにした。キャリーオンバッグを転がしながら、ぶらぶらしようと歩き出したとたん、後ろから腕をつかまれた。

「黙って、そのまま歩け!」 

一瞬、ビクッ、としたが、マイケルの声だったので、振り向くとマイケルが微笑んで立っている。

「マイケル、お兄さんにもよく言うんだけど、こういうのって、面白くないの。びっくりするじゃないの!」 

と、ハグしながらキスをする。

「悪いわるい。驚かせてごめん」 

「何で、もう着いているの?午後の便ではなかったの?」 

「ああ、その予定だったのだけど、会議で偶然、SEALのトレーニングで一緒だった友達に会って、そいつがハワイに来るって云うので、乗せてもらったのさ。勿論軍用機だから、普通ではあり得ないけれど、その友達もそれなりのポジションの人間だからうまく手を回してくれた」 

「なにか、タクシーに同乗するみたいに簡単に言うのね。」 

「軍用機でシカゴからホノルルまで、ワンメーター!」 

「もう、職権乱用でしょう?」 

「いいや、機内で情報交換という仕事していたのだ。フラダンスもアルコールも抜きで」 



「ねえ、マイケル。そろそろ結婚のこと考えている?」 

と、部屋に付いているスパに入りながら恭子は軽い気持ちで聞いた。ゆっくりとした時間の流れの中で急に聞かれたのでマイケルは多少、驚いた。恭子は女性と言う事もあって先々の事はいつも考えていたし、ハワイではそれとなく切り出そうと決めていた。

「ああ、もちろん。ただ、恭子も知っての通り、危険の多い仕事だし、恭子との生活や将来生まれてくる子供も含めて、やはり安全な家族の生活をどうすればいいのか考えている。それに、恭子には分からないかもしれないが、黒人への差別が大なり小なり子供に影響が及ぶことも考えなくてはいけないと思う」 

「ねぇ、マイケル。私も警視庁に勤めているし、お兄さんも警察庁。危険が多い仕事なのは判っているわ。でもね、世の中に危険な仕事に命を張っている人って結構いっぱいいるわ。消防士や日本では自衛隊であなたの国では陸海空の軍人のそうだわ。将来の危険を考えて、今を生きられないなんて、私は反対。もっと人生を、いまの人生を大切にしたいの。だから、私たちの結婚に『将来の危険性』 なんて持ち込まないで!それに、あなたの皮膚の色は会ったその日から、いろいろ考えてきたからもう私の中では解決済みで準備OKのことだわ」 

マイケルは、唖然としたし、恭子のその勇気がうれしかったのと同時に、自分から言うべきことだったと、少し恥ずかしくもある。そのときマイケルは決心した。


その後も、順調な関係を維持した恭子とマイケルは、マイケルが日本に遊びに来た時に雅人に対し、結婚の意志を伝えた。

「お兄さん、私たち結婚したいの」

雅人は、兄からの承諾を二人そろって求めるなんて、やけに古風だなと思ったが、逆に、いままでの兄妹の二人の生活と父と母の不幸を二人で乗り切ってきたことに対する恭子の真摯な気持ちだと思うとジーンと来るものがあった。それに、恭子が説得したのであろうが、アメリカ人のマイケルが一緒になって「正式な」 話を、筋を通してしてくれていることに感謝した。本来なら、「恭子と結婚するよ」 という宣言で終わりなのに。同じ年齢のマイケルでも、一応、義理とはいえ「兄」 となる雅人への礼儀正しさがうれしかった。

「子供じゃない、大人のお前たちが決めたことだから、お兄さんがとやかく言うことじゃないし、お前が幸せになるのなら反対はしない」 と、言わざるを得ない。しかし、マイケルには正しておかなければならないこともあるのは事実だ。「マイケル、結婚自体は反対しないし、幸せな家庭を築いてほしいと思う。しかし、君はCIAで兄の俺が警察庁で国際犯罪やテロを追いかけている。その、環境を忘れるな」 と、釘を刺す。

「それにマイケル、恭子は一緒になるのだからアメリカで生活するのだろう? 恭子は俺よりも海外での生活に対する順応は早いと思うが、どこに住むのだ?」 

「当面は、ペンタゴンの近くのコンディミニアムでCIAの職員の安全を守るプログラムを適応してもらう。多分、公務員というふれこみかな……。まぁ、うまくやるよ」 

「まず、俺は名前も仕事も偽造されていて実際のおれという人間は存在しない。別の人間になる。いまもそうだけど。それに、親戚や近所の人を信じさす偽造の証明書も作ってある。俺は政府関連の仕事をしている公務員で、恭子はその妻。何も心配はない。クレジットカードや社会保障番号もCIAが用意してくれる」

「マイケル、お兄さんが心配しているのは、そんなことではなくて、あなたの安全よ」 と、恭子も心配しているようである。

「ありがとう。でも僕には恭子のことが心配なのだよ」 

「マイケル、私はあなたと結婚すると決めたとき、その辺は覚悟してプロポーズを受けたのよ。心配はありがたいけど、私の決心を疑わないで」 



二人は、日本からの限られた友人の参加であったが、ハワイで挙式をあげた。親族はいない。雅人のみである。特に親しい親戚はいないし、遠い親戚にも丁寧な手紙を送っておいた。日本人がハワイで結婚するのはお決まりのコースであったが、二人には都合が良かった。二人はハワイを代表するトロピカルなロイヤル・ハワイアン・ホテルに泊まった。有名なピンク色のホテル。歴史ある本館に部屋を取り、しかも荘厳な朝日と夕日をただで楽しめるオーシャン・ビューの部屋だった。特にマイケルは、ネクタイ、背広の生活からハワイではフォーマルなウェアであるアロハシャツで挙式が行えることが気に入っていたし、どこへでも短パン、サンダルで出かけられる事を喜んだ。

それから、次の新婚旅行目的地はハワイからイタリアへ行く予定である。イタリアは、シカゴ経由で長旅であったがもちろん新婚の二人には、気にならなかった。シカゴではマイケルの地元である事からいろいろと観光もできたが、時差ぼけの解消に当てる事にした。シャンパンを飲み朝まで愛しあう。昼近くまで怠惰な時間をベッドで過ごす。「Don't Disturb」 のサインはドアノブに吊るしてある。ドレイクホテルは教育が行き届いているので間違いはない。遅いブランチと言うかアメリカスタイルのランチをたらふく食べて、後は「風の街」 を散歩した。二人にはそれだけで十分充実していた一日だった。

イタリアではローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、と精力的に回った。観光客だから許されるフリルのついた新婚用のゴンドラにも乗った。そのゴンドラで船頭が歌う歌はロマンティックな内容だろうが、大声で歌うので、なにか気恥ずかしい。マイケルには三日しか休みが取れなかったので出来るだけ効率よく周った。少々、贅沢な乗り継ぎもしたが、新婚旅行である。イタリアでは、他の観光客と同様にパックツアーに紛れ込み「お上りさん」 となって観光した。ローマではパンティオン、コロッセオやフォロロマーノ、バティカンなどの歴史を堪能し、フラスカティの軽口の白ワインは「本場にいる」という雰囲気もあるだろうが、二人で2本も空けた。ヴェネツィアではサン・マルコ寺院や運河周りで楽しんだ。フィレンツェは文化が圧巻だ。食事も大いに堪能したが、レオナヅド・ダ・ビンチの芸術に最大級の驚きを受けた。二人とも何を見て、何をしても幸せを感じる状況かもしれないが、とても有意義な新婚旅行だと感じていた。

さらに、二回目の新婚旅行をアメリカ国内版で計画している。新婚旅行からシカゴに戻ると、あらかじめ家具付のコンディミニアムに必要な衣類や調理器具を用意しておいたので問題なく生活が始まった。少しは落ち着いた新婚生活をマイケルは送りたかったが、すぐに仕事に出かけなければならなかった。CIAが、山積する問題をマイケル抜きで長時間放置できる余裕もない。 恭子も早く主婦という立場に慣れ、仕事も見つけたかった。

恭子はそんなある日、買い物にも通勤にも車には慣れておきたかったので、コンパクトカーで運転の練習しようと思った。右左が反対というのは厄介である。道路、運転席、ワイパーと方向指示器……すべてが反対の位置である。すぐになれると思うが……。マイケルに手伝ってもらって、近隣の地理を覚えておいた。銀行、スーパーマーケット、郵便局、ショッピング・モール、家具屋、酒屋、セルフのガソリンスタンド……。

マイケルには大型のグランドチェロキーに乗って通勤してもらい、GMのシボレーのコンパクトカーに乗って買い物に行くことにした。運転には自信があったし、モールは そんなに遠くの距離ではない。15分もあれば着くだろう。恭子は、戸締りした後、車に乗り込んだ。



イグニッションを作動させる。シートベルトを付け、ギアを「D」 に移した。サイドブレーキを解除すれば、出発進行。ウィンカーを出して、住宅街からスピードが出せる3車線の道路に出る。問題なし。後は、ランプを降りられるように右側の低速車レーンを走ればいいのだわ、とスピードを時速40マイルまで上げたとき、プスンという音がした。アクセルから足を離すが速度が下がらない。エンジンブレーキも効かない。「おかしい」 と思いながらブレーキを踏むが、効かない。速度は、時速55マイル。恭子はそれでも落ち着いていた。

  そうだ、サイドブレーキを引こう。 

それに、もう降りるランプまですぐだ。 

スピンしないようにゆっくりサイドブレーキを引く。 

最悪、右の土手にこすりながら速度を落とすことも考えていた。 

右手でサイドブレーキを引いているが、やはり速度が落ちない。 

ハザードランプはとっくに点滅している。

チラッとリアヴィウミラーを見ても、後続車はない。

そのとき、車が振動し始めた。すごい砂利道でも走っているようだった。恭子は冷静さを失った。思い切って無駄だろうと思いながらサイドブレーキを力いっぱい引っ張った。本来ならサイドブレーキはゆっくり引くのが常識だが、動転していた。車は大きくスピンして、車の側面からランプの分かれる水タンクに激突した。その瞬間、水タンクはスローモーションのように迫ってきた。水タンクの後ろにはコンクリートの防御壁があった。車は大破し、恭子はフロントのウィンシールドから投げ出され、全身を強く打った。エアーバッグも作動しなかった。5分後に救急車が来て初期治療にあったたが、すでに、心肺停止状態で脳の活動もすぐに停止した。残念ながら、急遽駆けつけたマイケルは生きた恭子に会えなかった。

恭子は死んだ。

雅人にも緊急の連絡が入った。もちろん、左右が逆の慣れない土地での事故死との当初の発表を一旦信じたし、マイケルの落ち込みを察して、こまかな調査を雅人は要求しなかった。マイケルとの電話の会話もあっけなく済ませた。

恭子は、もう戻ってこないのである。 

マイケルも同様だろうが、雅人もつらい、つらい日々を送った。マイケルのたかだか4年余りとは違い、恭子との関係は彼女が生まれてから、約32年間の兄妹という仲である。つらさか違う、と雅人は思った。いかに愛し合っていても、所詮は他人である。それに、CIAのエージェントは人一倍、家族に対する安全の注意が必要だよ、と言っておいたのに一週間後に死なせるなんて、許せない気持ちもあった。誰を恨めばいいのか。もちろん、そのときは交通事故だと思ったし、調査の結果の内容は歴然として存在し、CIAとは直接、恭子の死とは関係ない、とご丁寧なマイケルから報告があったのは分かっていたが、マイケルを攻めることで自分を落ち着かせようとしたい気分だった。



その日は強烈な雨の日だった。

ジョン・F・ケネディの墓や、戦没者一般を祀(まつ)る「無名戦士の墓」 がある国立アーリントン墓地の北東に一キロ離れた一般市民用の墓地で葬儀は行われた。日本の葬儀とは異なり、短時間で終わる。恭子の場合、土葬にしたので火葬の時間がないし、焼香もない。葬儀は一回だけで、通夜、告別式に分けて行わない。牧師のサモン(説教)があり、いわゆる喪主や友人代表が故人の思い出を語り、参加者が花を添える。そして、棺ごと土葬する。マイケルは雅人と棺の横で座っていた。徐々に土をかけられ埋まって行く。最後まで見届ける者もいない。土がかけられ始めると皆、帰路につくのが礼儀のようだ。CIAの仲間やマイケルの家族、友人が集まった。最後の別れにきてくれた。もちろんマイケルは雅人を恭子の兄としか紹介しない。CIAの連中は薄々知ってはいたが、口には出さない。マイケルと雅人は言葉少なめに弔問客に挨拶する。家族や友人は花を手向けながら、あまりにも早すぎる恭子の死を呪った。強烈な雨が涙を隠してくれる。墓石に「恭子・マッケンジー、みなに愛され続けた天使、天国へ」 と、刻まれることになっている。棺の周りには、恭子が好きだった水仙が飾られている。いっぱいの水仙が、甘酸っぱい匂いで恭子を包んでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る