第2話 夕焼け色の鳥
ハルトの母親は、まだ産まれて間もない幼子を抱いて、独りで
母一人子一人。元いた島を離れ、縁もゆかりも無いこの島へ流れ着いて、生活の為に町の宿屋・金枝亭で働き始めた。幸いにも、宿屋の夫婦は世話好きで、町の人たちも余所者の親子を温かく迎え入れてくれた。特に小さな娘のいる金枝亭の女将とは直ぐに意気投合して、仲良くなったそうだ。裕福ではなかった。それでも、日々を楽しく暮らしていた。
そんな母も、ハルトが八歳になった頃、死んでしまった。流行の病だった。いま思えば、大変だったのだとハルトは思う。いつも明るくて、しっかり者で、よく働きよく気のつく人だった。
「…………」
職人街の外れにある見晴らしの良い小さな公園で、ハルトは一人、木製の長椅子に腰掛けていた。首から下げた皮袋の中から、透明な石の飾りを取り出して、手の平に乗せ目を落とす。
あの後、異国の少女は金枝亭に留まることになった。そうしてとりあえず通訳の必要がなくなったハルトは、少々遅くなってしまったものの、やっと本来の仕事場に向かえたのだった。
ハルトは職人街にある木工職人の工房で、見習いとして働いている。ここの親方は金枝亭の女将の父親にあたる人だ。女将の計らいで、己の食い扶持を稼ぐ必要のあったハルトは、ここで修行させてもらっている。見知らぬ他人の多い場所では働きにくいハルトとしても、手作業が中心のこの職場はありがたかった。
親方は本来ならばもう引退するような年齢だから、頼まれる仕事は多くない。ハルトはその補佐をしながら、職人としての技術を学んでいる。
そうして昼は工房を手伝い、夜は夕飯時で忙しい宿の食堂を手伝う。工房と宿、それから島の外れにある自宅。この三カ所がハルトの主な生活の場で、幼い頃連れられてきて以来、島の外に出たことが無いハルトにとって、
今は、その狭間の時間だ。
手の中にある飾りは、細かい細工の金の縁取りの中に、レンズのような膨らみのある楕円の石がはめ込まれている。それは何かの宝石のようでもあった。しかしよく見れば、ただの透明なガラス玉だと分かる。本来は淡い桜色をしているガラスは、傾き始めた日の光を受けて橙色に染まっていた。
ハルトには、どんな宝石よりも価値のある石。
母の形見だ。
首飾りにされたこの石が、いつも母の胸元を飾っていたのを覚えている。母もこうして時折手の平に乗せ、愛おしそうに眺めていた。そうして聞かせてくれたものだ。「これはね、あなたのお父さんがくれたものなのよ」と。家に居着かなかった父がどこかで見つけて、母の瞳とよく似た色だからと、贈ってくれたのだとか。
父親のことはよく知らない。
恐らく、抱かれたことはない。息子の存在すら知らなかったかもしれない。たぶん絵描きか何かなんだろうな、とハルトは想像していた。絵を書きながらいろいろな土地を巡って旅をするのだ。ハルトにとって父親とは、そんな風にひどくおぼろげな、母が語る思い出と、家にたくさん残された絵画や手帳の中にいる人だ。
そうして父親のことを話して聞かせてくれた母は、決まって明るく楽しげだった。しかしそんな母の胸に、ほんの少し寂しさが滲むのも、ハルトは知っていた。
だからこの桜色の石にあるのは、父ではなく、母の思い出だった。
母を想って懐かしむ——寂しさを紛らわせるのではなく、ただ安らげる。この石を見つめると、気持ちがほぐれる気がした。
昼と夜の谷間のような時間。
誰もいない公園に風が吹き抜けて、遠い町の声を届ける。
ハルトは手の中にある石を優しく握り、この石のように夕日の橙を映す透明な瞳を、島の外、どこまでも果てない空へ向けた。静かだった。ここだけ町から切り離されたように。頭を空っぽにする。こんなひとときが、ハルトには必要だった。
——さて、そろそろ行かないと。
ハルトは大切な石を首の袋にしまって立ち上がった。
振り返って見上げた空で、鳥が騒いでいた。
夕暮れ時、ねぐらに帰るカラスだろうか。三羽の黒い鳥が大きく翼をばたつかせながら、縺れるように飛んでいる。ギャーギャーと鋭い声を上げる様子は、顔見知り同士で遊んでいるようには見えなかった。
「?」
ヨソモノヨソモノ。
アッチイケ。ヘンナヤツ、デテケ。
生き物ならばなんでもその気持ち——内面を読み取れる。とは言っても、人間以外の生物がヒトの言葉を使うはずがないから、それらの場合は、思考や感情がはっきりとした言葉ではなくもっと大雑把な、それこそ言葉にならない雰囲気のようなもので伝わってくる。
空で騒ぐカラスたちからは、外敵を追い払いたい、という刺々しくもどこか恐れるような心持ちが読み取れた。
——縄張り争いかな?
ハルトにとって、そんな曖昧なものでも確かに感じ取れる思考や感情を持つ生き物たちは、普通の人が思うよりも身近な存在で、ご近所さんのようなものだった。
だからそこに不和があれば気になるのも当然で、自然と空に目を凝らしていた。
よくよく見れば、喧嘩をしているのは三羽のカラスではなかった。黒い翼を広げて荒ぶる鳥の中心に、別の種類の鳥がいる。カラスと同じくらいの大きさをしたその鳥は、まるで夕焼けがそのまま抜け出したような、鮮やかな茜色をしていた。
三羽のカラスに追い立てられ、ばさばさと不格好に羽ばたく。攻撃されているせいなのか、翼をばたつかせるだけで思うように揚力を得られないようだ。それどころか、上下左右に大きく軌道が揺れて、真っ直ぐ進むことさえままならない。……なんというか、へたくそだ。長い尾が乱雑に宙を舞っている。
あまり耳に聞こえが良いとはいえない声で、ギャーと鳴いた。
『ぎゃっ! 痛いっ、イタいっ!
や、止やめないか!
助けっ、誰か助けてーーッ!』
ハルトが首を傾げて見ている前で、カラスにつつかれた赤い鳥は真っ逆さま。とうとう地面へ墜落し始めた。
哀れな悲鳴に突き動かされ、思わず駆け出す。夢中で両腕を空へ差し出すと、ほとんど目で確かめる暇もなく、重たいものがのし掛かった。滑るようにその場に尻餅をつく。
「……——」
イタい。
仰向けに寝転がったままそれを噛みしめる。するといつの間にか目を瞑っていた顔に、激しい風とふさふさした感触が当たった。息を詰めて顔を庇い、慌てて身を起こす。それに合わせて、体の上で暴れていた何かが飛び立った。
危なっかしく真っ赤な翼を広げて風を受け、近くにあった花壇の、煉瓦を積んだ縁に恐る恐る着地する。たどたどしく確かめるように翼を畳んで、大振りの黄色い嘴で羽並みを整える。
ハルトは瞬きしてその鳥を見た。
顔に当たったのは、あの真っ赤な羽らしい。近くで見ると、赤一色だと思った翼は、風切り羽の先端に行くほど黄色に移り変わっている。頭の後ろに向かって伸びた冠羽の一枚だけ、目が覚めるような群青だった。
カラスよりもずんぐりとした体型。
家にあった父の画帳で見た鳥に似ている。確か、インコとかオウムとかいう種類だ。実際に目にするのは初めてで、この辺には生息していないはずの鳥だった。
『はぁ〜〜。ひどい目に遭った。
まったくあのカラスどもめ。
私を誰だと思っているのか』
などとぼやきながら、気持ちを落ち着かせようと一通り羽繕いを終え、頭を上げる。その、頭の羽と同じ群青の小さな
心臓がドキリと鳴る。ハルトは僅かに肩を跳ねさせた。その眼には、普通の鳥にはあり得ないような、意志の光が宿っていた。
挨拶するように、大きな翼の片方を広げる。
『いや、少年。助かったよ。
まだ上手く飛べなくてね。逃げようにも逃げきれなかったのだ。己の身一つで自由に飛べた身としては、翼というのはどうにも勝手が分からなくてね』
「!」
——しゃべる、鳥だ……。
鳥はため息のように鼻から息を抜き、膨らませた胴体に首を埋もれさせてみせる。そのあまりに人間的な仕草に、ハルトは大いに戸惑った。
そもそもがおかしい。
鳥は人の言葉を理解しない。
だから人の言葉で思考しない。
だというのに、今、目の前にいる鳥は、人の言葉でハルトに語りかけている。
否、正確にいえば、その嘴から漏れる声は「グエェェ」とか、「ジャーー」とか、鳥の鳴き声そのものなのだが、そしてあまり音楽的でない声なのだが、この赤い鳥自身は人の言葉で思考し、また目の前で座り込む少年に話しかけているつもりなのだ。
だからハルトには鳥が思う通り言っている事が分かる。話しかけられていると聞こえる。
それはまったく、不可解な現象だった。
花壇にいる生き物は、間違いなく鳥なのに。
「…………」
ハルトはぎゅっと目を瞑り、瞬きながら開いて確認する。そうしてみても、そこにいるのはやはり派手な色合いの鳥だった。
「飛ぶの、苦手なんだ。鳥なのに……」
ハルトは大いに混乱していた。
混乱しているなりに、疑問を口にしていた。
返事を期待したわけではない。独り言だったと思う。その呟きを受けて、鳥は首を傾げた。
『ん? 少年。
私の言っている事が、分かるのか?』
「…………」
変な自覚はあったらしい。
返事をしたものか一瞬だけ迷って、ハルトはこくんとうなずいた。様子を窺いながら続ける。
「天恵が、あるから。生き物の気持ち、分かる」
『ほほう。鏡の〈天恵〉持ちか。
なんとお誂え向き。なんという幸運』
鳥は翼を大きく広げ、空気を打ち鳴らした。
『まさに天の恵み。いや、采配と言うべきか。ここで私が君に出会えたのも、何かの縁と言えるかもしれないな』
「はあ……」
そう言われても、ただただ圧倒されるだけで、なんだか分からない。鳥はふむ、と小首を傾げた。
『ならば、隠し立てしても意味はない』
不思議な鳥は両の翼を広げると、空を打って体を浮かせた。真っ赤に染まる眩しい夕焼けを背に、翼の縁を陽光に透かしてきらめかせる。『少年』と声をかけられ、ハルトは息を呑んだ。
『我が名はアマランジル・アルグカヌク。
この世で最も偉大な魔術師だ』
それは、威風堂々と言っていい、名乗りだった。
鳥は浮いた体をゆっくりと元の位置に落ち着ける。そして羽を膨らませ胸を反らした。尖った嘴をついと上向ける。
『今は呪いによってこんな姿にされているが、これでも歴とした人間なのだよ』
「…………」
ハルトは、反応に困った。
本人としては、最大限、精一杯、威厳をもって言い放ったのだろう。ハルトにはそれが分かる。実際、先の名乗りは逆光もあって、少々感銘を受けてしまうくらい格好良かった。
しかし、だ。地面にいると、完全に派手な色のぷっくりした鳥だ。それだけに——正直、ちょっと面白いというか、可愛らしい感じにしかならない。偉そうなだけの、鼻息の荒い鳥だ。
大仰な名前も、自分で言っては駄目なのではないかと思う肩書きも、「呪い」などという不穏当な単語にも、一応衝撃を受けたのだが、
何も言葉にならなかったのは、そういう
話を続ける鳥を、ただ見つめることしかできない。
『話せば長くなるのだが——』
そんなハルトにはお構いなしに——というか(驚くのも無理はない。説明してあげよう)くらいに思って、鳥は腰を落ち着かせると、小さな目を細めて語り出した。
『しばらく前の事。
私は偶然、ある者が世界の存亡に関わる巨大な悪事を企んでいるのを知ってしまった。その者は、太古の昔に封印された〈魔神〉を、現世に蘇らせようとしているのだ。それはとんでもないことだ。少年にも分かるだろう。〈魔神〉が復活すれば、今度こそ、この世界は滅びてしまう』
「は……?」
ハルトはぽかんと口を開けた。
しかつめらしい顔をして——実際は細めた瞳がなんだか眠たそうにも見えて可愛らしかったりするのだが、重々しく語る鳥を、瞬きして見る。
魔神? 魔神と言ったのだろうか?
それは神話に登場する、邪悪な怪物のことだ。世界を生命の住めない土地に汚し、すべてを滅ぼさんと破壊の限りを尽くしたという。恐ろしいモノの象徴として、子供が一度は聞かされるお伽話。——おとぎ話。つまり、架空の物語だ。実在はしない。そう、認識していたのだが……。
ハルトは話が突然あさっての方へ飛んでしまったような印象を受けた。しかし鳥は真剣そのものだ。
上手く呑み込めないでいるうちに、鳥は話を先に進める。
『大それた企みだが、知ってしまったからには放っておけない。とはいえ、あまり他人にふれ回る事でもないし、確かな証拠があるわけでもない。しかたなく、私は単独で探りを入れ、また阻止しようと画策していたのだ。
ところが、だ。ちょっとした隙を突かれてしまって、間抜けにも、捕らえられてしまったのだ……』
それまで熱っぽく語っていた鳥は、翼を畳み、体を小さくすぼめてしょんぼりする。そして悔しそうに、嘴を噛み合わせた。
『その者たちは私の力を恐れて魔法を封じる部屋に軟禁した。その上、呪術によって私を、無力で愛らしい小動物に変えようとしたのだ!
しかし私はそれを逆手に取った。その術の魔力を利用して、このように、愛らしくも力強い翼を持つ鳥の姿に変化し、辛くも檻の中から逃げ延びてきた、というわけなのだよ』
鳥は自ら体験した事を頭に思い描きながら語った。そんな時、ハルトは語る人が想像した状況をも読み取ることができる。それはさながら英雄が大活躍する物語を見ているようで、まるで別世界で起きた出来事のようだった。
『そうしてとりあえず、この島まで辿り着いたところだ。悪しき者たちが最初に狙うとすれば、恐らくここだろうと推察してね。
それは良かったのだが……、こんな状態では魔法を使うこともできない。誰かに助力を願おうにも言葉は通じず、カラスにはつつかれるし、ほとほと困り果てていたところなのだよ。
そんな時、少年と出会えた。これを幸運と言わずしてなんとする。本当に良かった。感謝する。そして是非とも私に協力してくれ』
「…………」
ハルトはまたも、直ぐに返事ができなかった。彼の喜びも感謝も、ハルトにはしっかり伝わっているものの、実感がわかない。
ハルトにしてみれば、呪いで人間が鳥になるなんて、まるで現実味が無い。その上「悪者」だとか「世界の破滅」だとか、まして〈魔神〉なんて言われても混乱するばかりだ。こんなどこにでもある島に、いったい何があるというのか。
それに——わざと、なのだろうか。
それとも呪いで鳥の姿になっているせいか。
不思議なことに、ハルトには大魔術師であるというこの鳥の心中が、ほとんど表面的なものしか感じられないのだった。
人の心は底の見えない深い泉のようなものだ。普段、なにもしなくてもハルトに感じられるのは、そのごく表面——風に揺れて波立つ
ただそれは、ハルトが少し意識を向ければ、いま心の内で本当は何を思っているのかまですくい取れる。こうして面と向かって会話していれば、意識しなくても透明な水面に目を凝らすように見えてくるものだ。
それが、見えない。
そんな風に他人の内面を詮索するのは、あまり行儀の良いことではない。ハルトは母親からそう教え込まれているし、ハルトにとっても知って気分の良い事ばかりではないから、それは別にいい。そんな状態でも、この鳥が嘘を吐いていないのは分かるのだ。だから突拍子もない話でも、なんとか聞いていられる。
それなのに、全てを鵜呑みにできないような胡散臭さが、言葉の端々に漂っているから異様だった。それも、鳥の見た目で重大な秘密を打ち明けるように語っているから、そう思うのだろうか。本当に魔法が使えないのかも疑わしいほどに、この鳥の話を素直には受け取れない。
「えっと、トリさん」
探るように、ハルトは尋ねた。
『アルグでよいぞ』
「アルグ、さん。協力って、何?」
とりあえず、自分に何ができるとも思えないハルトは、流れのままに聞いてみる。アルグはうむとうなずいた。
『この島のどこかに、太古の神殿か遺跡のようなものがあるはずだ。そこに魔神の一部が封印されているらしい。そしてその封印を解く鍵もまた、ここにあるようなのだ。
悪者たちはその鍵と遺跡を見付け、魔神の封印を解くつもりだ』
「はあ……。カギ、鍵があるんだ」
魔神、魔神の一部、遺跡に、封印に、鍵……。
なんだか、よく分らなかった。つまりこの島のどこかに、魔神が眠っているということか。上手く想像できない。一部? 一部ってどういう意味だろう。疑問ばかりが増えていく。
「それを探す?」
『その通り。
奴らよりも先に見付けて、手に入れなければ。遺跡は動かせないからな。鍵さえ安全な場所に隠してしまえば、遺跡が見付かったとしても魔神の封印は解けない。在処の手掛かりも、大体の検討はついているのだ』
「どこに?」
会話の流れにつられて、ハルトは尋ねた。
よくぞ聞いてくれた、とアルグは一度羽を広げてから力強くうなずく。そして、声を潜めて言った。
『オルレイン・ザラトールという男の家を知っているか?』
その一言に、虚を突かれた。
思考が空白になる。
アルグはそんなハルトの反応も目に入らないまま続けた。
『その男は神話を研究していた第一人者というべき人物なのだ。以前この島にも住んでいたらしく、その家がどこかにあるはずだ。鍵にしろ遺跡にしろ、そこに手掛かりがある。
とはいえ、その家の場所までは知らないのでね。そこを探す為の聞き込みなんかを、少年に手伝ってほしいわけだ。
悪者たちも探しているだろうから、急がないと——』
「それ……」
やっと声が出た。
自分のものかも分からない。
それは、頭の裏側から聞こえた。
「それ、ぼくのお父さんだ」
『ん? んんん?』
「ハルバート・ザラトール。ぼくの、名前……」
わけが分からなかった。
どうして父の名前がここに出てくるのだろう? 神話を研究していた? ただの絵描きではなかったのか? 世界の破滅なんて、大それた事に関わっていた? そんなバカな。
それに、ここに住んでいたって……。
アルグは頻りに首を左右に傾けた。やがて、納得したように座り直す。
『なるほど。お誂え向きどころか、運命的ですらあったわけか。
それなら話は早い。早速少年の家に——』
まるで思いがけない、降って湧いたような事態に、頭が慣れない思考で埋め尽くされて逆に真っ白になる。アルグの声も耳に入ることなく頭の上を素通りする。
そのまん丸に見開かれた透明な目に、太陽の沈む空が見えた。
もうすっかり姿を隠そうとしている。
次に訪れるのは薄闇。そして、夜だ。
そう、もう夜になる。
ハルトははっと気が付いて、腰を浮かせた。
「大変! お店!」
『ん? どうした、少年』
「仕事! 仕事に行かないと!」
『えええっ!』
大きくはない宿だが、夕飯時は外からも客が来るから、食堂はそれなりに賑わう。おっとりしたミラは調理場の手伝いで手一杯だし、女将さん一人では混雑する店を捌ききれない。
既に、客が増え始めているはずの時刻だった。
早く、行かなければ!
ハルトは駆けだした。
『ちょ、ちょっと待った!』
その横を、不器用に羽ばたいてアルグが追いかけてくる。ハルトの顔をのぞき込むように見た。
『これだけ聞いて、協力してくれないのか?
世界だけじゃない、この島の危機でもあるんだぞ』
必死に追って前に回り込もうとする鳥を、ハルトは横目にちらっとだけ見た。少しかわいそうではある。しかし、直ぐに前に向き直る。
「ごめん。でも、今は、無理!」
『えええええええ??』
ハルトは、わけの分からない物語のような鳥の
非難の声を上げ、羽ばたく気力も失せた自称・偉大な魔術師を置き去りにして、ハルトは暮れようとする町を駆け抜けた。
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