第34話

 午後になって日が傾くまで探し続けても、魔神の鍵は見付からず、その切っ掛けさえ何も掴めなかった。

 一方で、ロジアムもまた見付かっていないらしかった。

 それを聞いて、ヴァイオレットも捜してみる気になった。いくら広い屋敷でも、朝から何人もで捜しているのに見付からないなんて、おかしい。使用人でも行きにくい場所、或いは知らない場所に隠れているのかもしれなかった。そしてヴァイオレットには、その一つに心当たりがあった。自分の探し物も上手くいっていないので、少し目先を変えるのも悪くないと思った。

 向かうのは、昨日偶然に発見した、隠し通路の先だ。

 部屋から手燭を持ってきて、壁に口を開けた通路の暗がりに立つ。一人がやっと通れる幅しかない通路の先は、暗闇に沈んでいた。

 ヴァイオレットは喉を鳴らして息を呑み込むと、ほこりっぽい壁に手をついて、恐る恐る——足下が見えないので慎重に、歩を進めた。

 どこに続いているのだろう。

 壁の裏側を行く通路は真っ直ぐだ。

 と思ったら、

 不意に床がなくなった。

 心臓が跳ねる。

 壁に手をついていなかったら、摺り足気味に進んでいなかったら、そのまま踏み外して落ちるところだった。大きく息を吐いて、下の方を照らして見れば、そこには階段があるのだった。

 一歩ずつつま先で探りながら、段を数えて下る。途中折り返して、二階分ほどだろうか。また真っ直ぐの通路になって、その先に淡い明かりが見えた。

 部屋があるらしい。

 そこが終点なのか。

 ヴァイオレットはドキドキしながら顔を覗かせた。

 床も壁も天井も、石で出来た小さな部屋だ。奥に向かって細長い。四隅に灯籠があって火が入れられていたから、中の様子が見通せた。半分より奥の真ん中に石の台座。向こうの壁に花を生けた花瓶が一つ。それだけの部屋。

 そしてそこにはノギアムがいた。

 ヴァイオレットは息を詰めて戸口で固まる。

 まるで予想していなかった。人を捜しに来たはずなのに、誰かがいる可能性さえ頭から抜け落ちていた。それも、まさか、ノギアムなんて……。あまりに驚いて、どうしていいか分からなくなる。

 壁に寄り掛かって腕を組むノギアムは、足音で気付いていたのか、少しも驚かずただヴァイオレットに目を向けた。

「やあ」

 壁から背を離して挨拶する。地下のような空気の小部屋には窓一つ無く、光量は少ないはずなのに、不思議と薄暗い印象はない。ノギアムの表情がよく見て取れた。

 ヴァイオレットは固まる口を、なんとか動かした。

「こ、こんちには……」

「君は確か、父の客人だったな」

「ヴァイオレットです」

「そうだった。

 私は入り口を閉め忘れたかな」

「いいえ。昨日見付けていたので。ロジアムさんを捜しに……」

 そう言われてみると、ヴァイオレットは入り口を閉めてこなかったような気がする。

 妙に冷静な頭のどこかでそんな事を考えながら、さり気なく場所を空けてくれたノギアムに気後れしつつ、ヴァイオレットは中に足を踏み入れた。

 はっきり言って、レイクン以上に気詰まりだ。中年の立派な男性と、こんな薄暗くて狭い空間に二人——。それだけでも勘弁してほしいのに、ノギアムはロジアムとよく似た厳しい顔立ちをしていて、その上父親と口論している姿しか見ていないから、ヴァイオレットは彼に恐ろしい印象しか抱いていない。

 だから、無言のまま向き合うなんて、考えただけでぞっとした。それなら会話をしていた方がましだ。鳶色の瞳を強いて見上げて、ヴァイオレットは続けて聞いた。

「あの、ノギアムさんはどうしてこちらに……?」

「私も君と同じだ。父を捜しに来た」

 自分から目を合わせたのに、見つめ返されると緊張する。ノギアムは腕を組み、遠くに視線をやってため息をついた。

「昨夜、父は物騒なことを言っていただろう。朝になったら問い詰めてやろうと思ったのだが、先を越されてしまった。今度は隠れ鬼でもするつもりなのか」

 呆れているというより、ノギアムは困り果てているようだ。

「ここの使用人は古くからいる人たちばかりだから、みんな父の味方だ。自分で捜さなければ見付からない。しかしここでも父の方が上手だったな。全ての隠し部屋を把握しているのは、父くらいのものだ」

 この屋敷であの人に勝とうとしたのが間違いだった、と投げ遣りな調子で付け加えた。

 なるほど、それなら見付かるはずないかもしれない、とヴァイオレットも納得してしまう。使用人たち——あの執事だけでもぐるになっていれば、その上誰も知らない隠し部屋に籠もっているのだとすれば、捜すだけ無駄だろう。

「それにしても、父に君のような可愛らしい知り合いがいるとは、驚いたな」

 親子で似たようなことを言う。

 しかし今回のには余計な単語が混じっていて、しかも微笑と共に見られるものだから、ヴァイオレットは顔が熱くなってしまった。

 面白がっているのだろう。

 直視できなくて、視線を下に慌てて言う。

「いえっ、あの、わたしは直接の知り合いというわけではなく、ある人の代理なのです」

「代理……。なるほど、そうか……」

 ノギアムは顎を撫でながら考え込む素振りだ。心当たりでもあるのかもしれない。そのせいで、会話が途切れてしまった。

 ヴァイオレットは息苦しさを感じて、その間を埋めるために小部屋へと視線を巡らせる。

 透かし模様のある金属の小さな灯籠は、中に細工でもしてあるのか、普通の物よりも明るくこの不思議な空間を照らし出した。

 一番に目に付く物は、中央にある水を張った鉢だ。——というより、他は花瓶だけだから、見るべきところはそこしかない。

 その鉢は床と一体になった石の台座に乗せられていた。ヴァイオレットが両腕で抱えて丁度良いくらいの大きさ。見た感じは白い石だけれど、よく分からない素材。盆と言うよりは鉢だろう。底がお椀のように丸くなっている。のぞき込んでも水以外は何も入っていない。その水も濁りはなく、新鮮そうだった。奥の花も萎れていないから、誰かが日々手入れをしているのだろうと分かる。

 鉢の側面には紋様が施されていた。

 その紋様と一続きのものが台座にもある。よくよく見れば、床や壁にまで彫り込まれていた。目で追ううちにその紋様に見覚えがあると気付いて、ヴァイオレットは驚きを込め瞬きする。

「これ、太古の遺跡にあったのと同じ……」

 アルグと見て回った遺跡や博物館に、これと似たような----否、まるきり同じものがあった。あれはティー=リーを祀る神殿だったはずだ。説明書きでは単に、神様を称え敬うためのものだとされていた。アルグが教えてくれたところによると、オルレイン・ザラトールの説はもう少し具体的で、ティー=リーの加護を請い願うために施される印だという。

 どうしてこんなものが、ここにあるのか。

「君はよく勉強しているようだ」

 感心した声が聞こえて、ヴァイオレットは振り返った。揺れる橙の光に浮かび上がるノギアムは、同じように部屋を見渡して言った。

「この部屋にある物は、太古の時代に使われていた物だ。いや、そうらしいと言った方がいいかな。この屋敷自体が、太古の遺跡を基礎として建てられたそうだ」

「えっ」

 予想だにしなかった言葉に、ヴァイオレットはまともに目を見開いてノギアムを見つめた。ノギアムはうなずいて続ける。

「何代目かの当主が、やはり古い物が好きな人だったらしく、太古の昔からここにあった遺跡を住まいにしたいと考えて、買い取ったのだそうだ。

 その時には半ばまで朽ち果てていたそうだが、重要な骨組みなどは無事だったから、それを頼りに再現しつつ、住みやすいように手を加えて今のような形にしたと聞いている」

「…………」

 すごい話だ。もはや呆れる隙もなく、ヴァイオレットはただただ感心する。

 そうするとこの屋敷は、太古にあった建物の姿を残している、ということになるのだろうか。

 ノギアムもまた水の鉢に近寄って、その縁に手を掛けた。

「よくは知らないのだがね。

 この部屋はその遺跡の中心となる場所にあって、もっとも大事な核となるのだそうだ」

「?」

 ヴァイオレットは首を傾げた。

 この石の小部屋に何か意味があるということだろうか。それはティー=リーに関係しているのだろうけれど、水の鉢が置かれているだけでは分からない。それに何か意味があったとしても、太古の神官がいなくてはどうにもならないのではないか——。

「私にだって、このくらいの知識はある」

 呻くように呟いて、ノギアムが鉢の水をのぞき込んでいた。

「屋敷を変えてはいけないことくらい分かっている。変えたいわけでもない。

 どうして分かってくれないのか……」

 囁き声。ノギアムの眉間に力が入っている。そこに彼なりの苦悩が滲む。

 それはたぶん、ヴァイオレットが聞いてはいけない言葉だった。でも聞こえてしまったから、そっと口にする。

「親子でも……難しいのですね」

 ヴァイオレットは知らない。面と向かって喧嘩が出来るようになる前に、親元を離れているから。でも血が繋がってさえいれば上手くいくものでもないというのは、分かるかもしれなかった。

「親子だから、だな」

 ノギアムは顔を上げて、苦笑してみせた。顔立ちは確かに父親そっくりだけれど、ノギアムの方がどことなく穏やかな表情をするのだと、ヴァイオレットは気が付いた。彼なりに、親孝行のつもりだったのかもしれない。今ならそう思える。あんな言い方しかできないし、やり方も上手くはないけれど。

 ノギアムは首を傾けて、天井付近を見遣った。

「あの人の経営手腕は純粋に尊敬している。

 だが、ああいう人だからな。父親としては本当に恐ろしかった」

 ヴァイオレットは小さくうなずいて、その深い声音に静かに耳を傾けた。

「勉学も作法も厳しく躾られた。そのくせ、時折妙ないたずらを仕掛けてくる。子供心に、厳しいはずの父が見せるそんな二面性が理解できなくてね。戸惑うばかりだった私を、今度は融通が利かないと言って怒るのだよ。そんなだから、父がわけの分からない化け物のように思えたものだ」

 ノギアムはこの屋敷も大嫌いだったそうだ。ロジアムへの反発心によるところが大きい。ここは理解できない父親の趣味そのものだった。

 ロジアムにとってはお気に入りの場所だから、休暇の度に連れて来られる。ノギアムはそれが嫌で嫌で仕方なかった。そこでもちろん喧嘩になるが、予定が変わるはずもない。身の置き所のない幼いノギアムが、屋敷の中で唯一落ち着けた場所が、この小部屋だった。ここで長い時間を一人で過ごしたのだと言う。

「ここ……ですか?」

 ヴァイオレットは思わず聞き返していた。

 この部屋は狭くて薄暗くて何もない。静かだし一人にはなれるけれども、子供が逃げ込むには——なんというのか、怖い場所ではないだろうか。ヴァイオレットならイヤだ。

 ノギアムは明るく笑った。

「ここはこの屋敷で唯一、無駄な物が無い場所だからね」

 その笑顔を目を丸くして見ていたら、なんだか可笑しくなってしまって、ヴァイオレットも頬を緩めてうなずいていた。

「そうですね」

 それから思う。

 さっきノギアムは父親を捜しに来たと言ったけれど、本音は違うのではないだろうか。子供の頃のように、この場所で一人になって考えたかった。その頃とは違って、仲違いした父親とどう向き合うべきか、きちんと考えるために。

「そうそう。

 私はここで、不思議な体験をしたのだ」

 声の調子を変えて、ノギアムが言った。

 例によって父親と喧嘩をして、逃げ込んだ時のことだった。ふてくされて隅にうずくまっているうちに、ノギアム少年はいつの間にか眠ってしまったらしい。

 どれくらいそうしていたのかは分からない。

 しばらくして、水音を聞き目が覚めた。

 魚が水中でゆるりと向きを変えたような音だった。

 寝ぼけ眼を擦りつつ、ノギアム少年は首を傾げた。それはおかしい。ここには自分以外、生き物はいないはずだ。少年は腰を上げ、鉢をのぞき込んだ。その時——、

 ばしゃり、と水が跳ねた。

 頭からその水を被って、少年は石の床に尻餅をついた。そのとき一瞬だけ、水の底に逃げていく魚の尾ひれを見たような気がした。

「見て分かる通り、ここには魚などいない。

 慌てて確かめたのだが、やはり鉢の中には何もいなかった。

 どうだ。奇妙な話だろう」

「はい。とても不思議なお話です……」

 素直な感想だった。それ以外、どう言い表せるだろう。ヴァイオレットは目をぱちくりとする。

「寝ぼけていたから、夢で見たのを勘違いしているだけかもしれないが」

「実際に濡れているのにですか」

「鉢の水を誤ってこぼしたのかな」

「そんな……」

 ノギアムは朗らかに笑った。

 まるで事実が作り話にすり替えられてしまうような、座りの悪さを感じる。また、現実との境があやふやになる。奇妙な雰囲気の場所だから、余計だった。からかわれているのだろうか。こういうところは、親子だなと思う。

 ヴァイオレットは静かに水をたたえる鉢に目を移した。夢だとしても、簡単には見過ごせない話だ。太古の遺跡の跡で起きた、怪奇現象。それも、魚。また、さかな。

 そうか——と思い、顔を上げてノギアムを振り返る。

「このお話、以前誰かにしませんでしたか」

「ん? どうだったか。

 馬鹿にされそうで、父には話していないはずだが」

「例えば、二十年ほど前に訪れた、若い画家とか——」

「画家?」

 ノギアムは腕を組み、首を傾げる。それから天井に視線をさまよわせて、ヴァイオレットのおかしな質問に付き合ってくれた。しばらくしてうなずく。

「父が気に入って長く逗留させていた彼かな。物静かだが画家にしては風変わりな男で、歳も近かったから覚えているよ。

 確かに、彼にはこの話をしたな」

 古い物を見るのが好きな画家で、屋敷を見て回っているうちに、やはり偶然この小部屋を見付けたらしい。また父が妙な人間を連れ込んだのかと、絵を描くのを見学していたノギアムは、彼に部屋の由来を尋ねられたという。

「だから屋敷の成り立ちと一緒に、子供の頃の体験も聞かせてやったのだ。

 今のお嬢さんのように、やけに真面目な顔で考え込んでいたよ」

「そうですか……」

 拳を口元に当てて、ヴァイオレットはうつむいた。

 その人物はザラトールに間違いないだろうと思う。彼がこの部屋に来たのならば、太古の遺跡だと直ぐに気付くだろうし、興味を持たないはずがない。しかしそんな遺跡以上に、彼の関心を惹いたのは、得体の知れない〈魚〉だった。あれだけ魚にこだわっていた様子から、そう推察できる。「新しい発見」とまで言っているのだ。やはりその〈魚〉は——なにかとてつもなく重大な意味を持つ、のかもしれない。

「さて、そろそろ戻らなくてはな。あまり長居をしては、私まで失踪したのかと思われてしまう。君はどうする?」

「……あ、わたしも。行きます」

 時を見計らったように言ったノギアムに、ヴァイオレットは顔を上げた。返事を待ってからゆっくりと小部屋を出ていくその広い背中を、小走りに追う。そしてヴァイオレットは、戸口でふと足を止めた。振り返る。

 薄暗がりに浮かぶ白い鉢。

 水音は聞こえなかった。

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