第31話

 部屋に戻ったヴァイオレットは、寝台に腰掛けると首を傾げた。

「——ロジアムさん、なんだか変……」

 考え込みながら、待っていたアルグにさっきのやり取りを説明する。

 ロジアムには事前になんの知らせもしなかった。ピエルタが首飾りを見付けた事も、それを盗む事も、その後の茶番も。だから彼は何も知らないはずだった。

 それなのに、あの態度。

 首飾りについても、ヴァイオレットが口添えするつもりが、その前から別物と断言してみせた。あの口振りでは、始めからあれが〈鍵〉ではないと知っていたことになる。ヴァイオレットには「見付けてみなければ分からない」というような事を言っていたはずなのに。あきらかに不自然だった。

「もうなにがなんだか、さっぱり。

 結局〈鍵〉はあるの? ないの?」

 両膝に頬杖をついて、ため息混じりに言う。

 あのやり取りだけを見れば、肖像画の首飾りは別物だったのだから、この屋敷に魔神の鍵があると想定したのが、そもそも間違いだったと考えるしかない。

 では何故それを知りながら、ロジアムはヴァイオレットにあんな話を持ち掛けたのか。

 単にからかわれたのだろうか。それともさっきの態度がはったりだったのだろうか。ネイギたちに別物だと思い込ませるためにあんな風に言っただけで、やはり本当は知らないのか。とてもそうは見えなかったけれど——。

 何を信じればいいのか、分からなくなりそうだ。

 寝台の脇にある台に羽を休めるアルグも、話を聞いて悩ましそうに一点を睨んだ。嘴の隙間から低い声をもらす。

『今の話から考えるに、「ある」のではないかと私は思う』

 これは推測というよりも、友人としての心証でしかないのだが、と前置きしてヴァイオレットを見上げた。

 現当主のノギアムは、強硬にこの屋敷を博物館にしたいらしい。それを防ぐ上手い手立ては、今のところロジアムには無いように見える。そうすると、屋敷にある骨董品や美術品——彼らの言う「ガラクタ」は、全て調べられ整理されて、まず目録が作られることになる。

 その際には当然、あの肖像画も人目に触れる。それはつまり、ロジアムの祖母の胸元にある首飾りが知られるということで、この屋敷のどこかに魔神の封印を解く鍵らしき物があると疑われるということだ。それも魔法院を筆頭とした不特定多数の人間に。

 それもまた、免れようのない事態だった。

 そしてあまり好ましくない状況だった。

 だからロジアムは、一計を案じた。

 無い事を証明するのは難しい。

 ならば在る事にしてしまえばいい。

 あの肖像画に描かれているのは魔神の鍵ではなく、よく似た別物なのだ——と。

 そう思わせられれば、それ以上の追求を受けなくて済む。

「つまりあの首飾りは、ロジアムさんが用意した偽物だと言いたいの?」

『そうだ。

 見付かりやすい所にでも、仕込んでおいたのではないか。誤魔化すための芝居だな』

「でもそれだと、本物が鍵なのかどうかも、やっぱり分からないわ」

『いや、屋敷にある品を全て調べられると考えると、そこであの肖像画と同じ首飾りが複数出てきてはまずい。だとすると、本物の首飾りは既に確保してあると考えるのが妥当だな。

 そしてその前提を踏まえて状況を見直すと——』

「待って待って。ロジアムさんは本物の首飾りを持っているってこと? わたし、嘘をつかれてたの? どうして?」

 それなら、それが魔人の鍵かどうかも知っていたはずだ。わざわざ回りくどい話を持ち掛けなくてもいいことになってしまう。

『落ち着けお嬢さん。もともと呼び付けられたのは私だ。ならば嘘を吐かれたのも、私なのだよ』

「えっと……」

 頭がこんがらがってきた。

 ヴァイオレットは目を閉じて、こめかみを押さえる。確かに、そうだ。ヴァイオレットは代理なのだから、ロジアムはアルグにも同じ話をしただろう。肖像画に描かれた首飾りが屋敷のどこかにある、と。

「どうしてそんなことを——」

 否、問題にするなら呼び寄せたこと自体だろうか。

「首飾りを確保した上であなたを呼び寄せたのなら、それが別物だとは考えにくいわね」

『その通りだ。魔人の鍵だったから私を呼んだ。

 そしてただやったのでは面白くないから、私を引っ掛けて遊ぶことにしたのだろう』

「はあ……」

 呼び付けられたのはしばらく前のことだと言っていた。それなら博物館の話が持ち上がる前だろう。ロジアムは気兼ねなく屋敷を使って首飾りを隠せた、というわけだ。

 初対面の時だったなら、ヴァイオレットは信じなかっただろう。しかし、いくらか言葉を交わし、屋敷の処遇を巡って謎掛けをする姿を見てしまうと、納得できてしまう気がした。それも魔法院の人間がうろうろするこの状況で続けるのだから、かなりの酔狂だ。

 ロジアムは「この屋敷で最も価値のある物は何か」と聞いていた。ある一面では、魔神の鍵はとても価値のある無二の品だ。正解は、鍵なのだろうか——。思いかけて、ヴァイオレットは首を横に振った。それはないだろう。渡したくないからこその、さっきのあの芝居だ。

「失くしたのではなく隠したのなら、今日探した所はぜんぶ見当違いね……」

 アルグを対象にした宝探しだとすれば、知恵比べのような仕掛けが用意してあったはずだ。手当たり次第に探して見付かるような場所ではなく、見付けてうなずけるような場所でなくては駄目だろう。

「でもそれなら、屋敷のどこかにはあるのね。

 良かった……」

 明日から、また頑張れる。

 ヴァイオレットは息をつく。

 その事実がなによりも、安堵させた。

 気付くと、アルグが群青の眼でじっと見つめていた。真面目な顔をしているように思えるけれど、鳥の表情ははっきりとは読み取れない。長い髪を揺らして、ヴァイオレットは首を傾ける。

「どうかした?」

『お嬢さんは、今、何のために頑張っている』

「なに、て……」

 いつもより低い声で発せられた問いに、戸惑う。どこから来たのだろうか。その答え自体は、考えるまでもなかった。

「もちろんギイド様のためよ。決まっているでしょう」

『またギイドか。お嬢さんはそればっかりだな』

 少し目を伏せて、息を抜く。

 それからまた顔を上げた。

『ギイドが君にとってどれほど大きな存在か、理解しているつもりだ。

 が、一度そこから離れてみたらどうだ』

「意味が……分からないわ……」

 小さな丸い眼に、真っ直ぐ見つめられる。真っ暗なせいか、その眼差しがいつになく怖ろしく見えて、ヴァイオレットは訳もなく狼狽える自分に気付いた。

 今もギイドは側にいない。離れているではないか。と、子供じみた捻くれた考えが頭の片隅に浮かぶ。もちろん、実際の距離の話ではないと、分かっていた。

 肩に下がる長い髪を耳に掛け直して、ヴァイオレットは膝に戻した手に目を落とした。

「誰かのために何かをするのはいけないこと……?」

『いけなくはない。

 そういう生き方だってある。

 だが、それはお互いに自分の足で立てていればの話だ。君はギイドに寄り掛かっているだけだろう。それは依存だよ』

「……」

 ----何を、言われているのか、分からなかった。

 頭が理解を拒絶しているようだ。やっと出たのは、口先だけの言葉だった。

「——ちがうわ」

『違わない。

 行動も思考も、君はギイドに全てを丸投げにして、自分では何も考えていない。考えようともしていない。だからコードリッカで結果を目の当たりにして、あれだけ動揺した。

 今もそうだ』

 不意を突かれる。

 翼の音がしたかと思うと、頭に重みがあった。目の前にいたはずのトリがいない。やっと気が付いて、振り払う。腕も回してみたけれど、かすりもしなかった。赤い鳥は悠々と、元の場所に舞い降りる。

『ほら、隙だらけだ。

 図星な証拠だろう』

「……サイテー」

 それだけ絞り出すのでやっとだった。弱々しい声には、反論するだけの力がない。睨むつもりで群青の瞳を見据えてみるものの、そこにあったのは意外にも怒っているかのような厳しい眼差しで、逆に呑まれてしまう。

『命を捧げて何でもする、などと言うのは簡単だよ。そうなれば、君には出来てしまうのだろうがね。だがそれは、そこに生じる重みを相手に押しつけているだけだ』

 ——そんなことない、と思う。

 しかし言葉にすることができなかった。

『まあギイドならば、どれだけ寄り掛かられようと、まるで動じないのだろう。

 それは器の大きさや包容力とは別の話だ。ただどうでもいいだけ。

 君は揺るぎない大樹に身を任せているつもりでも、その樹はそこにあるだけのもので、抱きとめてはくれない。目にも入っていないのだろうさ。守られない代わりに、君は重荷にすらなれない。そして振り捨てる意志もなく、置き去りにされる』

 ヴァイオレットは重たい唇を、なんとか開いた。

「——わたし、前にも言ったはずよ。

 それでいいの。

 そんなのは初めから、承知の上」

 守られたいとは少しも思っていない。勝手について来たのは自分。いつか必ず捨てられるのなら、その時まで精一杯お役に立とう。そう思ってこれまでやって来た。必死になって尽くして来た。今も、している。

『そうだったな』

 アルグは簡単にうなずいた。

『ならばいい加減認めたらどうだ。

 お嬢さんはギイドに捨てられたんだ』

「やめてよッ!」

 思わず立ち上がって叫んでいた。

 見下ろすトリが、落ち着き払った目で見上げている。瞬時に加熱した呼吸が、それだけで詰まった。小さな眼に責め立てられるようだ。全部見透かされる。怒りよりも怯えが、ヴァイオレットの瞳を揺らした。

「やめてよ……」

 震える唇で絞り出した声は、弱々しく消える。目を背けたいのに、少しも逸らさない瞳が、それを許してくれない。

 そんなはずない。まだ決まってない、分からない。ただの不可抗力。

 否定する言葉、拒絶する言葉が、頭の中で渦を巻く。

 目の奥が熱い。

 もう、逃げられない。

 ヴァイオレットは唇を引き結んだ。

 痛みをこらえるように、目を伏せる。

「分かってるの。

 本当は、分かってる。

 でも……」

 囁きよりも、微かな声。

 認めたくなかった。

 認めたら終わってしまう。

 本当はずっと分かっていたのだ。

 ヴァイオレットは捨てられてしまった。

 今ここにギイドがいないのはそういうこと。なんの音沙汰も無いのはそういうこと。

 それでいいと思っていた。

 用済みになって切り捨てられたら、それで終わり。

 その時が来たら後腐れなく去ろう、と。

 でもいざその時が来たら、分からなくなった。

 いつかまでなんて、そんなのはイヤだ。

 それでいいはずない。

 だからヴァイオレットは、目を瞑った。

 真っ先にギイドを探しに行きたいと思ったのに、行けなかったのは怖かったからだ。もし会いに行って、顔を合わせて、邪険にされたら。付き纏って、煙たがられたら。拒絶されたら——。

 そんなのは、堪えられない。

 面と向かえば、認めなくてはいけなくなる。

 確定させてしまうのが、怖かった。

 だから——魔神の手掛かりを探した。

 ギイドのためだと言って何かをしていれば、気が紛れる。考えずにいられる。事実に向き合わなくていい。ここでもそうだ。有用な手掛かりがあれば——何より、魔神の鍵を手に入れることができれば、役に立てる。そうすれば、また、必要としてもらえるかもしれない。

 そうやっていろんなものを誤魔化して、現実から目を逸らしていただけ。

 ギイドのためではない。本当は、自分のためだ。

 ずっと、側にいたい。

 ヴァイオレットはギイドの側にいたいのだ。

 あの人にずっと関わっていたい。

 それなのに、

 それでも、

 どうしようもなくて。

 どうすればいいのかも分からなくて。

 ただ立ち尽くしてしまう。

「…………」

『不器用なのだな……』

 何も言わずに寝台に潜り込んで背を向けた。

 もう何も聞きたくない。

 耳を塞ぎ、瞼を閉じても、しばらく眠れそうになかった。

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