第四章 ガラクタ屋敷
第30話
先に見付けられてしまったのなら、そこから盗めばいい。
それが屋敷の外で三人組と合流し、状況を相談した上で導き出された、満場一致の結論だった。
ヴァイオレットは持ち主のロジアムから、〈鍵〉を見付けたら盗んで行くように言われている。だからなんの気兼ねをすることもない。やるなら早い方がいいので、その晩に決行する運びとなった。
顔が割れているヴァイオレットは、屋敷にあてがわれた客間で、アルグと共に待機だ。計画の詳細も聞かされていない。ハッカが忍び込んで、目当ての物をこの部屋に持ってくる、とだけ。敷地や建物に入る手引きだけでもしようかと申し出たのに、断られてしまった。なんだか分からないけれど、その辺の対策は既に必要ないらしい。ヌーやチャボだけでなく、アルグまでしたり顔でうなずいていた。こういうとき男が連むのは、裏にろくでもないことがあると決まっている。しばらく男所帯に身を置いて、ヴァイオレットが学んだことだった。
明かりを控えた薄暗い部屋の、真ん中にある丸い卓に腰掛けて、ヴァイオレットは待った。卓の上に置いた手を、何度も組み替えてしまう。
ハッカたちの実績は心得ている。それでも成果をただ待つだけというのは、落ち着かないものだ。不慮のことでもあったら、魔法の仕掛けがあったら——ハッカ一人では対処しきれないかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。しかしヴァイオレットがいたところで魔法は使えないから、なんの役にも立てないのだ。ここでも、何もできない……。
音もなく窓が開いて、真っ黒い影が入ってきた。
分かっていても一瞬どきりとする。
小柄な体格。見慣れた猫背。顔まですっかり覆い隠す黒い装束を着たハッカだ。
「どうだった?」
ヴァイオレットは立ち上がって出迎えた。ハッカは無造作に頭巾を取りながら、明かりの輪の中へやって来る。
「——余裕」
そう言う表情はいつも通り薄い。ヴァイオレットの方を見ずに、燭台の傍らにいるアルグへ視線を逸らしている。その顔が普段より明るく見えるのは、野暮ったく伸ばしている毛を前髪ごと一つにまとめて、後ろで縛っているからだろう。
「ほぼ、予想通り。
魔法で隠されてたけど、寝台とは反対の、棚の奥の方に見付けた」
視界は開けても、口の中で籠もるようにぼそぼそとしゃべるのは変わらない。ハッカは懐からその戦利品を取り出した。掌に乗った楕円の石から、金色の鎖が流れて落ちる。
屋敷に異変はなく、ハッカも無事。そして鍵はここにある。
ヴァイオレットはひとまずほっとした。
ピエルタは魔法使いだから、出先で準備もなく物を隠すとなれば、魔法に頼るしかない。魔法院の教科書には、任意の物を他人の目に入りにくくする魔法、というのがある。実際はそこに存在するのに、あると知らなければ透明にでもなったように、それを見過ごしてしまうという効果の魔法だ。今回のように隠したい物体にかけたり、己の姿を消したりするのに用いられることが多い。
ところがこの魔法。ハッカによると何度か経験してコツを掴めば、魔法使いでなくても見破れるようになるのだとか。貴重品だけでなく、同じ要領で罠の類も隠されることがあるから、鍵職人の盗賊には必須の技能だそうだ。
そしてもう一つ想定されたのが、盗られた場合にそれを感知する類の魔法だった。
ピエルタにしても自分が隠し持っているのを知られてはまずい。大きな音の出るような魔法は使わないだろう。しかし例えば、動かしたり触ったりすれば術者にだけはそれと分かる、そんな魔法は仕掛けられているはずだった。
「——でも、あの子、バカなのかな。
せっかく警報付けても、外側の箱にだけじゃ意味ないよ」
少しでもその位置からずらせば、分かるようになっている魔法があったらしい。だからハッカは、箱を僅かも動かさずに蓋を開け、中身だけを抜いてきたのだそうだ。
その上、枕を抱いたピエルタはぐっすりで、もし魔法が働いても気付かなかったのではないか、と言う。
『やはり盗まれる想定などしていないのだろう』
彼らにしてみれば、隠し持っている物に盗人が来るとは、考えない。むしろ恐れたのは掃除をする使用人などにそれが見付かることだ。そうなったとき、そこにある理由を尋ねられても言い訳に困る。なおさらヘタな魔法を仕掛けておくわけにはいかない、というわけだ。
それにしても、ピエルタは危機意識が低いのではないかと、ヴァイオレットは思う。自分なら魔神の鍵を手に入れたら、肌身離さず持っているだろう。寝る時だって枕の下にでも入れておく。ギイドのように、己の影の中に仕舞えるならそれが最善だ。
「——やっぱり」
首飾りを蝋燭の明かりに照らして見ていたハッカが、眉根を寄せて顔を上げた。
「これ、違うよ、ヴァイオレットさん」
「え?」『なに?』
差し出された首飾りを、戸惑いながら受け取る。ハッカの無表情を見ていても仕方ないので、身を乗り出すアルグと共にそれに目を落として——ヴァイオレットは、直ぐにその意味が分かった。
「本当だ。これ、魔神の鍵じゃない……」
昼に目にした時は下から見上げていたし、離れていてよく見えなかった。しかしこうして手に取って見れば、実物を知っているヴァイオレットにははっきり分かる。
金の細工の形が違う。
ガラスの質感や重みが違う。本物は表面がもっと滑らかだ。
偽物という言い方は変だろうか。よく似てはいるけれど、それは全くの別物だった。
ギイドは〈鍵〉を探す上で直接触る機会のありそうな者には、真贋のために自分の持っている本物を見せて触らせていた。他人を信用しないなりに、そういうところは慎重なのだ。だからハッカにも、手に取った時点で分かったのだろう。
「一応、他も探してみたけど、それしかなかったから持ってきた」
「それなら、ピエルタたちが用意した偽物ではないのね。あの人たちが見付けたのは、これなんだ……」
ヴァイオレットは落胆に肩を落とす。
実物に触れてさえいれば簡単に分かるような代物だった。あの二人は実物を知らないのだろう。つまり——、
「やっぱり、違ったのかな……」
この首飾りは魔神の鍵ではない。しかし遠目には似ている。ということは、あの肖像画に描かれていた首飾りはこれだった。そう考えるのが自然だろう。始めからこの屋敷には、〈鍵〉なんて無かったのだ。
『…………』
アルグもまた、群青の瞳に蝋燭の小さな火を揺らして、黙り込んだ。
「——で。どうしようか、コレ」
それはそれとして、という感じにハッカが切り出した。
「そうね……」
ヴァイオレットも唇に拳を添えて考え込んでしまう。単なる首飾りなら、ヴァイオレットたちにとってはいらない物だ。このまま何事もなかったように元の場所——ピエルタの部屋に戻すのも、難しいことではない。——が。
「それは嫌だな」
呟いて、ヴァイオレットはハッカとアルグと順に顔を見合わせた。
「——同感」
それだけで察してくれたのか、ハッカもうなずく。アルグは大袈裟に翼を広げて、嘴を天に向かってぱかりと開けた。
『同じく!
ロジーがあんな若造に出し抜かれるとは思えないが。私の友人を騙くらかそうなど、その心根が気に食わん!』
このままロジアムに渡して、彼に裁量を委ねることもできる。でも、このもやっとした気持ちはそれで収まりそうにない。見なかったことにするなんて、論外だ。自分たちの日頃の行いを棚上げしているようでもあるけれど、腹が立ったのだから仕方ない。ロジアム親子を侮るようなやり口が、なんとも許せなかった。
ピエルタたちにとっては、この首飾りは、まだ魔神の鍵だ。
今度も意見が割れることなく、話はまとまった。
▽ ▽ ▽
「キャーーーーッ!」
真夜中の静けさを引き裂いて、悲鳴が屋敷に響き渡った。
一拍おいて、乱暴に扉が開く音。そして何かが壊れるような物騒な音までが続いて、ヴァイオレットは寝間着のまま自室から暗い廊下へと顔を出した。
「待ちなさいッ、泥棒!
ああ、もう! 捕まえてーーッ!」
耳を澄まさなくても聞こえる金切り声が続いている。恐らくピエルタだろう。彼女たちの部屋は屋敷の端と端くらい離されて用意されているので、廊下の先に首を伸ばしても様子は分からなかった。
ヴァイオレットは剣呑な物音が続く方へと足早に向かった。物音というよりはピエルタの大声のせいで、住み込みの使用人たちも起き出したのか、夜の気がざわめくのが分かる。
そうして吹き抜けになった階段の間へ足を踏み入れると、向こう側に人影が駆け込んできた。月の明かりしかない廊下では、「影」としか言い表せない。全身を——頭の先までを黒の装束で覆った、小柄な人物だ。何か白い箱のような物を抱えているのが分かる。その人物は半ばまで来たところでヴァイオレットに気付き、ためらいがちに足を止めた。
「待てーーーーッ!」
影が後ろを振り返る。ヴァイオレットも先の方から聞こえてきた声に目を向けて、ぎょっとした。
ピエルタが恐ろしい形相で髪を振り乱し、戸口に現れたのだ。そこで足を緩めた彼女と、目が合ってしまった。肩で息をしながら影の人物を指す。
「捕まえて! 泥棒よ!」
影がピエルタとヴァイオレットを見比べた。下への階段は、ヴァイオレットの左手側にあった。成り行き上、影の行く手を塞ぐ形で立っている。
息を切らせるピエルタがこの状況で魔法を使おうとしないのは、ここが人様の家で——しかも高価で貴重な品がごろごろしている場所だと分かっているからだろう。——否、さっきの物音からすると、既にやらかしてしまったのかもしれない。咄嗟に思い浮かぶような派手な魔法では、足止めできない。ヴァイオレットだって、今は魔法が使えないのだから同じだ。
どうしたものかと迷っている暇もなかった。
黒装束の泥棒が動いた。
ヴァイオレットはとりあえず両腕を広げて通せん坊してみる。泥棒はそれを見越していたのか、手に持った白い箱を投げつけた。
「きゃっ」
ヴァイオレットは体を丸めて脇へ屈む。箱は避けるまでもなく、横手に逸れて床に落ちた。その上で泥棒は、手摺りに足を掛けて階段を省略し、飛び降りてしまう。ヴァイオレットが慌てて身を乗り出してのぞき込んだときには、既に二階の窓を開け放っているところで、その黒い後ろ姿が躊躇わずに出て行くところだった。
「もう! 何やってるのよ!」
同じように下をのぞいたピエルタが、顔を上げて眉を吊り上げる。その後ろからは、ちょうどネイギやレイクンが姿を見せた。下の階にはロジアムやノギアムの姿もあって、みなそれぞれ寝間着に上着を羽織っているような起き抜けの格好だった。
「何事だね」
こちらを見上げて落ち着いた調子で問うのはロジアムだ。
「泥棒が出たのですわ」
ピエルタが気後れしつつ答えるのを聞きながら、ヴァイオレットは身を翻して、床に落ちたはずの箱を探した。箱は絨毯の床に横向きになって転がっていて、蓋が開き、中身がこぼれ出てしまっていた。
白く塗られた木に、細やかな彫り模様と宝石を散りばめた美しい箱だ。宝飾品などの貴重品を入れるのだろうか。中にも分厚い布地が敷いてある。中身の方は、透明な楕円の石の首飾りだ。光量が少なすぎて確かだとは言えないものの、どちらも傷らしい傷はなさそうだった。
手に取って見つめていると、いつの間にか側に来ていたピエルタに、その両方を取り上げられてしまった。
「幸いにも、盗られた物は無事だったみたいですけれど」
「我が家に盗みに入るとは。恐いもの知らずの泥棒がいたものだ」
泥棒が消えた窓に目を向けてから、ロジアムは階段を上がってきた。魔法で白い明かりを生み出したネイギもこちらにやってきたので、ヴァイオレットはその光の輪から逃れるように、壁の方へ下がった。
もちろん、今の泥棒はハッカだ。ここまでの流れは事前の打ち合わせ通りだった。首飾りをピエルタの部屋に戻したハッカが、今度はわざと見付かって騒ぎを起こす。ここから先は成り行きを見守っていればいい。
ロジアムがピエルタの抱える宝石箱を目にして、少しばかり眉を上げた。
「おや。それは祖母の宝石箱だな」
もう隠しようがないので、ピエルタはこだわりなく箱をロジアムに手渡した。表情が強ばって見えるのは、こんな夜中に騒ぎを起こしてしまって気まずいから——ではないのだろう。彼女がそんな殊勝な
ロジアムは蓋を開け、中の首飾りを手に取ると微笑を浮かべた。目元が優しく緩む。鋭く厳しい印象のあるロジアムにしては、珍しい表情に思えた。
「やはりそうだ。懐かしい。
祖母が気に入っていた首飾りだ。
大分前から行方不明になっていたのだが、君が見付けたのか」
目を向けられて、ピエルタは畏まってうなずいた。
「は、はい。
直ぐにお見せしたかったのですが、その……見付けた時間がもう遅くだったものですから。また明日にした方が良ろしいかと思いまして」
こちらも、ピエルタにしてはぎこちなく微笑む。それが内心を如実に表しているのだが、こういうときのピエルタは非常によく口が回って、滑らかに言い訳を捻り出すのだった。
側に立つネイギが指の背で眼鏡の位置を直しつつ、援護した。
「私が彼女に預かっておくように言ったのですよ」
「まさかこんな大事になるなんて、思いもしませんでしたわ。
本当に迷惑な泥棒ですね」
ピエルタがぷりぷりとして言う。目元に黒子のある視線が、ちらとネイギを窺った。隠しておいたはずの宝石箱がこうして見付かってしまったのは、ぜんぶ泥棒が悪いのであって、ピエルタのせいではない、という主張だ。ついでに、どこかで何かが壊れているとしても、それは泥棒が逃げたせいでそれ以外ではない、という牽制でもあった。ヴァイオレットは天恵持ちではないので断言はできないが、大差ないだろう。
ロジアムがそんなピエルタの表情を見ながら、小首を傾げた。
「しかし、どうしてこれを?」
「え?」
あっさりと聞かれ、ピエルタが表情をなくして瞬きした。ロジアムがすかさず続ける。
「なるほど。あの時あそこにあった肖像画を見たのか」
「あー……はい。そうです。
大事な物のようでしたのに、いろんな物に埋もれてしまっていましたから——」
「知らせようとした、と。
魔神の封印を解く鍵だとでも思ったのだろう」
「ええと、はい?」
畳みかけるようなロジアムの言葉に、さすがのピエルタも反応に窮した。訳が分からないと首を傾けてネイギを振り返る。本当に対応に困ったのだろう。ネイギも不可解そうにロジアムを見た。
「ご存じなのですか」
「多少は。こんな趣味をしていると、そういう物の噂も耳に入る」
「でしたら……」
「しかし、これは違う」
「は?」
「確かに似ているらしいのだが。以前専門家に見せたところ、別物だと言われた。
残念だったな。ヴァイオレット君は気付いていたのではないか」
「!」
突然話を振られて、ヴァイオレットは飛び上がりそうになった。息を詰めて、並ぶ人たちの顔を視線で見渡し、ただうなずく。それではあまりに格好がつかないので、唇を浅く結んで気持ちを整えてから言葉にした。
「はい。あの、金の縁飾りの形が違うように見えました」
ネイギに珍しいものでも見るような視線を向けられて、なんとも居心地が悪い。そして満足そうに口の端を上げて笑うロジアムを、ヴァイオレットは不思議な気分で見た。
何事もなかったように、ロジアムはネイギたちに向き直る。
「それにしても、長い間見付からなかった物がこうして出て来たのだから、良かったのには違いない。
今度はきちんとしまっておかなくてはな。またノギアムに嫌みを言われてしまう」
そのノギアムは途中まで階段を上った所で壁に寄り掛かり、腕を組んで眠たそうに欠伸をかみ殺していた。ロジアムがどこからか現れた老執事に、白い宝石箱ごと首飾りを手渡す。ネイギが黙ってその様子を見つめた。
「ところで、私が出したお題に付き合ってくれている人はいるのかな」
一同を見渡して尋ねるロジアムに、誰も——ヴァイオレットも応えられなかった。気にならなかったわけではないのに、申し訳ないことに、単純作業を繰り返すうちに頭から抜けてしまっていた。
反応の薄い面々に、ロジアムが肩を落とす。
「なんだ。一人もいないのか。それは寂しいな」
そして顎に手を添え、平然と付け加える。
「しかし困った。もう仕掛けてあるのだが」
「やはり、謎掛けからの宝探しか」
ノギアムに呆れたため息を投げ掛けられて、ロジアムは嫌そうにそちらを見遣った。
「敢えて否定はしないがね。時間制限を設けてあるのだ。そう、ちょうど明日の今だな」
人差し指を立てて耳を澄ませる。どこからか、ボーンボーンという重たい響きが聞こえてきた。柱時計が日付の変わり目を知らせる音色だ。
「それを過ぎると、永遠に失われてしまうようになっている」
「なんだって?」
不穏当な言葉の響きに、ノギアムが顔をしかめて体ごと向き直った。しかしロジアムは見向きもしなかった。敢えて顔を背けてしまう。
「お前はやらないと言ったのだから、どうなろうと関係なかろう。
しかし誰にも相手にされないのではつまらない。そうだ、君たちでも言い当てることができたら、この屋敷を——」言葉の途中で横目にノギアムの顔色を窺う。当然、怒ったような鋭い目付きで睨んでいるのだった。「とは言えないが、ここにある物ならなんでも好きな物をあげよう」
「それは魅力的なお話ですね」
ネイギが首を傾ける。角度が変わって、ヴァイオレットには彼の眼鏡が光って見えた。
「この屋敷で最も価値の高い物でしたか。
時間が許すならば、是非に探してみたいものです」
ニコリと笑う。ネイギの手にある光が、顔の陰影を濃く浮かび上がらせる。腹の底を探らせない笑み。形ばかりの言葉に聞こえた。
「そうこなくてはな。
ではもうお開きとしよう。
こんな時間に起こされるのは、老体に堪えるのでね」
そう言ってさっさと行ってしまうロジアムの背中を、ヴァイオレットはただ眺めた。望み通りの展開になった。そのはずなのに、なんだか話を逸らされてしまったような、こちらが騙されているような、そんな気分だった。
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