第29話

 この屋敷を埋もれさせる大量の品物は、ロジアムが一代で集めたわけではないらしい。長い歴史を持つコルトコネ家の当主が、十代以上に渡って少しずつ収集した物だった。ロジアムが屋敷を譲り受けた時には、既に主な収蔵室、展示室、そして図書室までがいっぱいで、他の部屋に溢れ始めていたそうだ。そこからここまでの有様にしたのは間違いなく彼で、度を超しているのだけれど——。

 中にはもの凄い値段が付く品もあれば、国の宝になってもおかしくない歴史遺産もあるらしい。またハルトの木像のように、気に入ったから手に入れただけの、庶民の青空市に並ぶようなガラクタも多くあった。

 つまりそんな有象無象が、この屋敷にはなんの脈絡もなくひしめいている。

 どれだけ博物館通いをしたところで、目利きなどできるはずもなく。まずは一部屋を選んで〈鍵〉の探索を始めたヴァイオレットだったが、どれが貴重な品なのか分からないので、全ての品の取り扱いが丁寧にならざるをえなかった。というより、もう触るのもびくびくだ。取り上げる順番を少し間違えただけで、雪崩が起きかねない。

 ロジアムさんにとっては、どれも大事なモノなのだろうし……。

 そんな事も思う。

 そうして昼を過ぎ、二つ目の部屋を半ばまで攻略したところで。

 ヴァイオレットは早々に途方に暮れかけていた。

 ——これは、独りでは無理かもしれない……。

 作業は簡単だ。

 山積みになった物を一つ一つ手に取って、水色のガラス玉がないか、よく探す。小さい物ならぱっと見て、大きい物ならどこかに紛れて隠れていないか確かめる。

 面倒なのは、箱に入れられたままの品が大半を占めていることだ。一つの箱を開け、中を丁寧に確認して閉じ、脇に置く。また一つの箱を開け、確認して置く。さらにまた一つの——という具合に、同じ作業を繰り返すことになる。

 指輪のようにどこにでも入り込む小さな物ではないが、掌に包み込める大きさは、大きいとも言えない。見落としが無いように、端から端、隅から隅まで注意深く探してはいるものの、見落とすなと言う方が酷な物量だった。順番に調べているのに、どれを確かめたのかすら分からなくなる。

 その上、滑らかな肌と細工の美しい家具の引き出しを全開にしてみれば、奥の板に隠し戸が発見される始末だ。隠された通路こそ最初の本棚一つだけでも、そんな仕掛けの組み込まれた家具が随所にある。

 無茶苦茶だ……。

 それだけで目眩がする。

 なのに。

 箱を開けたら道化の人形が飛び出すような、いたずら玩具まで紛れているのだ。めちゃくちゃ心臓に悪かった。けたたましい変な音とかも止めてほしい。

 ヴァイオレットはまた一つ箱を開け、また閉じて、確認済みの山に乗せると、次の物を引き寄せたところで息をつき、肩を落とした。

「…………」

 床に座り込んで作業するヴァイオレットの周りには、うずたかく積み上げられた雑多な品物たち。見渡せばその乱雑な山は視界を遮って、部屋を覆い尽くすように続いている。

 ごちゃごちゃとした部屋。

 それはコードリッカの離れ小島にある家を、否応なしに思い起こさせた。

 あの時も、ヴァイオレットは魔神の鍵を探していて、家をひっくり返すように荒らしたのだ。それを思うと胸が痛んだ。後悔しているわけではない。それとは別の感覚で、他人の家をめちゃくちゃにした行為に気が咎めているだけだ。ギイドに命じられれば、何度でも同じ事ができる。この命だって捧げられる。その気持ちは、今も少しも変わらない。だけど……。

 ヴァイオレットは首を小さく左右に振った。顔を天井に向けて、息を抜く。いらない事を考えてしまうのは、物に埋もれているせいだ。終わりの見えない単純作業のせいだ。

 一度立ち上がって伸びでもしようかと思ったら、足音が聞こえた。ピエルタなら顔を合わせたくない。息を殺して通り過ぎるのを待つ。

 石の床を小走りに行く足音は、ヴァイオレットがうずくまる部屋へ入って来ると、そのまま行き過ぎ、遠ざかったと思ったら急に立ち止まった。

「見付けたっ」

 その一言に心臓が跳ね上がる。

 ピエルタの声だった。

「ネイギさん! これ見て下さい!」

「どうしました、エトルワトル」

 しかし捕まったのはヴァイオレットではなかった。興奮気味のピエルタの声に続いて、戸惑うネイギの声が聞こえた。二つ分になった足音が不規則な音をさせて、悪いことに部屋に入ってくる。

「これなんですけどっ」

 声からすると、ヴァイオレットが座り込んだ床とは反対側だ。二人で内緒話でもするつもりのようで、声が小さくなる。盗み聞きする気なんてなかったのに、ヴァイオレットは出る機会を失ってしまった。ここで見付かったら、何を言われるか分からない。口を両手で押さえて息を詰めた。身動きもはばかられる。

 視界は古物の山なので、自然と耳に意識がいった。

 ネイギが息を呑むのが分かった。

「これって、仰っていた、あの絵の首飾りじゃありませんか?」

「お手柄です。エトルワトル」

 ……え?

 ヴァイオレットはひっそりと目を見開いた。今、「絵の首飾り」と言ったのだろうか。頭に思い浮かぶのは、一つだ。声だけでは確かめられない。ヴァイオレットは衣服が擦れる音にさえ気を遣って、慎重に座り直した。いびつに積み上げられた箱の隙間から、なんとか覗き見る。

 ピエルタの自慢げな笑顔が仰ぎ見えた。

 彼女が手にしているのは、綺麗な白い宝石箱のような物だった。その蓋が開けられている。そして、口の端を吊り上げて笑うネイギが、摘んで目の高さに掲げているのが、それだった。

 楕円の透き通る水色の石。金の細やかな縁飾り。それは、確かに、肖像画に描かれた首飾りに似ていた。もちろん、魔神の鍵にも見えた。

 彼らもあの絵に目を付けていたのだ。他の物を調べるふりをして、〈鍵〉を探していたのだろう。

 ネイギは一通り眺めると、それを宝石箱の中に戻した。音をさせず、大事そうに蓋を閉じる。弾む声でピエルタが言った。

「では早速、これをノギアムさんに見せて、譲ってもらえるように交渉して——」

「まあ待ちなさい。それにはまだ早い」

 ピエルタは不可解そうに首を傾げた。その表情には、自分の言葉を途中で遮られた不満も含まれているのだろうと、ヴァイオレットは思った。

 ネイギは目を細めて笑う。昨日と同じニコニコした笑顔だけれども、昨日よりずっと性格が悪そうな笑顔に見えた。

「あれほど無防備にあの肖像画を扱う人たちです。これの真の価値を把握しているとは思えません。ならばわざわざ騒ぎ立てて、教えてあげる必要はない。確実に手に入れるためには、急がず、機を見計らうことです」

「どうするんですか」

「さあ、どうしますかね。

 他の物に紛れさせて一緒に交渉しますか。それともうっかり何かに入り込んでいて、気付かなかったことにしますか。なんにしろ、話をするならノギアム氏の方ですかね。

 駄目そうなら——その時はその時ですが」

 眼鏡の位置を中指で修正する。その奥にある青色の瞳と目を合わせて、ピエルタも不敵に笑った。

 穏当に済ませる気のさらさらない笑顔だった。——そのまま盗む気なのだ。ヴァイオレットはそう当たりを付ける。それはこの一年で随分と見慣れた目付きだった。

「わかりました。

 でも、これはどうしましょうか」

「とりあえず、事が決まるまでは貴女が持っていて下さい。一応、レイクン女史にも見付からないように。部屋に上手く隠せますか?」

「はい。お任せあれ」

 ピエルタは膝を折って可愛らしく微笑んでみせた。ネイギはうなずきを返事にする。

 巧妙だな、とヴァイオレットは思った。もし屋敷の呪いが本当でも、これなら被害を受けるのは直接持っているピエルタだ。ネイギ自身は免れる。露見した場合の責だってそう。勝手にやったのだと言い逃れて、押し付けられる。ピエルタは手柄を上げた喜びで、気付いていないのだろうか。それとも、信頼しているのか……。

 特に気にした様子もなく、ピエルタは白い宝石箱に自分の花柄の手巾を掛け、両腕で隠すように持って部屋を出ていった。

 ネイギも意気揚々と去るのを待ってから、ヴァイオレットは床に腰を落ち着けた。

 どうしよう……。

 真剣な眼差しを一点に定め、しばらくの間身動きもせずに、考えを巡らせていた。

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