第25話

 「旦那様。ご歓談中に失礼致します。

 ノギアム様がお見えになりました。お客様もご一緒です」

 開けたままだった衣装部屋の戸口に老執事が姿を見せて、折り目正しい角度で礼をしながらそう告げた。それを聞いて、ロジアムが鬱陶しそうに鳶色の瞳を細めるのを、ヴァイオレットは横目に見付けた。

「もう来たのか。応接室にでも通しておけ」

「ですが、既に屋敷を案内されております」

「なんだと。勝手な真似を……っ」

 少し困ったように言った執事は、主の反応を予想していたのか、早々に腰を折り曲げ深く頭を下げた。ロジアムは声を荒げないまでも、苛立ちを露わにする。

「すまないが、失礼する」

 急に振り向かれて、ヴァイオレットは驚いた。言いながらも、ロジアムの心はもう駆け出していたようで、返事を待たずに大股に部屋を出て行ってしまう。それを呆然としたまま見送った。

『追いかけろ!』

 アルグの鋭い声でやっと状況に追い付いた。何があったのか気になる以前に、取り残されても対処に困る。

 ヴァイオレットも慌てて部屋を出ると、執事に先導させるロジアムの背中がなんとか見えた。床に転がる骨董品を蹴飛ばさないよう気を付けながら、小走りについて行く。

「ノギアム!」

 ヴァイオレットなら呼ばれただけで縮み上がってしまうような声は、先程の絵画を集めた部屋から聞こえた。絵画が取り囲み幅を占める狭い室内に、数人の人影が見える。部外者のヴァイオレットは、そこに踏み込むのもどうかと思ったので、手前の部屋の陰からそっと様子を窺った。

 室内にいるのは、駆け込んだロジアムの他に、四人。

 一人は声を掛けられた中年の男性だ。振り返った鳶色の厳しい眼差しが、ロジアムによく似ている。この人がココネ商会の現当主で、息子のノギアム・コルトコネだろう。まだ色の濃い茶色の髪。若いせいか、体格も父親よりがっしりしている。

 他の三人は、男性が一人に女性が二人のようだった。人が重なり合っていてよく見えないものの、三人共が同じ服を着ているのは分かった。あれは——魔法院の制服だ。

『おっと、まずい』

 呟いて、アルグが籠の中に素早く引っ込んだ。目を向けると、嘴で不器用に布を掛け直そうとしているので、端を整えてやる。

『顔見知りがいる。こっちを向かなくていい』

 囁き声でアルグが言うのは、濃紺の法衣を着た三人のうち、先頭にいる黒髪で眼鏡の男のことらしかった。彼に姿を見られるのはまずいということか。ヴァイオレットは籠が目立たないように側の物陰へ置いた。

「お父さん。横になっていなくてよろしいのですか」

 ノギアムの態度はそっけなかった。一度は目を向けたものの、腕を組むと直ぐに体ごと逸らしてしまう。

「折角お前が来てくれたのだ。寝てなどいられるか」

 対するロジアムの方も、言葉や声音こそ先程までと変わらず平静そのものだが、そこにはヴァイオレットの背筋を冷たく撫でるような、あからさまな棘があった。眉根を寄せて他の三人を見遣る。

「勝手に屋敷をうろつかれては困るな」

 さりげなく一歩前に出て立ち位置を変えた。ロジアムの足下には、出しっぱなしになっていた老夫婦の肖像画があった。

 ヴァイオレットは戸口の脇で、そんな様子を見守る。

 ロジアムの言い回しは、あくまでも「やれやれ。本当に困った息子だ」というくらいのものでしかない。しかしヴァイオレットの対応をしていたさっきまでとは、言葉の質が違う気がした。眼差しの冷たさが、違う。ほんの二・三言でしかない。その裏側に、ロジアムの苛立ちと嫌悪が、手に取るように感じられた。

「すみません。お父さんを煩わせるまでもないと思いまして。それに、お客様を早くご案内したかったものですから」

 ノギアムも負けていなかった。父の嫌味を真っ向から迎え撃つ。そして、横に控える眼鏡の男を示した。

「こちらは魔法院からいらして下さった、ネイギ殿です。付き合いのある方から紹介されまして、ここの骨董品に興味をお持ちだそうですよ」

 眼鏡の男はニコリと笑い、軽く頭を下げた。几帳面に己の胸に手を添える。

「トーマス・ネイギと申します。

 こちらはクーラン・レイクン女史。後ろにいるのが今年入ったばかりの見習いで、エトルワトルです。

 ロジアム氏の噂はかねがね窺っておりました。後学のために、貴重な収集品を見せていただければと思いまして、参った次第でございます」

 眼鏡の奥で、細長い瞳がニコニコする。三十代の前半といったところか。どことなく狐を思わせる顔立ちだった。

 手短に紹介されて、後ろにいた二人も会釈する。ネイギが少し体をずらしたので、なんとか見えた。

 最初は背のすらりと高い女性だ。法衣は体型を隠すようなゆったりとした形状をしているのに、それでも彼女の整った細い身体がよく分かる。揺らめく炎そのもののような朱く短い髪に、やはり炎をそのまま瞳に閉じ込めたような朱い眼。そんな容姿から連想する情熱とはほど遠い冷めた表情で、レイクンという女性はただ目礼する。

 その後に続いたのは、まだ少女と呼べるような、ヴァイオレットとそう変わらない年齢の女の子だった。

「……っ」

 その人が朗らかに笑い、可愛らしく膝を折ってみせるのを目にして、ヴァイオレットは息を詰めた。目尻に黒子のある薄茶色の瞳と目が合いそうになって、慌ててうつむく。鼓動が耳の奥に聞こえた。石の床を擦って退きそうになる足を、短く名乗るロジアムの厳しい声で、なんとか堪える。

「それはわざわざご苦労なことだ。

 しかし息子はここを博物館にしたいそうだ。それが完成してからゆっくりご覧になってはいかがかな」

 その時は私はこの世にいないだろうが、と付け加える。ヴァイオレットは躊躇いがちに顔を上げた。不機嫌さを隠す気もないのか、言葉の冷ややかさが一層増したようだ。

 ノギアムが顔色を無くして声を上げた。

「お父さん!」

 一方のネイギは、変わらない笑顔に少々の戸惑いをみせただけだった。

「冗談がお上手ですね。

 言うまでもない事と思いますが、現在世界は危機的な状況に置かれています。当方としても、あまり悠長に構えていられないのですよ。

 博物館が開館するのは、まだ先の話でしょう? それに、そうして一般に公開される前に、私共でも調査しておきたいのです。公にしてからでは手遅れな物もあるかもしれませんし」

 腕を組んで、ロジアムはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「魔神か」

 率直な一言に、ネイギは笑顔のまま固まった。それからゆっくりうなずく。

「ええ。その通りです。

 どこで魔神の封印が解かれてしまうか分からない。それは空の歴史が始まって以来の危機ですから、早急に対処しなくてはなりません。

 無法な輩に狙われては大変です。もしもこちらに危険な代物があるのなら、私共で引き取らせていただきますよ」

「……ネイギ殿と言ったか」

 ロジアムの声が殊更低く響いた。

「我が屋敷に纏わる噂をご存じないのかな」

 睨むような眼差しの厳しさはそのままに、口元に浮かべた笑みには凄みがあった。ネイギを見ると、小首を傾げて苦笑している。

「許可無く屋敷の品を持ち出した者は、彫像や絵画になってしまうという、賢者の呪いですか」

 ——おや? と思う。ヴァイオレットは籠を振り返りそうになって、踏み留まった。「賢者」と言えば、どこかの真っ赤な鳥のはず。アルグの施した呪いがあるのだろうか。

 ノギアムが忌々しそうに父親を睨みつけた。

「昔のことです。あったとしても、効力はとっくに失われている。真偽の方も疑わしい」

「しかし、賢者殿の呪いですからね。

 こちらの収蔵品にされてはたまらないので、許可を頂ければ幸いなのですが」

「私は何一つ手放す気は無い。

 博物館にする気も無い」

 今度はロジアムが息子を睨む。ネイギにまで困った顔を向けられて、現当主は眉間に父親とよく似た皺を深々と刻み、頭を抱えた。

「まったくいい加減にしてくれよ、お父さん。

 散々話し合っただろう」

「お前が勝手に進めているだけだ。

 こそこそとこんな怪しい連中まで連れ込んで」

「別に怪しくはない。魔法院の人だ。仕事上の付き合いだってある。分かっているはずだ。失礼な態度をとって変にこじらせないでくれ」

 ココネ商会は主に貿易や流通を商いとしている。荷物のやり取りを円滑に行うため、当然、飛空船を多く所有していた。飛空船の操縦は、魔法使いが行うのが一般的だ。風力を効率よく利用でき、雨風も凌げる。安全に安定した運行を目指そうと思えば、必須だった。信用を第一にする貿易船なら尚更で、他にも護衛のための魔法使いを乗せているものだ。

 それらの魔法使いを直接雇用するのはココネ商会なのだが、人材の斡旋は魔法院が行っている。その上、魔法使いの所属は雇われた後も院に残るのだ。

 優秀な魔法使いを確保する為に、そして雇った魔法使いたちの立場を悪くしない為にも、院への印象を損ないたくはないのだろう。

 ヴァイオレットでも分かるそんな事情を、ロジアムが理解できないはずがなく。それを重々承知した上で、はっきりと言った。

「だから怪しいのだ。

 魔法使いは信用ならない。

 魔神を手に入れて何を企んでいるのやら。分かったものではない」

 アルグと旧知とは思えない発言だった。いや、アレと親しいからこその台詞なのかもしれない、とヴァイオレットはこっそり思う。

 ネイギは戸惑いを隠せないようだった。

「随分と嫌っておいでなのですね。

 私共は危険な存在が悪の手に渡ってしまわないように、管理しようとしているだけなのですが」

「管理か。得意文句だな。『表向きは』の言葉が抜けているのではないか」

「まいったな……」

「親父、いい加減にしないか!」

 ノギアムが少し語気を強めた。声も親子で似ていて、ヴァイオレットは思わず首を竦めてしまう。

 ネイギに向き直って弁明した。

「申し訳ない。父は魔法使いを毛嫌いしているのですよ。小さい頃、裏の池に落ちて溺れて、死にかけたのに魔法が使えなかったものだから——」

「余計な話をするな。

 お前だって、単にこの屋敷が嫌いなだけだろう。滅多に寄り付かないばかりか、絵の中の女が笑って手招きするだとか、石像の姿勢が変わっているだとか、箱に食われるだとか言って——」

「子供の頃の話だ!」

 顔を赤らめ叫ぶ。

 それはそうだろうな、とヴァイオレットは気の毒になった。この屋敷の有様は、子供に怖がるなと言っても無理がある。ヴァイオレットだって怖い。正直、いま怖い。昼間だってそわそわしてしまうのに、夜になればこれが全て闇に沈むのだ。考えただけでぞっとする。

 声を荒げてしまったノギアムは、大きく咳払いして仕切り直した。

「まったく。そろそろ整理して、目録を作る作業だって始めなくてはならないのに。親父がそんなだからいつまで経っても進まない」

「そんな無駄な計画は止めてしまえ。

 お前はこの屋敷をなんだと思っている。ここにある物は全て、ご先祖様が長年に渡って苦心して集めてこられた物だぞ。それを軽々しく手放そうとは、いったいどういう了見なのだ」

「だから手放すとは言ってないだろう。

 博物館にするんだ。ここにある物をコルトコネ家の歴史として、整理して展示する。貴重な美術品や工芸品、それに歴史遺産だってある。それらを埋もれさせないようにするためだ」

 頭痛を堪えるように額に手を添えたまま、ノギアムは言葉を繋いだ。

「この屋敷の建物も、かなり古い建築で、歴史的な価値があるのは知っている。少し改装するくらいで、あまりいじるつもりはない。裏の庭も綺麗に整えれば、それも目玉の一つとして客を呼べる」

 ロジアムは目を伏せ、首を左右に振る。大袈裟にため息を吐いてみせた。

「それが安直だと言うんだ。

 ここにあるのは、我が家の財産だぞ」

「財産?」

 ノギアムが顔を歪め、笑い飛ばした。

「ガラクタの間違いじゃないのか。

 こんな山積みにして家を狭くしているだけの物に、何の価値がある。大半の物に値が付かないのも知っているんだ。それを有効利用しようとして何が悪い」

 腰に手を当てて言い切る。ロジアムが眉間をさらに険しくしてノギアムを見た。

「そんな事の為に、老い先短い父親から終の住処を奪うのか」

「人聞き悪い言い方をするなよ。

 病気の父親を一人にしておく方が問題だろう。親父のためにわざわざ本邸に部屋も用意してやったんだ。俺も忙しいから、近くにいてくれた方が面倒見やすい。

 それに、いつまでもこんな風にごちゃごちゃさせておけないだろう。親父が折角集めたんだ。死ぬ前にきちんと手入れして、整った環境で保管してやった方が良いに決まっている」

 ふん、と鼻を鳴らして腕を組むロジアム。

「大きなお世話だ。勝手に決めつけるな。お前のそういう恩着せがましいやり口が気に食わないのだ。

 私はここが気に入ってる。このごちゃごちゃが落ち着くんだ。死ぬまでこの屋敷を出るつもりはない」

 既に議論はし尽くしているのか、説得しようという意志はないらしい。互いに己の主張を押しつけ合っているだけだ。そんな両者の険悪な応酬を、ヴァイオレットは首を交互に振って見た。少々、呆然としてしまう。

 二人とも感情に走っているように見えて、やり合う声はぎりぎりのところで平静を保っている。そして、それぞれの理屈をきちんとこねているように聞こえた。しかし、根底にあるのはやはり気持ちのぶつかり合いなので、一周回って折り合えるはずがないのだった。平行線どころか、話すにつれて離れていくばかり。

 つまり、親子喧嘩だ。

 六十代の父親に、四十代の息子。ヴァイオレットから見ればどちらも立派な大人だけれど、親子には違いない。ギイドならば「下らない」と早々に見切りをつけて、〈鍵〉の探索を始めるところだ。しかしヴァイオレットは、立ち去れそうになかった。

 どちらも譲る気は無い。とても真剣なのだ。その成り行きを、つい見守ってしまう。

 ノギアムがうなる。

「分からず屋め。いつまで我が侭を言っているつもりだ」

 ロジアムが不機嫌を極めた顔で、顎を上げた。

「お前こそ。そこまでこだわるのなら、いっそ、賭けるか」

「は?」

 何を言い出したのかと、ノギアムが目一杯に顔をしかめて父親を見る。ロジアムは少しも笑わずに、正面から見据えた。

「この屋敷の中で、一番に価値の高いモノは何か。

 それを言い当てられたら、私はもう何も言わん。この屋敷も『ガラクタ』も、お前の好きにしていい」

「…………」

 ノギアムは父親の真意を見極めるように、険しい表情のまま見つめる。その横で、ネイギが不可解そうに首を傾げて口を挟んだ。

「美術品でしょうか、骨董品でしょうか。

 一口に『価値』と言っても、様々ですが」

 ロジアムは一瞬そちらを見遣っただけで、直ぐに視線をノギアムに戻した。

「どうだろうな。お前にとっては、つまらないモノなのかもしれない。しかし私にとっては、何よりも大事なモノだ。お前に見付けられるとは思えないが」

 ロジアムがそこまで言うなんて、それはいったいなんだろう……とヴァイオレットが考える間もなく、ノギアムが嫌そうに言った。

「馬鹿馬鹿しい」

 肩を竦めて、取り合おうとしない。腕を組み、ロジアムからも体を背けてしまう。

「その手には乗りませんよ。

 その言い草は、屋敷の中に何か隠したのですか。苦労してあちこち探させておいて、答えは『思い出』とか『歴史』とか、そんな形の無い感傷的な何かなんでしょう。それだけで私が考えを改めるような。

 私は暇ではないんだ。子供騙しのお遊びには、付き合っていられない」

 するとロジアムは大いに呆れた目をして、息子を見た。

「だから駄目なんだ、お前は。

 やってもみないうちに決めつけて、分かったような口を叩く。

 そんな見え透いたオチになどするか。大体、この屋敷に私とお前、共通する楽しい思い出などあるか? あるのなら言ってみろ」

「…………」

 顔をしかめて、ノギアムは押し黙った。

 それもどうなのだろうか、と傍で見ているヴァイオレットは思う。

 苦い表情はそのままに、居丈高にロジアムを見遣り、ノギアムは冷静に言った。

「そもそも、賭けるまでもない。

 現在の当主は私です。この土地も、この屋敷も、権利は全て私にある。親父がどんなにごねてみせても、結局は私の意向に従う他ない」

 しかし、ロジアムはまるで動じなかった。

「それに気付かないようでは、当主の座を譲りはしなかった。

 確かに、屋敷と先祖の物はそうだ。しかし私が買い求めた物はどうする。商会の金に手を着けたことは無い。全て私財を投じて集めた物だ。私が死ぬまでは私の所有物だぞ」

「そういうことは、きちんと管理できている人が言うことです」

 お返しとばかりに呆れてみせる。

「これだけの『ガラクタ』から、どれがお父さんの物か、区別が付きますか? その証拠も併せて提示できるのなら、それには手を出しません」

「む……」

 上手く切り替えされて、今度はロジアムの方が押し黙る番だった。その隙に、ノギアムが背中を向ける。片腕で空気を振り払うと、ネイギたちに歩み寄った。

「……まったく、話にならない。

 時間の無駄です。あの人は放っておいて行きましょう。一通り屋敷の中を案内します。後はお好きに見てもらって構いませんので」

「……ええ。では、お願いします」

 戸惑った様子でほんの少し親子を見比べてから、それでもネイギはうなずいて、部屋を出ていくノギアムに従った。ノギアムの歩調は大きく、振り返りもしない。見習いの少女が直ぐに後に続き、そして朱い髪の女性も小さく会釈して行ってしまう。

 黙ったまま、ロジアムは眉間に深い皺を刻み彼らを見送った。

 後には、唐突な静けさがあった。

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