第24話

 どの部屋も、やはりすごい有様だった。

 しかしよくよく見れば、増えた分だけ積み重ねただけの雑然とした部屋がある一方で、種類ごとにきちんと分類された部屋もあることに気付く。武具だけの部屋、陶器だけの部屋、彫像だけの部屋——というように。

 そしてヴァイオレットが連れて来られたのは、そんな部屋の中の、他と比べれば絵画を主に集めた部屋だった。

 あたりまえのように、四方の壁が大きさも題材も異なる様々な絵画で満たされている。まるで隙間を作ってはいけないかのように、壁紙の色さえ分からないくらいに、たくさん飾られていた。その上で溢れた絵が、今度は床を浸食している。整然と並べて立て掛けられた絵が、面積の半分以上を埋めていた。

「この辺りにあるはずだ」

 ロジアムがそんな床の一角に目星をつけて、絵を一枚一枚確かめ始めた。手伝えないヴァイオレットは所在なく待つしかない。壁にある人物の視線が全て自分に向いているようで、少々……気味が悪かった。その眼差しから逃れるように、敢えて絵を見渡してみる。

 ほとんどの絵に人物か動物が描かれているようだ。昔から人物画は恐ろしく思えて、ヴァイオレットはあまり好きではなかった。写実的で陰影の濃く描かれた作品が多い中で、手の届く高さにあった一枚の風景画は、色彩が優しく輪郭も少々ぼんやりとしていた。明るい日差しが感じられて、ヴァイオレットにはこちらの方が好ましい。その絵の中の風景は、どうやらこの屋敷のようだった。正面の庭や玄関口が、芝の緑も鮮やかに、奥行きが感じられる美しい構図で描かれている。

 ぼんやりとその絵を眺めるうちに、ヴァイオレットはまた既視感を覚えた。

 ——あれ……?

 絵には詳しくない。だから筆使いや流派などと言われても分からない。それでもこの作品の雰囲気には、見覚えがある気がした。

 もしかして、美術館博物館巡りをしている時に見掛けた、有名な画家なのだろうか。ここには名札が無いので分からない。ならばと絵の中に署名を探してみるものの、見当たらなかった。見付けたところで、判別できないのだけれど……。

「あったあった。これだ」

 ロジアムの明るい声がして、ヴァイオレットはその絵に気を残しつつも向き直った。

 老紳士が苦労しながら、一枚の絵を引きずり出そうとしている。ヴァイオレットも手前の絵を支えて手を貸した。

 現れたのは、中年の男女を描いた肖像画だった。椅子に腰掛ける女性の肩に、手を添えて立つ男性。どちらも微笑して、仲睦まじく寄り添う様子からすると夫婦なのだろう。

「私の祖父母だ。

 数年前、妻が他界した時に、少し整理する気になって……。

 その時に見付けたのだ」

 ロジアムの落ち着いた声が耳を通り過ぎる。

 ヴァイオレットの目は肖像画の一点、品の良い女性の胸元にある首飾りに吸い寄せられていた。

 細かな意匠の凝らされた金の縁取りの中に、楕円形の透明な石がはめ込まれている。その色はドレスの色を透かしてぼやけてしまっているけれども、恐らくは青。——空と同じ、水色だ。

「こ、これ……。もしかして……」

 声が震えた。

 ヴァイオレットは黒髪を揺らして、斜め後ろに立つロジアムの顔を、急いで見上げた。

「分かるか。

 祖母が首から下げている石。それがアマランジルに見せたかった物だ」

 なら、やっぱり……!

「魔神の鍵!」

 驚きを込めて、ヴァイオレットは言葉にする。

「ところが、それは確かではない」

「?」

 菫色の瞳をぱちくりする。

 ロジアムは前へ出て、絵をじっくりと見定めながら続けた。

「アレから鍵については話を聞いた。だからこの絵を見付けたとき、私も咄嗟にそうだと思った。

 しかし、これは絵だ。

 それらしく見えるが、この首飾りが本当に〈鍵〉なのかどうか、判断できない。似た別の物か、画家が想像して描いただけの可能性すらある」

「…………」

 ヴァイオレットも肖像画に視線を戻して、考えてみた。床に置いた籠からも、いつの間にかトリが頭を出して、絵を見つめている。

 ヴァイオレットは〈鍵〉の実物を見ているし、手に取ったこともある。その時に大きさや金の細工はよく確かめていた。この絵にある飾りは、そっくりに見える。でも……ロジアムが言うように、やはり絵では限界がある。

「この方はおばあさまなのですよね。

 でしたら、この首飾りが残っているのではありませんか」

 絵で判別できないのなら、実物を確かめればいい。

 ロジアムは当然のようにうなずいた。

「私もそう考えて、装飾品の棚を調べてみたのだが……。来なさい」

 と言って、また移動する。

 そこは衣装部屋だった。その片隅にある引き出しのたくさんついた箪笥。

 階段状に開け放たれたその引き出しの中身を目にして、ヴァイオレットはこの屋敷に来てから一番に、度肝を抜かれた。目をまん丸に、息を止める。

「宝飾品の類は全てここに保管されている。

 しかし、見付からなかった」

 あっさり言うロジアムの声なんて、まるで耳に入らない。

 その引き出しに入っていたのは、色とりどりに光を放つ、たくさんの宝石だった。首飾りだけではない。指輪も、髪飾りもある。全身を余すところなく飾りたてられる装飾品の数々。そのどれもが金銀の細工も美しく、ふんだんに宝石があしらわれていた。かなり大粒の物まである。煌びやかすぎて、心がとろけてしまいそうだ。

 ここだけでどれだけの資産になるのか。ヌーたちを連れて来なくて、本当に良かった。これを初対面の人間に平気で見せる、ロジアムという人の神経もよく分からない。

「グエィッ!」(しっかりしろ! 鍵だ、カギ! 魔神の鍵!)

 そうだった!

 束の間、〈鍵〉のことなんて頭から吹き飛んでいた。ヴァイオレットはアルグの声で我に返って、キラキラする棚を改めて見直した。正視するのもはばかられるような棚を注意深く探してみても、それらしい物は無い。——いくら大きくても単なるガラス玉に比べれば小さいので、見落とすこともないだろう。

「祖父母も晩年はこの屋敷で暮らしていた。遺品は処分せずに残してあるはずだ。

 主が変わる度に物を移動させたから、その時どこかに紛れてしまったのかもしれない。

 あるとすれば、屋敷のどこかにはあると思うのだが……」

「……それがどんなものか、誰もご存じなかったのですね」

 どんなに金持ちでも、宝石は高価だ。これだけの品ならば、代々の女性に受け継がれていくだろう。しかし魔神の鍵はただのガラス玉。その人が大事にしていたとしても、真の価値を知らなければ、思い出の品でしかない。

「恐らく。あるいはやはり、実在しない物なのかもしれない」

「…………」

 ヴァイオレットは浅く唇を噛む。やっと見付けた魔神の手掛かりだ。そればかりか、ここにあるかもしれないのは、最も重要な魔神の封印を解く鍵。それがあれば……——と、思う。探せるだろうか。この屋敷の全てからとなれば、広いだけではない、大変な物量がある。そんな中から首飾り一つ。どれだけの時間が掛かるか分からない。

「あのっ!」

 ヴァイオレットは意を決して、ロジアムを見上げた。

 途方も無い。でも。

 何もせずには、諦められない。

「私にお屋敷の中を、探させてもらえないでしょうか。重ね重ね、図々しい申し出だとは分かっています。それでも。少しでも可能性があるのなら、探してみたいのです」

「もちろん。かまわない」

「……えっ」

 ヴァイオレットの言葉と重なるくらい、あまりにあっさりとした返答だった。目の前にあるのは、変わらない気難しい無表情。空耳かと思う。思わず瞬きして見直してしまう。

「アマランジルでも同じ事を言う。

 気が済むまで探したまえ。私室以外ならどこへ入ってもいい」

 もっともアレは、そんな殊勝な物言いはしないだろうが、と付け加える。

 ヴァイオレットは意気込んだ分だけ勢いよく、頭を下げた。

「あの、ありがとうございますっ」

「君が望まなければ、そこで終わりだった」

 頭の先に、そんな声が降り掛けられた。

 首を傾げつつ目を上げる。

「自ら進まない者に差し伸べる手は、持ち合わせていないのでね」

『カッコつけめ』

 なんでもなさそうに言ったロジアムに、床に置いた籠の中から、アルグが面白がる風に鳴いた。声に釣られたロジアムがトリに目を遣る。その目元が、ほんの微か和んでいるように見えた。

 よく分からないけれど、それなら——。

「あの、もう一ついいでしょうか。

 このお屋敷には古い物がたくさんありますよね。〈鍵〉を探すついでに、そちらも見せていただけませんか」

「問題ない。どうせ家中を調べなければならないのだから、好きにしなさい。神話を扱った文献もたくさんある」

 またお礼を言って頭を下げようとしたら、ロジアムに手の平で制された。

「〈鍵〉を見付けたら、持って行っていい。

 ただし、一つだけ条件がある」

「なんでしょうか」

 世界を揺るがすお宝だ。少しくらい無茶な要求でも飲んでみせる気概が、ヴァイオレットにはあった。お金だって——ロジアムが金銭を要求するとは思えないけれど、みんなで集めた財宝があるので、払えなくはない。

 ロジアムは言う。

「盗まれたことにしてほしいのだ。

 私には必要のない物だが、それがどれだけ大変な意味を持つ代物かは、心得ている。それを何もせずにやったとなると、世間が黙っていないだろう。いろいろと問題もある。しかしアレに盗まれたのなら、防ぎようがない」

 にやりと笑う。それはいたずらを思いついた子供のような笑顔に見えた。それまでの厳しい表情と落差があり過ぎて、ヴァイオレットは思わずまじまじと見つめてしまう。

 ロジアムは得意げに続けた。

「私は被害者というわけだ。それなら誰も文句は言えまい」

「わかりました」

 ヴァイオレットも笑うしかなかった。

「盗めばいいのですね。

 まったく問題ありません」

 魔神の鍵が手に入るのなら、それくらいの汚名はいくらでも着よう。というより、それは既に犯した罪だ。

 きっと見付けてみせる。

 ヴァイオレットは堅くうなずいた。

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